No.222787

真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~ 外伝

YTAさん

 どうも皆さま、YTAでございます。
 この度、八ヶ月の時を経て、漸く華雄と一刀のEPを完結出来る運びとなりました。
 長らくお待ちくださっていた読者様、いらっしゃいまいたら、お待たせして大変申し訳ありませんでした。
 ご満足頂けるか分かりませんが、精一杯書きましたので、楽しんで頂けたら幸いです。
 

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2011-06-15 02:32:00 投稿 / 全12ページ    総閲覧数:3123   閲覧ユーザー数:2573

                       真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~

 

                             外伝 姑獲鳥 第五章

 

 

 

 

 

 

「おう、来たか。張福殿」華雄は、扉を開けて入って来た張福の姿を認めると、そう言った。

 まだ夕食(ゆうげ)にも早い時刻だが、秋の陽は、既にとっぷりと暮れていた。

 張福は、大きな隈の出来た目を無理矢理に細めながら、「どうにも眠れませんで」と、言い訳の様に言って、寝台で眠る兼常(けんじょう)を、一刀の張った結界の外から覗き見た。

「心配せずとも、よく眠っているぞ」

「はい、その様で……」張福はそう言って、幼い息子の頬を一撫でしてから、華雄の向かいに腰を下ろした。

 

「かず……ゲフン!北刀も言っていたではないか。この部屋には、中に居る者が招き入れぬ限り、妖物の類が入る事は出来ぬ、と」華雄が腕を組みながら、一刀が残していった蝶を顎で差し示しながら微笑むと、張福は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

「どうにも、親馬鹿で―――。ここまでして頂いた北刀様を信じていない訳では、決してないのですが……」

 二人が話しているのは、一刀が麗儀の部屋に行く前にこの屋敷に張ったと言う結界の事であった。

 一刀は、華雄に、部屋の子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥、の十二方と、それから更に艮(うしとら)、巽(たつみ)、坤(ひつじさる)、乾(いぬい)の四方に自分の書いた札を張り付ける様に頼んだのである。

 華雄がそれらを張り終えると、一刀は兼常の懐に、新しい札を抱かせているところであった。

 

「ご苦労様でした、将軍。これで、妖物の類がこの部屋の中に入り込む事は出来ません」

「応、それなら安心だな!」

 華雄が一刀の言葉に笑顔で答えると、一刀はゆるゆると首を振った。

「いいえ、そうとばかりも言えません。麗儀殿は、ここに入れぬと分かれば、あらゆる手段を使って部屋に入ろうとするでしょう。いいですか?どれ程に強力な札も、その中に居る者が外に居るモノを“招いて”しまったら、どうしようもありません」

「むぅ……」

「私が戻るまで、例え窓や戸を叩く者が誰であっても、決して開けてはなりませんよ」

「お、おぅ、分かった……」

 華雄が緊張してそう頷くと、張福も、それに倣う様に頷いた。

 

 

「念の為に、この蝶を置いてゆきます。陽が落ちたら昨夜の様に飛ぶ様にしておきますので、もしも扉を開けるかどうか困る事があったら、この蝶にお尋ね下さい。開けてよい時は縦に、いけない時は横に、宙を舞って知らせてくれるでしょう」

 一刀はそれだけ言ってから、張福に案内されて、麗儀が使っていた部屋に向かったのだった。

 

「まぁ、いずれにせよ、北刀が間に合いさえすれば、問題は無いのだしな」

 華雄がそう言って笑うと、張福は疲れた様に笑った。

「華雄将軍は、流石ですね。いつ麗儀が―――妖物が襲って来るかも知れないというのに、堂々としておられる。私なぞ、将軍の倍程も生きていると言うのに、恐ろしゅうてなりません」

 

「はは、それは違う。張福殿」

 華雄はそう言って、張福の顔の前に、今まで金剛爆斧を握っていた右手を差し出しす。その手は小刻みに震えていた。

「長い事、将などをやっているとな、恐怖や不安を、自然と顔に出さぬ様になるものなのだ―――クセだよ。私も、怖いさ」

 

 

 

 

 

 

