国境警備の本営に戻ってきてから男はメルビルと名乗り、ここの監査にやってきたと告げた。
女どころか男でさえ心惑いそうな美丈夫っぷりに、気を失ってメルビルの肩に担がれていたウォールトを渡された時にルービスが見とれて受け損ねてよろけてしまったほどだ。
不測の事態には慣れている傭兵たちだが、敵の襲来には備えていても監査役の襲来には備えがなく慌てたところにザバが帰ってきた。
互いに互いを値踏みするような視線を交わしていたが、先に逸らしたのはザバの方だった。一瞬、伺うような様子を見せた後、うやうやしく礼をとる。
「お出でいただいた矢先に恐縮でございます」
手短かに状況を説明すると「良いタイミングだ」とメルビルは呟いた。
「少々うとましいだろうが、二、三日世話になる」
「あちらに部屋をご用意させていただきました」
ザバが示した石造りの家をチラリと見る。
が、視線を戻した時、メルビルはアルディートの姿がないことに気づいた。
「指揮官は何処へ行った」
「アルディート様で御座いますか?」
ザバは念を押すように問い直してから、
「じき夕刻になります故、先に水場に行かれたのでございましょう。ここでは自分の使用する分の水は自分で汲むことになっております故。挨拶もせず失礼かと存じますが、近隣の村人たちとはなるべく遭わぬようにしておりますので」
人々の忌み嫌う暗黒神の色とされる黒を持つアルディートは、その姿を見るだけでも忌まわしき事と村人に思われているのだ。
「自主的にそうしているのか? 村との決め事か?」
「双方に御座います」
「――――」
メルビルは顎に手をやり何事か思案する。
遠巻きに二人を見物している傭兵たちはとザバは、メルビルが口を開くのを待った。
またロクでもない役人の御子息とやらが来るのだろうと思っていたが、今やそんな考えは全くなく、これはどうやら本気で頭を使い、敬語を口にし、行動を慎まなくては報奨を減額されてしまうのではないかと心配し始めていた。
だがどんな女も、男でさえも感嘆のため息がもれそうな容貌の男を、好かないと第一印象で思う者はいなかった。
「水場はここから西だったな」
「すぐお戻りになりましょう。それまであちらでお休み下さいませ」
「いや」
メルビルは走竜の手綱をザバに渡すと、
「出向こう」
ザバは止めなかった。いや止められなかった。
メルビルが踵を返し、建物の影に姿を消すまで身じろぎもせずに礼をとっていた。
「……こりゃ、一日でお帰り願うってのは無理だな」
「アルディートのことをからかいでもすりゃ、またザバが『実力』で追い返すだろうが……」
「いや、今回はそれも怪しいぞ。どうも様子が変じゃないか…」
「誰のだ」
「ザバのさ」
「そうだなぁ……。おとなしいと言うか、どこか引いてるって言うか……」
「しかし――」
大きく息を吐き出したバシューが、
「敵も見とれて動きを止めそうな美貌だな」
「美しいっていう言葉は女のためにあると思ってたが、アザラでは考えを改めんとダメなようだな」
「だな。ザバにしろアルディートにしろ、アザラの国王も母親譲りの金髪と顔立ち、その上、先代の父王以上の負け知らずの武人王だって言うじゃないか」
「だが性格は悪いかもしれん」
「おいおい。ここの二人がそうだからって国王もそうだとは限らないぞ」
「国王ってのは性悪の人間がやることになっているのさ」
「国王になったから性悪になるとも考えられるが?」
「いずれにしろ、気をつけんとな」
「何にだ? 舌を噛まないようにか?」
「やめてくれ」
集まった傭兵たちが小さく笑い合っていると、バシューはザバが自分を呼んでいるのに気づいた。
口元を引き締め駆け寄ると、
「こいつを頼む」
「へいっ――いやっ、はい」
「苦しそうですね」
「まったくで――いや、まったくですな」
ザバが苦笑に近い笑みを見せる。
「だが――」
メルビルが消えた方向に視線を移し、
「そんな苦労は必要ないかもしれません」
「どういうことだ?」
「国中で最も傭兵を指揮するに相応しい方かもしれないと思いましてね」
「どういうことかさっぱりわからん。ま、俺たちはその言葉をアテにさせてもらいたいもんだが」
「私ならアテにする事はやめておきますがね」
「またぁ。人が悪い」
少なくともバシューには、意地悪そうな笑みを浮かべているように見えるザバに背中を向け手綱を引きかけ手を止める。
「だが一つだけ確実なことがあるな。今回は少々のことではあんたがあの男を追い返さないってことだ」
バシューを無言で見送ったザバは軽く目を閉じ頭を振った。
さて戦略ともなれば幾通りもの案が浮かぶが、メルビルの対処法となると見当もつかない。
(何をお望みか……)
口に出来ぬ言葉を心の中で呟いた。
涼風が駆け抜けていった。
その気持ちよさにメルビルはマントを脱ぎ肩にかける。
ザバの髪も、あの徹底した無精さを目撃しなければ美しいと思うのだが、メルビルの髪はきちんと手入れされていると分かるため老若男女見とれること間違いなしの美しい金色の髪である。
