残暑がまだ厳しい九月。俺は今日もパソコンの前に、とろけそうになりながら座っていた。別段理由はない、といったら嘘になる。一応、俺は仲間と共に、小説の同人誌を出している。そのネタを考えなければならん、というのがあった。まあ、まだまだ先の話だが、締め切り間際になって焦るのが目に見えている以上、俺はせっせと話を考えているのだった。
そして、ちょうど十時を回って、ふう、と一息ついたときだった。突然、音もなく忍び寄ってきたアイツに、後ろから抱きしめられた。思いっきりだった。俺の肺は風船のごとく押され、空気を思いっきりはき出した。思わず、むせる。同時に、妹に対する軽い怒りがわいてきた。
「おい、いきなり何なんだ」
振り向かず、感情を言葉にのせる。すると奴は、俺の耳の横に、顔を持ってきたようだった。
「今日はね、妹の日なんだって。だから甘えたいの」
妹の、日、だと? なんだそりゃ。
「妹の日だかなんだか知らんが、とりあえずはまず離せ。話はそれからだ」
そういって、俺は奴の手をそっと引きはがした。
これは後で調べて知ったことだが、どこぞの漫画家が定めた記念日だそうで、九月六日がその日らしい。つまり、今日だ。まったく、どこの漫画家かは忘れたが、余計なことをしてくれるな。
「大体さ、最近あんまり構ってもくれないし、それに……」
思案に耽っている間も、奴は関係なく、俺に対して話し続ける。とりあえず今日が妹の日ということは聞いた。だが、だからって俺の金で豪遊させろ、はな。
「それに、なんだ?」
それに、で顔を伏せた奴に、俺はそう聞く。すると奴は、一瞬口を開きかけて、その口を閉じ、激しく首を振った。そして、少し顔を赤くしながら叫ぶ。
「ど、どうでもいいから、私をどっかにつれていって!」
……あーあー、わかったわかった。どうせ説き伏せようとしたところで無駄だしな。俺は机の上に放り投げてあった車の鍵を取り、奴に出るぞ、とだけ伝えて、車へと向かうことにした。
で、数十分後、そこには実の妹に振り回される、残念な兄の図があったわけだ。いつも買い物に来る大型のショッピングモールに着くやいなや、普段俺が近寄ることもない専門店街へと引っ張られていく。で、服を見たりだの、靴を見たりだの、本屋まで引っ張られて延々と「この漫画すごいんだよ!」だの、「この漫画面白いんだ」だの。
買い物が一段落する頃、俺の両手には様々な店のロゴ入りの袋が吊されていて、かつ右腕はずっと奴に引っ張られたままで、そして財布の中身は寂しくなっていた。……軍資金、貯めてたんだけどな。おかげで計画が、果てしなく狂った。
一旦荷物を置く、という名目で、俺はどうにかこうにか一人で、車まで戻ってくることができた。後部座席に、適当に買ったものを積んでいく。そしてまた音を立ててドアを閉める。それから、運転席に座って、俺は胸ポケットからたばこを取り出した。店内では当然一服できないし、何より奴はたばこ嫌いだから、このタイミングぐらいでしか吸えないと思ったのもある。それに、とりあえず疲れた。適当にジュース代は預けておいたから、多分しばらくは待ってるだろう。
たばこに火をつけて、一つ大きく吸い、そしてはき出す。途端に白い煙が、車の中にさーっと広がって、そして霧散した。
しばらく吸って、俺はちょっと思考をリフレッシュすることができたのかもしれない。ふと、奴がどうしてこんな具合に俺を引っ張ったのか、についてを考えてみることにした。
少なくとも、奴がこんなこじつけで俺を引っ張ったのは今回が初めてだ。恐らく、俺をどうしても引っ張りたいが為に、わざわざこんなマイナー記念日なんて調べてきたんだろう。
そこで疑問にぶち当たる。何で奴は、俺を無理に引っ張りたがったのだろうか。確かに、俺は奴と二人暮らしで、最近はあまり奴に構っていなかったのも事実だ。休日出勤で給料を稼いで、それを冬の軍資金にしようとしていたからな。それに、ずっと話を考えていて、飯の時以外、ほとんど喋ってなかったのもこれまた事実。ここ二週間は、ずっとそのはずだ。
