暗い空間で、ただただ、恐ろしいまでの圧力が体を押し潰そうとしている。それだけではなか
った。自分の体から、どんどん『力』が吸収されている。
『力』だけではない。体中から皮膚さえも溶かされ、消化されていくかのようだ。この肉の塊の
中の感触は気分の良いものではない。まるで、ゼリーの中にでも閉じ込められているかのよ
う。
だが、圧力は相当なものだった。
全力を使って、外へと這い出そうとしても、次々と襲いかかる肉の圧力がそれを阻む。しか
も、どんどん『力』をも奪われてしまっているのだ。
もがき、脱出しようとすればするほど、『力』はどんどん体から抜き取られて行く。それがはっ
きりと分かるほどに。
だんだんと、肉の塊に体が押し負けてくる。体力を消耗させられているせいだ。脱出する方に
体の力を働かせると、逆に周囲の圧力を感じ、より大きな力を必要として来る。
どれだけ、深い場所に落ち込んでしまったのかも分からなかった。
「…、香奈…、香奈…、どこにいるんだ…?」
どこからか声が聞えて来る。それは、『ゼロ』の肉が膨張していく音によって、大分かき消され
てしまっていた。
だが、確かに呼ぶ声が聞えて来る。
仲間達も、この肉の塊の中に呑み込まれてしまったはずだ。この『ゼロ』の体内の中で、誰か
が助けてくれるというのか。それは例え、外に誰かがいたとしても、脱出させてもらう事はでき
ないだろう。
「どこにいるんだ…? 皆…?」
もう一度聞えて来る声。今度は別の方向からだった。おそらく、仲間達は近くにいるに違いな
い。
「こ、ここよォ…」
必死になって声を上げてみた。周囲の肉の圧力に押し潰されそうで、口さえ満足に開く事が
できない。
だが、返事はすぐに返ってきた。
「よし、そこか! 今すぐ助けに行く…!」
今度ははっきり分かった。聞えてきたのは太一の声だった。どうやら、太一がほんの少し近く
にいるようだった。
だが、この肉の塊しか無い場所で、一体どのように助けてくれると言うのか。脱出する事がで
きるとでも言うのか。
肉の塊を押しのけ、這い進んで来るような音が聞える。やがて、肉壁を突き破って、誰かの
手らしきものが現れた。
「た…、太一…」
幾分も弱々しい声になってしまった声で、香奈は言った。次いで、肉壁の中を引っ張られた彼
女は、腕の主にどこかへと連れて行かれる。
どうやら、『ゼロ』の内部をどこかへと移動しているようだった。膨大な圧力が発生していると
思われた『ゼロ』の内部だったが、どうやら僅かに隙間のようなものがあるらしく、そこをすり抜
けて行く。
だが、『ゼロ』に体を触れられている以上、『力』を吸収され続けている事に変わりは無かった
のだが。
腕の主、おそらく太一に引っ張られていくままに、香奈は肉の中を進んでいった。ナメクジが
這うようにゆっくりとした動きだったが、『力』が尽きてしまうよりも前に、香奈はどこかの空洞へ
と抜け出た。
そこは、非常に狭い空洞だった。人2人がやっと入り込めるほどの、何かの管のようにも思え
る。その場所に2人は抜け出てきていた。『ゼロ』の肉はそれ自体が紫色に発光しているので、
内部の構造を見て取る事ができる。
「大丈夫か…?」
香奈のすぐ側に、太一が姿を現して気遣う。やはり彼が、肉壁の中から香奈を救い出してく
れたらしい。
「大分、『力』を吸収されちゃったから…、分からない…。今だって…、胃の中の食べ物みたい
に、どんどん消化されているようなものだよ…」
ほとんど希望も失って、香奈は呟いた。
「希望を、失うな…。まだやられたわけじゃあない…。奴の体内に潜り込んだ。ただ、それだけ
だ…」
そう太一は香奈に言い、管状の隙間を進んで行こうとする。
「こんなに、どんどん『力』を吸い取られているって言うのに…?」
香奈は自分の体から、はっきりと『力』を吸い取られて行く感覚を感じていた。だから、太一の
ようにまだ動き、しかもこの場を脱出しようとしている姿が信じられなかった。
ただただ、『ゼロ』の強大な『力』に圧倒され、消化されていくだけだというのに。
「『力』と言うのは、言わば、精神力のようなものだ…。気を強く持てば、その分、奴に『力』を吸
収されなくて済む。だから、諦めるな…。もし、ここから脱出できなかったら? 何て思わないこ
とだ…」
「そ、そんな事言ったって…!」
だが、太一はどんどん『ゼロ』の肉の中を進んで行く。まるで、その方向に出口がある事を知
っているかのように。
「そっちから脱出できると思うの…?」
ゆっくりと肉の塊の隙間を這って行く太一。しかし、香奈にとってはもはや、進んで行く事も恐
怖でしかなかった。
「さあ、分からないな…。ただ、俺達は下に引きずり込まれた。だから、脱出するとしたら上側
だろう…」
太一にしては珍しく、随分当てずっぽうな言葉だな、と香奈は思うのだった。
「他の皆は…?」
仕方ない。このままこの場所にいて、肉の塊に押し潰されるよりは、太一と共に進んで行く方
がましだった。香奈は太一と共に肉の塊を進み始めた。
「何だ? 君らが持つ、感覚という奴で、分からないのか? 生きているとか、いないとか…」
「こんな、『ゼロ』の『力』だらけの所で分かるわけが無いでしょう!」
どうにでもなれ、という気持ちで香奈は叫ぶ。もう、死んだも同然だと彼女は思っていた。その
時、太一は何かを見つけたらしく、這って進むのを早めた。
「この先に空洞らしきものがあるようだ…」
「本当…?」
太一の先導で、香奈はゆっくりと肉の塊を這って行く。周囲からは、強い圧迫感を感じていた
が、何とか進んでいけそうだ。
紫色に変色し、表面がゼリーのような感触を持つ『ゼロ』の体内を進んでいくと、太一と香奈
はやがて開けた空間に出た。
開けた、と言っても、ほんの高さ2メートルも無いような食道のような場所だ。周囲の肉壁は
脈打ち、どこからか、心臓の鼓動にも似たような音が聞えてきている。
「この中も…、もちろん、『ゼロ』の体内なんだよ…、ね…?」
周囲の光景が未だに信じられない。香奈は確認を取るかのように太一に尋ねていた。
「ああ…、そうだろうな…。この場所が、どこかという事は、俺にも分からないけれどもな…」
太一はゆっくりと周囲を警戒しながら『ゼロ』の体内を進み始めた。
「このままここを脱出できたとしても…」
太一は答えようとはしなかった。ただ、肉壁の道を進んで行くだけだ。数メートル進んだ所で、
香奈の方から答える。
「どうせ、あたし達は助からない…って言うんでしょう? 『ゼロ』が地上に出てきたら、『ユリウ
ス帝国軍』の総攻撃で、この場所は一気に吹っ飛んじゃう。どうせ助からないって事くらい、あ
たしにも分かっている…」
もはや自暴自棄になっているな。と香奈は思いつつ言った。
やがて、開けた空間が見えてきた。相変わらず周囲は紫色に変色した肉の塊で蠢いている。
心臓の鼓動にでも合わせるかのように、ゆっくりと肉の塊は脈動し、地鳴りのような音が響き
渡る。
先ほどよりも、その音は強くなってきているように聞えた。
太一と香奈は、一段と広い空間に出てきていた。そこはもちろん、『ゼロ』の肉の塊の中にあ
ったのだが、天井というべき高さは3メートルほどはあったし、円形の空間になっている。2人
が中に脚を踏み入れて行く事は十分に出来た。
その場所に脚を踏み入れて行く事には、香奈にも抵抗があった。だが2人とも、何かに誘わ
れるかのようにその地に脚を踏み入れて行く。
やがて、声が聞えてきた。
「やあ、よく来てくれたね…」
それは、聞いた事の無い、男の声だった。
「誰だ?」
太一が警戒心も露わな声に答えた。すると、
「誰? 誰だって? 君はそんな事を聞くのかい? そんな事をどうして聞くんだい? 僕は、君
達が良く知っている存在だって言うのに…」
その声がしたかと思うと、開けた空間の中央部。ちょうど、太一の目の前の辺りの部分の足
元が、ゆっくりと盛り上がる。それは、紫色の肉の塊だったが、やがて色が現れ、人の形。人
の上半身部分がそこに現れたという事が分かる。
見間違いようが無い。太一と香奈の前に姿を現した、その人の姿は『ゼロ』だった。それも、
まだ人としての姿を持っていた時の。
「やあ…、やっと僕と出会えたね…、君たち…」
『ゼロ』は、太一と香奈に向ってそう言うのだった。
実に落ち着いた声だった。今までの『ゼロ』の強大さ、行ってきた破壊などを考えれば、本当
に同一人物かと思えるほどの声だ。
何しろ、太一と香奈の目の前にいるのは、普通の若い男だったのだから。
肉の塊から上半身だけ突き出しているその男は、人の姿としての『ゼロ』だ。今まで異様とも
言える変形を遂げてきた彼だったが、落ち着き払った態度と、あまりに普通の男でしかないそ
の姿は逆の異様ささえ持っている。
だが、太一はそんな彼に動じる事なく、一歩前に脚を踏み出した。
「“やっと”出会えた…、だと…? 俺達は何度もお前に出会っている…」
と、太一。だが『ゼロ』は彼の姿を見上げ、特に感情も現さないような声で答えるのだった。何