フードの戒めから解かれたゆるやかなウェーブのかかった長い髪が風に揺れる様もまた美しい。
適度に日焼けした肌も、服装も、彼がかなり身分の高い者の息子、あるいは家柄の良い男であると知れる。だがこんな辺境の国境を警備する傭兵部隊の現状調査をするようでは、出世はあまりはかばかしいとは言えない。
親の威光でそこそこの要職に就くのだろうというのがおおかたの傭兵たちの意見だった。
それよりも、さっさと帰ってもらえるようザバなりアルディートなりが説得してくれないかという思いが一番だったが、ザバはあてになりそうになかった。
残る希望はメルビルがアルディートを怒らせて叩き出すことだが、傭兵の指揮官としての立場上アルディート自身が実行することは考えにくい。
そもそも今までアルディートを怒らせた時はザバが明晰な頭脳とよく動く口を使って監査役を追い払っていたのだから。
そんな傭兵たちの思惑など気にせず、メルビルは日暮れ間近の水場に、一人の青年の姿を求めて足を踏み入れた。
この辺りで唯一緑を目にすることの出来る水場を奥に進み、ようやく目指す青年――アルディートの姿を捕らえた。
十八歳という若さ。
だがそれに見合わぬ剣技と指導力を持ち、この世のすべての人間が畏れ忌み嫌う暗黒神・死の神が好む漆黒の髪と瞳をした青年。
十三歳の時から兵役につき、その容貌が原因ですぐに正規軍から傭兵部隊へと所属を移されたが、その年のヘイゼルウッドの戦いでは、子供時代から抜け出したばかりのひよっ子が傭兵たちを指揮し勝利へと導いたのだ。誰もが信じられない為にヘイゼルウッドの戦いにおいての傭兵部隊の指揮官を『姿なき英雄』と呼び褒め称えたが、それが十四歳間近のアルディートであったことは事実である。知っても信じられぬと言い、アルディートの兄代わりと自称するのザバの手腕であろうと納得するのが常であった。
アルディートは昼少し前にザバが腰を下ろしていたと同じ場所に座り、同じようにため息をついた。
「おまえにため息をつかせるのは何者だ」
不意にかけられた声に驚き、すぐに気を引き締めた。
先ほど見てくれだけではないかもしれないと囁いたザバに、なるほど侮れないと頷く。
「美しいな、ここは。まわりがすべて砂漠である故もあろうが、水の神に愛されているかのように泉から水が溢れ、その恵みをうけ樹々が育ち――」
「だがもはやその神にも見放されたさ」
独り言のようにアルディートが呟いた。
「ここへ来て五年。五年前はこの水場は倍近く広く、泉も大きかった。空を突くほどの大木が林立する豊かなオアシスだった」
メルビルは初めて耳にしたアルディートの声音に和んだように笑みを浮かべると、迷うことなく隣に腰を下ろした。
「病んでいるな、世界は――」
顔を上げ、アルディートは当然のように隣に座っているメルビルの整った横顔を見た。
この男に思わず見とれてしまったのは、熱砂が見せた幻ではなかった。
金色の髪は波立つように背に流れ、天高く晴れ渡った空のような蒼い瞳。だがその体躯は百戦錬磨の傭兵たちにも見劣りすることはない。であるのに筋肉隆々の大男に見えないのは秀麗な貌のせいだろう。
返答を忘れ、傍らのメルビルに見入っていたアルディートの目が、ふと、止まった。
赤く血が滲んでいるような手のひらに注視し、そして見上げた。
「手を――」
「ああ」
今思い出したかのようにメルビルは手のひらを見てから笑みを浮かべた。
「少々、無謀だったな」
小さな擦り傷が無数に出来ている両手を目にしたアルディートは、立ち上がると腰に下げてある革袋を取り、泉の水を汲む。
「洗った方がいい」
メルビルの前で立ち止まると、革袋を傾け水を少しずつかけた。
「強く擦らない方がいい」
「すまないな」
手のひらについた砂と血を軽く洗い流すと、剣を持ったことがないと思えるほどの美しい手が現れた。
その手がアルディートの手首を掴む。
突然の行動を不審に思い、探るような瞳でメルビルを見と、その視線を逸らさず見返してきた。
自分の不躾さにハッとし、アルディートは掴まれた手を振り払う。
「……向こうに、薬草があったはずだ。取ってくる。ところでまだ、名前を聞いてなかったな。監査役殿」
「メルビルだ」
「メルビル殿。来て早々、申し訳なかった。意識が回復したらウォールトからも礼をすることになるが」
妙な感じは続いていたが、ここの責任者としてやるべきことはやっておかなくてはならない。印象を良くしておくことは、部下である傭兵たちの報償額を左右する重大な一因となるからだった。
「ここは居心地がよさそうだな」
手を振り払われたことを気にもせず、その手で髪を梳く。
「幾つかの傭兵部隊を見てきたが、居心地の良さは他の比ではない」
「ピークを過ぎた傭兵の集まる、さして重要でない国境地域の警備だ。ゆとりがあって当然だろう」
アルディートの言にメルビルが小さく笑った。
