蓮華さま!お庭のお手入れが終わりましたです!
――――――建業。
「………このくらいにしましょうか」
「お疲れ様です、蓮華様」
午前の政務を終えた蓮華に、側近の思春が声をかける。その手には侍女から受け取ったか自身で準備したのか、茶の乗ったお盆があった。
「ありがとう、思春」
部下から湯呑を受け取ると、それを口に運ぶ。茶葉の芳しい香が口を通って鼻に抜ける。湯呑を片手に蓮華は立ち上がり、窓へと向かう。江東の地は大陸でも南に位置しており、気温は年間を通して高い。この日も晴れ渡った空に燦々と照りつける太陽が昇っていた。
「今日も暑いわね」
「いつもの事です」
「そうね」
素っ気ない部下の返事を気にした様子はない。彼女の言葉ではないが、いつもの事だったからだ。ふと、窓から中庭を眺めている蓮華の眼につくものがあった。
「………中庭の木、育ち過ぎではないかしら」
彼女の言葉に思春も窓へと歩み寄る。見れば、確かに方々に枝は伸び、葉が生い茂っている。だが如何せん見た目がよろしくない。しばし考えた後、蓮華は思春へと告げた。
「剪定の者を呼んで、上手く整えさせてもらえる?」
「御意」
短い返事と共に、思春は部屋を出て行った。
部屋を出た思春は、まもなく水軍の調練の時間だった事を思い出す。
「………誰かしら目に留まった者にでも伝えればよいか」
そうひとりごちて進むが、何故だか一向に文官に出会う気配がない。侍女はよく見かけるのだが、流石に身の回りの世話が仕事の彼女らに頼むのはお門違いだろう。そう思い、歩きざまに文官を探すが、それも見つからない。と、角を曲がったところで見慣れた姿を見つけた。
「明命」
「あ、思春様、お疲れ様です!」
いつものように元気よく挨拶をする明命に、思春はいつも通り一言挨拶を口にする。と、そこで思いつく。簡単な事だ。彼女に頼めばよい。
「そうだ、明命はこの後時間はあるか」
「はいっ、大丈夫です。なんでしょうか?」
「先ほど蓮華様が仰っていたのだが、中庭の木々が伸びすぎていてな。それで頼みたいのだが………」
言葉の途中だが、彼女の言いたい事を理解したらしい。明命は元気よく頷く。
「なるほど、上手く枝や葉を切って形を整えればよいのですね!」
「あぁ、その通りだ。私が行こうかとも思っていたのだが、調練の時間が迫っていてな。悪いが頼まれてくれるか?」
「はっ!この明命にお任せください!」
「そうか、任せたぞ」
「はい!」
元気のよい返事に背を押され、思春は歩き出す。政とは程遠いが、主の仕事環境を整えるのも部下の仕事だ。存外早く済んだなと、彼女は水軍の待つ河へと向かう。
思春の頼みを受け、明命は中庭へと来ていた。
「………なるほど。確かにこれは少々育ち過ぎですね」
彼女の眼の前には植木の数々。そのどれもが不恰好に枝を伸ばし、葉を纏わせていた。
「これは………なかなか遣り甲斐がありそうですね」
ひとり呟く明命の手には、高枝切り鋏。背中の魂切は壁に立てかけて置いている。
「それではさっそく取り掛かりましょう!」
気合を入れると、明命は鋏を構えた。
※
書庫へ赴いた帰り道、亞莎は聞き慣れない音に気付く。じゃきじゃきと何かを切っている音のようだ。一体何だろうかと彼女は音の方へと進む。その先には―――。
「み、明命?何をしてるのですか?」
見れば、大きな木の周りを飛び回っている明命の姿があった。その手にはいつも構えている長刀ではなく高枝切り鋏。彼女が飛ぶと同時にじゃきじゃきと音が鳴り、葉切れが舞う。
「………あぁ、剪定ですか」
「はい!どうやら蓮華様が気にしていたようで、思春様から言われて切っております」
「でも明命がやらなくとも誰か業者を呼べばよいのでは?」
「それも考えたのですが、本日私は休みなので、折角だったら自分でやってみようと思いまして」
