8月29日
元常様より、次回の一刀様の御指導は夕食後からとなったとの連絡を頂いた。
また翌日の三国流通会議は何故か私に代わって子孝様に御出席頂き、休暇を取るよう指示された。
直属の上司は公達様なのだが。
9月2日
昨晩は人生最高の夜だった。
この感動をどう表せばよいかわからない。
一刀様、貴方の為に生きて死ぬ事を誓います。
9月3日
昨日は終日物思いに耽ってしまった、本日から又しっかり働かなくては。一刀様の為に。
そう思い登庁したところ一昨晩の事をどこから聞きつけたのか、同僚達の生暖かい視線が気恥ずかしかった。
更に退庁しようとしたところ門で子丹御嬢様、子孝様、子廉様や元常様らが待ち構えており、酒楼へ連行された。
直属の上司でもないのにこんな時だけ役職を持ち出して酒を飲ませて一刀様との事を根掘り葉掘り聞きだそうとする交友関係を私は見直すべきのではと思った。
事後、感動で涙が止まらず一刀様を困らせてしまったというのは大人の女としては減点らしい。
しかし『だめねえ仲達は』と仰る子丹御嬢様の瞳は優しかったように思う。
9月5日
元直が愚痴りにやって来た。
劉封殿、関平殿がじゃじゃ馬で一向に説教を聞かないという。
彼女らは魏や呉にさえ『近親上等☆姉妹』としてその名が聞こえており、二人で御寵愛を賜るのはもちろん義理とは言え母親と一緒に御寵愛を賜ろうとした剛の者だと聞いている。
劉備様や関羽殿も御指導しているのだが義母とは言え年は殆ど変わらない為かあまり効き目が無いのだそうだ。
一刀様の魅力の前では致し方ないが順番は守るよう指導せざるを得ないだろうと助言した。
9月7日
三国共同の塾(天の国の言葉で学校と言うらしい)の建設が始まった、運営計画も詰めなくてはならない。
私塾は孫権様の御発案とのことだが、劉備様と公孫瓚殿が通われた蘆植殿の塾と一刀様の通われた学校の双方を模した形にしたいらしい。
事務会議では『我が王はかつての劉備殿のような、庶人としての一刀様との出会いと言うか、雰囲気に憧れがあるのだそうだ。
あと楽進殿がお持ちの制服とやらも参考に貸与願いたい』
と疲れた表情で周喩殿が言っていた。
三国の教育予算から費用は捻出されることになっていたが、呉からは総務費(閨房に関わる予算はここから出ている)
からも出資を要望したところ、教育以外の目的での利用状況によっては魏・蜀からも応分の出資をすることを条件に承諾された。
…これも行政の合理化といえるのだろうか。
9月8日
子敬、元直と飲んだがまた元直が荒れていた。
曰く、荊州馬家の家督争いに巻き込まれかかっているという。
家督を継ぐと必然地元勤務となり一刀様との時間が減るので押し付け合っているとのことだ。
馬良殿とは面識があり温和な方だったと思うがというと、あの顔に騙されるのよねと半眼で吐き捨てた。
子敬が物凄く元直に感情移入をしていた、呉はよりによって王位を激しく押し付け合ったと聞いているのでとても他人事と思えなかったのだろう。
この二人がこんなに酒を過ごして高揚しているのを見たのは初めてだった。
この境遇は納得行かない、今から揃って一刀様に慰めてもらおうと元直が言い出し、止めると思った子敬が同調したのには驚いた。
あまつさえ貴女も日ごろの激務で疲れているでしょうから一緒にと強く誘われ、なんとか断りぬくと
彼女らは酔歩もあやしく一刀様のお屋敷に向かっていった。
一刀様にあまり迷惑をかけないようにと忠告はしたが不安はぬぐえない。
9月9日
ふと気になって伯達姉様に司馬家の家督は姉様が継いで下さるのですよねと聞くと、姉様は笑顔で私は優秀な妹達を持って幸せよ、と答えられた。
どう考えても答えになっていないと思ったが背中を滝のように汗が流れ、私も姉様のような姉を持って幸せですと返すのがやっとだった。
あとなぜか末の妹の幼達が夕食時に一刀お兄ちゃん、一刀お兄ちゃんと言いながら泣きべそをかいていた。
何故泣いているのか叔達に聞くと、幼達は一刀様に何度か遊んでもらったことがありますけれど己の運命と言いますか、長幼の序を悟ってしまったためでしょう、という。
何がなんだかわからない。
9月10日
夕方に、二人が一昨夕は迷惑をかけたと謝りにきた。
私は気にしていないが、一刀様に御迷惑をかけてお叱りはなかったかと聞くと、かたや御優しくして頂いたと答え、かたや激しくして頂いたと答えるさまは幸せそのものであった。
二人とも生気に溢れた顔をしており、お陰で元気になったと言う。
呆れもしたが、羨ましくなどない。後悔もしていない。
羨ましくなどない。
9月13日
色々忙しく伸び伸びになってしまっていたが子明殿を文謙殿に引き合わせることができた。
この二人とは大変気が合う、仕事を抜きにして共通の会話が楽しめる友人は有難い。
真名を二人から預かり、私も一刀様と家族にのみ許している真名を預けた。
司馬家の娘の真名は字と同一であることは魏でもあまり知られておらず、二人にも驚かれた。
子丹お嬢様や元直、子敬などとも一刀様のお話は出来るが、子明殿・文謙殿とはなんというか素直に思うところを語り合える気安さがある。
子明殿が一刀様を主題として詩作をしているそうで、次回見せてもらう約束をした。
文謙殿は出来れば将軍職は辞して警護職に専念したいそうだ。
ところで一刀様から王都内の警邏の御希望を頂いたので、日程調整しなくてはならない。
警護は文謙殿、甘寧殿にお願いするべきか。周泰殿は近くまた上京するらしいから彼女でも良いだろう。
9月17日
珍しく呂布殿に子廉様と共に呼ばれた。
曰く、明後日の晩の一刀様の警護を子廉様に代わって頂きたいとのことだ。
その晩の寵姫は予定では子孝様のはずと思ったところ、子廉様が満面朱に染めて『解ったわよ!』と叫ぶと一目散にどこかへ駆けていってしまわれた。
残された呂布殿に事情を聞こうとしたが『私的な事情。葵(子廉様の真名だ)は解っているから大丈夫』と言われるのみだった。
9月18日
なんとなく気になったので退庁後に子廉様を飲みに誘い、程よく酒が回ったところで聞いてみたところ
『あいつ多感症な上にあの声がでかいのよ、それで恋が嫌がったの!
他人の事は洪水娘とか言うくせに、私のは粗相じゃなくて潮吹きだってーの!』
とのことだった。
以前に子廉様が御寵愛を賜った翌朝、足腰立たずに眠っている子廉様に代わって子孝様が月様から頼まれて寝台の御片付けの手伝いを渋々おやりになっていたのは言うべきか言わないべきか迷ったが言わないこととした。
最近外で飲むと連れの放言に危険を感じることが多く、今日も自宅にお招きして良かったと思った。
我等官吏には職務倫理規定はあるが、閨房倫理規定も明文化が必要かもしれない。
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その後の、とある文官の日記です。