No.385017

真・恋姫†無双~恋と共に~ #72

一郎太さん

#72です。1年前の伏線回収。
今回も一気に進みますぜ!
またまた2万字超えたよ、やったねた○ちゃん!
どぞ。

2012-02-29 23:58:24 投稿 / 全21ページ    総閲覧数:8615   閲覧ユーザー数:6250

#72

 

 

「………………」

 

眼を開けば、見慣れた天井が視界に入る。寝ていたのか。そう自問すると同時に、思い出した。風に秋蘭の事を告げ、頭痛に襲われて気を失った。だが、違和感。

 

「……あれ?」

 

その頭痛がすっかりと消えている。むしろ、頭の中が妙に澄んでいた。一度目の気絶から覚醒した時はズキズキと痛んでいた筈だが。

 

「やっと起きたの?」

 

その事について思考を始めようとすると、声が掛かった。聞き慣れた、ぶっきらぼうな声音。

 

「………………あぁ」

 

ゆっくりと首を傾ければ、自分の机に座る猫耳少女。彼女の前には、処理済と未処理の竹簡の山がそれぞれひとつずつ積まれていた。どうやら一刀の部屋で仕事をしていたようだ。

 

「荀彧……?」

「なによ」

 

彼の方を見向きもせずに、返事を返す。竹の上を走る筆は止まらない。

 

「なんで……此処にいるんだ?」

「迷惑なわけ?」

「いや、そういうんじゃ……」

 

ゆっくりと身体を起こしてみる。異変は、ない。衣擦れの音に、荀彧は筆を止めて一刀を振り返った。

 

「医者と名乗る者がいきなり城にやって来たの。重病人がいるだろう、ってね」

 

そして淡々と状況の説明を始める。

 

 

 

 

 

 

※※※

 

華琳の執務室で政務を行なっていた荀彧の耳に、雑音が届いた。何やら外で揉めているらしい。

 

「………」

 

どうせ真桜と沙和が凪に叱られているのだろう。適当に予想をしながら無視を続けていたが、いつまでも止まらない騒ぎに、ついに堪忍袋の緒が切れる。

 

「――――――ったく、なんなのよ!」

 

立ち上がり、窓へと近づく。そこから地上を見下ろせば、予想通りに三羽烏の姿。だが、それ以外は違っていた。

 

「なに……やってるの?」

 

確かに3人はいたのだが、彼女たちが喧嘩をしている訳ではない。3人は揃って、無理やり入り込もうとする男を抑えていた。彼女たちの周囲には、門番の兵が尻餅をついている。

 

「華琳様もいないのに、これ以上面倒事を増やさないでよっ!」

 

ひとり叫び、彼女は部屋を出た。

 

 

「――――――大人しくしろと言っているだろうが!」

 

城門へと近づくにつれて、叫び声が耳に入る。

 

「俺は医者だ!病人がいるのに大人しくなどしていられるか!!」

 

凪の声に、男の声。そして彼を抑えようとしている真桜と、兵を叱咤する沙和の声。どうやら賊ではないようだが、それにしても騒々しい。

 

「いったい何があったのよ?」

「桂花ちゃん!」

 

凪と真桜が男を抑える傍で、倒れた門番たちに怒声を浴びせている沙和に声を掛ける。

 

「この城の責任者か!」

 

と、新しくやって来た彼女に気づいた男は、凪たちに四肢を抑えられながらも、口を開く。というより、叫ぶ。

 

「臨時のね。それで、何用かしら?賊ではないみたいだけれど」

 

男という事に嫌悪感を隠そうともせずに、荀彧は応える。だが、男もそれを気にした風もなく、凪たちにしたものと同じ言葉を繰り返す。

 

「俺は医者だ。この城から病魔の気を感じてな。俺に治療をさせて欲しい!」

「はぁ?いきなりやって来て、うちの者を診せられる訳がないでしょう?馬鹿を言わないでよ。大方、適当に診断して報酬をせしめようって魂胆でしょうけど」

「そんな訳はない!報酬などいらないから、是非診させてくれ!」

「は?」

 

この時代、医者は下賤な職業と考えられていた。だからこその荀彧の言葉を、彼は全力で否定する。いったい何を考えているのか。医者のふりをした賊か?だが、賊ならば、1人で城に乗り込むというのもおかしい。それほどの武を持っているようにも見えない。凪たちに抑えられているのがその証拠だ。

しばらく逡巡し、荀彧は溜息を吐く。そして応えた。

 

「わかったわ。その代わり―――」

「本当かっ!?」

「最後まで聞きなさい!アンタに病人を診させてあげる。その代わり、少しでも変な真似をしたら、その場で首を刎ねるから」

「かまわん!」

 

責任者の言葉と闖入者の返事を受け、凪と真桜は顔を見合わせて、そして彼を解放した。

 

「じゃぁ、案内するけど……」

「分かってる。大人しくしているさ」

「アンタ達もついてきなさい。こいつが少しでも変な動きをしたら、首を刎ねてしまっていいから」

「はっ」 「了解や」 「わかったのー」

 

荀彧を先頭に、医者と名乗る男を挟んで凪たちも城内へと進む。目指すは一刀の部屋だ。

 

 

 

 

 

 

「――――――此処よ」

 

そしてやって来た、一刀の私室の前。荀彧は足を止めて告げる。

 

「入らせてもらうぞ!」

「待ちなさい」

 

此処までは大人しくついて来た。だが、それでも警戒を払うに越した事はない。すぐさま扉を開こうとする男を押し留め、荀彧が扉を開く。途端――――――

 

「うっ!?」

 

――――――男が呻く。

 

「なっ……なんという邪気だ………これほどまでに強大な病魔がいたとは………」

 

何やら1人で盛り上がっている。凪たちも部屋の中を覗き込むが、特に変わった様子はない。だが、彼に関しては違うようだ。なぜか汗を垂らし、苦しげな表情を浮かべている。

 

「………………入るわよ」

 

その暑苦しい様子に先ほど以上の嫌悪感を露わに師ながらも、兎にも角にもと、荀彧は中に入った。

 

「早速診させてもらう」

 

一刀の横たわる寝台の前に立ち、男は何故か構えをとる。何をするつもりかと凪たちも咄嗟に構えた瞬間。

 

「はぁっ!!」

 

気合一発。彼はぐわと眼を見開いた。

 

「「「「………………………」」」」

 

4人の少女が呆気にとられるなか、男はじっと眼を凝らす。

 

「なんと深い……そして強い病魔だ………だが………………」

 

ブツブツと呟きながらもじっと視線を送る。そして。

 

「………………此処かっ!見つけたぞ、病魔め!」

「分かったんか?」

 

真桜の問いに頷き、彼は外套の懐に手を入れる。そこから出てきたのは2本の針。

 

「あぁ。何やら強大な病魔が胸の内に巣食っている。それをこれから取り除くぞ」

「取り除くって、その針で隊長に何する気なのー!?」

「俺が扱うのは、五斗米道。正なる気により、邪気を払う医術だ!」

「ごど…べいどう……?」

「違う!五斗米道だ!!」

 

彼の口にした名前を呟く凪に、言い返す。違いは分からない。

 

「それでは、これより術式を開始する!………ハァァァアアア!」

 

言うや否や、彼は気合を入れ始めた。その様子に、凪が驚きに眼を見開く。

 

「どうしたんや、凪?」

「凄い量の氣が集まっている……」

「そうだ。使う針は2本。これで患者の病魔を退散させる」

 

言いながら、彼は先ほど取り出した針のうちの1本を手に取る。

 

「まずはこの針で、患者の氣を活性化させる。そうして病魔を怯ませた後で、もう1本の針を病魔の中心に打ち込んで俺の氣を流し込み、完全に消滅させるんだ」

 

皆が呆気にとられる。そのような事が可能なのか。だが、氣の使い手である凪も認める程の、氣の量らしい。どちらにしろ、一刀の病が治るのならば、それに越した事はない。ならばと皆は頷き合い、後ろにさがった。

 

「それでは……いくぞっ!」

 

ひとつ叫び、男は構えを変える。

 

「はぁぁっ!」

 

そして、右手に持った針を、一刀の胸の中心に打ち込んだ。

 

 

 

 

 

 

「ぐはぁっ!?」

 

