それは、美希がデビューして間もなく――。
春香はまだ、担当プロデューサーすらついていない時のことで…。
――やがて…。
星井美希は、お目当ての人物を視界のうちに認めると、
「あ、やっぱりいたのっ。はーるかーっ!」
とその後姿へ、ちょっと舌足らずな声を投げ、元気よく駆け出した。
強い跳ね癖をもった、長い金髪。歳に似合わぬ健康な体つきにすらりと伸びる長い四肢。それらが走る彼女の振動にあわせて、ふわふわと揺れ、明るく弾む。
その光景は、十代に相応しい微笑ましさを感じさせる一方、どうして、眩しさを錯覚させる程のもので、偶々その付近に居合わせ、大きな、黄色い声につられ振り向いた人々は、ぽかんと、何やら不思議なものを見る目付きで、美希が駆けていくのを見守った。
「ん…あ、あっ。美希!」
対して、声を駆けられた後姿は、くるりと振り向きつつも、何故か、二度三度と喉を震わせ声を整え、自身の下へ駆け寄ってくる少女へ声を返した。
振り返った際に、切りそろえた前髪と、結った一対のリボンがはさりと揺れて、本日の快晴と併せ、何とも爽やかな雰囲気を湛えた天海春香が、その愛嬌のある丸顔へ、にっこりと明るい笑みを浮かべ、両手を広げて美希を迎える。
「えっ、へへへーっ。は、るっ、かぁーっ」
ほとんど間をおかずに。たんったんたんっと軽快な音を響かせて、金髪の彼女は、リボンの彼女の胸元、腕のうちへと飛び込む。
「今日も来ちゃったのーっ」
何とも甘えた声を出しながら。
二人の出会いと切欠は全くの偶然。
今日の様に、雲一つない、心地よく澄んだ晴れた日のことで――。
その日。事務所をこっそりと抜け出すことに成功した星井美希は、その果てに、近所の公園へ行き着き、見覚えのある人物の姿を見出すこととなった。
丸顔にぱっさり前髪。肩までの髪を後ろで跳ねさせ、一対の赤帯を結った…それこそが''今でこそ親しい''天海春香で、
(あ。リボンの人なの)
と美希は思い、声をかけようとしたが、ふと、それは躊躇(ためら)われた。
先述の「リボンの人」――が示すように。この時の美希と春香の関係あまり深いものではない。
プロダクションの先輩で、年上の候補生。何と言っても「頭のリボン」ということで、彼女の存在をおぼろげながら把握していた、ぐらいのもので、その名前までは覚えていないのが実のところだ。
つまり。
''ただ漠然と記憶にある人''の姿を見て挨拶をしようとした、それぐらいの浅い動機であり――。加えて今、美希が、ここに居る理由が、あまり褒められたものではないことによった。
というのも。
『こら、美希! 寝てばかりいないのっ!』
『みーきっ、ちゃんとレッスンうけなきゃだめでしょう!』
『返事は一回っ、短く、はっきりとっ』
などと「眼鏡でおさげの先輩」のお小言があまりにも五月蝿く耐えられなくなってしまい…、事務所から逃げ出してきた――要はサボタージュであったからだ。
星井美希はマイペースな娘(こ)ではあるが決して性根の悪い娘ではない。
逃げ出したことについて、一抹ながらも、良心の呵責を感じており(眼鏡でおさげが先輩のお小言に対する不満も大きかったが)、その上で「リボンの先輩」を見かけて、もし「抜けだしたことがバレたら…」と、強い後ろめたさをこの瞬間抱いてしまった…というわけであった。
――何より。
目の前の「リボンの人」は歌っていた。
それは決して上手いものではなく、音程も所々外れていて――。
けれども、耳を塞ぎたくなるほど下手ではなく、声はどこまでも明るく、やわらかく弾んで、それを紡ぐ本人をきらきらと輝かせていた。そして流れる音は、ずっと「聞いていたい」「見ていたい」と思わせる不思議な魅力に溢れ、それを遮ることが、どうにも憚られたのだ。
しかして、
「ぷふっ…」
思わず。歌をある程度聴いたところで、美希は噴出してしまう。
悪意があってのことではない。
端から見ていて、「楽しそう」「歌が好きなんだ」と、はっきりわかるほどに気持ちが篭り、一生懸命で素敵な歌声は、当人の技量とあまりにもアンバランスで、その大きなギャップが、感動とも、驚きとも違う、(美希の)感情の琴線を刺激してしまったのだ。
とは言え、これは、天才的な感受性の持ち主である星井美希だからこそ――春香の才に彼女なりに気づいた上で――のことで、大抵の人物なら、もっと別の反応や感想になってしまっただろう。
ともあれ。
「あ、えっとー…。やっぱり音、外れてたかなぁ…」
何気ない少女の笑い声は、歌い手である少女に届いたらしい。