会話を続けながらも、明命はどんどんと枝葉を切っていく。次第に丸みを帯びていくその気に、亞莎は感心していた。
「そうですか。怪我には気をつけてくださいね」
「お任せください!」
「あと、誰かにお茶とお菓子を運んでもらいますから、休憩の時にでも食べてください」
「はいっ、ありがとうございます!」
元気よく返事をしながらも飛び交う明命をしばらく眺めていたが、亞莎はこの様子なら大丈夫だろうと背を向け、その場を立ち去った。
何本か形を纏め終えた明命は、近くにお茶と胡麻団子の乗ったお盆を見つける。
「?…あぁ、亞莎が言ってましたね。ありがたく頂くとしましょう」
先の会話を思い出し、明命は湯呑を手に取る。温くなってしまっているが、軽く汗をかいた今の自分にはちょうどいい。お茶を飲みながら胡麻団子を口に運ぶ。
「ふぅ……それにしても、今日も暑いですね」
そんな独り言を口にする明命の眼に、あるものが映り込む。
「あれは………お猫様ではありませんか!」
じっと見れば、木陰にサバトラの猫が丸まっていた。気持ちよさそうに昼寝をしている。
「ふふっ、仕事が終わればもふもふさせて貰いましょう」
最後の胡麻団子を口に放り込むと、明命は立ち上がった。さぁ、仕事を再開しよう。
太陽も幾分か傾き、午後の調練を終えた思春は城へと戻っていた。門をくぐり廊下に入った所で主と出会った。
「あら、思春。調練お疲れ様」
「いえ。蓮華様はご休憩ですか?」
「えぇ、先ほど部屋から庭の手入れをしている様子が見えたの。そろそろ終わる頃だろうから少し見てこようかと思って」
「もう業者が来たのですか?なかなか仕事の早い職人なのですね」
明命に頼んだのは昼前だ。それがもう来ているとは、余程暇だったに違いない。そう考えた思春だったが、蓮華がそれを否定する。
「いえ、明命が自分でやっていたわよ?」
「明命が?」
「えぇ。あの娘、たしか今日は休みだったし、自分でやろうと思ったのではないかしら」
「はぁ…」
確かに経費は浮くが、何となく嫌な予感を拭えなかった。
※
廊下を進んで途中、外に出る。角を曲がれば中庭はすぐそこだ。2人は歩を進め、そして見知った背中を見つけた。
「あら、亞莎。貴女も見に来ていたの?」
「………」
「………亞莎?」
蓮華が声を掛けるが、亞莎は反応を示さない。如何に彼女の目が悪いとはいえ、声まで聴けば誰だかわかる筈だ。その様子を不審に思った2人は彼女の前に回り込み、その顔を見る。
「………………」
そして気づく。亞莎は目を見開き、ただ口をぽかんと開けていた。目の前にいる蓮華と思春にも気付かないようだ。訝しんで彼女の視線を追い、そして2人も同じ表情となる。
「あ、皆さん、お疲れ様です!」
3人に気づいた明命は、左手に湯呑を持ち、右手で額の汗を拭っていた。3人はそんな彼女を―――ではなく、その背後にあるものに目を奪われていた。
はたしてそこにあったのは、綺麗に剪定された植木。裾が広がり上に向かうにつれて細まっていく。と思えばくびれが出来て、その上には真ん丸な部分。さらにその上には2つの三角形が飛び出している。再び根本に視線を戻せば、その本体とは別に伸びた枝は綺麗な波を描き、それはまるで――――――。
「蓮華様!お庭のお手入れが終わりましたです!」
やり遂げた顔をしている明命の背後には、まるで猫の形をした植木が鎮座している。木陰からは、猫が1匹その物体を見上げていた。
あとがき
という訳で、外伝を投稿しました。
いつもインスパイア許可を下さるAC711様に感謝です。
ではまた次回。
ばいばい。
Tweet |
|
|
76
|
5
|
追加するフォルダを選択
という事で、相変わらずAC711様の作品にインスパイアされて外伝を書かせて頂きました。
まずはそちらをご覧ください(右上のイラストをクリック)
それではどぞ。