の怖れも抱いていないかのような声で。
「それは、僕の外の『力』と、だろう…? 僕の心の中に残っている、まだ人間だった頃の意識
とは出会っていないはずさ…。それが、僕、自身。『ゼロ』とか呼ばれるようになる前の、僕自
身さ…」
『ゼロ』が、人の言葉を話していることさえ異様だった。それも、『NK』の言葉。『紅来国』の言
葉を使って話しているのだ。
「まだ…、彼に意識が残っていたなんて…、こんな姿になってまで…」
香奈は驚きも露わに呟いた。
目の前にいる青年は話を続けた。
「こんな姿になったからこそ、僕は君達と出会えたのさ…。ここまで巨大にならない限り、君達と
会話なんてできないからね。
外の僕は、あまりに強い『力』を持ってしまった、ただの『力』だけの生物に過ぎないんだ。お
かげで僕は、外に出て行く事さえできない。この肉の塊の中に押し込められたままでしかいら
れないんだよ…」
香奈はどうして良いか分からなかった。目の前にいる青年は、明らかに落ち着き払っており、
全く警戒心を感じさせない。
だから彼女自身の警戒心も揺らいでいた。まるで、自分がまだ『ゼロ』の中にいるという事を
忘れさせてしまうかのように。
だが、太一はそんな彼女と『ゼロ』との間に立ち塞がる。
「気をつけろ。罠かもしれないだろう…」
と太一に鋭く言われ、香奈も幾分と緊張を取り戻した。だが、『ゼロ』はそんな彼女に話しか
ける。
「そこの女の人。僕はね…、君とずっと話がしたかったんだ…。だって、僕と君は仲間じゃあな
いか? 同じ実験を受けた、同じような『力』を持つ仲間だよ…」
「じゃ…、じゃあ、ここからあたし達を出してよ! こんな所に閉じ込めて、あたし達を一体、どう
しようって言うの!」
香奈は必死になってそう言った。だが『ゼロ』は、
「だけどね…、僕もそう簡単に死ぬわけには行かないんだ…。君達は僕を殺すためにここに来
たんだろう? だから、帰すわけにはいかない。特にそっちの男の方はね!」
途端に『ゼロ』は口調を鋭く変えていた。視線も太一の方へと向けられる。
「ど、どうして…?」
香奈はうろたえつつも尋ねた。
そんな彼女の隙を突くかのように『ゼロ』は、言葉を並べた。
「だって、君は知らないのかい? その男とその仲間達なんだよ? 僕らをこんな目に遭わせ
ているのは! 愚かな実験で、僕を殺戮マシーンに変えてしまったのは、その男や、その仲間
達がした事なんだよ! だから…」
『ゼロ』がそこまで言いかけた時だった。突然、太一が一歩、彼の方向へと脚を踏み出す。そ
して、
太一の警棒が、『ゼロ』の頭を打ち砕く。
すると、彼の体は、まるで崩壊したゼリーのように砕け散った。
「60年以上も前の組織の計画を、俺の前で持ち出すな!」
太一にしては、未だかつて誰の前でも見せなかった、怒りの声と表情だった。
だが直後、どこからか、苦笑の声が聞えてきていた。その声も『ゼロ』の体内に響き渡る。今
聞いていた、『ゼロ』の声に違いなかった。
「あっはっは。君達は、僕の体内にいるんだよ。君が破壊したのは、僕のほんの一部さ。僕は
君達を逃がさない。
どうせ、僕は、もう長くないんだからさ。この研究施設も、君達も、何もかも巻き添えにしてあ
げよう」
と、その時、天井から『ゼロ』の姿が現れ、その視線を2人の方へと向けた。
「もう、誰も僕の中から逃がさないからさ…」
と言うなり、彼は指先に紫色の光を溜め込み、それを太一と香奈の方へと向けた。すると指
先からはレーザーのようなものが射出され、それは二人の立っている位置のすぐ側に穴を開
ける。
「ここから脱出するぞ!」
太一は、香奈をかき抱えるようにし、『ゼロ』のいた空間から脱そうと駆け出す。
再び、肉に覆われた通路へと走っていこうとした。だが、駆けて行こうとする香奈の脚を地面
から掴むものがあった。
「何で、逃げ出そうとするんだい? 僕らは、同じ存在だっていうのに。同じ、兄弟のような存在
だって言うのに、何で逃げ出そうとするんだい?」
香奈の足元の地面から、『ゼロ』が上半身だけ姿を現し、香奈の脚を掴んでいる。香奈は思
わず声を上げ、目の前の彼、ちょうど頭の部分へと『力』を放った。
爆炎が香奈の手から放出され、それは『ゼロ』の頭を吹き飛ばした。ゼリーのような肉片が飛
び散る。
どうやら、『ゼロ』の体内で現れている、彼の姿をした存在は、人の言葉を解す事はできる
が、相当にもろい存在らしい。
だが、頭部が吹き飛んだ『ゼロ』は、決してその掴む力を緩めようとはしなかった。しかも、爆
発し、吹き飛んだ彼の頭の中から、もう一つ、彼の頭が出現する。
不気味な形に変形しながら、『ゼロ』の頭は再生した。
「何をそんなに怖がっているんだい? 僕らは同じ存在だって言うのにさ? 何も怖がる事はな
いよ。この僕と同化しよう。君達の『力』があれば、僕らはもっと素晴らしい存在になれるんだ」
「た、太一ッ!」
頭を吹き飛ばしても、決して力を緩めようとしない『ゼロ』。だが、助けを求めようとした太一の
方も、肉壁から飛び出すように出現した、別の『ゼロ』によって抑え込まれてしまう。
そしてそのまま、彼の体を自らの肉壁に取り込もうとする。
太一に飛び掛った『ゼロ』の方が彼に囁くように言う。
「本当は、君のような人間を取り込むつもりはないんだ。だけれども、君自身も僕には及ばない
けれども、立派な『力』を持っているようだねえ。ついでだし、何かの足しにさせてもらうよ」
太一が『ゼロ』の肉体を跳ね除けようとしても、彼は柔軟な動きでその動きを受け流す。肉体
がゼリー状でもない限りは、とてもできない動きだった。
もっと『力』を集中すれば、完全に破壊できるかもしれない。香奈はそう思って、再び『ゼロ』に
向って掌から『力』を放った。目の前で手榴弾でも爆発したかのような衝撃が襲い掛かり、香奈
は大きく後方へと吹き飛ばされる。
自分の悲鳴だけ元にいた場所に残してきたかのような勢いだった。
『ゼロ』の手は足から離れている。何とか彼から逃れる事ができたか、と思った。
「だから、さあ…、そういう事を幾らしたって無駄なんだよ? 大体、君は僕に大分『力』を奪い
取られているはずなんだ。だから、大した『力』を使う事はもうできない。
僕と同化してしまえば、君の『力』も戻る事になるだろうけれどもねえ…」
そう『ゼロ』の声が背後から囁いてくる。香奈ははっとして彼の方を振り向いた。肉壁から彼
の体が半分だけ出現している。
「僕を、この中で倒そうなんて、考えない事だよ。今、君達が見ているこの僕は、僕全体からす
れば、細胞一つ分にしか過ぎない存在なんだ。だから、君達が幾らこの中で僕を攻撃しても、
僕全体には何の影響も及ぼさない…」
『ゼロ』が目の前から迫って来る。香奈はどうする事もできない。
せいぜい、目の前にいる存在に向って掌を向け、再び爆発を炸裂させるくらいだ。
『ゼロ』の肉片は飛び散り、彼の肉体の右半分が吹き飛んだ。しかし『ゼロ』は、左半分だけ
の体になっても、香奈に話しかけてくる。
「だから、僕と同化しよう。僕と同化すれば、君もこんなに素晴らしい『力』が手に入るんだよ?」
だが香奈は、
「そ、そんな事は嫌だ! あたしは、あたしなんだから!」
「分かっていないなあ…」
背後から聞えてきた声に、香奈ははっとする。背後にも地面から『ゼロ』が半分だけ出現し、
香奈の逃げ道を塞いでいた。
「君も、あの男に利用されているだけなんだよ。もうすぐ、あの男も僕の一部となるけれどもね。
さんざん素晴らしい『力』と褒められても、結局、僕らは利用される側なんだよ」
「た、太一は、そんな人じゃあない!」
香奈は背後に現れた『ゼロ』の方に叫んだ。
「じゃあ、君はあの男の事も、“組織”の事も何も知らないんだ。これは良い。君は、“組織”から
してみれば、格好の利用材料じゃあないか!」
『ゼロ』の高笑いが、彼自身の体内に響き渡った。
「君も、僕と同じだよ! 僕と同じなんだ! さんざん『力』を引き出され、危険だと思われたら
即刻始末される! そんな存在なんだ!」
『ゼロ』の声が、彼自身の体内に、力強く、大きく響き渡る。その言葉を聞いただけでも彼の
言う事に圧倒されてしまいそうなほどの衝撃が走る。
香奈は思った。
『ゼロ』の言う事は本当なのだろうか。本当に、太一はあたし達を利用しているだけなのだろ
うか。あたし達はやっぱり、太一や、彼の言う“組織”という存在に『力』を引き出され、利用され
続けているだけなのだろうか。
だとしたら、『ゼロ』の言う言葉にも一理があるのかもしれない。
しかし、だからと言ってこのまま彼の肉の塊に呑み込まれてしまうのも、嫌だった。
たとえこの世界に、まだ自分の居場所を見出していなかったとしても―。
「離してぇッ!」
香奈は叫び、満身の力を込めるかのようにして、己の体内にある『力』を爆裂させた。
彼女を中心にして、衝撃波のようなものが球形に膨れ上がる。同時に、彼女自身を掴んでい
た『ゼロ』の形と、彼の肉壁が吹き飛ぶ。
香奈を中心にして出来上がった、球形の衝撃の跡、その中心にはただ一人、香奈がいた。