その瞬間、男の身体が部屋の端まで弾き飛ばされた。

 

「なんやなんや!?」

「大丈夫なのー!?」

 

慌てて真桜と沙和が駆け寄り、彼を抱き起こす。上げた顔には、苦悶の表情が浮かんでいた。

 

「なんて事だ……俺の針が効かないとは………」

「えぇー!?」

 

2人に支えられながら男は立ち上がり、手の甲で額の汗を拭う。

 

「どういう事よ、治せないの!?」

 

荀彧が叫ぶように問う。この時ばかりは、一刀に対する感情も、男に対する嫌悪感も忘れていた。

 

「先ほども説明したが、病魔を退散させるには、まず患者本人の氣を活性化させる必要があるんだ。だが、彼の場合は状況が異なる。針を刺した瞬間、病魔の邪気によって弾かれた。病魔自身も、彼の氣を抑え込む為に、その中心に相当の氣を使っているようだ………」

 

冷静に説明しているようだが、彼の内心は悔しさに満ちていた。自分がまだまだ未熟だと言う自覚はある。それでも目の前で苦しんでいる患者を救えないなど、諦めたくはない。

そこで、彼はふと先の会話を思い出した。

 

「待てよ……」

 

彼は凪に振り返る。

 

「どうした?」

「さっき、君は俺の氣を感じ取っていたな」

「あぁ」

「という事は、氣の使い手か?」

「そうだ」

 

訝しみながらの2度の首肯に、彼の眼の前に一筋の光明が差した。

 

「手伝ってくれ。俺1人では手の施しようがないが、君がいれば何とかなるかもしれない!」

「………どういう事だ?」

 

希望の言葉に、凪も表情を一層真面目なものにする。

 

「君の氣で、彼の氣の代わりに病魔を抑え込んで欲しい。その隙に、俺が病魔の核を撃ち抜く」

「………それで隊長が治るのならばそうしたいが、具体的にはどうする?」

「あぁ、君の氣を彼の体内に送り込む。そして同化させるんだ」

「同化させる……」

 

その言葉に、彼女はかつての修行を思い出す。初めて稽古をつけて貰った時は、師の手を弾き飛ばした。あれから立ち木に向かって何度も修行を続けてはいるが、目に見えた効果はほとんどない。不安が顔に浮かんだ。

 

「今はこれしか方法はないんだ!頼むっ!」

 

果たして、今の自分にそれが可能なのだろうか。再び彼の手を傷つけてはしまわないだろうか。それに、万が一失敗したら――――――。

様々な懸念が頭をよぎったその時、両肩に触れる温もりに気づいた。

 

「大丈夫や。凪がずっと修行をしとる事は、ウチらが一番知っとる」

「そうなの。凪ちゃんは頑張ってたもん。きっと成功するのー!」

「真桜…沙和……」

 

親友の手だった。振り返れば、笑顔の2人。彼女たちの表情に、嘘偽りは見えない。いや、顔を見なくてもその声音で、触れる温もりで分かる。ずっと傍にいた友なのだ。

 

「………わかった。やってみる」

「それでこそ凪や!」

「頑張るのー!」

 

友の笑顔に後押しを受け、彼女はしっかりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

寝台の端で、凪は膝をつく。目の前には胸元を肌蹴られた男の姿。普段であれば照れてしまうそれも、いまばかりはその時ではない。

 

「師匠……」

 

医者に促され、凪は両手で、一刀の右手を包み込んだ。

 

「頼んだぞ」

 

返事は返さない。ひとつ頷くと、凪はゆっくりと氣を集中させた。

 

「………………」

 

一刀に教わった事を思い出す。丹田に力を籠めて氣を発生させる。それを胸、肩そして腕へと伝わらせ、両の掌で一度それを止めた。

 

「いい量だ。そのまま続けてくれ」

 

医者の指示にも、もう凪は動かない。一層の集中を籠めて、それを開始した。

 

「うっ……」

 

その途端、一刀が呻き声を上げる。

 

「それでは駄目だ!彼の氣に合わせろ!!」

「わかってる……!」

 

方法など分からない。だが、凪は必死に思い出す。あの時腕に感じた氣を。痛みはありながらも、どこか暖かかった彼の氣を。

 

「………そうだ!そのまま流しこめ!」

 

彼の言葉を聞くまでもない。不思議と、自身の気持ちも穏やかになっていく。一刀の表情が、いまだ苦悶を浮かべるものの、先ほどよりも幾分かは落ち着いていた。

自身が一刀の中へと入っていくように錯覚する。掌から伝わり、剣を振るう腕、その軸となる肩、そして病魔が巣食うという胸の中心に――――――。

 

「ぐっ!?」

 

そして感じる。夥しい程の禍々しい氣を。

 

「(なんて事だ……隊長はこれほどの病に侵されていたのか………)」

 

その病の持つ邪気に、そしてそれを耐える一刀に畏怖を抱きながら、

 

「押し返せ!お前の手で彼の命を救えっ!」

 

ここが最後の壁だと、凪はすべての氣を一刀の胸へと流し込んだ。

 

「来た……来たぞ来たぞ来たぞぉぉぉおおっ!!」

「長くは保たない!早くっ!」

「任せろっ!」

 

凪の言葉に、彼は左手に持った針に氣を籠め、そして叫ぶ。

 

「我が身、我が鍼と一つなり!一鍼同体!全力全快!必察必治癒!病魔覆滅!げ・ん・き・に・なれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

男が腕を振りおろし、一刀の胸にその針を突き刺した。その瞬間、その点を中心に眩い光が発せられ、部屋いっぱいに広がった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ………」

 

医者の荒い息だけが聞こえる。白一色からゆっくりと他の色を取り戻す視界の先に、膝をつく彼の姿を、荀彧は見出した。

 

「ちょっと、大丈夫!?」

「はぁ……大丈夫だ………だが、凄まじい病魔だったぞ。氣をほとんど持っていかれてしまった」

 

なんとか彼は立ち上がると、寝台に横たわったままの患者の顔を見下ろす。

 

「………どうやら、成功したようだな」

「え…?」

 

その言葉に、荀彧は彼の視線を追う。果たしてそこには、先ほどとは打って変わって安らかな表情で寝息を立てる一刀の姿。

 

「………本当に、治ったの?」

「あぁ、もう大丈夫だ」

 

その言葉を耳にし、しばらく呆ける。そして、ようやく我を取り戻し、口を開いた――――――

 

「よかっ――――――」

「凪ちゃん!?」

 

――――――ところで、沙和の叫びに遮られた。後になってから彼女は考える。邪魔が入ってよかった。あれがなければ、自分は相当にらしくない事を口走っていただろうから、と。

 

「凪、大丈夫か!?」

 

真桜も駆け寄る。見れば、一刀の足下に突っ伏した凪の姿。

 

「大丈夫だ。氣を使い果たして、疲れているだけだろう。激しい運動をした後のようなものだ。休めばすぐに元に戻る」

「よかったのー……」

 

医者の説明に、へなへなと沙和がへたり込む。

 

「そして……悪いが俺も休ませてくれ………俺も限界のようだ………」

 

最後にそう呟き、彼もまた意識を落とした。茫然とその光景を見ながら、ようやく荀彧は発すべき言葉を口にする。

 

「真桜、彼を客室に運んで貰える?こいつでも一応うちの将だからね。それを助けた恩人だから、侍女を1人付かせるようにしておいて」

「へ?……あ、あぁ、承知したわ」

「沙和は凪を部屋に送って頂戴。眼を覚ました時の為に、一応彼女にも侍女をつけておいて。一刀は私が見ておくわ」

「わかったのー!」

 

真桜と沙和は彼女の指示に頷き、それぞれ医者と凪を抱えて部屋を出る。それを見送り、荀彧は再び一刀に振り返る。いまだ眼を覚ます様子はないが、それでもその呼吸と表情は落ち着いていた。

 

「………さて、こいつが起きて混乱されても面倒だし、仕事は此処でする事にしようかしらね」

 

他意はない。真桜か沙和が見ていたのでは病み上がりの病人に無茶をさせるかもしれない。冷静な人間がいる必要がある。あるいは、彼の暑苦しい雰囲気にあてられて、いつもとは違う気持ちになっているだけかもしれない。

