息苦しさに、目を覚ます。
鉄仮面。頭にのしかかる重みと己の現状にそんな連想がよぎる。
思考の展開を再開した脳がいらぬ情報を意識に注ぎ込んでくるが、無視。
のろのろと亀の歩みでベッドから這い出し、薄いグリーンのチェックが入ったカーテンを無造作に開く。レースのカーテン越し、降り注ぐ陽光は燦然と輝き、目を細める。窓を開くと心地いい風、そこには――
二階からの景色。町並み。
それはしかし、それ以上でもそれ以下でもない。ない、はずだ。ならば――
コンコン
音のした方を振り向く。扉。
「………………」
無言。
お互いに、だ。
音を立てぬよう、身じろぎ一つせず扉を凝視する。気配は木板一つ挟んだ向かい側でしばし動きを止め、やがてパタパタパタ…と小気味のいいスリッパの音を立てて消えた。
安堵の息を吐く。
今、相手と顔を合わせていたら睨み付けてしまっていたかもしれない。それは寝起きの不快感が残っているからでもあり、もっと厄介な問題を孕んでいるからでもある。
再び息を吐く。ただし、今度は嘆息。
ゆっくりと窓を閉める。買ったばかりらしき新品のパジャマを無造作に放り投げ、硬直。
床に大の字を描いて脱ぎ散らかされた衣服の山に、新たな『塵』が積み重なる。
無言でそれを見やり、目をそらす。切り崩す意思がない限り、文字通り山と詰もった塵だ。巧みに視線を外したまま、ごそごそと箪笥を漁る。――ロクなものがない。
悩んだ挙句、無地の白Tシャツと腰で履くジーパンをまとって、ベッドに寝転がる。
階下から大きな扉の閉まる音が聞こえてきた。『彼』はこの家に一人とり残されたことを知る。
頭によぎるのは――無用心。無警戒。
それは過度の信頼か、認識の欠如か――あるいは未知の後ろ盾か。
扉を開ける。隔絶ではなく、開放された牢獄の徴。あるいは、監禁ではなく軟禁であることの証。
床に、まだ温かい朝食が湯気を立てて置かれている。
この家の朝は和食派であるらしく、メインは米だった。海苔、生卵、納豆――食べる者がどれを好きでもいいよう、盆の上には様々な一品物が並ぶ。味噌汁の具はわかめと豆腐、製作者の好みか見た目は吸い物に近い。小さな椀にはきゅうりと白菜の漬物が丁寧に盛られている。
鉄仮面の内装甲に生える鉄芯。鋭い痛みが思考を冒す。
乱暴に扉を閉める。そこで力尽き、床に倒れ伏した。
「……善行を気取られてもな」
誰が聞くでもなしに気取ったことを言いながら、しかし未練がましく扉の方に目を遣ってしまうのは空腹の性によるものか。
己の判断にわずかに後悔しつつもそれ以上考えることはやめ、せめてもの気晴らしに周囲を見やる。
埃はおろか桟に汚れの一つもない、旅館の客室を思わせる来訪者への配慮。家具やベッドは年代物の借用だが、むしろそれ故に使い勝手がいい。もっとも――部屋の真ん中で山となった珍妙なデザインの山を見ながら『彼』は思う――個人のセンスに依る類のものはどうにもならなかったようだが。
これに文句をつけられる奴がいるとしたら、面の皮がギネス級にぶ厚い奴か、でなければ王室から天下りしてきたお貴族様くらいのものだろう。
ちなみに、
「押し付けの善意は優しさとは言わない」
彼は前者だった。
頭を抱えて体を丸める。
思う――この世界の流れの上に、『自分』は存在しないのだと。
故に視界を閉ざし、ただひたすら時が流れるのを傍観する。
こうして無為に時を食らうのにも、そろそろ慣れようとしていた。
少なくとも、理性を保ち続けていられるほどには。
それでも時には肉体が時の経過を訴える。心の停滞を嘲笑する。
猛烈に渇きを覚えて、目を開く。
時計を見れば、すでに真夜中だった。どうやら、知らぬうちに眠ってしまっていたらしい。
軟禁状態を己に課している――つまりは引き篭もっている――彼にとって、すでにまともな時間感覚は残っていない。起きた時が朝であり、寝る時が夜だ。我ながらダメ人間の思考だと思う。
――今なら、大丈夫だろうか。
念のため今の時刻をもう一度確認し、問題ないだろうと結論付ける。
そして、音を立てないよう静かに扉を開く。
部屋から出てしまえば何の事はない――階下へと続く廊下が伸びているだけだ。床には放置された朝食の名残。当然だが。とっくに冷め切った料理はその仕打ちに嘆いたりはしないが、そのまま放っぽらかしにしておくのも気が引けた。
盆を持って階下へ。
外の騒音も届かない居間は、不思議な静謐に満ちている。
この部屋には何度か訪れているが、ゴミや衣服が散らばっている光景を見たことがない。
不可侵なる整然。それは絶対であり、リモコンの位置一つとて変化させてはならない。この空間の中では決して犯さざるべき暗黙のルール。
しかしそれは人在らざるべし、とはならないか。
人の介在を許さない、人住まう空間。言うまでもなく、歪んでいる。
料理を盆ごと台所に放置し、適当につかんだコップに水を注ぐ。
ふと、気づき――コップをあった場所に置く。両手で作った受け皿で水をすくい、がぶがぶと喉の奥に流し込む。と。
かさっ
ばっ、と背後を振り返る。誰の姿もない。
――気のせいか?
何故か自分がとても後ろ暗いことをしている気分になり、無人の部屋で警戒しながら階段に向かう。
そこでちょうど玄関の扉が開いた。
「…………あ」
目が、合った。
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ある日突然、50年後の未来に放り出されたら。 そんなことを妄想しながら書いた小説です。