歌を止めて…。恥じらいで頬をほのかに染めた天海春香が、自身を見て、無邪気に微笑む星井美希へ、困ったように声をかけた。
対して、
「うん」
悪びれる感じもなく美希はあっさりと頷く。
「でも…すごく、素敵な歌だったと思うな」
そしてぱちりと目配せ。
以来。
星井美希、天海春香は公園で落合い、ひと時を過ごすようになる。
特にしめし合わせたわけではない。ただ、あのような偶然の邂逅であったがために、双方とも、なんとなく、顔を合わせるようになったのだろう。
美希はレッスンや仕事の合間をぬって、時に先輩のお小言から逃れるように、公園へ向かった。
春香は事務所に顔を出してから、公園へ向かい、誰を待つともなしに、そこで歌の練習をしていた(先において、春香が喉を整えたわけはこれである)。
たまにどちらかの都合ですれ違い、会えない日もあって、お互い寂しい思いを抱く時もあったが、
「それでね。律子がね、さんづけしなさーいってうるさいのっ」
今は二人、ベンチに座って。春香の右腕へ、すっかりと身を傾けた美希は、その小さな顔をリボンの彼女の肩に預け、子猫のように頬をこすりつけながら、事務所での出来事を語る。
既に二人の逢瀬は、片手に満たない月のうちで、両手足を合わせたものを、優に超える回数を重ねており、
「あ、でもね。美希、けっこう''さん''づけ出来るようになったんだよ。…たまに忘れちゃうけど」
「ふふふ。美希と律子さんって、何だか…いいコンビみたい」
随分と親しくなって、美希のされるがままにしている春香が微笑んだ。
「ほら。それって律子さんなりの優しさだと思うから…」
「んーっ。そんなことないのーっ。律子は怖いだけなのーっ」
今や「さん」づけするのも忘れ、弛緩しきった美希は、そのままに、ぷぅと頬をふくらませた…。
――大よそ、二人の会話はこのようなものだ。
レッスンのこと。仕事のこと。家のこと。学校のこと。事務所でのこと。
とにかく身近でおきた他愛もない出来事を、互いに話して、笑ったり、怒ったり、感動したり…。
公園のベンチで二人寄り添い、まるで倦(う)むことなど知らないかのように、こんこんと語り合うのだ。
それは実に濃密なもので――。
互いの都合で、大概、三十分にも満たない時間での出来事であったりもするが、
(まるで、蜂蜜みたいな時間なの…)
と美希は思っていた。
実際、どうしたわけか…。春香とひと時を過ごす時の自分は――不思議と思えるほどに――常日頃の、眠気と欠伸がなりを潜め、彼女との会話に専念できていたし、二人の時間を重ねる度に、なんとなくではじめたアイドルというものが、楽しくなりはじめていた。
一方で春香も、年下の美希が、よく自分の下へ訪ねてき、親しくして、甘えてくれることが嬉しいらしく、
(何だか最近、調子いいみたい)
好きで続けてきた練習へ、また違った張り合いが湧いてき、そこへ確かな成果を感じていた。
「ねぇ。春香ぁ…」
美希がつぶやく。
「なぁに美希?」
春香が答える。
「美希ね」
「うん」
「美希ね…」
「うん…」
「春香のこと…」
「うん」
「大好きだよ?」
転瞬。場が凍った…ような雰囲気が走った。
いや。正しくは、春香にだけ。だが。
一方の美希は。変わらずに。春香の半身に身を預けたまま、何処となく、うっとりしたような表情で、ぼおっと前を見つめている。――少女にしてみれば、単なる甘えでしかなかったのかもしれない。
ともかく。
春香にしてみれば、美希の台詞は、予想だにしなかったことらしく、
「わ、わたしもっ、み美希のこと大、好きだよ」
と嫌に上ずった声で、美希へ好意を返した。
果たして美希の反応――と言えば、
「は、春香慌てすぎなのっ」
何がおかしいのか、春香を見てくすくすと笑い出す。
それもそのはずで。
美希を見つめる春香の顔は、無理やり笑みをつくりだしような、酷くひきっつた笑顔であったのだ。それは何とも情けない様相で、能面のおたふくと言ったところだった。
「だ、だって突然のことで驚いたんだもんっ」
「そ、それにしても、その顔酷いのっ」
強張った形相を今度はひょっとこに変えて、必死に取り繕う春香の言葉をうけ、片腕を春香の右手に絡めたまま、もう片手は自分のお腹に当てて、ますます美希は笑う。
「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃない」
あまりに愉快に笑われるものだから、丸い頬を真っ赤に染めて、春香は精一杯年上なりの威厳を出すが、
「だ、だってー」
年下である美希の笑いは止まらない。
