奴を発見したのは、二週間前の夕刻。ご飯が出来て、家の中を探してみたけどGがどこにもおらず浜辺を見た時。
綺麗な赤毛を持つ人間がぼんやり海を眺めていたものだから、私大声を上げた。
「ご飯出来たぞ、G!」
………奴がやけにゆっくり振り向く。私を見つけ、酷く驚いているようだった。
その顔は間違い無くGだ。でも何か違う。
「聞こえてるよ、あんまり騒ぐなって。腹に響くだろ。」
「え?」
バルコニーの下からGが顔を出す。夕刊を取りに行っていたらしい。私は混乱した。だって、あっちにいるのも、Gだ。
「G。」
「あんだよ。」
「浜辺。」
「あ?」
指差して、Gもやっと橙色の海を見る。そして「は?」と一声。
「何アレ。」
「お前だろ。」
私とGが、この海沿いの家に引っ越して来て一年目の初夏。子供はあと一ヶ月で産まれる予定。
何ともない普通の生活の中に、奴は飛び込んできた。
家を出て、私とGはおっかなびっくりしながら浜辺へ降りて行った。
近付けば近付く程はっきり見える。解る。間違い無くGである事を。
「ドッペル何とかって奴か?」
「そんな非常識なこと。」
あるもんか。引退して勝ち取ったこの日常に、得体の知れないものが紛れ込んできてたまるか。
あっちも近付く私達を見ている。本当にGそのもの──いや、入れ墨が無い……?後約二メートル、という所でGに止められる。警戒しているのか、私より一歩前に出て奴に問いただす。
「どこの奴だ。術者か?」
「……いや。」
「じゃあ幻覚でも掛けられてるのか。」
雰囲気も、どことなく違う。落ち着いていて棘が無い(まるでGが乱暴者みたいな言い方だが)。
「じゃあ何なんだ。」
「さあ、俺も知らねー。」
静寂。穏やかな波。沈む夕日。
「ジョット、帰るぞ。」
不信感は拭えないのか、Gは海に背を向けて私の手を取った。でも私には解る。
この人はGなのだと。
(この人?)
えらく他人行儀な自分に驚く。GであってGじゃない。Gである他人。複雑な感情だ。
「G、この人はお前だよ。お前のようで、お前ではないけれど。」
「は?」
奴が私を見る眼がとても悲しい。悲しい。きっと辛い事があったのだろう。
私は聞いた。
「Gだよな。」
「……ああ。」
「どうしてここにいるのか、解らないのか。」
「ああ。ただ、この海で死んだ事は覚えている。」
「……死んだだって?」
「俺はこの海を眺めながら死んだ。大事な人間を殺してから。」
静寂が緊張に変貌する。だがその中で、なんとなくだけれど、奴の正体に予想が出来た。
このGは、所謂パラレルワールドにおける無数の確率の中の一人。
事情はどんなものか、とにかく私とGの世界に紛れ込んでしまったようだ。
………顔が暗い。こことは真反対の世界から来たのかも……。
「G、仕方ない家に招待しよう。」
「おいおい……。」
「このまま放っておくわけにもいくまい。」
私の提案に難色を示すGだったが、他に案も無くしょうがないと賛成してくれる。奴も戸惑い拒むのを無理矢理連れて行った。
……なんというか、奴は生気が無い。眼も伏し目がちで、同じGにすら合わせようとしない。
奴とGを区別する方法は二つ出来た。入れ墨の有り無しと、その暗さを持つ顔。
一緒に暮らすにあたって、奴にも何か立場を与え生きる糧に出来るものが欲しかった。
だがGと同じ趣味、味覚、習慣を持っていると踏んだのが大間違い。軸というものが精神に通っておらず、何を考えているのか解らないのだ。
まずGとの喧嘩が絶えない。Gの方はわりかし世間一般の倫理や価値観を根底に置きながらも、自分の言葉で冷静に相手と話すのだが、奴は感情で話す。自分が嫌なものは嫌、誰が困ろうと嫌。例えるなら、まだ成人にも満たない子供のような性格なのだ。
私はまあ、子供のようだとよくGには言われるので大して気にはならないが、Gの苛立ちは日に日にひどくなるばかりだった。
自分と自分の間で生まれた摩擦。一番自分が解っている筈なのに解らない。