 やがて、夜も更け、青白い月が黒い空を支配する時刻になった頃、部屋で息を殺していた二人の耳に、重苦しく巨大な羽の音が響いた。

 華雄は、張福が兼常の傍へ走り寄ったのを確認すると、抜き放った剣の刃が月明かりを反射しない様、背中に刃を沿わせて隠しながら、壁に張り付いて窓帷(カーテン)をそっと捲り、窓から夜空を眺めた。

 

 そこに、姑獲鳥はいた。

 大きく広げた深緑の翼に月明かりを受け、まるで猛禽が獲物を探している時の様に、屋敷の上空をぐるぐると旋回している。

 華雄の所からでも、その双眸が血の様に赤く輝いているのが分かった。

 

 

 華雄が暫く見ていると、姑獲鳥は屋敷の正門の方向へ飛び去り、彼女の視界から姿を消した。

「来るぞ」

 華雄は、短くそれだけを言うと、張福と兼常の傍に歩み寄った。すると、華雄の言葉とほぼ同時に、力任せに扉を開け放つ轟音が、屋敷中に響いた。

 

 来たぞ、張福。我が子を返してくりゃれ……。姑獲鳥は、屋敷の中全てに宣言する様に、玄関でそう大声を上げた。

 続いて遠くから、かつ、かつ、かつ、と言う音が響いて来た。

 そして少しの静寂の後、どん、と言う大きな音がした。

 あれ、ここかと思うたのによ―――。姑獲鳥のそう言う声が聴こえた。

 続いてまた、かつ、かつ、かつ、静寂―――どん。

 違うたか―――。

 かつ、かつ、かつ…………。

 

「将軍―――」

 張福は華雄を見つめ、絞り出す様な声を出した。その顔は、脂汗でじっとりと濡れている。

 華雄は、部屋の扉から視線を外さずに、小さく頷く。

「(近づいてきている……)」

 華雄が、敢えて口に出さなかったのは、一度そうしてしまったら、自分でも恐怖を押え込んでおける自信がなかったからだ。

 

 何万、何十万と言う大軍を前にしても、これ程に恐怖を感じた事はなかった。

 今、彼女に迫っている恐怖は、これまで感じて来た、どんな恐怖と比べても、余りに異質だったのだ。

 それは、人が火を手にした由来。

 遥かな太古から征服せんとし、未だ成し得ていないモノ―――『闇』への“畏れ”だった……。

 

 一刀の言った通り、赤子の気配を掴みきれていないのか、それとも、ただ獲物を追い詰める事を愉しんでいるのか。姑獲鳥は、玄関に近い部屋から順に、その前で立ち止まり、扉を開け、『違ったか』と呟く事を繰り返しながら、ゆっくりと近づいて来る。

 まるで、そうする事が“習性”でもあるかの様に、規則正しく。

 

 華雄は、自分の頭に浮かんだその考えの、余りのおぞましさに怖気を振るうと、今にも顎から滴り落ちそうになっていた汗を、手の甲で拭った。

 段々と近づいて来る姑獲鳥の足音を耳で聴きながら、すぐ手に取れる所に立て掛けてある金剛爆斧を見遣る。

 

 

「(せめて、もう少し広い場所なら……)」

 詮無い事だとは分かっていても、思わずそう考えてしまう。

 先程の様に、ただ一振りすれば良いならば兎も角、華雄の最も得意とする戦斧を縦横自在に振り回すには、この場所は狭すぎた。

 

 今、手に持っている剣とて、そこらの数打ちの鈍(なまく)らとは比うるべくもない銘刀ではあるが、それでもやはり、愛斧よりは何処か頼りない。

 華雄が、怖気づきそうになる己を叱咤して、剣の柄を握り直すと、一際大きな、どん、と言う音が聴こえた。

 

 華雄と張福は、同時に硬直してから、目を合わせた。そして、華雄は剣の切っ先を扉に向け、張福は、我が子に覆い被さる様にしてしっかりと抱きしめた。

 かつ、かつ、かつ、と言う、まるで石で床を叩く様な足音が、規則正しく近づいて来る。

 やがて足音は、華雄たちの居る部屋の前でぴたりと止まった。

 

 今まで通り、僅かな静寂の後、どん、と言う大きな音が響いた。

 しかし、今までとは違い、部屋の扉は僅かに軋んだ程度でびくともせず、姑獲鳥の凄まじい蹴りを受け止めた。

 

