1 ハロウブラザー
もしかしたら、弟とは血が繋がっていなかったのかもしれない。半分か、或いは全部か。家を出てから会っていないが、弟は俺と違ってよく出来る奴だった。絵に全てを持ってかれてた俺や父とは違い、勉学には長けていたし、運動能力も高かった。俺と弟がまだ、父が有り余る財力で作った豪邸の庭で仲良くキャッチボールをしてた頃、たまにボールが木の枝に引っ掛かってしまう事があった。どうしようと慌てるだけのダメ兄貴だった俺とは反対に、スーパーな弟は「とってくる」と笑顔でグローブを外し、猿のような動きで木をよじ登る。俺は顎が外れたみたいに口を開けたままそれを眺め、ボールが落ちてきたのを確認した。弟には素晴らしい能力と、それに伴う勇気もあったのだ。
そしてキャッチボールをしていた事も忘れた歳になった頃、弟は家に友達を連れて来るようになった。両親の離婚調停中にも関わらず、豪邸はそのままを保っていた。弟によく似て、人生を満喫しているように見えた友人達は、中学受験を失敗して絵だけに打ち込んでいた俺にとって妬みの対象でしかない。学校が終わり、賑やかになる家。俺は自室に引きこもってカンバスに向かうだけ。
しかし、喉が乾き台所に向かおうと部屋を出た俺は、弟の友人Aと出くわしてしまう。「ひきこもりのお兄さんですよねえ」俺は黙って、挨拶程度に頭を下げる。その通りだから、反発も出来なかったし、そんな勇気も無かった。友人Aはにやにやしている。まさか、あんなスーパー弟の兄がこんなだとは思わなかったのだろう。猫背を伸ばしもせず、俺は台所に向かった。
「帰れよ!!」
その時、初めて見た。
弟の鮮やかな右フックを。実に綺麗だった。友人Aはワックスで綺麗な床に倒れ込む。何がどうなったか、理解出来ていないようだ。俺も呆然としていた。
ああ、俺を庇ってくれたのか。そう解ってくると、自分がいかに情けないかも身にしみて来る。弟は、正義感も、優しさも併せ持つ素晴らしい完璧超人だったわけ。
まさに天と地の違いであるから、俺は弟と血が繋がっていないんじゃないかなあと思うのだ。
ちなみに、弟の名前は安土桐。あづち、きり。俺はおい、としか呼んだ事がない。
2 ファーストッカータ
これが定職なのが解らないが、俺はマフィアになっていた。血生臭い仕事ばかりかと思ったがそうでもない。多分ボスの志のおかげ、そして俺が仕える上司の仕事内容のせいで。
「ロク、ジッリョネロから渡された例の手紙はどうなってる?それから、会議の資料コピーはしたか?あとコーヒー持ってこい。」
砂糖入れたら果たす──。
狭い執務室の中、俺は慌ただしく動く。上司は獄寺隼人さんという人で、この人も完璧超人の一人なのである。
獄寺さんは変な人だった。これはあくまで一般論(と保険を掛けておく)で、俺が独自で考えている事じゃない。何が変なのかと探ってみると、獄寺さんは人に愛想笑いもしないし、権力に媚も売らず、金にも興味が無いようで、一体何の為に人生を送っているのかと他人に疑問を感じさせてしまう人なのだ。いや、上記は日本人から見た人生に必要な欲かもしれない。獄寺さんの糧は別な所にあるのだ。それを垣間見たのは、俺が獄寺さんに拾われて約十分後の事だった。
当時自称画家のホームレスだった俺は、人生の中で使われるべき運を全て吸い取られ、獄寺さんに拾われた。獄寺さんは俺が路上で絵で売っている時、度々足を止めて眺めては去ってゆく冷やかし金持ちのようだった。金持ちは金持ちだったのだが、マフィアだという事に気が付いたのは拾われたあの日である。
──お前、マフィアなんねえ?
