それは、いつもの朝。少なくとも、当事者以外はそう感じているはずだ。当事者とは、直江大和と椎名京である。おかしいのは、大和だ。
島津寮の前で幼なじみの岳人を待つ二人の距離感は、いつもより微妙だった。
「大和、何だか落ち着かないみたいだけど?」
「えっ? あ、いや、別になんでもないよ」
そう言いながらも、京が一歩近づくと、大和は一歩離れる。いつもならもっと、近くで並ぶのに。
(こういう大和は新鮮……)
京は内心で、ガッツポーズを作る。明らかに大和の態度は、京を女として意識しているものだ。長い付き合いだし、ずっと大和だけを見ていた京にはわかる。それは素直に嬉しい。だが、この距離感は寂しくもあった。
(友達が恋人に変わるみたいな、初々しさ……悪くない)
京がこっそりとニヤニヤしているのとは反対に、大和は自分の変化に戸惑っていた。
(俺らしくないな……)
京がそばに近づくと、胸が高鳴る。風に乗った香りに誘われ、触れたいという衝動が溢れてくるのだ。あの細い手首を強引に掴んで、思うままに二つの膨らみに顔を埋める。鎖骨から首筋に舌を這わせ、いつも愛想無く閉じられている唇をむさぼるのだ。
普通なら犯罪だが、京は拒まない。度の過ぎた恋人たちのように、それは公然と認知されるだけだ。しかしだからこそ、普通以上の自制心が大和には必要だった。
(くそ……)
なぜ、突然こんな気持ちになったのか。今までも京の誘惑はあった。理由がわからないだけに、気持ちのやり場がなく、苛ついた。だから――。
「オッス! 俺様、登場!」
クルミを握りしめて現れた岳人を、大和は思わず殴っていた。
大和たち三人が通学路を歩いていると、途中から師岡卓也が合流して来た。だがいつもと違う妙な雰囲気に、首を傾げて岳人に尋ねる。
「何かあったの?」
「さあな。大和のやろーが、何か不機嫌でさ」
「へえ。珍しいね」
大和は見るからに不機嫌そうで、確かに彼にしては珍しい。
「また、京が何かしたんじゃないの?」
「いつも通りの事をしただけ……」
京がそう言うと、岳人が何かを思いついたようにニヤッと笑った。
「もしかして、とうとう大和も京の魅力にメロメロってか?」
「ガクト、たまには良いこと言うね」
思わず京は10点と書かれた札を上げてしまう。
「そんなんじゃない! からかうなよ」
顔を真っ赤にして、大和が怒りを露わにする。一瞬、ぽかんとする面々だが、軍師の初々しい反応に意地悪をしたいという思いがわき出てきた。
「これは脈ありだな、京」
「やったね、京。粘り勝ちだよ」
「ふふふ……まあね」
ガッツポーズを作る京を横目に、大和は黙って唇を尖らせる。少し冷静になった大和は、ここで何を言っても無駄だと悟った。
「先に行くからな」
そう言い残し、仲間たちをおいて走り出した。
走り去る直江大和の背中を、葵冬馬は見送った。いつもの多馬大橋の上、横には井上準と榊原小雪がいる。
「あはははは、ハゲ~!」
「こらこら、人様の頭を叩くもんじゃありません」
楽しそうに準の剃髪した頭を叩く小雪と、それをたしなめる準。いつもの光景に、冬馬は笑みを浮かべてそれを眺めた。そして、ふと考えるのだ。
(果たして本当に、良いのでしょうか?)
