「新しい階級の認識票です。古いものは処分しておきますので、お渡しください」
近頃すっかり気が早くなった夕日が差し込む執務室で、自慢の美人副官が楕円形の銀色のプレートを差し出した。アルファベットと数字が打刻された2枚1組のプレート。
戦場で死体になった際に、名乗れない本人、もしくは本人と思われる肉片を識別するために使用されるタグであり、軍務の際は常に着用が義務付けられている、いわゆる首輪。ドッグタグとスラングで呼ばれる代物だ。
「ああ」
軍服の襟元を寛げ、首にかけているボールチェーンを手繰り寄せ、外す。
満足げな表情で、それを突き出す。
眉ひとつ動かさず、涼しい顔で彼女はそれを受け取る。
リザ・ホークアイは器用な指先で、適度にくたびれたタグを外し、真新しいタグへと付け替える。『Lieutenant Colonel』から『Colonel』へ。一階級、最年少昇進。
「どうぞ」
タグを左手に、チェーンを右手に。それは恭しく差し出される。「つけてくれ」
これは、儀式だと思う。儀式にしようと思う。今、決めた。
辞令と肩章は大総統に授与された。死体になった時のための首輪は、彼女にくくり着けられることにしよう。
彼女に授けられる、上の位。
一瞬戸惑った彼女と目が合う。
これは命令だ。君は逆らえない。
カツカツと軍靴が床を鳴らす。
机の後ろに回り込む。
踵を鳴らして立ち止まる。
──2つの影が重なり、オレンジ色に染まる机の上の黒い領域を拡げた。
「失礼します」
「ああ」
彼女の腕が伸び、タグが胸元に回される。彼女の気配と、体温と、呼吸すら感じそうで。背筋がゾクゾクする。
「祝福を」
「私は司祭ではありません」
「かまわない」
「おこがましいです」
「命令だ。君がいい」
ゆっくりと、一呼吸の沈黙。
「…………道が」
落ち着いた、低い女の声が鼓膜を震わせる。
あぁ、なんて心地よく、神聖で、官能的な。
「道が、あなたの前にありますように。光が、あなたを照らしてくれますように。あなたが、迷わずに進めますように。」
あぁ、なんて心地よく、神聖で、官能的な。
「キスを」
戸惑うような間をおいて、シャランと軽金属がすれ合う乾いた音がする。
彼女がタグへと落とす、神聖なる口吻け。
「できました」
パチリと留め具をはめる音で、短い儀式が終わりを告げる。
「ああ、ご苦労」
振り返りもせず労い、首に掛けられたばかりのタグを手に取り、刻印された文字列を目でなぞる。
「次はGeneralだな」
「ええ」
机の前、定位置に戻った彼女は短く答える。
目が合う。視線が、絡まる。
少しだけ、揺れる熱を孕んだ目。
「……あなたが」
ゆっくりと、震える声で、言葉を紡ぐ。
「どうか、ご無事で、目的を果たされますように」
その言葉はとてもとても心地よかった。胸の奥がツンとなるくらいには。
「今回もそれ、取っておくのか?」
「…なんのことでしょう?」
「知らないとでも思っているのか? 君が配属されてすぐのことだ。私が返納するのを忘れて机の引き出しに突っ込んでいた少佐階級のタグを見つけた君は、事務方に持っていくと言って出て行ったな」
「……そんな事もありましたね」
「そのままポケットに入れただろう?」
ニヤリと笑う。
「入営間もなく、軍からの貸与品をくすねるとは、なかなかいい根性をしているなホークアイ中尉。しかもそれが上官の認識票だなんて」
君が持って行ったはずのものをなぜか事務方からせっつかれた時、それに思い当たってそれに違いないと思って可愛くて仕方がなくて、思わず失くしたことにして始末書まで書いてやったんだ。君は知らないと思うけれど。
「あれは……」
青ざめた顔で俯いて口ごもる。
「あなたと、イシュヴァールにいた証のように思えたんです」
重くて痛くて、処分されるのが勿体なくて。
「自分のものにしたかった?」
こくりと頷く。
「処分はお受けします。営倉くらいで済むでしょうか。私がいない間は真面目に仕事を…」
「バカだな、もう時効だ。それより、アルミ缶を2個、いや、4個ばかり拾ってきてくれないか。君にごみ箱を漁らせるのは忍びないが、きっと君は私に同じ事をさせてくれないだろう?」
◆ ◆ ◆
相変わらず冴えない顔で彼女が飲み終わりの飲料缶を抱えてきたときには夕日もかなり存在感を弱めており、彼女は部屋の電灯のスイッチに手をかけたが、敢えて止めた。
この儀式には人工的な灯りなんて無粋でしかない。
「君の認識票を貸してごらん。ああそう、古い方」
チョークで床に描く錬成陣。いまいち円が巧く描けなかったのはご愛敬。
その真ん中に彼女が持っていた空き缶を二つ並べて、一度目の錬成光がふわりと夕闇を覆う。そして残りの缶を並べて2度目の錬成。
「事務方にはこれを持っていきたまえ」
彼女の手のひらに、できたばかりの錬成物を握らせてやる。『Lieutenant Colonel』の認識票を。
「私が付けていたものは、前回同様君のポケットに入れるといい。これで共犯だ」
まんざらでもない顔の彼女が可愛く、愛おしい。
そしてもう一つ。
「君の古い認識票をもらうよ。替わりにこれを返納するといい」
二度目の錬成の成果物も彼女の手のひらに乗せる。そう、『Second Lieutenant』。彼女のかわいい胸の谷間にずっと掛けられていた憎たらしいものの模造品。
「新しいタグを見せたまえ」
すっかり牙を抜かれた彼女はもう逆らえない。黒いタートルの襟元に手を入れ、真新しい新階級のタグを取り出す。
そっと、手を伸ばす。触れたタグは彼女と同じ温度で、指先に吸いついた。
「……どうか」
これは儀式だ。そう決めた。
「あなたが、無事でありますように」
認識票に唇を落とす。
最愛の、あなたが。
「誰よりも、幸福でありますように」
そして、死が二人を別つまで。
「ずっと、傍にいてくれますように」
あれほど嫌がっていた職場でのキスを、彼女は静かに受け入れた。
マジックアワー。不思議な夕闇は、唇が触れ合った瞬間燃え上がり、そしてゆっくりと、光は暗闇へと還る。
「ここで押し倒されたくなかったら、大人しく今日はうちに泊まると約束するんだな。嫌とは言わせん」
耳元で囁いてやる。そう、彼女は絶対に逆らえない。
「……あの、大佐」
腕の中の彼女が小さく身じろぐ。
「なんだか、私、今日、らしくないので一言だけ……」
「言ってみたまえ、中尉」
「……部下の弱みにつけ込んで肉体関係を迫るのは、セクハラの上パワハラですよ」
はい、何と言いますか本当に、あの、すみませんでした中尉殿。 お互いの顔がようやく見えるくらいまですっかり暗くなった室内で、見つめ合い、二人で吹き出した。
そうして長い夜が始まる。
彼女は認識票の模造品を2組握りしめ、部屋を出ていく。本物はもちろんポケットの中だ。
出掛けに点けられた電燈の反射が窓を封鎖し狭くなったように感じる室内から早く抜け出し、何よりも彼女に迅速に約束を果たさせるために、最後の1枚の書類にサインをすべく、ペンを握りしめた。
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ロイ×ホークアイ 全年齢向け 大佐×中尉時代
これは、儀式だと思う。儀式にしようと思う。今決めた。