彼女は息を切らし、自分がこの破壊を行った事さえも理解できずにいた。
だが、はっとして彼女は太一を探す。もしや、今の爆発に巻き込んでしまっていないだろう
か。
そんな彼女が、太一の姿を捜す間も無かった。
再び、『ゼロ』の姿が彼女の背後から飛び出して来て、背後から香奈の体に抱きかかってく
る。
「ほーら、やっぱり君、僕に近付いてきたよ…」
再び現れた『ゼロ』に香奈は狼狽しつつも叫ぶ。
彼女の脚は、すでに足下の『ゼロ』の肉塊の中へと沈み込もうとしていた。
「な、何を…!」
「君の『力』があるだけでも、僕は素晴らしい『力』を手に入れることができるんだ。そうすれば、
このくだらない世界を終わらせる事ができる。
僕自身も、くだらない“組織”も何もかも全て…、ね…。さあ行こうよ…。ともに歩んで行こう
…」
だがそんなささやきがあっても、香奈は『ゼロ』を振りほどこうとした。
しかし彼の掴んでいる力も相当なものだ。さらに香奈自身の『力』も今の爆発でかなり衰えて
しまい、もはや『ゼロ』の力を振りほどくほどの『力』を発揮することもできない。
だが、そんな背後から抱きかかってきている『ゼロ』の力が急速に衰えるのを感じ、香奈は彼
の体を振りほどいた。
『ゼロ』の体は、上半身だけ切断され、力なく、地面へと投げ出された。
「全てはあなたの勝手で動いているだけでしょう…? あなたにこの世界を滅ぼす権利なんて
ありません…!」
香奈の背後に立っていたのは舞だった。彼女は刀を持ち、全身は『ゼロ』の肉片の断片がつ
いていて水に濡れたような姿だ。彼女も、香奈達と同じように『ゼロ』の肉塊の中に引きずり込
まれたに違いない。
だが、香奈の目の前に再び彼女は現れていた。
「あ、あなたは…! 無事でしたか…!」
と、香奈は言ったが、
「ええ、あなた達のお仲間2人も無事ですよ…! それよりも、早く『ゼロ』の体内から脱出しな
ければなりません…! 彼にわたし達の『力』を全て吸収されたりしたら、もしかしたら、とてつ
もない『力』を発揮されるかもしれないんですから…!」
たとえ『ゼロ』の体内にいたとしても、舞の口調はいたって冷静だった。
仲間2人が無事、という事は隆文と絵倫も無事だという事か。それが分かった香奈は急いで
舞と共に行動しようとしていた。
また、『ゼロ』は己の姿を自分の体内に作り出し、姿を現すだろう。
「い、急ぎましょう…!」
香奈は舞に続いて、自分が破壊した『ゼロ』の部分から脱出した。その破壊の外では、隆文
と絵倫が、半分『ゼロ』の中に吸収されかかっていた太一を引きずり出している真っ最中だっ
た。
「香奈! 無事だった?」
絵倫が香奈を気遣い、尋ねて来る。
「え、ええ…、何とか…、でも、もうかなり『力』を吸収されてしまったから…」
と言い、疲労の色はとても隠せない。
「おい、太一! しっかりしろ!」
隆文はそう叫んで、『ゼロ』の肉塊の中から太一を引っ張り出した。しかし、そんな太一を再
び肉の塊が変形した『ゼロ』が掴み掛かる。
「逃がさない…、僕の中からは逃がさない…、誰一人として…」
だが隆文は機関銃を抜き放ち、それを『ゼロ』の方へ向けて乱射した。弾丸は次々と、ゼリー
のような形状の彼を撃ちぬいた。
「し、しつこいぜ…、さっきから、何度も何度も…」
隆文は肩で息をしながら吐き捨てる。
「だけれども、早く脱出しないと行けないわ…。わたし達が彼の体内にいる限り、『力』を吸収さ
れ続けているのに変わりは無いんだから…。
ほら、目覚めなさい! 太一!」
絵倫が太一の頬を打ち、彼を目覚めさせようとした。しかし彼はそんな彼女の手を払いのけ
ると、自分の力で立ち上がった。
「心配するな。大丈夫だ。それよりも、早くここを脱出した方がいい…」
と、皆に言うのだった。
地響きのようなものは続いていた。それは、『ゼロ』がどんどん膨張して行く事による衝撃な
のだろうか。紫色の肉の塊に覆われた『ゼロ』の肉体の内壁は、複雑に入り組んでおり、どこ
をどう行けば脱出できるかも分からない。
「話は途中からですが、聞かせて頂きましたよ」
と、『ゼロ』の体内を走りながら、舞が香奈に言った。
「え…?」
舞は走り続けながら言葉を続ける。
「確かに、『ゼロ』の言った事は全て事実でしょう…、しかし、それを理由に彼と同化する必要な
んてありませんよ…、彼に騙されては駄目です。確かに、彼は被害者かもしれませんが…」
「分かっています」
香奈は一言だけ答えると、
「『ゼロ』は被害者です。そう考えたら、あたし達全員も被害者かもしれません。
ですが、今は被害者だからどうとか、復讐しなければならないとか、そう言った事を言ってい
る場合ではないんです。復讐したいから、例えば、『ゼロ』のいう“組織”という存在に利用され
たから、この世界を滅ぼしてでも復讐したいって言うのは、やはり間違いなんですよ。
いえ、間違いだからどうという事でもありませんね。『ゼロ』がこの世界を滅ぼすというのなら、
同じ存在であるあたし達にはそれを止める義務があるんです。ここまでできるのも、あたし達だ
けですしね…」
そう香奈が言い切ったとき、隆文は、激しく息を切らせながら立ち止まった。
「お、おい…、この『ゼロ』の中は、複雑な迷路みたいな場所だぜ…。脱出なんて…、できない
んじゃあねえか…? もう、俺達は、どこにどうやって来ているのかも分かりはしないぜ…」
「このまま…、『ゼロ』の中に吸収されてしまうって言うの…?」
絵倫も息を切らせ、肩で息をしている。ほとんど、隆文にもたれかかっているような状態だっ
た。彼女は舞によって『力』を封じられていたから無理も無かった。
「こうして…、走ってきた間にも、私達はずっと『ゼロ』の体内にいる…、つまり『力』をどんどん
吸収されているという事でしょう…、だから…、」
あの舞ですら、『ゼロ』の体内にいてはなす術が無いと言った様子だった。しかし彼女はまだ
あきらめていない様子で、
「我が国の軍が、もう間もなく、この『ゼロ』を射程圏内に収めるはず。この彼が、地上に姿を見
せれば、一斉攻撃を浴びせるでしょう。これだけ巨大化しているんです…、地上にも姿を現す
はず…」
つまりそれは、『ゼロ』の体内にいる自分達をも巻き添えにした攻撃である。という事について
は誰も異を唱えなかった。だが太一は、
「あんた達が、ずっと頼りにしているその作戦…、成功する保障がどこにある?」
と、皆同様に息を切らせ、疲労困憊している太一が言った。
「だが太一、今は、その作戦に賭けるしかないんだぜ…」
隆文が彼に言ったが、
「悪いが、俺は賭けと自爆作戦は嫌いだ…」
そのように太一がきっぱりと言った時だった。
「どうやら、お困りのようだねえ」
『ゼロ』の体内に、再び彼自身の声が響き渡る。皆が警戒心を強めるのよりも早く、5人の目
の前にあった壁に、『ゼロ』の姿が形となってあらわれた。
その形は、肉の壁に一体化したまま、目を見開き、口を動かし始める。
「さっきから分かっているんだけれどもね…。どうも地上の離れた所では、愚かな者達が、僕を
破壊しようとしているらしいんだ。巨大な砲台が僕の方に向けられている事を、僕は気付いて
いる…。
さすがの僕でも、生命体である事に代わりはないから、あれだけの攻撃を受けるとまずいん
だよ…」
どうやら、『ユリウス帝国軍』の総攻撃に関しても、『ゼロ』はすでにお見通しのようだった。
「珍しく弱気な発言ね…」
だが絵倫は強がってそう答えた。
『ゼロ』はかまわず言葉を続けた。彼自身は、全くその表情を変えることが無かった。むしろ
どこか優越しているかのようでもある。
「でも、手はあるんだ。このままのろのろと君達を吸収していっても、多分外の奴らの攻撃の前
までに、僕は彼らの所まで攻撃するだけの『力』を得られない。
でも、1人だけでも僕と同化してくれれば、僕はより完全な存在になって、彼らの攻撃前に、
外の奴らを全滅させる事もできるんだ」
5人は、『ゼロ』が一体何を言ってきたいのか、すぐには分からなかった。この期に及んでよう
やくその意思を見せた『ゼロ』が、一体何を考えているかなど、想像することすらできないだろ
う。
だから、彼の提案を、『ゼロ』自身の口から聞いた時、5人は心底驚かされた。
「そこの女の人」
『ゼロ』は、香奈の方を向いた。『ゼロ』の視線に射抜かれた彼女は、驚きに眼を見開いた。
「あ、あたし…?」
「君と僕が同化するだけでも、素晴らしい『力』を僕は得る事ができるんだ。何しろ、君は他の
被験者とは違うんだからね…。君は、僕と同じ、特別な存在なんだ」
「香奈が…?」
皆が一斉に香奈の方を振り向く。
「そ、そんな…、あたし!」
『ゼロ』に言われた方の香奈は、何が何だか分からない様子だった。
「自分でも気がつかないだろう…? だけれども僕には分かるんだ。君が特別な『力』を持って
いる、他の連中とは違うという事を。多分、君が持っている『力』の潜在量は、僕同様に、すさま
じいものなんだ…。そこで!
