No.384025

真・恋姫†無双~恋と共に~ #71

一郎太さん

5日ぶりの投稿。ようやく勘を取り戻してきた。
そしてごめん、やっぱ一郎太は秋蘭様も恋ちゃんと同じくらい好きだわ。
どぞ。

2012-02-27 17:52:29 投稿 / 全18ページ    総閲覧数:7922   閲覧ユーザー数:5982

 

 

#71

 

 

──────長沙。

 

玉座の間では、毎日の恒例行事となっている朝議が開かれている。武官文官から領地内の細かな報告を聞き終えた、進行役の大軍師は、他に議題に上るものはないかと周囲を見渡す。

 

「こちらからは特にないぞ、公瑾」

 

武官を代表して祭が頷き、

 

「私たちからも以上ですよ、冥琳様」

 

文官側では穏も同意した。それを受け、冥琳は朝議の終了を宣言しようとし、

 

「それでは、これにて本日の朝議を終了と───どうした、雪蓮?」

 

それを主によって遮られた。若干の呆れと怒りを同時に孕んだ友の視線を受け流しながら、彼女は口を開く。その顔は悪戯っぽさを滲ませ、それが余計に冥琳や蓮華の表情を険しくさせた。

 

「えぇ。皆にひとつ、報告があるわ。今日から、将が1人増えるから」

「そうなのか?儂の隊の者ではないぞ。興覇のところかの?」

 

自身の抱える兵に武将にまで上り詰めるほどの強者は、現状いない。ならば別の隊かと、祭は蓮華の隣に控える思春に問う。

 

「……いえ」

 

対する思春は、しばしの沈黙の後、否と首を横に振った。ほんのわずかな声音の違いに蓮華は首を傾げるも、その正体には気づかない。

 

「もともと部隊にいた兵じゃないわよ。なにせ、昨晩遅くに私の部屋に来て『将の末席に加えて欲しい』って言ってきたんだから」

「本当ですか!?思春、お前は気づかなかったのか?」

「申し訳ありません、蓮華様……」

 

主の言葉に、彼女は俯く。彼女ですら気づけない程の隠密とは恐ろしいものだと考えると同時に、祭はそれに気づき、思わず小さく噴き出してしまう。

 

「そんなに怒りめさるな、権殿」

「わ、私は別に咎めている訳では───」

「策殿、そろそろネタバラしをしたらどうじゃ。公瑾なぞ、頭を抱えておるぞ?」

 

蓮華の言葉を遮り、祭は雪蓮に言う。雪蓮もそろそろ冥琳の機嫌が、自身の政務にまで影響しそうな頃合いだと、その表情を見て判断したのだろう。玉座の間の入口に向かって、声を掛けた。

 

「冥琳がそろそろ怒りそうだから、入って来ていいわよ」

 

告げられると同時に、扉が開く。皆が一斉にそちらに注目し、次いで、目を見開いた。

 

「みんな、ただいまー!」

 

入って来たのは、雪蓮や蓮華と同じ髪と瞳の色を持つ少女。その横には、白虎が控えている。

 

「という訳で、新しくうちの将となった孫尚香よ。皆、仲良くするように」

「よろしくー」

 

にこやかに返事をする妹に、真っ先に次姉が食って掛かった。

 

「よろしくではない!帰って来たのなら、もっと早くに皆に挨拶をせぬか!」

「だって着いたのが昨日の夜遅くだったんだもん。起きてる人には挨拶したよ。ね、思春?」

「はい……申し訳ありません、蓮華様」

 

思春が再度頭を下げる。

 

「思春っ!?」

「くっくっく、小蓮様のことよ。どうせ面白そうだからと、思春に口止めでもされたのだろう?」

「祭はあんまり驚いてないね」

「扉の向こうに懐かしい氣を感じておりましたからの。それと思春の反応からも読めましたぞ?」

「祭っ!?」

 

驚きっ放しの蓮華だった。

 

 

 

 

 

 

慌ただしかった朝議が終わり、朝の時間も過ぎて、昼が訪れた。中庭の四阿には3つの影。いや、少し離れた場所に護衛の将がいる為、正確には4人である。しかしながら彼女は会話に加わるつもりはないらしく、3人に背を向けていた。

 

「それにしても、美羽から聞いた時は開いた口が塞がらなかったわ」

「そうですね。袁術との戦も終わり、ようやく皆が集まれると思ったら………というか昼間から飲まないでください!」

 

話しながらも酒を口に運ぶ長姉に、蓮華が憤る。

 

「いいじゃない、久しぶりの再会なんだから」

 

それより、と生真面目な妹を流しながら、雪蓮は妹に話し掛ける。

 

「遊んでから帰るって美羽から聞いてたけど、どこを見てきたのかしら?」

 

その問いに、口に含んだ菓子を飲み込んで、シャオは答える。

 

「色々回ってきたんだ!荊州も見たし、曹操の街にも行ってきたよ」

 

その言葉に、2人は目を丸くする。そして、蓮華は声を荒げた。

 

「なんて危険な事を!お前の身に何かあったらどうするのだ!」

「まぁまぁ、蓮華も。他の勢力ならともかく、曹操ならそんな事はしないわよ。貴女だって連合の時に彼女は見てるでしょう?」

「それは……」

「まぁ無事だったならいいじゃない。それで、曹操には会えた、シャオ?」

 

妹を宥めながら、雪蓮は問う。

 

「うぅん。シャオが着いた時は、袁紹との戦に出てたから会えなかったんだ。戻ってきてからも会いはしなかったけど」

 

首を横に振りながら次の菓子を手に取り、シャオは言葉を続ける。

 

「でも、面白い人と出会ったんだよ。シャオ、気に入っちゃった」

 

かつての出会いを思い出してニコニコとする妹に、姉達は同時に微笑む。その表情を見れば、彼女の言葉が本当の事だとわかるのだ。

 

「曹操は人材好きな人物としても有名だからな。シャオが気に入るような者がいてもおかしくはないが………だが、袁紹との戦いがあったのだろう?あの大軍と当たるなら、将はすべて率いていくと思うが」

 

次姉の疑問ももっともだと頷きながら、シャオは菓子を飲み込む。

 

「うん、文官の男の人なんだけどね。あの女好きの曹操が、遠征中の城を任せるくらいなんだ。周々の事も対応してくれたし、向こうのお菓子の作り方も教えてくれたんだよ」

 

それがこれだと、午前中に城の料理人に作らせた菓子を指す。

 

「あら、そうなの?……確かに初めての味ね。でも美味しいわ。お酒には合わないけど」

 

生地のサクサクとした歯応えと甘味を楽しみ、雪蓮も納得する。確かにこれは美味い。茶の共としても合いそうだ。

 

「でしょー!それで、その北の事が気に入ったから、真名も交換したの」

 

長姉の同意も得て気分が高揚し、次姉の性格も考えずにされた発言に、やはり彼女は反応する。

 

