ぬるま湯の中に浸されているような、何とも言えない気分だった。意識と身体が混じり合い、溶け出してしまいそうな感じがする。不快ではなかったが、わずかな気持ち悪さと落ち着きのない不安定さが気になった。
(何だろう……)
気怠さが、雪蓮の心を蝕む。ぼんやりと霞む視界が、ゆらゆらと揺れていた。
「……」
不意に、誰かが自分を呼んだ気がした。歪んだ視線をずらすと、仮面の男がそこに居た。自分をここに運び、色々と世話をしてくれている。
いつもの自分なら、他人にここまで弱みを見せるような真似はしないだろう。気持ちが折れていたということもあるが、何故か雪蓮は仮面の男に不快感を抱かなかった。
(一刀に似ているのかも?)
そういえば初めて一刀と会った時も、彼は妙な仮面を付けていた。雪蓮は黄巾との戦いを思い出し、笑みをこぼす。真っ直ぐで、強い意志を持った、雪蓮の周りにはあまりいない種類の男だった。あの一途さは、好ましいと思う。
「……雪蓮」
誰かが彼女を呼ぶ。その顔が、一刀の笑顔に見えた。
「一刀……来て……くれたんだ……」
どこかで願っていたのかも知れない。曹操を救出した話も耳にしている。自分のところにも、来てくれるのだろうかと。普段は見せない乙女の部分が、雪蓮の笑顔に覗いた。
大きな手が、優しく頬を撫でる。それだけで、安心したように雪蓮の意識は再び微睡みの中に落ちていった。
満天の星空に、心が奪われそうだった。蓮華は砦の見張り台に続く通路に立ち、ぼんやりと空を眺めていた。警邏隊に追われる身とは思えぬほど、穏やかな日々を過ごしている。
周囲の森の中に視線を向ければ、こちらを伺う人影を見つけることが出来た。自分たちがこの砦に逃げ込んだことは、とうに知られているのだろう。事実、あの焼け落ちた屋敷から逃げのびた兵士たちが、噂を聞いて集まりつつある。すでに百名ほどが、この砦にはいた。
(どうするべきなのかしら……)
いつまでも、ここに籠もっているわけにはいかない。個々に持ち寄った糧食が多少は蓄えてあるが、それも微々たるものだ。今の人数なら、保っても一週間程度だろう。今ならまだ、砦を監視する警邏隊の目を盗んで部隊を出すことは可能だ。
必要な物を仕入れて戻れば、もうしばらくはここに籠城できる。
(けれどそれでは、何も解決はしない)
そもそも、姉の雪蓮が袁術を誘拐するはずもないし、本当に雷薄が姉の身柄を拘束しているのなら、すぐにでも救出に向かいたかったのだ。だが今はまだ、姉の居場所がわからないのである。
(何もかもが、上手くいかないわね)
苛立ちと、焦りが募る。
「ダメダメ! しっかりしなくちゃ」
パチンと自分の頬を両手で叩き、蓮華は気持ちを入れ替えた。以前、雪蓮に言われたことがある。
「私たちが迷ったり不安そうにしていると、従う人たちはもっと不安になるの。だから心の中を、顔に出してはダメ。特に蓮華は、感情がわかりやすいんだから」
あの時は、それほど深くは考えなかった。雪蓮が健在である以上、自分が先頭に立つ事はあまりない。けれど今、多くの兵士が蓮華の言葉を待っている。
「迷いながら、少しずつ……」
姉のようにはなれない。自分らしく、進むしかなかった。
そろそろ部屋に戻ろうか……蓮華がそう思っていると、北郷一刀が張遼と共に姿を見せた。
「あれ、孫権さんも居たんだ」
「どうしたの、二人揃って?」
蓮華が尋ねると、一刀は酒の徳利を振って見せた。どうやら月見酒でもするつもりのようだ。
「一緒にどう?」
「……そうね、少しだけ頂こうかしら」
一刀の誘いを受け、少しだけウキウキとした気持ちで蓮華は差し出された杯を受け取る。多めに用意してあったようで、一刀と張遼が杯を手にしてもいくつか余っていた。
一刀と張遼は、何もない通路の床にそのまま座る。わずかにためらいながらも、蓮華は一刀の横に腰を下ろした。一刀を中心に三人が並び、正面に月を眺めて酒盛りが始まった。
「何だか、変な気分ね」
ぽつりと、蓮華が呟く。
「何がです?」
「本当なら警邏隊に追われて、もっと焦る場合なのに、こうしてのんびり過ごしている。まるで今までの色々な事が、悪い夢だったみたい」
「まあ、こういう時間も悪くないんじゃないですか。気を張り詰めてばかりじゃ、しんどいですから」
「……そうね」
頷いた蓮華は、杯を傾けた。あまりお酒には強くはない。喉を流れるアルコールが、熱く焼けるようだった。安い酒なのだろう、味を楽しむというよりも酔うために飲むという感じがした。
「かじゅと~」
横では、張遼が一刀の腕を掴んで甘えるように鼻をこすりつけている。
「あれ、酔ってる? 霞は酒が強いって聞いたのに……幼児化の影響なのかなあ」
真っ赤な顔で、張遼はやがて静かに寝息を立て始めた。一刀に寄りかかって、気持ちよさそうである。
「寝てしまったわね」
「徳利一本くらいは、平気かなあって思ったんですが……」
そう言って困ったように笑顔を浮かべる一刀の横顔を、蓮華はぼんやりと眺めた。お酒のせいもあるかも知れない。あるいは月の綺麗な夜の雰囲気だろうか。今なら、ずっと気になっていたことを言える気がした。
勇気を振り絞るように杯の酒を飲み干した蓮華は、ゆっくり息を吐きながら月を見たまま口を開く。
「ねえ、北郷」
「何です?」
「その……私たち、まだ短い付き合いでしかないけれど、お互いに助け合って信頼しあえているんじゃないかって思うんだけれど」
「そうですね」
頷く一刀は、蓮華の意図を掴みかねて不思議そうに見てくる。その視線を意識しながら、けれど目を合わせることが出来ずにうつむく蓮華は、意を決して言葉を続けた。
「だから、もう少し親しげでも……いいんじゃないかって思うの」
「親しげ、ですか?」
「それ! その、言葉遣いをもう少し、張遼や程昱たちと話す時みたいな感じの方が、私も気が楽というか……」
「ああ」
なるほどと納得した様子の一刀は、にっこり微笑んで蓮華に言う。
「わかったよ、孫権さん」
「あの……蓮華、でいいわ。私も……か、一刀って呼ばせてもらうから」
「いいの?」
「ええ……出来れば、他のみんなとも真名で呼び合いたいと思っているの」
「じゃあ、霞には目が覚めたら話しておくよ。承諾するかは、約束できないけれど」
「いいわ。ありがとう……一刀」
一刀が笑いながら何かを話していたが、蓮華の耳には入って来なかった。真っ赤な顔を見られないように、視線を逸らしてぼんやりとする。
「……一刀」
「えっ? 何?」
蓮華はハッとして口を押さえた。思わず、自然と名前を呼んでしまったのだ。何とか誤魔化さなければと思い思案していると、突然、外から馬の
二人は顔を見合わせ、一刀は寄りかかる霞をそっとどけて立ち上がる。身を乗り出して外の闇を見ると、たいまつを持った男が馬に跨がって砦の入り口に居た。
「北郷一刀! 大事な話がある」
「あれは……」
たいまつの明かりが照らし出したのは、仮面の男――
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
楽しんでもらえれば、幸いです。