そこで僕は、君達に一つの提案をする! 僕自身にとっても、君達にとっても、有益になる提
案だよ」
「何だ? 言ってみろ」
と、太一が尋ねると、『ゼロ』は彼にだけは憮然とし、軽蔑の眼差しを送った。
「簡単さ。僕は2人、この中に残ってもらう代わりに、残りの3人を脱出させる事を約束する」
「2人、残る…、だとォ…」
と、隆文。
「そうだよ。僕には2人残ってもらうだけで十分なんだ。それは、“組織”の子飼いであるそこの
男と、そこの女の人。その2人だけでいい。後は脱出させよう…」
『ゼロ』が指定したのは、太一と香奈の2人の事だった。
「な、何を…! そんな事をしたって!」
と、舞は『ゼロ』に向って言うのだったが、
「いや、その提案、受け入れよう。俺と香奈がお前の体内に残る」
太一は、即座に決断してしまった。
「た、太一?」
香奈は驚いて彼の顔を見たが、太一は彼女の方を向いてはくれなかった。
「馬鹿な…、総攻撃を仕掛けられたら、この中にいたって、まして外に出ていたとしたら、助か
る見込みは無いんですよ!」
舞が、太一の言っていることなど、無謀過ぎると言うように、皆を制止しようとした。
だが、彼女にこっそりと太一が言った。
「最速のヘリなら、10分もしない内に、高威力原子砲の安全圏に脱出できる…」
「な…、何を言っているんです…?」
舞は太一に聞き返そうとするが、彼は『ゼロ』の方を振り返っていた。
「つまり、俺と、香奈が貴様に吸収される代わりに、後の仲間は脱出させると、そう言いたいの
か?」
すると、肉壁と体の一体化したまま、『ゼロ』は言ってくる。
「そう、その通りだよ。そこの女の人が僕と一緒になれば、僕は更に新しい『力』を手に入れら
れるだろう。まあ、あとの人達に関しては、今は欲張っている場合じゃあないからね…」
「俺も一緒に取り込む理由は?」
太一が再び尋ねる。
「最も、単純な動機だよ。復讐。それだけさ。あと、君が、これ以上、僕らを生み出すような愚行
をしないためのね…」
『ゼロ』はじっと太一を見つめて言った。彼の背後では、香奈が自分の運命を悟っているかの
ように、その同様と恐怖を隠せないでいた。
これから、『ゼロ』に吸収される。吸収されるというのは、どのような感覚なのだろうか。自分
の意識は残るのだろうか。
しかしそれも、高威力原子砲に消されるほんのわずかな時間だけなのか。
そんな香奈の思考の中に、隆文の声が割り入った。
「俺達を騙さないって言う保障はあるのか!?」
だが『ゼロ』は、余裕のある声で答えた。
「悪いけれども、それは無いね。だけれども、迷っている暇も無いんじゃあないのかな? 僕の
中から脱出できなければ、君達も、僕と一緒に消される運命なんだろう?」
ほんの数秒の間。誰よりも決断が早かったのは太一だった。
いやむしろ、太一が一人で決断してしまったと言っても良いだろう。
「よし分かった。俺達2人がここに残る。だが、後の3人は、必ず脱出させろ。それが約束だ
…」
驚いた声で、仲間達は太一の方へと叫んだ。
「た、太一!」
「何を言っているんだ?」
隆文と絵倫が、口々に彼へと叫ぶ。しかし太一は、
「もう時間が無い。俺達に選択の余地も無い。そして安心しろ。俺にも考えがある」
「あっはっは。どうやら決まったようだねえ…」
『ゼロ』は笑い声と共にそう言った。太一はそんな彼を睨むように見つめ、
「だが、お前には約束を守ってもらう。それを破り、脱出する3人を少しでも妨害するというのな
らば、貴様も我々のして来た事を非難する事はできないぞ…」
「ああ、もちろんだ…、もちろんだともよ…」
答える『ゼロ』の口調や表情には、念願のものを叶える事ができる。その一歩手前の人間の
表情が現れていた。
と、突然、『ゼロ』の肉壁の一箇所に穴が現れる。それは太一達のいるチューブ状の場所ほ
どの広さにまで広がり、現れた横道は延々とどこかへ通じているようだった。
「その道を行けばいいよ。言っておくけれども、僕が指名した2人は、絶対にここに残るんだ
よ。もし、2人が、僕に吸収されなかったら、取り引き成立は無しだ。脱出する3人も僕は吸収
させてもらう」
そう『ゼロ』が言っても、隆文、絵倫、舞の3人はそこに現れた道を行く事にためらいを見せ
た。
「結局…、罠かもしれないわよ…」
絵倫が言った。
「だが、奴の体内から脱出するにはこれしかない…。俺達に選択肢は無いんだ…。もう、高威
力原子砲って奴は発射されるんだろう?」
隆文が舞に尋ねる。
「え、ええ…。もう艦隊は、射程距離内に入っているはずです。まだ発射されていないのは、お
そらく『ゼロ』が地上に姿を出していないからでしょう…」
「こいつは、自分に、その兵器が向けられている事を知っているのよ? そして、香奈と太一を
…、香奈の『力』を欲しているみたいだけれども、その香奈の『力』を吸収できたら、自分は、艦
隊をこの距離から攻撃できると言っていた…」
絵倫が言う。
「つまり、俺達が脱出できる代わりに、艦隊を攻撃でき、作戦を無駄にしちまう『力』を『ゼロ』に
与えるって事になるのか…! 駄目だ! そんな事、お前達2人をここに残す事なんてできな
いぜ…!」
隆文は、太一と香奈の姿を見つめて叫ぶ。
「ですが、『ゼロ』が地下にいる状態では、いずれにしろ、艦隊は十分な攻撃ができないと判断
し、攻撃を仕掛けて来ないでしょう…」
と、舞。
「だが、『ゼロ』に太一と香奈を差し出すって事は、人道的な事を抜きにしてもできないぜ…!
もしかしたら、とんでもない『力』を『ゼロ』に与えちまう事になるかもしれないんだからな!」
脱出口を目の前にしても、隆文達はそこに飛び込めないでいた。
だが、
「いや、行け。俺に考えがある」
隆文に向って放たれた太一の言葉。彼は、一歩、隆文の方へと足を踏み出すと、耳打ちする
かのように言った。
「C-110889だ。いいな? C-110889だぞ…。必ず間に合う!」
『ゼロ』に聞こえないように言ったつもりだったのだろうか。
「た、太一…?」
「何をしているんだい? 早くしてくれないと僕としても困るんだ。もう少しして出て行かなかった
ら、僕は5人共々吸収させてもらうよ」
『ゼロ』が急き立てる。
太一の言葉に隆文はまだ少し戸惑っていた。だがやがて彼も意を決したように、
「分かったぜ太一。お前の事を忘れないからな」
と言った。そして彼は、未だに正体が霧のようにしか見えない。だが、信頼する事のできる男
の後姿を見つめながら、横穴へと飛び込んだ。
「香奈…、こんな役をさせて悪いし…、こんな事を言っても、何の慰めにもならないかもしれない
けれども…」
絵倫が香奈に、心配そうな目を向けていた。彼女も舞も、隆文に次いでこの場所を脱出しな
ければならなかったのだが。
「いいの…、何の言葉もいらないの…。行って」
香奈は、絵倫の方を見ることもできなかった。
「さあ、行きましょう…。一刻も早く、この場所を脱出しないと…」
舞に言われ、絵倫も横穴へと入り込んだ。彼女は最後まで、香奈をこの場所に残して行きた
くないという気持ちが強かったのだろう。
香奈は絵倫の視線をかなり長い時間、背中に感じていた。
やがて3人が横穴に入ってしまい、体内に現れた『ゼロ』の前にいるのは、太一と香奈だけに
なった。
「さあて、約束どおり、君達を吸収させてもらうよ」
『ゼロ』の声が体内に響き渡った。
太一と香奈の体が、『ゼロ』の内壁に沈み始める。
もう、香奈には自分を吸収しようとする力に、抵抗するだけの力が残されていなかった。
『ゼロ』の肉壁は彼女の体から、凄まじい勢いで『力』を吸収しようとしていた。
《青戸市》
12月4日 6:02 A.M.
登と沙恵は、身を隠していた場所から脱出し、凄まじいまでの『力』を感じている場所へと走っ
ていた。
だが、2人とも相当の負傷をしていた。それを沙恵が『力』による応急処置で治療してはいた
ものの、完全なものとは言えず、走る事ですら、重傷を負っていた2人にとっては、無理のある
行動だった。
だが、この『力』を感じて、その場所に向わないわけにはいかない。治療中の傷が悪化する
のを覚悟で、2人は瓦礫の街を走っていた。
夜は明けており、暗闇に覆われていた視界は開けていた。
だが、断続的な地震が続いている。瓦礫の街は、1時間ほど前から続く地震によって、次々
と建物が倒壊し出していた。
先程までは、弱い震度の揺れだった。だが、今となっては、走るのが困難なほど強い揺れに
見舞われていた。
ふらつく足と怪我のせいもあって、沙恵は地面に足を取られて、その場でつまずく。
それを登がかばった。
「大丈夫か…、や、やっぱり走るのは無理だ…」
登はそう気遣ってくるが、
「それはお互い様でしょ。でも、こんな『力』を感じておきながら、何も動かないでいることなんて
できないよ! この凄まじい『力』。今の弱っているあたし達でもはっきりと感じる事ができるん
だから!