たちの悪い冗談かと思った。そうですねえ、マフィアになったらお金が沢山手に入るでしょうね。なんて笑っていたら、獄寺さんは少し眉間の皺を緩ませ、怪しい笑みを浮かべた。「まあいいからついてこい」俺は唯一の持ち物だった油彩道具とお粗末な衣類が入った小汚いトランクを引きずり、真っ赤なフェラーリに乗せられた。後から聞くに、それはボスに贈られた車だったらしい。フェラーリだけに、あの跳ね馬と呼ばれるあの人から。道理で、ボスに似合っていないと思った。
その不釣り合いなフェラーリの後部座席に乗っていたのは、一人の小柄な日本人。ボスである。
やあ、君か。初めまして。俺は────なんて色々言われた気がするが、あんまり覚えていない。隣に乗せられ、獄寺さんの運転で赤い車は動き出す。
「えーとね、……なんだっけ獄寺くん。」
「これを。」
運転しながら、獄寺さんはボスに一枚の紙を手渡す。それを受け取り、ボスはふんふん、と紙を凝視した。
「め、めい……?めいじ、でいいのかな?」
「は、はあ……。」
「ろく、まくん?」
どうやら、紙には俺の名前やらが書かれているらしい。まだ何が何だか頭の整理がついていなかった俺は、はい、としか言葉が出てこない。
「かっこいい名前だねえ!絵が得意なんだ。俺は美術的センスゼロでさ。尊敬するよ。」
まるで、これから働いて貰うアルバイトの面接のようだった。今考えるとそうだったのかもしれない。俺より先に獄寺さんに付いていたマワリもこんな事をした、と聞いた。
俺がボスからの質問いや、質問といっても談笑の中にある少ない受け答えに一つ二つ答えている中、獄寺さんは黙ってハンドルを動かしていた。制限速度を守る緩やかな運転。顔は見えなかったが、多分眉を潜めながら運転はしちゃいなかっただろう。
暫くして、ボスと俺は静かになった。ボスが疲れたか、もう聞く事も無くなったのか。それを見計らって、獄寺さんがついに沈黙を破った。
「如何ですか?」
多分それは、俺がマフィアに、いやボンゴレに入れても大丈夫なのかという問いを遠回しに聞いていたんだろう。
「俺がダメなんて言う時あった?」
「ありません。」
「でしょ?だからこれからも無いよ。よろしくね、録真くん。」
獄寺さんにとって、ボスは絶対なのだ。あの時駄目と言われていたら、今の俺はない。
ボスは法であり、神であり、人間だった。それをよく理解し崇拝しているのは、この獄寺さんという人間。
「ありがとうございます。」
それを、出会って約十分後に、俺は知った気がした。
3 グットクッション
よく解らないままボンゴレファミリーの一員になってしまった俺だが、マフィアという組織に入ってしまったからには、勝手な義務が増えてしまう。まずは自己防衛の手段だった。ろくに運動もしていなかった俺には、一番辛かった義務である。拳銃の持ち方撃ち方、護身術、匣やリングについての知識の習得。まさに血を吐くような日々だったが、獄寺さんは気長に俺の様子を眺めていた。
半年経ってようやく、獄寺さんの仕事を手伝うようにと言われた。ほぼ雑務だったが、苦痛とは感じなかった。仕事が終わると、ボンゴレの私邸内にある、与えて貰った一室(広い)で絵を悠々と描けたし、給料も高かったし。何だいい人に拾われたじゃん、と内心喜んでいた。
しかしそれもただの勘違いで、マフィアという組織であるからには、汚い仕事も回ってくるのである。ボスの方針でそんなのは滅多に無かったが、たまにあるとその日1日は憂鬱になるものだった。未だヴァリアーの人と擦れ違うと緊張もする。
獄寺さんの仕事は主にデスクワークだ。俺はそれをスムーズにこなして貰う為の補佐。そして護衛だった。入ったばかりの、俺みたいなマフィア素人が幹部の側近になるなんて、何かあるんじゃないかと波を立てる人間もいた。俺もそれを思っていたから、真正面からぶつかる事は無かったけど、いい気分じゃなかったのを覚えている。
それから何年も経った今、俺も周りもなんとか落ち着いていた。男だから怒鳴られる事はしょっちゅうだけど。
今日も獄寺さんの執務室で仕事の補佐をしていると、突如電話のベルが鳴り響いた。こういうのは受けがいいマワリが取るのだが、残念ながら獄寺さんのコーヒーを接ぎに行っているので、俺が受話器を取った。
獄寺さんの執務室に電話掛けるなんて、部下かどっかのファミリーの人間か。身内はみんな携帯電話に連絡するからなあ。
