No.227971

真・恋姫無双~君を忘れない~ 三十一話

マスターさん

第三十一話の投稿です。
反乱も終わり、一息入れようと桔梗と飲みに出かける紫苑。そこで桔梗の言動に大きく戸惑い、自分の気持ちと対峙する。
一刀と紫苑の距離が今、急速に接近するのだが……。
悩みに抜いて生み出されたものの、駄作なのはいつも通りです。

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2011-07-14 22:08:12 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:10480   閲覧ユーザー数:8186

紫苑視点

 

 今夜は桔梗から飲みに誘われていた。二人きりで飲むなんて少しばかり久しぶりね。お互い、反乱軍を組織してからは、気付かれないように裏工作をしなくてはいけなかったから、ゆっくり飲む機会なんてなかったもの。

 

 だから今日は桔梗とときを過ごすことに決め、二人には悪いと思いながらも、一刀くんと璃々には家で留守番を任せてしまった。偶には大人の時間と洒落こんでも悪くはないわよね。

 

 昔馴染みの店へと出向くと、桔梗は一人で先に始めてしまった模様で、すでに机の上には空かした酒瓶が数本転がっている。こちらに気付くと、普段と変わらぬ悪戯っぽそうな笑みを浮かべて私を迎えてくれた。

 

「遅かったではないか」

 

 私が席に着くなり、盃を渡し、酒をなみなみと注いできた。

 

「わたしはあなたと違って、永安での政務もあるのよ。反乱で文官たちにも無理をさせてきたから、その分を少しでも埋め合わせをしてあげなくちゃ、彼らに悪いでしょ?」

 

「ふん、相変わらず真面目な女よの」

 

「あら、あなたのようにいい加減な人よりもマシだわ」

 

「ふん、お主のように堅いだけの女より儂の方が魅力があるわい」

 

「ふふ、そう言う割にはいつまでも素敵な殿方が現れないようだけど?」

 

「ほう、紫苑、いつからお主、儂にそんな口が叩けるようになったのかの?」

 

「私はあなたの下についたつもりはないわよ?」

 

「そうか、ならば格の違いを見せてくれようか?」

 

「いいわよ。いつでも相手にはなるわ」

 

「くっくっくっく……」

 

「ふふふ……」

 

 それから無言で盃を重ねる。

 

 こうやってお互い毒づき合うのも久しぶりね。この店は反乱軍の軍議によく使う場所だったから、話す内容といえば、反乱に関することばかりだったもの。

 

 最初に出会ったときもそうだったわね。澄ましたような面が気に入らない、と言って因縁をふっかけてきた桔梗と、その場で一騎打ちすることになって。あのときは私たちもまだ一介の将にしか過ぎなかったわね。

 

 あれからもう数年。とうとう私たちも自分たちの宿願を果たすことが出来た。言葉なんかで言い表さなくても、お互いの気持ちなんてとっくに理解し合っている。

 

 酒の芳しい香りと甘味な味わいを楽しみつつ、民たちが生み出す喧騒を肴に盃を傾け、穏やかな時間に身を任せる。誰もが望んだ平和と平穏、そして微笑みに溢れた日常。それを五感でじっくりと満喫する。

 

 すると、桔梗がそこでにやりと笑みを浮かべた。思わずゾッとしてしまうのは、彼女がまた良からぬ何かを企んでいるのだと経験から分かっていたから。

 

「先の話の続きだがな、北郷をかけて儂と勝負をせぬか?」

 

 桔梗の言葉に、飲もうと口元に寄せていた手の動きが止まる。彼女の言っている意味が瞬時に理解出来なかった。

 

 一刀くんをかけて勝負?

