番外編 そのよん
数え役満姉妹の公演が行われた翌日午後、一刀たちは街の一角に建てられた、とある高級茶屋の個室に移動していた。メンバーは一刀、恋そして風である。香は前日の事があったため、袁術から宛がわれた部屋に引きこもっていた。
「さて、それではこれより第一回『香をなんとか慰めよう会議』を開こうと思う」
「………香、いじけてた」
「ちょっとイジメ過ぎちゃいましたからねー」
そうなのである。あれだけ喜び勇んで向かったライブ会場に、特別ゲストとして現れた一刀たち。数え役満姉妹の大ファンである香がどれだけの衝撃を受けたのか、想像に難くない。
「ライブとしては大成功だったが、香にいたってはやり過ぎたからな」
「………かわいそうに」
「香ちゃんも天和ちゃん達の大ファンですからねー」
3人は揃ってほぅ、と溜息を吐く。少し話は変わるが、一度は袁術軍を裏切った香だったが主の方はそう思っていなかったらしい。袁術は香を迎え入れ、ひょっとしたらこのまま彼女がこの街に残る事も考えられる。ただし、どちらの場合にせよ、遺恨を残したくはない。
「どうしたものかな………」
椅子の背もたれに寄り掛かり、天井を見上げて呟いた一刀に問い返す声があった。
「………で、何でちぃ達はここに呼ばれたの?」
一刀たちの対面には3人の美少女が座っている。一人は桃色の髪にのほほんとした表情で点心を食べており、咀嚼するたびにその胸元の柔らかそうな塊が小刻みに揺れている。一人は眼鏡をかけた理知的な雰囲気を醸し出す少女で、お茶を啜っていた。そして残りの一人が声をかけた少女であり、気の強そうな眼で一刀を睨んでいる。
「地和ちゃんは空気というものが読めないのですか?」
「なっ!?」
「会話の内容から察しろよ、この小娘が」
「の!?」
「………ちーほー…けーわい」
「ぬがっ!?」
三者三様にジト目で睨まれ、思わず奇声を発してしまう。
何を隠そう、彼女こそ件の数え役満姉妹の次女・地和であり、その隣が姉の天和、さらにその隣が末妹の人和だった。三女は頭を軽く抑えながら溜息を吐き、長女はこの桃まん美味しいなどと和んでいる。
「な、何よ!だいたい一刀が大切なお願いがある、って呼び出したんじゃない!それなのにそんな言い草ってムカつくんだけど!」
「まぁまぁ、ちぃちゃん。そんなに怒らないの。それよりこのお菓子美味しいよ?」
「むぐっ」
天和が笑顔で地和の口に茶菓子を突っ込む。それを見て再び溜息を吐きながら、人和が口を開いた。
「………要するに、一刀さん達のお友達を慰めたいから協力してくれ。そういう事でしょう?」
「おぉ、流石人和ちゃんです。どこかのおちびちゃんと違って話が分かりますねー」
「誰がおちびちゃんよ!風の方がちっちゃいくせに!」
「こら。風もあおらない…ちーほーも怒らない………」
「………俺の真似か?」
恋のとりなしに、2人とも矛を収める。風に至っては完全に遊んでいた。
「冗談はさておきだ―――」
一刀は昨日からの出来事を3人に話す。香が3人の大ファンであること、彼女が袁術に連れられてライブに行ったはいいが、一刀たちの所為でいじけてしまった事。
「とまぁ、こういう訳だ。悪いんだけど、協力してくれないか?」
一刀の頼みに、人和は本日三度目の溜息を吐くのだった。
「なんでちぃ達がそんな事しなくむがっ?」
「はーいちぃちゃん。お菓子食べようねー」
「それは構わないけど、条件がひとつだけ」
抗議しようとする地和を天和が抑える間に、人和が眼鏡のつるを直しながら一刀をまっすぐ見据えて応えた。
「なんだ?」
「簡単よ。私達はこれから益州で公演があるからそちらに向かうのだけれど、一刀さん達がその護衛に就いてくれる事。これだけ」
「護衛か…風、どう思う?」
彼女が提示する条件に、一刀は隣に座る軍師に問いかける。
