ぽつり、ぽつりと一粒毎に地面を濃い色に染める
「雨か。急がないと……」
竹の皮で編まれた笠のつばから空を見上げ、茜色の瞳を僅かに曇らせ少女は呟くと
「見えた。雲南……」
次第に強くなる雨足、土埃で
ざあざあざあざあ、ど、どどどどどどどどどどど
いよいよ強さを増し、まるで滝のように降り出した雨に背中を押されるように少女は街へと走る。
「……お前の……させない」
噛み締めた唇から
なんと言うか無謀な三人組の襲撃から五日。心配していた賊の襲撃はそれからは無く、無事に雲南の街に俺達は到着した……
「と思ってたけどひどい雨だよ!?」
「うむ、これは堪らんな。急ぎましょう藩臨殿」
「オウ。 ……陳! ちょいと揺れるぞ、我慢しろ! 北坊、
「はいっ!」
言うや否や、おやっさんが馬車の後ろを持ち上げる。車輪が上がると俺はすぐに車輪の下とぬかるんだ進路に莚を何枚か敷いていく。
「……っしゃっ!」
掛け声とは裏腹に、静かに地に下ろされた車輪は辛うじて悪路を踏破し前に進む。ふぅ、なんとかなった。
「いやはや、南方は天気が変わりやすいとは聞いていましたが、思った以上に凄い雨ですな」
「ハッハッハ! 嬢ちゃんはこっちは初めてか。コレでもまだ大人しい方だぞ?」
「おやっさんから聞かされてたけど、ホントにここまでひどいとは……」
城門をくぐってすぐに陳さんは宿をとり、濡れ鼠になった俺達はめいめい着替えて今は宿の一階にある食堂に集まっていた。
街にあと一刻(約十五分)もすれば着く、といった所でいきなりのスコールに見舞われ、あっという間にずぶ濡れである。
手拭いで拭いたとは言えかなり冷えた体にはあったかいご飯と
ちなみに陳さん達は半刻ほど前に雨足が弱まると、すぐに支度をして出て行った。
着いて行かなくてもいいのかな? と思い尋ねると「街の中ではゆっくり休んでいて下さい」と返されたのでありがたく休憩を取らせて貰っている。
「さて、じゃあ俺も出かけてくるわ」
外を見ていたおやっさんは雨が小雨になり、僅かに日が差してくるのを見ると立ち上がった。
「あれ? ……ああ、確かここには知り合いがいるんでしたっけ」
「オウ、まあ、挨拶がてらな。今日はもう仕事は無いだろうから、お前らも好きにしとけ」
じゃあな、と手を振りながらおやっさんは宿から出て行った。
「ふぅ~」
久しぶりにまともなご飯だったのでお腹一杯食べて、食後の一杯(白湯だけど)を飲み終わると自然と溜息が出てきた。
向かいの子龍は静かに湯飲みを傾けているが、先程よりも表情が柔らかくなっているのが分かる。
「いや、一息つけたな。北郷よ、この後はどうする? 街に出てみるか?」
外に目を向けると雨は上がっていた。雲が晴れ切れ間から陽光が差し込んでいる。
「そうしよう。せっかく来たんだし、色々と見て回りたいな」
「決まりだな」
頷き合い、席を立つ俺と子龍。まだ陽は高いし、ゆっくりと街を見て回れそうだ。
街並みはやや疎らに家が建っていて、やたらと道が細かったり広かったりしていた。
市場は先程の雨のせいであまり人はいない。軒先では店の人達が野菜や果物などの商品を
街のあちらこちらには交趾にもあった
だが、それよりも目を引いたのは……
「ふむ、なにやら随分な人だかりのようだが?」
街の東、子龍が見つめるその一角には荷車に荷を積んだままその傍に座り込んでいるお年寄りや、風呂敷包みを背負ったまま子供を抱いている女の人など、格好は様々だが総じて難民と見て取れる人だかりがあった。
……数は大まかに見ても百人は下らないだろう。丸太を四方に立てたものに布を張った仮設のテントが七つ、その下にそんな人達が身を寄せ合っている。
近くでは街中でも見掛けた警備兵の人達が大きめの鍋を片付けているところだった。
「これは、何があったんですか?」
近くにいた警備の人に尋ねてみる。
「ああ、この人達は三日ほど前に江州から逃げてきたんだ」
「それは何故ですかな?」
子龍が目をテントに向けたまま尋ねた。心なしか彼女の雰囲気が硬くなっているように感じる。
「劉焉に追い出されたのさ。江州を元々治めてた豪族がいたんだが、劉焉には反発していてな。それで殺されちまったんだ」
そこで一旦言葉を切ると警備の人はテントに辛そうに目を向けて、吐き捨てるようにこう続けた。
「劉焉の部下が江州に赴任してから、大規模な
不意にぎりっ、という音が耳に届く。……見なくても分かる、子龍だ。さっきも槍の柄を握り締めてた。
「若い男はほとんど兵に取られちまったらしい。見てみな、あんまり数がいないだろ?」
確かに。
「そういうこった。……今は急ぎで家を用意してるんだが、しばらくは辛抱してもらうしかないのさ……畜生め!」
遣る瀬無いのだろう。喋りながら感情が
(……噂は本当だった。尾ひれがついているかと思ったけど、劉焉のやっていることについては脚色なんか無い)
