No.269404

Intermission 1

己鏡さん

2011年7月23日作。天淵の鳥。偽らざる物語。

2011-08-11 02:22:02 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:489   閲覧ユーザー数:485

 露店で買ったリンゴをかじりながら歩いていると、誰かが「来たぞ!」と声を上げた。

 途端に市場の様子が一変する。

 みんな商売を一時中断していっせいに東の空を見上げていた。

 客や通行人も何事かと、同じように石造りの無骨な家々の合間から覗く空に目をやる。

 埃っぽい町の一角からは、青い空とところどころに薄く白い雲が見えるだけだった。

 じっと目を凝らす。

 はるか遠くに小さな点があった。この地域の人々はみな目がいいのかすでにあれが見えていたようだが、私をはじめ多くの旅人や行商人たちはそれが徐々に近づき、姿が大きくなるにつれてようやくその正体を知る。

 現れたのは世界に七つあるといわれる浮遊島のひとつだった。

 雲を掻き分けながら音もなく近づいてくる島は、空飛ぶ船を思わせる。

 天空の海原に漂いながら周回軌道上を進み、同一の地にはたいてい年二回ほど同じ島が姿を見せると、学者たちの研究報告を取り扱った本で読んだことがあった。

 どういう仕組みで、あの大地から抉り取ったような巨大な島が空に浮かんでいるのか?

 それはいまだ解明されていない。

 いや、解明のしようがない、といったほうが正確か。

 なぜなら、人がどれだけ手を伸ばそうとしても、あの高みにある答えにはけっして届かないからだ。

 ――翼も羽も持たない「人」が空を飛ぶことを、この世界は許していなかった。

 

 以前、気球というもので空を飛ぼうと日々実験をしていた人に会ったことがある。ガスや熱した空気を使って飛ぶそうで、実際に私の目の前で宙に浮いてみせた時には思わず子どものように歓声を上げてしまった。しかし、ある程度の高度まで飛んだところで、急に見えない力で押さえつけられているかのように上昇しなくなった。

 どうしてそんな力が働いたのか、いまだにわからない。

 鳥や虫は自由に飛び回ることが出来るし、はるか上空に雲だって浮かんでいる。

 人だけなのだ、この空に愛されていないのは。

 この百年ちょっとで、人類の繁栄を支える「技術」は格段に進歩した。

 けれども世の中はまだまだ謎だらけだ。魔法なんていう都合のいいものは存在しないだろうが、ひょっとしたらこの世界そのものにそういった不思議な力の源はあふれていて、いつだって発現するだけの素地はあるのかもしれない。ただ、自然の持つ大きな力と同様、人が手なずけられないだけで。

 

 浮遊島は一定の速度を保ったまま町へと近づいてくる。

 その外観は特異なものだった。地面からくりぬいたような平べったい逆円錐状で無骨な岩肌をさらしている。まるで独楽の芯を思わせる巨大な円柱形の青く透明な石が、島の中心下部からむき出しになっていた。

 島の上に何があるのか、下からでは窺い知ることができない。

 人々の曰く、忘れ去られた古代文明の遺跡があるだの、ただ荒涼とした土地が広がっているだけだの、あるいは独自の生態系が構成された未踏の楽園のようになっているだの、憶測を挙げていくときりがなかった。

 漫然と眺めていると、不意に鐘の音が聞こえてきた。

 ひとつところで響きだした重厚ながらも澄んだ音は、徐々に波及するかのように街のあちこちでも鳴り始め、しまいにはまるでこの町全体が共鳴しているかのように大きくこだましていた。

 巨大な影がすぅっと町の端にかかった。

 その範囲はだんだんと拡がり、陽光をさえぎられたうす暗がりのなか、みんな好奇の目でもって、空中を滑るように行く島の異様な光景を見上げていた。

 誰もたいして騒ぎ立てたりはしない。実のところ数日前から浮遊島が訪れることは人々の口の端にも上っていたし、話を聞いているとそもそもこの町の人たちは浮遊島のことを「年に二回の風物詩」程度にしか思っていない節があった。

 しかし、行商人や旅人のなかには決して島を見ないよう目を頑なに瞑る者や、建物内に身を隠す者がいた。一方で膝をつき熱心に祈りをささげている人もいるのだから反応は様々といえる。

 自分が拠り所としている文化圏や宗教観によって畏怖の象徴にもなれば、信仰の対象やただの見世物にもなるということだ。

 また、島をはじめて見たという者も少なからずいて、そういった人たちはたいてい驚愕や感嘆の声をあげるのだった。

 

 島が頭上を通過する。

 まるで皆既日蝕のようにゆっくりと影に飲み込まれていく。このときばかりは皆、固唾を呑んでその様を見守っていた。

 私はふと故郷のことを思い出した。

 郷里でもこの町のように島の通過の折には各教会の鐘が打ち鳴らされる。と、同時に民衆はいっせいに家の中に閉じこもってしまうのだ。

 バタン、バタンと雨戸や窓が急いで閉められる音がいまでも耳に残っている。私の家は町から少し離れたところにあったので不安に駆られながら走って帰ったものだが、そうしてビクビクしていたのも小さいうちだけだ。親に反抗するような年齢になってくると、タブーを犯すことで反骨精神を示したがるようになってくる。

 隠れてしまった大人たちを尻目に、同じような年頃の連中と、今みたいに島が通過していくのを見上げていた記憶がある。

 反抗期はずいぶん馬鹿なことばかりやっていて、今にして思い出すとなんだか気恥ずかしさを覚えるものだった。

 

 浮遊島の影がゆっくりと遠ざかっていく。

 すでに町はもとの活況を取り戻しつつあった。

 離れていく不思議な島を見送る。

 まだ青かったころ、禁忌に触れるときに味わった大きな興奮と小さな恐怖心が、いままた私の中で湧き起ころうとしていた。

 いつかあの島に上陸してシャッターを切る機会があれば面白いのだが。

 そこにはいったい何があるのだろうか?

 

 内心わくわくしながら、島が彼方に消えるのを私は最後まで見届けた。


 
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