「よいのではないでしょうか。風たちも別段目的地があるわけではありません。それに、ただの護衛という訳でもないのでしょう?」
「えぇ。陳留からの遠征の護衛にと華琳様が兵をつけてくれたの。その人たちは今でこそ前線を退いてはいるけど、古参の兵たち。つまり―――」
「つまり、おにーさんがいる事で、兵達の労いにもなるという事ですねー」
「その通り」
風の推測に、人和は微笑んで肯定した。
「なるほど。俺も昔の同僚に会いたいしな………いいよ、益州までの護衛を引き受けよう。取引成立だ」
一刀は冷めた茶をぐいと飲み干すと、頷いた。
だが、これからどうやって香を慰めるかを話し合おうという時に、天和が一刀の名を呼ぶ。にっこりと笑っていた。
「どうした、天和?」
「………ひとつだけ言っておきたいんだけど」
「?」
「あまり女の子をイジメすぎちゃ……………ダメダヨ?」
「………………はい」
男であれば誰もが魅了されそうな笑顔の裏に、一刀が何を読み取ったのか………彼に出来る事は素直に頷くだけであった。
部屋は赤く染まっている。窓から差し込む夕陽に瞼を刺激された香は、ひとり寝台のうえで眼を覚ました。
「………」
泣きすぎてわずかに痛む頭で現状を把握する。
「………一刀さんも、恋さんも、風ちゃんも酷いです」
昨晩の出来事を思い出し、少しだけ涙ぐんだ。
「………もう、いないのかな」
泣き疲れて眠る前まではひっきりなしに聞こえてきていた風と恋の声は、すでにない。もしかしたら自分を置いて街を出て行ったのかもしれない。そんな不安に囚われ、再び涙を流しそうになる。
「………おなか、すいたなぁ」
気付けば腹の虫が鳴き声をあげている。だるい身体をもぞもぞと起き上がらせると、香は部屋を出た。食堂へと向かう途中、渡り廊下を歩く香の耳に、とある音が流れてきた
※
「…ふみゅぅ………もう朝かや?」
「おはようございます、お嬢様」
香が目を覚ました頃と時を同じくして、袁術も目を覚ました。頭上からかかる声に目を開けば、目の前には柔らかなものがある。
「ふむ…あいかわらず七乃の胸は柔らかいのぅ」
「いやん、お嬢様ったら」
しばし家臣の身体を堪能した少女は、ふと思い出したように声を上げた。
「そういえば、いまは何時じゃ?」
「もう夕方ですよ」
「なんじゃとっ、もしかして、妾は今日の勉強を怠けてしまったのか?」
その言葉に、張勲は少し驚く。彼女がここしばらくの間勉学に励んでいた事は自分が一番よく知っていたが、ここまでそれを大切にしているとは思っていなかった。
「まぁ、昨日からいろいろありましたからねぇ」
「昨日?」
「そうですよ?紀霊さんと一緒に数え役満姉妹の公演に行って、そこで『天の御遣い』さんが出て来ちゃったんじゃないですか」
『天の御遣い』という言葉に、ビクっと身体を震わせる。
「ててて『天の御遣い』じゃと!?どどどどこじゃ?何処におるのじゃっ!?」
「落ち着いてください、お嬢様。あの人はもうどこかに行っちゃいましたよ」
「………そ、そぅか。それはよかったのじゃ」
「あ!『天の御遣い』さん!」
「ぴぃいいいいぃいっ!?」
「もぅ、冗談ですよ、美羽様」
「………ガタガタブルブル……御遣い怖い御遣い怖い………………」
「あらあら、これは重傷ですねぇ」
それから袁術を慰めるまで、張勲はさらなる時間を要するのだった。
※
袁術も持ちかえした頃、少女のお腹がきゅるると可愛らしく鳴る。
「七乃、妾はお腹が空いたのじゃ」
「そうですね。私もお腹がぺこぺこです。それじゃ、食堂にでも行きましょうか」
少女の手を引いて張勲は部屋を出る。そんな2人の耳にいつだか聞いた旋律が届いたのは、彼女たちが渡り廊下を歩いている時だった。
「この旋律、どこかで………」
「七乃、はやくするのじゃ!音の正体を突き止めるぞ」
「はいはい……って、紀霊さんじゃないですか」
