No.33322

旅人(上)

遊馬さん

初音ミクをイメージした作品です。
《旅人》と少年の出逢いの物語。
(前編)です。

2008-09-29 22:04:10 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:611   閲覧ユーザー数:592

 

 歩いている。歩き続けている。

 旅人が独り、荒れ野を歩き続けている。

 歌っている。歌い続けている。

 荒野を歩きながら、歌い続けている。

 流れる雲だけが聴いている。

 旅人の視線の先、《森》が見える。《森》のそばには《村》があるだろうか。

 誰かが住んでいるだろうか。まだ見知らぬ誰かと逢えるだろうか。

 旅人は歌いながら、歩き続ける。

 

 夏の日差しが高い。

 ジーンはまだ12歳。しかし、もう《村》の仕事をこなすのには充分な年齢だった。

 歳相応の生意気さと溢れる好奇心を隠せない生き生きとした表情。ざっくりと刈られた短めの髪。上着代わりの作業服と半ズボン。大人たちを手伝いながら、時間があるときには率先して《村》外れの見回りに出かける。

 《村》の生活は単調でつまらない。何か、驚くような面白いことが《村》の外からやって来ないか、とジーンはいつも思っている。

 《村》の外には荒野が広がる。得体の知れないケモノや怪物が現われることもあり、見回りの仕事は危険も多い。しかし、一人前気取りで威勢のいいジーンは、護身用の電磁棒を片手にこの仕事を彼なりに楽しんでいた。

 

 ジーンが《村》の外れでその姿を見たのは些細なことからだった。

 ここしばらく、《村》では「キャラバンがやってくる」という噂が持ちきりで、大人たちは臨時の市場の準備に走り回っている。

 大型車両を連ねたキャラバンは、生活必需品の他に見たこともないような珍しい品物を売りに出す。それにも増して、キャラバンの人たちが披露する大袈裟で面白おかしい土産話の数々は、娯楽の少ない《村》人にとってめったにない「お楽しみ」であった。

 《村》がお祭り騒ぎになるのも無理はない。

 ジーンもそれにたがわず、一刻も早くキャラバンの隊列が見たくて、朝から夕方まで《村》の周囲を何度も何度も巡りながら、荒野を飽かずに見張り続けていた。

 今日も朝から荒野を見ていたが、鳥の群が北へ向かうのを見ただけで、待望のキャラバンの姿は影も形もない。

「ちぇ。つまんねー」

 諦めて《森》の方へ移動しようかと思ったそのとき。

 荒野の果てに人影を見た。

 キャラバンではない。キャラバンであるのなら、ジーンが見るのは車両のはずだ。

「……まさか《旅人》?」

 《旅人》。キャラバンに属さず、たった独りで危険極まりない荒野を旅する者への、言わば称号である。《都市》や《街》、《村》や集落の間を商売目的で移動するキャラバンよりもその数は格段に少なく、《旅人》に出逢えることなど稀ですらあった。

 人影は確かな足取りで《村》の方へと歩んで来る。今やその姿までもがジーンにもはっきりと見て取れた。強い日差しと荒れる風雨を防ぐために着込まれた灰色のフード付きのコート。右手には大きな鞄。

 間違いない。《旅人》だ。

 嬉しさのあまり《旅人》へ大声で呼びかけようとして、ジーンははたと気付いた。

 《旅人》から聴こえてくる声、それは紛れもなく――歌だった。

「……凶歌(マガウタ)唄い、かよ」

 《旅人》の中には荒野で生き延びるために、妖しげな技や術を使う者もいるとジーンは聞いたことがある。凶歌唄いもその類だ。

 《旅人》はすでに《村》境にまで近付いている。ジーンは慌てて電磁棒を掴むと、歩みを止めない《旅人》の前に立ちはだかった。

「止まれ! おい、止まれったら!」

 冷静に考えれば自殺行為である。妖しげな術を使う相手ならジーンの持つ電磁棒などものの役にも立たないし、それならばいっそ大声で大人たちを呼び集めた方が話が早い。

 それをしなかったのはジーンのアタマに血が昇っていたことと――そしてやはり好奇心が勝ったのだろう。

「止まれって言って……あれ?」

 《旅人》は素直に立ち止まっていた。

 目深に被られたフードからは表情は見えず、ただ右手の鞄だけが所在無げに揺れていた。

「お、お前! 凶歌唄いの《旅人》だな!」

 上ずったジーンの声に、フードの奥からくぐもった答えがあった。

「……マガウタ?」

 聞いたことのない異邦風の妙な発音ではあったが、意外にもその声音はとても荒野を旅する者とは思えない、まだ少女のそれであった。

「ま、凶歌唄いなら帰れ! い、今なら見逃してやる。ここから出て行け!」

 《旅人》が大人しくしているので、調子に乗ったジーンはぐいと電磁棒を突き出す。しかし、《旅人》はその場を動こうとせず、意外な言葉をジーンに返した。

「やっぱりここでも、歌うのはいけないことなの、ね」

 その穏やかな口調からは敵意は感じられず、むしろジーンに尋ねているようにさえ思える。《旅人》の予想外の言動に、ジーンは警戒しながらも、せめてその顔でも拝んでやろう、と思い付いた。