「もしもし?」
『ご、獄寺か?』
どこかで聞いた事があるような気がしたが、多分勘違いだろう。日本人である事には少し驚いた。
「どちら様ですか?出来ればお名前とご用件を。」
『ユリナガ研究所の者と言ってくれれば、通じるとは思うのですが。』
「少々お待ち下さい。」
受話器から頭を話し、パソコンのキーボードを叩いていた獄寺さんに今の流れを伝えた。予想に反して、上司は「ああ」と何か思い出したように受話器を受け取る。
「キリか?」
キリカ、女の名前かと思った。
4 ワーストオーダー
獄寺さんの友達。多分そうなんだろう。あんまり、友達とかそういう単語が似合う人じゃないからちょっと驚いた。獄寺さんもやっぱ人間だったんだな。獄寺さんは俺やマワリに口止めするわけでもなく、至って普段通りだった。
厳しい上司の秘密(ではないか?)を知って、少しばかり優越感に浸って仕事を終わらせた俺に、とあるメールが届いていた事に気付いたのは自室に戻ってから。小腹が空いていたので、菓子パンをだらしなく租借しながらパソコンを開いてそれを読んだ。どうやら俺への依頼メールらしい。
件名:修復の御依頼
本文:初めまして。日本の××県にあります、鉤妻美術館に勤める、久遠四季と申
します。突然の御依頼────。
つらつら書かれたそのメールを要約すると、とある画家の名画の修復を頼む、との事。俺はたまに絵画の修復も行う。ちょっとばかしかじった事もあったからだ。ただ、天井画の修復だけは体がへなへなになるのでもうやりたくない。ちなみに、この仕事は俺の趣味の範囲なのでボンゴレには容認されている。
そしてそのメールに書かれていた、修復を依頼する絵画の画家は俺の実父、明路沖野であった。
まさか。メールを件名から見直す。本当に明路沖野と書かれていた。食っていた菓子パンの味が解らなくなる。自分の父親の絵の修復を頼まれるとは思いもしなかった。相手は俺が息子だと知ってるのか?いや、知らないだろうなあ。俺の雅号(画家のペンネームみたいなもの)はRokumaだ。あえて名字は使わないようにしていた。
俺はパソコンの前で頭を抱えてみたが、断るのもなんかプライド的にいやだし、やってみたいという好奇心もあったので、丁寧に「了解」の意を表したメールを送った。ま、どうせ迷っても、やる、という選択肢しかないのが人生なのだ。
5 ダブルミーツ
親父の絵は、それから一週間後に届いた。サイズで言うとF20号。小学校で使う机より少し大きいものだ。梱包材を向き、ゆっくりと俺はそれを取り出す。
「……。」
何というか、言葉に詰まった。親父の絵は家族だからかなり見てきて、すごいのは知ってる。イタリアでも個展をしたぐらいだから。でも……この絵は……見た事が無かった。真っ青な空に一つの雲。その下にあるのは、赤い海らしき水面。そしてその水面に咲く、オレンジ色の向日葵……。水面には花びらが二枚落ちており、波紋が広がっている。要約すると、水の地面に花が咲いている絵だった。
親父が描いていた絵は、実に情熱的というか、まさに爆発していた抽象画で、こんな穏やかなものは見た事が無かった。本当に親父が書いたのかと、疑いの思念すら浮かんでくる。だが左端に「OM」のサインを確認して、本物なのだと無理矢理納得した。
…… 本題に戻る。修復というからには、どこか破損したり劣化した部分があるのだろう。隅々まで眺める必要もなく、それは見つかった。青空に不自然な、十円玉程の白い場所と、水面に落ちている花びらの絵の具が剥げている。この絵がいつ出来たのかは知らないが、親父が死んだのは六年前。イタリアの画廊のオーナーから聞いただけで、俺は墓参りにも行っていない。それは別問題として、たった六年ちょいで絵の具が剥げるものか?不意に変な違和感を感じた。
うーん。ちょっと調べるか?でも仕事だし。とりあえず、この仕事を早く片付け、依頼人に聞いてみよう。絵の扱い方もなんか雑だし。
6 エキスパートボウイ
金槌が必死に鉄鍋を叩いている。
いやいや、目覚ましの音がそんな酷いわけがない。酷くさせているのは、俺の疲れ切ってる体だ。
掛け布団から手を延ばし、サイドテーブルにあるだろう目覚ましを探す。やっと触れた頃には、意識もようやく睡眠の淀みから浮き上がってくる。
はいはい。今止めますからね。頭を上げ、鳴り続ける時計を止めてそれを見た。八時半か。まだ……八時!?
