鉄筋コンクリートの階段を下りれば、ワインレッド色の扉がある。
CLOSEと書かれたプラスチックの札がぶら下がっているが、ルパンは構わず扉を開けた。
カウンターを布巾で拭いている背中の開いたドレスを身に纏った女が、音に気付いて振り返った。
「ルパン、次元。いらっしゃい」
にこやかな笑顔を浮かべて出迎える彼女が、茜だ。
ルパンが信頼している情報屋の一人でもある。不二子から紹介され知り合った経由があり、付き合いから言えば不二子のほうが長い。
「よぉ。連絡つけたいって聞いて、来ちゃった」
「ありがとう。ちょっと待っててね。ふーちゃんもこれから来るの」
ふーちゃんとは、峰不二子のことである。彼女のことを可愛らしい愛称で呼ぶのは、茜だけである。
「茜のお話は不二子ちゃんが来てからってことかな?」
「うん」
「じゃあ、ちょっと聞きたいことがあるから、俺の話をしてもいいかな?」
「話?」
「そう。茜は、ヴィッラーニの銃を持ってなかったかな?」
「……持ってたけど、でも、あれって正確にはヴィッラーニの銃ではない、っていうのは分かって聞いてるのね?」
「ああ。茜が持っていたのはヴィッラーニの商品じゃない。ヴィッラーニがヴィッラーニになる前に製造された幻の銃。今のヴィッラーニはシルバーカラーの小拳銃しか造っていない。だが、たった一丁だけ、黒い拳銃が存在する」
「それを、茜が持ってたってことか?」
「そういうこと」
「……ルパン。あなた、今、何を狙っているの?」
「ヴィッラーニ財閥」
茜は眉根を寄せてカウンター席に座った。
「あなたらしくない」
「そうか?」
「ヴィッラーニはあなた好みの宝なんか持ってない。持ってるのは、裏社会を牛耳るための情報と武装。彼らが生み出すのは金よりも死体のほうが多い」
「そうも言ってられない事情が出来ちまってね」
「どういうこと?」
「俺の偽者が現れたのは知っているか?」
「……ええ」
「そいつがな、驚いたことに茜の銃を持っていたんだ」
「あの、銃を?」
「ああ。茜が肌身離さず、不二子にも持たせなかったあの銃だ」
ルパンは煙草を一本取り出した。次元が隣からライターで火をつける。
「サンキュ。でな、茜に聞きたいんだ。あの銃は、一丁しかないんだよな?」
「たった一つしかないわ」
「それが何で偽者の手にあるのか。俺はそれが知りたいんだ」
「おい、待てよ、ルパン。それは茜がヴィッラーニに協力しているって言いてえのか?」
「その可能性はある」
紫煙を吐きだし、煙でぼやけた視界でルパンは茜を見つめる。
「教えてくれ、茜」
茜は唇を噛みしめて、ルパンを睨んだ。
「馬鹿言わないで。今の私はヴィッラーニと対立している男の女よ? その私がヴィッラーニと協力している?」
「裏切りは女のアクセサリーみたいなもんだろ」
「ふーちゃんにはアクセサリーだけど、私はそんなアクセサリーしません」
ぷいっと顔を逸らす。横目で睨んでくる茜は絶対零度の冷たさだった。
「ルパン」
次元は声を低くした。次元はなんだかんだで、ルパン達よりも年下の茜のことを妹のように思っている。そのことはルパンも知っていた。
「それに、あの銃はあげたのよ」
「あげた?」
「ええ。でも、死んじゃったけど」
「……誰にあげたんだ?」
茜は顔を俯け、口を閉ざした。微かに肩が震えている。
「茜」
「……私の息子に、あげたの。生きて欲しいからあげたの。でも、死んじゃったの」
「息子って」
後の言葉を次元が継いだ。
「覚えてない? そうね、十年以上も経ってるし」
「覚えてるぜ。慶介だろ? 俺と名前似てるし、よく懐いてくれた」
「うん。あの子、次元さんいつ来るの? って毎日聞いてきたのよ」
「俺はぁ?」
ルパンが指差して主張する。
「心配しなくても、慶介はルパンのことも大好きだったのよ?」
「いやぁ、そう言われると、照れちゃうなぁ」
「やれやれ。それで、茜、慶介は何故死んだ?」
「……それは、これから話すことに繋がってるの。だから、ふーちゃんが来るのを待ってくれないかしら?」
