「今夜はここで休ませてもらうぞ」
突然の来訪者にバシュー以下四人の男たちはすぐに反応出来なかった。
イヤだと言わせないつもりは、その怒気を含んだオーラと部屋の片隅に敷物を敷き寝床の準備を始めた事で分かりすぎるほど分かる。
だが全身ズブ濡れなのはどうしてなのだろう?
「……アルディート」
「何だ」
「ここで寝るってのは……いいが、その……着替えた方がいいんじゃないか?」
一同代表のバシューは濡れた原因を聞けずにそう言った。
服が濡れていることを忘れていたが、思い出した瞬間に怒りが増しアルディートは舌打ちする。
水場に行ったアルディートを追って監査官のメルビルが向かい、そこで何があったのか。髪粉の落ちた漆黒の髪のアルディートはまさに怒りに満ちた暗黒神のようで、尋ねるそぶりすら出来ない。
「こりゃぁ……ザバを呼んできた方がよさそうだな……」
男たちの意見が一致し、部屋の出口のカーテンをくぐり抜けた時、困ったような笑みを浮かべるザバにぶつかった。
彼にこんな笑みをさせる事件はよほどのことだ。
「失礼、アルディートはいるかな」
「今あんたを呼びに行こうとしてたとこだ。怒ってますぜ。かなり。何があったんですか」
「いや、何――」
それ以上続けず部屋に入っていった。
男たちは頭だけをカーテンから出し室内を伺う。
アルディートは服を着替え終えたところで、忌々しそうに髪を拭いているところだった。
「……アルディート」
少し冷静になれと言外に告げている口調だった。
「あの野郎をさっさと追い返せ。明日中にだ」
「それは無理な話です」
「いいか。オレはこの水が貴重な時代に危うく溺死するところだったんだぞ。そんなことになってみろ、オレはいい物笑いの種だ。そんなヤツ、殴るなり脅すなりして追い返して当然だ」
「どうしてもと言うのでしたらご自分でどうぞ」
「オレは……」
握りしめた自分の拳を睨み付ける。
「姿を見るのも反吐が出る。同じ部屋にいるのも御免だ」
「顔も合わせたくないということですか」
「そうだ」
きっぱりとした返答にザバは小さなため息をついた。
「なんだ」
それがひどく気に入らず、アルディートは思い切り険のある声を出した。
「嫌っているのが気に入らないようだな」
「いえ」
「オレはおまえのそういうとはっきりしないところが大嫌いだ」
「そうですか。実は私も同意見ですが、物事にははっきりさせないほうが良いこともあります故」
「それとこれとどういう関係がある」
「私の胸の内に秘めておくが最上かと」
「言いたくないという訳だな。よし分かった。この件についてはもう口にしない。だが明日には追い返せ。いいな」
「いずれに致しましても、三日以上はおられますまい」
「どうしてそんなことが分かる? まあいい。あいつの世話はおまえに任せる」
言うと出てけと手を振る。
微かに困惑の表情を見せザバは部屋を後にした。
「すまないが二晩ほど頼みます」
「俺たちはかまわないが、いいんですか? ここの責任者がトンズラしちまって……」
「それを気になさる方ではありますまい」
「……ひょっとして知り合いなのか?」
「いえ」
苦笑しながらザバは首を振った。
「知り合いになるかもしれませんが」
「へえぇー」
あいかわらず他人を煙に巻くような言い回しに、男たちは肩をすくめたが、詮索しないことが傭兵の第一条件とも言われていることを表すように、それ以上の追求はしなかった。
「ところで、数日は酒と夜遊びを自粛してもらいたいのだが」
「分かってるよ。監査役殿が居る間は大人しくしてるさ。可愛いあの娘が泣いてもな」
「ああ、そういう理由もありましたね」
この返答には全員が拍子抜けする。
今はそれこそが重要ではなかったのかと言いかける口をザバが制する。
「今回の作戦にはどうも裏がありそうです」
「ラファールか? 夜、仕掛けて来るってのか?」
「可能性があるというだけですが」
「ははあ、それで今夜は監視塔の人員を増やしたって訳だな」
「しばらくはそうするつもりです」
「で、知ってんですかい?」
バシューが室内のアルディートを視線で示す。
「言う暇もなかった。事が起きたら叩き起こしてくれ」
「その方が恐ろしいな」
あの怒りっぷりのアルディートを叩き起こした時にどうなるか。
頼まれたバシューは冷や汗ものだが、他の傭兵はそれは楽しみだと小さな笑い声を漏らす。
それを聞きながら、よろしくと言い残してザバは帰っていった。
バシューたちが視線を室内に戻すとアルディートは夢の中だった。
「やれやれ……」