皆が、『ゼロ』と戦っている事は間違いない! でも、こんな『力』の前じゃあ、皆、何も出来な
い!」
そう言って沙恵は西の方向を見つめた。その西の空は紫色の光が輝いている。朝焼けにし
ては方角が違っていたし、その光の輝きはあまりに不気味だった。
「みんな、一体、どうなってしまっているんだ…? 『ゼロ』は…? それに、もうそろそろ、あの
国防長官の言っていたように、『ユリウス帝国軍』の艦隊が、『ゼロ』を完全に破壊してくれるの
か…?」
そう登が言ったとき、沙恵は、彼の背後の上空を見て叫んでいた。
「見て! 向こうの空! 何か近付いてくるよ!」
沙恵の言葉に思わず警戒心を強め、登は背後を振り返った。
『タレス公国』『ゼロ』対策本部
そのほぼ同時刻、『タレス公国』において、『ゼロ』の動向をリアルタイムで見つめている対策
本部にも、《青戸市》における異常性は伝わっていた。
「大統領! 『ゼロ』の現在の状態は、いまだかつてあり得ない程に危険な状態です」
一人の分析官の声が対策本部に響き渡る。その声は、対策本部指令室に届けられ、《青戸
市》、『ゼロ』、作戦の動向を全てモニターした画面を前にする者達へと届けられた。
そこには、『タレス公国』大統領、ベンジャミン・ドレイク、『NK』防衛庁長官、原 隆作、更に
は衛星でのリアルタイム通信を介し、『ユリウス帝国』の『皇帝』ロベルト・フォードや、その軍の
将校達も見守っている。
『ゼロ』に関するリアルタイムの情報を共有しているのは、『タレス公国』と『ユリウス帝国』以
外にも、同盟の数カ国がその場に衛星通信を介している。
だが、『ユリウス帝国』がこの場所にいるのは、“最終攻撃”を行なう軍は、他ならぬ『ユリウス
帝国軍』だからだ。
『ゼロ』を世界に逃し、そして恐怖を与えてしまった『ユリウス帝国』自らが、『ゼロ』に決着を
着けるのだった。
「“最終攻撃”は行なえる状態にあるか?」
ドレイク大統領の首席補佐官が、オペレーターに尋ねた。
「『ゼロ』が地上に姿を現し次第、即座に攻撃が行なわれます…。《青戸市》の大半は跡形も無
くなるでしょう」
「放射性物質の危険性はあるか?」
「現在の風向きの状況ですと、大半が海へと運ばれます。艦隊は即時退避すれば問題はあり
ません」
「ハラ長官…」
ドレイク大統領が、原長官の顔を見つめて尋ねた。
「分かっています…、もはや『SVO』の8人の安否は不明です。『ユリウス帝国』の浅香国防長
官も同様でしょう…。
ですが、今は彼らの感傷に浸っている暇はありません…。どうせ、私の一言で攻撃を止める
事ができるわけでもありませんしね…」
原長官は静かにそう言った。
「そうか…、分かった…」
「ドレイク大統領!」
『ユリウス帝国』からの音声が届いた。それは、『ユリウス帝国』の国防長官代理の男だっ
た。浅香国防長官に比べれば相当に老けた男だ。
「只今、『リヴァイアサン』から、『ゼロ』の反応が地上へと出たとの情報が入りました。艦隊は現
在、『ゼロ』を射程内に収めています。我々はこれより“最終攻撃”を…」
「分かっている…。即座に『ゼロ』を攻撃してくれ…」
ドレイク大統領は、もはや何も考えないという様子でそう言った。
「『皇帝』陛下…?」
国防長官代理が、この作戦の全ての意思決定を行なう、ロベルト・フォード皇帝の方を振り向
き、尋ねた。
「攻撃を許可する。『ゼロ』を完全にこの世から抹消しろ」
フォード皇帝の冷たい声が響き、“最終攻撃”の攻撃命令は下された。
その数秒後、『タレス公国』の、『ユリウス帝国』艦隊の姿を投射したレーダーには、“高威力
原子線”と名づけられたラインがはっきりと映り、そのラインは真っ直ぐに、《青戸市》を目指し
ていった。
《青戸市》《池下地区》
一博は浩に体を抱えられ、太一達が潜入していった、隔離施設の敷地を望める高台にまで
やって来ていた。
「な、何だ…、これは? ここら辺一帯の地面が、全部紫色に変色しているじゃあないか!」
一博が叫ぶ。彼は、断続的に続く地震によって転び、崖から転落しないように、浩が必死に
抱えていた。
「あんまり騒ぐんじゃあねえ井原。オレだって分かっているんだからよォ」
浩が必死になっている一博を抑え込もうとした。彼は今にもこの場から、仲間達の元へと飛
び出して行こうとしていたからだ。
「オレ達が行った所で、何にもならねえ。そのくらいの事はお前にだって分かってんだろうが!
それに、もう、あの国防長官が言っていた、“最終攻撃”って奴の時間だぜ。むざむざ、死に
に行く事もねえだろう…! どうなっちまったか分からない先輩達には気の毒だが…」
浩はそう言い、一博とこの場を離れたい素振りを見せた。
「その攻撃は、例えおれ達がこの場を離れても助からないものじゃあないのか? 《青戸市》の
どこにいたって…」
それは、確かに一博の言う通りだった。
「だ…、だからって、お前、むざむざこんな所に飛び込んでいく事だってねえだろうが!」
と浩が、再び何か行動しようとする一博を制止した。
2人のいる崖の上、と言っても、倒壊し、横倒しになったビルの側面だったが、そこからすぐ
真下の、異様に綺麗に整えられた芝生の上は、今では紫色の大地と化している。
おそらく、研究施設の為に整えられた敷地なのだろう。整えられた芝生の下には、隔離施設
があるという事だろうか。
この紫色の光は、たった今、『ゼロ』がこの真下の空間で活動している事に他ならない。
目で見ずとも、一博と浩の2人は、肌ではっきりと直感していた。この感覚は『ゼロ』の『力』。
そして今や、『ゼロ』は未だかつて無かったが程に『力』を増しているのだと。
広大な芝生の敷地。2キロメートルほど先にまでその敷地は延びている。中心には研究施設
の建物があった。
「先輩達は、どうなってしまったんだろう…?」
一博が自信の無い声で呟いた。
「そ、そりゃあ…、よォ…。この有様だぜ…。多分、無事じゃあ…」
浩がそう言った時だった。彼はまるで血相が返ったかのように、次の瞬間には叫んでいた。
「…、な、何だ…、こりゃあ! み、見ろ! 井原!」
崖の下を望んでいた浩が、何かを見つけたかのように叫ぶのだった。何事かと一博も崖から
身を乗り出す。
今まで隔離施設を覆い隠す為に作られていた芝生。それは先ほどまで紫色の光を放ってい
た。しかし今、その芝生はただ光を放つだけではなくなっていた。
芝生の地面一体自体が、奇妙な形に蠢いていたのだ。
まるで水面と化してしまったかのように揺らぎ、所々に渦のようなものが現れている。波打ち
さえもしていた。
「こ、これは…、一体、何だ?」
目の前の光景に唖然としたまま一博が言った。
芝生は波打ち、蠢いている。そして、何か音のようなものさえも聞えてきていた。その音は、
先ほどから断続的に続いている地震の音でもない。
更に低く、更に地の底から這い上がってくるかのような音だった。
「何か…、登ってくるぜ…」
音は接近していた。それに合わせ、蠢いている地面も、さながら液状の生き物であるかのよ
うに動き出していた。
浩達の近くの芝生が、突如として盛り上がった。何かが地面を下から突き破ってきたのかと
錯覚しそうにもなるが、そうではなかった。
芝生、それ自体が、粘液質に変化させられ、それが大きく盛り上がったのだ。
「な、な、何だーッ!」
一博と、浩の前で盛り上がったその粘液質の何か、は、もはや芝生の地面などではなかっ
た。紫色に変色し、何かの肉の塊であるかのような何かだった。
よく見れば、その盛り上がったものの頂点部には穴が開いている。その穴から、地の底から
湧き上ってくるような音が響き渡った。
あまりに低く、あまりに深い音だった。目の前に現れた肉の塊のようなものが何なのかも分
からないまま、その音に圧倒され、一博と浩は耳を塞いだ。
「な、な、何なんだ! これはよーッ!」
2人がいる崖よりもさらに高い位置にまで上りあがった肉の塊は、今度は2人目掛けて倒れ
こんでくる。
「危ないッ! 避けろッ!」
一博が叫ぶ。彼は、浩と共に倒れこむかのように覆いかぶさり、倒れ掛かってくる肉の塊を
避けた。
膨大な質量が、2人のいる、倒壊したビルにのしかかり、その上を激しく揺さぶる。
「な、何なんだ。これはッ!」
まるで2人を求めてでもいるかのように迫る、紫色の肉塊。浩は半ばパニック状態となり、叫
んでいる。
「『ゼロ』だ…、奴の『力』を感じる…。これは、『ゼロ』だ…」
迫り来る紫色の肉塊を見つめ、一博が呟く。
「何…、だと…? これが、『ゼロ』だって…?」
自分達の目の前に迫って来る肉の塊の色は、以前、『ゼロ』がその身に纏っていた、紫色の
光によく似ていた。所々に蠢くような歪みが生じ、どこからか、低い唸り声のようなものが上が
っている。
「このれだけじゃあない…! 見てみろ…、研究施設の一帯を…!」
一博は、肉の塊から距離を取り、浩に言った。
「うええ! な、何だ、こりゃあ!」
浩が目をやった方向。その研究施設の敷地があるはずの場所は、前面紫色に変色し、さな
がら肉の海とでも形容する状態になっていた。
肉の塊が蠢き、ところどころに渦のようなものを作っている。
そして、まるで人の苦しんでいるかのような、唸り声さえもが聞えてきていた。
「な、何なんだこりゃあ…! これ全部、その紫色の肉の塊みたいなものか? た、確かに感じ
るぜ。オレにもはっきりと分かる! これが全部『ゼロ』だって事が良く分かるぜ…、だ、だがよ
ォ!」
浩は叫びつつ、一博の体をかき抱えた。
「な、何を…!」
「こうなっちゃあ、オレ達がどうあがいたって、どうしようもないぜ…。『ゼロ』はこの有様だ…!
