プロローグ
「おはよう、ルパン三世」
声がした。意識が覚醒して、初めて耳にしたのは、しゃがれた低い声。
誰だ?
うっすらと瞼を開ければ、眩しいライトがあたった。咄嗟に目をきつく閉じる。
「目を開けたまえ、ルパン三世」
ルパン?
「そうだよ、君は、ルパン三世だ」
「違う」
俺がルパン三世? そんな寝言は寝て言え。いや、今の俺は夢を見ているのかもしれない。そうだ。そうに決まっている。
ぎゅっと瞼を閉じる。決して開けないぞ、と堅く手を握りしめる。
「残念ながら、これは夢じゃない」
額に冷たい硬い感触。ぞわりと肌が粟立った。
「君に用意された選択肢は二つ。一つは、目を開けて私の言葉にイエスと頷くこと。もう一つは」
ガチリ。嫌な音だ。映画でよく聞く拳銃の撃鉄が起きる音にそっくりだ。
「このまま、永遠に夢を見ることだ」
額にあたっている硬いものが、ぐりぐりとそのまま穴を開けるように強く押される。あまりの痛さに目を開けてしまった。
舌打ちしたい。でも、死にたくはない。
「おはよう、ルパン三世」
「……」
奥歯を噛みしめる。相手は、イエスという言葉を待っている。そう言わなければ、俺は、殺される。
「返事は?」
くそ。俺が何したっていうんだ。
「……ああ」
「君の名前は?」
「……ルパン三世」
「その通りだ!」
男は哄笑する。天井にあるライト。手術台に横たわる俺。眩しくて、目が痛い。
どうして俺はここにいるんだろう。
どうして俺はルパン三世だと頷くように言われているのだろう。
どうしてこの男は笑っているのだろう。
「さあ、ルパン。服を用意している。着替えたまえ」
「……」
もう、何も考えたくもない。
用意されている服を見る。
黄色いネクタイ。黒いワイシャツに、黒いスラックス。ぴかぴかに磨かれた茶色の革靴に、炎のような、血のような、赤いジャケット。
いつかのテレビで見た、かの有名なルパン三世が着ていた服と同じものだ。
前髪にかかる髪がうざい。まさか、この服に着替えたら、髪までルパン三世そっくりにセットされるのだろうか。
ぞわりと寒気がした。
「あんたは、俺に何をさせる気なんだ?」
口ひげを蓄えた上品な顔をした男は、笑みを浮かべた。モノクル越しの目は虚ろだというのに、もう一方の目は爛々と輝いている。
「ふふっ。ルパン。君には、ルパン三世を殺して貰いたい」
この男の言葉は、荒唐無稽だ。
これ以上の会話を続けたくない。
「本物を殺せるわけがない」
「いいや、君が、本物だ」
本物。
何を言うんだ。この男は狂っている。
俺は、ルパン三世じゃない。
俺は……。
俺は?
「……あんた、俺に、何をしたんだ……!」
思い出せない。
俺の名前。俺の誕生日、血液型、星座。俺の家族。俺の家。
うっすらと霧がかかっている。思い出せそうで、思い出せない。このもどかしさ。心臓が痛い。どくん、どくんと強く動く。
「ふふっ、ははっ、何を言っているんだね、ルパン三世」
「俺に何をしやがった! 答えろ!」
男の襟元を掴みあげる。男の目がよく見える。男がモノクルをしている右目。これは義眼だ。
「選ばれたのだよ、君は。ルパン三世になるために」
これは、夢だ。
夢なんだ。
どうして、目を開けたんだ。あのまま、ずっと、夢を見ていればよかった。
でも、死にたくなかった。死にたくなかった……。
力が抜ける。
この男は、恐ろしい。狂っている。
足を動かす。この男から離れよう。ここに居てはいけない。
「さあ、ルパン。衣装に着替えたまえ。君が、ルパンになるために」
視界に拳銃がちらつく。
死にたくないだろう? と、銃口が囁く。
震える手で、黒のワイシャツを手に取る。羽織って、袖を通して、ボタンを留める。スラックスを履いて、ベルトを締める。
ネクタイを襟に通して、何とか結ぶ。ネクタイを結んだことがあったのか。ないんだろう。わからなくて、無茶苦茶な結び目になった。
余計に泣きたくなった。