 

「な、何を言っているのよ? 本当に、悪い冗談はやめなさいよ」

 

 自分が動揺していることを隠すように、冷静さを装って話そうとするが、若干声が上ずってしまった。しかも、私の言葉を聞いても、桔梗の目は笑っていなかった。

 

桔梗視点

 

 儂と桔梗は久方ぶりに純粋に酒を楽しんでいた。何も考えることなく、口から出る毒気のない言い合いは、本人にしか分からないためか、周囲の人間が剣呑な雰囲気だと勘違いしている。

 

 それからは黙々と盃を傾けた。勝利を祝う言葉も、お互いを労う言葉も、これまでの苦労を振り返る言葉も一切ない。儂と紫苑の間にはそんなものは不要。儂らだけの心地良い沈黙。

 

「先の話の続きだがな、北郷をかけて儂と勝負をせぬか?」

 

 儂の言葉に周囲に座っていた客が飲み物を噴き出す。北郷の存在はこの街で有名だから、名前で呼んでも隠せないのは仕方ないかの。紫苑はそんなことにすら気付かないくらいに大きく動揺する。

 

「な、何を言っているのよ? 本当に、悪い冗談はやめなさいよ」

 

 それで隠しておるつもりか?

 

「儂は本気よ。ふむ……、そろそろ身を固めても良い頃合いと思うしの」

 

「…………」

 

 無言のまま恨みがましい瞳でこちらを見つめる紫苑。

 

 くっくっくっく……、動揺しておる動揺しておる。お主と何年付き合うていると思うのだ。お主が儂の目を見て、儂の胸中を探ろうとすることくらいとっくに分かっておるわい。だからそうさせぬように、感情を瞳に表さないことくらい造作もない。

 

「どうした、紫苑よ。お主は北郷では不満か? あやつは良い男だと儂は思うがな。最初は頼りにならん孺子であったが、今は立派に反乱軍を率いるだけの器になった。お主も見たであろう、成都で竜胆と一騎打ちをしてみせたあの雄姿を、民から喝采を浴びるあの人望を。あやつとならば、儂も子を為して良いぞ」

 

 ここぞとばかりに北郷をのことを誉めちぎる。紫苑の表情が面白いくらいに変化する。儂に賛同しようとして止め、反論しようとして止め、沈黙を続けようとするも、顔を赤らめ俯いてしまう。

 

「……か、一刀くんの気持ちはどうなのよ?」

 

 やっと口を開いたかと思えば、まるで消え入りそうなくらいの小声で、何を生娘のようなことを。

 

「あやつも儂らに気がないわけではないと思うがの。それに強引にこちらから迫れば受け入れるだろう。あやつも男だ。お主はあやつのことが嫌いか?」

 

「私は……」

 

 紫苑は落ち着かない様子でひたすら盃を重ねていた。まるで自分の気持ちを誤魔化すかのように、全て酒のせいに出来るように。

 

 紫苑よ、いつまで自分を欺き続けるのだ。

 

 お主ももう気付いておるのであろう。

 

 お主がかつて亡き夫と北郷を重ねていたことは儂も知っておる。

 

 しかし今はそうでないのであろう。

 

 かつてそう思っていたことなど関係ない。それはきっかけに過ぎなかったのだ。

 

 紫苑、自分と向き合え。逃げることなく、自分の想いと対峙せよ。

 

 紫苑はそれから沈黙してしまった。盃を傾ける手を止めることなく、偶に儂に何かを言おうと視線をこちらに向けるが、視線が空を漂うだけで、結局自分の盃を持つ手元に戻ってしまった。

 

 はぁー、本当に生娘か、お主は……。

 

紫苑視点

 

 桔梗は本気なのかしら。目を見る限り、冗談を言っているようには見えない。口元にはいつも通りの嫌らしい笑みを浮かべているものの、それも一刀くんのことを思っていると捉えると自然に感じられる。

 

 桔梗が一刀くんのことを語ることに、心では同意しているし、彼が立派な男性であることは否定しない。だけどなぜかそれを嬉しそうに話す桔梗に、胸に僅かながらイラつきを感じる。

 

「……か、一刀くんの気持ちはどうなのよ?」

 

「あやつも儂らに気がないわけではないと思うがの。それに強引にこちらから迫れば受け入れるだろう。あやつも男だ。お主はあやつのことが嫌いか?」

 

「私は……」

 

 桔梗に何も言い返すことが出来ない。

 

 私が一刀くんのことが嫌い?

