夜、宿の食堂で食事を終えた私は、少し風に当たろうと外出することにした。
ここらの町は比較的治安がいいということもあって、日が落ちてからもわりと安心して出かけることができる。
一度部屋に戻って上着を羽織り、いつものようにカメラを肩にかけて表へ。ぶらぶらと街路燈が照らす道を行く。窓からやわらかな光が漏れる家々の間を進むうちに、次第に周囲の建物は少なくなっていった。
この地では今は晩秋にあたる。夜ともなれば空気はだいぶ冷たく、身震いするほどではないにしろ、思わず首筋から冷気が入り込まないよう襟元を締めてしまう。
しばらく歩くと、町から少しはずれたところにある公園までやってきた。
このあたりまで来ると人通りもだんだん減ってくる。
緑の多い敷地内には舗装された散歩道が続いているものの、照明の数はこれまでの道のりよりも少なく、薄暗いガス燈がたよりなく狭い範囲を照らしているだけだった。
とはいえ、まったく誰もいないわけでもない。犬の散歩をさせている若い女性や、逢瀬を楽しんでいる恋人たちともすれ違ったので、ひとり園内に踏み込んだところでなんの心配もないわけだが。
その少女と初老の女性に出会ったのは公園の中央に位置する広場だった。
ふたりは寄り添うようにベンチに座っていた。
頭上の街燈は故障しているのか火が燈っておらず、闇に身を潜めているかのように気配も希薄だったため、休憩しようと近づいた折に突如至近距離に出現したので驚いてしまった。
動揺を隠すように辺りを見回す。ほかに座れる場所もなさそうだ。
あきらめようと思ったら女性に呼び止められた。
「よかったら、この子の隣が空いているからお座りになって」
そう言われたら断る理由もない。もとより休むつもりでベンチに近づいたのだ。
少女もいやな顔はせず、女性の方へと身を寄せて座るスペースを作ってくれた。
「失礼します」
腰を下ろすと一息ついた。
暗さにもだんだんと目が慣れてくる。
ちらりと横を伺うと、二人は黙したままただ夜空を見上げていた。
私も倣って天を望む。
はるか遠く、漆黒に染まったキャンバスに無数の斑点がちりばめらていた。周りに光源がない分、星の輝きはいや増す。白や黄に赤、橙、薄い青。濃く淡く、瞳の奥に飛び込んでくる星々の姿は、どこか安らぎを与えてくれる。
このままいつまでも眺めていたいところだが、気になることがひとつ。なにやら隣に座る少女が空に向かって両手を伸ばしている。彼女は星のきらめきをその小さな手一杯にすくおうとしていた。
「おばあちゃん。あのおほしさまがほしい」
「星?」
「うん。これだけあったらきっとおかあさん、かえってきてくれるよ」
無邪気な孫の言葉に祖母が静かに問いかける。
「なんでそう思うの?」
「だっておかあさん、ゆびにおほしさまつけてたもん、いっこだけ……。だから、いーっぱいおほしさまあげたら、おかあさん『うれしい、ありがとー』っていってもどってきてくれるとおもうなー」
指に星をつけていたというのは、おそらく指輪か何かのことだろう。どういった経緯があるのかはわからないが、この子は母親と離れて暮らしているらしい。星を贈るというのはなかなかロマンティックだが現実的ではない。こんなとき、子どもの夢を壊さないようにするにはどうすればいいのだろうか?
女性は慎重に言葉を選んでいるようだった。
「そう。星をあげる……か。じゃあ、おばあちゃんがひとつだけ星を寄せてあげる」
「えーっ、ひとつ?」
「お星様はみんなのものだからひとりで全部とっちゃだめなの」
女性はやさしくたしなめると、少女と同じように夜空に向かって手を伸ばした。といってもこちらは片手だけで、星から延びる見えない紐をクイッ、クイッと引っ張り寄せるようなしぐさを何度かしたあと、ぱっと左手を添えて抱え込む。
「ほうら、とれた」
「ほんと!?」
覗きこむと左右の手で包むように何かを持っていた。少女が壊れ物でも触るかのようにそっと受け取る。暗いなかでは何を手にしているのかわからない。少女は少し離れた街燈の下まで小走りで駆けていくと、煌々と燈る明かりにそれをかざした。
刹那、かすかにきらりと光が反射した。遠くてわかりにくいが何かしらの宝石に違いない。
「あれは亡くなったうちの人から婚約のときもらった物なんですよ。はじめは指輪に嵌ってたんですけど、主人が亡くなった時になぜかとれてしまって。だからいい機会だし、もうあの子に譲ることにします」
「彼女の親御さんは?」
「昨年離婚しました。今日も家を出て行った母親と会いに来たんですよ。たまにここで待ち合わせて孫の顔を見せることにしてるんです」
話をしていると、突然少女が「あっ」と声を上げた。見ると、まだ若いひとりの女性が早足で近づいてくるところだった。少女はきゃっきゃ言いながらその女性に駆け寄るとうれしそうに抱きついた。
女性は我々の方に視線を向けると丁寧に会釈をした。
少女が足に抱きついたまま見上げて何かを言っている。と、手に持っていた宝石を大事そうに差し出した。少女の母親はその小さな手に載せられた宝石の粒をしばらく見つめた後、娘の頭をそっと撫でて静かに言葉を紡いだ。
女の子はうなずき、手のひらの上にあるただひとつの星屑を大切に握り締める。
「あの子の為を思えば、また息子たちには一緒になってほしいんですけどね」
「戻ってくる可能性はないんですか?」
「さあ……どうかしら」
どのような理由があって少女の両親が別れたのか。立ち入ったことは訊けないので知る由もないが、年端もいかない女の子に寂しい思いをさせたい親はいないだろう。現に家を出た母親もこうしてたまに娘に会えることを喜んでいるようだし、見た限り義母と仲が悪いわけでもなさそうだ。
孫に呼ばれて初老の女性も二人のもとへと歩み寄る。
ひとりベンチに残った私は、ふたたび夜空を仰ぎ見た。
綺麗な星空だ。あとで思う存分撮ることにして、私もまねをして手を伸ばしてみる。
「星を寄せる……か」
当然、本当に星を手元に手繰り寄せたわけではない。後から重ねた左手にタネを仕込んでいたのだ。
しかし、婚約指輪の宝石が孫の手に渡ったのも何かの縁ではないだろうか。
祖父母を結びつけた珠玉の輝きとともに星を寄せた祖母の力も受け継げば、あるいはあの孫娘によって、離れ離れになった二つの星がいまひとたび、引き寄せあうようになるのかもしれない。
願わくは仲良く寄り添う三つ、いや四つの連星とならんことを。
古来、星に願掛けすることは数多の地で行われてきた。けれども少女に星寄せの願いを託すというのははじめてだ。
うまく手元に引っ張って掴んだら、今度は二度と放さないでほしい。
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2011年8月6日作。星寄せ=造語。偽らざる物語。