 

「………………」

 

いや、そうだ。きっとそうに違いない。

自分に言い聞かせるように、荀彧は部屋を出る。とりあえずは、先ほどまで仕事をしていた執務室から、まだ処理をしていない案件を持ってくるとしよう。

 

 

 

 

 

 

※※※

 

「――――――これが、5日前の事よ」

「そうだったのか……」

 

気になる事は幾つかある。自分を助けてくれた医者。その一助となった凪。だが、何よりもまず優先すべき質問があった。

 

「それで……秋蘭はどうなった?」

 

自分も危機に陥っていたくせに、もう他人の心配か。内心呆れの溜息を吐きながら、荀彧は応える。

 

「今朝伝令が届いたわ。怪我を負ってはいるけど、なんとか間に合う事が出来たってね。明日には戻って来るわ」

 

よかった。ただ一言零し、一刀は顔を両手で覆う。

 

「まったく、アンタも相当にお人好しね。風と華琳様たちから聞いた話を総合すると、それを伝えた所為でアンタはそうなったらしいじゃない。よくやるわ、本当に」

「そうか?」

 

そんなに呆れる事だろうかと、一刀は首を傾げる。

 

「なによ、そんなに変な事を言ってるかしら?」

「じゃぁ訊くけど……華琳が危機に陥っていて、荀彧が俺の立場だったらどうする?」

「そんなの同じ事をするに決まってるじゃない!………………あ」

「だろう?俺も荀彧と同じなだけだよ」

「ふんっ!アンタなんかと一緒にしないで欲しいわね」

「さいでっか………」

 

失言にしまったという顔をし、そしていつもの調子を取り戻した彼女に一刀は苦笑する。それが気に障ったのか、彼女は勢いよく立ち上がった。

 

「どうした?」

「アンタが眼を覚ましたなら、もう説明役は必要ないでしょ。華琳様の執務室に戻るのよ」

「そっか」

 

言って竹簡を掻き集める荀彧を見ながら、一刀は言葉を続ける。

 

「居てくれて、ありがとな………荀彧」

 

その言葉には返さず、竹簡を抱え終え、扉へと向かった荀彧が立ち止まった。

 

「………桂花でいいわ」

「………………え?」

 

思わず聞き返す。

 

「戦に出れば、少なからず兵は死ぬ。将だって失う事もある………それでも、華琳様を悲しませないで済んだのは、アンタのおかげなんだから。その礼よ」

「………………」

 

呆気に取られてしまう。出会ってからどれだけの月日が経ったのか。彼女の性格を考えれば、真名を預けられる事はないだろうとすら思っていた。そんな彼女の言葉に、一刀は笑みを零す。彼女が向こうを向いてくれていてよかった。もしこの顔を見られたら、きっと彼女は怒ってしまうだろうから。

 

「ありがとな………桂花」

「ふんっ」

 

再度述べる礼に鼻息も荒く、桂花は扉を開き、一歩踏み出して廊下へと出た。

 

「また様子を見に来るから。だから、ちゃんと休んでなさいよ………一刀」

 

そして扉が閉められる。

ピンチの後にはチャンスがやって来るとは、何のスポーツの言葉だったか。散々苦しめられた後にくる幸福に、一刀は再び笑う。

 

 

 

 

 

 

その後、午後はずっと寝て過ごした。その所為だろうか。陽も沈み、月が天頂へと昇る頃になっても眠気が訪れないのは。

 

「………少し、冷えるな」

 

一刀は、城壁へと上がっていた。篝火が照らす通路の中央で、数日前に秋蘭が向かった方角に目を遣る。街の向こうには城壁。その向こうには大自然が広がっている。

ぼんやりと闇の向こうを眺めながら、一刀はその感じ慣れない気配に気がついた。

 

「病人がそう出歩いては駄目だろう、北郷」

 

振り返れば、初見の紅髪の男。だが、彼の浮かべる笑顔は、どこか人を安心させる。

 

「………貴方は?」

「俺は華佗。お前を診た医者だ」

「貴方があの………助けられたみたいだな。礼を言う」

「なに、五斗米道の医者として当然の行いだ。礼など必要ない。それと言葉遣いも気にするな」

「分かった。そうさせて貰うよ。それと………ゴッドヴェイドー?張陵が開いた五斗米道とは違うのか?」

 

一刀がその名を繰り返した瞬間、彼の眼が見開かれた。

 

「ど……どうした?」

「………もう一度言ってみてくれ」

「えと………ゴッドヴェイドー?うぉっ!?」

「素晴らしい!!」

 

一刀が繰り返した途端、華佗が一刀の手をガシと握る。

 

「………どうしたんだ?」

「五斗米道を、初めてなのに正確に発音出来た人間はお前が初めてだ!」

「そうなのか……?」

 

歯唇音は中国語にはなかったっけ。引き攣った顔で答えながら、そんな事を考える。

 

「あぁ!それだけでも、お前が素晴らしい人物だとわかる。善き男に出会えたと、俺は興奮の極みにあるぞ!」

「あ、あはは……」

 

どう返したものかと苦笑していれば、華佗はその手を離した。

 

「っと、すまない。どうも五斗米道の読み方になると、熱くなってしまうのだ」

「そうか」

 

一歩下がり、華佗は言葉を続ける。その表情は、一転して真面目なものとなる。

 

「それで、お前の病の事なんだが」

「ん……」

 

その表情に、一刀も居住まいを正す。

 

「先ほど、隠れながら見させてもらった………はっきり言おう。お前の病は―――」

「病気じゃ……ないんだろう?」

 

そして、華佗の言葉を遮った。

 

「なっ……知っていたのか!?」

「いや、どちらかというと予想だ」

「そうか……先日お前を治した時は、完全に病魔は消え去ったと思った。だが、先ほど診た時に、あの時と同じような氣の澱みが見えたんだ」

「氣の、澱み……」

「あぁ。本当に病であったのなら、俺には分かる。だが、そうではないんだ。お前の内から湧き出てくるような、そんな邪気なんだよ。そして、何故か今は大人しくしている。暴れ出そうとする気配もない」

「………………」

 

彼の医者としての説明に、一刀は自身の予想が的外れなものではないと確信する。

 

「お前は、それを知っていたのか?」

「いや、知らなかった。だが、いくつか仮定が浮かび上がって、それで、なんとなくではあるが、想像がつくんだ――――――」

 

一刀は説明する。自身の出自。それ故に導かれる想定。話を聞いた華佗は、難しい顔をしている。無理もない。世間を騒がせた『天の御遣い』が、このような場所にいるとは思えもしないのだろう。実際に、彼の口から出てきたのは否定の言葉だった。

 

「突拍子もなくて信じられないな……まさか『天の御遣い』にこのような場所でお目にかかれるとは」

「それはこっちの台詞だ。華佗と言ったら、神医として俺の世界にも名を残してるぞ………でも…ま、そうだよな」

「だが、お前の内に巣食う邪気を考えると、そう外れてはいないように思える。申し訳ないが、医者として出来る事はなさそうだ………」

「気にするな。この事に関しては、華佗も………俺も門外漢なんだ」

「あぁ……」

 

沈黙が落ちる。華佗の抱える、力になれない悔しさを、一刀は感じていた。

 

 

「それで、華佗はどれくらい此処に滞在するんだ?」

 

こうしていても仕方がないと、一刀は話題を変えた。

 

「この5日間で、この街の病人も粗方見終わったからな。あとひと仕事をしたら出て行くさ」

「ひと仕事?」

 

一刀の問いに、華佗は頷く。

 

「あぁ。先のお前の話にも出てきた、夏侯淵殿だ。荀彧殿の話では、いまのところ命に別状はなさそうだが、重傷を負っているとの事でな。彼女を診たら、また別の街に向かう」

「そうか………よろしく頼む」

「あぁ、任された」

 

秋蘭の事は、桂花からも聞いている。頭を下げる一刀に、華佗はしっかりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

翌日。定軍山へと向かっていた軍が戻ってきた。伝令からの報告を受け、一刀は華佗と共に街の入口へとやって来ていた。

 

「秋蘭、大丈夫か?」

「一刀……お前こそ大丈夫なのか?」

 

