環状線桃谷駅を出て、西へ道沿いに歩くと五条運動場にたどり着く。通りでいえばその二つばかり手前に、倉庫に使われている区画があった。
そのさらに一棟だけ、辻を渡ってはじめの建物が、当時私の勤めていたリサイクルショップだった。
なにしろ元倉庫だから冬場となれば底冷えがする。まず表からの見た目が寒々しく、足を踏み入れる前から胴震いがわきあがる。
それでも一応外観だけは取り繕おうとした努力の跡はある。電飾すら施されていない看板に、客を迎える私の身長ほどもあるマスコット人形。どちらもオーナーの手によるものだが、よく言えば朴訥な、わるくいえば素人まるだしの、うすら寒さをいや増させる代物だった。そして壁……。これまたオーナーの趣味でコンクリートの打ちっぱなしの外壁が緑に染められているのだが、どうにも仕事が荒い。むらがあるだけならまだしも、塗り残しはあるし、途中でペンキが切れたらしく途中から色は変わっている。おまけに想像していた以上に壁の面積が大きかったのだろう、正面以外の部分はやけくそでハケだかローラーだかで塗りたくったのがありありとうかがえた。
二月の風の強い日だった。私は遅刻するかしないかの瀬戸際のところで、小走りになりながらそのまだらな緑の壁を目指して急いでいた。
その甲斐もあってか、始業時間前にギリギリ間に合わせることができたものの、到着してみれば店の前では拍子抜けする光景がくり広げられていた。
「おはようございます、って、あれ? どうしたんです。みんな雁首そろえて」
大型車も出入りできる駐車場で、スタッフのみんなが着替えもせずに立ちつくしていたのだ。
「どうもこうもないよ。開かないんだよ」
ベテランの浅木さんが、語尾を上げる独特のイントネーションで教えてくれた。
なるほど、いわれてみれば、赤錆びたいかにも重々しい鉄の大扉が閉ざされている。
「今日は石竹さんは休みのはずですから。てことは、また、ですか」
「ああ、たまんねえよなあ」
店の鍵はチーフとオーナーの二人しか持っていない。ところが、オーナーは大のつくほどの遅刻魔で、これまでもたびたび待ちぼうけを食わされることがあった。
「連絡は?」
「今、松葉君がやってるよ」
折角のランニングが徒労に終わったことに、倦怠感を覚えつつ、私は横目で同期の松葉が携帯電話を耳に当てているのを見ながら、契約で設置している自販機に向かった。
ガコンという音をたてて、缶コーヒーが取り出し口に落ちてきた。
後になって聞いたところによると、ちょうどこの頃、オーナーの山吹さんは自宅の鴨居にネクタイを巻き付けて首を吊ったらしかった。
店の経営は好調とはいえなかったものの、たたまなくてはならない程でもなく、オーナーはとりたてて趣味も持たず、酒もギャンブルもやらない人だったので借金を背負っているわけでもなかった。
だから、誰もがオーナーの自死の原因に首をひねったが、すべては後の祭りでどうしようもない話だった。
それよりもみんなの悩みの種は今後の身の振りようだった。
幸いにして倉庫の持ち主が契約の更新に乗り気であったことと、山吹さんの御遺族――氏は独身で故郷に母親がいるばかりだった――が営業を引き継ぐことを望んだために、チーフの石竹さんさえ首を縦に振れば大きな混乱はなく商売を続けられそうだった。
石竹さんは石竹さんで一城の主となることには異存はないようだったのだが、ここで一つ問題が出来した。改めての開店にあたり、スタッフの大幅な入れ替えを行う旨が通達されたのだ。
「そりゃあないよ、そりゃあないよな!」
そのリストラ通告の面談後に、浅木さんは長い顔を真っ赤に茹らせて、唇を曲げながら憤懣やるかたなしとばかりにこぼしていた。
他の、やはり馘首を伝えられた同僚から漏れ聞いたところによると、かなり過酷な条件を突きつけられたらしかった。浅木さんは地位こそ下だが、石竹さんより勤務歴は長い、おそらくはそれが双方にとって衝突の種になってしまったのだと思う。
「こうなりゃストライキしかねえよ!」
そんなことを息まいているとも聞いたし、実際に強く誘われもした。
しかし、当の私は早々に面談上でリストラを承諾してしまっていたのだった。
他の面々と異なり、学業に専念するために冬一杯で辞めることが内定していたこともある。なにより、ほとんど諦めていた有給が今なら消化できるという申し出に大きく心を動かされたのも事実だった。
そんなわけで、四年間勤めた職場を、ほとんど逃げるようにしてそそくさと辞めてしまうことになった。
