01 マンホールの中の神様
なにもかも、なにもかもが嫌になってしまった。どこか、どこでもいいから、逃げ出したかった。誰か、何かは解らないけれど、ずっと追いかけられている気がしていた。
だから私は逃げた。みっともないくらい一目散だった。止まった瞬間、誰だか何だかに捕まってしまいそうな気がして、間抜けなくらい必死に走った。
そして、何かに躓いた。
ビタンッ!と、哀しい音をたてて私は転んだ。涙目になりながら見ると、マンホールの蓋が5分の1ほど開いていた。
もし、この蓋がもっと大きく開いていたら……。
真っ逆さまに落ちていく自分を想像して、冷や汗が出た。落ちた穴がたまたま不思議の国に繋がっていたなんて、そんなラッキーな偶然にはそうそう出くわすものではないのだ。
危ないのでちゃんと蓋を閉めておこう、と、私はマンホールに手を伸ばす。でも、その前に、好奇心にかられて5分の1の隙間から、私は中を覗き込んだ。
何かと目が合った。
「「うわああ!」」
私と何かが同時に叫んだ。私は慌てて後ずさる。けれど、中の何かの叫び声が反響している音を聞いているうちに、なんとなく冷静になっていった。
「あなた、誰?」
隙間に向かって声をかけると、ぼそぼそと返事が返ってきた。中の何かは、神様だと名乗った。
……そうか。神様なのか。
「何で神様がそんなところにいるの?」
「わ、私の仕事は、世界の全てを見届けることなのです」
「マンホールの中から?」
「あ、あなたが逃げるから、慌てて追いかけてきたんじゃないですかあ」
どうしよう、神様泣きそうだ。
「それはどうも、その、……ごめんね」
神様が可哀そうなので、私はもう少しだけ、逃げずに頑張ってみることにした。
02 窓の外の神様
ザワザワと雨の音が、薄暗い部屋に響いていた。私は夢と現の間をうろうろとしながら、やけにはっきりとしたその音を聞いていた。何故こんなにも雨の音がはっきりと聞こえるのか、と、私は夢の中で考える。そしてふと気づいた。窓が開いているのだ。とたんに私は覚醒し、ベッドから飛び降りた。既に、どんな夢を見ていたかも忘れていた。どうせ、大した夢ではないだろうけれど。
幸い、雨は部屋の中にまでは入ってきていないようだった。それでも私は窓を閉めた。濡れては困るほど大切なものなんてこの部屋には無い、なんて、気づきたくなかったから。
おでこと鼻をピッタリとガラスに押し付けて、真っ暗な外を眺めた。ガラスの冷たさが、心地良かった。
たぶんもう、日付は変っているだろう。私は17歳になった。幼い頃は、17歳をとても素敵な年齢だと思っていたのに、私はちっとも嬉しくなかった。
お姉さんになればなんでも出来ると思っていた。大人になれば思い通りの私になれると思っていた。今ではもう、一つ歳を取ったくらいでは何も変らないと、解りすぎるほど解っていた。
何も見えない暗闇を見つめ続けていると、突然、窓の外に二つの瞳がキラリと覗いた。
「「うわあ!」」
私と、窓の外の何かが同時に叫んだ。私は慌てて後ずさる。けれどそのとき、私はどこかで同じようなことがあったことを思い出した。
「……神様?」
私は恐る恐る、窓の外へ問い掛けた。
「す、すみません。中が暗くてよく見えなかったから。でも、あなたは起きてるみたいだったし……」
「はあ」
「わ、私の仕事は、世界の全てを見届けることなのです」
ああ、そういえばそうだった。
「えっと、ごめんね。今度から起きてるときは、ちゃんと電気点けるね」
私が言うと、神様はホッとしたように言った。
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ、私また寝るから」
「はい」
私がベッドに戻ろうと神様に背中を向けたとき、
「あ、そうだ!」
突然神様が大声を出した。驚いて私が振り返ると、
「誕生日おめでとうございます」
暖かい声が、雨音の隙間から私に届いた。
やっぱり、神様はなんでも知ってるんだな。
そんなことを思いながらベッドにもぐる。なんだかイイ夢が見れそうな気がした。
03 空の上の神様
カバンの中のボトルガムが、カシャカシャと音をたてる。その音が気になって、私は走る気になれない。このままでは電車に間に合わない。そして、授業に間に合わない。この道は私の夢に続いているのに、私の足は何故か重たい。靴の裏に、ガムでもくっついているみたいに。
何故、ガムなんか買ってしまったんだろう。しかも、ボトルで。イライラモヤモヤしたときに、ガムでも噛んで落ち着こうと思い立ったのだけど、10個目くらいで飽きてしまった。
カシャカシャ。煩い。歩いているだけでもこんなに煩い。とても走ることなんて出来ない。
私はもう、歩くことさえ嫌になって、道の真ん中で立ち止まってしまった。そのとき、
「あの、」
声をかけられて、私は振り返る。
「あれ、神様」
3度目ともなると、もう特に驚きもしない。
「どうしたの?」
尋ねると、神様はとても言い辛そうに口をもごもごさせる。
「何?」
重ねて聞くと、神様は思い切ったように口を開いた。
「実はその、間違って空から落ちてしまったんです」
「ええ!」
それは、もしかしてとても大変なことなのだろうか。よくわからないが、神様の様子を見るとどうもそうらしい。
「大丈夫なの?」
「それで、お願いがあるんです」
「何?」
