No.269300

短針

己鏡さん

2010年12月26日作。偽らざる物語。

2011-08-11 01:20:36 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:388   閲覧ユーザー数:386

「よかったら中に入ってご覧になってください」

 

 声をかけられた私は、言われるがまま店のなかへと入った。

 町の一角にある時計屋は内装もごく奇麗であった。

 ショーウィンドウに飾られていた懐中時計を眺めていたのだが、店内に整然と並ぶ壁掛け時計や腕時計なども、華美な装飾のものからシンプルな作りの物までさまざまに目を楽しませる。

「どういったものをお求めですか?」

 私を店に招き入れた背の低い小太りの男が、ニコニコしながら訊いてきた。二十代半ばといったところか。丸い顔と細く穏やかな目が特徴的だ。押し強く商品を売りつけようという気はまったくなさそうだった。

「いや、いい時計だなと思ってちょっと見ていただけなんですが」

 冷やかしのようで少し気が引けたが、財布の中身に余裕もないので正直に答えた。

 男性は気を悪くする様子もなく、相変わらず優しい笑顔のまま「どんどん見ていってください。僕もお客さんに見ていただけたらうれしいですから」とあくまで丁寧だ。

 私はお言葉に甘えることにした。店内のショーケースを順番に回る。

 置かれた時計を見ていると、ふと、あることに気付いた。

 どの時計も同じ時間に合わせてある。

 普通、店で売られている時計は止まっているか、動いていても時間はばらばらだ。

 ところがこの店の時計は秒針まで全部揃っている。おかげで針の進む音が見事なまでに一定の律を刻み、小気味よく耳に入ってくる。

 私が目を丸くしていると店の男性がまた声をかけてきた。

「ふふ、よくほかのお客さんも同じ反応をされますよ。僕の祖父、几帳面な人なんでそういった細かいところもきちっとしないと気がすまないんですよ」

 少し困ったような笑みを浮かべる男性に釣られて、私も苦笑してしまった。

 急に奥のほうから怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら件の祖父が孫である男性を呼んでいるようだ。店の奥が工房になっているらしく、さっさと戻って仕事をしろと言っているらしい。

「じゃあ、母さん。じいちゃんが呼んでるから中に戻るね。また店番よろしく」

 カウンター内のイスに座っていた中年女性にあとを頼んで、男性が仕事場に戻ろうとする。が、不意に立ち止まって振り返った。

「あ、そうだ。どうせだしお客さん、中も見ていきません?」

「いいんですか?」

「いいですよ。祖父には僕から話しますので。よかったらそれで中の様子も写してください」

 肩から提げたカメラを指差して言う。

 私は突然の申し出に逡巡したものの、せっかくなので受けることにした。

 彼の母親に会釈をして奥への扉をくぐる。

 廊下を挟んだ隣室が工房だった。

 部屋の中は整理整頓され、もっと雑多な部屋を想像していた私は拍子抜けした。細かい部品や道具類はきちんと箱の中に納められ、掃除も行き届いている。

 壁際の机には作りかけの時計と菓子類が置かれていた。男性の仕事机だろうか。奥にはもうひとつ机があり、片目にルーペを着けた痩身の老人が、背筋をピンと伸ばして座っていた。白髪で皺も深い。しかし、立ち上がれば背は高そうだ。

 老人はピンセットで細かな作業を行っていた。

「じいちゃん。お客さんに工房を見学してもらうから。ちょっと写真を撮るかもしれないけど気にしないで」

「よろしくおねがいします」

 こちらから挨拶すると、老人は私を一瞥して「よろしく」とそっけなく一言だけ応え、ふたたび作業に戻った。

「すみません。几帳面な人なんですが人見知りが激しくて。気にせず見学してください」

 男性は机に向かいイスに座ると、作業を始めずに腹ごしらえとばかりにチョコレートを食べ始めた。包み紙がかさかさと、意外なほど大きな音を立てる。

「こらっ! またおまえはそんなものばかり食べて!」

 突然、老人の叱責が飛んで私と小太りの男性はびくりと肩を跳ね上げた。

 祖父に怒られ、男性はしぶしぶといった感じで菓子をしまい、作業を始めた。

 どこかのんきな男性と、対照的に勤勉な祖父。体型が違えば性格もまったく違う奇妙なふたり。

 私はカメラを構えて男性の背後から手元の作業を覗き込む。彼のこれまでの調子でどれほどの仕事が出来るのか心配だったが、いざ始まってみるとそれは杞憂でしかなかったことを思い知らされた。

 男性は象嵌と彫刻を担当していた。その腕は確かで精緻な図柄を狂いなく生み出していく。きっちりと。手際よく。

 おそらく彼の祖父に厳しく仕込まれ、いつか追いつき追い越そうとがんばってきたのだろう。

 私は思わず「ほぅ」とため息をひとつ。いや、のんきに感心している場合ではない。姿勢を正してカメラを構えなおし、迷わずシャッターを切った。

 老人の方はどうだろうと振り向く。祖父は孫の後ろ姿を静かに見守っていた。

 その表情はきりりと引き締まって険しいものの、口の端にはかすかに笑みを浮かべている。

 祖父は祖父なりに、孫の成長を喜んでいるようだ。

「ふー、疲れた。ちょっと休憩」

 早くも集中力が切れてふたたびチョコレートに手を伸ばす男性。

「この馬鹿もんっ!」

 またもや老人の叱責が飛んだ。

 のんびり進む短針と先を行く長針はどちらも正確で、その技術と心は離れては近づき、近づいては離れる。

 どちらが欠けても、いまこの時は刻まれない。

 


 
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