「私ね、姉様の事が嫌いだった時があるの……」
そう言って、小蓮は
「みんなが私を見る時、その目に映る姿は本当の私じゃない。いつだって付いて回る肩書きは、『孫策の妹』という事。まるでそれ以外の価値がないみたいに、誰もが私をそういう目で見ていたの。だから友達もほとんど出来なかったし、最初は普通におしゃべりしていた子も、私が孫策の妹だと知ると態度を一変してしまう。まるで珍しい動物みたいに、遠巻きに眺められながら毎日を過ごすしかなかった」
小蓮は拳を握り、ぎゅっと唇を噛む。
「姉様なんか、いなくなればいいのにって、願ったこともあったの。でもね、本当にいなくなって初めて気付いたんだ。姉様の凄さとか、どれほど自分が支えられていたのかって……」
「シャオちゃん……」
しょんぼりとうなだれる小蓮に、紫苑は掛ける言葉が見つからなかった。そっと抱き寄せようと伸ばし掛けた手も、結局、引っ込めてしまう。
(私に、そんな資格はないわね……)
孫策が行方不明になる原因を作ったのは、紫苑なのだ。暗殺は失敗だが、暗殺を指示した人物の思惑が邪魔な孫策の排除なのだとすれば、結果的に成功したとも言えるだろう。少なくとも孫策は、表舞台から姿を消している。
これまでの経緯を聞きながら、紫苑の胸は痛んだ。大切な家族を失う辛さは、今の自分にはよくわかる。だから小蓮がその小さい体で抱える重圧も、紫苑は同じくらい理解出来た。
(私、ひどいことをしたんだ……)
自分の苦しみから逃れるため、別の人間に同じ苦しみを与えている。ただ、娘の璃々を救うことだけで頭がいっぱいだった。けれど冷静に考えてみれば、それは自分がされたことと同じことをしているに過ぎない。
「どうしたの、紫苑?」
小蓮が首を傾げて訊ねてくる。しかし紫苑は、上手に笑えなかった。
華雄の合図が聞こえた。
「離れて聞くと、ますます鳥の声にそっくりね」
はしゃぐ小蓮の横で、紫苑は辛うじて強ばった笑みを浮かべる。その無邪気な笑顔を見れば見るほど、紫苑の心は締め付けられるのだ。
(璃々……)
幼い小蓮の表情が、娘の顔と重なった。
「お母さん!」
璃々が楽しそうに自分を呼ぶ声が、紫苑の脳裏に蘇った。いつも信頼の眼差しで、じっと見つめてくるのだ。その眼差しに恥じぬ生き方をしたい、その思いは常に心にあったはずである。
多くの命を奪い、血で穢れたはずのこの手を、まるで宝物のように小さな指を絡ませてくる娘に、何度となく紫苑は救われてきたのだ。
(それなのに!)
自分は、あの眼差しを裏切ってしまった。
「紫苑?」
考え込む紫苑を、心配そうに小蓮が覗き込んでくる。あの、無垢な眼差しで。
「大丈夫よ。さ、行きましょう」
「うん!」
紫苑は弓矢を手に持ち、隠れ家の入り口に向かって走り出す。先頭は大喬と背中に乗った小蓮だ。次に紫苑が続き、最後尾は小喬である。中に飛び込んだ華雄と霞が暴れているのだろう。すでに大勢の怒声が聞こえ、慌ただしく走り回る盗賊たちの姿があった。
意識と身体が別々になったような、不思議な感覚の中に紫苑はいた。目の前で繰り広げられている戦闘に参加してはいるが、心はまったく別の場所にあるようだ。
身体に染みついた動きが、意識せずとも自然と現れる。相手はさほど手強くもない、盗賊の集まりだ。華雄や霞もいて、小蓮たちも十分すぎるほどの戦力となっていた。
(このままでいいのかしら……)
紫苑の気持ちは揺れている。璃々の行方を捜し、まだ手がかりすら掴めてはいない。諦めることなど出来はしないが、深い後悔が強い気持ちを鈍らせるのだ。
(璃々)
自分の命を賭しても、守り抜かなければならない存在。そのために、自分の身がどれほど墜ちようが構わないと思っていた。けれど、小蓮と出会ったことで一線が引かれてしまったような気がした。どれほど墜ちようとも、決して越えてはならない一線である。
(もしも今の私が璃々を救っても、あの子はきっと喜ばないでしょうね)
犯罪者の子、それが与えられる肩書きだった。笑顔を失い、もっと大切なものも失う。
生きていればいい、そう思う親の気持ちも本当だが、それだけでは不十分なのだ。
(私は璃々が楽しそうに笑う、その顔が大好きだもの……)
笑顔で送ることの出来る人生。それを与えることが、母親としての自分が出来る最高の行為なのだとしたら、取るべき道は限られている。
「璃々……」
喧噪の中で、紫苑は娘の名を呟く。どんな極限状態にあっても、勇気をくれる唯一の言葉だ。
「お母~さん!」
脳裏に蘇る、璃々の甘えた声。ギュッと服の裾を掴んで、自分を見上げてくるのだ。矢を放つ紫苑の目に、涙が溢れた。
(会いたい!)
とても、とても会いたかった。
気がつくと、いつの間にか戦いは終わっていた。自分が何をしたのか、紫苑はよく覚えてはいない。盗賊たちは全員、縄でしばられて地面に座らされている。
「さて、こいつらをどうしたものか……」
華雄が腕組みをしながら、並んだ数十名の盗賊たちを眺めた。
「それなら、私が街に戻って兵士たちを連れてくるわ」
小蓮がそう提案し、華雄や霞が賛成する。だが紫苑が黙ったまま何も言わないので、華雄が気に掛けるように声を掛けた。
「紫苑、お前はどうだ? 何か意見があれば言うといい」
「えっ? わ、私もその意見でいいわ。ただ……」
「ん?」
「街には私も一緒に行かせて欲しいのだけれど」
紫苑がそう言うと、小蓮が嬉しそうに抱きついてきた。
「やったー! 紫苑と一緒ね!」
「では、私と霞でこいつらを見張っていよう」
「そうやな」
こうして、小蓮と紫苑、大喬、小喬は盗賊を引き渡す兵士を呼ぶため、街に出かける事となった。さほど遠い距離ではない。往復でも日が沈む前には、戻って来られるだろう。
小蓮はピクニック気分で楽しそうだが、紫苑はどこか表情が暗い。
「ね、紫苑?」
「えっ?」
「どうかしたの? 何だか、少し様子が変だよ?」
大喬の背中に乗っていた小蓮が、するすると地面に降りて紫苑の手を掴む。だが紫苑は、思わずその手を振り払ってしまった。
「えっ……紫苑……?」
「あっ、私……」
自分のしたことに気付き、紫苑は慌てた。だが、悲しそうな小蓮の顔を見て、ずっと迷っていた心が決まったのである。
「あのね、シャオちゃん。大事なお話があるの。聞いてくれる?」
「……うん」
「孫策さんが暗殺されそうになったって、言っていたでしょ?」
「うん」
「その犯人……孫策さんを殺そうとした暗殺者はね……私なの」
「……えっ?」
小蓮は、自分の耳を疑った。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
言葉に表すのが難しい気持ちというのが、あると思います。
もっと、表現力が欲しいです。
楽しんでもらえれば、幸いです。