3人は渡り廊下の中央でばったりと出会う。いや、ばったりという表現はふさわしくない。3人とも、いまだ流れ続ける楽器の音色に導かれてきたのだから。
「おぉ、紀霊ではないか。こんなところでどうしたのじゃ?」
「袁術様に張勲様こそ……私はこの楽器の音を辿って………」
「では―――」
私達と同じですね。そう言おうとする張勲の言葉は、城中に響き渡るのではないかという程の歓声に掻き消された。
「「「「「ほぁあああぁぁぁああああああああああっ!!」」」」」
「ぴぃっ!?」
「あー、ほらほらお嬢様。大丈夫ですよ。酸っぱいにおいの兵隊さんたちが騒いでるだけですから、ね?」
「でも、この歓声って……っ!まさか………………」
何かに思い至った香が袁術を放って駆けだす。張勲もまた、怯え嫌がる少女を無理矢理引き摺りながらその声の方へと向かった。その顔には意地悪でいて恍惚とした笑みが浮かんでいる。
香たちが歩いている間にもその声はどんどん大きくなり、そして――――――
『みんなー!今日は特別にこのお城でライブしちゃう事になったから、目一杯楽しんでいってねー!』
『昨日お仕事でちぃ達のライブに来れなかった人も、ちゃんと聞いていくんだからねっ!』
『いつもと楽器は違うけど、今回だけのすぺしゃるばぁじょんだから、みんなは特別だよ』
――――――建物の角を曲がって3人が目にしたのは、城壁の上で二胡を弾き鳴らす一刀と、昨日遠目にしか見えなかった筈のアイドルの姿だった。
※
「これは、いったい………」
「おぉっ!七乃や!数え役満姉妹が妾の城で歌っておるぞ!もっと前に行くのじゃ!」
「はいはい。わかりましたよ、美羽様」
「紀霊もさっさと来るのじゃ!」
袁術は両手に香と張勲の手を引いて駆けだす。目指すは最善席。巷ではプレミアが付き、表で裏で高値で取引される筈の場所。少しだけ遅れた香も、憧れの場所を目指して走り出すのだった。
「「「「「ほぁあああぁぁぁああああああああああっ!!」」」」」
「むぅ…まっ、前に行けないのじゃ!」
「まったく、この城の主がいるというのに言う事を聞かないなんて、訓練が行き届いていませんねぇ」
「えぇと、えぇと………」
最善を目指したまでは善かったが、すでに集まっていた兵の熱狂も凄まじいものであった。どれだけ袁術たちが声を荒げようとも城壁の上に向かって腕を振り上げ、歓声を上げる兵隊たちには届かない。
「七乃ぉ…妾ももっと近くで見たいのじゃ………」
「どうしましょう?」
「えぇと、えぇと………」
しばらくの間右に左に隙間を見つけようとしていた3人だったが、やはり前へと続く道はみつからない。段々と泣き出しそうになる袁術に、困り顔の張勲と香。と、そこにかかる声があった。
「どうやらお困りのようですねー」
「へ?………って、風ちゃん!?それに恋さんも」
その声に香が振り返り、仲間の姿を見出した。つられて袁術たちも振り返る。
「おぉ!昨日の天女とやらではないか………って、程立と奉ではないか………むむ?程立と奉が天女で天女が二人で………………???」
最初に香の部下として紹介され、昨晩には天女として舞台上に上がった2人に、袁術は疑問符を浮かべて首を傾げる。
「お嬢様。つまりはこういう事ですよ。奉さんと程立さんは実は天女さんで、北さんが実は『天の御遣い』さんだったんです」
「なっ、なんじゃと!?2人とも妾を騙したのかや?」
「別に騙してなんていないのですよー。それより袁術ちゃん、もっと前に行きたいですか?よかったらお手伝いしますよー」
張勲の説明に両手を上げて憤りを露わにする袁術だったが、風の言葉にぱぁっと目を輝かせる。
「そ、それは本当か?前に連れて行ってもらえるのか?」
「ふふふ、風たちは天女ですのでー」
「えぇと、えぇと……でもこの人だかりですよ?どうやって前まで行くんですか?」
香の質問に、風は片手を口に当ててにゅふふと笑う。