なんだかんだで、私は2度ほど神様に辛いところを助けられていたので、神様のために私が出来ることなら、なんだってやろうと思った。大げさかもしれないけれど、なんなら命をかけたって構わないと。
けれど、神様の言葉は、私の想像を遥かに越えていた。
「その、カバンの中でカシャカシャ鳴っているものをくれませんか?」
「……へ?」
私はおずおずと、カバンの中からボトルガムを取り出した。
「これ?」
「そうです。駄目でしょうか?」
「いや、こんなものでよかったら、いくらでも」
「ありがとうございます!」
神様の顔が、明るく輝いた。どうするのだろう、と、私が興味津々で見ていると、神様はガムを全て、ザアっと口の中に放り込んだ。
「ええ?!」
もぐもぐ、と、神様は口を動かしている。そして、ぷうっと大きな大きな風船を作った。私はもう、なんだか色んな理由で声も出なかった。
「むうう、うう、うううむ」
たぶん、「ありがとうございます」だと思う。
「どういたしまして」
と、私が言うと、神様はにっこり笑って、そのままプカプカと空高くまで昇っていった。
やっぱり、神様には敵わないな。
私は大きく息を吸い込むと、軽くなった身体で、夢に向かって駆け出した。
04 星を見る神様
私は闇の中、息を切らしながら坂を上る。空を見上げる。しかし灰色のそれはまだまだ遠く、とても届きそうになかった。
毎日毎日、あまりにも雨が続き過ぎる。今は雨こそ止んでいるが、空は厚い雲で覆われていた。なんてつまらない空だろう。私は、星が見たいのに。
私は坂道の途中で息を切らして立ち止まる。星が見たい。帰りのことを考えると、ただそれだけのためにこんな所までやってきてしまった、自分の浅はかさが恨めしかった。
そのとき、私は突然背後に気配を感じて振り返る。こんな時間のこんな場所に、突然現れそうな相手に私は心当たりがあったので、あまり驚きはしなかった。
「神様」
「お久しぶりです」
やっぱり神様だった。
「今日は、どうしたの?っていうか、大丈夫?」
見ると、神様も私と同じように息を切らしている。
「はい。大丈夫、です。きょ、今日、は、」
「息、整えてからしゃべっていいよ?」
「す、みません」
私は、神様が落ち着くのを、傍でじっと待った。やがて神様も楽になったようで、大きく深呼吸をしたあとにっこり笑った。
「もう大丈夫です。ええと、今日は、星を見に来たんです。ずっと曇っていたから」
「あら、私と同じだ」
しかし疑問が残る。神様は以前、空に住んでいる、というようなことを言っていなかっただろうか?そう、私は空から落ちてしまって困っている神様に、ガムをあげたことがあるのだ。
すると、神様は私の疑問に気づいたようで、そっと、私の後を指差した。
「雲が邪魔で、ずっと見れなかったんです」
振り返ると、そこには美しい夜景が広がっていた。
「……綺麗」
私が言うと、暗い空の下で、神様はにっこりと輝くように笑った。
星なんかより、ずっと綺麗だ。
いつの間にか、私の帰りたくない理由は変っていた。
05 肝を試す神様
特に仲の良いわけでもないグループで、何故か肝試しをすることになった。理由を説明しようとすれば、「なりゆきで」という以外にない。
私は憂鬱だった。実を言うと、私は幽霊も怪談も大嫌いなのだ。恐い。ゾッとする。
けれど私は、誰にもそれを打ち明けなかった。どうってことないという顔をして、近所にある有名な、今にも崩れ落ちそうな洋館へ一人足を踏み入れた。
暗い廊下が、ギィギィと嫌な音をたてる。私は泣きそうになりながら、「恐いから嫌だ」と言えなかったことを後悔し始めていた。しかし、だからといって、逃げ戻って「やっぱり無理です」と言うこともできない。
恐いものは恐いのだ、と、いつから素直に言えなくなってしまったのだろう。今では私は幽霊なんかよりも、他人に自分の弱みを曝け出ことを恐がっている。
煩い廊下を曲がった瞬間、私は叫び声をあげそうになった。奥に人が立っている。しかしすぐに、壁に巨大な鏡がかけられているのだと気づく。
「なんでよりによってこんなところに……」
この洋館のインテリアをコーディネートした誰かを恨みながら、私は指定された部屋のドアノブに手をかけた。
そのとき、ふと何かが気になって、私は反射的に再度鏡に目を向けた。
何かがいた。
「「うわああ!」」
私と何かが同時に叫んだ。私は慌てて逃げようとして、妙な既視感を覚えた。
「……神様?」
恐る恐る振り向くと、神様が今にも泣き出しそうな顔で立っていた。
「大丈夫?」
私が驚いて手を差し出すと、神様は私の手にギューっとしがみ付いてきた。
「どうしたの?」
「ふたりのほうが、恐くないと思って」
神様は、くしゃくしゃに顔を強張らせて、強く目を瞑っている。
「……ありがとう」
ふたりなら、恐くない。
だから離れないように、私は神様の手を強く握った。
「目、瞑ってていいの?世界の全てを見届けなきゃいけないんでしょう?」
私が言うと、神様はビクリと身体を震わせる。その様子が可愛らしくて、私は声を出さずに笑った。恐る恐る目を開けた神様は、そんな私を見て拗ねたように唇を尖らせた。
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何もかもが嫌になった私の前に、神様が現れた。世界の全てを見届けなければならないという神様に、私はいつも敵わない――。
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