「ありゃ俺じゃねえ。別の人間だ。」
奴が現れてから五日目の夜、Gはベッドでぼそっと呟く。
「それに何で入れ墨がねえんだ。あいつ、お前に……。」
……Gが入れ墨を入れるきっかけは私にある。時間は無いが、手早く語ろうとしよう。そうしなければ、奴に入れ墨が無い理由を話す事も出来ない。
時間は十年前に遡る。
自警団を発足し始めた時の事。Gが突然、「お前の炎で顔を焼いてくれ」と言い出した。勿論拒否である。
問い詰めると、私を裏切らない、ずっと側にいると誓いを立てたいと言った。私からすれば、Gの端正な顔(あいつはガキの頃から大人の顔を予想出来るぐらい美形だった)を傷付けたくない。何を言われようと断り続けた末、勝手に炎の入れ墨を入れてしまったというのが結論だ。
「お前の炎をイメージしたんだ」と言われても。怒りたい気持ちもあったが、Gの真面目で揺るぎない決心を汚す事は出来ず容認した。
あの入れ墨はGにとって大事なもの。私にとってもだ。
………というわけで、Gからすれば奴に入れ墨が無いというのは「誓い」をしなかったという事。そこにも怒りを感じているらしい。
Gのそのような様子を見て、奴の世界、私達にとっての異世界はどうなっていたのか聞きたくなった。
一体、あの「G」はどんな人生を歩んできたのか。
私はどうしても知りたくなり、その次の日の夜、Gが風呂に入っている間に聞いてみる事にした。
今のうちにと居間に向かうもおらず、二階に上がるとバルコニーからガラス戸を開けたまま海岸を眺めている奴の姿を見つける。
「なあ。」
そっと、隣に立ったみた。だが奴は私を見向きもしない。
「お前の事、ちゃんと聞きたいんだ。」
………。
沈黙。どうして奴は雑談でさえ喋りたがらないのか。喋ったとしても幼稚な頭だとGは言うが。
「……聞いてどうする。」
「どうもしない。ただ、お前の事を知りたい。」
確か、奴の世界の私はもう死んだと言っていた。
どうして私は死んだのか、そして奴はどう思ったのか……。
「……俺とジョットは、"ここ"で暮らしていたんだ。」
ぽつりと奴は言葉を零す。奴の世界での"この家"。なんだ、一緒じゃないかと喜んだのも束の間だ。
「……いいや、暮らしていたというか、監禁してたっつー方が近いか。」
監禁、に驚くが奴は淡々と続ける。大した問題でもないとでも言いたげに。
「マフィアになっちまったボンゴレから無理矢理連れ出したんだよ。」
「無理矢理って。」
「それでいいと思った。一生追われる立場になろうとも、二人で暮らせるならと。でも"あいつ"、毎晩逃げようとするんだ。」
その「あいつ」という言葉には、何の感情も入っていなかった。違う世界でも、同じ世界なのに他人のようだ。
「だから俺は家に閉じ込めた。マフィアの世界になんざ、戻りたくないだろうと思ってたからな。」
確かに、円満引退した今はもうボンゴレには戻りたくない。
生まれて来る子にも辛い思いをさせたくはない。……でも、逃げる事は違う。自分だからよく解った。
「ボンゴレから逃げる事は、いい事じゃない。」
「……同じ事言うな、やっぱ。俺はそう思わねえ。無理にでも引き剥がしたかったのさ。」
……Gが、この「G」を幼稚だと言った意味が、今よく解った。
胸のあたりがじりじりと熱い。少しずつ湧き上がって来る。
「……どうして解らない。」
お前はGなのに、どうして私の気持ちが解らないんだ。
「嫌な事からただ逃げるだなんて、私はしたくない。お前にもして欲しくない!」
「……。」
こんなに叫んでも、奴の顔色は変わらなかった。
「解ってねえのはお前の方さ。俺はお前の事を考えて、ボンゴレから去った。」
「考えてない!お前はただ、ただ、私を理由にして逃げただけだ。私の本当に考えてくれるのなら、絶対に逃げたりしない!」
私の知る"G"は、そうだった。どんなに辛くとも弱音を吐こうとも、最後まで付き合ってくれた。
「………なんで、なんで解らない、ジョット……。」