応える秋蘭の右腕と左の掌、そして左の膝には包帯が巻かれ、痛々しい。その身体を優しく抱き締め、後ろに立つ華佗に振り返った。

 

「華佗……頼む」

「おう」

「彼は?」

 

その様子に、華琳が問う。

 

「俺を見てくれた医者だ。彼がいなければ、俺もこうして此処にいられたかは分からない。腕は超がつく程の一流だから、華佗に任せて欲しい」

「貴方がそういうならば、信じるわ………華佗と言ったかしら。この娘をお願いするわね」

「あぁ」

 

華佗の首肯を受け、華琳が付き添い、秋蘭は城へと向かう。残された将たちも、兵に指示を出し始めた。と、これまで大人しくしていた春蘭が一刀に歩み寄る。

 

「おかえり、春蘭」

「あぁ。お師匠様のおかげで、秋蘭を助ける事が出来た。ありがとう」

「いや、間に合わせたのは春蘭たちだ。俺だけの力じゃない」

「ふふっ、相変わらずお師匠様は謙遜するな」

 

頭を撫でながら手の下で笑顔を見せてくれる弟子に、ようやく秋蘭を助ける事が出来たのだと、実感する。

 

「それでな、聞いて欲しいのだが――――――」

 

春蘭の話を聞きながら、一刀も城へと向かった。

 

 

春蘭と共に秋蘭の私室に行けば、寝台に腰掛けた秋蘭身体を華佗が診ていた。その包帯は解かれており、先ほどまで隠れていた傷痕がはっきりと眼に入る。一刀は、それとなく後ろを向いた。

 

「どうかしら?」

 

構えを解いた華佗に、華琳が問いかける。外套から鍼を数本取り出しながら、華佗は応えた。

 

「右腕は筋繊維が裂け、左手は外傷だけじゃない。肘の辺りまで骨にひびが入っている。どれほどの衝撃を受けたのかは分からないが、少なくとも腕2本で耐えられるようなものではない。実際、衝撃を緩和させようとした左の大腿骨から膝の骨にかけても、傷が見られる」

「治るのか?」

「左手と膝は問題ない。右腕は、通常ならば障害が残るだろうな」

「なっ………そんな馬鹿な話があるか!」

 

最後の言葉に反応したのは、春蘭だった。剣であれば、片手でも振るえるかもしれない。だが、妹は弓使いなのだ。彼女が得意とする弓がもう使えないなどと、考えたくもない。

なおも激昂する春蘭を、華佗が手を挙げて遮る。

 

「『通常ならば』と言っただろう。五斗米道ならば、どんな怪我でも治してみせるさ」

「本当か!?本当に……秋蘭はまた、弓が使えるようになるのか?………私と共に、戦場に出る事は出来るのか?」

「任せろ。すべて元通りにしてやる」

「よ…よかった………よかったよ、秋蘭……う、うぅ………」

「姉者……」

 

華佗の自信に満ちた言葉に、春蘭は涙を滲ませ、一刀に胸に顔を埋めた。

 

「では、さっそく治療に入る」

「華佗、俺達は出ていた方がいいか?」

「邪魔さえしなければどちらでもいい。患者の意志を尊重する」

 

一刀の問いに、華佗は秋蘭を向き直る。実際に、彼女の意志を問うていた。

 

「私は気にしない。だから、一刀もそろそろこちらを向いてくれ。気を遣ってくれるのは嬉しいが、少し寂しいぞ」

「………わかった」

 

如何に一騎当千の武将といえど、秋蘭も女だ。傷など見せたくはないだろうと気を遣って背を向けていた一刀だったが、当の本人に言われ、彼女を振り返る。

 

「では始めるぞ。まずは夏侯淵殿の氣を活性化させる………あー、北郷はやはり向こうを向いている方がいいかもな」

「どういう事だ?」

 

治療を始めるかと思いきや、少し口籠る華佗に、秋蘭が問う。

 

「氣を活性化させる為に、胸の中心に打ち込む必要があるんだ」

「そういう事か。一刀、気にしなくていい」

「ん……わかった」

「姉者、服を頼む」

「あぁ」

 

本人に言われ、一刀もそのままにいた。妹に乞われ、春蘭は自身のそれと同じ作りの服を肌蹴させる。染みひとつない綺麗な形の胸が露わになるが、華佗は特に気にした様子もない。変に慌てるのも申し訳ないと、一刀もまた無表情を貫いた。

 

「では始めるぞ。氣を活性化させた後は、左腕と膝を先に治す。右腕は少し強めにやる必要があるから、最後にする」

「頼む」

 

華琳と春蘭、そして一刀が見守る中、華佗の治療が始まった。

 

 

 

 

 

 

「――――――実際に目の当たりにすると凄いな」

 

思わずそんな言葉が一刀の口から洩れる。桂花の話を聞く限りでは、自分を治療した時は部屋が満たされる程の光を発したらしい。だが、今回は華佗の鍼を中心にわずかに光が放出された程度で、眼を開けていられないほどではなかった。それでもその光景は異様だ。

 

「これで終わりだ。1週間ほど安静にしていれば問題はないだろう。左足の方も、極力使わない方がいい」

「あぁ……傷に氣が満ちていくのが、自分でもわかる。………ありがとう、華佗。礼を言う」

「私からも礼を言うわ。報酬は後で支払うから、部屋で待っていなさい」

 

秋蘭の表情から影が消え去り、華琳も謝辞を述べる。だが、華佗は頭を振った。

 

「いや、報酬などいらない」

「そうはいかないわ。私の半身を救ってくれたのよ。礼をしない訳にはいかないの」

 

なおも引き下がらない華琳に、華佗は苦笑しながら告げる。

 

「ならば、禅譲の儀を早く終わらせてくれ。本来ならば戦などして欲しくはないのだが、帝の意図は、連れからも聞いている。怪我人が出なくなるのが、俺にとっての一番の報酬さ」

 

どうやら、今回は華琳の負けのようだ。それが心からの言葉と分かるような彼の笑顔に、華琳はひとつ息を吐く。

 

「………分かったわ。ならば、曹孟徳の名において、此処に誓いましょう。この戦乱を一刻も早く終結に向かわせると」

「あぁ!」

 

華琳の宣誓に華佗は力強く頷き、秋蘭に向き直った。

 

「これから1週間、昼に問診に来る。経過を見届けたら、俺はまた旅に戻らせ貰う」

「そうか。重ね重ね礼を言う」

「なに、夏侯淵殿は俺の患者だからな。では、俺はこれで」

 

再び頭を下げる秋蘭にも笑顔を向け、華佗は扉へと向かう。

 

「俺も行こう。流琉の顔も見ておきたい」

 

それに一刀も追随し、2人は部屋を出て行った。

 

「まったく、華佗もまた相当の変わり者ね」

 

残された3人のうち、1人が口を開く。

 

「まったくです。どことなく一刀と似たところがある」

「そうか?」

 

華琳の言葉に頷く秋蘭に対し、春蘭が首を傾げる。

 

「そうよ。私に気を遣わない男なんて一刀くらいと思っていたけれど、まさか、あぁまではっきりと言われるとはね」

「?」

 

笑い合う主と妹の様子に、春蘭は再び首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

 

「それで、華佗はこの街を出たら何処に向かうんだ?」

「まだ決めていない。河北と幽州を回ってきたから、次は南か西だな」

 

廊下を歩きながら、一刀は隣の男に問う。その返事に、これならばと彼は進路を変えた。

 

「そっちは出口ではないだろう。何処に行くんだ?」

「少しだけ時間をくれ」

 

短い応えを不思議に思いながらも、華佗は一刀の後を追う。

 

「――――――此処だ」

「北郷の部屋か。何かあるのか?」

「あぁ、頼みがある」

 

やって来たのは、一刀の私室だった。自分だけでなく秋蘭の治療をしてくれた彼に、さらなる頼み事をするのは心苦しかったが、他に方法はないと自分に言い聞かせ、一刀は扉を開く。

 

「まずは……これを受け取って欲しい」

 

机まで歩き、その引出しを開けてある物を取り出した。

 

「なっ!?報酬はいらないと言っただろう!北郷の治療も、そういう条件で受けたんだ」

 

華佗が手渡されたのは、小さな布製の袋。その重みと内側から鳴る金属音に、それが金だとう事が分かる。

 