どうせ、オレ達が敵うような相手じゃあない。次元そのものが、変わっちまったみたいだぜ…」
しかし一博は、
「おそらく、先輩達は、この肉の塊の中に呑み込まれてしまったんだ! そして、多分、脱出で
きないでいる!」
「だから、それがどうしたってんだ。どうせ、オレ達は助からないんだぜ…、助からない…、」
そこまで浩が言いかけた時、彼は、何かの気配を感じ取り、上空を見上げた。
「ど、どうしたんだ?」
一博が尋ねる。
「ヘリだ…」
初めは浩は小さく呟いた。
「ヘリが近付いてきている! いや、もうすぐ側だ! こんな肉の塊が現れたから、動揺してい
て気がつかなかったけれどもよォ!」
すると、《青戸市》内の建物の向こう側から、一機のヘリが現れる。そのヘリは『帝国軍』のも
のだった。
縄はしごを下ろしており、どうやら一行を救出しにやって来たようである。
「おおい! こっちだ!」
浩は大手振りを振って、ヘリに自分達の居場所を知らせようとする。
「気をつけろッ! 肉の塊が襲ってくるッ!」
一博は浩に注意を呼びかけた。肉の塊は彼の体を捕えようと、まるで手を伸ばすかのごとく
飛び掛っていこうとしている。
浩は肉の塊の飛び掛りを避けると、毒づいた。
「ちッ…、『ゼロ』め…、何が何でも、オレ達をこの地から逃がさないつもりかよォ…」
ヘリはどんどん2人のいる場所に接近してきていた。
「だがな、オレ達はてめーと、この場所で心中なんて、冗談じゃあねえからな…、おい井原、お
前から行けよ、怪我、しているんだからな…」
「だが、先輩達は…?」
一博はためらった。
「先輩達の事は忘れろって言ってもできねえか…? だが、このままじゃあ、オレ達だってこの
場所で死ぬんだぜ…、そんなの、先輩達だって、望んじゃあいねえ」
ヘリが接近し、縄梯子を一博達の元に下ろしてきた。どうやら“最終攻撃”を前に、一行をこ
の地から救出しようと言う事らしい。
元は『SVO』は犠牲になる役だったのに、一体、誰が便宜を図ったのだろう。
「行くしか、ないんだよな…」
下ろされてきたヘリの縄梯子を掴みつつも、一博が言った。
「ああ…、それしかないんだからよ…、このままじゃあ、オレ達はここで犬死することになるんだ
…」
「分かっている…」
一博は縄梯子を掴み、腕に絡ませた。続いて浩も、一博とは少し下の部分の梯子を掴む。
2人が梯子を掴んだ事を確認すると、ヘリはゆっくりと上昇を開始した。
倒壊し、横倒しになった高層ビル。その上に『ゼロ』の肉の塊の一部を残し、ヘリは離れてい
った。
「凄げえぜ…、こりゃあ…」
上空に上がったヘリはゆっくりと二人を運んで行く。浩は研究施設の敷地を望み、一言感嘆
を漏らした。
「ああ…、凄い…。これは…」
研究施設の敷地は、《青戸市》の郊外に、およそ5キロ四方にまで広がっていた。今、その敷
地全てが紫色に変色し、まるで不気味な色を放つ海であるかのように、大地が蠢いている。
紫色に発光しているその大地は、明けていく朝日の中であまりにも不気味に輝いていた。
「これが、全部『ゼロ』だってのか? これが、全部奴だってのか?」
浩が驚きのままに言った。
「信じられないが…、そうなんだろう…、この一帯全てから奴の『力』を感じる…。
あいつは、どんどん『力』を吸収するあまり、とてつもない『力』を持ってしまった。それが肉体
のキャパシティを超えて、どんどん膨らんでいってこうなっているんだろう…」
梯子の上の方から一博が言った。
「このまま、こいつをほったらかしにしておいたら、まだでかくなりやがるかもしれねえ。さっさと
始末しないとな…」
一博が、ヘリの梯子を登り、コックピットまで到着するよりも前に、『帝国軍』のヘリは手近な
ビルへと着陸した。
縄梯子に掴まったままの一博と浩を、コックピットへと乗せるためだ。
「急いで下さい。『ゼロ』の姿が確認され次第、最終攻撃が発令されます。そうなったら、《青戸
市》のほぼ全域が被爆圏となります…」
『帝国軍』の者に案内され、一博達は急いでヘリの中へと乗り込む。その中には、すでに登と
沙恵が待っていた。
「よォ…、無事だったか?」
浩が2人の顔を確認すると、幾分顔色が悪いが登が答えた。
「ああ…、大丈夫さ…。僕らも、さっき救出されてね…」
「安全ベルトを締めてください! すぐ離陸し、《青戸市》を離れます!」
慌しくパイロットが言い、ヘリは離陸した。
「先輩達…、太一、香奈…」
離陸して行くヘリの中で、一博は顔を伏せ、小さく呟いていた。
その頃、『ゼロ』の体内では、隆文、絵倫、舞が、肉の塊の中に作り上げられたトンネルの中
をひた走っていた。
紫色に発光し、不気味に蠢く『ゼロ』の体内では、今、自分達がどこにいるのかも分からず、
ただ道なりに進んで行くしか方法が無い。
いつ、“最終攻撃”が行なわれるのかも分からない。いつ、『ゼロ』が行動に出るかも分からな
い。3人は焦っていた。
「な、なあ…、俺達、脱出できると思うか?」
隆文は最も先頭を走っていたが、自信なさげに、後ろから付いてくる絵倫に言っていた。
「そんな事、分かるわけないでしょう!」
絵倫も内心は焦っているようだった。
「分かりませんね…、『ゼロ』は、“最終攻撃”を我々が行なう事を知っている。その上で私達を
逃がしました…」
走りながら、突然、背後にいる舞が言った。
「どういう事だ?」
肉の塊の中の上り坂をひた走りながら隆文は尋ねた。
「そして、あなた達の仲間の、斉藤 香奈さんを、自分に“吸収”する事ができれば、攻撃をしよ
うとする私達へと、逆に攻撃する事ができると…。その交換材料として、私達は解放されたんで
すから…」
舞の言葉は、隆文にも絵倫にも、よく分かっている事だった。彼らはそれを承知でこの場所
に来ている。
「そう、そうよ…。わたし達、本当なら、香奈が“吸収”されるのを阻止しなきゃあ行けないってい
うのに…」
「おいおい待て。それは、『ゼロ』の単なるハッタリかもしれないんだぜ? 香奈を取り込みたい
って理由はよく分からないけれどもな?」
隆文は足を止めずに絵倫へと答えた。
「ですが、本当だとしたら? “最終攻撃”は失敗に終わり、『ゼロ』は更なる進化を続けるはず
です。今よりもずっと恐ろしい進化を…」
と、舞。彼女は“最終攻撃”の成功の合否を危惧している。彼女だけではない。『SVO』の全
員がそうだった。
「だったら、何であんたはこんな所に一緒に来ているんだ? 『ゼロ』が、香奈たった一人で、そ
んなに変われるものではないと思っているからだろう?」
「ええ…、まあ…。ただ、『ゼロ』が彼女にそこまで関心を抱いている理由も分かりませんけれど
もね…」
だが絵倫は、
「わたしは、結局、わたし達は邪魔者だったんだと思うわ。『ゼロ』にとっては、復讐したい相
手、太一と、最も『力』のある香奈を吸収することで、彼自身の目的は果たせたのかもしれない
…。だから、吸収を阻止しようとするわたし達は余計になったってわけ…」
肉の塊の道は上り坂だった。走って行こうとしているだけ、彼らの息は切れていたが、今では
行く道を妨害しようとする者は誰もいなかった。
「だが、俺は太一を信じる」
隆文は一言発す。
「太一を?」
「ああ…、『ゼロ』がどう言おうと、あいつが過去に何をしていようと、俺達の前で奴は嘘をつか
なかった。しかも、俺が奴と最後に交わした眼だが、あれは本気だった。
みすみす奴は、『ゼロ』の言う通りに香奈と自分を差し出したんじゃあない。何か、作戦があ
るんだ。奴なりの策がな…」
やがて、肉の塊の中のトンネルは平坦な道へと変わった。
「こんな『ゼロ』の肉の塊の中から脱出する、策ですか…」
隆文は急に足を止め、面食らっていた。まさかとは彼も思っていたが、行き止まりに突き当た
っていたのである。
紫色に変色した肉の壁が目の前に立ち塞がり、完全に隙間も無かった。
「ば…、そんな馬鹿な…。分かれ道は…、無かったよな…?」
隆文が絵倫と舞に尋ねる。
「ええ…、無かったわよ…、どこにも、全くね…」
「私達は、まんまと騙されたと…」
舞がそう言いかけた時、彼らの頭上の肉の塊が、口を開けるかのように開いた。そこから、
淡い光が差し込んでくる。
頭上に現れた光景に、隆文は思わず言葉を漏らした。
「おお…、やった…、ち、地上だ…」
絵倫はふっとため息を付く。いつもながらの落ち着きを払っていたが、その喜びは少し表情
に現れていた。
「と、ともかく…、早くこの地から脱出しないといけません…。生きて帰るのでしたら、“最終攻
撃”が行なわれる前よりも、《青戸市》から脱出しなくては…」
そう舞は、早くも安心しようとしていた2人を急き立てるのだった。
香奈は太一と共に、再び『ゼロ』の肉の塊の中へと取り込まれようとしていた。
足の方からどんどん、まるで底なし沼の中に沈みこむかのように、2人の肉体は『ゼロ』の中
へと落ち込んで行こうとしている。
「フン…、僕が命を賭けた約束を破ろうとでも思っていたのかい…。まあいいさ。彼らなんて、僕
はもうどうだっていいんだからね…。まあ、同じ実験を受けた、被害者としては、慈悲を見せて
あげたつもりさ…」
いずこかの方を見つめ、『ゼロ』の体内にいる、彼の元の姿を模した男は呟いていた。
「それは…、俺達の仲間が、お前の中から脱出できた…、そう言う事か?」
すでに上半身の深くまで『ゼロ』の体内に沈んで行っている太一が、彼に尋ねるのだった。隣
では、香奈も同じように『ゼロ』へと取り込まれていこうとしている。
「た、太一…、どうして…」
香奈はまだ、太一がなぜ、太一自身と自分を犠牲にしようとしたのか、理解できないでいた。
「僕は嘘をつかないよ。君のようにさ? 最期の最期まで、仲間を利用しようとしている連中と
は違う…。せいぜい僕の一部となる事で、罪の償いをするんだね…」
太一の方をちらりとだけ振り向いて『ゼロ』はそう言うと、再び視線をどこかへとやった。肉の
塊の中では外の光景などまるで見えないはずなのに、彼はあたかもそれが見えているかのよ
うに喋りだす。
「愚かな人間達が、僕へと、危険な兵器を向けているよ…、また3次大戦のような、馬鹿な道を
歩もうとでもしているのかな…?