静かな声の後、私の視界が変わる。押し倒されたと気付いたのは、木の床に頭を打ってからだ。
「いっ……。」
「"同じ事言うなよ"、ジョット、俺達、いつでも一緒だっただろ……?」
首に大きな手が伸びて、強く掴まれる。私の好きな手。
この男には、膨らんだ腹が見えないのか。私には「G」との子がいるのに。
「やめろ、G。冷静になるんだ……。」
「黙れよ。」
手に力が籠もって、急に息苦しくなる。……奴は「同じ」と言った。ならば、奴の世界の"私"は、こうやって───。
「く、くるし……。」
「……なんで解らねえんだよてめえは。俺達、いつも同じ心じゃなかったのか?……頼むよ、ジョット……、頼む……。俺と同じ考えでいてくれよ……。」
「何してんだ!!」
怒鳴り声がして、奴が私の体から離れる。風呂上がりのGが鬼のような形相をして奴を殴ったのだ。
バルコニーが揺れる。
「ジョット……、大丈夫か。」
「う……。」
止められていた空気が一気に肺に入って来てむせる。Gは優しく抱き起こしてくれた。
……信じられなかった。「G」が私を殺そうとするなんて、躊躇いもないなんて。幼稚とか、そんな問題じゃない。
違う。"こいつ"は、違う。
「……なんのつもりだてめえ……!」
「……。」
「答えろ、……出来ねえなら出て行け。お前は俺じゃねえ。……消えろ!」
「G!」
言い過ぎだ、と言う前に抱き上げられバルコニーを離れ始める。言葉を無視して進むGの胸から、私は奴を見た。
ゆっくり立ち上がり、私をただ見つめている。泣きそうでも、辛そうでもない。その眼は、ただ、空虚を感じた。
階段を下り、リビングに着くとソファに下ろされる。私の体に何の刺激も無いよう、静かな動きで。
Gは隣に座り、私の手を握ってきた。
「大丈夫か、痛い所は?」
「ない……。」
「体に異変があったら、すぐに言えよ。」
大きなお腹も撫でられ、そこでようやく何をされたか理解出来て来る。
首を絞められた。下手をすれば、お腹の子にも……。奴の事ばかり考えていて、この子の事を考えていなかった。私は私一人の体ではない。
「わ、私……。」
「あいつには出てって貰う。……くそ、やっぱりあの時……。」
「G……」
奴はお前なのに。
……パラレルワールドにおける私達の人生が異なるのは、ただ選んだ選択肢が違うだけだと踏んでいた。性格まで違うなどあるものか。
「……だが。」
「G?」
腹に手を置いたまま、Gは顔を伏せる。先程までの気迫はどこにいったのだろう。
「あいつの気持ちも、解らなくもないと感じている。」
私と眼も合わさずGは語り出す。心無しか、声も震えているような気さえする。
「あいつは、真っ直ぐにお前の事を考えてるだけだ。周りを全部敵に回す覚悟だってある。……だから無理矢理"お前"を連れ出せたんだろうな……。」
己の中で眼を反らし続けてきた感情。爆弾。確かにある事を、認めた。
私達が考える「もしかしたら」、選択肢に外れは無い。だって一つその答えを選んだ自分はきっと後悔していないだろうから。全てが正解で、全て自分に起こりうる最低にして最高の結末。
「……俺ちっとビビってんだ、ジョット。"あいつ"みたいに自分がなっていた可能性があると思うとよ……。………でも。あいつがお前を殺して、平然としてられる理由だけは解らねえ。俺だったら後悔しまくって川あたりに身を投げてる。」
そこでようやく、Gが顔を上げた。いつもより多く眉間に皺を寄せ、リビングの窓から見える庭、海を眺める。
「……あいつは俺なのか、俺じゃないのか………。」
***
翌日、まったく関係無いのだが門外顧問のバジルくんがやってきた。
そうだ、今日はバジルくんと庭いじりをする日。週一回やってくる彼は、毎回花の苗を持ってきてくれる。
「今日はアネモネを持ってきてみたんです。」
「アネモネ。」
「はい、ボンゴレの庭園にも植えたやつです。」