「なっ、出会ったばかりの男に真名を預けるなど、何を考えているのだ!お前とて、王族の人間なのだぞ」

「もー、相変わらずお姉ちゃんは堅いんだから。シャオが気に入ったからいいんだもーん」

「お前という奴は……姉様も何か言ってください…………って、姉様?」

 

冥琳や祭がいれば、末妹と同様の性格をした彼女に援護射撃を求めても無駄だと諭しただろうが、この場に2人はいない。通常ならば雪蓮がシャオに同意し、その事実を思い出したであろう蓮華も、姉の顔を見て異変に気づく。

 

「どうしたの、雪蓮姉様?」

 

シャオもそれに気づき、菓子を摘まむ手を止めて顔を覗き込む。

 

「いや……何かが引っ掛かって………」

 

しばしの黙考。そして、思い切ってその言葉を口にする。

 

「シャオ、悪いんだけど、その北って男の真名を教えて貰えない?」

「えー、ダメだよ。会話から知るならともかく、勝手に教えるのはちょっと……」

 

当然の事だ。だから、彼女は言葉を変えた。

 

「だったら、私がその男の真名を当ててあげる」

「えーっ!?いくら雪蓮姉様の勘がいいって言っても、真名まではわからないって」

「いいから」

 

一度杯を空にし、雪蓮は恐る恐る、その名を口にする。

 

「もしかして……一刀じゃない?」

「は?」

 

この呆けた声は、蓮華のものだ。一度姉の顔をまじまじと見て、その視線を追う。果たして、その視線の先には──────。

 

「すっごーい!なんでわかったの!?もしかして一刀と友達なの?」

 

真ん丸く眼を見開くシャオの視界には、姉2人が同時に顔を手で覆うという珍しい光景が映っていた。

 

 

 

 

 

 

そして行われる、本日2度目の軍議。雪蓮と蓮華は眉間に皺を寄せ、シャオは首を傾げている。その珍しい光景に皆が呆気にとられるなか、冥琳が代表して声を掛けた。

 

「雪蓮……皆揃ったが?」

「え?あ、あぁ……そうみたいね」

 

友の言葉に反応を見せた事で、他の者達もようやく硬直を解く。

 

「それで何があったのじゃ?緊急の軍議という事で、調練も途中で止めて来たのじゃが」

 

それは明命も同様らしく、武官側の列の端で、コクコクと頷いている。

 

「えぇ、予想外に過ぎて皆も気を飛ばさないようにして欲しいんだけど──────」

 

ひとつ前置きをして、雪蓮は告げる。

 

「──────曹操のところに…一刀がいるわ」

『─────―――─っ!?』

 

玉座の間に、三姉妹と思春以外の驚愕の叫びが響き渡る。

 

「ま、待て、雪蓮!どういう事だ!?」

 

いち早く我を取り戻した冥琳が、声で詰め寄る。

 

「私だって訳がわからないわよ。シャオが向こうで一刀に会ったって言うんだもの」

「それは本当ですか、小蓮様?」

 

そして、皆の視線が朝のようにシャオに向く。

 

「シャオが会った一刀がみんなの知ってる一刀ならそうだよ。でも、どうしてみんな、そんなに驚いてるの?」

 

当然の疑問。知り合いが他の勢力に属しているという事は、別段珍しい事ではない。その問いを受けたのは冥琳だった。

 

「小蓮様、反董卓連合の話はご存知ですか?」

「うん、知ってるよ?」

 

突然の問いにも関わらず、シャオははっきりと頷き、続けた。

 

「20万の連合を相手に、4万かそこらで渡り合ったんだよね」

「そうです」

「で、その時に軍を率いてたのが、『天の御遣い』だっけ。凄く綺麗な服を着てて、ものすっごい強い、って聞いたよ」

「えぇ、その『天の御遣い』なのですが………」

 

ここまで誘導され、ようやく彼女も皆の考えを理解する。

 

「もしかして……」

「ご想像の通りです。小蓮様が出会った男の本当の名前は、北郷一刀。彼こそが『天の御遣い』なのです」

「えぇーーっ!?」

 

想像通りの正解を伝えられ、驚きの叫びを響かせる。次いで、頬を膨らませて怒りを露わにした。

 

「どうしたの、シャオ?」

「どうもこうもないよ!『一刀』が真名だって言ってたのに、嘘だったんだもん」

 

その言葉に、雪蓮と冥琳は顔を見合わせ、そして苦笑する。その所為で、怒りの矛先が向けられてしまったが。

 

「ちょっと、なんで笑ってるのよ、雪蓮姉様!」

「ごめんごめん。でも、一刀の言う事も、嘘じゃないのよ?」

「え?」

「連合よりももっと前………黄巾党が現れ始めた頃にね、一刀はうちで客将をしてたの。その時に聞いたんだけど、一刀は字も真名もない国から来たんだって」

「そう……なの?」

「そうよ。彼も言ってたわ。『一刀』が真名にあたるって。本名は伝えられなかったから、きっと、彼にとって真名の代わりになるものを貴女に預けたのよ」

「そうなんだ……」

 

姉の説明に、納得とまではいかないが、理解は出来たと、シャオは落ち着きを取り戻す。

 

「話を戻すわよ。一刀の武は、はっきり言って私達が束になっても敵わないかもしれない。1人か2人生き残ればいい方だわ」

「そんなになの!?」

「そうよ?連合の時だって、一刀に向けて8人の武将を宛がうつもりだったんだから」

「へー」

 

武を誇りとする姉にそれほどまで言わしめるとは。シャオは感嘆の息を洩らす。

 

「それだけではありません。一刀と同等の武を誇る恋もいるとなれば、我らに打てる手はなくなるぞ」

「そうなのよね……」

 

幼馴染の言葉に、シャオとは別の息を雪蓮は零す。たった1人でも手に負えないような存在が、さらにいるのだ。加えて、防御力ならば大陸のなかでも五指に入ろうかというほどの将もいる。

と、ここで新しく登場した名前に反応する者がいた。

 

「ねぇ、冥琳。それって誰?程立のこと?」

 

シャオだった。曹操の街で出会ったのは、一刀と風の2人。一刀は既に話題に上がっている為、残る選択肢を提示する。だが、返ってきたのは、穏の意味深な声音だった。

 

「冥琳様……程立って………」

「うむ………小蓮様。その程立とも真名は交わされましたか?」

 

冥琳も同じ事を考えていたようだ。話をシャオに向け直す。

 

「うん」

「もしや……風ではありませんか?」

「風も知ってるの!?」

 

冥琳と穏は、そこに違和感を感じ取った。

 

 

 

 

 

 

「………僭越ながら、尚香様」

「なーにー?」

 

しかしながら、発言をしたのは別の人物である。

 

「お初にお目にかかります。反董卓連合の後に軍師見習いとして登用されました、呂蒙子明と申します」

「呂蒙呂蒙……知ってる!お姉ちゃんの手紙に書いてあったよ」

「恐れ入ります」

 

軍師としてのスイッチが入っているのか、普段のおどおどとした様子は見せず、亞莎は自身の考えと疑問を口にする。

 

