No.348025

ルパン三世~RED FAKER~ 第一話

記憶を失い、ルパン三世になるか、死ぬかという選択肢の狭間で苦悩する主人公。
唯一心許せるのは、同じく男に捕らえられた兄妹のみ。
そして、とうとう、「本物」のルパン三世に成り変わる実行の時が来た……。

主人公は、どの道を選ぶのか……。

2011-12-16 09:00:12 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1985   閲覧ユーザー数:1984

 

 

 

「起きろ」

「っ」

 声にならない。喉の奥で引き絞られた悲鳴が、呼吸を止める。

 冷水をかけられて、体がガタガタと震えている。

 さ、寒い。

「な、なにしやがる! 風邪引いたらてめえの責任だぜ、ソン!」

「喚くんじゃねえよ。ボスがお呼びだ」

「だからって冷水かけんじゃねえ!」

「気絶した軟弱者が吠えるんじゃねえ」

「やりすぎなんだ、てめえは! 加減できねえへたくそが! 死ね!」

 歯がガチガチとなっている。寒い。震えが止まらない。何とか立ち上がって、駆け足で訓練場から出て、シャワールームに掛け込む。

 熱湯を頭から被り、体中に出来た生傷に沁みて行くのをぐっとこらえる。

 奥歯を噛みしめて、左手首を見る。生々しい自殺未遂の痕。

 俺は、俺だ。ルパン三世じゃない。

 心の中で強く否定してから、小さく口の中で繰り返す。

「俺はルパン三世。俺はルパン三世。俺はルパン三世」

 でも、俺は、ルパン三世じゃない。

 シャワーのコックをひねって、お湯を止める。

 脱衣所から出れば、着替えはとっくのとうに用意されている。いつも通りのルパン三世スタイル。赤いジャケット。黒いワイシャツに黄色いネクタイ。濃いグレーのスラックス。

 ネクタイだけはスラックスのポケットに押し込んで、待ち人のもとへ急ぐ。

 ドアは二回ノックして開ける。そういう約束だ。一度だけでいいから、この扉に鉛玉をぶちこみたい。

「仕事かい?」

「ああ、そうだ」

「今回は何を盗めばいいんだ?」

「盗みじゃない」

 殺しかよ。

「ルパン三世は殺しをしない」

「いいや、するさ。私に従うルパン三世なら、ね」

「……」

「喜んでくれ、ルパン。君が、本物のルパン三世になるための、第一歩だ」

「……え?」

「君は経験を積んだ。どのスキルも素晴らしく、私が求めるルパン三世に辿りついた。おめでとう」

「……はっ。それはどうも。で、とうとう偽物を殺すのか?」

「いいや、偽物は最後だ」

 男は、とても楽しそうだ。

「最初のターゲットは、次元大介。君の、いや、君の偽物の相棒だ」

「……次元大介を殺すなんざ、不可能だ」

「不可能を可能にするのは、楽しいだろう?」

 拒むことは許されない。今までの経験で学んだ。殺せと言われれば殺して、盗めと言われれば盗む。

 いわば、操り人形だ。

「そうだな。楽しいな」

「部屋で待機しててくれ」

「わかった」

 身を翻して、部屋を出ようとドアを開けた。

「ネクタイは締めなさい」

「わかってる」

 ドアを締める。これ以上、あの男と会話をしたくない。

 廊下に出て、溜息をつく。とうとう来た。

 ルパン三世であることを強要されてから、三年が経っていた。最初の一年は、ありとあらゆるテストを受け続けた。それから今までの二年間、ありとあらゆる宝を盗み、命令されるがままに殺しもした。その度に、空虚が増えた。

 そろそろ限界だった。

 生きようと思う気持ちはズタズタにされた。俺が俺であることを、ことごとく否定される、拒まれる。

 だから、今もネクタイを締めないでいる。仕事を行く時には、無理矢理ネクタイを締められるけれど。

 死にたい。なんて、思いたくない。けれど、死にたい。

「おい、ルパン」

「……」

 ソンだ。

 顔を俯けて、沈黙を返した。

「あー……」

 ソンは重く溜息をついた。

「悪かった。飯、まだだろ。一緒に食おう」

「……リュンは?」

「リュンもだ」

「行こうぜ」

「おう」

 ソンとリュンはどこかから連れて来られた孤児の兄妹だった。ソンは十も年下の妹を守るために、マフィアの下で働いていた。しかし、そのマフィアは抗争で敗れ、居場所を失ったソンとリュンは、あの男に拾われて屋敷に住むようになった。それと同時に、ソンとリュンは俺の仲間であり世話人だ。

 俺が、唯一心を許せる相手でもある。それ以外の屋敷の連中は、性に合わない。

 リュンがいる調理室に入ると、目ざとくリュンが俺達を見つけた。

「あ、お兄ちゃんたち!」

「ただいま」

「お邪魔します」

 ぴょんぴょんと元気よく飛び跳ねて抱きついてくる少女の体を抱きとめる。

 顔をあげたリュンは青い瞳で俺を見つめる。その瞳は、海のようにも、空のようでもあった。

「もう、お兄ちゃんもお兄ちゃんなんだから! お邪魔しますじゃなくて、ただいまなんだからね?」

「そうか?」

「そうなの。もう、ソンお兄ちゃんからも言ってよ」

「小言は後にしてくれ。俺達お腹減った」

「はいはい」

 リュンはソンにパイプ椅子二つを押しつけると、てきぱきと調理台に皿を乗せた。

 豚の生姜焼き。ネギとワカメと味噌汁。ほかほかと湯気を立てているごはん。

 俺の前には、おかゆが置かれた。

「ありがとう、リュン」

「いいのよ」

 れんげでおかゆを掬って、ふーふーと息を吹きつけてから一口。うまい。

「おいしいよ、リュン」

 俺が笑顔でいられるのは、この兄妹のおかげだ。

 腹を満たした後は、ソンと庭で煙草を飲むのが習慣になっている。あの男もそれはわかっているようで、この時間で呼びだされることは一度もない。それでも、監視はついている。

