No.249883

ただひとりの為のカンタータ

漱木幽さん

東方project二次創作作品。
いわゆる死にネタ(間接的ですが)なので、苦手な方はバックしていただいた方が良いかもしれません。
繰り返すことの恐ろしさを表せてたらいいなぁ……

2011-07-31 09:04:01 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:460   閲覧ユーザー数:437

 

 過ぎた昨日を振り返り、また迎える一日を受け入れるのが朝の儀式ならば、レミリア・スカーレット嬢にとって、それはまさしく再生の瞬間であった。

 

 夜眠り朝に目覚めるようになってから、幾年の月日が経つ。体の記憶はいつの間にか生来の特性を覆い、夜の王者足る資格はもはや地に堕ちたりと考えている。しかしそれでも、もとのように過ごす気はなかった。

 レミリア嬢の一日は、まず朝起きると必ず添い寝をしている虚無感をベッドの外に蹴りだすことから始まる。それはなかなか困難きわまる所業で、寝ている間に視た夢によっては自分がいつまでもベッドから出られないということもあった。

 その日視た夢は、相当に古い記憶―― 吸血鬼の彼女からすれば、ほんのひと月かふた月か前のように思えるのだろうが―― から呼び起されたものであり、古いことばかりはわかるのだが、肝心の内容がさっぱりと抜け落ちていた。そのおかげもあってか、平時よりもだいぶ早めにベッドから起き出すことに成功する。

 彼女の部屋には窓がない。朝だというのにほの暗い部屋の中を這いまわって着替えを済ますと、ぼんやりとした眠気を引き連れたまま階下へと降りていく。

 すっかり狭くなった屋敷は一周するのに時間もかからなくなった。これほどまでに違うと、ひとの苦労もわかりづらくなる。前はもっと広かったんだから大変だったろう。でも、もとはこの程度なんだから、大したことではなかったかもしれない。廊下を歩いている時はそんなことばかりを考えていた。

 

 食堂につくと、まず最初にキッチンを覗いて人影を探す。具合の悪い時は、思わず名前を呼びそうになることもあった。〝彼女〟専用のスペースであったキッチンには、光を取り入れる窓がある。ちょうど朝日を迎える位置に向かっているせいか、その場所はとても神聖なものに思えた。

 レミリア嬢は吸血鬼で、信仰を持ち合せていない。だからそれは、自分が入り込んではいけない場所なのだという意味で〝神聖〟なものであった。

 たとえばあの木漏れ日の眩しいキッチンに自分が立つその姿を想像すると、釈然としないものをむりやり全部呑みこんだような、ひどく耐えがたい気分になるのである。

 そんなことだから、彼女はつい食事を用意しなければならないことを思いつつ、かたいパンに溶けていないバターを塗って簡素な食事を終えてしまうことが常だった。

 そういえば、人間の血をあまり吸わなくなった。食事の時にそのことを思い出すたびに自分がひどく人間くさくなったような気がしてくる。吸血鬼の血を吸うという行為は謂わば捕食とも言えるものであって、その矜持を示すうえでもっともポピュラーな手段とも言える。だから、自ら進んでそれをやらなくなったということがそもそもの異常(バグ)なのだ。

 レミリア嬢は両手でリスのように抱えてかじっていたパンを見つめる。

 なにもこんな美味しくないものを喰わなくとも、夜に出かけて行って人間の一人でも襲えばいい。彼女は小食であったから、死なない程度に血を貰えばそれだけで事が済む。

(……〝死なない程度〟に?)

 そこにも自らの変革を感じずにはいられない。

 吸血鬼は、悪魔においてもその強大な存在感によって畏怖の対象となるべきものである。それが自分と比べてあまりに矮小で〝くだらない〟人間に対して、「死なない程度」だの「貰う」だのという意識が出てくることがおかしい。

 なぜそんなへりくだった態度をとらなくてはならないのか。虫や畜生のように用済みになったら捻り殺してしまえばそれでいい。本来吸血鬼にとって、人間はかくあるべき存在なのだ。

(かくあるべき、糧ね……)

 途端にバターの香りが立ち消えた。

 咀嚼が止まり、いったい自分がなにをしているのかがわからなくなった。

 自分のすべての行動がなんだか意味のない空虚なもののように思えてきて、摂食も睡眠もする意欲が日々欠けていく。この空虚を味わったのは、何度目だろう。既に振り返ろうとしても、うずたかく積み上がった日々の瓦礫はみな同じ形をしていて、数えようとしても巧くいかない。

 積み直そうともせず、崩れたままをそばに座って眺めている。後退もなければ進歩もない。唐突にそういったイメージが挿入され、思わぬ吐き気が襲ってきた。

 半分も食べていないパンを屑籠のなかに放りこみ、食堂を出た。もはや彼女には、自分が何がしたくって、何が厭なのかもわかっていなかった。

 ただ必要なこともどうでもいいことも、全部に背を向けていることだけはなんとなくわかっている。座り込んで見ようとているのは日々の残骸ではなく、それに埋もれて穢れきってしまった愛しいものであることもわかっていた。

 

 食堂を出てすぐに、モップを手にとった。初めて掃除用具に触れたときの、言いようのない不安感は今でもよく覚えている。あのときにはまだ、情動というものを有していた気がした。しかし今はもう、ひたすらに無感動で機械的な動作。自動化した記憶は、意識とは関係なしに再生される傷だらけのレコードのようだ。