「曹操のもとで出会ったのは、一刀さんと風さんのお2人で間違いないでしょうか?」

「そうだよ」

「ちなみに、滞在はどのくらいで?」

「だいたい20日くらいだったかな。ほとんど毎日、一刀たちとは遊んだんだー」

 

その言葉に、冥琳と穏も、彼女の言わんとするところを理解する。しかし、ここで答えを口にせず、先を促すのは師としての親心か。

 

「亞莎、何か思うところがあるようだな」

「はい、冥琳様。恋さんの性格を考えると、それほどの期間を、一刀さんと共に行動しないとは考え難い事です」

「そうですねぇ。恋ちゃんは一刀さんにべったりですからぁ」

 

穏もそれを肯定する。

 

「また、名前を変えている事からも、何がしかの理由で、曹操のもとに居ざるを得なくなった可能性があります。それも………恋さんや香さんとは別に。私は直接会った事はないので、噂からしか推測は出来ませんが……」

「そうね。あの曹操が人質を取って一刀達を召し抱えるとは思えないわ。というか、恋を人質になんて取れっこないし」

 

亞莎の思考を読み取り、雪蓮も追随する。曹操によって無理矢理に従わされている訳ではない。だが、そうせざるを得ない状況。

 

「明命。曹操の軍の動きはどこまで掴んでる?」

「はい、河北四州はいまだ広く、内政に手を入れており、次の戦に向けて具体的な行動をとってはいないと報告に上がってます」

「そうか……」

 

隠密頭の返答に、冥琳はしばし考える。そして。

 

「雪蓮、明命をしばし使ってもいいか?」

「えぇ、構わないわ」

「では……明命、新たな命を下す」

「はいっ」

「曹操の本拠に潜入し、一刀と接触を持て。そこに突破口があるやもしれん」

「はっ」

「ただし、絶対に一刀1人の時に接触するように。風がいれば、何を吹き込まれるか分からないからな」

「了解です!」

 

孫呉は、これより動き出す。

 

 

 

 

 

 

――――――成都。

 

街の中央にある城の執務室にて、小さな会議が行われていた。室内には4人の人物。

劉備軍にとって、南蛮とも無事同盟を組み、後顧の憂いを断った今、残すは眼前の二大勢力となる。

 

「あの人が出てくる可能性はあるのかな、朱里ちゃん?」

 

主からの問いに、軍師の少女は一言、否と告げる。

 

「星さんから聞いた話ですと、御遣い様は恋さんとしか闘わないと公言しています。よって、今回の動きに加わる事はないでしょう」

「はい。ですので、上手く情報を流すことにより、こちらの優位に運ぶ事が可能となります」

 

応え、続くのは、臥龍鳳雛と後に讃えられるようになる2人。

 

「うん……」

 

その言葉に思うところがあるのか、桃香は瞳を伏せる。だがすぐに顔を上げ、告げた。

 

「じゃぁ、お願いするね、紫苑さん」

「任されましょう」

 

 

時を同じくして、中庭に3つの影があった。うちひとつはちびちびと茶を啜り、うちひとつはメンマを肴に、昼間だというのに酒を飲み、のこるひとつは、山と盛られた点心を次から次へと口の中に押し込んでいる。

 

「それにしても、相変わらずだな、恋は」

「(もきゅもきゅっ……)ん……月のところのご飯も美味しかったけど、ここのも美味しい」

「?」

「董卓さんですよ」

 

初めて聞く名に首を傾げる星に、香が補足説明をする。

 

「そういえば、お主らは董卓殿のところにおったのだったな………董卓軍か」

「どうかされましたか?」

 

自身の放った言葉に溜息を吐く星。香が問う。

 

「いや、連合の時に華雄と闘り合ったが………愛紗や鈴々と3人でかかっても、いいようにあしらわれていたと思い出してな」

「………」

 

何と返せばよいのか分からない。困ったような香の表情に、星は軽く笑いながら話を続ける。

 

「香は守りにおいては相当のものと思うのだが、華雄と香はどちらが強いのだ?」

「えぇと……私を鍛えてくれたのが、一刀さんと華雄さんなんですよ。ですので、私の弱いところも知っているので………」

「なるほどな。華雄には勝てない、と」

「えぇと……はぃ………」

 

星の顔に浮かんだ笑みに、嫌なものを見出す。段々と声が細くなり、そして。

 

「よろしい。ならば手合せだ。華雄には負け越していても、香には負けぬ事を示して見せようぞ」

「えぇと、えと、えぇぇええっ!?」

「恋は食べながら審判でもしておるがいい」

「(もきゅ……)………ん」

「ちょ、恋さん!?………いやぁぁああっ!」

 

香を引き摺る星の言葉に、恋は点心の乗った皿を腕に抱えると立ち上がった。

 

「………ふぁひへ(はじめ)」

「行くぞ、香!」

「ちょ、待って!待ってぇ!?」

 

中庭に、悲痛な叫びが響き渡る。

 

 

 

 

 

 

――――――許昌・城内。

 

陽のあたる中庭。その中途にある草の生えた場所に、3つの影があった。ひとつは黒い上下の衣服のうち、上着を脱いだ白いシャツの状態で木にもたれ掛って座っており、ひとつはその足の間で、先の人物の胸に背を預けて舟を漕ぎ、残るひとつは両の手足を地面に投げ出し、頭を彼の脚に乗せて豪快な寝息を立てている。

 

「いい天気だな」

「まったくだ」

 

空を見上げ、誰にともなしに呟けば、返ってくる声。視線を下げれば、空と違わぬ青い髪が目に入った。

 

「よっ」

「あぁ」

 

短い挨拶を交わす。自身が送った眼帯をつけてくれている事に少しだけ笑みを零しながら、秋蘭は上体を屈めた。

 

「ふっ……こうして見ていると、20万の大軍を手玉に取った天才軍師や、大岩をも破壊する武の持ち主には見えぬな」

 

言いながら、彼女は一刀の膝に乗る季衣の頭を撫でる。と、そこで一刀は彼女の服装に気がついた。戦装束だ。

 

「賊でも出たのか?」

 

上体を起こし、秋蘭は答える。

 

「いや、劉備の兵が、州境の辺りをうろついていると報告があってな。これから流琉と、牽制を兼ねて偵察に行くところなのさ」

「向こうの将は?」

「旗は確認できなかったと言っていたが、部隊は100もいないらしい」

「秋蘭様ー!」

 

そんな会話をしていると、城の方から可愛らしい声が届いた。

 

「あ、兄様!」

 

駆け寄ってきたのは、秋蘭とこれから偵察に赴く少女だった。彼女もまた、戦装束に身を包んでいる。

 

「よっ。秋蘭と一緒に偵察に行くんだってな、流琉」

「はい、これから定軍山まで行ってきます。あー、季衣ったらまた兄様の邪魔をしてー」

 

一刀の言葉に元気よく頷き、視線を下げて困ったように言う。

 

「定軍山か……政務はひと段落ついたから大丈夫だよ。気をつけてな」

「はいっ!」

 