「オーケー、わかったよ」
ルパンは茜に優しく。次元とルパンは顔を見合わせ、こしょこしょと小声で会話をする。
「そのルパンの偽者が、慶介にあげた銃を持っていたってことは、そいつが慶介を……」
「いや、まだわからねえ。そこは本人に聞こうぜ」
「そうだな」
「あたま……いてぇ……」
喉から零れたうめき声は何とか、弱音として外に零れてくれた。
苦しいことは吐きださなければ解消出来ない。
ぼうっとしている。思考はよく回っていないようだ。
腹が熱い。それはそうだ。銃弾を何発か貰ったのだから。銃弾は腹を貫いた。体の中には銃弾はない。応急処置はされているから、失血で死ぬこともないだろう。当たり所も悪くない。
大丈夫だ。まだ、死なない。
くすり。思わず笑みが零れた。
「あのまま死んでもよかったんじゃねえの?」
殺して欲しいのかと問われた時、わからないと答えた。
本当のことはどうなのだろう。
死にたいは死にたいけれど、死ぬに死にきれないのが実際のところだ。
「い、てててて……」
後部座席に凭れかけながら、何とか上体を起こす。頭がぐらぐらして気持ち悪い。息もあがっている。
「……あいつら、大丈夫かな」
脳裏に浮かべるのは、ソンとリュン。
両手にかけられた手錠を外して、フェイクは懐から端末を取り出した。
携帯電話の形を模しているが、携帯電話以上の高機能を持っている。
「……ソンとリュンの登録番号はっと」
ピッ、ピッと端末を操作し、あらかじめ登録しておいた発信機の番号を表示させ、アプリを起動させる。
画面に地図が表示され、赤いシンボルが点滅している。
「……えーと、ありゃ? リュン、近くにいねえか、これ?」
ソンのシンボルは動いていない。ソンのシンボルが位置している場所はホテルだ。マフィア御用達の。
「……嫌な予感しかしねえ……」
リュンの方に。
ソンがいるホテルは、ヴィッラーニと対立しているドゥランテファミリーが経営するホテルだ。日本支部の事務所としても使われている。
「うーん」
ここで大人しくしているか。リュンの方に行くか。そのどちらかだが、フェイクの中で優先順位は決まっている。
「あー、ルパンの振りして会えばいっか」
ルパンはかわいい女の子大好きだし。リュンは可愛いし。でも、ルパンがリュンを軟派しようとしたら断固阻止しよう。
「よし」
決まったら、行動だ。
車から降りて、もう一度フェイクは端末を確認する。
「ん?」
むしろ、すぐそこにいる位置。
顔をあげると、リュンがいた。
「あ」
「た、助けてください!」
抱きつかれた。
「え」
急なことで、抱きつかれた勢いのまま車体に押しつけられた。
リュンの柔らかな胸が腹にあたる。
ち、違う意味で死にそう……!
フェイクは心の中で悲鳴を上げた。
「追われてるんです!」
必死な表情をするリュンの目は、濡れていた。
「ああ、任しときな」
リュンが安心できるように、フェイクはルパンのように笑い掛ける。
「さあ、乗るんだ」
リュンを助手席に座らせると、フェイクは運転席に乗り込む。鍵はないが、作ればいい。
素早く特別仕様の粘土を鍵穴に差し込み、スプレーをシュッとひとふきすれば出来あがり。
出来あがった鍵を差し込み、回す。
ブォォォンとエンジンが掛かった。
「お嬢さん、どこまで?」
「新宿ドゥランテホテルに行ってください」
「了解。シートベルト締めてね」
「え、あ、はい」
シートベルトをしたのを確認してから、フェイクはギアチェンジして、アクセルを強く踏み抜く。
後ろには、黒い車が数台。ヴィッラーニのロゴが入っている。
「じゃあ、行くぜ」
ハンドルを切って、車を大きくドリフトさせる。
いきなりの動きに対処しかねた車は大きく避けて、対向車とぶつかった。
「安全運転!」
「ほいほーいっと」
車を進行方向に戻して、前進。
運転不可能になった車を鏡越しで確認して、舌を出す。ざまあみやがれ。
「さて、お嬢さんの名前は?」
「リュン・ドゥランテです」
「ははぁ。ドゥランテファミリーのお嬢さんというわけだ」