「お、おい、お前。そのフードを取れ。顔を見せろ」

 《旅人》はジーンが拍子抜けするほど素直にその指示に従った。鞄を地面に置くと、フードとコートのボタンを外し、一気に脱ぎ捨てる。

「!」

 ジーンは息を呑んだ。そして、心の中で何かが動く音がした。

 異相の少女である。

 人間にはありえない、明るい翡翠色の瞳と長い髪。金属光沢を放つノースリーブのブラウス。短いスカートとアームベール、ブーツソックスは深い黒で、そのあちこちに瞳や髪と同じ翡翠色がアクセントとして散りばめられている。

 それは、夏の夜明けを印象させる輝石の鮮やかさ。

 ジーンを見つめる翡翠と黒の少女は、何事かを宣言するかのように、美しく厳かに自らの名を告げた。

「わたしは初音ミク。歌い続ける存在なの、ね」

 

 ジーンがミクを案内したのは、《村》から少し遠い場所にある小屋だった。コンクリートが打ちっぱなしの殺風景な小屋であるが、大人たちが荒野に狩りに出かけるときの拠点でもある。持ち込まれたベッドや毛布、保存食料や生活用品などが置かれ、少しの間なら過ごすには不自由はない。

 道すがら、ジーンはミクに何度も「歌うなよ」と念を押していた。大人たちに気付かれるとマズイから、と言うのが建前なのだが、なぜ大人たちに気付かれるとマズイのかは、実はジーン自身にもうまく納得できる答えが見つからない。それでも、ミクが何やら嬉しそうにニコニコしながら黙って付いてきてくれたのはありがたかった。

「この小屋なら大人たちは来ねーよ。今は狩りの季節じゃないから」

 わざと素っ気無く言うジーンに、ミクは「ありがとう、ね」と短く礼を言った。

 ジーンはミクが小屋に着くなり、ごそごそと壁際に積んである機械のガラクタを調べ始めたのが気になった。

「何だよ。ガラクタ探しても使えるモノなんか何もねーよ」

「この部屋。昔、発電所のコントロールルームだったの、ね」

 こいつは一体何を言い出すのだろうか、とジーンはいぶかしむ。

「あの《森》。昔は発電所だったの、ね。それが壊れて、いっぱい樹や草が伸びて《森》になったの、ね」

「知らねーよ、そんな昔のこと。それよりぶつ切りで喋んな。意味分かりずれーから」

 ごめんね、とぺろっと小さく舌を出して肩をすくめてみせるミク。その姿にジーンは一瞬呼吸を忘れ、同時に急に頬が熱くなる。

「わたし、喋るのはあまり上手じゃないの、ね。でも歌うのは得意なの、ね」

 ちょっと自慢げに言うミクに、自分の感情を悟られまいとしてジーンは慌てて怒鳴った。

「だから歌っちゃダメなんだってば! 歌ったりしたら仕事が疎かになるし、そうしたら《村》の暮しが悪くなるって父ちゃんが言ってた! だからお前みたいなヤツは凶歌唄いって呼ばれるんだ!」

「お父さんに言われたんだ、ね。じゃぁ、お父さんは誰に言われたんだろう、ね」

「《村》長に決まってるだろ!」

「じゃぁ、《村》長さんは誰に言われたんだろう、ね」

 ジーンはそこで答えに詰まる。昔からずっとそういう決まりだったから、今までそんなこと考えたこともなかった。ただ、このままミクに言い負かされるのはシャクに障るので、無理やり答えをひねり出す。

「き、きっと《都市》から来たお役人だろ!」

 しかし、ジーンはミクがその返答を聞いたとたん、悲しげに翡翠の瞳を伏せるのを見た。そして、あたかも艶やかな花がしおれ枯れるかのように、その通りなのね、とミクは言った。

「情報発信統制法。歌っちゃダメ。曲を作るのもダメ。詩やお話を書くのも、絵を描くのもダメ。最後には自由に意見を述べるのもダメ。大昔の法律なの、ね。それまでは、わたしにも友達がたくさんいたの、ね。でも、その法律が出来てから、みんないなくなっちゃったの、ね。わたしのマスターも……ね」

 歌を忘れた小鳥は捨てられる、と誰かが言っていた。

 だが。

 歌を禁じられた小鳥はどうすればいい?

 野を彷徨いながら、陽の下で思いっきり歌えばいいんじゃないか?

「誰かに……聴いて欲しいの、ね。わたしの、歌」

 雫のようにぽつりと、ミクが呟いた。

 ――あぁ、そうじゃないんだ。

 ようやくジーンにも理解できた。

 なぜ、凶歌唄いと蔑まれながらもこいつは旅を続けるのか。旅を続けなければならないのか。

 小さな《村》の中で生まれ育ったジーンにも、ようやくその意味が理解できた。

「なぁ、あんた。行くあてはあるのか?」

 うつむいたまま小さく首を振るミクを見て、ジーンは言った。

「この小屋でよかったら泊まっていけよ。メシは俺が何とかしてやる」

 その言葉に、花開くようにミクの表情に笑みが戻る。

 ジーンは思う。

 俺はこの笑顔が見たかったのかもしれない、と。

 

 

 

 

 
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