「どうせ華佗の事だから、街の住人の治療も無料で引き受けてるんだろ?」

「当然だ!五斗米道は人を救う為の術だ。報酬など受け取れる訳がない」

「そうは言っても旅の道中はどうするんだ?飯とか、宿とか」

「そんなもの、自生している木の実や狩った動物で済ませている。宿も野宿で十分だ」

 

あまりに予想通りの反応に、一刀は思わず笑う。

 

「じゃぁ、薬代は?さっき秋蘭の傷に塗っていた軟膏だって、無料という訳ではないだろう?」

「それは……」

「だからこその、これだ。こいつを使って、もっと多くの人を救って欲しい」

「……………」

 

そこまで言うか。内心驚きながら、華佗はゆっくりと溜息を吐いた。

 

「………俺もそうだという自覚はあるが、北郷も大概に頑固な奴だな」

「自覚はあったのか」

「うるさい……だが、そこまで言われては仕方がない。患者を救う為に、この金は使わせて貰う」

 

ようやく華佗は頷き、袋を懐にしまった。だが、本題は此処からだった。

 

「それで頼みなんだが……」

「む?いまの路銀を使って、患者を救えというのがそれではなかったのか?」

「華佗に受け取らせる方便に決まってるだろう。まぁ、本音も入ってるがな」

「いま分かった。お前、実は性格悪いだろう」

「まぁな」

 

やられたよ。再度溜息を吐き、華佗は顔を上げる。

 

「まぁ、いい。俺に出来る事なら引き受けてやる。言ってみろ」

「あぁ。依頼は2つある。まず一つ目だが――――――」

 

言いながら、一刀は先ほどとは別の引出しを開け、一束の竹簡を取り出した。

 

 

 

 

 

 

「――――――そういえば、華佗は何処に滞在してるんだ?初日は城に泊まったって聞いてるが」

「あぁ。荀彧殿に頼んでな。街の空き家を貸してもらっているんだ。そこを臨時の診療所として、街の者を治療している。一昨日辺りまでは病人の往診をしていたが、昨日と今朝は怪我人が来てるくらいだ」

 

依頼内容を説明した一刀は、華佗を見送りに城の門まで来ていた。

 

「そうなのか……って、だったら引き止めて悪かったな」

「気にするな。怪我人の治療だったら連れでも出来るからな。何かあったら城に来るように言ってある」

「連れがいたのか。やっぱり五斗米道の医者なのか?」

「いや、医者ではない。だが、相当の武の持ち主だぞ。2人とも、ざっと氣を見た感じでは北郷と同じくらい強いかもしれない」

「へぇ、会ってみたいな」

 

自身がどれほどの強さかは、わからない。だが、恋以外に自分と渡り合えるような存在がいると聞き、一刀のなかの武人としての感情が疼いた。

 

「だったら診療所に来るか?2人共いないという事はないだろう」

「いいのか?」

「かまわないさ。それに、街の住人からもお前の事は聞いている。ここ数日北郷を見かけないが、大丈夫だろうかと、老人から子どもまで、皆心配していたぞ」

「マジ?なんか恥ずかしいな」

「好かれている証拠さ」

 

どうにも照れ臭くなって明後日の方向を向く一刀の背中をバンバンと叩きながら、華佗は笑う。いずれにせよ、久しぶりに街を歩くのも悪くはない。一刀は、華佗についていく事にした。

 

しばらく街中を歩き、華佗の診療所へと到着する。この十数分の間にも一刀と華佗は幾度となく呼び止められ、気づけば2人の腕は大量の食べ物で埋まっていた。

 

「おい……そこらの動物を狩るとか言ってたの、あれ嘘だろ」

「そ、そんな事はないぞ!」

 

一刀の低い声に、わかりやすく華佗はどもる。

 

「なに見栄張ってんだか。まぁ、確かにこういう風に食料を貰えるなら金は必要ないかもな」

「そんな事はないと言っているだろう!」

「はいはい。お邪魔しますよーっと」

 

両手が塞がれている為、一刀は無作法にも足で診療所の戸を開く。

 

「ほら、先入れ」

「わかったよ、ったく」

 

一刀に促され、華佗は先に屋内へと脚を踏み入れ、旅の連れに向けて声を掛けた。

 

「戻ったぞ、貂蝉、卑弥呼。特に問題はなかったか?」

「貂蝉はともかく、なんで卑弥呼がいるんだ?」

 

聞き覚えのある名前に、一刀は頭を捻る。傾国の美女と、東の島国の女王が何故このような所に。そんな無言の問いに応えるかのように、返事が返ってきた。

 

「おぉ!待ちわびたぞ、だぁりん!」

 

しゃがれていながらも、それでいて力強い声。

 

「お帰りなさい、華佗ちゃぁん!こちらは問題なっしんぐよん♪」

 

野太くありながらも、どこか卑猥さを感じる声。

 

「そうか。土産だ」

 

華佗が卓の上に食べ物を置くと同時に、奥の部屋の扉が勢いよく開かれた。そして。

 

「うぉっ、バケモノっ!?」

 

現れたるは、筋肉の塊が2つ。服装は―――説明したくもないが、しなければならないだろう。

1人は白髪の大男。褌に胸のポッチを隠しただけの女性用下着を着け、襟の尖ったジャケットを羽織っている。神は辮髪のように纏められ、同色の髭は襟のように尖っている。

1人は、スキンヘッドの大男。いや、揉み上げだけは残っており、器用に三つ編みに結われたそれは、端に桃色のリボンを着けていた。身に着けているのは、リボンと同色の女性用下着の下のみだ。

 

「誰が、ひと目見れば、末代まで祟られそうなほどの怨念を持ったバケモノじゃとぉ!?」

「そうよん!あたし達みたいなか弱く可憐な漢女を捕まえて、そんな言い方するものじゃな、い………」

 

一刀が思わず上げてしまった悲鳴に、乙女(?)達は激昂する。白髪の男は一刀が口にしても居ない事を叫び、スキンヘッドの男はそれに追随しようとして、その言葉をすぼめた。

 

「む、どうした貂蝉?」

 

名を呼ばれた禿げ頭―――貂蝉は、相方の問いにも答えず、じっと一刀を見つめている。

 

「………な、なんだよ」

 

そして。

 

「ご主人様ぁぁあああぁぁぁぁあああぁあああん!!」

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁああああぁぁあああああああああああああああっ!?」

 

一刀に抱き着いた。

 

 

 

 

 

 

「………死ぬかと思った」

 

数分後、何とか熱い抱擁から逃れた一刀は、ぜいぜいと息を吐きながら椅子に腰を落とした。

 

「久しぶりのご主人様に、思わずあちしの愛が暴走しちゃったわ。ごめんね、ご主人様」

 

割と本気の一刀に殴られたというに、けろっとした表情でしなを作りながら、貂蝉はウインクをする。バチコン☆と凄まじい音が聞こえた気がした。

 

「なんだ、北郷は貂蝉と知り合いだったのか?」

 

道中受け取った肉まんを頬張りながら、華佗が問う。

 

「んな訳ねぇよ!」

「ひどいわ、ご主人様ぁ。あたしと過ごしたあの日々を忘れちゃったのかしら?」

「そんな日々などあってたまるか!お前みたいな濃い奴、忘れる訳がねぇだろ!」

「そんな……私との日々を忘れる訳がないなんて………なんて、なんて嬉しい事を言ってくれちゃったりしてるのかしらぁん!」

「違ぇ!」

「あぁ……もうあたしのハートはブレイク寸前よ………」

「ぬぅ、やるな、貂蝉。外史を超えてなお、その愛に生きるとは………漢女道を外れてはいないようだな」

 

滝のような涙を流し、何処から取り出したのか想像したくないハンカチを噛む貂蝉に、卑弥呼が悔しがっている。吐き気がした。

ひとりげっそりしながら、一刀は考える。三國志の主だった将は皆女だ。ならば、貂蝉が男であってもおかしくはない。だが、卑弥呼についてはどう考えればいいのだろうか。

 