「も、もぉー」
しかして、とうとう観念したのか。
春香は、一声挙げると、まめふぐのように頬を膨らませてぷいとそっぽをむいた。
けれど。それも一瞬のことで。隣で笑い続ける美希を見つめ、ため息をつくと――
「ふ、ふふ。ふふふふふ…」
つられるように笑い出した。
すると今度は美希の笑いがやみ、しばらく、楽しそうに喉を震わせる春香を見つめて、
「う、ふふふ…」
先ほどの笑いとは打って変わって、春香と同じように、優しく、穏やかな笑いを紡いだ。
そして、
「ふふふっ、あはっあははっ…」
「うふふ、ふふふ、あはは……」
ふたりの笑い声は重なり、次第に大きくなった。
美希は、ますます、ぎゅっと春香の右腕へ、自分を絡めて。
春香は、こてんと美希の頭に自分の頭を傾けて。
二人だけにしかわからない、何かが通じて、それが嬉しかったのだろうか。
より一層、お互いの身を寄せあい、公園のベンチで、仲良く、けらけらと笑った。
――ほどなく後…。
聞き覚えのある、くぐもった振動音が、美希と春香の耳に届いた。
それは携帯電話のバイブレーション音で、
「あ。あの人からなの」
ポケットから携帯を取り出し、確かめた美希はそう言って、絡めた腕をといて立ち上がった。
あの人とは、美希のプロデューサーのことだ。
「そっか。もうそんな時間なんだ…」
同じく春香も確かめており。液晶に表示されている時間をちょっと見て、立ち上がる美希を見送る。
「お仕事、頑張ってね」
「面倒くさいけど。春香がそーいうなら、ちょっとだけ頑張るの」
「もうっ、駄目だよ。そんなこと言っちゃぁ」
そうしてまた、向き合って、くすくすと笑う。
二人の逢瀬は、別れの、この、やり取りも含めて最早ある種の習慣のようになっており、一定の時が立つと携帯が鳴るのも、同様に常であった。すなわち、これは、アイドルとしてデビューしている美希のスケジュール(時間)がつまっている事を告げる、プロデューサーからの連絡というわけだ。
「またね。春香」
「うん。またね、美希」
美希はもう立ち上がって。春香はベンチに座ったまま。じっと見つめあい、別れの言葉を告げた。
お互い、名残惜しく、出来ればもっと一緒にいたいという想いもあるが、もう何度も同じ時を過ごしてきた二人は、存外にあっさりと、今日も、それぞれの時間へと戻っていく。
(多分、明日も逢える)
そんなほのかな気持ちを毎日抱いて、美希は振り向かず公園を去り、春香は黙って見送る。
それが二人の、いつもの、別離であった。
けれども、
「ねぇーっ! はーるかーぁっ」
その日は、いつもと違い――。
常の、お互い何処か寂しくも、暖かく満たされた沈黙の別れではなかった。
それは。ある程度、歩みを進めたところで美希が振り向き、よく澄んだ声を春香へ投げたのだった。
「どーしたの? みきーっ」
唐突な出来事で、僅かに、驚いた感じではあったが、今度は落ち着いて、春香も声を張り上げて返した。
「みきねーっ」
「うーんっ」
「はるかのことーっ、だいすきーっ!」
美希からの二度目のアタック。それも大声で。
人目が気になるのか、春香は辺りを見回し、ちょっと動揺したふうであったが、それも一瞬のことで「もうっ」と小さく呟くと、頬を林檎色に染めながらも、
「わたしもーっ!」
と笑顔で、素直に、返した。
それが余程嬉しかったらしい。
「ありがとーっ」
と、満面の喜色を浮かべての美希の返事。
「ねぇーっ。 みきーっ」
今度は春香の声が飛ぶ。
「なぁにぃーっ」
「いつかーっ」
「うーんっ」
「いつかねーっ」
「うーんっ!」
ここで春香は言葉を切った。そして手を胸の辺りに置き、目をつむる。
ややあって。何かを強く、思い決めたのか、頭(かぶり)を振って、
「絶対にっ。一緒にっ。同じ舞台(ステージ)で唄おうねーっ」
己が決意を、目標を、美希へ告げた。
「絶対に、絶対に! わたし、追いつくからーっ」
途端。強い風がざあっと吹き、二人の髪を、荒く靡かせ、空へと舞い上がった。
枝と葉のざわめきの中、美希と春香は…、ただ見つめあうのみで――。
この日の空も、二人が出会った時のように。
雲ひとつない、澄んだ青空が何処何処までも広がっていた。
それはまるで、美希と春香の未来が如く――。
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題は飽くまでテーマであって、連載ものではありません。はるみき模索もの。テスト投稿を兼ねて。一部推敲。//設定的にはゲームの1から。