ウォーレンを除く傭兵全員がアルディートの父親に近い年齢である。誰もが駄々っ子を見るような優しい目でアルディートの背中を見つめた。
さっさと寝入ってしまったアルディートとは反対に、これから夕食をとるザバはもう一つの憂鬱と席を共にすることになった。
アルディートのように嫌な気持ちを抱いている訳ではないが、腹の底の分からない相手との食事は味が落ちるというのがザバの持論である。しかし見方を変えればそれを探り出すのも楽しいゲームだとも言っている、バシューに言わせればへそ曲がりであるが。
「あれの様子はどうだった」
部屋に戻るなりメルビルはストレートに尋ねてくる。
「食事もとらずに寝てしまいました」
「嫌われたようだな」
「好きと嫌いは紙一重と巷では申しております」
「それを私に教えてよいのか?」
メルビルの問いにザバは沈黙の微笑で応えた。
それからしばらくは手のひらで覆い隠せるほどの小さなパンと肉片入りのスープを口に運んでいたが、思い出したようにメルビルが問いかけた。
「おまえたちはどういう経緯で知り合った? 兄代わりと言っていたようだが」
そのあたりはさっきアルディートから聞いたばかりだったが、確認の意味と別の当事者からの事実も知りたいとメルビルは考えた。
「森に捨てられていたアルディート様を母が見つけまして」
「赤子の時か?」
「いえ、二つの頃でしょう。はっきりとは致しませんが。以来、兄・弟の関係でございます」
「そなたの母は変わっているな、そなたもだが」
「恐れ入ります」
「黒髪の子供を育てるなど家族の反対はなかったのか? 無論おまえもな。そのころには分別もあったろう」
「定住志向のない商人でございました。途中、旅芸人の一行と親しくなりましてからは彼らと共に移動しておりました故、彼らの考え方に影響されていたものと存じます。曰く、子供は宝、魔物の子でも拾って育てよ、と」
「魔物か」
それはいい、とメルビルは声をあげて笑った。
「魔物と比較すれば、たかだか髪が黒いだけの人間の子供を恐れることもない。――それで十三才の時だな、正規軍に入ったのは」
「両親が死に、旅芸人一座の主立った方々も亡くなりました為でございます」
「戦か……他に道はなかったか」
「暗黒神が脆弱では物笑いの種になると剣技だけは身につけさせましたので」
「おまえがか?」
「とんでもございません。商いの相手は主に傭兵でございましたので」
「彼らにとって髪と肌の色はさほど重要ではないということか」
「剣技の方が重要であるという事でございます」
「ふむ」
メルビルはスープを飲む手を止め、
「だが正規軍に馴染まず、すぐ傭兵部隊の方へ回されたと聞いたが」
「互いに馴染めなかったというのが正しゅうございます。軍もあの容姿を利用しようという思惑があればこそ入隊を許可したのですが、暗黒神への畏怖を乗り越える事は出来ませんでした。――傭兵部隊へは望んで参りました。知り合いも多ございましたので」
「十三の時に逢いたかったな」
思わずザバでさえ見とれてしまいそうな笑みを浮かべたメルビルを無言で見つめた。
「逢っていたら、離さず側においたであろうが」
ザバは静かに息を吐き出した。
(何をお望みで御座いましょう)
口に出せぬ問いを再び心の中で呟いた。
「ところで、今宵は静かなようだな」
「酒を控えるよう言っておきました」
「私がいるからか?」
「それもございますが、今日の戦い、少々気になります故」
「あれか……」
「あの数の兵士を無駄死にさせるほど、ラファールの王が剛毅であるとは思えませぬ」
「何かあるとすれば、ここ数日か。それまで居られればよいのだが。ラファール王は少々短気な男だから望めるやもしれぬ」
その言葉にザバは視線を落とした。
(やはり……)
メルビルという男がこの国の王であることは、もはや疑いようもなかった。
「失礼させて頂いてもよろしゅうございますか? 少々用事を思い出しました。今宵の扉の番は私が勤めさせていただきます故、先に済ませておきたいのですが」
「恐縮だな。おまえに番をさせるのは」
「何処でも寝られる得な性分でございますので、どなたがお出ででもこれは私の役目でございます」
「寝るか。そなた、アルディートに劣らぬ剛毅さだな」
「アザラの王ほどではございますまい」
静かに微笑んだザバは食器を持って部屋を辞した。
深いため息がついて出る。
だが二つ目のそれを押しとどめるとザバははき出した。