一月もすると警察から、捜査の結果、事件性が希薄であるという説明があり、それまでは遠出を控えるようにと勧告を受けていたのが、晴れて自由の身となった。
けれども、いざ体が空いてもすることがない。大学がはじまるまでまだ三週間以上あったし、へたに町をぶらついていて元同僚達と遭遇しても気まずいことこの上ない。
しばらく考えたうえで、私は気分転換もかねて、残りの春季休業期間を旅行にあてることに決めた。
さしあたり旅費は最後の月の収入をまるまると、有給休暇の消化金、さらにリストラに応じた餞別の意味での割り増しでまかなうことで落ち着いた。贅沢旅行など望むべくもないが、それで二週間程度はどうにかなると見越していた。
明確な目的地を決めるつもりもなかったが、行き当たりばったりでたいした場所にもたどり着くことなく帰ってくるなんて愚だけは避けたかったので、ひとまずは北陸に出ることを目指すことにした。
理由は単純で、当時まだ日本海を目にした経験がなかったという点に尽きた。
だが、この目論見のあまりにも甘いことは、出発した最初の日にいやというほど痛感することになった。
大阪を発って京都から滋賀を抜けて福井に入ったところでその日は進めなくなってしまった。計画を立てない進行がこれほど手間ばかりかかるとは思ってもいなかった。
それから費用だ。気をつけて案内所で安い旅館をたずねて、そこで泊まってみたものの、サービスが悪いばかりで取られるものはしっかり取られた。この一泊で、資金の何分の一かを費やしてしまったおかげで、一気にこの旅行は緊縮財政に突入する羽目に陥った。
ともかく、そんなこんなもあって、ようやくこの無目的の旅のペースをつかみはじめたのは一週間も経ってからだった。
北陸本線を各駅停車で北上する。
はじめの頃こそ、やみくもに快速を使い旅程を早めようと努めていたが、ようやくそうしたあくせく感から解放されたのは、海を見ることができたからかもしれなかった。
冬の日本海は気性が荒いと耳にしていたが、一日を海辺で過ごした時は少なくともそうした景色を見せてはくれなかった。
かわりに私が目にしたのは、黒く染みた波の色だった。南国の海景を形容するのに使われるアクアブルーからはほど遠い、紺と呼ぶのも生易しい、間をおいた墨液のような上澄みこそ透明さをたたえているが底を見通すことのできない色味が水平線の彼方まで続いていた。
波は静かで、ほとんど泡立ちもせず、寄せては返すが見ている間ずっと反復されていた。
波打ち際に臨み、指でも浸けようものなら、そのままするすると向こう側に突き抜けてしまいそうな予感にとらわれ、背がぞっと粟立ち、思わずその場から飛びのいてしまった。
にもかかわらず、私はしばらく海から目を離すことができずにいた。
爽快感はまるでなかったが、どうしたものか、何故か妙に納得をしてしまう光景ではあった。
その腑に落ちた感覚は、電車からの眺望でも変わらなかった。
麦畑の向こうを黒い海面が、遠目に細い線になって見える。波は立っているのだかどうだかわからないが、なんとなく凪いでいるように思えてならない。
そのべた凪ぎが感染したかのように、窓外の見渡す景色のどこかしこも閑散としていた。もともと人の多い地域ではないのだろうが、広い畑地に対して人っ子一人見当たらない。それどころか民家一つ、納屋の一棟すら視界に入らなかった。ただ等間隔に立てられた電柱に電線が走り、思い出したように時折古びたトラックが畔の傍に置かれていた。
それを眺める車中の乗客も私一人だった。四両編成の列車は、通勤時間帯でもない時間では利用客も少ないらしく、座っている席から端の車両まで見渡せ、別の車両に数人の客の影があるばかりだった。
人目がない分私の動作も大胆になり、ついつい座席に背を預けて両腕を広げ大きくのびをすることも何度もあった。その度に窓ガラス越しに空が目に入った。
空もまた、ただむやみと広がるばかりだった。白けた蒼穹が頭上遥かに弧を投げ掛ける冬空は、特有の鈍色の雲を抱いてこそいなかったが、寒々とした印象は拭えない。大型の猛禽などはもちろんのこと、小鳥一羽羽ばたく姿を見ることがかなわないのだ。一度だけ、視界の端にとんびらしき鳥影が旋回するのをうかがったものの、あわてて視線を正してみると、それ以前と変わりない青空があるばかりだった。
青空といえば、私はこの旅で、まだ一度も雪にでくわしていなかった。
もちろん、時期だけに山は白く彩られているし、日陰には表面の凍りついているものもあった。砂浜にも点々と雪だまりが残っていて、砂浜にも雪が積もるのかと妙に感心したこともあった。
