No.269089

【T&B】青のつぼみ【虎薔薇(兎薔薇)】

ちるはさん

▽タイバニ二次処女作
▽かなわない、と思い知らされるその瞬間。
▽ぴくしぶにも同作品アップ済。

2011-08-10 23:26:47 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:3799   閲覧ユーザー数:3780

【1】

 

 

 ふと、こんなことを思った。

 ――もしもあの指輪がなくなったら、あの人はどうするんだろう、と。

 

 あの人があまりにも大切そうに左手の薬指を見つめるものだから、ついそんなことを考えてしまった。だからといって、簡単にあの人が指輪をなくすはずがないだろうし、こっそり隠そうにも、指輪を外さない限りはどうしようもない。

 結局は考えるだけ不毛なのだ。

 

 

 不毛な、はずだった。

 カリーナはぽってりとした唇から、切れ切れに溜息を零した。指先が震えている。握り締めた冷たい金属の感触が徐々に熱くなっていくのを感じて、さらに焦燥感が募っていく。

 どうしよう。震えが全身にまで及びそうで、それを隠そうとその場にしゃがみ込んだ。トレーニングルームの隅で、いったいなにをやっているんだろう。

 

「……どう、しよう」

 

 声まで震えている。胡桃色の双眸に、薄く涙の膜が張る。目の奥が熱い。鼻の奥がつんと痛んだ。油断すれば、そのまま声を上げて泣きじゃくってしまいそうだ。一秒たりとも気が抜けない。

 聞き分けのない子供のように――、ああ、そうか。子供のように、ではない。事実、自分は子供なのだ。あの人から見ればそれこそ娘と変わらないくらいの子供で、笑いながら「彼氏いないのか?」なんて聞かれる程度には意識されていない。どんなにきわどい衣装を着たってどきりとしてもくれないし、熱のこもった視線で見られることもない。

 あの人の愛おしそうな、けれどどこか切なげな視線は、いつもいつも小さなリングに向けられる。あの人と、あの人の大好きな人を繋ぐ、小さな輪っかに。

 

「ブルーローズ? どうしたんですか?」

 

「あ……」

 

 トレーニングを終えたらしいバーナビーが、タオルを片手に覗き込んできた。うっすらと汗を掻いた姿もハンサムだ。くりんと跳ね上がった金髪が目に飛び込んできた瞬間、彼とバディを組んでいる男の姿が脳裏に浮かんで涙が弾けた。

 自分を見るなり泣きだされては、さすがのニューヒーローも困るだろう。エメラルドの綺麗な瞳がぎょっと見開かれるのは分かったが、次から次へと零れていく涙はどうしようもなかった。

 だって、こんなにも苦しい。こんなにも悲しい。こんなにもつらい。

 

 こんなにも、怖い。

 

 必死で息を殺そうとして失敗し、無様な嗚咽が喉を割る。カメラが回っていれば、あるいはこれが外ならば、スマートに泣きやませてくれそうなバーナビーは、困惑したままカリーナの傍に屈むしかできなかった。頭を撫でようと伸ばされた不器用な手が、恐る恐る前髪の生え際に触れてきた。僅かな重みを感じて、さらに嗚咽が大きくなる。

 止められない。ごめん、アンタが悪いんじゃないの。ごめん。

 心の中では何度だって謝れるのに、声にしようと思えばそれは直前で霧散する。今ここに誰かが来たら、きっと彼が自分を泣かせていると思うだろう。それは彼にとっては心外なことに違いないのに、あっさりと無視して行ってしまわないあたり、やはり彼は少し変わった。

 変わっていないのは自分だけだ。いつまで経っても子供のままで、ちっとも前に向かって踏み出せない。誰かに手を引いてもらうのを待っている、ただの子供でしかない。

 

「泣いてばかりじゃ分かりませんよ。なにがあったんです?」

 

「ふっ、う、ぁ……っ! ど、しよ……私、わた、しっ……」

 

 こんなことするつもりじゃなかった。するつもりじゃ、なかったのに。

 握り締めた指輪が、「うそつき」と呟いた気がした。罪を罰するかのようにそれは熱くなり、鉛のように重くなる。要領を得ないバーナビーは相変わらず眉を下げていたが、それでもかっこいいのが癪に障った。

 あの人なら――アイツなら、きっと「情けない顔」と言って一蹴できたに違いないのに。

 

 

【2】

 