 

 そんなことあるはずがない。璃々も私も一刀くんのことを本当の家族のように思っている。璃々なんて、一刀くんがいないだけで愚図ることだってある。璃々にとってはかけがえのない兄のような存在なのだろう。私だって……。

 

 私だって、何?

 

 一刀くんは私にとって何なの?

 

 息子?

 

 弟?

 

 それとも……。

 

 一刀くんを見たとき、あまりにも夫に似ていたから驚きを隠せず、また彼に夫の姿を重ね合わせていた。自分の寂しい気持ちを紛らわすように彼に甘えた。

 

 彼は私にとってそれだけの存在だった。

 

 都合のよい存在だった。

 

 違う。

 

 すぐにそれが自分の作りだした言い訳に過ぎないことを悟った。

 

 だって、私は一刀くんがいないとき、どうしようもなく寂しい心地を味わっていたのだから。涙を流すほど辛かったのだから。

 

 そこに夫の影はなかった。

 

 だけど、それがどうしてなのかは分からなかった。

 

 本当か?

 

 桔梗が沈黙したまま瞳で問う。

 

 まるで私の気持ちを見透かすかのように。私ですら自覚できていない深層心理まで、桔梗には見えているかのように。

 

 その目に何か言い返そうとするが、何を言えば良いのか分からなかった。

 

 何を言っても、それが自分の本音ではないような気がした。

 

 では自分の本音って何なのかしら?

 

 分からない。いや正確に言えば分かりたくないのかもしれない。

 

 無駄に沈殿していく思考を停止させるように盃を重ねた。これから何を考えても、何を思っても、全ては酔いの責任。そう自分に言い聞かせるかのように、お酒を呷る。

 

 何も考えたくない。

 

 何も分からない。

 

 だけど、一番分からないのは……。

 

 どうして分かりたくないのだろうか、ということだった。

 

 混濁していく意識の中、ふと浮かんだのは一刀くんの笑顔だった。

 

桔梗視点

 

 どれくらいの間飲んでいたのだろうか? すでに店内にいた客は概ね帰り、儂と紫苑の他には僅かばかりの客、すでに飲み過ぎで意識を失っている者しかいなかった。

 

 すでに数えるのが煩わしいほど多くの酒瓶を空にし、店の主からもとうとう品切れと言われ、儂は最後の酒瓶に残る酒を一気に呷った。

 

「全く、最後まで己の気持ちを吐露せんかったか……」

 

 目の前で酔い潰れる紫苑の寝顔を見つめながらそう呟く儂は、何やらこやつの姉か母のような気持ちになっていた。

 

「やれやれ……。店主、世話になったな」

 

 酒代を払い、紫苑を背負ってこやつの屋敷まで運ぶことを考えると、少しばかり面倒な気持ちが出るが、そもそもこやつがこうなってしまった原因は儂にあるのだから、それくらいの面倒をかけてやるのが道理というもの。

 

「すいません」

 

 溜息交じりに立ちあがろうとすると、店の扉が開いて、外から誰かが入ってきた。その声に聞き覚えがあり、視線をやると、案の定北郷であった。手を上げてこちらの存在を知らせてやる。

 

「あ、やっぱりここにいたんですね。帰りが遅いものだったので、紫苑さんを迎えに来たんですけど……」

 

 苦笑を浮かべながらそう告げる北郷。視線の先には机に突っ伏して安らかに寝息を立てている紫苑の姿。

 

 紫苑が酔い潰れるのもいつ以来か。このような醜態を晒すほど酔うのは、儂と飲み比べをするときくらいなのだから、北郷が見るのは初めてなのであろう。

 