掛け布団を大袈裟にどかし、時計を両手で持ち凝視してみたが、針は八時半を指したままだ。間違いではない。
「やべえ!」
いつもなら六時には起きて、顔洗って飯食って、獄寺さんの仕事の準備しなきゃなんねーのに!死んだ!獄寺さんに殺されて死ぬ!前一時間遅れて行ったら、その日はずっとランボさんとトイレ掃除だったし……。
俺はばっちり覚醒した体で、まずカーテンを開け、着替え、どう言い訳しようか考えた。
*****
すいません、遅れました!実はスーツが全て虫に食われてまして、穴だらけに、……なんてくだらねー言い訳をドアを開けた瞬間に言おうと思っていたが、それは無意味だった事に喜んだ。
「獄寺様は、昨日の夜からボスとお出掛けになっております。命拾いしましたね。」
獄寺さんの執務室で一人、書類整理をしていたマワリにしれっと言われ、俺は大きな安堵の息を吐く。危なかった!本当に危なかった!……ん?でも、俺そんな事聞いて無かったぞ。
「私も朝、山本様から聞いたのです。どうも緊急だったようで。」
「緊急……。なんかあったのかな?」
「解りません。お帰りになる日も決まっていないようです。」
頭に過ぎったのは、前に獄寺さんに掛かってきた電話。確か、キリカ、だっけ。関係あるのだろうか。
「でも、まあ、仕事とか指示されてないなら、ちょっとサボっててもいいかな?報告すんなよ、マワリ。」
「獄寺様がいなければ進まない仕事ばかりですしね。よろしいのではないですか。言いませんよ、多分。」
よし!じゃあ修復の仕事が出来る!獄寺さんには申し訳ないけど、ちょっとこっちを優先しよう。獄寺さんが戻ってきたら、ちゃんと仕事やりますから!
俺は部屋に戻り、スーツを脱いで白衣を羽織った。もう汚れきったそれは、少し愛着が湧いてる作業着。
例の絵をイーゼルに立て、修復用の絵の具をテーブルに広げる。筆と水を用意して……と。
まずは空から取り掛かろう。固形の絵の具を水で溶かし、パレットで慣らす。少しずつ絵の具を調合し、修復箇所周辺の色に近付ける。
この仕事で困った事は、原型の写真が無い事である。破損した箇所がどうであったのか、解らなければ修復のしようがないからだ。依頼人にその旨を伝えたが、どうしてもやって欲しいと。……本当に困った。だって修復というのは、自分が持つポリシーやイメージ、物語や感情を押し付けはいけないのだ。あくまで、修復する絵に従わなければならない。自分のものを押し付けたら、違う絵になってしまうから。あくまで、修復という事を忘れないように……。だから、原型を" 知っている"ものがないと非常に苦労する。街中でインタビューして、百人中百人が知っているような有名な絵ならまだしも、作者の息子も知らなかったような絵だぞ。想像でやれっていうのか。
困り果てつつも、こうやって何とかやろうとする俺は何なの。絵が好きだからですよ!