「ブルーローズ、いったいどうし――」

 

 言葉の途中でバーナビーが息を呑んだ。当然だろう。ゆるゆると開かれたカリーナの手には、シンプルなシルバーの指輪が載っていたのだから。

 彼が気づかないはずがない。バディとしてずっとあの人の傍にいる彼が、それに見覚えのないはずがない。「どうして、それを……」ぽつりと零されたその呟きに、カリーナは胸が潰されるような感覚を覚えた。痛い、苦しい、つらい。

 バーナビーが辺りを気にする様子を見せ、指輪を握らせるようにカリーナの手を包んだ。女でさえ羨むような綺麗な見た目をしていても、その手は大きく、硬く、男性のそれだった。カリーナの手などすっぽりと包み込んでしまう。

 「事情を聞かせてくれますか」真剣な声が鼓膜を叩く。震えながら頷いた。話さなければいけない。そして、責められなければいけない。それだけのことを、自分はしたのだから。

 

 

 

 

 最初は単なる思い付きだった。

 もしもあの指輪がなくなったら、あの人はどうするのかと。

 なくすことなどありえないと思っていたから、そんな風に軽く考えていた。けれど、チャンスは突然やってきた。それが幸運だったのか、悪運だったのかは分からない。

 誰もが知っているように、ベテランヒーローはとんでもないお人よしだ。掃除のおばさんが、排水溝に家の鍵を落としてしまったと嘆いていたのがすべての始まりだった。誰もが嫌がるようなその場所を見て、彼は言った。「よっし、じゃあ俺が取ってやるよ」あの屈託のない、少年のような笑顔で、彼はそう言ったのだ。

 袖を捲り、手を汚れた排水溝に伸ばして、彼は一瞬ためらった。やっぱり嫌なのかな。そう思ったカリーナをよそに、彼は優しい顔をして指輪を外し、逆さまにした帽子の中にそれを滑り込ませたのだ。「ちょっと待っててくれよ」ご丁寧にそんな言葉を囁いて。

 恐縮しきりのおばさんと、排水溝の中に腕を突っ込むベテランヒーロー。そして脇に置かれた帽子と、その中にある小さなリング。

 

 ――もしも、指輪がなくなったら。

 

 ありえない仮説が、仮説でなくなるときがきた。 

 悪気なんてなかった。ほんの少しの思いつきだ。

 ただ、どうなるのか知りたかった。いつもほけほけと気楽に笑っているあの男が、どんな顔をするのか知りたかった。

 ――ただ、それだけのはずだったのに。

 ただの思いつきが身体を動かした。おばさんは彼に夢中だ。そわそわと心配そうに見つめている。もちろん、彼は鍵を取ろうと必死で、こちらに視線を向ける気配はない。

 

「……ねえ、タイガー」

 

 小さく、本当に小さく声をかけてみた。返事はない。おばさんも、彼も、どちらも気づかない。

 腕が伸びた。帽子に触れた指先は、僅かに残っていた彼の体温を明確に感じ取った。指先には数多くの神経が集まっているらしい。だとしたらこの指の方が、心よりも遥かに彼を感じ取れるかもしれない。

 汚れきったこの汚い心に操られたかわいそうな指先が、綺麗なものの象徴のようなシルバーに触れた。

 そこから先はよく覚えていない。「あともうちょっとなんだよなぁ」むきになっている彼の声が聞こえたような気がした。けれど、結局最後まで聞くことはなく、逃げるようにその場を去ったのだ。

 逃げるように? ――違う。事実、逃げた。

 この手の中に、彼が肌身離さずつけていた「彼女」との絆を握り締めて。

 

「どうしようっ……! 私、なんて言えば……!!」

 

 もう鍵は取れただろうか。だとしたら、必死で探しているはずだ。その顔を見たくて、こんなことをしたはずだった。それなのに、見に行く勇気などこれっぽっちも湧いてこない。

 見れるはずがない。この指輪にどれだけの思いを宿しているのか、そんなものを直視できるはずがないのだ。

 思わず縋りついたバーナビーは難しい表情のまま、ぎこちなくカリーナの肩を抱いた。

 

【3】

 

 

「随分と馬鹿なことをしましたね」

 

「だっ、だって……! 私だって、すぐに返すつもりだったわよ! でもっ、でも、仕方ないじゃない……っ」

 

「仕方ないで済むんですか? あなたも女性です。『それ』がどんな意味を持っているのか、知らないわけではないでしょう」

 