「此処に居るかよ」

 姑獲鳥は、嬉しそうにそう言うと、もう一度、どん、と、扉を蹴り上げた。

 しかし、扉は相変わらず、僅かに軋むだけで、悠然とその役割を果たし続けている。

 どん、どん、どん、どん―――どんどんどんどんどんどん。

 初めは規則正しい間隔を空けて聴こえていた音は、次第にその間隔が短くなってゆき、最後には、狂気を感じられる程の激しさとなって、扉を襲った。

 

 華雄は、柄が軋むほど強く剣を握り締めると、ちらりと横目で、一刀が残していった紙の蝶を置いておいた卓を見遣った。

 それは、一刀の言った通り、いつの間にか昨夜と同じに実態を持って淡い光を放ちながら、暗い部屋に舞っていた。

 蝶は、華雄が自分を見た事が分かったのか、それまでの不規則な飛行を止めて、横に円を描く様に、ゆっくりと回り出した。

華雄は、それを見て、近くに一刀が居る様な気持ちになり、少し気が楽になるのを感じた。

 

 

「おのれ、またあの道士の仕業かよ」

 姑獲鳥が、口惜しげにそう言うとの同時に、部屋は静寂に支配された。

「将軍、行ったのでしょうか……?」

 張福が、恐る恐る口を開くと、華雄は小さく首を振った。

 

「分からん。兎に角、まだ気を抜かん方が良い―――」

 華雄は、そう言って剣を鞘に納めると、仕切り直す様に深呼吸を一つして、椅子に浅く腰かけた。

 それから暫くすると、小さく扉を叩く音がした。

 華雄と張福が、目を合わせると、扉の外から女の声が聴こえた。

 

「あなた……あなた?そこにいらっしゃるのでしょう?」

 その声を聴いた張福は、青い顔をして華雄を見返した。

「将軍、あれは、家内の声でございます!」

「何だと!?」

 

 張福は、立ち上がると、扉に向かって話しかけた。

「お前……本当にお前か?」

 すると、扉の向こうから女が答える。

「当たり前ではございませんか。我が妻の声をお忘れですか?」

 

「開けてははいかん。張福殿。あれは妖物だ」

 蝶が横に円を描いて飛んでいるのを見た華雄が、扉に近づこうと立ち上がった張福を、手で制した。

「しかし―――」

 張福が、華雄に何かを言い返そうとすると、扉の向こうから、また女の声がした。

 

「あなた、私の事を妖物だなどと仰るその方は、どなたなのです?どうしてその様な方とご一緒なのですか?」

 張福は、黙って目を閉じると、扉に向かって言った。

「お前―――それなら、私がお前に求婚したのは、何処だったか言ってくれ」

「そんな事……巴郡の城下にある、芳梅楼でしょう」

「なら、私の内股にある黒子は、右と左、どちらの脚にある?」

「何を仰るのです。あなた様の内股には、黒子などありませんでしょう?」

「やはり、お前なのか!?」

 

 

 そう言って扉に向かおうとする張福を、華雄が止める。

 すると、扉の向こうで、不意に悲鳴が上がった。

「あなた。助けて下さい。坊やを攫った化け物が、私を―――あなた―――」

 扉の向こうで、揉み合う様な音が立て続けに響き、次いで、扉を爪で引っ掻く音がした。

 

「あなた、痛い―――痛い。化け物が、私を食べています。あぁ、痛い、助けて―――」

 華雄が、今にも飛び出しそうな張福を力で抑えつけながら蝶を見ると、蝶は相変わらず、横に円を描いて舞っている。

「(落ち着け、張福殿!あれは女房殿ではない!)」

 

 華雄が、押し殺した声でそう言うと、張福はぶるぶると震えながら華雄の腕にしがみ付いた。

 不意の沈黙が訪れた。そして、数瞬。

 どん、と、大きな音がして、扉が軋んだ。音は立て続けに響き、先程と同じ様に、序々に間隔が短くなっていく。

 

 華雄は、剣を抜き放って扉の前に立つと、大きく剣を振り被った。気を抜くと嗤いそうになる両膝を叱咤して、扉を睨みつける。

 音は、暫くの間続いて、唐突にピタリと止んだ。華雄は、それでも剣を構え続けていたが、やがて大きく息を吐いて、剣を鞘に納めた。

 

