黒い血溜まりの真ん中に、人影があった。こちらに背を向けて立っている。
人影の周囲には、よく知る人物たちが倒れていた。
(姉さん! 京! ワン子!)
みな目を閉じ、微動だにしない。
(まゆっち! クリス!)
呼びかける声も、虚しく響くだけだ。
(キャップ! ガクト! モロ!)
大切な仲間達が、みんなやられてしまった。怒りに心を震わせて、彼は叫ぶ。
「お前、誰だ!?」
「俺は……」
人影がゆっくりと、こちらに顔を向ける。
「俺は……お前だよ、直江大和!」
自分そっくりの顔が、にやりと笑っていた。全身を震わせた大和は、ハッと目を開ける。
「む……」
だが目の前は真っ暗なままで、何やら甘くよい匂いがした。それどころか、顔が柔らかで暖かなものに包まれているようである。大和はもぞもぞと動こうとするが、両腕に力が入らない。仕方なく体をひねって動くと、頭の上の方から悩ましい吐息が漏れてきた。
「はぁ……んん……」
ようやく大和も、自分が誰かの抱き枕になっているらしいことに気付いた。
(この胸……姉さんか?)
顔だけ動かして上を見る。と、そこには意外な寝顔があった。
「た、辰子さん!?」
大和の声で、板垣辰子は目を覚ました。そして腕の中に大和の姿を見つけて、嬉しそうに笑うとぎゅっと抱きしめる。
「ん~、大和君だぁ」
「く、苦しいよ、辰子さん」
「ふふふ、ごめんね……ちゅ」
頬にキスをしてから大和を解放した辰子は、のそのそと起き上がった。
「何で辰子さんが? というか、ここ、どこです?」
「ここは、私の家です。私が背負って来たんだからね」
そう言うと辰子は、これまでの経緯を大和に話して聞かせた。
「……腕の雑誌は、その女の人が巻いたみたいだよ。骨折してるから、動かさないようにってさ。一応、知り合いの医者に診せようかと思ったんだけど、アミ姉がちょっと待ってろって言うからさ、悪いけど我慢してよ。あ、痛み止めみたいな薬は、その女の人からもらったから、もしアレなら飲んでみる?」
「えっと、今は平気かな」
言いながら、大和は辰子の話を頭の中で整理した。どうやら怪我をした自分を、謎の女性と辰子が助けてくれたようだ。
「でも、俺は何で怪我なんか……」
まだぼんやりとする頭を働かせ、大和は記憶をたどった。夜、寝ていたところにやって来た京と百代の二人。その記憶はハッキリとある。だがその後、何があったのか。
(俺……)
深い霧の中から、溢れ出る闇と共に蘇る光景。そして、殺意。
「――!」
「どうしたの?」
「俺……姉さんたちを……本気で殺そうとしたんだ……」
ブルッと震えた。自分の中にある、得体の知れないモノに大和は恐怖を感じる。唇を噛み、何も見たくはないと言うように、ギュッと目を閉じた。その時である。
「大和君……」
「あっ……」
ふわっと優しい匂いが香り、辰子が大和を抱きしめてくれた。まるで子供をあやすように、ぽんぽんと軽く背中を叩く。
「大丈夫、大丈夫」
耳元でそう囁く辰子の声が、大和の泡だった心を静かに落ち着かせてくれたのである。
休み時間、自分の席で葵冬馬は考えていた。そんな彼のもとに、井上準がやって来て声を掛ける。
「どうしました、若?」
「気のせいかも知れませんが、ユキの様子が今朝から少しおかしくありませんか?」
「そうですか? いつも、あんな感じじゃないですかねぇ」
「……考えすぎ、でしょうか」
冬馬は溜息を漏らした。準が言うのなら、いつも通りなのかも知れない。
「疲れているんじゃないですか?」
「まあ、そうですね。考えなければならない事が、色々とありますから。気持ちの整理と、覚悟も必要です」
「若……だったら」
言いかける準に、冬馬は黙って首を振る。
「後には引けないのですよ、もう」
そういうところまで自分たちが来ているのだと、冬馬は感じていた。後戻りをするチャンスは、今までも何度だってあったのだ。だが、自分は進む道を選んでしまった。
「我が親友トーマよ、何やら浮かない顔をしているな? 悩みがあれば、我に言うがよい」
「英雄……」
自分を心配してくれたのだろう、英雄がやって来てそう声を掛けて来た。よほど暗い顔をしていたのかも知れない。
(いけませんね)
内心で反省しつつ、表ではいつも通りの笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。何かあれば、すぐに相談しますよ」
「うむ!」
満足そうに頷く英雄を見て、冬馬は少し心が痛んだ。
(あなたは、きっと怒るでしょうね)
それでも、やらねばならない。強く心に思い、冬馬はわずかに目を閉じた。
院長室の窓から、外を眺める。五階にあるこの部屋から見る街は、雑然とした印象があった。
「しかし、巷に広がる問題の薬が、まさかここからバラまかれているとは、誰も思わないでしょうね」
釈迦堂刑部は、そう言って笑う。
「何が言いたい? 脅迫でもするつもりか? ふん、お前のようなクズの言葉など世間が信じるとでも思うか?」
「ひどいですねぇ、間違っちゃいないが、私は別に脅迫をするつもりで来たわけじゃないんですよ。ちょっとばかり、協力してもらえないかと思いましてね」
刑部と向かい合うように院長室の席に座るのは、この部屋の主、葵紋病院の院長である冬馬の父だった。院長は刑部の言葉に、眉をひそめる。
「協力?」
「ええ。実はこいつを、『ユートピア』に混ぜてもらいたいんです」
刑部はそう言うと、十センチほどの小瓶を机に置く。
「これは呪術的に調合したもんでしてね、単体じゃあまったく害がない。でもね、他の薬と併用するとその薬の効果を倍増させるんです。すごいでしょ?」
「それが本当ならな」
「まあ、こっちも実験したいって感じでしてね。それでお願いに上がったわけです」
「ふん……それだけではあるまい。金か?」
「いえいえ」
首を振った刑部は、視線を窓の外に向ける。
「私はただ、川神院がひっくりかえるほどの大騒ぎが見たいだけなんですよ。こいつはね、その始まりです」
ニッと唇の端を上げて、刑部は笑みを浮かべた。想像するだけでも、ゾクゾクする。
院長は金勘定でもしているのだろう。やがて、刑部を見ていやらしく微笑んで見せた。交渉は成立したようだ。
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真剣で私に恋しなさい!を伝奇小説風にしつつ、ハーレムを目指します。
楽しんでもらえれば、幸いです。