「ありがとうございます。お仕事の邪魔をしてすいませんでした」
頭を下げてその場を離れる。立ち去る俺達の背中に警備の人達の怒りと難民の人達の悲しみが伝わってくるようだった。
――いつの間にか辺りは夕日の色に染まっていた。その中を子龍と二人、無言で宿への帰途に着く。
「オウ、帰ったか」
扉をくぐるとおやっさんが席に着いていた。
他には奥に店主と、向こうの席に一人――こちらに背を向けているので顔は見えないがおそらく女性だろう――いるだけだ。
無言のまま二人で席に座る。おやっさんの顔を見ても言葉が出なかった。
「……その様子じゃ、お前等も見て来たのか」
「はい、前に交趾にも避難して来た人達がいたけど……ここでも」
子龍は喋らない、静かに
「北坊」
「はい?」
「俺が会いに行ってたのはここの太守だ。
「――は?」
「江州から人が流れてきてすぐに雲南に対して戦支度がされてるって話を聞いた」
「ちょちょちょ、お、おやっさん?」
「雍闓とは昔馴染みだ。俺は手を貸すことにした」
「だから! 話が急すぎて――」
「北坊、子龍の嬢ちゃん、あと七日もしないうちに戦が始まる。陳には戻るように言った。お前達も一緒に戻れ」
「ああもう、何でそう一方的に――」「お断り致す」
鋭い声。振り向くと子龍の目が見開かれていた。深紅の瞳に強い光が灯っている。
「私も共に戦います」
静かで、それで居てその声は不思議とよく響いた。
「嬢――」「やめて頂きたい」
「今はまだ修行の身とはいえ私は武人として生きている。また、そうありたいと思っている」
瞳はさらに輝きを増し、おやっさんに向けられていた。
「……フゥ」
「やれやれ、頑固というかなんと言うか――」
呆れた口調で言うおやっさんの顔は下を向いていたが。
「――いい目してるじゃねえか。俺の負けだ、すまなかったな子龍さんよ」
にやりと
「北郷」
来たか。
「お前はどうする?」
子龍の目は真っ直ぐに俺の目に合わせられている。少しの
「子龍」
努めて静かに口にしたつもりだったけれど自分でも驚くほどにその声は響いた。
「……あの人達を見て俺が何も感じなかったと思う?」
口にした事で、あの場所からここまで抑えていた感情が湧き上がってくるのを感じる。
……もし、あの場にいたのが俺一人だけだったら我慢できただろうか? あの男の人の激情に、難民の人達の悲しみに、飲まれなかっただろうか?
言葉に出さなくても子龍が先に限界を迎えそうなのが分かったから、俺はあの場では逆に冷静でいられたのだ。
「……怒りを感じたのが、子龍だけだったと思う?」
一言、また一言と口にする度に体の、胸の奥からめらめらと炎が燃え盛るような、そんな感覚。
……俺は恵まれているのだろう。いきなり知らない世界で目が覚めたが徳枢に見つけて貰え、その上生活できる場所や仕事まで貰えた。
威彦さんは優しくてとても気さくで、徳枢と同じく突拍子も無い俺の身の上話を笑うことなく親身になって聞いてくれて、学問や武術の稽古、この世界の情勢などについて詳しく教えてくれた。
おやっさんは慣れない肉体労働に四苦八苦していた俺に色々と仕事のコツを教えてくれたり、よく夕飯をご馳走になった。
城郭での作業で一緒に働くおっちゃん達、荒地を開拓するときに協力し合った他の州から流れ着いた人達、市場のたくましいおばちゃん達、いつも元気に遊びに誘ってくる子供達。
交趾で出会った人達と過ごす日々の全てが不安で一杯だった俺を助けてくれた。元の世界に帰る方法は未だに分からないままだが、交趾で暮らす日々はとても充実していて……。
この世界に来てまだ一年しか経っていないけれど、交趾は俺にとっては第二の故郷といえる場所になっていた。
だが勿論のこと、政治が乱れている今の時世で交趾だけが常に安全というわけでもなく。
……あれは今から三ヶ月前だが、街に押し寄せてきた賊の討伐でおやっさんに付いて参加したことがある。
尤も俺は怪我をした人を運んだり、
その戦いの後、少ないとはいえ兵士で亡くなった人達の中に、以前に一緒に働いたことのある人がいるのをおやっさんからの話で知った。
俺より三つ上で無口だけどさりげない気遣いの出来る人で、奥さんと五ヶ月前に産まれた男の子を大切にしていたのを覚えている。
後日、亡くなった人達の
そのことがあってから、俺は体が
多少の鍛錬ですぐに力が付く訳じゃない、よしんば付いたところで一人で戦が出来る訳でもない。誰に言われるまでも無く、俺自身そんなことは分かっていた。
だけど。
――悔しかった。見ているだけしか出来なかった自分が。
――悲しかった。つい最近まで顔を合わせていた人が死んでしまったのが。
――恐ろしかった。あの女性の虚ろな表情が。あの場所でふと考えた。例えば徳枢が同じことになったら、俺もあのようになるのだろうかと。