「過小評価しているようだな」
「何をだ?」
「己の能力と、ここの重要性を」
「重要性? ここのか?」
「当初ここには一個中隊を派遣する予定だった。だがここのオアシスはそれを長期に渡って支えるだけの水力がない。それ故に少人数ですむ傭兵部隊を駐屯させることにしたのだ」
「詳しいな」
「近くに頼まずとも情報を喋るお節介な年寄りがいてな」
「危険な味方だな」
アルディートの言を、含み笑いをしながら無言で肯定する。
「積極的に剣を振るわぬことも、最後尾につくことも、危険を承知で部下の救出にあたることも、並の指揮官には出来まい。自分の手柄も大切にするのが普通だからな」
「オレの給料は正規軍から出ている。敵を倒した数に関わらないから手を抜けるところは抜いている。戦で活躍して増額する彼らに機会を与えた方が気持ちいい。……最も国の金庫番には頭の痛いことだろうが」
言い終えてからアルディートは正直に言いすぎたと思った。
だがメルビルは気にした風もなく、
「それは、あの男の教育か?」
「あの男?」
アルディートは間をおき、
「ザバのことか?」
メルビルが頷く。
「いや。オレが傭兵たちの近くで育ったからそれでだろう。指揮官の悪口が子守歌だったからな」
「ほう、悪口か」
意外にも素直に答えるアルディートに非常な関心を持った風に、メルビルは笑みをもらす。
「おまえへの悪言は少なかろう」
「どうだか…」
「ところで、ザバとはどういう関係だ?」
「――――?」
妙な質問にアルディートは眉を寄せる。
「――本人は兄代わりと言っている。捨てられたオレを拾ったのがザバの母親で、彼女が死んでからはザバが面倒見てくれた。お節介な年寄りはそこまでは知らなかったようだな」
不意の切り返しにメルビルは苦笑し、
「老人故、足が弱り始めていてな、遠方の情報まで手に入らないのだろう」
「ザバよりはマシだな」
「何がだ?」
「かわし方がだ」
「ほう、そうか」
薬草を取りに行こうとしていたことなど念頭からすっかり消え、立ち止まったままのアルディートに、メルビルは歩み寄った。
「何故染めている」
アルディートの茶色の髪を撫でる。
他人にそんなことをされたことのない気色悪さに、離れようとしたアルディートの腕を掴んだ。
「他人すらも避けて水場に来なくてはならないのか。そんな人生、楽しいか?」
「は楽しい、楽しくないの問題ではない」
「では虚しくはないか」
問いながらアルディートを引き寄せようとする。
「離せ」
叫び振りほどこうとしたが、メルビルはますます強くアルディートの腕を握り、
「ウードの根の灰で染めているのか?」
否定しないアルディートを、泉の中に突いて倒した。
大きな水音が響き渡った。
その後にアルディートの怒声が響く。
「何をするっ!」
「黒髪のおまえが見たい」
「冗談じゃないっ!」
立ち上がり泉の中から出ようとしたアルディートの頬に平手が飛んだ。
睨み付けるような視線をメルビルに向ける前に、両肩を掴まれ倒されると、水の中に押しつけられる。
突然の出来事に混乱しながらメルビルの手を押しのけようともがくが、絶対的な体格差はどうしようもなかった。
激しく抵抗すると茶色い髪粉が水中に流れてゆく。
殺すつもりがないにしろ、呼吸の苦しさは言葉に出来ないほどだ。
肩を押さえつけるメルビルの力が弱まり、水の中から引き上げられると、アルディートは膝をつき激しく咳き込み、飲み込んでしまった水を吐き出した。
村人たちが見れば何と恐ろしいことを…と非難されそうだった。
「――キ、キサマ……」
咳と呼吸がようやく落ち着いてくると、呪いの言葉を吐き出した。
「何の……つもりだ」
「言ったはずだ。黒髪のおまえが見たいと」
「そうか、キサマもそうか。他人が畏れる珍しい生き物を話の種に見てみたいという訳か。キサマも今までの奴らと同類だ。不快感を感じるはずだ」
「違うと思っていてくれたとは幸いだ。是非とも続けて思っていて欲しいものだな」
「ゲスめ」
頭を振り、滴を振り落とすと吐き捨てた。
人間に獰猛な牙をむける獣のような瞳を見せたアルディートを見てメルビルは感嘆のため息を吐き出した。
「髪を染めるな。おまえには黒が似合う」
「見かけ通りの死神ならと、今ほど思ったことはない」
「私を殺したいか?」
「出来ることならな」
常人ならば背筋が凍るほど睨み付け、樹の根本に置いておいた水瓶を小脇に抱えると、アルディートはその場を後にした。
「予想以上だ」
メルビルの呟きを耳にする者はどこにもいなかった。
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戦闘を終え村近くの本営に戻ると、アルディートはその容貌から村人たちと遭遇しないように生活していると知る。
そして――。
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