「さぁ紫苑さん、帰りましょう」

 

 北郷が耳元でそう囁くが、紫苑が完全に寝入ってしまったのだろう、返事は無意味な寝言ばかり。北郷はそんな紫苑に微笑みかけながら、ゆっくり起こさないように背負った。

 

「桔梗さん、紫苑さんは俺が屋敷まで連れて行きますよ」

 

 儂に礼をすると、そのまま店外に消えてゆく二人の男女を見つめながら、儂は椅子に再び腰を降ろした。まるで見計らったかのような頃合いに来た北郷に、思わず口角を歪めてしまった。

 

 紫苑の気持ちは分かっていた。あやつは認められないのではなく、認めたくないのだ。それを認めてしまえば、怖くなってしまうから。そしてその恐怖に耐えられないと思っているから。

 

 若き頃より背中を預け合ってきた友として、儂はお前の幸福を願っておる。お主が逃げ続ける限り、そこには幸せなんてありはしない。だからこそ、危険を承知でそこに飛び込んで欲しいのだ。幸福を掴んで欲しいのだ。

 

紫苑視点

 

「ん……」

 

 身体が重たい。頭が痛い。胸がむかつく。

 

 不快感とともに意識が少しばかり覚醒する。自分がどこにいて、何をしていているのか全く把握できていない。

 

 だけど、なぜか心地良かった。こんなに不快に感じているのに、心地良いなんて矛盾に何故か可笑しく思える。

 

 全く回転しない思考回路を無理矢理起動させて、現状を把握しようと試みる。

 

 そうだ、確か私は桔梗と飲んでいて、それで……。

 

 自分は酔い潰れたのだろう。きっと桔梗が私を背負って屋敷まで運んでくれているのね。悪いことをしてしまったわ。後でお礼を言わなくちゃ。自分で歩けるかしら? 酒代もきちんと払わないと。

 

 沈殿した思考を駆使して、しなくてはならないことを考える。しかし、身体もどうやら動きそうにない。やはりこのまま桔梗に運んでもらう方がいいわね。

 

 そこでふと違和感に気付く。桔梗はこんなに背中が広かったであろうか。これほどがっちり私を背負えるのであろうか。

 

 答えは否。同じ女性で背丈も大して変わらない桔梗の背中に、私がしっくりと収まるはずがない。

 

 では誰が……。

 

 重たい瞼を視界が開く程度に見開き、相手の後姿を見る。それは桔梗の後姿ではなく、はたまた心優しい店主がわざわざ私を運んでくれているわけでもない。

 

 その背中を見間違えるはずがない。

 

 だって何度も見ているのだから。

 

 一刀くんの後ろ姿は。

 

 ふわふわと漂うような思考は、まるで夢の中にいるような心地で、それが現実であるかどうかの判断も出来ない。でも夢でいいのかもしれない。今の私にはこれが夢である方が、都合が良い。

 

 一刀くんの背中に顔を埋め、もはやろくに機能しない頭で自分の気持ちを確かめる。桔梗とお酒を飲んでいたときより、何の障害もなく、自分の想いと向き合える気がした。

 

 そうだ。

 

 私は一刀くんが好き。

 

 そこにもはやかつて愛したあの人の姿を重ねてはいない。

 

 成都に向かうときのあの背中を見て、私はそう確信していた。

 

 一刀くんを一人の男性として愛してしまったのだと。

 

 だけど意識の片隅ではそれを拒絶している。

 

 なぜならば、もし私が一刀くんを愛してしまったら、あの人のように帰らぬ人になってしまうのではないかと、常に恐怖と戦わなければならないのだから。

 

 愛する人を失う悲しみ、痛み、絶望、それは二度も耐えられぬものではない。そんな恐怖を味わうくらいなら、もう愛しい人なんて作りたくない、いつの間にか、私はそんな考えに囚われていたのかもしれない。

 