「ここにいる御方を誰だと思っているのですか?おにーさんと同等の武を持つ呂布ちゃんですよ?」
「呂布?……なんか聞いた事のある名じゃな。七乃?」
「えぇと確か……あ、思い出しました!孫策さんの軍を一人で退けちゃったていう人ですよ、美羽様」
「なんじゃと!?孫策の軍を………そ、そんな奴がなんでこんな所におるのじゃ!?」
そんな説明もまどろっこしく、恋が一歩前に出た。
「ぴぃっ!?」
「あわわわ……おぉおお嬢様に手出しはさせませんよ!?」
冷静そうに見えた張勲も実は動揺しているらしい。前へ出た恋に対して、袁術を守るように抱き締める。
「めんどくさい…来る………」
「ぴぃいっ!?」
「あぁぁああわわあわわあ………」
恋はそんな2人を気にせずに、袁術ごと張勲を小脇に抱える。
「ほら、香ちゃんも。さっさと行くのですよ」
「……来る」
「ひゃっ!?」
次いで反対側に香を抱え、風も恋の首にしがみついた。
「それでは恋ちゃん。お願いしますー」
いま流れている曲が終わろうかという頃、恋は4人の少女を引っ提げたまま、飛び上がった。
「ぐは!」 「なんだぁ!?」 「いでぇっ!?」
オーディエンスの最後尾で跳んだかと思うや否や、恋は兵達の肩やら背中やらを足場にどんどんと跳ねていく。
『みんなありがとー!』
『それじゃぁ、今日の特別げすとを紹介するわね!』
『昨日は『天の御遣い』様と天女様だったけど、今日は――――――』
城壁では曲間のMCが入り、人和がゲストを紹介しようするその瞬間、恋は最前の集団まで辿り着き、一人の男の肩に両足を着地させて膝を限界まで折り曲げると――――――
「………ぬぬ?…ぐぅ………ぐはぁあっ!?」
「んっ…」
――――――その兵を足場に、思い切り飛び上がった。
『―――今日は、この街の太守袁術様に』
『大将軍の張勲様!』
『そして、みんなの紀霊隊長だよー!!』
「「「「「ほぁあああぁぁぁああああああああああっ!!」」」」」
大歓声と同時に、恋が城壁に舞い降りた。
※
「「「「「ほぁっ、ほぁあっ!……ほぁああぁぁぁああああああっ!!」」」」」
見下ろせば、中庭を埋め尽くさんばかりの大観衆である。戦場とは違った雰囲気に、袁術はじめ、張勲も香も呑まれそうになる。
『それでは早速ちょっとお話しを聞いてみようか。袁術様、いきなりこんな場所にお呼びしてごめんなさい』
『へっ?わ、妾か?』
天和に突然マイクを向けられて、袁術は慌ててしまう。
『………う、うむ。苦しゅうないぞ』
『袁術様でも緊張しちゃうみたいだね。じゃぁ次は張勲様に聞いてみましょー』
『はーい、今度はちぃが聞いてみるね。張勲様、小耳に挟んだんだけど、最近袁術様が勉学に励んでいるというのは本当なの?』
今度は地和が張勲にマイクを向ける。袁術とはうってかわって、こちらは相変わらず飄々としている。
『えぇ、そうですよ。最近は政に歴史に、いろんな事を頑張ってるんですよ。ですよね、お嬢様?』
『へっ?あ、うむ!妾も為政者じゃからな。皆の為に頑張っておるぞ』
「「「「「ほぁあああぁぁぁああああああああああっ!!」」」」」
実際兵達もその噂は耳にしていたが、実際に本人や側近の口から聞くのでは印象が違う。主の言葉に、観客は歓声を上げる………………と言えればいいのだが、実際はただのノリである。
『それでは紀霊隊長にお話しを聞いてみるね』
そして人和が香にマイクを向けた。
『紀霊隊長は、いま『天の御遣い』様と旅をしていると聞きましたが、本当なのですか?』
その言葉に、先ほどとは打って変わって会場にどよめきが走る。香が城に戻ってきていた事はすでに広まっていたが、まさか『天の御遣い』との旅路などとは誰も思っていなかったからだ。しばしの沈黙ののち―――。
『えぇと、その…そうです………』