その報がもたらされたのは、ザバがメルビルの休む部屋の扉の前で毛布にくるまり眠りについてから三刻ほど経った頃だった。朝陽よりわずかに夕陽に近い、人間には熟睡中の時間だった。
夢の中で鳥の羽ばたきのような音を聞き、それが遠くから誰かが走ってくる足音だと気づいた時、ザバは目を開けた。
寝惚けた頭を二、三度軽く叩く。
(やれやれ、来たか……。ラファール兵は深夜によく働くことよ)
敵の襲来を予想していたのが自分であることをすっかり棚に上げ、大きな欠伸と首の体操で眠気を追い出した。
足音が建物内に響き、その姿が見えた。
「ザバ!」
「おう、ラードリス」
「来たぞ来たぞ。おまえの予想通りだ。監視塔の方正の方向からぞろぞろと」
「ぞろぞろ、か」
ぞろぞろの主がワームであればもう一眠り出来るのだが……と言うジョークは少々出来が悪いなと独り笑って口にしなかった。
「走竜騎兵が六百から八百はいるだろう。夜闇にまぎれて確認はとれないが」
「これはまた、大部隊だな」
その時扉が開き、服装を整えたメルビルが姿を現した。
ザバはさっと礼をとり、つられたようにラードリスもそれに習う。
「オアシスを拠点にするつもりなのだろう。砂漠を敵無く渡ることが出来れば、侵攻はかなり楽なものになる」
メルビルは恐ろしいことを口にする。
「それを防ぐのが我々国境警備隊の役目でございます」
ラードリスはこの監査役は不謹慎極まりないと男だと思ったが、自分たちの役割をザバが答えるとそうだとばかりに頷いた。
「リファールに村人の避難を任せる。補助に数人を選ぶよう伝えてくれ。監視塔の人間はそのまま、残りは参戦する準備を整えるように」
「監視塔のルードは悔しがるでしょうなぁ。滅多にない好機を見物するだけとは」
「明日でなく今夜であったことを恨むよう伝えてくれ」
「わかった」
そう答えるとラードリスは伝令を伝えるため小走りしてその場から姿を消した。
今一つ緊迫感が無いのは、百戦錬磨の傭兵たちだからであろうか? それともここの傭兵部隊のカラーなのだろうか? とメルビルは思う。
「ラファールよりアザラの方が勤勉であると思っていたが、考えを改めなければならぬか」
二人のやりとりに耳を傾け、何事か考えていたメルビルが口を開いた。
「いえいえ。未だアザラの方が勤勉でございましょう」
「ほう、何故だ」
「ラファールは夜の方が夜陰に乗じる事が出来るため、人手が少なくて済むと考えたと思われます」
本気か冗談か分からぬ答えであったが、メルビルは声を上げて笑った。
「気に入ったぞ、ザバ。おまえがいればあの陰気な家もマシになろう」
「とんでもございません」
ザバはうやうやしく礼をとると、
「私の言葉は五割ほど差し引いて聞けと、アルディート様はいつも皆に言っております」
笑い声は止まらなかったが、メルビルの目は細められた。
「したが、ザバ。私も参戦させてもらえるのだろうな」
この問いにはザバも返答に窮した。
多く見積もって八百という敵竜騎兵を相手に戦うには、少々本気にならなければならない。付近の地理に明るくないメルビルは、出来るなら村人の警護くらいで我慢して欲しいところなのだが……。それに万が一のことを考えるとザバでなくても背筋が凍る思いである。
「監査役としてはおまえたちの戦いぶりをこの目で見ておかなくては不審に思われるだろう」
ザバが自分の身分を悟っていると確信しての言葉だった。
「ですが……」
いつもの歯切れの良い言葉はザバの口から出てこない。
「――では、御名を知らせてよろしゅうございますか」
一度だけ、メルビルは首を振った。
「ラファールの真意を、この目で見たいのだ」
領土を拡げる、あるいは食料を奪う小競り合いはこの世の何処にでも存在する。だが国単位ではない。そうなるのも時間の問題かもしれないが、武人王と呼ばれるアザラの王メルビアンはその愛称と反対に侵略という名の戦から縁遠かった。
しかしあくまでも武力で他国から食料と豊穣の地を奪い取ろうとするならば、武力で対抗せざるを得ない。決断の時は迫っているのだ。
「……非力では御座いますが、お供させて頂きます」
そして後に魔導大戦と呼ばれる一連の戦の幕が切って落とされた。
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不愉快極まりないメルビアンの行動に怒りをあらわにするアルディート。それを恐ろしく思いながらも見守る傭兵たち。
そしてザバの予感が的中し――。
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