虎牢関の前面にて、剣戟音と怒号を響かせて、激しく激突する二つの軍勢があった。
一方は『董』の旗をその中央に翻らせる、北郷軍の洛陽攻略軍、十万。
もう一方は、『張』の旗をその先頭に掲げ、常に戦場を疾駆し続ける、曹魏の軍勢五万。
両者による戦端が開かれてすでに半刻。戦いは一進一退の様相を呈していた。虎豹騎三万を主軸とする北郷軍は、その彼らを前面に押し出し、圧倒的な破壊力をもって、最初は張遼率いる魏軍を震え上がらせた。
しかし、張遼とて歴戦の将であり、その配下の兵たちも、数々の修羅場をくぐった、彼女の子飼いの兵たちである。張遼は戦いが開始されてすぐ、虎豹騎の唯一の”弱点”を見破り、そこを利用した用兵へと戦闘手段を変えてきた。
虎豹騎の弱点、それは、重武装による機動力の低さ、である。
兵のみならず、騎馬までも鋼鉄の鎧に身を固めた、突進力と防御力を突出させた騎馬軍団。一当たりすれば、大概の兵は一瞬で恐怖し、例え向かってくる者がいても、その手に携えた突撃戦用に特化した細長い円錐形の、特殊な形のその槍ですべてを弾き飛ばす。しかも、並大抵の武器や矢では、その身を覆う鎧を傷つけることも難しい。
しかし、突進力に重点を置きすぎたために、小回りが利きにくく、移動速度も歩兵より少し速い程度になってしまったのである。それゆえ、普段はその機動力を補うために、味方の雷弩騎兵や連弩隊が、その彼らを補助するという形をとることとなった。
そして今回もまた、その通りの運用手段でもって、張遼率いる魏軍に攻めかかったのであるが、張遼は虎豹騎の足の遅さに気がつくと、その補助をしている雷弩騎兵や連弩隊に、攻撃目標を変えたのである。
それらを先に片付けてしまえば、残った足の遅い騎馬隊など、少々の頑強さを除けば、後はいくらでも片付けようがある、と。彼女はそう踏んだのである。
「ちっ!さすがは霞というところか。こうもたやすく、虎豹騎の欠点を見抜いてくるとはな!」
「そうね。しかも、そうと気づいたその瞬間に、すぐさま攻撃目標を虎豹騎以外に向けたのも流石だわ。……ほんと、敵に回すとこれだけ厄介な将は、ほかには中々居ないわね」
張遼の臨機応変なその戦術に、改めて関心する賈駆と華雄。
「へぅ。……でも、私たちもここで負けるわけにはいかないよ。詠ちゃん、合図の旗をお願い」
「……そうね。出し惜しみはしてらんないか。……赤旗!青旗!力の限り振りなさい!」
『はっ!!』
賈駆のその声を聞いた、旗を三本持った兵のうちの、赤い旗と青い旗を持った者たちが、言われたままに力の限りに旗を振る。
「華雄、あんたは何とかして、霞のやつを抑えてて頂戴。……梢(こずえ)たちが脱ぎ終えるまで」
「わかった。……霞とは一度、力の限りやり合ってみたかったしな。散々に打ち負かして、月様の前に連れて来て見せましょう」
「……えっと。なるべく穏便に、お願いしますね?」
一方で、北郷軍の中央で旗が振られたことに、張遼ももちろん気づいていた。
「なんや?何の合図や?……まさか、これ以上の兵がどっかに隠れとんのか?!」
「霞さま!どうしますか?!いくら何でも、これ以上兵が増えたら対応のしようが……!!」
そんな張遼に声をかけるその人物は、董卓軍時代からの彼女の副官の、高順という少女だった。
「ちったあ落ち着きぃ、樹(いつき)。……虎豹騎とかいう連中以外の騎兵や弓兵たちは、結構な数を減らしたんや。後は月っちたちの居る本陣さえ叩けば、うちらの勝ちは動かへんくなる」
「……月さま、ですか。……生きておられたことは、私も正直とても嬉しいですが……やはり、少々やりにくいですよ」
高順にとっても、董卓は元の主である。彼女は高順にとって、いや、元董卓軍の将兵たちにとっては、優しき慈母の如き存在だった。そしてそれは、いまだに高順らにとって変わりの無い事実であり、敬愛してやまない人物なのである。
「……樹のその気持ちはわかるけどな。けど、それはそれ、これはこれ、や。……相手が月っちたちやからこそ、手は絶対抜けへんで……ん?」
「霞さま!あの旗は……!!」
「……華雄か!」