再度、元気よく頷く。

 

「秋蘭もな」

「あぁ、一刀……」

「ん?」

「ひゃっ!?」

 

流琉が顔を真っ赤にする。無理もない。再び腰を屈めた秋蘭が、一刀に口づけをしていた。

 

「………こりゃまた大胆だな」

「嫌だったか?」

「まさか」

 

微笑み合い、秋蘭は今度こそと背を向ける。いまだ顔を真っ赤にしたまま慌てる流琉と共に去っていく秋蘭を見送りながら、一刀は頭痛を耐えていた。

 

 

 

 

 

 

「にゅぅー」

「おはよう、風」

 

秋蘭たちが視界から消えたところで、胸元の小さな頭が揺れる。

 

「おにーさんは相変わらず浮気性ですねー」

 

のっけから不機嫌だった。

 

「面目もない」

「風にもしてください」

「んー……他の女の子にしたすぐ後でってのもな。また今度な」

「おやおや、何故そこだけ硬派なのやら」

 

一刀の腕のなかで軽く伸びをした風は、袖の中から棒のついた飴を取り出し、おもむろに舐め始める。そして、話題を変えた。

 

「何かありましたかー?」

「何かって?」

 

風の視界の外で、左手で頭を押さえながら応える。

 

「流琉ちゃんと話してる時に、おにーさんの身体が一瞬強張りましたのでー」

「………………」

「まさかおにーさん………流琉ちゃんにまで手を――――――」

「出してないからな」

 

怖ろしい事を口走る風の頭を軽く小突き、その場所に手を置いて撫でる。

 

「むむ…飴と鞭ですねー。それで、実際のところは?」

「あぁ。流琉は何処に行くって言ってた?」

「定軍山と言ってましたねー」

「定軍山……」

 

どこか引っかかる。だが、それを思い出そうとすると、すぐに頭痛が再開した。

 

「何かあるので?」

「いや、何か引っかかるんだが………」

 

一刀は考える。どこでその言葉を聞いた?あるいは読んだ?地名ならば、学校の地理の授業か?だが、一刀の時代において、その地名は既に変わっている。では、歴史か?だが、どうしても思い出せない。様々な記憶を掘り起こす。そして辿り着いたのが、演義だった。

 

「定軍山……秋蘭……夏侯淵!」

「おぉっ?いきなり立ち上がらないでくださいー」

 

跳ね飛ばされた風が不平を洩らす。季衣は相変わらず地面に転がったまま眠っていた。

 

「定軍山だ、風!」

「そですねー」

「このままだと―――ぐっ!?」

 

何かを口にしようとした一刀の脳内を、激しい痛みが襲う。

 

「おにーさん?」

 

たった今まで不平たらたらの顔だった風が、一転して不安気に顔を覗きこむ。そして、気づいた。彼の顔は蒼白と形容できるほどに血の気を失い、表情は苦悶に満ちている。

 

「がっ……くぅ………」

 

膝をつき、両手で抱えた頭を地面に擦りつける。外側の痛みで内側の痛みを消そうとするかのように。しかし、それも無駄な事。際限なく続く鈍痛と、脳内で鳴り響く耳をつんざくような音に、一刀は意識を落とした。

 

 

 

 

 

 

眼を開けば、見慣れた天井が目に入った。

 

「――――――あれ?」

 

自分の部屋だった。

 

「気がつきましたか、おにーさん」

「あぁ……」

 

かかった声の方を向けば、風が心配そうな瞳で座っていた。

どうして此処で寝ているのか。ぼんやりと霞む頭で、記憶を辿る。昼寝をする季衣と風に付き添い、秋蘭と流琉が来て――――――。

 

「――――――秋蘭だっ!」

 

そして思い出した。名前を叫び、同時に頭痛が再度襲い掛かる。

 

「が……ぁ………っ」

「おにーさんっ」

 

両手で頭を抱えたその姿が気を失う直前の彼と重なり、風は立ち上がって寝台に駆け寄る。

 

「大丈夫ですかっ?」

「がはっ………はぁ、はぁ………」

 

だが、今度は気を失うまでには至らなかった。しばらく荒い息を吐き、呼吸を落ち着かせて、いまだに落ち着かない瞳で見つめる風に問う。

 

「俺が気絶してから……どれくらい経った?」

「2日です…」

「そうか…」

 

鈍く揺さぶられる頭で、彼は必死に考える。秋蘭は、偵察の為に州境まで向かうと言った。ならば、馬があれどすぐに到着するものではない。まだ間に合うはずだ。そう自分に言い聞かせる。

それと同時に、思考を別の方向にも向ける。何故自分が気を失ったのか。病の兆候などなかった。では何故。そしてすぐに気づく。秋蘭の事を風に伝えようとした時に、2度頭痛が襲ったのだ。いくつかの仮定が浮かび上がり、消え、ある結論に達した。

 

「………風」

「はぃ…」

 

試すように、ゆっくりと口を開く。

 

「秋蘭と春蘭って、仲がいいよな」

「え?………そぅ、ですね」

 

強い痛みはない。これならばと、一刀は言葉を選び、紡ぐ。

 

「いつも秋蘭が春蘭を抑えてるよな」

「はい」

「秋蘭がいないと、春蘭を抑える人がいなくなるよな」

「おにーさんでしたら抑えられるかと」

「秋蘭がいないと、春蘭の抑え役がいなくなるよな?」

 

風の言葉に、一刀は再度同じ事を口にする。じっと風の瞳を見つめ、伝わるようにと願いながら。

 

「………………そですねー。秋蘭さん以外には出来ない事ですねー」

 

風の口調が、いつもの飄々としたものに戻る。その瞳は、いつものように奥が深く、底が知れない。

 

「早く、戻ってきて欲しいな」

「はい。寂しがった春蘭さんが暴れ出したら大変ですしー」

「………」

「………」

 

伝わったかは、分からない。だが、これで最後だと、一刀は口を開き――――――

 

「………………頼んだぞ」

「お任せあれー」

 

――――――再び意識を『落とされた』。

 

 

 

 

 

 

――――――定軍山。

 

「秋蘭様、近隣の邑に送った兵達が戻って来ました!」

「そうか、どうだった?」

 

森の中を進む部隊。その先頭にて、流琉が秋蘭へと報告をする。

 

「はい。邑の人たちの話によると、ここ数日、数騎の騎兵を邑の近くで見かけたとの事です。どの邑もそれほどの数もなかったと。あと、やっぱり旗は見なかったそうです」

「ふむ。劉備たちの狙いは分からぬが、ただの調査と見てよいだろうな。もしかしたら、この辺りを我らとの戦場として使おうとしているのかもな」

「そうですね」

「予想よりも早く終わった事だし、我らも少しこの辺りを調べてから戻るとしよう。もし奴らがそのつもりなら、私達も地形を把握しておかねばなるまい」

「はいっ」

 

戦場の地形把握は、戦において重要項目のひとつである。劉備軍の軍師が命じて、その為の調査をさせていた、といったところだろう。秋蘭はそう結論付けた。

 