「なぁ、卑弥呼」

「む?貂蝉だけでは飽き足らず、今度は儂にも手を出そうと言うのか!その気持ちは嬉しいが、儂にはだぁりんがおるでな。諦めてくれ!………………チラッ」

「ちょっと、卑弥呼!ご主人様をフるなんて、なんて羨ま……じゃなくて、なんて一途な女なのん!?そして華佗ちゃんにさり気なくアピール………流石、ね」

「ふっふっふ……まだまだ弟子に遅れは取らぬわ!」

 

気持ち悪い会話に頭を抱えながら、一刀は根気よく言葉を続ける。

 

「お前はあの卑弥呼なのか?」

「『あの』が何を指すのかは分からぬが、卑弥呼だ」

「あー……日本、じゃなくて、倭の国の卑弥呼で合っているのか?」

「なんと、ご主人様は博識のようだ!あの小さな国を知っているとはな」

 

訳が分からなくなってきた。

 

「で、貂蝉とは古い付き合いなのか?」

「そうよん。卑弥呼はあたしの漢女道のお師匠様なの」

「なんだよ、漢女道って………まぁ、いい。2人に質問がある」

「何かしらん?」

「なんじゃ?」

 

何故か頬を赤らめる2人に辟易しながらも、一刀はその問いを発した。

 

「………………………………お前達は、何者だ」

 

 

 

 

 

 

一刀はいま、居酒屋に来ていた。通りに面したオープンテラスに腰掛けながら、酒を呷る。まだまだ陽は出ているが、呑まなければやっていられない。なにせ。

 

「――――――ぶっふるぁぁああっ!やっぱり紹興酒はジョッキで飲むに限るわねん」

 

目の前には筋肉達磨。通りを行き交う人は、例外なくその物体を見て、一刀に視線を向け、そして逸らしていくのだから。

何度かジョッキ(?)を空にし、貂蝉は口を開く。

 

「それにしても、よく分かったわね」

「お前がヒントを出し過ぎなんだ。古代中国に『ハート』とか『アピール』みたいな言葉がある訳ないだろう」

「混乱してても、そういうところはしっかりしてるのね」

 

つい先程までの表情から一転し、貂蝉は真面目な表情で言葉を続ける。

 

「そろそろクライマックスも近付いていることだし、少しくらいはネタバラししてもいいかもねん」

「クライマックス?」

 

その言葉に、一刀が反応する。

 

「それは追々分かるわ。その前に質問。ご主人様は、『外史』という言葉を知ってるかしら?」

「外史?」

「えぇ。わかりやすく言えば、パラレルワールドのようなもの。実際は違うのだけれどね」

 

貂蝉は説明を始める。時の流れは1本の木のようなもので、その太い幹が正史。そして、そこから派生した枝を外史という。ただし、それは並行世界のように選択肢によって分岐するものではない。

 

「――――――外史はね、人の想念が作り出すものなのよ」

「人の、想念……」

「えぇ。例えば、こんなのはどうかしら。戦国時代の武将で思い浮かべるのは?」

「誰でもいいのか?」

「えぇ」

「………織田信長」

「有名どころね。丁度いいわ。想像して欲しいんだけれど、例えば、信長が本能寺の変で死ななかったら、日本の歴史はどうなっていたと思う?」

「そりゃ……想像もつかないが、俺のいた世界とはまた違っていただろうな」

 

実際に、想像など出来ようもない。それはもはや『有り得ない』歴史なのだから。

 

「そうねん。これはあくまで一例だけれど、信長は舶来嗜好が強かった。彼が天下を統一すれば、鎖国も布かれず、日本は明治よりも早くから西洋の技術を手に入れていたでしょうね。もしかしたら、2度目の世界大戦にも勝利してしまう程のものにまで発展させたかもしれない」

「それは言い過ぎじゃないか?」

 

突拍子もない想像に、一刀は苦笑する。

 

「そんなのわからないわよ。でもね、これもまた外史のひとつなの。異なる選択肢の先に繋がるのが、並行世界。選択肢の先を想うのが、外史。『もしあの時こうだったら』『もし、あれがなかったら』『もし―――』こんなifの世界が、外史なのよ。それは、人の想いが作り出す。でも、さっきの木を思い出して。枝分かれをしても、いずれは先細り、途中でその成長は止まるでしょう?」

「………まぁ、な」

「外史も同じ。結局はいずれ消えてしまう。でもね、そうならない外史もあるの」

「どういう事だ?」

「人の想いが外史を作り出す。それは木で例えるなら、根から吸い上げた栄養分のようなもの。管を通り、枝へとその栄養を送る事で、枝は伸びていく。ならば、尽きる事のない栄養を与え続けたら、その枝はどうなるかしら?」

「そりゃ、伸び続けるだろうな」

 

一刀の答えに微笑み、頷く。

 

「そう。これもまた、外史と同じ。人の想いが大きければ大きい程、多ければ多い程その外史は続いていく。中には、完全に正史と切り離された外史もあるの」

「なるほどな………じゃぁ、この世界は」

「そう。ここもまた、そういった外史のひとつ。この世界は、『もし三國志の将が女だったら―――』そういうifの物語なの。ただし、その想念があまりにも大きすぎて、半ば正史からは外れかかっているのだけれどね。………………そしてご主人様は、そこに迷い込んだ正史の人間」

「……………」

「そしてあたしは、外史の管理者の1人なの」

 

 

 

 

 

 

「――――――よく分からないな」

「まぁ、そうでしょうね」

 

ひとつ呟き、一刀は杯を空にし、そして満たした。

 

「それで、俺はこれからどうなるんだ?」

 

貂蝉の会話を聞いている間も、ずっと気になっていた事。彼はそれを問う。

 

「さぁ?」

「さぁ、って………」

 

だが、貂蝉は事もなげに首を傾けて見せた。

 

「言った筈よ。外史は正史の影響を受けて続いていく。ご主人様がどうなるかなんて、わからないわ」

「………………そうかもな」

 

まったくもってその通りだ。正史の人間たちの想念で作り上げられているのならば、外史の中にいる人間にそれを推し量る術はない。二次元に生きる漫画の登場人物が三次元でそれを読む読者を窺い知る事が出来ないように。三次元内に生きる人間が、高次元の存在を知覚出来ないのと同じように。そして、貂蝉にもそれを教える義理はない。

 

「で、お前の役割は何なんだ。管理者とか言っていたが………まさか、この外史にとって異物である俺を排除するとか?」

 

心にもない事を言ってみる。もしそうならば、もっと早くにそうしている筈である。貂蝉もそれを分かっているようで、微笑みを崩さずに返す。

 

「いえ、私は―――私と卑弥呼は、外史を肯定する者。ただその行く末を見届けるだけの存在よ。別の三國志の外史にも行ったし、古代ローマ帝国の外史にだって行った事があるわ。私はそれらをすべて、終焉まで見届けてきた」

「管理者の癖に何もしないんだな………待て。『肯定する者』って事は、否定する奴らもいるのか?」

「えぇ、いるわよ」

「………」

「でも安心して。彼らは別の外史で起きたある事件で、しばらくは行動出来ないようになってるから。この外史にも手出しは出来ないわ」

「そうなのか?」

「えぇ」

 

いまだ混乱は続く。貂蝉の話を半分も理解できたかは怪しい。いや、言葉の意味は分かるし、並行世界という最初の前提さえ肯定してしまえば、論理的にも理解は出来る。だが、納得がいかない、といったところか。

 

「ひとつ、質問があるんだが」

「何かしら?」

「俺が倒れたのは……その外史や正史に関する事が原因なのか?」

 

思い切って問う。だが、返ってきたのは、想定した答えのどちらでもなかった。

 

「………………何とも言えないわね」

「そうか」

「あら、やけにあっさり引き下がるのね」

「まぁ……何となく予想はついているからな」

「そうなの?」

「あぁ」

 

驚く貂蝉に頷き、一刀は立ち上がった。懐から袋を出し、幾許かの金をテーブルに置く。

 

「帰るの?」

「あぁ。また………会えるかどうかはわからないが、またな」

「えぇ」

 

そして、一刀は背を向けて卓を離れる。だが、数歩歩いた所で立ち止まり、振り返った。

 

「貂蝉……お前、いい奴だな」

「………え?」

 

何の事だろう。貂蝉は思いも寄らない言葉に、呆気に取られる。

 