私とGがこの家に引っ越して来た当時、あまりにも庭が寂しく廃れていたものだから「ガーデニングでもしてみるか」と考案した。んでボンゴレの大庭園を管理している庭師に相談しにいった所、ちょうど彼と居合わせる。
庭師は歳がかなりいった老人で、わざわざ我が家に指導する事も苗木を持って行く事も出来ない。
困っていると、彼が「拙者がやりましょうか?」、なんと快く引き受けてくれたわけだ。
バジルくんも時々、庭園に出るという。家光が「人間、土に触っていなきゃ駄目だ」と言ったからだとか。まあ家光の言いたい事も何となく解る。
だがバジルくんも門外顧問の重役だ。なのにうちまで来てくれるのには感謝しなければならない。でも、ボンゴレの庭園と同じ花はな……、仕方なくそこだけは我慢している。
「十代目、毎日嘆いておられますよ。仕事いやだー、って。」
「だろうな。」
苗を植える為花壇を浅く掘ったり、草むしりをしながら綱吉の話、じゃなくて現ボンゴレファミリーの様子を聞くのが定例。
Gも黙々と作業をしつつ聞いている。私はもう子供が生まれるともあり、今は縁側から眺めているだけ。
「獄寺殿は泣き言、愚痴一つ言いません。素晴らしい方です。」
「いやいや、綱吉と二人になったらぐちぐち言ってるかもしれんぞ。」
「かもしれませんね。拙者もそう思います。」
見透かされてるじゃないか、獄寺も甘いな……と笑っていると、背後に気配を感じた。
……奴だ。
「……G殿………ではないですよね?」
バジルくんは驚きもしない。
昨日の事もあり、Gはあからさまに警戒心を剥き出しにする。でも、何も言わなかった。奴も大人しく私の隣に座る。
「弟さんですか?」
他人である彼にも解る程、奴とGは違う。明らかになった瞬間であった。
「一緒に花でも植えませんか。」
バジルくんの純粋無垢で裏表も無い誘いに、奴は驚き迷っているように見える。されどそれも一瞬で、腰を簡単に上げた。
「これ、ボンゴレが開発した特別なアネモネなんです。きっと綺麗な花が咲きますよ。」
花壇まで来た奴に、彼は苗を一つ渡す。
「ささ、どうぞ。」
奴は黙って手袋もせず苗を凹んだ地面の上に置き、土を掛け始めた。Gは言わずもがな無言。バジルくんはにっこり笑いながら私達にこのアネモネの事を話す。
「内緒なんですが、入江さんがこのアネモネを改良し始めたきっかけって、失恋だそうです。」
「バラしてどうする、バジルくん。」
「あ。」
照れ臭そうにする彼に和みつつ、私はその先を求めた。内緒話程盛り上がる話は無い。
「どうしてアネモネなのかとスパナ殿が聞いたら、花言葉に意味があるからと。」
「花言葉?」
「はい。教えて貰ったのは、"はかない恋"とか、"君を愛す"です。」
「ははあ、未練タラタラなわけか。」
みたいですねえ、とバジルくんは苦笑い。泣きながら改良している入江の顔は安易に想像出来た。
「……もっとあるぜ、アネモネの花言葉。」
一つ苗を植え終えた所で、奴が呟く。ぴんと緊張の糸が張り詰めたが、彼には関係無かった。
「なんというものがあるんです?」
「……………"嫉妬の為の無実の犠牲"だよ。」
私とGは、意味深過ぎるそれに言葉が出て来ない。どうして知っているんだとも聞く気にもなれなかった。
無実の犠牲だって?お前は一体、誰の事を、誰の事を言っているんだよ。
「博識ですね。」
「………。」
「この花にはプラスにもマイナスにも捉えられる意味があるんですよね。見る人によって違うだなんて素晴らしいです。G殿とジョット殿には、さぞかし美しく見えるに違いありません。」
「……ああ、そうだな……。」
無邪気さが、何だか胸に来た。突き刺さるわけでもなく、ただ重い。
……苗を全て植えた頃には日も暮れ、お礼としてバジルくんには夕食を食べていって貰う事になった。
リビングからは、植えたばかりのアネモネ達が見える。複雑な感情が絡まって何だか変な気分だ……。
とにかく夕飯の準備を、とキッチンに立った時である。お腹に感じた事の無い痛みが走った。