「では………どうした、流琉?」

 

森を出るとしよう。そう口にしようとした秋蘭は、流琉の様子に気が向く。

 

「あの……質問があるんですけど………」

 

その顔は、赤い。

 

「どうした?」

「ずっと聞きそびれてたんですけど……秋蘭様と兄様は、その………」

 

その言葉に、合点がいく。どうやら出陣前のアレの事らしい。小競り合いとはいえ、戦の心配がなくなったと同時にこれかと若干呆れると同時に、流琉も年頃なのだと、何故だか感慨深くなる秋蘭がいた。

 

「想像の通りだよ。私は一刀を好いている」

「やっぱりぃ!?」

 

予想以上の慌てっぷりを微笑ましく思いながら、彼女は言葉を続けた。

 

「一刀の左眼………アレは私が奪ったのだ」

「はぃ…季衣から聞きました」

 

ほんの少しだけ遠い眼をする秋蘭に、少しだけ寂しさを感じながら流琉は既知と頷く。

 

「もしかして………その事を気にしてですか?」

 

そして出てきた言葉に、秋蘭は呆気に取られ、次いで笑い出した。その様に慌てふためく流琉の頭を撫でながら、彼女は説明する。

 

「そうではない。流琉とて、一刀の武は知っているだろう。稽古をつけてもらった事は?」

「はい、季衣と一緒に」

「どうだった?」

「その………凄く、強かったです。2人がかりでも、手も足も出なくて………」

「だろう?」

 

落ち着きを取り戻した少女の頭をさらに撫で、秋蘭は続ける。

 

「流琉も季衣もまだまだ発展途上だ。気に病む事はない。それに、奴は規格外だ。連合の時など、8人を彼にあてようとしたのだぞ?」

「そんなにですか!?」

「あぁ。それほどの武の持ち主なのだ。その彼に、私の矢だけが、偶然とはいえ届いた。それが私の誇りなのさ」

「はぁ………?」

 

よく分からないと、流琉は首を傾げる。

 

「もっと大人になれば、いずれ流琉も分かる」

 

再度首を傾げる。どうにも誤魔化されたようだ。戦はともかく、子ども扱いをされた事に少しだけ寂しさを感じると同時に、大人の女性への憧れが増した。

 

その時だった。

一瞬の風切り音。そして響く兵の悲鳴。見るまでもない。

 

「伏兵かっ!?皆、敵襲に備えろ!!」

 

秋蘭はいち早く隊員に指示を出す。兵もまた、曹操軍の精兵の名に恥じぬ素早さで雰囲気を一転させ、得物を手にした。

 

「止まっていては狙い撃ちだ!走れっ!!」

 

応という声と共に、隊列を維持したまま走り出す。秋蘭は先頭を走りながらも周囲に眼を凝らし、敵の位置を探る。

 

 

 

 

 

 

※※※

 

一刀の私室を離れた風は、とある扉をノックする。

 

「開いてるわよ」

「失礼しますー」

 

部屋主の了承を得て入室すれば、彼女を見つめる3対の視線。

 

「どうしたのですか、風。確か、貴女は非番の筈では」

「華琳様に少しだけ質問があって来たのですよ、稟ちゃん」

「私に?何かしら」

 

風は、主の前に歩み出て、その質問を口にした。

 

「風に与えられている権限についてですー」

「風の権限?」

「はい。風の権限で、どれだけの兵を動かせるのかなーと思いましてー」

「風も桂花や稟と同じだけの権限を持ってるわよ」

「という事は3000までなら即座に動かしてもよいのですね?」

「そういう事になるわね」

 

主の言葉を受け取り、話は以上だと、風は部屋を出ようとする。

 

「待ちなさい、風」

 

だが、それを留める声。

 

「なんですかー、稟ちゃん?」

 

稟だった。彼女は眼鏡の奥でじっと風の瞳を見つめ、口を開く。

 

「いったい何をするつもりで?」

「………ちょっとした遠征ですよ」

「はぁ?いったい何処に行くつもりなのよ」

 

次いで、荀彧も口を開いた。

 

「風にも何処まで伝えていいのか分からないのです」

 

その言葉に、3人は訝しげな視線を送る。

 

「ですので、なぞなぞを出すとしましょー」

「また貴女はそうやって煙に巻こうと――――――」

「問題です。夏候惇さんの妹さんの名前はー?」

 

眉間を抑える親友の言葉を遮り、風は問いを発する。溜息を吐きながらも、稟は答えた。

 

「………夏侯淵様ですね」

「正解です。では、第二問。秋蘭さんがいなければ、春蘭さんはどうなっちゃいますか?」

「決まってるじゃない。あの猪を抑える役がいなくなって、手がつけられなくなるわ」

 

次いで荀彧も答える。

 

「またまた正解です。次のなぞなぞには、華琳様に応えて頂きましょー」

「………言ってごらんなさい」

「許可も得た事ですし、第三問」

 

一度言葉を切り、風はじっと華琳の眼を見つめる。華琳もまた視線を逸らす事なくそれを受けた。

 

「華琳様にとって、秋蘭さんはなくてはならない存在ですか?」

「愚問ね」

「知ってますー。でも答えて頂きたいのです」

「当り前よ。秋蘭は私の半身。私の許可なくいなくなるなんて事、させるものですか」

「大正解です。それでは最後の問題です。この後、風たちが採るべき行動は?」

 

それに応える声はない。しかし、3人の眼を順繰りに見つめ、風はこれで最後と口を開いた。

 

「おにーさんの部屋に行ってみてください。少しは風の言葉の信憑性が増すかとー」

 

それでは兵を準備してきますので。それだけ残し、風は部屋を去った。

 

「桂花」

「はっ」

「城は任せるわ。稟、ついて来なさい」

「「御意」」

 

短い指示に軍師たちは頷き、華琳は稟を連れて執務室を出た。

 

 

「………起きないわね」

「はい。それに顔色もよくない」

 

数分の後、華琳と稟は一刀の私室にいた。彼女たちの目の前には、寝台で眠る部屋の主。だが、その顔は血の気が薄い。何度肩を揺すっても、まったく反応を示さなかった。

 

「何が起きたのかはわかりませんが、秋蘭様の援軍に迎えというのは、一刀殿の指示のようですね」

「そうみたいね。そして、それを伝えた所為で、一刀はこうなってしまった。だから風も、具体的な事は口にしなかった………いえ、出来なかった」

「………妖術でしょうか?」

 

口にし、稟は頭を振る。いま考えるべきは、そのような事ではない。華琳もまたその行動の意図を察し、口を開く。

 

「えぇ。我々がすべきは、秋蘭を助けに行く事よ。風の事だし、春蘭たちにも声を掛けている筈だわ。行きましょう」

「御意」

 

2人は部屋を去る。いまだ苦悶の表情を浮かべる一刀を残して。

 

 

 

 

 

 

※※※

 

夜が明けた。空は白んでいるが、森の中はいまだ薄暗い。

 