 厄介なことに、それは意識的ではなく無意識的。あの人を失って以降、事あるごとに私は男性に対してそう思っていたのかもしれない。

 

 だから一刀くんを好きだという気持ちから逃げていた。その想いを見て見ぬふりをしていた。

 

 きっと桔梗があんなことを言い出したのも、私のそんな気持ちを知っていて尚、私に突き付けたのね。逃げるなと、甘えるなと、怖がるなと。

 

 今だったら。きっと今だったら言える。

 

 夢とも現とも分からぬ、こんな緩んだ思考の末に紡がれた言葉を。そんな心地だからこそ言える。

 

「一刀くん……好き」

 

一刀視点

 

 紫苑さんを背負いながら、屋敷へ向けて夜道を歩く。

 

 紫苑さんの柔らかくて、酒と相まって妖艶な香りを醸す身体が密着しているから、少しでも油断すれば本能が暴走しそうになる。

 

 そんなアホなことを考えながら、ゆっくりと周囲の景色を眺めて歩を進める。すでに民たちは寝静まっているようで、辺りには俺の足音しか響いていない。

 

 数日前までは、夜通しで反乱軍の勝利を祝う宴が繰り広げられていたが、今は落ち着いたようで、平穏な日常が戻っている。

 

 紫苑さんを起こさないように、慎重に屋敷へと近づく。時々紫苑さんが可愛らしい声で寝息を漏らし、俺の首筋をくすぐる。普段は大人っぽいだけに、こういうギャップがたまらなく可愛い。

 

 俺の脳裏に浮かぶのは忘れもしないあのときの出来事。成都へ侵入する前のあの瞬間。

 

 紫苑さんからのおまじない。

 

 どうして紫苑さんがあんな真似をしたのかは分からないけれど、それでも俺は嬉しかった。独りよがりかもしれないし、自意識過剰かもしれない。それでもあれは一生の宝物だ。

 

 ずっと紫苑さんに魅かれていた。俺を優しく包み込んでくれて、俺の傷を癒してくれる。母性を持ちながらも、時折見せる少女のようなあどけない微笑みをとても愛おしく思う。

 

 だけど所詮は届かぬ想いなのだと諦めていた。こんな素敵な女性に俺のような平凡なだけの男だ見合うはずがない。

 

 きっと紫苑さんにとって俺は弟のような存在なのだろう。不出来な愚弟を放っておけないのだろう。それは恋愛感情とは異なる想い、そう割り切ろうとしていた。だけど、俺の気持ちはもはや留めることが出来ないくらい大きくなっていたのだ。

 

 その刹那。

 

 紫苑さんのことばかり考えていて、油断しきった俺にまさかの一言。

 

「一刀くん……好き」

 

 それは間違いなく紫苑さんから出た言葉。

 

 寝言? それとも……。

 

 驚きのあまり紫苑さんに声をかけようとするが、結局そうするのをやめた。

 

 きっと寝言だったのだろう。

 

 でなければ妄想に浸っていた俺の幻聴か……。

 

「俺もです……」

 

 それでも構わない。嘘でも偽りでも良い。その言葉を噛み締めたかった。俺がもっとも求めていた言葉なのだから。ほんの一夜の夢の中、儚いまほろばへと赴くような心地だった。

 

 我ながら何と馬鹿らしいと思うけど、俺は自分の想いを大切にしたかった。

 

 初めて愛した人なのだから。

 

 たとえ叶わぬことでも、それは紫苑さんを守りたいという想いに繋がる。それは俺の力の源なのだ。その想いを糧に俺は覚悟を決めることが出来たのだから。

 

 そんなことを思いつつ、気付けばそこは紫苑さんの屋敷の前。

 

 夢から覚めなくてはならない。明日から厳しい現実が待っているのだから。

 

 紫苑さんを璃々ちゃんの眠る寝台の上、起こさないようにそっと横たえ、俺は自分の部屋へと戻って行った。

 