乱暴に結び目を解いて、赤いジャケットを羽織る。ネクタイはスラックスのポケットに押し込んだ。
「ネクタイの結び方は覚えなさい」
「……ああ」
「部屋に案内しよう」
拳銃を奪って、米神に弾を撃ち込めば……。
そんなこと、出来やしないけど。
みじめだな。心の中で嗤って、男のあとをついて行く。
目を閉じて、問いかける。
俺は、ルパン三世か? いいや、違う。俺は、ルパン三世じゃない。
それだけは、強く自分の中で響いた。
記憶もない状態で何を信じればいいのかわからない。けれど、これだけは自分の中で「本当」のことだ。これだけは、信じよう。これだけを信じて、生きよう。
そして、記憶を取り戻して、この男の下から逃げだしてやる。
「では、また夕食の時に」
男に案内された部屋は、簡素な造りをしていた。
ベッドに、ライトがある机、ソファ、本棚。生活感のないモデルルームのようだ。
部屋の中を探索してみれば、台所はないがトイレと風呂があった。
あの男は夕食と言っていた。食事以外の時はここで過ごせることだろうか。そう願おう。
「……え、待てよ」
独り言が多くなるのはしょうがない。少し虚しいけれど。
「これからずっと、俺はここで暮らすってことか……?」
独り言はいい。ただ、もっとずっと虚しくなることに気付いてしまった。
「……モデルルームとか、テレビで見たことのあるルパン三世だとか、昨日の天気は覚えてるのに」
俺が何歳なのか、俺の名前だとか、俺は昨日どこで何をしていたのかとか。
「覚えてないんだな……」
本当に、ルパン三世にされるんだろうか。
長い前髪。切ったほうが良いだろう。睫毛と擦れて、目が痒い。
「切りたくないなぁ……」
俺は、ルパン三世じゃないんだから。
風呂場の脱衣所に入る。大きな鏡が、俺を映す。真っ黒な髪。長い前髪はほとんど目を覆っている。何より、ルパン三世の特徴でもあるもみあげがない。
「あの男の様子だと、髪も変えられるだろうなあ」
……。
ふと、視界にかみそりが目に入った。もしも、顔を傷つければ用無しになるんじゃないんだろうか。利き手が使い物にならなければ、お役御免になるんじゃないんだろうか。
ぴたりと手が止まる。
「……俺に用意された選択肢は二つ」
ルパン三世であることを肯定するか。拒んで殺されるか。
つまり、ここでルパン三世であることを拒めば、待っているのは死?
いや、ただの推測だ。けれど、あの男は読めない。
「それに、親に貰った体だ。傷つけちゃ……」
ふと左手首を見た。そこには、痕があった。何か鋭利な刃物でずたずたに切り裂いた痕。
「…………なにやってんの、俺」
死にたかったのか? 俺は。
どうして? 今の俺は、死にたくないと思っているのに。
記憶がないから? 記憶がないから、死にたくないと思っているのか? 本当は、死にたかった?
いや、この傷はもう痕だ。かなり前だろう。
それでも、心に引っかかる。
ズレを感じる。
今の俺と、過去の俺。
「……」
ベッドの上に腰かける。膝を抱えて体育座りをして、考え込む。
俺のこと。男のこと。今の状況。これからどうするのか。
男が呼びに来るまでの間、時間はたっぷりとある。正直、考えたくない。けれど、手首の傷を見てしまった。
俺の中にある「死にたくない」という気持ち。ルパン三世じゃないと強く思っているのも、死にたくないっていうのと繋がっているような気がする。
俺は一体何なのか。男は一体何なのか。それがわからなきゃ、始まらない。
男は俺がなんであるのかを知っているはずだ。
ひとまず、男に従順でいよう。
左手首を強く掴む。
忘れない。一度は死のうとした俺を。そして、死にたくないと思う今の俺を。
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ルパン三世 二次創作
オリジナルキャラクターが主人公の長編シリアスです。
全年齢・一般向け。
刹那ですが、「小説家になろう」に掲載していましたが、そちらは削除しました。テヘペロ