「………兵はどれほど残っている?」

「半分ほどです………」

「そうか…」

 

夜の間も一撃離脱を繰り返され、夏侯淵隊の兵は既に半減していた。眠る事もままならず、されど逃げ果せる事も出来ず、疲労はピークに達しそうな程だ。

 

「せめて捕虜として囚われたのであればいいのですが………」

「散り散りになった者達は、な……」

 

秋蘭の言葉に、涙こそ見せないが、流琉は討たれた部下たちを想う。曹操軍への参陣が遅かった事と、親衛隊長であり戦の場数をそれほど踏んでいない事もあって、心の成長はわずかに遅い。その事を知っている秋蘭も、甘やかす事はしない。一度そうしてしまえば、その堰が崩壊してしまいそうな気がした。

 

「だが、このままでは埒が開かない………流琉、森を出るぞ」

「はいっ!」

 

幾度となく敵に追われ、討たれ、皆の気力も尽きようとしていた。援軍は期待できない。ならば、最後の気力を振り絞り、せめて視界の開けた場所を駆け抜ける。彼女はそう考え、そして走り出す。その先に――――――。

 

「放ちなさいっ!」

 

森を出たその瞬間、左方より、将の号令と共に矢が飛来した。

 

「くっ!?止まるな!全員駆け抜けろ」

 

矢が風を切る音と隊員の悲鳴を背に、秋蘭は駆け抜ける。全速力で駆け抜け、転進し、隊列を整え、そしてようやく敵の姿を視界に収めた。

 

「旗はないがあの弓………荊州の黄忠か」

 

ひと目で理解する。遠く劉備軍の隊の中央に座する将が、己と同じ弓の名手だと。

 

「来ますっ!」

 

流琉の声を聞くまでもなく、視界に映る。敵が攻めてきた。その先頭を走るのは、身の丈を大きく超える蛇矛を持った紅髪の少女。

 

「張飛もいるのか!」

 

かつて共闘した少女。しかし、いまは敵としてその武を振るいに来ていた。兵達に構えるように指示を出しながらも、秋蘭は考える。張飛と流琉とでは、その武の差は明確だ。自分以外に、この場に相手になる者はいない。だが、黄忠もまた、大陸に名を馳せる程の歴戦の将。流琉には荷が勝ち過ぎる。その不平等な選択肢を秤にかけ、命を出した。

 

「流琉は張飛を抑えろ!黄忠は私が行くっ!」

「はいっ!」

 

時間を稼げとは言えない。だからこそ抑えろと告げる。すぐに援護に向かうと誓って。

 

「甘いわ。気づくのが遅すぎるわね」

 

遠くに秋蘭の檄を聞きながら、紫苑は微笑む。その視界の先で、鈴々の率いる部隊が2つに割れた。その援護へと、自身も弓を構える。

 

「雑兵如きで私を抑えられると思うな!」

 

向かい来る敵兵を斬り捨てながら、秋蘭は駆ける。気持ちだけが逸るなか、それは眼に映った。

 

「へっ!桔梗様はいつも自分で先に行ってしまうからな。たまには弓将の援護を受けるのもいいってもんだ!」

 

迫り来る漆黒の大金棒。その見た目の質感から、一兵卒が軽々と振るえるようなものではないと、ひと目でわかる。咄嗟に前に出した餓狼爪でそれを受けるも、重量級のひと振りに弓が敵う筈もなく、砕け散った。

 

「もらった!」

 

勢いもそのままに鈍砕骨を振り上げる焔耶。そして矢を放つ紫苑。秋蘭の体勢は崩されたまま。

今にも振り下ろされんとする金棒と、真っ直ぐに飛来する矢が視界に映った。スローモーションに流れる光景を離れた位置で見ているような感覚に、秋蘭が死を覚悟したその一瞬、あの時の光景が思い浮かんだ。

刹那の時のなかで、不思議なものだと彼女は考える。華琳と一刀に同じ想いを持っているとはいえ、どちらか選ばなければならないのならば、迷わず華琳を選ぶだろうと思っていた。その自分が、死の直前に思い出したのは、その選択肢で斬り捨てた方だった。

 

「(一刀も……あの時はこんな風景を見ていたのかな………)」

 

思い出すは、つい1日前に流琉に話して聞かせた事。あの時の彼は勇ましかった。向かい来る矢を恐れず、姉の豪剣を受け止めて見せたのだ。

 

「(……そうさ)」

 

彼は見せてくれた。

 

「(………そうだ)」

 

そんな彼に魅せられた。

 

「(会いたい……)」

 

そんな彼に、もう一度会いたかった。

 

「(死んで……なるものかっ!)」

 

いまだゆっくりと進行する光景の中、新しいものが映り込んだ。秋蘭は咄嗟に手を伸ばし、宙空のそれを掴む。

 

「――――――――――――――――――――――――」

 

彼女は吠え、それを受けた。

 

 

 

 

 

 

「なっ………」

 

焔耶は、言葉を飲む。それは、遠くその光景を目にしていた紫苑も同じだった。

 

「はぁ……はぁっ………」

 

左手は己の得物の破片を掴み、右手でそれを支えて、振り下ろされた超重量級の鈍器を受け止めている。左の膝は地につき、ガクガクと震えは止まらない。それほどの衝撃だったのだ。

 

「なぜ……それほどまでに………」

 

戦場でありながら、焔耶は問う。問わずにはいられない程の崇高さと美しさを、その将は―――その将から流れ落つる鮮血は魅せていた。右腕には矢が突き刺さり、肉を突き破って反対側に鏃が覗いている。その穂先は、あと少しで彼女の胸へと届こうかというところだった。

 

「何故…だと………?」

「ぐっ!」

 

膂力を振り絞って大金棒を弾き飛ばし、震えながらも彼女は立ち上がる。

 

「決まっている………」

 

立っているのがやっとなのだろう。息は荒く、その顔は見えない。だが、そこに焔耶は感じ取る。死に瀕した者の殺気に、思わず彼女は武器を構え直した。

 

「決まっているだろう………」

 

今度こそ粉々になってしまった愛弓の破片を地面に投げ捨て、秋蘭は顔を上げ、叫んだ。

 

「我が名は夏侯淵妙才!曹孟徳が覇道を切り拓かんとする者!我が主の為……愛する男の為、このような場で死ぬわけにはいかぬのだっ!!」

 

その覇気に圧され、眼前の焔耶だけでなく、後方の紫苑ですら、自身の足がわずかに下がるのを感じる。

 

そして。

 

「――――――よくぞ言った、我が妹よ!!」

 

剣戟の音が鳴り響く。

 

「なっ!?」

 

なんとか剣を受けた焔耶の目が見開かれる。目の前に立つのは、紅い戦装束を身に纏った将。

 

「夏候惇!?」

 

その姿、その言葉から、初対面ではあれど、紫苑はその正体を見抜いた。

 

「姉…者………?」

 

秋蘭もまた、いる筈のない人物に、驚きに眼を見開く。

 