ただ、降雪には出くわさなかった。晴天に恵まれるというわけでもなかったが、空からちらほらと落ちてくるものはなかった。
北陸の冷え込みは関西とは段違いだという話を、方々からいやというほど聞かされていただけに、ダウンジャケットの下にセーターを着込み、厚手のパーカーばかり数着持ってきていた。しかし、寒いのはもちろん寒いのだが、凍てつくというほどでもなく、セーターなどはカバンに押し込まれていることも多かった。
「せめて北に出向いたんだから、本格的な冬も味わいたいなあ」
思わずポロリとそんな言葉がもれた矢先、不意に電車がトンネルに入った。
一秒に満たないわずか遅れて車内の電灯がともされる。長いものかカーブを描いているのかわからないが、進行方向に目をやってみてもトンネルの出口は見えず、すぐに入ってきた口も陽光の漏れ入る様が小さくなってやがて針の頭ほどになって消え去った。
トンネルに入ってしまえば景色を眺めることもできない。しかたなく、車内の広告でも読んでいようかと思ったところで、私の耳は奇妙な音をとらえた。
それは人の話し声で、どうやら車内用スピーカーから漏れ聞こえてくるようだった。おそらく運転席にあるマイクが何かの拍子でスイッチの入ったものと思われる。
とはいえ、集音部に口を近づけているわけでもなく、トンネル内の走行音の反響が激しくて、何をしゃべっているかまでは聞きとることができなかった。
なのに知れず耳をそばだててしまっていたのは、その声に奇妙な切羽詰まった響きがあったからだった。
もちろん一言隻語も理解できないが、途切れがちな語の端々に、苛立ちと憤りの余韻が含まれていた。
いったい何事をつぶやいているものか、もどかしくなった私は、せめて少しでもスピーカーに距離を縮めようとつい身を乗り出してしまった。
その途端だった。電車がトンネルを抜けたのは。
腰を浮かし、前かがみになった私の眼前で、白い薄片が舞っていた。車窓越しにもかかわらず、視界を覆い尽くすような猛烈な吹雪だった。
トンネルの向こう側とは別天地の、いや、おそらくはこちらでも降りだしたばかりなのだろう、見上げればまだ空の隅に青みが残っていた。
青いアクセントを残した鼠色の雲とそれでも凪いだままの黒い海を背景に、真白い雪が風にあおられて右左に、時には舞い上がりさえして吹き荒れていた。
私はしばしの間、この自然の変貌にあっけにとられて、中腰の姿勢でぽかんと口を開けたまま見ていることしかできなかった。
我に返ったのは、そんな雪の降り散る様に慣れてきたからというわけではなく、別の目に入ったもののせいだった。
それは一人の女だった。
距離はずいぶんとあるから顔はわからないが、さほど年をとっているようでもない。手足はスラリと長く、骨ばったところがないのが遠目にもわかる。髪は長く、腰のあたりにまでかかるほどだ。
ちらはらと雪片が視界を遮る中、その女が目に留まったのは、久しく見なかった人影ということもあったが、なにより異態のためだった。
女は踊っていた。腕を広げ、時折片足を振り上げすらして、跳ねるように、実際に宙を舞ってさえいた。大きくターンを決める際には、長い髪が円を描いていた。
着るものはドレス一枚で、丈こそ十分にあるが袖は短く肘のあたりで切り詰められていた。よほど薄手にできているのだろう、風を得て羽ばたくたびに体の線がシルエットになって生地に写っていた。ドレスは赤一色で染め抜かれ、影が重なるとその部分は血にまみれたようだった。
左から雪が吹きつけると女は右に舞い、右に風向きが変わると左へと、なびく姿から目を離せないでいると、やがて女が風に踊るのではなく、女のあとから風や雪が従うかのように思えてきた。
耳のすぐそばでは暴風が吹きつける音が轟く、全身が粟立ち先ほどまで効きすぎていた暖房が急にまるで用を為さなくなってきた。あわててジャケットを合わせようとするものの、ファスナーが凍りついたようでまるで引き上がらないし、指先がかじかんでまともに動かすこともできない。
そうするうちにも冷気は服の袖や襟元から入り込んでくる。運転手に助けを求めようとしても、腰から下はびくともしない。それどころか、首を動かすことさえもできず、私はただ女の姿を目で追うしかなかった。
動く列車から見ているはずの女は、四方せいぜい二、三メートルの場所をぐるぐるとまわっているばかりなのに、何故か私の正面からぶれることはなかった。
やがて歯の根が合わなくなり、震えが全身にまで行き渡ってくると、ガラス窓の外で吹いていたはずの雪が私の目の前いっぱいを覆い、視界も頭の中も真っ白に塗りつぶされてしまった。
