No.371308

外史異聞譚~外幕・孫呉ノ壱~

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2012-02-01 06:45:42 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:2173   閲覧ユーザー数:1412

≪揚州/世界視点≫

 

この外史における現在の揚州は、正しく群雄割拠といえる混乱の中にある

 

揚州という土地は後漢王朝から見れば南東の辺境であり、土地も(実際には違うのだが)肥沃とは判断されず、日本の江戸時代でいうところの“下田”というのが評価として定着している

もっとも、長江を基盤としての商業や水産業は非常に盛んであり、こと水運という点に於いては大陸随一といえるものを持っているのではあるが

 

故に後漢王朝は冀州や兗州、徐州程にはこの地域を重視せず、良くいえば独立独歩悪く言えば諸侯に丸投げの状態であった訳だ

洛陽都が黄河上流に位置し、非常に豊かで便利な土地であった事もその要因と言えるだろう

 

このような中で頭半分飛び出していると言える状態にあるのが孫伯符を筆頭とした孫家と、それに追従ないし並立の意思を見せる有力豪族達である

 

元々、孫武の末裔を称し一時は長沙の太守として袁公路と並び立っていた時期もある孫家であるが、伯符の代となりその武威には陰りが訪れる

そのような状態にあっても尚、孫伯符を盛り立てて江東の地を平定しようとしてきたのが、今の孫家と言える訳だ

 

この点では天の御使いの判断はある意味間違っていると言えるが、確かに孫呉が建業や呉都に対する程の思い入れが長沙にはないという点に於いては正しいと言えるだろう

むしろ、その点を踏まえて長沙の攻略を孫呉に委ねたのであれば、異常ともいえる洞察力だと言える

 

 

話が逸れたようだ

 

 

ともかく、このような中でずっと檻の中の虎として飼われる事を余儀なくされてきた孫伯符の帰還は、一定以上の称賛と歓呼を以って迎え入れられた

 

姉の伯符や仲謀と引き離され、同じく幽閉状態であった末妹・孫尚香がこの地に居た事も大きいだろう

幼く可憐な容姿でありながら孫家の気質を色濃く受け継ぐ奔放な末妹は、江東の民に“弓腰姫”や“小姫”の二つ名で愛されており、彼女の存在があればこそ、その求心力は喪われないままだったと言っても過言ではない

この点で言うのであれば、もし袁公路が遠望として江東の併呑を志操していたのだとすれば、大いに間違えていた、というべきだろう

 

孫伯符は、後に“小覇王”と称されるだけの武人である事を立証するかのように時間を無駄にする事はなかった

 

これらの民衆や豪族の支持を背景とし、宿将・黄公覆を先鋒として民兵を糾合し、天譴軍より得られた糧食と資金を基盤として、一気に反対勢力の併呑に乗り出したのである

この豪族平定に際しては、かの地に美周郎の高弟でもある陸伯言と、ふたりの愛弟子でもある呂子明が居た事も大きいだろう

孫伯符はこれを好機と捉え、まだ未熟な呂子明を現場で叩きあげる事に利用したのである

 

後背には江東の偶像ともいえる孫尚香を置き、先鋒には宿将・黄公覆が立ち、戦陣には常に小覇王が存在し、その両脇を陸伯言と呂子明が固める

 

豊富な資金と糧食に武器、そして圧倒的とも言える陣容を備えた孫家軍の前に、抗しきれる豪族はいなかったと言っていいだろう

 

揚州平定に際して公言された言葉も非常に大きいと言える

 

曰く、恭順を示すなら栄光を、反抗するなら根絶を

 

孫伯符はこの言葉を実行し、初戦で対した豪族を一族郎党どころかその三族、それに与した兵士やその家族までをも一切の例外なく撫で斬りにしたのである

 

この事実は、怨嗟とそれを遥かに上回る恐怖と畏怖をもって受け止められた

 

反面、恭順を示した豪族は厚く遇し、あくまで孫家の統治下での事ではあるが、それまでの所領や立場を安堵する姿勢を示した

 

この事により、江東は平穏とはとても言い兼ねるが、平定への道を進み始める事となる

 

 

このような折の事である

 

孫伯符の元に、その腹心にして親友でもある周公謹より一通の書状が届いたのは

≪揚州・建業/孫伯符視点≫

 

冥琳からの書に目を通し、私は鼻の頭に思わず皺を寄せる

 

「お姉さま、それみっともなーい!」

 

「うっさいわね!