僕にとっては、こんな兵器、どうとでもできるけれどもね…?」
『ゼロ』がそう話している間にも、太一と香奈の体はどんどん沈んで行く。更に、『力』も、『ゼ
ロ』の肉壁自身から吸収されていこうとしていた。
全身から急激に吸い取られて行く『力』を香奈は感じていた。自分自身の意識というものさ
え、次々にバラバラになっていく感覚だった。
『ゼロ』に『力』のみならず、命さえもが吸い取られて行こうとしている。
もう、自分は助からないのだろうか。このまま、この肉の塊に一体化されていってしまうのだ
ろうか。
だが、太一もすぐ近くにいるという事は分かっていた。香奈の恐怖も、仲間と、いや、もはや
それ以上の者と一緒ならば、幾分かは和らいでいた。
そんな彼の声が香奈に聞えて来る。
「香奈…、おい…、香奈、聞えるか…?」
すぐ側から聞えて来る声だった。今の香奈は、全身肉の塊に包まれていっており、まるで体
の全てが溶け出して行きそうな感覚だというのに。今更何だと言うのだろう。
彼も同じに違いないのだ。
「…、あたし…、もう…、駄目…」
香奈が出すことができたのは、もはやかすれてしまい、虫のような声だった。
「香奈、いいか? よく聞いていろ…」
太一も同じように『力』を奪い取られていっているはずだ。それなのに、まだ香奈にもはっきり
と聞える声を発する事ができるようである。
「…、君は、『SVO』の中でも、『ゼロ』に次ぐ程の『力』を持っている…。それを俺は知っている
…。しかも、奴よりもその『力』をコントロールする事ができるはずだ…。
それを使って、この体内から脱出しろ…」
香奈には、太一の言ってきた事を、上手く処理する思考が働くのに時間が掛かった。
だが、彼が言いたい事が大体理解できるようになると…、
「そ…、そんな事、言われたって…、急には…」
何とか、彼に聞えるようにと、必死に声を絞り出し、そう言うのだった。
「いいや…、やるんだ…。君ならできる…。さもなくば、こんな奴の体内に取り込まれて、逆に利
用されるだけだぞ…」
幾ら太一にそう言われようと、一体どうしたら良いのか分からない。今にも全ての『力』を吸い
尽くされて、朽ちようとしているのに。
「ど、どうやったら良いのか…、あたし…、『力』もどんどん奪われていて…、そんな潜在的な
『力』なんてどこにも残ってなんかいない…!」
だが太一は、
「…、生きたいと思え。こんな所で君は朽ち果てるな…。他者に利用されるのではなく、自分の
人生を、自分の生き方を取り戻したいと思え…!」
はっきりとした太一の声。彼の言うように、香奈はもちろんこんな所で『ゼロ』に吸収され、朽
ち果てるつもりはなかった。
自分の人生も何もかも失って、ここまでやって来た。この任務さえ終われば、彼女も自分の
人生を取り戻すことができるはずだった。
この『ゼロ』の中から、脱出する事さえできれば。
そう思うと、香奈は自分自身の体の中から、ふつふつと何かが沸き起こってくるのを感じてい
た。
体が心なしか熱い。『ゼロ』によって、どんどん吸収されているから? 違った。体の内面か
ら、熱い何かが沸き起こってきているのだ。
ちょうど、今までも香奈が『能力』を使ってきた時に似ていた。
一時的に体が熱くなり、全身の血の巡りが速くなり、筋肉も、新陳代謝も、鞭を打ったかのよ
うに興奮する。
それが今、香奈の中で顕著に起ころうとしていた。
不思議だった。『ゼロ』によって『力』を吸い尽くされ、もはや自分には骨の髄ぐらいしか残って
いなかったと思っていたのに、まだまだ、どこからやって来たのか、『力』が溢れ出してきていた
のだ。
自分の周囲を取り囲み、香奈を、太一を飲み込んで行こうとしているこの肉の塊も、今の香
奈の『力』ならば、押しのける事ができてしまいそうだった。
ここから脱出する。
香奈は、そう決意を固めた。
脱出できなかったとしても、この場所で何もせずに、ただただ『ゼロ』に吸収されていくよりは
ましだった。
何もしないよりは。
香奈は、全てを解放する思いで、自分の『力』を炸裂させた。もはや何も隠す事は無い。た
だ、溢れるままに身を任せ、総ての『力』を自分から解放してやる。
香奈の中から一気に解き放たれた『力』は、強烈な衝撃波となって前後左右上下へと振り撒
かれた。
彼女を取り巻いていた肉の塊も、その衝撃によって一気に手を離す形となり、バラバラに吹
っ飛んで砕け散った。
香奈と太一が取り込まれようとしていた、『ゼロ』の体内の一部が、香奈を中心に、ちょうど球
形になる形で破壊されていた。
これは、自分がやったのか。
起こった爆発を、衝撃波を、自分がやったものとは俄かに信じられず、香奈は身を縮めて球
形に起こった破壊の中に座り込んでいた。
まだまだ、『力』は溢れ出して来そうである。その気になれば、もっと大きな破壊もできるだろ
う。
あれだけ『ゼロ』に『力』を吸収され続けたというのに、この『力』は一体、どこからやって来た
のか。
「よ…、よし、できたな…? その『力』を使ってこの体内から脱出しろ…。できるという事は分
かったな?」
太一のかすれた声が聞えてきた。彼も、今の爆発に巻き込まれたに違いない。しかし彼の体
は『ゼロ』の肉の中から解放され、香奈の側に倒れていた。
「あ…、た…、太一…」
とはいえ、『ゼロ』の肉に覆われていた事自体が、彼へのクッションとなっていたらしく、致命
傷には至っていない。
太一はゆっくりと身を起こしつつ、香奈に言った。
「行け…。多分、君だけならまだ脱出できる時間が残されている…。君だけでもこの中から脱
出しろ…」
今の香奈には、『ゼロ』の体内から脱出すると言う自信は無い。しかし、彼女は自分の中から
溢れてくる、奇妙な『力』を感じていた。息も絶え絶えに『力』を失っていたさっきとは違い、今な
ら脱出する事ができるかもしれない。
だが自分ひとりだけこの場所を脱出するという事は、太一を犠牲にするという事だった。
そんな…。太一を犠牲にするぐらいだったら、脱出なんかしたって…!
香奈は、太一の体を起こし、抱えようとした。
しかし、そんな彼女を阻むかのように、太一の脚を掴む者がいた。
それは『ゼロ』だった。太一の脚をがっしりと掴み、この場所から彼を逃さまい、再び体内へと
引きずり込もうとしている。
上半身だけ、自らの体内から姿を現している『ゼロ』は、その顔を怒りに歪めていた。
「貴様ぁ…、この僕を…、この僕を裏切るつもりだったのか…! 黙って僕に吸収されていれ
ば、苦しむ暇も与えなかったものを…!」
『ゼロ』は力を込め、太一を体内に引きずり込もうとしている。
「は、離して…! 太一を離して…!」
香奈が叫ぶ。香奈の体内から『力』が溢れ出し、それは彼女の腕や肩、脚の筋肉を活性化さ
せ、太一を引っ張る力を強める。
だが『ゼロ』も負けてはいなかった。
「お前達をこの場所から逃しはしない! お前達をこの場所から逃しはしない…!」
もはや、彼の口から漏れてくる言葉には、余裕も、何も感じる事はできない。彼にあるのは憎
悪だけだった。
太一を自分の中に取り込み、香奈の『力』を吸収しようとする憎悪だけしかない。
「決して逃しはしない…!」
今度は香奈の背後に『ゼロ』が出現する。彼はがっしりと香奈の両足にも掴み掛かった。
「離して…! あたし達まで巻き添えにしないで…!」
「いいか…? これは宿命なんだ…! 同じ存在として、一緒になるという宿命が僕らにはある
んだよ…!」
現れ、太一と香奈をそれぞれ掴んでいる『ゼロ』は、まるでシンクロするかのようにそう言っ
た。
「そんな事…! あたし達に押し付けないで…!」
香奈は叫んだ。だがそこへ、
「君だけでも良いから、この中から脱出しろ…! 今ならまだ間に合う!」
太一の声が炸裂した。彼は再び『ゼロ』の中へと引きずり込まれていこうとしていた。
「そんな…、あたし…、そんなことできない…!」
香奈の方には、まだ『ゼロ』を振り払うだけの『力』が残されていた。『ゼロ』を振り払い、この
場を脱出できる『力』。
「いいや、できないじゃあない! やるんだ! 君だけでも生きろ! こんな悲劇の犠牲者には
もうなるな!
仲間達の『力』を辿れ! そうすれば、その『力』は君を正しい道に導く!」
太一は叫んだ。
「逃がすものか…!」
そんな『ゼロ』の声をかき消すかのように、今度は香奈の叫び声が炸裂した。
気が付くと、香奈は『ゼロ』の体内を走っていた。体からは不思議な程『力』が溢れ出してきて
いる。
この『力』はどこから溢れ出してきているのだろう? 自分でもどうやって搾り出しているのか
分からない程の『力』が身体の中から溢れてきていた。
だが、この『力』を使えば、『ゼロ』の体内から脱出できるというのも確かであった。
太一とははぐれてしまい、今、彼がどこにいるのか、どうなってしまったのかもさっぱり分から
ない。
彼の『力』を辿ろうとしても、『SVO』の中で唯一彼とは、『力』で通じ合い、お互いの居場所を
感じる事ができないのだった。
でも、心では彼と通じ合う事ができたかもしれないのに。
もう、香奈に残された道は一つしかなかった。
この『ゼロ』の中から脱出する。
脱出して、生きるのだと。
香奈は、自分の全身から沸き起こってくる、凄まじいまでの『力』を更に活性化させ、自らを奮
い立たせる。
『ゼロ』の肉壁を何なく突き破り、更に、彼女の行く手を阻もうと現れた、新たな肉の柵のよう
なモノをも突き破った。
こんな、今までは押し潰されてしまいそうなほどだった、『ゼロ』の『力』の中にあっても、香奈
の神経はいつの間にか更に研ぎ澄まされ、今ではその進路は仲間達の元へと向けられてい
た。
この『ゼロ』の外へと脱出したと思われる、隆文達の『力』を香奈は感じ、その方向へと疾走し
ていたのだ。
巨大な体内の中に、『ゼロ』の声が響き渡る。
「逃がさないッ! この中からは決してッ!」
更に香奈に追い討ちをかけるかのように、香奈の前方に肉のシャッターが降りた。分厚いシ
ャッターへと飛び込んでいこうとする香奈。
しかし、その肉のシャッターから、『ゼロ』が飛び出してきて、彼女へと飛び掛った。
「凄まじい『力』だよ…! 凄い! 僕には分かっていた! 君が、これほどの『力』を持ってい