 それから四半刻(約三十分)程の間、まんじりともしない静寂が、部屋に訪れた。聴こえるのは、木の葉を揺らす風の音と、華雄と張福も吐息、そして、兼常の規則正しい寝息ばかりだった。

 すると、また扉を叩く音がした。

 

「将軍、遅くなりました。御無事ですか?」

 聴こえたのは、一刀の声である。

「かず……北刀!」

 華雄は、弾かれた様に椅子から立ち上がると、急ぎ足で扉の前に行き、取っ手に手を掛ける。

 その目には、水平に円を描いて舞う蝶の姿は、映っていなかった―――。

 

 

 

 

 

 

 

 扉を開けた瞬間、華雄は、凄まじい力で跳ね飛ばされ、寝台の縁に、強かに背中を打ちつけた。

 華雄が、剣を支えにしてどうにか膝立ちに起き上がると、そこには、片足を上げたまま、紅く燃える双眸を歪める女怪の姿があった。

 姑獲鳥が脚を下ろし、かつ、と部屋に一歩足を踏み入れると、たちまち濃密な瘴気が部屋に充満するのが感じられた。

 

「華雄、張福……我が子は何処ぞ……何処へやった……」

 華雄の後ろで、張福が兼常に覆い被さっているのを見た姑獲鳥は、嬉しそうに一声、鳥の声で鳴いた。

「チッ……!!」

 華雄は舌打ちと同時に、膝立ちの体勢から、横薙ぎに剣を奔らせた。

 

 姑獲鳥が、足に付いた猛禽の爪で華雄の剣を受け止めると、金属がぶつかり合う様な鋭い音が部屋に響いた。

 華雄が渾身の力を入れて腰を落として踏み込むと、姑獲鳥も足に更に力を込める。爪と剣が噛みあう“ぎちぎち”と言う不気味な音だけが、薄暗い部屋を支配する。

 

 と、姑獲鳥の足に掛かっていた力が不意に緩み、華雄は危うく突んのめそうになった。華雄が如何にかそれに耐えると、視界の外から、側頭部に鋭い痛みが走り、痛みは瞬時に衝撃となって、華雄を頭を横薙ぎに吹き飛ばした。姑獲鳥が、その巨大な羽で華雄のこめかみを強打したのである。

「がぁッ……!!?」

 

 華雄が、思わずうめき声を上げて床に頽(くずお)れると、姑獲鳥はその姿を一瞥し、すぐに顔を寝台に向けて、大きく翼を広げた。

 姑獲鳥の鋭い爪が、張福の背中に掛かろうとしたその時、扉の外から、場違いな程に飄々とした男の声がした。

 

 

 

 

 

 

 

「おや、まぁ―――これはまた、随分と派手にやったものだ……」

 一刀は、両腕で布にくるまれた何かを大事そうに抱え、扉の外に立って部屋を見渡していた。

 その、偶(たま)さか友人の部屋に遊びにでも来た様な態度に、華雄や張福ばかりか、姑獲鳥までが、呆然とその姿を見つめている。

 

 一刀は、ゆっくりと部屋に一歩、足を踏み入れると、顔だけを華雄の方に向けて微笑んだ。

「すみません、将軍。準備に少々、手間取りまして」

「それにしても遅すぎるぞ!もう駄目かと思ったではないか!」

 華雄が、その口調とは裏腹に顔に笑みを浮かべながらそう言うと、一刀は困ったように笑い返した。

 

「重ねて申し訳ない。何分、方法は知っていたのですが、実際に使うのは初めてだったもので―――」

 一刀はそこで言葉を切ると、微笑みを引っ込めて、姑獲鳥に向き直った。

「さて……麗儀殿。改めてお願い申し上げるが、その御子の事は、諦めては頂けませんか?」

「断る。これは我が子ぞ。誰が諦めるものかよ」

 

 姑獲鳥が、口からちろちろと緑の火を吐きながら即答すると、一刀はゆるゆると首を振った。

「いいや、違う。その子は、あなたの子ではない。昨夜も言ったでしょう。貴女の乳では、その子は育てられないのです。ですから、貴女がその子を諦めてくれるなら、私が“本当の”貴女の御子を返して差し上げます」