 黙りなさいシャオ!」

 

末妹の小蓮の言葉に言い返してから、確かにあまり見目がいいとは言えないと思い直し、私はつるっと顔を一撫でして表情を改める

 

とはいえ、この書状はとてもじゃないが無視できない

私の“勘”は、これに乗るなと叫んでいる

しかし、これを無視できないのも事実

時期尚早とはいえ、ここで長沙を得られるという事がどれほど大きい事かは言うまでもない

況して、漢中で飼い殺しにされるはずだった冥琳に思春に明命までをも返してくれるというのだから、私達の立場としては美味しいどころの話ではない

 

だからこそ私にはこの話が気に入らない

 

この話を天譴軍から提示された状況とその後の擦り合わせに関しても冥琳は仔細に報告してくれている

天譴軍の思惑は明確に提示されていて、ひとつは交州の曹操の頭を押さえたいという事

もうひとつは、いずれ巴蜀の劉焉とやりあう際に、東に信頼できる勢力がいてくれるのが望ましい、という事

 

そう、いちいちごもっともなのよね

 

双方にうまみがあり、道理も通っていて、しかも私達に盛大に恩を売れる

 

これが他の諸侯の言った事なら、私はふたつ返事で快諾したと思う

実際書状にも冥琳がこう記している

 

“あまりに美味すぎて断りたいところではあるが、断る理由がないのがこの申し出の悪辣なところだ”

 

と…

 

強いていうなら江東の平定を待ってから、と言いたいところではあるけど、それを言い出せば時期を失するというのが目に見える

私達がアテにならないとなれば、恐らく天譴軍は洛陽を動かして同様の効果を得ようとするはずで、そうなれば私達が動ける段階になれば、それは漢室とやりあうという話になり兼ねない

 

そもそもの独立にしてからが、漢室と天譴軍の容認を基本としているのは事実なのだ

 

平たくいっちゃえば、きちんと租税を納めるのなら誰が統治してもいいから実力でやるならやっちゃっていいよ、と言われてるようなもんだしね

 

ここが私達が庇護を得るのに漢室を選べなかった理由でもあったりする

 

漢室を選んでしまえば宮中位階がどうしても邪魔をする

母樣だったならともかく、私にはそこで一足飛びで太守や牧を任じられる程の実績がない

この無理を押し通す為に天譴軍の客将という立場を選んだのだから

 

だけど私の“勘”は告げる

 

この話に乗ってはいけない、と

 

「ふむ……

 策殿は、この話に気に入らぬ部分がおありかの?

 この老骨めの目で見ても、確かに儂らにとって美味すぎる話じゃとは思うが、代価としても順当なものを要求されていると思うんじゃがの」

 

祭の言葉に私は不機嫌さを隠しきれずに返事をする

私にさっき怒鳴られてからキャンキャン何か言ってたシャオがぷくーっとむくれてるけど、あれはまあ放置でいいわよね

後で機嫌とらなくちゃ、だけど

正直、今はシャオの軽口に構ってられないし

 

「その順当さが気に入らないのよねー…」

 

「ふむ…」

 

祭と二人で難しい顔をしているところに言葉を挟んできたのは穏だった

 

「あの~…

 私はその“天譴軍”とやらをお二人のお話と風評でしか知らない訳ですが、どの部分がひっかかってらっしゃるんですか~?」

 

いや、それが判れば悩まないってーの!

ただ、強いていうなら……

 

「………目、かしらね」

 

『目?』

 

全員が聞き返す中で、カタチにならない“勘”をゆっくりと言葉にしてみる

 

「そう……

 あの暗くて深い井戸の底みたいな、あの目……」

 

ああ、そうか!

今回は単なる勘じゃなくて、きちんと根拠があったんじゃないの!

さっすが私よねー

 

「うん

 目よ目

 あの男の目を見れば一発で判るわ

 あれはこんな穏当な判断をするような男じゃない

 必ず何か仕掛けてくる」

 

「あ、あの……

 あの男っていうのは…」

 

亞莎がおずおずと聞いてくる

この子はもうちょっと強気になってくれないと困るんだけどなあ…

まあ、そこはおいおい鍛えるとしますか

 

「天の御使い・北郷一刀よ

 割といい男だしお買い得物件なんだけど、なんていうのかなあ……

 たま~に人間じゃないっていうか、そんな感じ?」

 

「いえ、あの…

 それじゃさっぱり解りません…」

 

「天の御使いであるというのが本当なんでしたら、人間じゃないというのは間違いではないのでは?」

 

亞莎と穏の言葉に私は首を横に振る

 

「一度でもアレを見れば解ると思うんだけど、なんていうのかなあ…

 説明難しすぎっ!」

 

「確かにのう……

 とは言え策殿。儂らはこれに乗らざるをえんじゃろ

 冥琳の奴もそう判断したからこそ、このように言ってきておるのじゃろ?