紫苑視点

 

 後悔はしていなかった。

 

 自分がとんでもない発言を、それも酔い潰れ醜態を晒し、さらには一刀くんの背の上で意識も定かにならない状態でしてしまったことに、私は不思議に自責の念を感じなかった。

 

 それどころか、胸の中の異物が取り払われたかのような気持ちで、晴れやかな心地さえした。

 

 一刀くんが寝台に私を横にしてくれたとき、心臓の早鐘の音が彼に聞こえないか心配だった。さっきまで薄らと靄がかかってきた意識も思考回路も急激に覚醒し始めた。

 

 彼が私の想いに応えてくれた。

 

『俺もです……』

 

 そう言ってくれた。静かにだけど、確かに私に対してそう告げた。

 

 心臓の鼓動は一切収まることなく、私の耳に直接響き渡るかのよう。身体は緊張と安堵と興奮と様々な感情が入り混じり、熱くなる。顔が上気するのがすぐに分かる。

 

 火照ってしまった身体を一刀くんに慰めてもらいたい。本能のまま、欲望が赴くままに身を任せたいという女の私と、こんなに酒臭く汗に塗れた身体で一刀くんの前で更なる醜態を晒したくない。そんなことをしたら一刀くんに嫌われるかもしれないという少女の私が鬩ぎ合う。

 

 結局、私は一刀くんの部屋に行けなかった。きっと一刀くんに抱いてなんて言葉、恥ずかしくて言えない。

 

 何故だろう。

 

 考えてみれば、私は恥知らずとまではいかなくても、男性を誘惑することくらいは出来る。今までの私だったら、このまま一刀くんの部屋に忍び込んで、この身を一刀くんに委ねることだって出来たはずだ。

 

 だけど、相手が一刀くんだって考えるだけで、くらくらするくらい頭に血が上ってしまう。今だって、布団をぎゅっと掴んでないと、恥ずかしさのあまりどうかしてしまいそうだ。

 

 こんなこと初めて。

 

 もう今日は眠れない。

 

 こんな熱くなってしまった身体では熟睡なんて出来ないわ。

 

 明日から一刀くんとどんな顔をして会えば良いのか分からない。

 

 だって、もう今までの関係ではいられないのだから。自分の想いに気付いてしまった以上、彼を一人の男性として見てしまった以上、それを抑え込むことなんて出来っこない。

 

 ただ彼が愛おしい。

 

 彼のことを愛したい。

 

「一刀くん……」

 

 扉の向こう、聞こえるはずのない相手に想いを馳せながら呟いた。

 

一刀視点

 

 今夜は紫苑さんのことで頭が一杯で眠れないのだろうと、まるで盛りのついた中学生のような心地に自嘲しながら、自分の部屋で悶々と一晩を過ごすのだと思っていた。

 

 しかしそんなことにはならなかった。

 

 部屋に入ると、寝台の奥、窓から差し込む月光で微かに浮かび上がる人影。だらけきった意識を緊張させ、入口付近に立て掛けてあった刀を即座に握る。

 

「刀を捨てよ。怪しいものではない」

 

 煤けたような色合いのローブで頭部まですっぽり被っているので、表情は全く見えず、また声色も男性なのか女性なのか分からない中性なもの。もっと言えば、目の前にいるものが人間なのかそうでないのかも分からない。

 

 不気味。

 

 一言で言い表すのならそれだろう。

 

 しかし不思議に警戒心は湧かなかった。見たこともないはずなのに、何故か懐かしいような、十年来の旧友に久しぶりに再会したかのような心地。

 

「お前は……?」

 

「私は管路。世界を統括せし者だ」

 

 管路。聞き覚えのある名前。確か天の御遣いの予言をした者だと桔梗さんが言っていたはず。その管路がどうして俺の目の前に、それに世界を統括せし者って一体どういう意味なんだ?