 

「何だと!?」

「何と!?」

 一刀の言葉を聞いた華雄と張福は、同時に驚きの声を上げて一刀を見た。一方、姑獲鳥は、油断のない目で一刀を睨みつけているだけだ。

 

「戯言をほざくな、北刀。ではお前は、我が子を黄泉返らせてくれると、そう言うのかえ?」

 姑獲鳥の問いに、一刀は首を振る。

「いや―――確かに、人間を黄泉返らせる術が無い訳ではありません。しかし、赤子の魂は、自我が確立されていない分、とても朧気でしてね。俗に言う、反魂(はんごん)と呼ばれる類のものを施す事は出来ないのです」

 

 

 

 

「ならば、どうやって我が子を返すと言うのだえ?」

 姑獲鳥が、苛立ちも露わにそう叫ぶと、一刀は僅かに唇の端を歪めた。

「それが、出来るのですよ―――ほら」

 一刀がそう言って、両手に抱いていた布の包みをはだけて見せると、姑獲鳥は、喜びと驚きが綯い交ぜになった様な叫び声を上げた。

 

「坊や!私の坊や!」

 姑獲鳥が金切り声でそう言うと、一刀は布を再び赤子に被せ、抱え込む様に抱き直した。

「やはり、母親ですね―――微かに見ただけの我が子の顔を、一瞬で思い出すとは……」

「何故……なぜ?」

 

 姑獲鳥が、哀願にも似た眼差しを一刀に向けると、一刀は優しく微笑んだ。

「麗儀殿、あなたは、ご自分の子の髪の毛を、大事に持っていたでしょう?それと、木で彫った人形を依代にして―――まぁ、分かり易く言うと、貴女の子を式神として蘇らせたのですよ。この子は、存在が霊体に近いですから、陰気を含んだ貴女の乳でも、存在を維持する事が出来ます」

 

「式神……?」

「そう、言わば、私達が使役する、物に宿る精の様なモノです。しかし、貴女のご子息の髪を依代とする以上、これは間違いなく、貴女の子でもある。貴女が乳をやり続ける限り、死ぬ事もなく、貴女の胸にあり続けるでしょう。その代わり、無論、成長もしませんが」

 

「私の胸に……死なない……」

 一刀は、覇気を失い、虚ろ目で俯いた姑獲鳥の傍まで歩み寄ると、まるで、父親が母親に抱いた子を見せる様にして、木で作った式神の赤子を差し出した。

「決めるのは、あなたです。麗儀殿。私の申し出を受けて、この子と共に深い山奥で二人、静かに暮らすか、それとも……申し出を蹴って、私と最後までやり合うか―――」

 

「あぁ、私の坊や……」

 姑獲鳥は、差し出された赤子を、巨大な翼に変わった両手で、優しく包み込んだ。

 その顔は最早、恐ろしい怪物では無く、小柄で心優しい侍女のそれに戻っていた―――。

 

 

 

 

 

 

 

 直、夜が明けようとしていた。

 一刀、華雄、張福の三人は、姑獲鳥を見送る為に、屋敷の庭に出て来ていた。

「では、私の言った事を忘れないで―――」

 一刀がそう言うと、姑獲鳥は小さく頷き、背負い紐で胴に結え付けた赤子を優しく見つめると、巨大な翼を広げて旋風を巻き起こし、まだ藍色を残す空へと舞い上がった。

 

 一刀達は見た。白んだ空を彼方に飛び去って行く姑獲鳥の羽が、太陽の光を受けて、美しい翠玉色に輝くのを。

「天帝少女、か…………」

 その姿を見守っていた一刀は、誰に言うともなく、そう呟いた―――。

 

 その日の夕方、一刀と華雄は、もっとゆっくりして行って欲しいと言う張福の誘いを丁重に断り、一刀の屋敷に帰って、夕暮れの光が照らす庭を眺めながら、ゆるゆると手酌で酒を呑んでいた。

 屋敷の奥からは、薄緑の焼く茸の香ばしい匂いが漂って来ている。帰り際に張福が、『麗儀が最後に採って来てくれたものだから』と、二人に持たせてくれたのだった。

 