調合する絵の具は、少し明るめに作る。修復し終わった後、ニスとか塗ると調度よく馴染むから。調合した色を試しのキャンパスに数度塗って確認し、ついに本番。細い筆で、線を引くように描いて(ハッチングと言う)ゆく。何故線を引くように描く必要があるのか。それは修復箇所と、原型の筆跡を区別する為だ。
また何十年かして、誰かがこの絵を修復する時……どこが修復されているのかいないのか、理解しやすくする為。色んな事を気遣ってやらなきゃいけない作業だ。根気もいる。失礼だけど、獄寺さんが出張してて助かったなあ。
7 リメンバーブルー
ロク、ご飯食べましたか?
携帯電話に、マワリからそんなメールが来たのを見て、今何時かを確認した。夜の九時過ぎだった。もうそんな時間か……。緊張していた肩を降ろすと、急に疲労の波が襲ってくる。背筋を延ばしながら筆を置いた。
「腰へった〜……。」
ついでに、腹の虫も騒ぎ出す。夕食の時間はもう過ぎてるけど、何かしら食べられる物が厨房にあるかも。
マワリに今から食べるよ、ありがとう……とメールを返した後、立ち上がってのたのたと俺は歩き出した……。
仕事は大分進んだが、完成にまだ程遠い。絵の具の層は重ねるのはあまりよくないし、だからって適当な事は出来ないし。まあとにかく、頑張るしかない。厨房、パンぐらいならあるかな。
厨房で、明日の朝食に出されるだろうパンにジャムを塗って、空腹を何とか満たし、シャワーを浴びてベッドに飛び込んだ俺はその夜、夢を見た。
その日は、俺は十八歳で美術大学の受験を失敗した日。あーこの日か。爺ちゃんに支援して貰ったのに、期待に答えられ無かったんだ。親の期待にも、爺ちゃんの期待にも答えられなかった俺。ああ、ダメ人間なんだ、俺って……ひしひしと感じた最悪の日だ。
その最悪な俺は、受験票をぐしゃぐしゃに握り締めて、胴上げされる合格者達を後ろに、情けない背中を晒して大学の門を出た。やけにリアルな夢で、合格者の親が嬉し泣きする声まで聞こえてる。惨めだ。
そんな俺を待っていたのは弟だった。猫背の俺を見て全てを察した弟は……。
『そんな時もある!』
「何言ってんだ、お前……。」
あの時と同じ言葉を呟くと、一瞬で意識がはっきりした。自分のその声で起きたらしい。
本当に、何言ってんだ。
時計を見ると、長針が六時を指している。どうやら今日は大丈夫みたいだ。安心しながら、ベッドから起き上がる俺の視界に一番最初に入ったのは、修復中の絵。そういや、題名聞いてなかったな、この絵。
8 ディファレンスデイ
今日も獄寺さんとボスは帰って来なかった。心配だけど、修復の仕事出来るなあ……って思うと嬉しい。ごめんなさい、ボス、獄寺さん。そんな日々が一週間程続けば、仕事も完成に近付く。ボスの不在は守護者の皆さんが埋めてくれたし、休暇を貰えたみたいで楽っちゃ楽だった。
絵を修復し終えた八日目の朝、俺は梱包の準備をしていた。順番的には、修復代金を俺の口座に振り込んで貰ってからの発送だけど。
気泡緩衝材(プチプチね)を絵に巻き付けようとした時、急に携帯電話が鳴った。うわ、獄寺さんかな。修復が終わった途端とか、間が良すぎるよ。
だがそんな予想に反し、画面に映し出された文字は、久遠。修復の依頼をした美術館の人だ。獄寺さんじゃない事に安心しつつ、俺はそのメールを読む。
内容は、修復についての感謝の意と……受け渡しについてだった。久遠さんは今画材の買い出しでイタリアに来ているから、会って渡して貰いたいと。ついでに代金も渡してくれるそうで。なんと好都合。断る理由も無かったので、修復が終わった旨と、了解のメールを返した。うん、なんか色々うまく進んでるなあ。いいのかな。
*****
指定されたのは、二日後の夜。場所はボンゴレの屋敷から程近い自然公園の広場だった。場所はともかく、何で夜?まあ都合があるんだろう。不意に浮かんだ疑問も捨て、俺は絵を持って公園に向かった。霧の深い夜だった。別に寒くは無かったが、何となく冷たさを感じる空間になり、公園は黙り込んでいる。俺はいつものスーツではなく、画家っぽくカジュアルな上着にジーンズ。派手なマフラーも首に巻き、ちょっとだけマフィアを忘れて