 実は正しいモップの扱い方などというものは知らない。ただ水に浸して、適当に絞ったもので床を撫でつけるだけ。それを掃除と呼ぶかは甚だ疑問で、どうかするといたずらに屋敷を傷めているようにも見える。

 レミリア嬢本人も、それが正しいのではないかと思うことがあった。自分がやっているのは、掃除をかたちだけ真似たなにか他の行動である、と。

 間違ったことをしている意識はあった。あったはずだった。それも記憶の自動化とともに、一定の場所まで突き詰めると勝手に思考が停止するようになっていた。今では何が間違っていると思ったのかもわからない。いつの間にか、繰り返すことによって意味を失っている。

 気が済んだと思えるだけ腕を動かすと、あとには濡れた廊下が広がっている。そのナメクジがのたくったあとのようなさまを見てから、ようやくもうやめようと思う。一心に腕を動かしていた時には考えもしなかったことが、用具をしまう間も頭の中をぐるぐると渦巻いている。

 

 朝の一連の動作を終えると、とたんにやることがなくなった。午後のティータイムの習慣も、既に頽廃している。

 もう、紅茶の味も覚えていない。香りも覚えていない。自分がいつも頼むものだから、いつでも紅茶の香りを纏わせていたひとの顔も、思いだそうとするとそれが本当に〝彼女〟の顔だったかどうかわからない。

 失ったときに、どうしてこんなにも大切なものを忘れ得ることがあろうかと思っていたはずなのに、時間が経てば経つほど温かいものが褪めていく。記憶はあった。しかしそのぬくもりが消えた時、たしかに〝忘れた〟のだ。

 あのときあれをした。これをした。そういった事実だけが遠い日から残響を届かせる。それだというのに、聴こえたはずの歌が聴こえない。

 あの姿が、声が、頬笑みが、肉体を持ち、魂を持ち、色を持ち得たころに聴こえていた歌が聴こえない。自分と〝彼女〟とのカンタータが聴こえない。

 記憶はほんとうにただの結晶だった。残っている。だが、残っているだけで何の意味もない。

 ――ああ、忘れてしまったのだ、全部。忘れてしまったのだ。

 自分を呼ぶ声も、抱きしめてくれる腕も、足音のしない足も、優しく細められた瞳も。

 並び立ったときの視線。名前を呼んだ響きの余韻。包み込む影。

 甘い洋菓子の香りをひき連れて、銀のスプーンと白いティーカップを目の前におく。注がれる琥珀色の向こうに見える表情はいつでも穏やかで、話しかければ必ず柔らかに応えてくれた。

 そのひとつひとつに感じたぬくもりは、もはやレミリア嬢の手のうちには残されていなかった。

 褪めぬと信じたぬくもりは、繰り返す日常のなかに埋没してしまった。いつからそうなったのかはわからない。ただ気付けば歯車は空回りをし始め、聞き苦しく軋りながらなおも回っている。

 求めすぎたのが、いけなかったのか。忘れたくなくて、いつまでも幻影を追っていたいと願ったからなのか。

 夜眠り朝起きるのも、自ら摂る食事も、掃除の真似ごとも、以前は求めるためのものだったはずだ。それなのに、それらはそっくりかたちだけになって中身を失ってしまった。

 いったい何をしているのだろう。壊れている。壊れている。

 嗄れたソプラノで泣き叫べるうちはよかった。褪めゆくぬくもりにすがりついて、頭を振っていられるうちはよかった。

 前進も後退もしない漫然たる影の日々はただ空虚に回り続け、確実に終わりに向かいながら重苦しい狂った音を響かせている。

 テンポの狂った音の中では、狂った歌しか歌えない。空虚な歌しか歌えない。

 ひとりテラスに出てあの時あの瞬間を思い出しても、頬笑みは戻らない。涙は潰え、慟哭はゆっくりと虚無に帰す。

 何が残り、何が消えたのか。何と向き合い、何を清算しなければならないのか。昏(く)れかけた空の宵の境界線を目で追いながら、レミリア嬢は自分がもう、彼方の太陽のように沈みかけていることを悟る。

 もう、振り返るにも前を見るのにも遅い。彼女は今、黄昏を生きている。じきに落日がくるだろう。その時待ちうけるのは、崩壊か生誕か。

 月が昇る前に、忘れた音を思い出すように歌を唱(うた)ってみる。拙く崩れた音階の、隙間に潜むのは落日への恐怖と諦観である。もう彼女の心には、紅き月は昇らない。

 

 過ギゆきテ 埋もれシ ぬくもりを

 もはや 掬イ出せもセズ 彷徨

 千を つくしテ 万を 語るトモ

 杯ヨり 溢るル 血の戻ラズ

 

 あまた 重ねシ 迷いノなかを

 窮まり 立チ尽キて 鬼哭

 定メ 呪イ 怒り 憂うトモ

 賽 砕けシ 時の戻ラズ

 

 裂キて 裂キて また

 そノのちにある 定メの

 嗚呼 なんと 尊キ

 惨キ コとよ

 

 記憶ナぞり 想ひ 抱キシめようトモ

 懐かシキ 薫りト 貴女戻ラズ

 

 

 昏らい庭に広がるのは、ただひとりの為のカンタータ。

 誰が為のカンタータ。

 誰そ彼のカンタータ――

 

 夜が来れば、眠りの帳が落ちる。ひどく切ない夢の海が広がる。

 

 そして彼女は、再生の時を迎える。

 

 

 

 


 
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