「……私のこと、知ってるんですか?」
「そりゃあもう知ってますよ。リュン・ドゥランテ。ドゥランテファミリーのボスであるアルフォンソ・ドゥランテの兄の一人娘。しかし、父親は四年前、何者かに殺害される。以降、弟のアルフォンソの保護下に入る。しかし、その翌年、義兄であるソン・ドゥランテと共に行方をくらます……」
「何者?」
「可愛いお嬢さんが持つようなものじゃねえぜ?」
リュンの手にはデリンジャーが握られていた。小柄な彼女には扱いやすい小型拳銃。
「黙って」
「……俺は、ルパン三世」
「ルパン? あの、泥棒の?」
「そう。あの、泥棒の」
「うそつき」
「嘘?」
「嘘は泥棒の始まりよ」
「ふふ、ぬふふふ、俺は、泥棒だぜ、お嬢さん」
「そうね。あなたは泥棒。でも、本当のルパンじゃない」
「……」
「黙るってことは、やっぱりね」
「……いつから気付いていた?」
「ほら、すぐ諦める。私やソンお兄ちゃんに対して、ルパンの振りをしてもすぐにわかるのは、ルパン三世を演じ切らないからよ」
「いやー、だってなー」
「ルパンになるつもりはないんでしょ」
「そうだなあ」
「……聞かないの?」
「何がだ、リュン」
「あなただって気付いているのに、拳銃を下ろさないことを」
「それなら、俺も聞きたいな。どうして、今なんだ?」
「……」
「チャンスならいくらでもあった」
「あなたの大切な人になるため、待ったの」
「そうか」
「…………なんで?」
「ん?」
「なんで、そんな、優しく笑うのっ?」
フェイクは、微笑んだまま、緩くブレーキを踏む。
「着いたよ、リュン」
「答えなさい、RED FAKER!」
フェイクはシートベルトを外して、深く席に凭れかかった。
「撃てよ」
リュンが息を飲む音が聞こえた。
顔をリュンの方に向けて、額に向けるデリンジャーを掴んでいるリュンの細い手首を掴んだ。
「こうすれば外れない」
目尻に溜まった涙が、キラキラと輝いている。
「俺を、ずっと殺したかったんだろ?」
「……こんなんじゃ、意味、ない……」
「ん?」
「……こんなの、意味ないもんっ。お兄ちゃんは私を傷つけたのに、お兄ちゃん傷つかないじゃない! 私のこと裏切り者なんて言わないじゃない、信じてたのにって絶望しないじゃない!」
リュンは泣き叫び、手首を掴むフェイクの手を振り払った。
「嫌い、大っ嫌い! お兄ちゃんなんか、嫌い嫌い大っ嫌い!」
「リュン」
リュンの頬に触れようと手を伸ばす。
「触らないで!」
その手も打ち払われた。フェイクは何も言わず、力づくでリュンの手首を取って、抱きしめた。
「リュン」
「離してよっ」
「……生きてくれて、ありがとう」
「っ」
「リュン、俺のことは……」
フェイクの言葉は続かなかった。
助手席の窓を叩く男がいた。
「ご、五エ門さん!」
フェイクはリュンを抱き寄せる。その瞬間、車は真っ二つになっていた。
「わお」
「彼女を離せ」
「……なーるほど。五エ門は護衛ってことか」
「ルパンっ? お主は茜殿のところでは」
「……いや、あの、人違いです」
「なにっ? 顔も声もルパンそのものなのにかっ」
「はいはい、リュン返しますね~」
よっこらせと掛け声をつけて立ち上がったフェイクは、まじまじとフェイクを見つめる五エ門の胸にリュンを押しつける。
「さて、用心棒さん。とりあえず、俺、ここのボスを殺しにきたんだけど」
「えっ」
「なにっ?」
目を丸くしてフェイクを見上げるリュン。
刀に手を掛ける五エ門。
フェイクは、唇の端を吊りあげた。
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ルパンと次元は、顔なじみの茜の元へ。
茜は、ヴィッラーニの拳銃を確かに持っていた。しかし、拳銃は死んだ息子にあげたという。その拳銃を偽者のルパン――フェイクが持っていた。それが意味するのは……。
一方、フェイクは妹分のリュンを車に乗せて追手から逃走。しかし、リュンはフェイクに銃を向けるのだった。