るという事をね…!」
香奈の体を押し倒し、『ゼロ』の姿を肉の塊で具現化した男はそう言い放った。
だが香奈は、彼が何と言おうと、何をしようと、もう立ち止まるつもりはなかった。
香奈の叫び声が、『ゼロ』の体内へと再び響き渡り、強烈な衝撃が部分的に広がる。『ゼロ』
の肉片は飛び散り、巨大な風穴を彼の肉体の内部から開かせていた。
自分の起こした爆発と衝撃に戸惑いながらも、香奈は即座に身を起こし、再び走り出す。彼
女の向う先には、既に『ゼロ』からの脱出口が開いていた。
彼の肉体の不気味な紫色に輝く光の色ではない、外の光、日光が穴の先には見えていた。
香奈は疾走する。襲い掛かる『ゼロ』の肉片を振り払い、目の前に見えてきた希望の光へと
駆けていく。
途中、何度も、『ゼロ』は自らの肉の塊を使い、そんな彼女を妨害しようとしていた。
だが今の、トランス状態にも似た香奈、あと僅かの希望へとすがり付こうとする香奈には、そ
んな妨害は通用しなかった。
これは、太一のくれた希望なのだ。彼を助ける事はもはやできない。だから、その希望を無
駄にはしない。
もう、100メートルも無い。50メートルも。
背後で、『ゼロ』の声が聞えて来る。それは、まるで爆発音が炸裂するような衝撃だった。
「逃がさないッ! 逃がさないッ! 決してッ!」
最後には、意味も分からないような叫び声になっていたが、香奈は構わなかった。香奈自身
も叫び声を上げ、『ゼロ』の体の中から脱出しようとする。
目の前に脱出口は広がっていた。その先に、仲間達の『力』を感じる。
最後の一歩。香奈は大きく跳躍し、『ゼロ』の体内から飛び出そうとする。
まばゆいばかりの光が、そんな彼女を包み込んだ。
まぶしい光だった。
まるで、地上の奥深くから脱出したかのような光が、香奈の全身を包み込む。
急激に『力』が抜けてくるのを彼女は感じた。意識さえも薄れかかり、もはや彼女は最後の跳
躍の動きのままに身体を任せるしかなかった。
最後の意識の中、香奈は、自分が何かを掴みそれに腕を絡ませるのを感じていた。
「大丈夫ですかッ!?」
舞は叫んでいた。彼女がいるのは、『帝国軍』のヘリから垂れ下がった、縄はしごだった。自
分達も救出された後、彼女らは、『ゼロ』の体内から脱出してくる者の気配を感じ、急いでその
場所へと向ったのだった。
地上に広がった『ゼロ』の肉の塊は、すでに1平方キロにも及び、その有様はさながら肉の海
だった。紫色に変色した、巨大な軟体の生命体が、隔離施設跡を覆い尽くし、その規模はさら
に広がっていた。
舞や『SVO』のメンバーがヘリで『ゼロ』に接近するのにも、かなり危険が伴っていたが、舞が
無理矢理引き戻したのだ。
高威力原子砲の発射まで、もう残り時間は僅かだろう。だが舞は、『ゼロ』の体内から、まる
で、残されたわずかな希望にすがり、脱出してくる何者かの存在を見逃すわけにはいかなかっ
た。
案の定、『ゼロ』の肉の中から飛び出して来る者の姿はあった。
それは、『SVO』の香奈だった。彼女は、『ゼロ』の肉の塊から飛び出して来た時点で、どうや
ら総ての『力』を使いきってしまったらしい。縄梯子に手をひっかけるのがやっとで、今にもヘリ
から落ちそうだった。
舞は、『ゼロ』の肉の海の中へと再び落ちて行ってしまいそうな香奈に向って手を伸ばそうと
する。しかし香奈は総ての『力』を使い切ってしまっているらしく、意識が無かった。
かろうじて縄梯子に掴まっているだけだ。
自分が行かなければ、香奈は落ちてしまうと判断した舞は、急速度で『ゼロ』から距離を取ろ
うとするヘリから下がる梯子を降り始めた。その時、
「逃がさんッ! 決して逃がさんぞッ!」
突然の轟音。それが、人の言葉の意味を持っていたなど、すぐには分からない程だった。だ
が地響きのように轟いたその声は、明らかに人の言葉としての意味を持っていた。
ヘリが遠ざかろうとする、紫色の肉の塊。その一部分が、大きく穴を開け、まるで何かの口の
ように開いていた。
声は、そこから響き渡ったのだ。
「逃がさんッ! 決してッ!」
それが、『ゼロ』の声であるという事は、舞にも分かっていた。『ゼロ』が、自分達を逃がさまい
としている。
口の開いた部分には、やがて、巨大な眼のような形も現れた。肉の塊の中に、巨大な顔が現
れる。
さらに、何かと思えば巨大な腕までもが現れ、ヘリの方へと手を伸ばそうとしてきた。
ヘリは全速力で『ゼロ』から遠ざかろうとしている。だが間に合うだろうか。『ゼロ』はあまりに
も巨大すぎた。
巨大な『ゼロ』の肉の塊は腕の形を成し、一行の乗っているヘリに襲いかかろうとする。しか
し、途中でその膨大な質量を支えきれなくなったのか、まるで崩れるようにして腕は肉の海へと
落ちていった。
舞は、ヘリが『ゼロ』の射程内から脱出した事を知り、縄梯子を更に降りて香奈を救いに行っ
た。
「許さんッ! 決して! 許さなーいッ!!」
『ゼロ』の声が、彼の体内に響き渡る。彼の体内は、もはや無茶苦茶に異様な変形を起こし
ていた。
肉の壁は次々と崩れ落ち、更に奥深くから膨大な質量が溢れ出す。
どうやら彼は、パニック状態に陥っているようだった。
そんな肉の塊に呑み込まれつつ、太一は、ただされるがままに身を任せていた。
『ゼロ』にとっては、どうやら香奈こそが頼みの綱であったらしい。彼女と『ゼロ』が融合すれ
ば、更なる『力』を得る事ができ、遠く離れた場所からの一斉攻撃にも彼は備える事ができたよ
うだったが、
香奈は予想以上の『力』を秘めていた。
おそらく『ゼロ』の、『力』を吸収する性質が、香奈の体内に眠っていた、彼にも匹敵する『力』
を引きずり出してしまったのだろう。
香奈の潜在能力に関しては、太一は、近藤大次郎、そして近藤広政のデータを見て知ってい
た。
総ての悲劇に決着を付けるには、香奈の『力』が必要不可欠だった。
全ては太一の計算どおり。そう全て計算どおりだ。
仲間達が脱出する事も、香奈が脱出し、彼女らが新しい人生を歩む事も。『ゼロ』がこの世か
ら消え去る事も。
そして、自分自身さえも、この世から消え去る事も。
60年以上続いた悲劇が、ようやく終わろうとしているのだ。
太一は、ただ崩れ行く『ゼロ』の体内で、その肉の塊の流れに身を任せていた。
「許さん! 貴様だけは! 絶対に!!」
『ゼロ』が幾ら体内にその言葉を響かせようと、太一はすでに覚悟を決めていた。『ゼロ』と共
に自分自身も消滅すればそれで良い。
何も難しい事は無い。初めからすべて、これで良かったのだ。
「ロックハート将軍! 救出に向ったヘリが、高威力原子砲の危険区域から脱出しました!」
戦艦、リヴァイアサンの指令室で一つの声が響いた。
その声は、同時に帝国本土にもリアルタイムで中継されていた。軍の最高指令の権限を持
つ『皇帝』の命令が下れば、“最終攻撃”は発令されるのだ。
『皇帝』、ロバート・フォードにためらいは無かった。
「発射を許可する!」
『帝国』本土からの命令。ミッシェルには既に全ての準備を部下にさせていた。後はスイッチ
一つで済む。
即座に司令官の命令は下された。
「高威力原子砲、発射!」
「発射!」
戦艦リヴァイアサン内に、軽い振動が走る。それだけで、極太のレーザーにも似た原子砲は
発射された。
戦艦に備え付けられた、巨大な砲台から、原子砲の光のラインが、真っ直ぐに《青戸市》へと
伸びて行く。
そして、巨大な光が炸裂した。
『SVO』メンバー、そして『帝国』国防長官の舞を乗せたヘリは、すでに《青戸市》上空から脱
していたが、その光の強烈さに視界を全て奪われていた。
目も眩むほど、全てが包まれてしまおうかという程の光だった。直後、ヘリを煽るかのように、
強烈な衝撃波が叩き付けられて来る。
ヘリはその衝撃に大きく煽られ、更に大きくコントロールを失う。
悲鳴と叫び声が上がった。
「コントロール不能ッ! 機体が持ちませんッ!」
パイロットの悲痛な声が上がる。
「な、何だ!? もう安全圏に脱出したんじゃあねえのかよッ!」
まだ見えぬ視界、上下がひっくり返ったかのような感覚に陥る。上がったのはパニック状態に
なった浩の叫び声だった。
「コントロール不能ですッ! 海上に不時着しますッ!」
ヘリは、まるで猛烈な突風の中にある木の葉であるかのように、ただただ衝撃波に煽られる
ばかりであった。
そこへ追い討ちをかけるかのように、更なる衝撃波と光が炸裂した。
声にならない、不気味な轟きが、《青戸市》に響き渡る。それは、大地も空も震えるかのよう
な轟音の後に響き渡った。
最初の原子砲の一撃が『ゼロ』に直撃し、彼はその一撃で身体の半分以上を消失させられ
ていた。
しかし、『ゼロ』はその一撃で多大なダメージを負ったものの、まだ身体を残していた。
高威力原子砲が炸裂し、沸き起こった放射性物質が『ゼロ』の方へと吸収されていく。それは
彼の、失った肉体部分を補強する為の本能的な行為だった。
身体が残っていれば、修復しようとする。
だがそんな彼に、肉体修復の時間を与える余裕すら持たせず、更なる攻撃が加えられた。
2発目の高威力原子砲が、『ゼロ』へと炸裂する。都市も、文明すらも破壊する事のできる一
撃が炸裂し、大地は抉られ、空は切り裂かれた。
光と、音、そして衝撃波が全てを呑み込む。《青戸市》の廃墟跡も、研究施設も何もかも。
『ゼロ』の肉体も、破片も残さない程に消失させられた。大地に姿を現していた肉片の細かな
部分まで、一片たりとも残さないほどに。
とどめの攻撃は圧倒的だった。5つの巨大戦艦から、断続的に計5発の原子砲は発射され、
それは、『ゼロ』の身体を徹底的に破壊する。
《青戸市》の何もかもをも呑み込み、大地を抉り、全てを消失させ、60年前から続いていた
研究も何もかも、
5発の光は全てを消失させた。
《青戸市》はその大地の大半を失う。新たな湾をその地に作り上げてしまい、廃墟もほぼ全て
消失した。
そして、『ゼロ』の巨大な肉の塊も、その大地から全て消失した。
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最終話です。ゼロとの決戦は大規模なものとなっていき、いよいよ最終攻撃が仕掛けられる事になります。