「おまえ、煙草吸わねえのか」

「うん」

「……また、ボスに注意されるぞ」

「少しくらいならいいだろ」

「……煙草を吸う。話し方。細かいことで注意されるなんて、溜まったもんじゃねえな」

「俺は、ルパン三世だからな」

「そうか」

「……うん」

 小さく頷いて、俺はしゃがむ。膝を抱えて、夜風に揺れる木の葉が擦れる音に耳を澄ます。

「……ソン」

「なんだ」

「俺、とうとう本物になるかもよ」

「……殺すのか」

「最後に回すんだと。ルパン三世は」

「……マジか」

「うん。最初は次元大介だって。しょっぱなからハードル高いっつーの」

「お前なら、出来るよ」

「……うん。嬉しくない」

「だよなぁ」

「うん」

 沈黙がたゆたう。

 ここは深海のように、静かだ。目を閉じれば、もう二度と起きることはない。そんな錯覚をするほどに、静かだ。

「俺が」

「え?」

 唐突に、ソンが口を開いた。

「俺が、代わりに次元を殺そうか?」

「ば、馬鹿言うな! お前はもう殺しをやめてるんだろう!? 俺が、本物になれば、お前達は解放されるんだ! ……待ってろよ。もうすぐだから」

「不眠症で神経性胃炎で味覚障害で寂しがり屋の、自己犠牲精神野郎が何言ってんだ」

「っ、な、なんで味覚障害のこと知ってるんだよ!」

「ドクターから聞いた。俺達と一緒にじゃないと食べねえのは、俺達以外には安心できねえからだろ?」

「……あんにゃろう」

「ドクターも、お前には同情的なんだ。あの人も外から来たし」

「だから? あいつもあの男の協力者だ。信用できねえ」

「それ言ったら、俺も、お前も、リュンも協力者だ」

「お前達は違うっ」

「……そうだな。俺達は、お前に対する人質だからな」

 人質。あの男は、本当に頭が良くて、俺を追い詰めるのが上手い。

 俺一人であり続けたならば、いずれ俺は絶望して舌を噛み切って死んだだろう。けれど、あの男は、ソンとリュンの兄妹を、俺と出会わせた。何の屈託もなく懐いてくるリュン。同じ目をしたソンの存在と、ソンの言葉は何よりも、俺の柔らかいところを刺激した。

 温もりに飢えていた俺には、効果絶大だった。

 俺は、ソンとリュンを連れて脱走を計画しはじめたのは、半年前。だが、失敗に終わった。

 男は先読みをしていた。リュンのネックレスには爆弾が仕掛けられ、ソンは妹と俺の板挟みの末、俺が屋敷に留まらせることを選んだ。

「ソン」

「あ?」

 俺は、決めた。だから、決めた。

「リュンと、幸せにな」

「……何言ってんだよ……ルパン」

 ソンは、俺の本当の名前を知らない。

 だから、俺の名前を呼びたくても、ルパンと呼ぶしかない。

「最期みたいなこと、言うんじゃねえよ」

「ソン」

 俺は、ソンの襟元を掴む。乱暴に。これから殴りかかると云う風に。

 顔を近づけて、耳元に囁く。

「俺の銃を預ける。明日の夕方四時に騒ぎが起きる。その時に屋敷のセキュリティーは破壊される。リュンのアクセサリーはすり替えてある。逃げるのなら、明日だ」

「おまえ……っ!」

「自由になってくれ、俺の分まで。兄さん」

「この、ばかっ……!」

「誰が馬鹿だ、てめえ!」

 容赦なく、俺は、ソンの左頬に右ストレートを放った。

 芝生に倒れこむ長身を見下ろす。

「今まで我慢してきたが、てめえら兄妹にはうんざりだ。どうせ俺のことを嘲笑ってるんだろう? ルパン三世になれやしないと思ってるんだろう? くく、俺が本物になったその時は、一番にお前達を殺してやる」

 咳き込むソンの襟元を掴みあげ、顎を上向かせる。

 見開いた目。

 最悪の別れで、ごめん。

 冷酷に見えるよう、目を細めて、唇の端を吊りあげる。嫌な笑いだと、リュンに不評の笑い方だ。

「首長くして、待ってな」

 明日を。

 倒れ込んだままのソンに背を向けて、俺は部屋に戻る。 

 殴られるかもと思ったが、ソンは何もしてこなかった。頭が真っ白になったのかもしれない。明日になるには、まだ時間がある。

 きっと、リュンを連れて逃げてくれるはずだ。

 それまでの今日だ。あの男から吸収したスキルをフル活用した下準備だ。失敗したら、化けて出てやる。

 でも、ソンなら大丈夫だ。俺より、ずっとすごいんだから。何度も危ないところを、男に気付かれないように助けてくれた。ひょっとしたら、俺なんかより、ルパン三世になれる素質があるかもしれない。

 廊下の窓から、綺麗な満月が見える。

 俺は足を止めて、祈るように、縋るように、手を組んだ。

 お願いします、と。誰に祈っているのかわからない。けれど、願わずにはいられない。

 ソンとリュンが無事に逃げられますように。自由になれますように。幸せに、笑顔で明日の明日を過ごせますように。

「……ルパン三世に、なれますよーに……」

 

 

 


 
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