 儂としては出来るなら、もう少し穏と亞莎をこちらに置いておきたかったところじゃが、こうなっては漢中に行かせるしかなくなるしのう」

 

「そうなのよう…

 それも痛いところなのよね…」

 

「ぶーっ!!

 お姉さまはシャオは別にどうでもいいんだーっ」

 

名前が出なかったことにぶーたれる小蓮には苦笑いするしかない

 

「そんな訳ないでしょうが

 あんたを漢中に送りたくないのなんて最初から決まってる事なんだから」

 

「そ、それならいいけど…」

 

うんうん

蓮華もこのくらい素直だといいんだけどなー

でも、蓮華は素直じゃないところも可愛いから、難しいところよね

 

ともかく、この話は受けざるを得ない

 

それが確実な以上、なんとか早めに冥琳達と合流して話をするしかないってことよね

 

 

そう腹を決めた訳なんだけど、やっぱり私の“勘”は外れてはくれなくて、でもこの勘が別の意味で外れてくれた事に、本当に感謝する事になる

≪揚州・建業/陸伯言視点≫

 

お師匠樣からの手紙に目を通して私が思った事は、お師匠樣らしくもなく苦労してるなー、という感じでした

 

元々が後手もいいところからはじまった独立ですけど、それにしても厳しいと言わざるを得ません

 

この話の何が厳しいかというと、いくらお師匠様でも建業と長沙、そしてその統治を円滑にするために必要な柴桑か廬江、可能ならこの両方ですねー

これらを確保し統治を行なっていくのは、非常に厳しいと言えるからです

これが地続きならまだ良かったんですけど、強いていうなら柴桑がそうだと言える感じなもので、実際は船で動く方が早いというのもあります

 

そして、漢室は恐らく、廬江を手放しません

もし私達が確保したとしても、それは取り上げられてしまうでしょう

 

つまり、天譴軍が示してきたこの策の胆は、私達に統治の困難さを強いる点にあると言えます

 

揚州も決して落ち着いているとは言えませんし、長沙はこれから非常に統治が難しくなる場所です

 

まあ、お師匠樣の事なので、その辺りは折り込み済みだとは思うんですけど

 

思春さんが戻ってくる事で、一番厄介といえる江賊に対する抑えも万全となりますし、明命ちゃんが戻ってくる事で、工作や諜報もほぼ万全な状態となります

そうなればお師匠様は内政に専念できる状態になりますので、多分このくらいならこなしちゃう事でしょう

三都の統治ともなれば、流石に私も漢中にはいられませんし、そこは認めてもらう必要も出てきますけど

 

蓮華さまと小蓮さまと亞莎ちゃんを漢中に置いて、というのには不安は残るところですが、ここで全員をとなると、今度は孫呉が忘恩の徒と言われかねませんしねー

 

天譴軍の思惑はともかく、こちらの信義を形にして見せておかなければならない、というのは仕方のないところです

 

そう考えれば、このお話そのものは何も私達に不利な点はなく、将来的に敵対を考えるような距離でもない点から、疑う余地はあまりないものだと言えます

 

う~ん……

 

雪蓮さまじゃありませんけど、何かひっかかるんですよね~

 

致命的な何かを見落としているような、そんな感じが確かにします

 

別途お師匠様からいただいた文には、天の御使いについてこんな評がありました

 

 

“天の御使いを称する男は、策や謀の根本が我らとは異なる部分にある”

 

 

私がお師匠様に重く用いられているのは、お師匠様に言わせると着眼点や発想がお師匠様とは異なるからなんだそうです

ひとつの目標を思考するとき、ひとつの考えではいけない

これはお師匠様の口癖みたいなものでもあります

 

ただ、お師匠様の場合、その考えを共に語る人が少なすぎるんですけどね~

お師匠様、要求高すぎますから…

 

 

そんな事を考えながら書状を精査していた訳なんですが、そこで私はふと気付く事がありました

 