香の言葉にも、観客の反応は薄い。ある者は信じられないというように目を見開き、またある者は『鬼の紀霊』とまで評された彼女の言葉遣いに、驚いているようだった。人和はその静けさを目の当たりにしながらも、インタビューを続けた。
『今はこうして南陽の街に戻っていますが、紀霊隊長は、これからも『天の御遣い』様と旅を続けるのですか?』
『えぇと―――』
答えようとして、香はようやく会場の異様な静まりに気がついた。皆が自分を見つめ、横目で窺えば、袁術もまたじっと見つめている。
考えてみれば、この後どうするかが揺らいでいた。洛陽を出た当初は、一度裏切った袁術の下には戻れないと思い込んでいたが、実際に戻ってみれば彼女は自分の事を心配してくれていた。この3日間で、またこの城で働くのも悪くないと思っていた自分も、正直に言えばある。
だがそれは、一刀たちを裏切るという意味だ。2度も主を裏切ってしまう。礼節を尊ぶこの国では、たとえ当事者たちが許しても周囲がそれを許さない。何より、自分がそれを許せない。
「(私は………)」
特に理由はない。助けを求めようと思ったわけでもない。それでも香は、マイクを向ける人和の向こう、天和たちや袁術たち、恋たちの向こうで楽器を肩に担ぐ、一刀の方を見た。
「………………かずと、さん」
彼の眼をみた香は、一筋の涙を流す。はたしてそこにあったのは、馬鹿な所業ばかり思いつく一刀でも、ましてや戦場で鬼のように、そう、自分が担ぐ『鬼』の二つ名など足元にも及ばない程の強さを誇る彼でもなく、これまで見た中で最も穏やかな笑みを湛える一刀だった。
「(………私は)」
香は理解する。どのような選択をしても、彼はあの笑顔を向けてくれる。仮に袁術の下に戻ったからと、それを裏切りなどと思わないと確信できるような笑みだった。
「(私は―――!)」
香は人和の握るマイクを手に取ると、眼下の聴衆へと向き直る。そこにあるのは、ただ静寂ばかり。一刀を見るまでの彼女ならばそれに怯え、醜態を晒していただろう。だがしかし、いまの彼女は違う。香の決意に満ちた声が、地和の術を通して会場に響き渡った。
『私は…私は、これからも『天の御遣い』と旅を続ける。彼の者が何を為そうとしているのかは定かではない。だがしかし、それでも自分の力が必要になる時が、必ず来ると信じているからだ』
普段の彼女とは決して結び付くことのない口調と覇気。しかし、いまばかりは一刀も風も、それを指して笑うことなどしない。
『だが、勘違いしないで欲しい。私はお前達を捨てていくわけではない。袁術様は未来に羽ばたかんと己を高め、また張勲様もそれを全力で補佐している。街はかつてのその姿からは想像もつかない程に見違えている。何より、お前達がいる――――――』
一度言葉を区切り、そしてゆっくりと息を吸う。これで最後だと、彼女は声を張り上げた。
『お前達に、隊長として最後の命を下す。己を高め、友を信じ、その命を賭してこの街を守れ!家族を、友を、愛する者を守る為に剣を握れっ!!………………私が帰ってくる、その時までな』
数瞬の沈黙、そして――――――
「「「「「――――――――――――」」」」」
――――――城を越え、街を震わせんとばかりに、男たちも声を張り上げた。
城壁の中庭に面した端では、天和たちが最後の曲を歌っている。一刀はその反対側で壁にもたれかかりながら楽器を演奏している。その右には風が飴を咥えながら座り、左には恋が、立っている一刀の脚に体重を預けている。
「………………」
そして彼らから少し離れた所では、香と、袁術と張勲が向き合っていた。先ほどの決意に変わりはないが、それでも香は少しの居心地の悪さを感じていた。と、そんな香の手を握る小さな手。
「………袁術様?」
「紀霊や……先ほどは、惚れ惚れするような演説じゃったぞ。………妾はそなたを誇りに思う」
「え、袁術、さま………」