「また、麗儀殿に会えるかな、一刀」

 華雄は、ぼうっと庭に向けている視線はそのままに、自分の向かい側で片膝を立てながら杯を嘗めている一刀にそう言った。

 一刀が、姑獲鳥との別れ際に言った事―――「もし、赤子の様子がおかしくなったら、何時でも私の気配を探して、尋ねて来なさい」―――と言う言葉を、頭に思い浮かべていたのである。

 

「さて―――どうなんだろうな……。一応、持ち合わせていた中で、一番良い物を使って作った式だからな。二、三十年は、確実に持つ筈だ……」

 一刀が、何とも言えない顔でそう答えると、華雄は「そうか」とだけ言って杯を空け、瓶子を手に取って、杯を満たした。

 

 

「麗儀殿は、お前に救われたのだな」

 華雄が、杯を回して、その中身を見つめながら言うと、一刀は小さく首を振った。

「いや、そんなものでもなかろう」

「どうして?麗儀殿は、確かに妖物のままではあったが、正気を取り戻したではないか。別れ際の麗儀殿の顔は、とても美しかったぞ?」

 

「華雄……正気の人間が、死にもせず、大人にもならない、木偶で出来た赤子などをもらって、喜ぶと思うか?」

「む……それは……」

 華雄は、思ってもいなかった一刀の返しに面食らって黙り込んだ。一刀は、庭に目を遣りながら、どこか自嘲の混じった微笑みを浮かべる。

 

「俺はな、華雄。麗儀殿の狂気に、誰にも害がなく、それでいて分かり易い『捌け口』を作ってやっただけだよ。俺がしたのは―――俺がしてやる事が出来たのは、それだけさ」

「それでも―――」 

 一刀の言葉を噛み締める様に、俯いて杯を見つめていた華雄は、不意にそう口を開いた。

 

「それでも私は、お前は麗儀殿を救ったのだと、そう思うよ」

 一刀が、口に持っていきかけた杯を止め、驚いた様な顔で見つめ返すと、華雄は、暮れ往く空に顔を出した一番星を見つめて、考えながら言葉を続けた。

「だって、そうじゃないか?例え狂気を拭い切る事は出来なかったとしても、誰かを恨んで、悪鬼となって恐れられるより、歪んでいても、母として子を抱いて微笑んでいられた方が、ずっと幸せに決まっている。そしてその幸せは、お前でなければ、麗儀殿に与えることはできなかったのだからな」

 

「そうか」

 華雄の言葉を最後まで黙って聞いていた一刀が、小さな声でそう言うと、華雄は「うむ」とだけ言って、酒を飲み干した。

「華雄。お前は、佳い女だな―――」

 一刀が、呟く様にそう言うと、華雄は口に含んだ酒を吐き出しそうになりながら、薄く頬を赤らめた。

 

「な、何だ、藪から棒に!?」

「いや、ただ、そう思ったのさ」

「まさか、口説いているのではあるまいな?」

「さて、どうだろうな?」

 一刀は、疑り深げに睨んで来る華雄に悪戯っぽい微笑みを返すと、煙草に火を点けて、紫煙を空に吹きかけた―――。 

 

 

                                     あとがき

 

 

 

 さて、今回のお話、如何だったでしょうか。

 正直、完結までに八ヶ月を要する事になろうとは、思ってもみませんでした。

 話の大筋は、既に大分前に出来ていたのですが、細部の文章がどうにも気に入らず、思った事を上手く表現出来なくて、何度も書き直したりして弄っていました。

 確かにこの作品は夢枕獏先生の陰陽師シリーズのパロディではありますが、パロディだからこそ、きちんとオマージュを捧げたかったんです。

 

 結局、(特にラストシーンは)未だに完全に表現出来たとは言えないです。

 でも、これ以上延ばすと、物語そのものが自分の中から零れてしまう様な感じがしていたので、今回、皆さんの前にお出ししても恥ずかしくない、と言う最低ラインの所まで、どうにか持って来て、完成を見ました。

 荒削りの所も多いかも知れませんが、大目に見て頂ければと思います。感想のコメントなど、お待ちしていますので、宜しくどうぞ。

 

 では、また次回、お会いしましょう!!

 

 

 

 

 


 
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