る俺だ。だが、絵が入ってる特注のトランクも忘れてはいない。時間は夜十時。人なんかいない。不審者に間違えられそうだが、依頼人の都合なんだから仕方が無いんだ。大人しくベンチに座って待つ。トランクは優しくベン
チに置いた。ついでに眼も瞑ってみる。……。静かだ。世界に誰もいないみたいな。
俺の世界には、血の繋がった人は誰もいないけど、それよりも深い関わりを持つ人達がいる。それってかなりすごい事だ……と俺は思う。家族にもう会いたくないわけじゃない。ただ俺はもう大人になっているし、縋る程脆弱ではないから。多分。
そんな俺を、霧は静かに包む。何となく落ち着いて来た時、足音がした。依頼人か?瞼を開けた俺は……。
「絵を返せえっ!」
一瞬の、頭に受けた鈍痛を足の指先まで感じさせて、暗転した。よく理解出来なかったが、目の前には男らしき人間、そして悲痛な声も聞いた。
9 サンフラワーオンザレッドシー
「……死んでねえな?」
聞いた事ある、いつも聞いてる、その声はやっぱり獄寺さんだった。俺を見下ろし、堂々と煙草の煙を吐いている。その、ドライフラワーが焦げたような香りを感じる事が出来た俺は、やっと自分がベッドに寝ていた事に気がつく。あの公園にいて、鈍痛の後の記憶が無い。
「獄寺さん……?」
「ロク、仕事は選べ。ついでによく対象を調べろ。……そう俺は教えなかったか?」
鈍痛がまだ続いている俺をお構いなしに、獄寺さんはその怒り似た言葉と、煙草の煙を俺に吐く。だが何の事だか、解らない。とりあえずここは俺の部屋だ、うん。部屋に染み付いた油絵の具の匂いから、それだけは確認出来た。
そして絵の事をふと思い出す。俺は、暴漢にでも襲われたのだと勘違いしていて、高値の親父の絵を強奪されてしまったのか、という最悪のパターンを予感していた。
「絵は……。」
「持ち主の所へ戻った。」
「へ?」
痛む頭を忘れそうになるぐらい、驚いた。暴漢が持ってったとして、依頼人に届けた?そんなバカな話があるか。思わず起き上がり、獄寺さんを真っ直ぐ見つめた。それを感じ取ってくれた俺の上司は、また煙を吐いて、ベッドに座る。
「あの絵、盗品だったんだよ。」
「盗品!?」
まじかよ。俺は犯罪の片棒担いだってわけ?最悪だ!
「お前、鉤妻美術館がどこにあるか知ってたか?」
依頼人が勤めてるとメールにあったあの美術館か。残念ながら、俺は知らなかった。
首を横に振ると、獄寺さんは重い溜め息をつく。
「ねえよそんな美術館。お前騙されたんだよ。」
「え……。」
「そもそも、お前がマフィアの画家って事はイタリアの美術協会には知れ渡ってるっつーのに、依頼が来るのがおかしいだろ。わざわざ日本の美術館が、マフィアに修復頼むってのがな。相手がどこでお前の事を掴んだのかは知らねえが、お前に頼むのが一番足が着かなそうと判断したんだろう。マフィア、犯罪者だからな。」
そんな、まさか。親父の絵がどこからから盗まれていたのもショックだというのに、そんな理由で仕事の依頼してきたなんて……。ひどい。気が付かなかった俺もバカだけど。確かに、絵の扱い方が雑で不信感はあったけど!
「……どこから、盗まれた絵だったんですか?」
「お前、前に電話に出たろ?ユリナガ研究所、ってとこだ。スイスにあるんだが、そこに俺の知り合いがいてな。あん時の電話が。」
「盗まれた、例の絵の捜索を頼まれた電話だったんですね……。」
もう、落胆するしかない。
「ああ。厳重に保管されてたらしいが……ある不手際で盗まれてな。しかも乱雑に。お前は盗みで傷ついちまった盗品を、裏オークションの為に修復したわけだ。」
修復されてるとされてないじゃ、値段が違うんだろうな……じゃなくて!確かに!あの破損は変だった!