 優しく背中を叩くくせに、言葉はひどく厳しい。カリーナの胸に容赦なく突き立てられる刃は、一本たりとも目測を誤らせることなく傷を残していく。

 そのたびに嗚咽が大きくなり、メイクもなにもかもを押し流す涙が溢れる。一緒にこの汚い気持ちまで流してくれればいいものを、そればかりは残していくのだからやるせない。

 天下のアイドルヒーローがしていい顔じゃない。ヒーローが抱いていい感情じゃない。自分はきっと、ヒーローとしても、恋する乙女としても失格なのだろう。

 子供のように泣きじゃくり、今や人気ナンバーワンのヒーローの胸に縋る。背中に回された腕のぎこちない優しさに、さらに泣きたくなる。

 

「ごめ、ん、なさ……っ」

 

「……謝る相手は僕じゃないでしょう」

 

「ぁっ……ご、めっ……!」

 

「…………まったく、あの人は」

 

 「罪な人ですね」呆れたように呟かれた一言は、多分そんなことを言っていたのだと思う。バーナビーの服が涙でじんわりと湿ってきた頃、バンっと勢いよく音を立てて扉が開かれた。あまりの音に、一瞬涙が止まる。

 

「――っ、バニー! 指輪見なかったか!?」

 

 振り向けるはずが、なかった。

 どんな顔をしているかなんて、この目で見れるはずがなかった。

 だってもう、声だけで分かる。

 焦って、震えて、少し怒っていて、情けなくて、必死で、――必死すぎて、泣きそうだ。

 

 覚悟を決めなければ。自分がやったことなのだから、自分の手で終わらせなければならない。そして嫌われて、軽蔑されて、この恋もおしまいだ。

 最初から叶わない恋だった。なら、もういいじゃない。こんな終わりだって、いいじゃない。

 ひくりと大きく痙攣した喉を唾液で潤して、縋りついたバーナビーの胸から離れようとした。

 言わなきゃ。「ごめん、私が隠してたの」笑えるだろうか。「ちょっとした悪戯だったのよ。なによ、そんな必死になっちゃって情けない」そう言えるだろうか。

 

 できるだけ高圧的に、馬鹿にしたように。

 限度を知らない馬鹿な女子高生の、悪質な悪戯に見えるように。

 精一杯怒ってもらえるように。

 彼に、「ごめんな」なんて、間違っても言わせないように。

 

 震える足で立ち上がろうとした瞬間、やんわりと手首を掴まれた。

 え、と声を上げる間もなく一瞬で手を開かされて、ずっと握っていた熱が奪われる。立ち上がったのはカリーナではなく、バーナビーだった。どこで売っているのかと以前訊ねたことのある赤いブーツが、目の前にあった。

 頭上から声が降ってくる。

 

「どうしたんですか、虎徹さん。そんなに血相を変えて」

 

「どうしたもこうしたもあるか! 指輪が、指輪がねぇんだよっ!」

 

 「さっき外して、今見たらどっかいっちまってて、」息を切らしながら言葉を紡ぐ彼は、嫌になるくらい必死だった。

 

「指輪? もしかして、これのことですか?」

 

 思わず、顔を上げていた。

 バーナビーは不思議そうな顔をしながら、身体を折り曲げて床に手を伸ばした。そしてあの人の前に広げられた手のひらには、カリーナが奪ってきた指輪がちょこんと乗っている。

 つい今し方、床から拾い上げられたような顔をして。

 

「――っ、それ、だ……っ!」

 

 感極まって泣きそうな声だった。どれだけ探し回っていたのかが、その一言で分かった。

 小さなリングに、どんな思いが込められているのか、嫌でも思い知った。

 ほっと大きな溜息をついた彼は、指輪を薬指にはめて幸せそうに微笑み、その輝きに唇を寄せた。

 

 ――ああ、ほら。勝てるわけ、ない。

 

 

【4】

 

 

 あんな笑顔をもらえるはずがない。あんな顔をさせられるのは、あの人が愛したたった一人の女性と、小さな女の子だけなのだろう。

 こんなことしなければよかった。見ていられない。そう思うのに、顔を伏せることすらできない。目が離せなかった。愛おしそうに目を細めるその顔を、焼き付けたいと願ってしまっていた。

 そんなものは自分を苦しめるだけだと、頭のどこかでは理解しているのに。

 

