8月16日
子敬殿より呂蒙殿を御紹介戴いた。
魏では猛将との呼び声が高かったが、知的な印象の大人しい少女であった。
しかし一刀様の話題となると話が弾み、非常に共感した。
伯達姉様に文謙将軍を紹介するよう言われていたのを思い出し、引き合わせる約束をした。
8月18日
三国事務会議があり、その中でかねてから整備予定の後宮―――河川そばの東屋や厨房なども含むのだが―――の施工着手の報告があった。
報告後に諸葛瑾殿より、一刀様ご自身は一体どのようになさるのがお好みなのか、それによって整備計画が修正されるべきではと提議があったが、会議ではそれについての明快な解答が得られなかった。
或る者曰く、処女を手ほどきするのがお好みである。
また或る者曰く、年上に甘えるのがお好みである。
また或る者曰く、巨乳を弄ぶのがお好みである。
また或る者曰く、小柄な者を妹のように可愛がるのがお好みである。
また或る者曰く、屋外で荒々しくなさるのがお好みである。
また或る者曰く、複数の者を同時に御寵愛なさるのがお好みである。
また或る者曰く、ここでは言えない程の特殊な御性癖をお持ちである。
等々、まるで意見の一致を見ない。
議論が過熱し口論になりかけたところで元直が各々の上司に伺ってみてはどうか、と提案し一応散会となったが…。
自分の上司を思い浮かべたところで多少頭痛がした。
仕方なく伺ってみたが、公達様曰く、
『愛情いっぱいに苛めて辱めるのが御趣味に決まってるじゃないのそんなの!
あたしの悦ぶことを知り尽くしているかのように弱いとこを突いてくるのよねぇ…それに事後の御優しい語らいといったら…』
この後も長々と何か仰っていたはずだが右から左であったので覚えていない。
思い切って一刀様に伺ってみたところ、菩薩の如き微笑とともに『みんなちがってみんないい』とのみ仰られた。
寵姫各々を思いやって頂いた御発言だろう。
しかし諸葛瑾殿の御指摘通りこれは実は重要な課題と思われる。各国の事務方で協力して詳しく研究しよう。
8月21日
一刀様に御口付けを戴いてしまった。しかも唇にだ!
本日の御指導の終わりに、例によって挙動不審となっていた私に、
俺のこと嫌い?と聞かれて、全力で否定させて頂いたところ、御唇、御尊口、ああなんと呼べばよいのだろう!?
が、私のそれを塞いだのだ!
午後休暇を取った私を誰が責められるだろうかいや何人たりとも不可能だ、そのまま平然と仕事など出来るわけがないだろう!
生きていてよかった。もう死んでもいい。
しかし一刀様に今一度御口付けを賜れるなら生きていたい。
ああ、私は女だ。
司馬の娘でもなく、魏の臣でもなく、只の女だ。
ようやく、私は女になったのだ。
8月22日
久々に良い気分で酒が飲めると思ったのに、
『「女になった」とか一刀様に処女破ってもらってから言いなさいよ。ずぶっと』
と薄ら笑いで仰る子廉様は余りに手厳しいのではないだろうかと思ったが、
子丹御嬢様も『葵(子廉様の真名だ)様も下品な手つきはおやめになった方が』と仰るだけで、子孝様も否定してくれなかった。
癪ではあったのでそう言う子廉様は一刀様とどうなんですかと返すと、あ、私?ふふんと得意げに鼻を鳴らしたところで子孝様が『曹洪の洪の字は洪水の洪~』と呟き、満面朱に染めた子廉様が馬超とは違うのよあたしのはぁ!と叫んで暴れだされた。
何がどう違うのか、誰に聞いても教えてくれないのは何故なのだろうか。
8月24日
地方文官向け勉強会が無事行われ、事務局としてはなによりだ。
一刀様の御講義も行われ、今回、幸いにも一刀様の薫陶を受けた者達は今後一層民と一刀様の為に尽くしてほしい。
ところで今回公達様から御指示頂いた御講義会場は部屋に布団を敷き詰め、特に席を定めないという見たこともない形式であった。
一刀様に教えて頂いた、天の国の『寝間着宴会』というものを参考にしたとの事だ。
今回の勉強会の出席者達からの感想・意見を纏めて公達様に報告しなくてはならないが一刀様の御講義・懇親会についてのものばかりだ。
一刀様をお慕い申し上げるのはよい事だが仕事もしろと言いたくなってしまう。
御講義の所感を一刀様にお伺いした所、一人非常に優秀な娘が居た、質問内容があたかも天の国を見たことがあるかのようだったとのことだ。
姓名は不明で懇親会は辞退しており、士季と年のころが近いようだったが身なりは貧しくまたどもりがちで、典農の部署の冠をつけていたと言う。
容姿に惑わされず人物を見抜く一刀様の慧眼に改めて感服した。
またこのような効用は想定しておらず、予め一刀様に受講者名簿をお渡ししておけば良かったと後悔した。
8月28日
子丹御嬢様のご紹介で、久方ぶりに袁術殿とお会いした。
呉では急成長することを『呉下の阿蒙』というらしいが、あまりの変貌ぶりに非常に驚かされた。
以前お会いしたときは駄々をこねる童のようだったが言葉遣いや立ち居振る舞いがすっかり淑女のそれになり、背も伸び体つきもふっくらとしていた。
両袁家はいずれも英雄の器量でないと思っていたが、元々の素質はあったのではと思わせられる。
それに士季の時も思ったが後生畏るべしだ、私も精進に励まねば容易に抜き去られてしまうだろう。
官吏としても女としても。
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その後の、とある文官の日記です。