「……ああ、だからか」
思わず俺は、そんな独り言を呟いた。考えるまでもないじゃないか、奴が俺を無理矢理引っ張ってきた理由なんて。
「くそっ、馬鹿だな俺は」
苦々しく煙を吐きながら、また俺は呟いた。
何、単純も単純な話だった。俺と奴は二人暮らし。そして、俺の唯一の家族は奴であり、奴の唯一の家族は俺だ。俺らの両親は、俺が高校三年の頃に、仲良く交通事故で逝っちまったからな。
ああ、だからだよ。結局奴は、甘えることのできる相手が、精々俺ぐらいしかいなかったんだ。普段は憎まれ口をたたいてるけどな。その唯一の甘える対象にさえ見向きもされなかったのが寂しかった。だから、妹の日なんてわけのわからん記念日まで持ち出して、俺を無理矢理に誘ったわけだ。
自惚れてるな、とは思うさ、俺でも。俺が良い兄貴でもなければ、良い親代わりでも、家族でもない。少なくとも、そこは自覚しているつもりだ。でも、甘える対象としてぐらいの存在価値はあるだろう。その考えは、恐らく間違っちゃいない。
「……まさかな」
俺は笑いながら、短くなったたばこを、携帯灰皿へと入れた。まさかな、アイツに限ってそんなこともあるまい。単純に、自分のほしいモノを買いたいから、俺を無理矢理に引っ張って買わせたに過ぎないだろう。たぶんな。
やっぱり俺は、無駄に考えすぎるみたいだ。笑うしかねえ。でも、まあ今回は、俺の推論を信じてみようじゃないか。
俺は車から降り、ロックすると、奴の待つ自販機コーナーへと戻った。妹は両手でジュースの缶を持ちながら、うつむいていた。
「お待たせ」
と俺が声をかけると、奴はばっと顔を上げて、缶を脇に置きつつ、俺につかみかかってきた。缶の音は、かなり軽かった。恐らく空だろう。
「……遅い」
あー、これはかなり怒っておられる。まあ、十分も二十分も待たせたら仕方ないな。
「まあとりあえず、缶捨ててこいよ。飯、食いに行くぞ」
そういうと、奴は渋々、といった感じで、缶を捨てにいく。そして奴が戻ってくる。
「よし、それじゃいくぞ。お前に選ばせてやる。ちょっと金に余裕がないから、好きなだけ食うのは勘弁しろよ」
そういって俺は、奴の手を握った。最初は奴も驚いたようだが、すぐに俺の手を握りかえしてきた。
「……じゃあさ、あそこのアイス屋さん」
と、奴が指さした先にあったのは、二列に並んでもまだ長い行列のあるアイス屋だった。確かに時間はお昼時だが、それにしても混みすぎだろう。というか、昼飯をアイスにするつもりか、こいつらと、今俺が手を握っている妹は。
俺がすっと肩をすくめたのを、奴はめざとく見ていたらしい。俺の手を、強く握ってくる。
「……約束、だから」
ああ、わかってるとも。俺は約束は破らない。
「わかってるよ。だが、一つだけ聞かせてくれ」
と、俺は奴の顔をまじまじと見つめて問う。ずっと疑問に思っていた事があったんだよ。
「妹の日があるってことは、兄の日も当然あるんだよな?」
途端に、奴は沈黙する。どうやら、奴からしたら相当予想外の質問だったらしい。きょとん、とした、可愛らしい表情になって、それからしばらくすると、思いっきり笑い出した。
「知らないよ、そんなの。もしかして、自分もこんな風にしてほしかったの?」
「うるせえ、今日はこんなに付き合ってやったんだから、兄の日があるんなら俺に付き合ってもらうからな」
思わずに本音を大きな声で言って、そして俺も、思わずおかしくて笑い出す。二人で、しばらくの間笑いあってたと思う。
そして俺は、奴の手をしっかりと握って、長い長い行列へと加わった。
そうそう、よく女の子の手はマシュマロみたいにふわふわ、というが、奴の手は別にふわふわではなかった。ただ、暖かかった。
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妹の日ネタで書いたら面白くね?と思いついたのは今週の月曜の事。王道というか、ベタというか、思いっきり時季外れというか。そして30分で話を書いてみよう企画をしようとして失敗した作品でもあったり。