張遼と高順の視界に、『華』の旗を掲げた一団が迫りつつあった。その先頭で馬にまたがっているのは、もちろん華雄その人である。
「……ふふん。うちらの動きを抑える気ぃやな?樹!兵たちは任したで!うちが華雄を抑えてる間に、月っちたちを捕まえ!……あ、その際は、くれぐれも丁重に、な?」
「はっ!」
「……あれからどれほど腕上げたか、猪振りがちっとでも治ったか、確かめたるで、華雄!」
張遼と華雄が、華々しく一騎打ちを始めたのと同じく、高順率いる張遼隊の一部が、董卓と賈駆のいる本陣に対し、猛然と突撃を行っていた。
「月さま!詠!その身柄、こちらで預からせていただきます!者ども!二人を捕縛せよ!ただし絶対に傷はつけるなよ!」
「樹!?月っ!下がって!」
「詠ちゃん!」
董卓を庇い、その正面に立つ賈駆。さらに、その二人の周囲を多くの兵が囲む。二人の直衛として残っていた、虎豹騎のうちの三十人ほどである。
「ここにも虎豹騎の兵が居たか。だが、わずか三十人程度のこと!いかに十の兵の力を持っていようが、将たる私の前では何の意味も成さん!おうらーっ!」
高順の戟によって、次々となぎ払われていく兵士たち。だが、彼らは体に走る痛みをこらえ、再び高順の前に立ちふさがり、その進攻を阻む。
「みなさん!お願いですから無理はしないでください!詠ちゃんお願い!そこを通して!」
「だめよ月!ここで月が捕まったら、それこそすべてが終わっちゃうわ!気持ちはわかるけど、ここはこらえて!もっとみんなを信用なさい!樹!あんたもあんまり、彼らをなめないことね!」
虎豹騎の兵たちのその姿にいたたまれなくなった董卓が、高順の方へと思わず進み出ようとするが、賈駆がそれを阻んで彼女をを諌めた。もっと彼らを信じろ、と。そして、高順に対しては、北郷軍の精鋭中の精鋭たる虎豹騎を甘く見るなと、きっ、と彼女をにらみつけて叫ぶ。
「ふ、上等さ。さあ、来いお前ら!北郷軍自慢の虎豹騎の実力とやら!このあたいに見せてみな!!」
(……よしよし、思惑通り乗ってきたわね。……相変わらず単純ね、樹は。将としての矜持が高すぎんのよ、あんたは)
高順のプライドの高さ。賈駆はそこを突いて彼女をあおり、虎豹騎との戦いへとその目と意識を集中させた。……四半刻(約三十分)。たったそれだけの時間を、彼女はそれで稼いだ。……そのわずかの時間が、ここでの戦局を決定付けた。
「せいりゃあーーー!!」
「なんとおーっ!?」
張遼の偃月刀と華雄の斧とが、激しい金属音とともに、火花を散らしながらぶつかり合う。二人の一騎打ちが始まって、すでに三十分。何十合打ち合ったかわからないが、両者とも、まだまだ十分な余力を残し、次の挙動に入るための構えをとる。
「……やるやんか華雄。単純なままの昔の華雄やったら、うちが圧勝してたんやけどな」
「ふ。……私とて、いつまでも昔のままではないさ。……それに」
「それに?」
「……いつまでも猪なままでは、いつか”奴”に会ったとき、顔を会わせられんからな」
ふ、と。少しばかり遠い目をして、張遼の方-いや、正確には、そのはるか先を見つめる華雄。
「……誰のことを言うとるんや?北郷……ちゅうわけではなさそうやけど」
「ふ。こればかりは、月さまとてお知りにならないことだ。……私が、皆に真名を明かさない、その理由でもあるがな」
「はあ?」
(……確かに、華雄の真名って聞いたことがないな。本人からも、誰かが呼んどるんも)
だから、彼女にはもしかしたら、真名が無いのではないか?そんな噂が流れたこともあった。しかし、彼女は今はっきりと言った。真名を明かさない理由、と。つまり、彼女も他の者と同じく、真名をきちんと持っているということだ。……秘密にしているその理由とやらを、張遼は無性に聞きたくなった。だが、今は一騎打ちの真っ最中である。
だから、彼女は華雄に、こんな提案をした。
「なあ、華雄?ちっと賭けでもせーへんか?」
「賭けだと?」
「せや。もしうちが一騎打ちで勝ったら、その”理由”っちゅうのを教え~や。そんかわり、うちが負けたら、おとなしゅう北郷軍に降って、洛陽を無傷で明け渡す。……どや?」