「助けに来たぞ、秋蘭。そしてお前の口上は確と覚えた。後でお師匠様に伝えてやるからな」

 

剣を構えたまま振り返り、ニッと満面の笑みを見せる姉の姿に、ようやく秋蘭は、これが幻ではないと確信する。そして、その安堵により意識を手放した。

 

「後は任せたぞ、季衣」

「はいっ」

 

それをしっかりと支え留める部下に声を掛け、春蘭は焔耶に向き直る。

 

「っ…」

 

その表情を目にし、焔耶は身体が強張るのを感じた。

 

「よくも……よくも我が妹に傷をつけてくれたな………」

 

低く轟くような声音に、仲間の季衣ですら身震いをしてしまう。それほどの怒りを、その声は孕んでいた。

 

「貴様らは100度殺しても殺し足りぬわ!」

「くっ!」

 

斬りかかる剣戟をなんとか弾く焔耶を見ながら、紫苑はその経験から察する。あれは拙い。怒りに我を忘れているのならば、その攻撃は単調になるだけまだよい。あれは、その怒りすら通り越した憤怒により、冷静さをも併せ持っている。

瞬時にそれを理解した紫苑は兵に指示を出し、また自身も矢を放つ。

 

「焔耶ちゃん、下がりなさい!鈴々ちゃんも!!」

「くっ……わかった!」

 

紫苑の矢を躱した春蘭の隙をつき、焔耶は下がる。また、鈴々も流琉の伝磁葉々を弾き飛ばし、紫苑のもとへと駆け戻った。

 

 

 

 

 

 

「秋蘭様、秋蘭様ぁっ!!」

 

なんとか鈴々の攻撃を凌ぎ切った流琉が、秋蘭に駆け寄る。鈴々と闘いながらも、秋蘭の様子は眼に入ったのだろう。その双眸は涙に濡れている。

 

「秋蘭様、死んじゃ嫌です!」

「駄目だよ、流琉っ!」

 

半狂乱になって秋蘭に縋りつこうとする流琉を必死に抑えながら季衣が諭すも、流琉の耳には入らない。だが、頭に乗る感触は伝わった。

 

「気を失っているだけよ、流琉」

「へっ?………か、華琳様!どうして此処に………?」

「一刀に礼を言う事ね」

「兄様に……?」

 

ようやく落ち着きを取り戻した流琉をもう一度撫で、華琳は地面に横たわる秋蘭に視線を戻した。

 

「………………」

 

しっかりとその光景を目に焼き付ける。その身体から溢れ出る怒気に、誰もが口を利けないでいるなか、春蘭だけは問いを発した。

 

「華琳様、奴らを追いますか?」

「………………わざわざ聞く事かしら?」

 

その返答にもまた、さらなる怒りが籠められる。春蘭がそれに耐えられるのは、彼女もまた同じだけの怒りに満ちているからに他ならない。

 

「愚問でした。それでは私が隊を率います」

「えぇ」

 

主の許可も得て、春蘭は他の者へと言葉を掛ける。

 

「稟、お前は私と共に来い。兵への指示は任せる」

「………はっ」

「風は華琳様と共に、このまま後詰を引き連れてこい」

「了解です」

「霞は騎馬隊で先行してくれ」

「任せとき」

「行くぞ、季衣」

「はいっ!」

 

それぞれ指示を受け、4人は動き出した。軍師の2人と季衣は部隊に指示を出しに、霞はすでに騎乗している部下たちと馬を走らせる。

 

「流琉」

「は……はいっ」

 

最後にと、春蘭はボロボロになった少女に声をかける。彼女の怒気にあてられて、流琉もまたビクッと身体を震わせる。だが、その緊張もすぐに消え去った。

 

「秋蘭を守ってくれて、ありがとう」

「春蘭、様……?」

「お前が頑張ったから、秋蘭は生き残る事が出来たんだ」

 

頭に乗る、今日2度目の柔らかく、暖かい感触。目の前に春蘭がしゃがみ、先ほど秋蘭へと向けたような笑顔を見せていた。

 

「しゅ、春蘭さまぁ……ひくっ、えぐ………」

「だから泣かなくていい。こうして生き残る事が出来た事を、誇りに思え」

「ひっく………ふぁぃ………ふぇぇえん!」

「華琳様と共に、本陣にいろ。後は任せておけ」

 

最後にそう告げると、彼女は立ち上がる。その顔は再び憤怒を滲ませ、雰囲気に呑まれた兵も、今まで以上に姿勢を正す。

 

「………………行くぞ」

 

かつてない程の返事を背に、春蘭は一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

隊を引き連れ走りながら、3人は言葉を交わす。

 

「なんで援軍が来てるんだ!?」

「わからないわ。途中までは朱里ちゃんたちの予想通りに進んでいたのに……」

「援軍を呼んだんじゃないの?」

 

焔耶と紫苑、そして鈴々の3人だ。

 

「それはないわ。許昌からこの定軍山までは、どれだけ飛ばしても1日で着く距離じゃないもの」

「だったら私達の作戦が読まれていたってことか?」

 

焔耶の問いに、紫苑は首を横に振る。

 

「それもないわね。もしそうだとしたら、夏侯淵があぁなるよりも早くに援軍が来ていた筈よ」

「くそっ、どうなってるんだ……」

 

焔耶が悪態を吐くも、他の2人も同じ気持ちだった。いったい何が起きたのか。そう思考を続ける紫苑の耳に、驚きの声が届く。

 

「星なのだ!?」

「え?」

 

鈴々の声に視線を先に向ければ、先日城で自分たちを見送った筈の将。兵も引き連れず、1人馬に乗って荒野に佇んでいた。

 

「どうして星がいるのだ?」

 

駆け寄り、眼を丸くして問う鈴々に対し、星はいつものように飄々と答える。

 

「なに、お主らが曹操にしてやられたと聞いてな。近くに空城を見つけておいた。そこに逃げ込むがいい。殿は某が引き受けよう」

「そうね………兎にも角にも礼を言うわ。ありがとう、星ちゃん」

「構わぬ。さて、急ぐがいい」

 

星の援護も受け、彼らはなんとか城へと逃げ込むのだった。

 

 

行軍を続ける春蘭のもとに、騎馬隊が戻って来る。

 

「霞、まさか見失ったのか?」

 

霞の隊だ。

 

「んな訳あるかい。奴さん、近くの城に籠城しとるで。さすがにウチらだけで攻城なんて出来んから、戻ってきただけや」

「そうか。後ろの本隊にも……」

「もう伝令は飛ばしとるて。安心しぃ」

「あぁ」

 

先程から珍しくまともな指示を出す春蘭に内心驚きながらも、稟は方針を告げる。

 

「では、このまま進み、城の近くで華琳様を待ちましょう。籠城するならば、向こうもすぐには逃げないでしょうし」

「せやな」

「わかった」

 

そういう事となった。

 

 

 

 

 

 

