燃え盛る都。
崩れゆく宮。
その様に、姿に。
兵達は刃を止め、ただただ見入っていた。
「華琳様ーッ!!華琳様ァーッ!!」
「無理だ姉者!!姉者まで焼け死ぬぞ!?」
「ええい離せ秋蘭!!華琳様がまだあの中におられるのだぞ!?」
我を忘れたかの様に叫ぶ春蘭を、秋蘭は押し留める。
「…………ちゅ、う……た、つ…………様」
「あんの、大バカは……!!」
虫の吐息を洩らす青藍を背負いながら、霞は歯軋りした。
「……………………」
「司馬懿、仲達」
一つの時代が終わる。
口に出さずとも、華琳にはそれが察せた。
「貴方の奥底に眠る才、そして潜んでいた野望」
幾つもの命を贄にして。
「その全ては、私と出会った事で花開き、私に仕えた事で育まれた」
幾つもの魂を踏み躙り。
「それは罪ではない。主を無能と見限るなら、己がより良き国を創る自信があるのなら、それもまた選択肢の一つ」
天下が、乱世が終端を迎えようとしている。
「―――だが貴様はその責務を投げ出して、ただ導いて終わろうとした」
その大舞台に、自分は脚立している。
「一度国に関わったのなら、最後までやり遂げる事こそ私達に課せられた使命。貴方はそれを背負う事から逃げ、諦め、そして捨てようとした」
そして今、
「――――――そんな事は許さない」
もう一人の役者を、自分は引きずり上げようとしている。
「その様な『逃げ』を、同じ『為政者』として許す事は絶対に出来ない」
彼は言った。
絶対の正義を生み出す為には、絶対の悪が必要であると。
「来なさい。司馬仲達」
ならばその役目を背負ってやろう。
彼が絶対の悪たりえる様な正義に。
彼が許されざる存在たりえる様な真の英雄に。
「『私の次代』を超えた貴方の全てを受け入れ、認め、そして――――――」
足をとめたりなどしない。
振り返りもしない。
この背には、心から信じる仲間達が寄り添うから。
だから―――
「『私達の次代』は、その先を往く」
だからそこに、貴様も来い。
宮殿が崩れ落ちる。
全てが瓦礫に帰り、ただ静寂だけが世界を支配する。
その中に、一人の少女の姿があった。
「……ッ!?か、華琳!!」
「華琳様!!」
ゆらゆらと安定しないその姿を見止めて、慌てて駆け寄った。
「華琳!大じょ、ぅ…………」
支えようと伸ばした腕はしかし虚空を切り、代わりに胸元に温もりが飛び込んだ。
煤汚れ、所々に血が奔るその姿は酷く弱弱しく、儚く。
「……………………ゴメン、なさい。一刀」
そして酷く、年相応に見えた。
「今、だけでいいから…………今だけ…………このままで」
「……うん」
だから、俺は彼女を抱きしめた。
その背を、肩を強く、きつく抱きしめた。
「お帰り」
そして告げた。
「お帰り、華琳」
全ての決着を。
「他の将兵は?」
「霞は武器を収めてくれた。あと……」
天幕に戻った華琳は、そこに運ばれてきた一つの骸を見やった。
その顔に掛けられた布を取って、静かに眠る少女を見つめる。
「……………………」
「…………御覧なさい、紅爛」
天幕の帳を開き、外から差し込む光を見つめながら、華琳は呟いた。
まるでその少女に見せる為の様に。
「いつか貴女が言っていた、曇りなき蒼天」
優しさに、慈愛に満ちた声音で。
「―――貴女の願った空は、こんなにも眩いわ」
全てを受け入れた様に穏やかな顔で永久に眠る、一人の少女にそう告げた。
あの戦いから、幾ばくかの時が過ぎた。
許昌を舞台に繰り広げられた戦闘は後に『司馬懿の乱』として、仲達が逆臣であったという事や三国の王達によって討伐された事だけが記録された。
この戦いを以て乱世は一気に終息へと向かい、やがて『鼎立』という形で大陸は治まった。
軍事力ではなく豊かさで競い合い、協力し、共に暮らしていく―――途方もない夢物語の様でもあったそれを叶えさせたのは、皆を一つにしたのが何なのか。
真実を伝えたいと思っても、それは出来なかった。
彼の願いを思えばこそ、本当の事を伝える訳にはいかない。
それが残された俺達に出来る、たった一つの報いる方法だと思っていた。
そして、三国共同主催の同盟締結を祝う宴の日に―――
