「…以上がこの学校のシステムです。シメ学園へようこそ。雨岸純子さん」
「はい、よろしくお願いします。林田先生」
雨岸は静かに微笑んで礼をする。
「貴方が希望していたように統合班で、班対抗試合ではクラストップの班です」
「良い方達でした」
林田は顔を伏せ、少しサイズの大きい眼鏡を押さえたまま首を振る。
「やっぱり会いに行ったのね。朝霧君が足止めに来るはずだわ」
「アサキさんですね。ショージさんというのは?」
林田は資料を開く。
「彼はね。ショージ君なの」
「…プログラム障害ですか…」
示された資料の姓名欄にはショージ、としか記述が無い。
「自分で地雷を踏んで確かめるのが良いわ。彼は慣れてるし、そうそう踏める地雷でもないもの」
「…」
この人は教師に向いていない。雨岸はそう思う。
「ふふ」
雨岸は不思議な笑顔を溢す。
「どうかしましたか?」
林田は不思議そうに聞き返す。
「いえ。雄二さんの笑顔を思い出してしまって」
「あら、それは珍しいものをみたわね」
林田の表情が変わる。雨岸にはそれが怪訝に見える。
「プログラム適用後始めて笑ったそうで」
林田は書類に視線を落とす。
「えぇ。そうらしいわね」
「…プログラム障害ですか?」
「…そうかもしれないわね。彼のその欄にはチェックがあるのだけど、詳細は報告されてないの」
林田は視線を上げず、溜息を返す。
「貴方の班は皆プログラム障害者ね。詳細報告無しが2名だけど」
「…」
雨岸には林田が何かに不快感と、疲労を感じているように感じられた。
プログラム障害者か、またはプログラムそのものか。それは雨岸には掴みかねる。
「…私が案内するより、班の子に案内させたほうがよさそうね」
「…そうですね」
雨岸も少なからず不快感を感じていた。
「朝霧君。聞いてるんでしょ?」
職員室の窓の外に不思議な笑顔をたたえた少年が姿をあらわす。
「始めまして。雨岸さん。私は朝霧巴といいます」
「アサキさんですね」
雨岸は錠をはずし、窓を開く。
あさぎりともえと名乗る、ぎは音が抜け、りは音が小さくて聞き取れなかった。
「朝霧君。土足厳禁よ」
「上履き持ってきてます」
雨岸は林田の溜息を背中に聞きながら不思議なアサキの表情を見つめる。
「…何かついてますか?」
アサキの微かな笑顔は変わらない。
「あ、いえ、ごめんなさい」
アサキは窓のサッシに座り、靴を履き替えて外靴を布袋に押し込む。
「林田先生、説明してないんですか」
「聞いてた通りよ」
「そうでしたね」
アサキの表情は一切変わらない。雨岸は魅せられていた。
「無表情な人がお好きで?」
「え?いや、あえ?」
林田が不思議そうに首を傾げたが、誰の目にもとまらない。
「私はプログラム障害で感情の大半を失ってしまいました。私のこの表情をアルカイックスマイルといい、この国の人間がどういう表情をして良いか分らない時にする顔なのだと、雄二君は言っていました」
「…ごめんなさい」
「私は雨岸さんのように不愉快を感じることはありません。どうか気にしないでください」
アサキは抑揚無く答える。
「班で案内して?」
アサキは顔を横に出して林田に問いかける。
「そうね、貴方一人で案内すると会話に詰まりそうですものね。三班全員で案内してあげてください」
「わかりました。ありがとうございます」
アサキの後をついて職員室を出る。
彼は感情を失ってしまったわけではないのではないだろうか?雨岸は思う。
彼の言葉には明らかに労りや皮肉がこめられている。
「私は感情を失って、一緒に顔の筋肉の動かし方を忘れてしまいました。あ、独り言ですから気にせずにどうぞ」
「…」
ほら、彼女は小さくつぶやく。
「知らないものごとを知識として吸収していくことは楽しいことです。私はそれを唯一楽しいと思うのです」
職員室を出たアサキと雨岸の歩調は変わらない。
「私は人間の感情というものを知りたいと思いました。そうすることで私は元に戻れるかもしれないと思えたのです」
アサキは立ち止まって振り返ると、微かに表情を動かす。
「結果はこれで精一杯」
口元が微かに上がるが、目の動きが続かず、笑顔は未発に終わった。
「私は多くの人の感情を知識として、感情とはどういうものか判断し、実践しています」
「…それは…」
贋物よ。言葉を呑み込む。
「贋物だ、と雄二君は言いました。いつか取り戻せるといいな、とも」
アサキは再び振り返り、歩き始める。
「私個人、他人の感情を考慮しないのであれば、自身を不幸だと思っていません」
「何故?」
「私は他の人がすでに知っていることを新たに知ることが出来る。人工知能学者に向いているかもしれませんね。私は多くのことを知ることが出来る。私にはそれが楽しい。ですからどうかお気になさらず。素の感情のほうが私には楽しい知識ですから」
はいそうですかと、雨岸には思うことが出来なかった。
「ここです」
3階の隅の教室の扉を開ける。
「国光先生、雄二君、信濃さん、ショージ君。うちの班で案内してくださいとのことです」
「教室につれてくるやつがあるかバカモン!」
授業を担当していた教師の叱責が飛ぶ。
50人ほどの生徒の視線が一気に雨岸に集まる。
「ってことで国光先生。抜けま!」
「巴」
雄二の声に応えてアサキは靴の入っている布袋を放り投げる。
雄二は左手で受け取り、彼の机の横のフックに引っ掛ける。
「後で紹介しろよアサキー!」
「はいはーい」
アサキは三人が出てくるのを待って、後ろ手に教室の扉を閉める。
「ショージだ」
ショージが眼鏡を外しながら手を差し出し、握手を求める。
「雨岸純子です」
「ショージ。おとなしく眼鏡かけなさいよ」
ショージは雨岸の手をつかむことが出来なかった。
「ちぇ」
雨岸のほうからショージの手をつかむ。
「裸眼だとほとんど見えないんですね」
「あぁ。こいつらのほうが絶対ディスプレイかぶってる時間長いってのにな」
「義眼には?」
ショージは手を放し、肩を竦めて見せる。
「去年ならともかく、もうそんな金出ないって」
「軍縮はそんなところまで削ってるんですか」
「仕方ねえさ。俺等アマリモンだからな」
三人で息を合わせて肩を竦める。
「やっぱりこっちでも手向けの花、流行ってるんだ?」
「大流行よ。ダンナまで影響されちゃって」
信濃は溜息をつく。
「ルート決まったよ」
雄二とアサキは校内見取り図まで取り出して案内ルートを考えていたようだ。
「…二年、やってる」
「それじゃ目的地まで一通り駆け足で行きましょうか!」
「まずはここ!俺等四年一組の教室だぁ!」
信濃が雨岸の手を引いて走り出す。
「ちょ、ちょっと!」
「教室で授業ったって、頭ん中にあることを復習するだけでつまんないのよー」
「写真記憶をエピソード記憶として結んでるの。やらないと忘れちゃうのよ」
四年生の教室は3階の北側の隅にある。
五人はばたばたと大きな音を立てながら廊下を走る。
「3階までは全部同じ作りでねー。隅にある教室が違うだけー」
「なーんでのびてるのー!」
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小説というよりは随筆とか、駄文とか、原案とか言うのが正しいもの。 2000年ごろに書いたものを直しつつ投稿中。