「じゃあ、俺を殴ったのは!?」
「……お前を、賊の仲間だと勘違いした俺の知り合いだ。ユリナガの。そいつと、十代目と捜索してたわけなんだがなあ……賊の居場所を突き止め、壊滅した時に、お前にあのメールを送ったわけ。俺と十代目に知らせずにな。」
なんだ、その人。そんなに親父の絵が大事だったのか。嬉しいような、そうでもないような。
確か獄寺さんは、電話で「キリカ」って……。何人だろう。電話の時はイタリア語だった。殴られた時は足しか見てないし。
「あの、その人は?」
「スイスの研究所に絵を持って帰った。俺の部下だと知った後、申し訳無くてお前の顔を見れないから、俺から謝ってくれ、ってよ。」
「はあ……。」
「ま……災難だったな。」
一通り話し終えた獄寺さんは、ベッドから立ち上がって部屋のドアへ向かう。最悪、じゃなくて、獄寺さんに申し訳ない。自分がもっと、依頼人について知っていれば、こんなややこしい事にはならなかった。親父の絵が好きな、キリカさんとやらにも会えただろう。
俺は、ベッドから降りて、獄寺さんに己の甘さを詫びようとした。だが獄寺さんは、既にドアを閉めようとしている。
「獄寺さ……。」
「二、三日は寝てろ。それから、馬車馬の如く働かせてやる。」
ドアは静かに、閉まった。
******
あの絵を、なんでその研究所の人は持っていたんだろう。俺も見た事が無かったのに。親父の友人?いやいや、親父は俺と同じで、親しい人間なんていなかった。じゃあ血縁者?いやそれもない。親父は天涯孤独な筈だ。じゃあ……?
それは、何か触れてはいけないような気がした。秘密であるべき秘密。俺が知る必要がない、そんな邪道のようなもの。
だから、獄寺さんに研究所の人については聞けなかった。俺に必要ならば、多分後々解ってくるだろう。だから、いいや。忘れよう。
「ロク。豆が切れてる。買って来い。」
「はい!」
いつも通りの日常が戻ってきた、俺が殴られてから四日目の朝。獄寺さんは気がついたように、いつもならやらないコーヒー豆の粉砕をしようとコーヒーミルを机に持ってきていた。いつもならマワリがやるのに。気分かな。
だが肝心なコーヒー豆が切れていて、走らされてる今。獄寺さんの指示で走る俺。いつも通りだ。
……研究所の人が誰なのか、その秘密を知ったら、俺の何かは変わるかもしれない。そんなの、嫌だ。変わらないものは無いけど、まだ、変わる必要は無いんだ。
そういえばあの絵、空に雲に一つしかなかった。多分あれは親父だ。明路沖野を表していた。そして、向日葵は母。落ちる二枚の花びらは、俺と……弟だ。父からの拒絶で、母に依存していた俺達の愛情からの離別を描いていたんだ。そう思う。親父は、いずれそうなる事を解っていたから……。
俺はこうやって、愛情から離別してもうまくやっていけてる。俺より有能な弟は、更にうまくやっているだろう。そうに違いない。
「……そんな時もある!」
俺は弟に言われたあの言葉を、買ったコーヒー豆を抱きながら叫んだ。何だか泣けてきた。
終
後日談。
なんで獄寺さんの知り合いの頼みに、ボスが付いて行ったのか?それとなく聞いてみると、獄寺さんは額に右手を当てて、気まずそうに言った。
「……浮気かと……勘違いされたんだよ。何を言っても付いてくの一点張りで……。」
ああ、そうですか。こんな所でも起きていた勘違いに、俺は笑った。
「笑うなっ!」
「ご〜くでらくん!休憩しようよ!甘いもの食べたいな〜。」
突如、獄寺さんの執務室に入ってきたボス。顔が緩む獄寺さん。
ああ、いつも通り、ってやつだ。
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獄寺の部下の話。オリジナルキャラクターなのでご注意。獄ツナ前提。