これから自分が行おうとしている計画に、わずかな迷いがある。それは、小雪の存在だった。
(私は自分の意志で、進むべき道を決めた。準もまた、私への忠誠もあるでしょうが、自分で決めた事です。たとえこの先に待っているのが闇でしかなくとも、それも覚悟の上。ですがユキは違う。あの子は、他の選択肢が初めからない)
訊ねれば、自分たちに従うと答えるだろう。だがそれは、他に心を許せる者がないからだ。理由もなく、小雪は無条件で自分や準の言葉に従う。それは本当の意味で、選んだとは言えない気がした。
(あの子はもう、十分に苦しんだ。幸せになる権利があります。そしてその幸せは、私たちとともにいては得られないもの……)
幼い頃より一緒に過ごし、冬馬にとって小雪は妹のような存在だった。だからこそ、自分の思惑には巻き込みたくはない。小雪には、もっと広く世界を知って欲しかった。冬馬はその始まりに、直江大和を選んだのである。
小雪を保護した時、風間ファミリーとの間にあった出来事を冬馬はわずかだが聞いていた。憧れ、救いを求めた小雪のその手を、大和たちは拒絶したのだ。
(彼女の心が壊れたきっかけとまでは言いませんが、要因の一つでもあります。もしもあの時、彼らがユキを救ってくれたなら、きっと今とは違う人生だったはずです)
しかし、それゆえに意味がある。今の小雪は、完全に他者との間に心を閉ざしていた。すべての言葉は、表層を滑るだけで奥底まで届くことはない。だからこそ、荒療治が必要なのだ。
(心の傷を深くするだけなのかも知れません。それでも、ゼロは永遠にゼロのままですが、マイナスはプラスに転じることが出来る)
それは賭だった。それでも、試す価値のある賭である。小雪が心から笑えるように――。
昼間は人通りの少ないホテル街に、異様な組み合わせの人影があった。一人は妖艶な魅力を振りまく板垣亜巳で、もう一人は大型犬のように四つ足で歩くスーツ姿の中年男性だった。男性は目元を隠すマスクを付け、どこか困った様子で亜巳を見上げている。
「あの、亜巳様……」
瞬間、亜巳の足が男の腹部を蹴った。男は苦しそうにお腹を押さえて呻く。
「誰がしゃべっていいって、言ったの? この豚!」
「ううっ……ブ、ブー」
亜巳はSMクラブで働いており、男はそこの客だった。まさにプレイを終え、ホテルを出たところである。いつもはそこで別れるのだが、機嫌の良い亜巳が犬のスタイルのままの男を連れ、昼間の街を歩いてみようと思いついたのだ。
「さすがに商店街は可哀相だから、人の少ない所にしてあげる」
「ブー……」
工場跡地の方から海沿いに、多馬川を目指して進む。すれ違う人々は皆、見て見ぬ振りをしつつ通り過ぎて行った。そんな中、一人の少女が足を止めた。ツインテールでゴルフクラブを振り回しながら歩く少女……亜巳の妹の板垣天使だ。
「あ、アミ姉!」
天使は人懐っこい笑みを浮かべ、姉の亜巳に走り寄る。
「何、まだ仕事中?」
「少し気分が良かったから散歩してるだけよ」
「ふーん」
そう言いながら、天使は持っていたゴルフクラブで男の脇腹を突く。
「い、痛っ!」
男が思わず声を上げた瞬間、亜巳の足が容赦なく男の顔を蹴り飛ばした。
「豚がしゃべるなって、何度言えばわかるの?」
鼻血を垂らしながら、男は怯えるように小さく震えた。その時である。
「何をしている!」
突然、前からやって来た二人組に亜巳たちは声を掛けられた。
放課後になり、クリスはマルギッテと共に買い物に来ていた。マルギッテはつい先日、クリスの父の命により転校して来たのである。
「日用品はだいたい揃ったかな、マルさん?」
「はい、お嬢様。ご案内いただきまして、助かりました」
「それじゃ、何か食べて行こう。おいしい、いなり寿司のお店を知っているんだ」
二人はたわいもないおしゃべりをしながら、クリスおすすめのお店を目指した。
「ご飯に混ぜたゴマが絶品でな、マルさんにも食べさせたいと思っていたんだ」
「それは楽しみです、お嬢様」
笑みを浮かべて頷いたマルギッテが正面に視線を戻した時、不意にその顔が曇る。マルギッテを見ていたクリスは、首を傾げた。
「どうした、マルさん?」
「いえ……」
珍しく言葉を濁すマルギッテに、クリスは視線を追う。するとそこには、一瞬、何だかわからないものが居た。
「犬? いや、人か!?」
なぜ人間が四つ足で、まるで犬の散歩のように歩いているのか。クリスはあまりの驚愕に言葉を失った。
「何かのプレイでしょう。そういうものがあると、噂には聞いたことがございます」
「プレイ? 遊びなのか?」
不思議そうに眺めていたクリスだが、一人の女が男を蹴るのを見て怒りが湧いた。いくら遊びとはいえ、無抵抗の人間に暴力をふるうのは許せない。
「何をしている!」
マルギッテが止めようとしたがすでに遅く、クリスはそう叫びながら走り出していた。
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真剣で私に恋しなさい!を伝奇小説風にしつつ、ハーレムを目指します。
ゲームをプレイしたのは発売した頃なので、記憶があやふやです。
楽しんでもらえれば、幸いです。