陣痛じゃない、それよりもっと……!膝を落とし、座り込むと破水しているのが解った。予定までもう少しだったのに。
「ジョット!」
私の呻きに気付いてGがキッチンに来て体を支えてくれた。
「う、生まれるかも……。」
「産婆呼んでくる。……バジル!」
「は、はい!」
Gがやけに落ち着いているのは、父親なるという覚悟がすでに出来ていたからだと思う。私はもう手一杯。
「ジョットをここからリビングに運んでくれ。あと……おい。」
呆然と立っている奴にも、睨みつつGは指示をした。
「てめえは布団と、タオルをあるだけ持って来い。あと湯を沸かせ。」
「……。」
「解ったな!俺は婆を呼んでくる。……待ってろ、ジョット。」
私から離れ、家を出て行く。途端、なんだか心細くなった。バジルくんも、……奴もいるのに。しかも「G」だ。
「ジョット殿、落ち着いて下さいね。今準備致します。」
「すまんな……せっかく……。」
「いいえ、これも運命かと。」
バジルくんが言った運命という言葉が、何だか不思議と、その意味がはっきりと感じられて、恐怖が少しずつ去って行った。
今日この時、この場所、この人間達の中で生まれるのは決められた運命だったのだと。
「………G。」
私は初めて、奴を「G」と呼んだ。
「……。」
「手を………。」
体を支えながら、奴に手を伸ばす。戸惑う顔が見えたが、すぐ奴は私に寄り、両手で握ってくれた。
「……ジョット。」
なんだ"G"、そんな優しい顔も出来るんじゃないか。
****
それから数時間後、赤子の声が家中に響いた。泣きながら力んでいたのだけれど、また違った涙が流れる。
産婆から我が子を受け取り、乳房を吸わせるとその力強さに驚く。
ああ、一人の人間が生まれたという事は、なんて美しく素晴らしいんだ。きっとこの子の為ならなんだってしてしまう。
「……G。」
「ああ。」
授乳が終わり、Gに渡す。ぎこちなく受け取り、じいっと我が子の顔を見つめていた。ふと漏れる微笑が、Gの喜びを表す。
「………触れてみるか。」
奴も誘うが、すぐに首を横に振った。
「どうして?」
「俺には、そんな権利はない。」
「何を言う。」
「俺は"お前"を殺したんだ。」
「……だから?」
私の返しに、奴は反らしていた眼を見開き、信じられないと見つめて来た。……正直な事を言ったまで。
何兆分の一の結果を今更責めて何になろう。お前は間違ったわけではないのだよ。
奴と出会った事も運命。ならば、「違う可能性の存在」に触れる事も運命で、罪ではないと思う。
「ほら。」
その時だけは、Gも口を出さなかった。だが抱くのだけは駄目だとばかりに、触れられるように近付けてやるだけ。
……空に伸びている小さな小さな手。奴は恐る恐る、それに指を伸ばした。
僅かばかりだが震えている。どんな気持ちなのだろう。Gと同じで、喜びという感情は少しはあるのだろうか。あったらいい。
「……!」
奴の指に、我が子の細い手のひらが振れた。するとぎゅっ、と強く握られる。
「あたたかい。」
「だろう?」
「………あたたかい……。」
自分の子であって、自分の子じゃない「可能性」の一つ。……こんな未来、お前が作ったって、お前が辿り着いても良かったんだぞ、「G」。
「………ごめんな。」
嗚咽が静かに漏れる室内。誰一人、笑いも、蔑みもしなかった。奴は暖かい可能性に触れながら、涙を零し詫びる。
「ごめんな………。」
殺した「私」に詫びているのか、この子に詫びているのか。奴しか心情は解らない。
──子が生まれてから数日後、奴は跡形も無く消えた。
どこかへ行ったのか、元の世界に戻ったのか……。
私とGは探そうとはしなかった。だって確かに奴は海から現れ、我が子に触れたのだ。幻だと人は言うかもしれない。
でも奴が植えたアネモネは確かにある。きっとすぐ花を咲かせるだろう。
終
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