「ありがとな、バニー! いやぁ、ほんっと助かった! でもなんでここに落ちてたんだ?」

 

「さっき、虎徹さんが飛び込んできたときに転がってきましたよ。大方、服のどこかに引っかかっていたんじゃないんですか?」

 

「うおっ、マジか!? あー……、帽子ん中に入ってたのかもしんねぇな……」

 

「灯台下暗しって言いますからね。まったくもう。そそっかしいんですから、虎徹さんは」

 

「わりぃわりぃ、騒がせちまったな。……ん? あれ、ブルーローズ?」

 

 柔らかくなった声は、いつものそれだった。どこかに安堵を交え、心底ほっとしたような声は、とても優しかった。

 そんな声がカリーナを呼ぶ。恋する女子高生の名前ではない、ヒーローとしての名を。

 だとしたら、泣きやまなければ。ブルーローズは女王様なのだから。めそめそ泣いてなんかいられない。笑え。睨め。いつものように、上から目線で。

 氷のように、すべてを凍てつかせろ。

 

「……なによ」

 

「なによ、って、いや……。お前、バニーちゃんの足下でなにし――、ああ! いや、うん、わり、おじさん邪魔しちゃった? でももう帰るから! 退散するから! あとは若いお二人で、ごゆっくり~」

 

「そんなんじゃないですよ。まあでも、虎徹さんは早く帰った方がいいんじゃありませんか? 今日、娘さんとディナーの約束してるんでしょう?」

 

「おうっ! 久しぶりに楓に会うんだ。もーうパパ楽しみすぎてよだれが……」

 

「はいはい、分かりましたから早く行って下さい。遅刻したら嫌われますよ」

 

 その一言に、彼は慌てて踵を返した。入ってきたときとはまた違う慌ただしさで、部屋を出ていく。扉を閉める直前、ベテランヒーローは幸せそうな父親の顔で、よりにもよって左手を振った。

 

「ほんっとにありがとなー! じゃ、おっさきー!」

 

 足音が遠ざかっていく。どしどしという重たいがさつな足音が、どんどんと離れていって、やがて聞こえなくなった。

 この部屋には誰もいない。空調の音だけが聞こえる。そこに混じって、聞き苦しい声が聞こえてきた。誰の、なんて考える必要などない。ここにいるのは、自分とバーナビーの二人だけだ。

 

「……せめて、場所を変えませんか。ここだといつ他のヒーローが来るか分かりませんよ」

 

 確かにその通りだ。カリーナとて、こんな姿を晒すのは不本意だった。けれど身体が動かない。足が凍りついている。

 動けない。その意味を込めて首を振る。すぐさま呆れ返った溜息が落ちてきて、「文句は聞きませんよ」と耳元で言われた。

 腕を掴まれたと思ったらぐっと上に引き上げられ、無理矢理立たされた。そしてあっと言う間に肩に担がれる。あの人にしたときですらお姫様抱っこだったというのに、女子高生のカリーナは俵担ぎだ。お尻のあたりに置かれた手に慌てるよりも先に歩き出され、腹部に感じる衝撃に黙り込むしかなかった。

 廊下に出て、バーナビーが向かったのはヒーロー専用の仮眠室だった。幸いにも誰もおらず、いくつかあるうちのベッドに落とされる。

 

「……んで、……ったの」

 

「え?」

 

「……なんで、かばったの!? なんで嘘ついたのよ! わた、私がっ、やったのに……っ」

 

 どうしてあんな嘘をついたのか。

 どうしてあの人は、あんな嘘を信じたのか。

 どうしてあのとき、そうじゃないと真実を言い出せなかったのか。

 

【5】

 

 

 なにもかもが納得いかない。すべてがおかしい。

 あの場で断罪されなければならなかった自分が、今もこうして恋心を捨てきれずに抱えたままだということに、ひどく絶望する。

 壁にもたれて眼鏡を押し上げたバーナビーは、蔑むでもなく、呆れるでもなく、強いて言えば慈愛に近い眼差しでカリーナを見つめた。

 

 

「……だってあなたは、もう十分に罰を受けたでしょう?」

 

 

 あの顔、あの声、あの姿。

 あの人のすべてで思い知らされた。己の愚かさを、浅はかさを。

 叶わない。どんなに頑張ったって届かない人なのだと。

 もしもカリーナが敵に襲われ、攫われでもしたら、きっと彼は必死になってくれるだろう。心から怒り、全力で助けようとしてくれるだろう。そして無事が分かったら、心の底から安堵してくれるに違いない。