「もしもし。大丈夫ですか? もしもし」
肩を揺すぶられて、はっと気付いたのは、果たしてどれくらい経った後だったろう。
前後の脈絡がつかないものだから、目の焦点も合わず、ぼんやりと肩に触れる手らしき先を見つめるうちに、次第に混濁した色の集合だったものが幾重にもぶれた輪郭になり、やがてそれがきちんとした像を結ぶと、ようやく声を掛けてくれたのが駅員だと知れた。
「気分が悪いですか? 人を呼びましょうか?」
いかにも朴訥そうな五十がらみの男性で、職務の上からではない気遣いが色に出ていた。
「いえ、大丈夫です。ちょっと電車に酔っちゃったみたいで……」
私はそう応えて軽く笑みを浮かべてみた。実際、自分でも驚くくらいに、体調は悪くなかった。
「なんでしたら、駅員室で言ってもらえれば、休憩してもらえますよ」
「いえいえ、いいんです、いいんです。本当に大丈夫ですから」
電車はいつの間にか駅に到着したようだった。一駅間の長い路線だから、少し大きな駅では駅員が臨時の見回りを行っている。そこに変な格好で動かなくなっている私を見つけて、心配してくれたらしかった。
さすがにばつが悪くなり、あわてて電車から飛び出た。降りると、プレートに糸魚川駅の文字があった。
その日はもっと手前で降りるつもりだったが、それ以上電車に揺られる気も起こらず、私は駅を後にすると宿を探してぶらつくことにした。
まだ夕方にも早い時間だというのに風が冷たい。あちこちに積もった新雪のせいもあったが、それ以上に私の身体の変化の方が大きかった。
その時初めて気付いたことには、私はジャケットの下を汗でぐっしょりと濡らしていた。
風が吹くだけで寒気がたちのぼってくる。着替えようにもそんな場所もない。これにはたまらず、私は物色もそこそこに、資金でまかなえる旅館を見つけるとさっさとそこに決めてチェックインすることにした。
入った旅館は、本館と別館を持つ、そこそこの格式を有するらしいところだったが、その割に値段は二食ついても、貧乏旅で利用できる程度には抑えられていた。
代わりに部屋は別館の一番隅、しかも一階ときているから、窓からの眺望などは期待するべくもないロケーションとなっていた。
しかし、私はここで贅沢をするつもりもなかったので、とにかく風の防げる壁のある場所にやって来られた嬉しさの方が大きく、むしろ喜んで案内の仲居さんの後に従った。
「ずいぶんお寒そうですねえ。こちらは初めてでございますか?」
長い廊下を渡りながら、私と同世代と思われる仲居さんは、けれどもずっと落ち着いた口調でたずねてきた。
「いえ、ここ一週間ばかり、あちこちまわっているんですが、さっきの雪でやられまして」
「先程はかなり強く吹雪ましたからねえ。どこか観光でもされてらしたんですか?」
「いや、そういうことじゃないんですけど……」
私は言い淀んだものの、あの雪の中で舞う女の話をいつまでも一人で抱えている気にもなれず、旅の恥はかきすてだとばかりに、思い切ってありのままの体験をかいつまんで話してみた。
「ああ、雪女を御覧になられましたか。驚いたでしょう」
ところが仲居さんは、別段驚きも呆れもせず、相変わらず営業口調のままでそう返した。
「ゆ、雪女?」
むしろ驚いたのは私の方だった。
「雪女って、あの、人を凍らせてしまうっていう……」
「はいぃ。わたしのお爺さんの頃には、よく見とれてそのままって人もあったらしいですが。今は、ほら、暖房もありますし、服もよくなってるでしょう。ですもんで、なかなか……」
「でも、ドレスを着ていましたけど……」
「はいぃ、なにしろ雪女ですから」
「いや、だから、雪女って普通は白い着物で……」
「はいぃ、つきましたですよぅ」
私が覚えた違和感を伝えきる前に、部屋に到着してしまった。そうして話の接ぎ穂を失い、それ以上つっこんだことを聞くことができなくなった。
部屋は一間で古めかしいテレビと金庫が置かれているばかりで調度の類もほとんどない。
窓に面した障子が閉め切られていることだけが少なからず気がかりではあったが、それを開けるつもりにはとうとうなれなかった。
耳を澄ますと、外からはまた吹雪の音が響いてきた。
私は白い明かりを照らす電灯のもと、これからどうやって移動したものかを考えはじめていた。
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秋口に書くようなものでもないと思うのですが……