「お前、ずっと答えを言っている事に気づいてないだろ」

「答え?」

「あぁ……俺の出自だよ。元いた世界でも、この世界でも、俺の記憶にお前はいない。なのに、お前は俺を知っている。それだけで、俺の存在がどういうものか理解出来ちまった」

「ご主人様……」

 

ほらまた言ってる。そう告げる一刀の笑みは、どこか寂しげだった。

 

「じゃぁな」

 

今度こそ、一刀は去って行く。

 

「………………この外史のご主人様も、やっぱり強いわね」

 

その背を見送りながら、貂蝉は呟いた。やり切れない想いを抱きながら。

 

 

 

 

 

 

城に戻らずに一刀が最初に向かったのは、真桜の工房だった。とうに陽は暮れている。ならば、外で食事を済ませない限りは、この場にいる確率が高い。果たして、工房奥の扉を開けば、真桜が何やらカチャカチャといじっているところだった。

 

「隊長やん。どないしたん?」

「真桜に頼みがあってな」

「頼み?珍しいやん。ねくたいぴん以来やな」

「そうだったか」

 

自分の胸元の金属を指して言う真桜に、一刀は首を捻る。

 

「そんで、今日は何作うて欲しいん?天の国の絡繰やったら大歓迎やけど」

「あぁ、その通りだ。だが、兵器とかそんなんじゃないよ」

「じゃぁ何?」

「いま描いてやる。道具を借りるぞ」

 

言いながら、一刀は真桜の設計道具を手にとり、簡単に図面を引いていく。しばらくそうして見ていた真桜は、その用途をいとも簡単に見抜いた。

 

「ほぇー、天の国にはこんなんがあるんか」

「あぁ。本来は、車輪の部分は金属を使うんだが、それもおそらく難しいだろう。だから、木でなんとかやってみてくれないか?」

「秋蘭様の為やしな。構造自体はそんなに難しそうやないし……えぇで。一晩で作ったる」

「任せた。明日の警邏については、華琳に話して休みにしてもらうから安心しろ。材料費は俺が払うから、それも気にしないでいい」

 

天の国の絡繰というだけでなく、秋蘭の為のものという理由も手伝って、真桜は俄然やる気になる。

 

「ん。そんで、これ。名前は何て言うん?」

「あぁ。そのまんまだ。車椅子だよ」

 

一刀は工房を後にした。

 

 

 

 

 

 

城に戻った一刀は、真桜に告げた通りに華琳の執務室に向かった。予想通りというか何というか、戦から帰ったばかりであるにも関わらず華琳は稟、そして桂花と共に其処にいた。どちらにしろ丁度いいと事情を説明して、真桜の件について了承を得る。そして、何か質問をしたそうにしている稟の視線を敢えて受け流し、その場を辞した。

 

「さて次は――――――」

 

そのまま一刀は歩を進め、とある部屋の前へとやって来た。扉をノックすれば、眠たそうな返事が聞こえてくる。

 

「俺だ。入るぞ」

 

部屋の主の許可も得て、一刀は扉を開き、中に入った。

 

「おやおや、おにーさんではありませんか。ようやく風に夜這いをかける気になったのですかー?」

「残念ながら、今日は違うよ」

 

訪れたのは、風の私室だった。部屋の中では、卓に座った風が書を読んでいる。題名に眼を遣れば、兵法や政に関するものではないらしい。だが、初めて見るものだった。

気付けば、風が眼を見開いている。

 

「………どした?」

「『今日は』という事は、次は本当に夜這いに来てくれるという意味ですね?風の心は今にもはち切れんばかりに震え上がっています」

「そうだな。風がふざけたりせずに、真面目に言ってくれれば俺もしっかりと受け止めるよ」

「………………え?」

 

いつものツッコミが来るかと思いきや、予想外の言葉に風の眼が丸くなる。一刀もまた、自身の発言を思い返した。どうやら、貂蝉との話でナーバスになっているようだ。気をつけようと、一刀は自制する。

 

「それとは別に、大切な話がある」

「これはまた大層な雰囲気ではありませんか。いったい何事でー?」

 

一刀の雰囲気に、風もまたいつもの表情に戻る。相変わらず眠たそうな眼は、何を考えているのか分からない。

 

「俺が………倒れた理由だ」

「……」

 

じっと先を促す少女の視線に、一刀は彼女の向かいの椅子に腰を下ろした。

 

「連合の前、陳留で風と恋に話した事を覚えているか?」

「………はい」

「俺が、この大陸の辿る歴史を知っているという話だ」

 

首肯を受け、一刀は言葉を続ける。

 

「あの時は詳しく話さなかったが、風だけには伝えておこうと思ってな。俺は―――」

「待ってください」

 

核心に触れようとした一刀を、風が制する。

 

「どうした?」

「その話を聞くにあたって、質問があります」

「………」

「その話を、おにーさんが話す事で、またおにーさんが倒れるという事はないのですか?」

 

発せられた問いは、ただただ一刀の身を案じるものだった。その事に胸が温かくなる。

 

「それはない。秋蘭の事とはまた違った話だからな」

「ならばいいのです。ではお話を聞く前に」

 

それならばと、風は立ち上がった。

 

「………何をしてるのでしょう?」

「最近おにーさんは浮気ばかりしてますからねー。風も第二夫人として負けていられないのですー」

 

そしてトコトコと卓をまわり、一刀の膝の上に腰を下ろす。いつもの飄々とした様子の風に苦笑する一刀は知らない。彼女の胸が、不安で埋め尽くされている事を。その行動が、嫉妬心ではなくその不安から来ている事を。

 

「ではどぞー」

「わかったよ」

 

そして、一刀は説明を始めた。

 

 

 

 

 

 

「まず、俺がこの大陸の人間ではない事は言ったよな」

「はい」

 

膝の上に座る風の小さな頭をゆっくりと撫でながら、一刀は言葉を続ける。

 

「実際には、俺はいまより1800年程先の未来からやって来た」

「なんと……」

「だから、この時代の事も書になって語り継がれているんだ。だから、これまで出会ってきた将の事を、俺は知っていた………ただ、俺の時代に伝わっている将はほとんどが男で、最初は吃驚したけどな」

「………」

「あぁ、そういえば風に謝らなければいけない事がある」

「………?」

 

苦笑する一刀の顔を、風は見る事が出来ない。それでも、その声音からなんとなく表情を察してしまうのは、ずっと連れ添ってきたが故か。

 

「風と出会った時…風の夢の話を当てた事があっただろう?」

「……はぃ」

 

あの時の事を、風は思い出す。夢の内容まで当ててしまうとは、本当に『天の御遣い』なのだと、内心興奮が収まらなかった。それだけ衝撃的な思い出を、忘れよう筈もない。

 

「実はな、あれ、逸話として残ってるんだ」

「え?」

「程立が日輪を掲げ持つ夢を見る。それを主である曹操に伝えると、曹操は名を昱と改名するように命じた………ってな」

「………」

「だから、俺が風の夢を当てたのは、不思議な事でも何でもないんだよ。ただ、知っていたんだ」

 

その言葉に返す言葉を、風は知らない。

 

「………ごめんな」

 

だから、問いで返す。

 

「おにーさんの時代での風は……程立は、凄い人として伝えられていましたか?」

「………え?」

「教えてください」

「あぁ……程昱がいなければ、いまの自分はなかった。曹操にそう言わしめるほどの、偉人だと伝えられている」

 

その言葉を聞き、風は器用に身体を回して、膝の上で一刀と向き合う。

 

「風?」

 

そして、そっと一刀の胸に寄り掛かった。

 

「風は、嬉しいのです」

「え?」

「会ったばかりの風を……性別も違う、同姓同名なだけかもしれない風を、そんな素晴らしい人物と同じだと見てくれたのですよね、おにーさんは」

「……」

 

そんな事を考えただろうか。一刀は思い返す。だが、ほんのわずかにも風と言葉を交わし、彼女が『あの』程昱ではないかもしれないと思った事は、1度もなかった。

 

「だから、風は嬉しいです。風は、おにーさんの軍師になって後悔した事はありません………もちろん、今だってそうです。風が仕えるのは、『天の御遣い』北郷一刀、ただ1人です」

「そっか……」

 

胸に頬を摺り寄せる風を、一刀は優しく抱き締める。

 

「ありがとな……風は、俺の最高の軍師だよ」

「はい…」

 