稟の言葉通り、城の付近で合流した曹操軍は城へと兵を進める。劉備軍の数を考えれば、攻城戦に最低限必要な3倍という数はゆうに超えていた。ならば、あとは城を落とすだけである。だが、そこで彼らは思いも寄らないものを目にする。

 

「何故、彼女が………」

 

これまで必死に抑えてきた怒りが一瞬消えてしまう程の驚き。だが、華琳はすぐに当初の目的を思い起こすと、口を開いた。

 

「春蘭、ついてきなさい」

「はっ」

 

腹心1人を連れ、前へ出る。その行動に誰も―――軍師である稟や風すらも口を挟まない。無理もない。そこにいたのは――――――

 

「久しぶりね。恋、趙雲」

「仰る通りですな」

「ん………」

 

――――――紫苑たちを助けにきた星と、恋だった。

 

「劉備も強かになったわね」

「どういう意味でござろう?」

 

厭味を隠そうともせずに口にする華琳に対し、星もまた気にした風もなく返す。

 

「恋よ。まさかその娘を連れて来るとはね」

 

当然だ。恋が本気で事にあたれば、数の差はあれど、将をすべて失ってもおかしくはない。だが、それを否定したのは、他ならぬ恋自身だった。

 

「………違う」

「何が違うと?」

「恋が此処に来たのは……恋が来たい、って桃香にお願いしたから………」

「貴女が?」

 

問い返す華琳に、恋はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「ん……なんか、嫌な感じがした………誰かがいなくなっちゃう気がしたから、来た………」

 

そんな理由で?思わず口にしそうになる華琳だったが、自分が此処にいるのもまた、明確な根拠のない進言からだ。その言葉を押し留める。

 

「………秋蘭は、だいじょぶ?」

「えぇ、命に別状はないわ」

 

その返事を聞き、傍目にもわかるくらいに、恋はほっとした表情を浮かべる。

 

「よかった……」

「何がよいものか!」

 

だが、それに反応したのは春蘭だった。

 

「恋、奴らを出せ。私が血祭に上げてくれる」

「………出さない」

「何故だ!奴らは卑怯にも我が妹を罠に嵌め、命こそ奪わなかったが、傷を与えたのだぞ!?」

 

なおも激昂する春蘭に、恋は相変わらずゆっくりと言葉を続ける。

 

「でも………春蘭たちも、一刀と大勢で戦った………」

「それは……」

 

かつての連合での光景。的を射た発言。それだけに、返す言葉はない。

あれは華琳の命令だったから仕方がない?ならばこの戦いはどうだ。黄忠たちとて、劉備という主の命によって動いているのだ。その理屈は通用しない。

 

「それに……」

 

そして、続く恋の発言に、今度こそ毒気を抜かれてしまう。

 

「一刀の眼に、矢が刺さったけど………霞も、華雄も、香も…恋も、秋蘭を恨んでない………」

「………………」

「だって……それでも、一刀は生きて帰ってきてくれた………恋の頭、撫でてくれた………だから、恋は、それだけで嬉しい………」

 

沈黙が落ちる。

 

「………一刀が言ってた…新しい時代を作んないといけないから、戦があるのは仕方がないって………でも、戦が終わったら…みんなで笑い合いたい、って」

 

誰も口を挟まない。恋が口にするのは、儚い希望。だが、この戦乱が禅譲の儀という面を持つと考えれば、通常のそれとは異なるのかもしれない。

 

「………だから、いまは、ここでおしまい。だって、ここで決着がついても……戦は終わらないから………」

「………………そうね」

「華琳様?」

 

隣に立つ主の口から零れた言葉に、春蘭は振り返る。

 

「恋の言う通りだわ。それに、このような多勢でこのような少勢を攻めるなど、昔の麗羽でもしないわね」

「ん……ありがと」

「帰るわよ、春蘭」

「………はっ」

 

どうにも納得がいかないが、華琳の決めた事ならば仕方がない。それに、恋の言葉も納得がいかないというだけで、理解は出来る。春蘭もそれ以上敵意を見せる事無く、彼女に従った。

 

「趙雲、劉備に伝えなさい」

「承りましょう」

 

数歩進んだ所で歩を止め、華琳は星に振り返る。

 

「貴女がどれほどの姦計を繰り出そうと構わない。すべて叩き潰してあげる。そして、願わくば、我が覇道に相応しい戦で幕を下ろしましょう」

「………確かに」

 

その言葉を最後に、今度こそ華琳と春蘭はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

――――――城内。

 

「ホントに退いたのだ………」

 

遠く地平線へと消えゆく軍勢を見ながら、鈴々がほっと息を吐く。

 

「あぁ。だがまさか、恋まで来たとはな」

 

同様に、焔耶も城壁にへたり込む。

 

「いいじゃない。それで助かったのだから。それにしても、あれほどの殺気を浴びるのは久しぶりだったわ」

「うん、夏候惇のお姉ちゃん怖かったのだ!愛紗が怒った時よりも、すんごく、すんごーく、怖かったのだ!」

「そうね。でも………いまはこうして生き残った事を悦びましょう」

「そうだな」

 

確かにと焔耶は頷く。かつて益州を訪れた一刀や恋の武を見て、憧れ、己を鍛えた。桃香たちが益州に来てからは、愛紗や星のような、他にも目指すべき目標が出来た。このような恵まれた軍勢で、自身も力をつけている事を実感していた。だが。

 

「………大陸は、広いな」

 

あの時、夏候惇の殺気に震えた自分を恥じはしない。それを糧に、さらなる高みを目指そう。口にする事無くそう誓い、焔耶はただ、いまこの時の生に感謝していた。

 

 

 

 

 

 

――――――許昌。

 

街の中央に鎮座する城。その入り口にて、1人の男が立っていた。

 

「感じる……」

 

その服装は、どう見ても一般人とは言い難い。

 

「感じるぞ!」

 

黒い袖なしの服には白い十字が入り、また丈の長い真っ白な外套を羽織っている。肘から手首には、手甲のようなもの。

 

「邪気を感じるっ!」

 

通行人からの訝しげな視線を気にする事無く、その紅髪の男は門番に話しかける。

 

「この城に重病人がいるだろう!」

 

否、叫び倒した。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

 

だんだんとクライマックスに向けて進めていきます。一郎太です。

 

という訳で、#71でした。

前書きにも書いたけど、ようやくシリアスな感じの勘を取り戻してきた。

これまでギャグとかほのぼのに走り過ぎた後遺症だな。

最初はさー、蜀はフラグだけ立てておいて、今回は呉と蜀のほのぼので行こうと思ってたんすよー。

でも書いてるうちに気付けば1万字を超え、どうせなら勢いに任せて書いてしまおうと、最終的には2万字にまで達していたぜ。

 

それはいいとして。

 

そんなこんなで秋蘭様がカッコよかったですが、妹に振り返る春蘭様もカッコいいと思います。

 

ついさっきまで5時間バイトして、これからまた4時間程バイトに行ってきます。

職場が近いよ、やったねたえちゃん!

 

またコメント欄ででも。

 

バイバイ。

 

 

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
76
9

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択