 

 怪しいものではないって、こんな見るからに怪しい格好をしていれば、不審者であると言ってるいるようなものだと思うのだけど、俺に害意を抱いているようには思えない。

 

 俺は管路の言う通り、刀を元の場所に戻し、寝台の上に座った。

 

「分かった。お前の言葉を信じるよ」

 

「北郷一刀、それでよい」

 

 俺の名前も知っているんだな。

 

 そして管路を名乗る以上、おそらくこいつは俺がこの世界に来たことと何らかの関係があるに違いない。もしかしたら、こいつが原因の一翼を担っているのかも。

 

「その通り。お前がここに来たのは私の責任だ」

 

 俺の心中を見透かしたように、浮かんだ疑問に答える管路。驚きはしたものの、やはりと納得した部分の方が大きかった。

 

「それで、一体俺に何の用だ?」

 

 ここに来た以上、何か目的があるはずだ。

 

 そこまでは読んでいたのだが、どうやら今夜の俺はやっぱり紫苑さんで頭が一杯だったらしく、世界を統括すると述べる管路が来た理由を軽く見ていた。そんな化物みたいな奴が俺と楽しい雑談をしに来たはずなんてないのに。

 

 管路の見えない瞳が俺を鋭く射抜いたような気がした。

 

 管路はローブに包まれた腕をこちらに向け、俺の許に来た目的を告げたのだ。

 

「北郷一刀、お前に問う。今すぐ元の世界へ帰るか、それとも後日この地で跡形もなく消え去るか、どちらか一方を選べ」

 

 何の感情もこもらぬ薄氷の如き言葉は、躊躇なく俺に突き付けられた。

 

 月夜の照らすその空間を絶対零度の言葉が全てを凍てつかせた。

 

あとがき

 

 第三十一話をお送りしました。

 言い訳のコーナーです。

 

 前回の通り、一刀と紫苑さんの関係が急激に変化する模様を描きました。

 さすがにこれまで散々フラグを立てながら、ずっと誤魔化すのは無理だと思い、ついに二人が自分の気持ちに正直になります。

 

 一刀については最初から紫苑さんに惚れながら、自分では無理だと決めつけて、自分も単に憧れの存在であると言い聞かせてきました。

 紫苑さんは当初は亡くなった夫に重ね合わせていただけでしたが、徐々に一刀自身に魅かれていました。しかし、本文の通り、かつて愛する人を失ったせいで、人を愛することに恐怖しており、自分の想いを無視してきました。

 

 そこで桔梗さんの登場です。

 桔梗さんは紫苑さんと一刀の両者の気持ちを、特に紫苑さんの想いは痛いほど分かっていましたが、敢えて挑発的な言動をすることにより、紫苑さんに自分の心と対峙するようにさせました。

 

 一刀と紫苑さんをどう描くはこの作品の肝であり、ずっと悩んでおりましたが、こうのような形でお送りすることになりました。

 

 それからこれまでも何回か描写しましたが、本作品の紫苑さんは原作と比べると非常に乙女です。原作では璃々ちゃんとの親子丼を認めるほどですが、こちらの紫苑さんはそこまでハイスペックではありません。

 

 我ながら下手な展開ではあると自覚しつつも、これ以上の物は描けぬと判断したため、これで許していただけると助かります。駄作、ここに極まれりです。

 

 そしてそんな背景の下、急速に距離が縮まりつつある二人ですが、一刀の前に現れたのは、謎に包まれし管路。

 彼に突き付けられた選択肢。

 それがどのような意味を持つのか、それは次回で描きます。

 

 作品を書き始めることよりも、書き続けることの方が、数倍も難しく辛いことを実感しております。悩んでいる時に、次回作はこんな作品を書きたいな、なんて妄想に浸ることもしばしば。何かの折にその妄想を文章化しようと思っていますが。

 作品を執筆することは好きなのですが、楽しく書くというのはなかなか難しいものですね。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。

 


 
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