胸元にある黄金色の頭に、一刀はそっと口づけた。

 

 

 

 

 

 

「続きを聞かせてください」

「………このままで?」

「勿論です」

 

いまだ向き合ったままだが、風は背を向ける気はないらしい。仕方がないと、一刀は説明を再開する。

 

「俺の知る歴史では、乱世のなか、最終的に残った勢力は3つだった」

「………曹操、孫策、そして劉備ですね?」

「あぁ……いや、正確には、孫権だがな。俺の世界では、袁紹と曹操が戦をしている時に、孫策は別の件で命を落とした。だから、少しだけ違うけど」

 

この世界では、その曹操と袁紹が戦っている間、孫策は袁術と当たっていた。あの事件のきっかけには繋がらなかったと、今さらながら、一刀は安堵の息を吐く。

 

「それで……誰が勝者となったのですか?」

「………………それは言えない」

「わかりました」

 

風は素直に頷く。もしそれを言った所為でまた一刀が倒れたら、この会話の意味がない。あまり追及はしないようにしよう。再度そう決める。

 

「じゃぁ、ここからが本題だ」

 

そう告げた一刀の身体が、ほんの少しだけ強張る。彼の腕の中でそれを感じ取った風は、何も言わずに、その腕をぎゅっと握った。

 

「仮定の話として聞いてくれ」

「………はい」

 

ゆっくりと息を吐き、一刀は口を開いた。

 

「この筆を、時間の流れだと仮定する。真ん中がいま、毛先が未来、そして反対側が過去だ」

 

言いながら、一刀は卓の端に置いてあった筆を、目の前まで動かす。その毛先はとうに乾いていた。その真ん中に、指を置く。

 

「風に、時間を移動出来る術が使えたとする。未来にも過去にも、好きな時間に移動できるんだ」

「………」

「ある時、風は過去へと移動した。そうだな……風の両親が出会った頃だ」

 

そして、一刀は指を過去の側へと滑らした。

 

「なかなか………想像し難いですねー」

「頑張れ」

 

風の頭も回ってきたらしい。いつも通りの口調に、一刀は少しだけ安心する。

 

「そこで、風が賊か何かに襲われたとしよう」

「ふむー」

「1人の男がそれを助けてくれた。だが、彼もまた傷を負い、それが原因で死んでしまう」

「仮定とはいえ、酷い話ですねー」

「許せ。で……それが、実は若かりし頃の、風の父親だったわけだ」

「本当に酷い話です」

「すまない。他にいい例えが思いつかない………続けるぞ」

 

謝りながら、一刀は別の筆を手に取った。

 

「だが、ここで矛盾が生じるのは分かるか?」

「………おとーさんがいないのに、風が生まれる訳がないですねー」

「正解だ」

 

首肯し、一刀は指を置いた点に、もう1本の筆を置く。毛先は、先のそれとは別の方向を向いていた。

 

「ここで歴史が分岐するんだ。本来ならこのまま進むはずが、その所為でこちらに進む」

 

そして、一刀は新しく置いた筆へと指を移動させる。

 

「風は元の時代に戻ろうとしたが、その道はもう消えてしまった。歴史が新しく出来てしまったからな」

「………」

「戻ってみれば、風のいる筈のない世界。周囲の光景は同じなのに、誰も風を知っている人間がいない」

「なかなか恐ろしい想像です」

「まったく」

 

そこでようやく筆から指を離し、一刀は風を抱き直す。知らず力が入る。それに気づくのは、風しかいない。

 

「ここまでは、俺の時代に幾つもある解釈のなかのひとつだ。また別の解釈はあるが、このまま続けるぞ。元の時代―――とは言っても別の世界になってしまっているが―――そこに戻った風は、考える。自分はいったい誰なのかと。何しろ、そこで生きてきた記録もなく、他の人間の、風に関する記憶もないんだからな」

「はい」

「そして、ここからが俺自身の解釈だ」

 

再び、風を抱く腕に力が籠る。風は何も言わず、一刀の服をぎゅっと握った。

 

「本来ならば、夏侯淵は定軍山で黄忠に討ち取られていた。それを伝えようとした俺は、異変に襲われた」

 

風は思い出す。あの時の、苦悶に満ちた彼の顔を。

 

「先の話からだいぶ拡大解釈するが………例えば、その生死が、歴史に大きな影響を及ぼす人物のものだったら?それこそ、千数百年先の未来にまで影響を及ぼす可能性のある人物のものだったら?……それほどの時間を経て発生してしまう『俺』という矛盾が、その自浄作用によってそれを止めようとしたのかもしれない」

「………」

「あるいは、自身の中から矛盾を排除しようとしたこの世界そのものが、俺の邪魔をしようとしたのかもしれない。夏侯淵がいなければ、曹操が負ける可能性が高い。兵の数じゃない。士気の問題だ。それほどの影響力を持っているのは、風だって知っているだろう」

「………はい」

「もし、俺の所為で歴史が変わったら……もう取り返しのつかないところまで変わってしまったら………それが、俺のいた時代にまで影響を及ぼすんだろうな。もしかしたら、俺が生まれてこないような世界になっているかもしれない。その道筋が決定的になった時点で、『俺』は完全に矛盾した存在になる。この世界にいる筈のない存在にな。この世界にとって異物となるんだ」

 

風は何も応えない。応えられない。

これで話は終わりだと、一刀は自嘲気味に言葉を紡ぐ。

 

「いつだったか風が言っていた。俺がこの世界の人間でないならば、俺を排除しようと世界が動いているのかもしれない、ってな。皮肉なものだ。冗談で言った言葉が、おそらく、最も的を射ているんだからな」

 

 

 

 

 

 

一刀は口を開かない。ただただ風の頭を丁寧に撫で続ける。

対する風は、何と声を掛ければいいのかわからない。何かを言わなければならない。それは分かっている。だが、何と伝えればいいのか、どのように伝えればいいのか分からない。それでもと、風は考える。

 

「おにーさん……」

「あぁ」

「………………泣かないでください」

「泣いてないよ」

「嘘です」

 

一刀の胸に顔を埋め、風は呟く。その声音は、濡れていた。

 

「泣かないで…ください……」

「あぁ…」

「風と一緒にいられなくなるかもしれないのが怖いからって…泣かないでください………」

「あぁ……」

 

ただただ自分に言い聞かせる。辛いのは自分だけじゃない。彼だってそうなのだ。そんな彼に甘える自分が、甘えてしまう自分の弱さが赦せなかった。それでも、瞳からは滴が零れ落ち、彼の服を濡らす。声は震え、嗚咽を洩らす。

 

「なんとか…します……」

「………」

「……風が、きっと何とかします」

「あぁ」

「だから……泣かないで、くださぃ…」

「………………ありがとな」

 

腕の中で震える少女を、一刀は抱き締める。自分にだってどうしようもない。そう叫びたくなる。だが、それでも強がり、気遣ってくれる小さな女の子の前で、弱音を吐きたくはない。

 

「おにーさん……」

「あぁ」

 

何度も呼ばれる、聞き慣れた呼称。

 

「おにーさん……………消えないで………………」

「………あぁ」

 

詰まる喉を必死に開き、一刀は応える。絶対に消えてなるものかと、誓うように。

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

 

はい、#72でした。

一気に話が進みましたねー。個人的には#100までには終わらせたい。

そして来月の後半は2週間ほど海外に行って来るので、もう少し進ませたい。

 

という訳で、#39の伏線を回収したぜ。

あの頃は誰も突っ込まなかったので、内心ほくそ笑んでいた記憶がある。

 

解釈に関しては、そういうものだと思ってください。

 

そして漢女たちの登場。

この2人に関しても、華佗先生の台詞でちょろっとだけ伏線を張っておいた。

 

まぁ、いいや。

そんなこんなで、閏年の2月29日に投稿してやったぜ。

 

次回はまたまた進ませるよ!

最近はこれまでより※率や支援率が低いけど、全然悲しくなんかないんだからね!

 

ではまた次回。

バイバイ。

 

 

 

追伸

華佗てんてーの魂のシャウトを調べようとして、久しぶりに真・恋姫†無双をやった。

卑弥呼で爆笑してしまったぜ。

 

今度こそバイバイ。

 

 

 


 
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