 けれどそれは、「あの顔」ではない。

 優しく、慈しむような、懐かしそうな、どこか悲しそうな、何十年もの想いが詰まったあの顔ではないのだ。

 ただの馬鹿な女子高生でいればよかった。なにも知らず、なにも気づかず、いきすぎた悪戯をしておじさんを嘲笑する、そんな馬鹿な小娘でいればよかったのに。

 どうして、中途半端に女になってしまったのだろう。恋をして、少しだけ大人になって、けれどほとんどは子供のままで。恋を教えてくれたその人はもうとっくに大人で、大人だから、子供なんて見ていなくて。

 恋を教えてもらった。ほんの少しだけ、大人にしてもらった。

 

 ――今度は、自分から大人にならなくてはいけない。

 

 誰かに大人にしてもらうのではなくて、自分の足で、大人になるのだ。

 明日は、笑えるだろうか。「おはよう、タイガー」なんでもない風に、言えるだろうか。

 

「ハンカチ、使います?」

 

「……そういうの、ふつうは言わないで貸すのよ」

 

「それは失礼しました」

 

 差し出されたハンカチは綺麗にアイロンがけされていて、もしこれがあの人だったらと想像してカリーナは小さく笑った。もしも彼がハンカチを差し出してきたら、それはきっとしわだらけでくしゃくしゃだ。

 笑っているうちに、再び涙が溢れてきた。誰もが憧れるヒーローの香水が僅かに染み込んだハンカチで涙を拭き、癪だからとついでに鼻もかむ。

 ブルーローズ様の鼻水つきよ、レアなんだから。内心毒づいて、カリーナは声を殺した。

 もうその頭に、大きな手は降ってこない。

 代わりに、泣いている女の上手な慰め方も知らないヒーローが隣に座った。二人分の体重を受けて、簡易ベッドが僅かに軋む。

 

「……知っていますか」

 

 素のままでは人付き合いが不器用なバーナビーは、言葉を探しているようだった。カメラが回っていると思いなさいよ。そしたらアンタだって、スマートにものが言えるでしょ。

 不格好に鼻をすすったカリーナの耳に、少しだけ戸惑った声が滑り込む。

 

「青い薔薇の花言葉。『不可能・ありえない』だそうですよ」

 

 不可能。ありえない。――なにそれ、ぴったりすぎて笑える。

 カリーナは思わず吹き出した。このハンサムは、慰めるということを知らないのだろうか。昔の彼ならばこうやって隣にいることも、ハンカチを貸してくれることもなかったのだろうが、それにしたってこれはあんまりだ。

 自分の感情が分からなくなって泣きながらくすくす笑い、カリーナは額を膝に押しつけた。

 その背中に、ぽんぽんと優しい衝撃を受ける。

 

 

「でも、今は変わったそうです。現在の青い薔薇の花言葉は、――『奇跡・神の祝福』だとか」

 

 

 ぽん、と強く背を叩かれ、ベッドが揺れた。バーナビーが立ち上がったのだ。顔を上げる。背中しか見えない。男性にしては華奢な方だと思っていたのに、随分と広い背中だった。

 

「あ……」

 

「ハンカチ、洗って返して下さいね。それじゃあ、また明日。目元、冷やした方がいいですよ、ブルーローズ」

 

 振り向きながらそう笑顔で放たれ、カリーナは言葉を失った。

 ひらひらと手を振って出ていく後ろ姿を呆然と見つめ、完全に見えなくなる直前で弾かれたように叫んだ。

 

「あっ、――ありがとう!!」

 

 そのとき、バーナビーがどんな顔をしていたのか、分からない。笑っていたのかもしれないし、無表情だったかもしれない。

 相変わらず震える手で、カリーナはぐっしょりと湿ったハンカチを握りしめた。

 ブルーローズ。それが、もう一つの自分の名だ。

 

「……奇跡、か」

 

 不可能と言われた青い薔薇。けれど諦めずに開発を進めた結果、それはこの世に奇跡をもたらした。

 ありえないと言われた。でも、いつか、神の祝福を受けることができるのなら。

 

「……ほんと、変わった」

 

 お礼はハンカチと、手作りクッキー辺りでいいだろうか。

 

 

 

 もちろん、彼の年上バディにも。

 


 
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