華琳が、姿を消した。
河内郡温県。
嘗て一人の男が生を受けたこの地は、一時は県の殆どが全壊するという被害を被りながらも乱世の終息後急速に復興が進み、今では過去の爪痕は欠片も顔を見せない程に発展していた。
その郊外にある小さな村の丘陵からは、温県は元より遠くに許昌の都も望める。
そこにたてられた一つの石碑の前に、二人の少女の姿があった。
「……やっぱり、此処にいたのね」
脚立した少女は、大陸の女王の一人にして天の御遣いの盟友。
曹操、字を孟徳。その真名を華琳。
「……………………」
石碑の前に膝をつく少女は、嘗て日輪と目した主を支え、裏切った軍師。
程昱、字を仲徳。その真名を風。
「風……いいえ、程仲徳」
あの戦いの直後から姿を消していた程昱を、曹操はずっと探していた。
だが八方に手を尽くそうと少女の足取りはつかめず、消息を絶ってから一年。
「貴方の知りうる限りの『彼』の志、願い、理想」
この節目に、曹操―――華琳は賭けていた。
彼女が―――風が現れるのではないかと。
彼の終末の地ではなく、生を受けた故郷に。
そしてそこで一年の遅れを詫びてから、自分もその後を追うのではないかと。
その賭けに、自分は勝った。
「表舞台で、それを伝えてはくれないかしら?」
「―――あの日、風は死んだのですよ」
携えていた短刀を取り上げ、翻意を促した華琳の目に飛び込んできたのは―――光を失い、涙を枯らした風の双眸だった。
『……仲達さん、仲達さん』
『……………………』
あの日、全ては終わった。
彼の輪廻も、業も、全てが終わった筈だった。
『眠っていらっしゃるんですね?でしたら、お邪魔させて頂きますよ~』
『……………………』
だから自分の役目も此処までにしよう。
次はあの世を一緒に行脚して、連れ立つ旅路を思う存分楽しもう。
そう心に決めていた。
『フフッ……もしかしなくても、一人ぼっちになり易い仲達さんは一人で勝手に死のうなんて考えていたんでしょうが、そんな考えは風にはスケスケのお見通しなのですよ~』
『……………………』
寄り添い、その胸に顔をうずめる。
鼓動は一定の、しかし徐々に力を失った音を刻み、やがて止まり行く事を推察させる。
『一人になんてなりませんよ?獄界の果てだろうと、風がずっと傍にいますから』
『……………………』
嗚呼全く、仕方のない。
最期まで約束を守ろうとしない愚か者には、こうでもしなければ気が済まない。
『―――何度生まれ変わっても、何度でも風は貴方の傍に居て、貴方を最期まで愛する事を誓います』
重ねようと近づけた唇は、しかし突如として全身を襲った衝撃に意識諸共吹き飛ばされた。
どうやって助かったのか、憶えてはいない。
気づいた時、自分は何処とも知れぬあばら家に寝かしつけられていて、意識がハッキリした時には全てが終わった事を悟らされた。
「……………………ただの恋だったのなら、愛だったのなら、風は貴女につきました」
最期まで、あの人は嘘をついた。
自分も一緒に連れて行ってくれる筈だったのに、どうして自分だけ残して逝ったのだ。
「愛情も、思慕も、全てを超越したそこにあの人がいたから、風は仲達さんについたのです」
どうして殉じる事を、共に逝く事を許してくれなかったのだ。
「……帰って下さい」
「…………風」
「帰って、下さい」
何も考えたくなかった。
何も聞きたくなかった。
ただ、一人にしてほしかった。
遠のいていく気配も意識も、全てを手放して風は瞳を閉じた。
暗闇の中に、自分は立っていた。
いや、立っていたと表現するのはおかしいだろうか。
「………………ん、ぅ……?」
地面を踏みしめている感覚はなく、しかし足の裏で全身を支えている感覚が少なくとも横に寝ている事も逆さまにつるされている事もありえないと理解させる。
「……おやおや~?」
ふと、目の前を一粒の小さな光が漂う。
やがて二つ、三つと数を増やし……いつしかそれは無数に集まり、人の形を形成する。
と、懐かしい匂いが風の鼻孔を擽った。
「…………これは、夢でしょうか?」
『………………』
光は答えない。