見れば、小さな少女の瞳の端に水滴が浮かんでいる。その光景に香は泣きそうになるが、目の前にいる袁術は、それを必死に堪えている。自分が泣き出す訳にはいかない。張勲は袁術の後ろで、優しい笑みを浮かべていた。
「それにな、妾は嬉しいぞ」
「………え?」
「紀霊は言ってくれた。この街に、帰って来てくれるとな」
「………………」
「じゃから…じゃからっ―――」
だが、ついにはその水滴は防波堤を破り、幼い少女の眼から溢れ出す。
「じゃから、いつかは必ず帰って来い。これは妾の……お願いじゃ………」
「………はい」
香はそっと小さな身体を抱き締める。声を殺して涙を流しながら、ここに戻って来てよかったと感じるのだった。
袁術たちと別れを告げ、一刀たちは張三姉妹の護衛をしながら益州へと向かっている。一刀たちは馬に乗り、三姉妹は真桜が作ったという馬車に揺られていた。雨が降った時や、野宿の為の幌のようなものが備え付けられていたが、今は、それは開かれている。
「それにしても、なかなかムカつくわよねー」
「えぇと、私ですか………?」
いきなりの地和の言葉に、香がビクッと肩を震わせる。
「そうよ。ちぃ達のらいぶなのに、香の演説の時の歓声が一番大きかったなんて許せないわっ!」
「えぇと、あの、その………」
地和が不機嫌な理由は、ひとえにそれである。自分たちのライブの筈が、最高潮の盛り上がりはすべて香に持って行かれてしまった。それでもライブが終わるその時まではアイドルの顔を作っていたあたり、流石はプロである。
「いいじゃないか、地和。良くも悪くも、昨日の客は兵隊だったからな。将の言葉が最も響くことだってある」
「でもさぁ―――」
そう愚痴を零す地和を一刀が相手しているなか、今度は風が香に声をかけた。
「それにしても良かったのですかー?」
「………何がですか?」
「いえいえ、袁術さんのところに戻る道もあったのではと思いましてー」
そんな風の言葉に、香は笑いながらで返す。
「理由は昨日言ったじゃないですか。一刀さんが何をしようとしているのかは分からないけど、私が役に立てる時がきっと来る、って」
「まぁ、それはそうでしょうけどー」
「それに――――――」
それでも引き下がる風に、香は力強い声で―――しかし爽やかな笑顔で応えた。
「――――――私は一刀さんの第三夫人ですので」
その発言に、愚痴を零していたはずの地和が食いつく。
「ちょっと、それどういう事!?一刀っ!?」
「あー!お姉ちゃんも一刀の奥さんになりたいー」
「一刀さん、私も……」
三姉妹は馬車から身を乗り出して一刀に詰め寄り、風はやれやれと首を振る。恋は相変わらずもきゅもきゅと肉まんを頬張っていた。そんな光景を見ながら、香は思う。
「やっぱり、ここが私の在るべき場所ですね」
次の目的地は益州。さて、今度はどのような出会いがあるのやら………。
あとがき
という訳で、美羽編は今度こそ終わります。
ちなみに、前回に関してですが、香への扱いが相当ひどかったので、※にも反映されているかもしれません。
ただ、今回の話に影響させたくなかったので、あえてコメントは見ずにこのまま書き進めたぜ。
本当なら別の方法での香ちゃんのいいシーンを書こうと思ったのですが、
作者の美羽様への愛が深すぎて、再度ご登場いただきました。
このロリコンが!
というコメントは受付を終了いたしました。
さて、次回は益州に行きますが、あの御方のご登場です。
楽しみにして頂けたら幸いです。
ではまた次回。
バイバイ。
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はい、前回作者は嘘を吐きました。
美羽編は1回ぽっきりのはずが、まだ続いてしまいます。
書いている途中でどんどん広がっていったので、そのまま続けてしまいました。
ではどぞ。