心のどこかで自分のいる所は安全だ、世界が別といってもそこまで危険じゃ無いんだと、それまでの俺はそんな風に考えていた。
そうじゃなかった。元の世界だってテレビの向こうでは、大小の差はあるもののどこかで紛争は起こっている。
けれど、
だが、思い知らされた。戦は余りにも簡単に人の命を奪うことを。そして、残された人達から笑顔を奪い去っていくことを。
そして、それは俺の周囲であっても例外ではないということを。
それらのことに漸く思い至ったとき、俺は今まで何気なく見ていた街の姿が掛け替えの無いものだと気付けたのだと思う。
だから。
「――行くよ、俺も」
「北坊」
おやっさんの押し留める様な声。
「止めとけ、あの時とはワケが違う。相手は賊じゃねえ、軍だ」
おやっさんはそこでちらりと子龍を見る。
「子龍は俺よりも強え。
そして険しい顔をこちらに向けた。
「だが、お前はそうじゃ無え。それに今回は前の時みてえに俺が近くにいられるとも限らねえ」
口調は厳しいが、それはおやっさんが相手を思って口にしているのだと付き合いは長くない俺でも分かる。
「だから止めとけ」
……ありがとう、おやっさん。
「おやっさん」
だけど。
「止めても聞きませんよ」
目を逸らさない、ここは引けない。
「……なんでだ、お前は……いや子龍もだが、ここの連中どころか江州から来た連中にも何の義理も無ぇ筈だぜ」
「こういった状況で後に引くなんてこと……いつものおやっさんだったら俺を殴り飛ばしてるところですよ?」
途端に苦虫を噛み潰したような顔になるおやっさん。
「義理がどうこうの話ですが、交趾にだって他の州に居られなくなって来た人達はいましたけど、おやっさんはそういう人達をを雑に扱ったエセ役人をぶっとばしてましたよね?」
その男はおやっさんにしばかれて、俺が威彦さんに報告したところ、実際は役人でもなんでもないことがすぐにバレて、めでたく『おやっさんの監督付き肉体労働コース三ヶ月編』を味わうことになった。
「いや、それとこれとはだな」
「それに、もしここが劉焉の手に落ちるようなことになったら交趾にも手を伸ばしてくるかも知れませんよ?」
何か言いかけたおやっさんに畳み掛けるように言葉を
「俺は確かに武ではおやっさんには及びません、だけどそれ以外……例えば
あまり自慢できることじゃないかもしれないけれど、ここで言葉を止めるわけには行かない。多少強引にでも押し通す!
「真っ先に俺の意思は伝えました。俺も行く、と」
「……ぐ、ぬぅ……」
「ははは、藩臨殿、どうやら貴方の負けのようですな」
言葉に詰まったおやっさんに楽しそうに子龍が笑い掛けた。
「フゥ……口ばかり達者になりやがって。オウ北坊、戦が終わって帰ったら説教だ……やるのは徳枢の嬢ちゃんだが」
ちょっ!? それ結構洒落にならないんですけどおやっさん!?
「ふむ、なにやら大変なことになったようだな。北郷」
俺の肩をぽんと叩きながら頷く子龍。
「ニヤケた顔で励まされても嬉しくないんだけど!?」
尤もらしく頷いてはいるが、その表情は取って置きの悪戯が成功したときの子供そのものだった。
――グダグダになってしまった空気がようやく落ち着いてから。
「今日はもう遅い。明日の朝、城に行くと言ってあるから全員で行くぞ」
「陳さん達のほうはどうします?」
「そっちは夜にでも俺が話をする。……いきなりなんで申し訳無ぇがな」
「ふむ、宿にはもう帰ることは無いのですかな?」
「だろうな。向こうで寝泊りすることになるだろうよ」
「了解した」「荷物、纏めときますね」
「ヨシ、じゃあ――」
「お待ち下さい」
――まったく意識していなかった方向から声が掛けられて、俺達は勢いよくそちらを向いた。
そこに立っていたのは離れの席にいた女性、……歳は俺や子龍と同じくらいに見える。
砂に汚れた衣服、ここへ来る際に跳ねたのだろう、泥が微かに残る頬。
朱色の髪は砂埃の所為か僅かに黄色みを帯びている。
しかし。
こちらに向けられている茜色の瞳は、
「私は
多分、今の俺達と同じ色をしていた。
あとがき
お待たせしました、天馬†行空四話目です。
ここから原作前の大きなイベントに突入します。
太守雍闓との
李正と名乗った少女は何者なのか? 迫る劉焉軍の規模は?
今回の補足
前回の補足で説明不足な部分がありましたのでそちらに追記しておきました。
併せて原作とは異なっている部分の表記もしてあります。
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真・恋姫†無双の二次創作小説です。
処女作です。のんびり投稿していきたいと思います。
※主人公は一刀ですが、オリキャラが多めに出ます。
また、ストーリー展開も独自のものとなっております。
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