「あの~、雪蓮さま~?」

 

「どしたの、穏?」

 

「いえ、ふと思ったんですけど、これってお師匠樣がなんらかの理由で身動きできなくなったら、とっても危険ですよね?」

 

私の言葉に、みんなが息を呑みます

 

「あ、あはははは……

 確かにそうかも知れないけど、冥琳が動けなくなる理由なんてある訳が…」

 

「ない、とは言い切れませんな」

 

「うう………」

 

雪蓮さまが目を泳がせながら言った言葉に、祭さまがぴしゃっと釘を刺してくれました

 

「でもでも、一緒に来る時は思春も明命も一緒なんだし、むしろ漢中にいるより安全なんじゃない?」

 

「刺客、ですか…」

 

小蓮さまがそう言うと、亞莎ちゃんが呟きます

これはちょっと訂正しておかないといけませんね~

 

「同じ刺客が送られるとしても、天譴軍からというのはまず考えられませんよ~

 なぜなら、彼らが“わざわざ”長沙攻略を指示してきたと言う事は、そこをどうしても確保する必要があるからです」

 

祭さまがそれに頷きます

 

「そうじゃろうな

 もし戦陣での暗殺を目論むのなら、むしろ客将としてどこか近くの戦場に連れ出してやるじゃろう

 その方が確実じゃ」

 

「と、言うことは…」

 

雪蓮さまに私は頷きます

 

「どういう方法かはまだ判りませんが、長沙にお師匠様を足止めする策が天譴軍には存在する、という事です

 お師匠様が建業に居れない状態で長沙と建業、そしてその為に絶対に必要になる柴桑を抱えた状態になってしまったら…」

 

「考える必要すらないのう

 儂らは自滅じゃな

 儂とてもどこぞの太守程度は勤まりはするが、それはあくまで一地方の話じゃ

 組み込んだ土地を満遍なく見渡し、不公平と感じられぬように治めていくには、あやつが自由に動き回れる必要がある

 策殿に足りぬ部分を補えるからこそなのじゃからな」

 

祭さまの言葉は不敬とも取られかねないものですが、お二人の友誼と信頼を知るからこそのものだと私達は知っています

なので、雪蓮さまはむしろ当然というように頷きました

 

「何を今更、判りきった事をいうのかしらね~

 私には冥琳がいないと駄目だって事くらい、みんな知ってるわよ」

 

こうしてみんなが頷き、雪蓮さまが

「とにかく、長沙を確保して冥琳が罠にかけられないように気を配りつつ、早めに穏をこっちに呼び戻す

 とにかくこれしかないわね

 穏がいれば、もし冥琳が動けない状態だったとしてもなんとかなるはずなんだし」

そう宣言した事で、場は一気に落ち着きを見せました

 

お師匠様程働ける自信は全然ありませんけど、この信頼には応えなくちゃいけませんよね~

 

 

私がそう考えながら書状を読み進めていくと、最後にお師匠様の筆で、こんな事が書いてありました

 

“尚、漢中は書物が民衆にも公開されており、そこには珍しい文献や天の知識が納められている

 なので伯言は絶対に近づけないこと

 伯符はその旨、しっかりと釘を刺しておくように”

 

………………え?

 

ひ、ひどいです!

酷いです惨いですあんまりです!

お師匠様はいっぱいそういうのを読んでおいて、私には近づくなっていうんですかぁ~っ!!

 

「あ、そうだった」

 

絶望に打ち拉がれる私に、ついでに、という感じで雪蓮さまが声をかけてきます

 

「冥琳から釘を刺されたから言っておくけど、穏は漢中ではぜ~ったい、書物に近づいちゃダメよ?

 わかった?」

 

「そ、そんなあ~……」

 

「もしこれを破ったら、珍しい書物の前で縛り付けて、ずーっと放置するからね?」

 

「そ、そんな………」

 

 

お師匠様、雪蓮さま…

 

あまりにそれは惨いです……

 

漢中に行けば見たこともない書物達と巡り会えると知ったばかりなのに……

 

 

がっくりと項垂れる私を憐れに思ったのか、小蓮さまと亞莎ちゃんがそっと肩を叩いてくれます

 

ううううう……

 

雪蓮さまも祭さまも断酒しちゃえばいいんですう!

 

そう思っても口には出せない私は、ただただ泣くことしかできませんでした…


 
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