「……ふざけるな、といいたいところだが。ふっ、そういうのもたまには面白かろう。なにより、洛陽の街に被害を出さずに済ませられるなら、それに越したことは無いからな」
笑顔を顔に浮かべ、張遼の提案に諾とうなずく華雄。その華雄の台詞を聞いた張遼もまた、その顔に喜色を浮かべ、偃月刀を華雄に向ける。
「……それはつまり、うちに勝てるいうてるわけやな?……上等やで!来ぃや、華雄!」
「おうよ!往くぞ張文遠!おああああー!」
「でえええええい!」
華雄の金剛爆斧と、張遼の飛龍偃月刀が、再び激しくぶつかる。互いに長柄の得物であるだけに、ある程度の間合いを取っての激しい攻防を、両者は十合、二十合と交わしていく。
二人の勝負を分けたのは、二人のその、武の質だった。
「おおおおおっっ!」
「当たるかい!んな大振り!」
力強く振り下ろされた、華雄のその一振りを、張遼は蝶のような華麗さで舞い、いともあっさりとかわして見せた。目標から逸れ、地をえぐった華雄の斧により、もうもうと土煙が巻き起こり、ほんの一瞬、張遼の視界を塞いだ。
「チッ!あんの馬鹿力!ちっと位加減ちゅうのをおぼえ……なっ!?」
土煙が晴れた後、そこにあったのは、華雄の金剛爆斧だけだった。
「ど、どこにいったんや?!まさか逃げたなんてことは……?!」
「……ここだ、霞」
「!?がっ!!」
どさり、と。
声がしたと思った瞬間、張遼は、延髄に手刀の一撃をもらい、意識を失って倒れた。
「……正直、お前があんな手に引っかかるとは思ってなかったよ。……さて」
倒れた張遼に向かって、意外そうにそうつぶやいた後、華雄は本隊の方へとその視線を転じた。そこには、周囲を軽装-というか、鎧を一切着けていない騎馬隊に取り囲まれ、武器を一斉に捨てている魏軍の姿があった。
張遼と華雄が激闘を演じていた頃、董卓たちを捕縛せんとしていた高順たち魏軍の別働隊に、突如後方から襲い掛かってきた部隊があった。その手に持った、独特の形状の槍以外、一切の装備を脱ぎさって、身軽になった虎豹騎隊三万である。
あの時、賈駆が送らせた、二色の旗による合図。赤い旗は、鎧をすべて、捨て去らせるためのもの。青い旗は、一気に反転して魏軍の後方を突け、というものだった。
虎豹騎を直接指揮していた、華雄の副官である胡診は、それを見て、ためらうことなく命を下した。
虎豹騎の、兵と騎馬の双方が着けている鎧は、ともに留め金の一つを外すだけで、いとも簡単に脱ぎ去れるようになっていた。ただし、一度外せば、その場でもう一度着なおすのはほとんど不可能な上、その鉄壁を誇る防御をも失うこととなる。
それ故に、ここぞというところ以外では、将の指示ある以外はけして外すことは許されない。そして、重い鎧を脱ぎ捨てた虎豹騎は、神速をも超える速度を手に入れる。その手に持った突撃槍のその威力も、速度が加わることにより、さらにその威力を増すのである。
反転してきた虎豹騎に、突如その後方を突かれた魏軍は恐慌状態に陥り、あれよあれよという間に討ち取られていった。そして、董卓と賈駆を包囲していた高順も、その彼らによって逆に包囲されることとなり、是非も無しとつぶやいて、武器を捨てて降伏した。
虎牢関前面における戦は、こうしてその幕を下ろした。
董卓たちはその後、目を覚ました張遼の先導で洛陽へとその歩を進め、混乱無くその地を抑えた。
「……久しぶりの洛陽、だね。詠ちゃん」
「そうね。……北郷たち、うまくやっているといいけど」
「大丈夫だよ、詠ちゃん。……ご主人様のことだもの。絶対、みんな無事で居るよ」
「……そう、ね」
沈み行く夕日を見つめながら、二人の少女は微笑みあった。
そして、ちょうどその頃。
官渡でも、その決戦の幕が下ろされようとしていた……。
~続く~
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北朝伝、五章の四幕です。
虎牢関前面における、元・董卓軍同士の戦いです。
ちびっとだけ、オリキャラ二人(一人は名前だけw)登場。
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