何か動作をする訳でもなく、水泡の集合体の様な身体をただ揺らめかせるだけ。
「……永遠に覚めない転寝、でしょうか?」
『………………』
光は答えない。
答える口を持たないからなのか、言葉を発する事が出来ないからなのか、風には分からない。
「フフ……この際、どちらでもいいのですよ~」
手が、身体が光へゆっくりと近づく。
視界が、光の面を捉えると、風の頬を何かが伝った。
「―――会いたかった、です……」
懐かしい温もりが、求めた温かさが、そこにあった。
そして風は、自分が光に包まれていく感覚に身を委ねた。
――――――やっと、捕まえた。
目を覚ました時、風は自分の身体が仰向いて倒れていた事に気づいた。
「………………ん、ぁ」
頬を伝う雫が、背中に感じる土の感触が、これが現実である事を……あの邂逅が夢であった事を厳然たる事実として伝える。
「……あー…………」
ぼんやりとした音が零れた。
「覚めてしまいましたか~……」
半分寝ぼけ眼であった目を擦り、意識をハッキリさせる。
霞んだ視界がくっきりと世界を映し、現実を突き付ける。
「………………」
今更。
本当に未練がましい。
これでは愚か者がどちらなのか分からないではないか。
そんな事を考えながら石碑を眺めていた風は、つとその横の隅に傷跡を見つけた。
「…………んぉ?」
不思議と、興味を惹かれて其方へと身体が動く。
あれ程気だるいと感じていた動作が、今は随分と軽い。
否、思うべきはそこではない。
見れば、それは傷というより彫刻と呼ぶべき痕だった。
何か文字が刻まれている―――が、風には見覚えのない文字だった。
少なくとも、この大陸で流通している文字ではない。
だが風は、これを何処かで見た気がした。
何処だ――――――そう想い、探る指が文字に触れた瞬間、魂の奥底に『声』が響いた。
たちきへて
常闇の月は
消えにけり
春夜に吹けや
日輪の風
「……………………」
風の指が文字の上を奔る。
慈しむ様に、懐かしむ様に、何度も、何度もその文字をなぞった。
「………………フフフ」
久方ぶりに笑みが零れた。
それは卑怯な彼を謗った笑みなのか。
不器用な優しさへの苦笑なのか。
分からなくていいと、風は思った。
「本当に……仕方の、な、い……人……でず、ね…………」
こんな風にされてしまっては、こんなに思われてしまっては、追うに追えないではないか。
彼の数少ない我儘を、願いを、祈りを。
その想いを無視出来る様な強さを、風は既に亡くしてしまった。
だが、この弱さもまた心地よい―――そう感じ、風はそっと瞳を閉じた。
丘陵から都へと吹き抜ける穏やかな風は、新たなる次代の到来と―――
産声を上げた平穏を祝す様な、全てを包み込む温かさに満ちた南風だった。
お元気ですか?仲達くん。
あれから、もう随分と時が経ちました。
こんな風に手紙に文字を書いても、貴方に届くかどうかは分かりません。貴方ならきっと「届く訳がないだろう」と笑い飛ばすと思いますが、私はそうは思いません。
貴方の願った通り、天下は無事に治まり、大陸から戦乱は消えました。
今はまだ色んな問題が山積みですが、みんなで協力すればきっと解決出来る筈です。
……いいえ、必ず解決してみせます。そうしなくちゃそっちに行った時に貴方に笑われてしまいますから。
仲達くん。
貴方の事だから、自分の事など忘れてしまえと仰ると思うんです。
何時までも自分なんかに引きずられていないで、今目の前にいる民を救えと、そう言うと思うんです。
そして、自分よりもっと良い人を見つけて幸せになれと……そんな勝手な事を云うんじゃありませんか?
貴方は酷い人です。
これ程人に思わせておいて、勝手にいなくなってしまって、本当に酷い人です。
だから貴方の勝手なお願いなんて知りません。
私はずっと、ずっと貴方だけを想う事にします。
仲達くん。
貴方は幸せでしたか?
自分の願いを叶える為にその命を燃やし、皆の平穏を心から祈り、大切な人に不器用な想いを伝えきれず。
それでも貴方は幸せでしたか?
今、遥か遠くの空から見えるであろうこの大陸に、貴方の望んだ幸せはありますか?
みんなの笑顔が見たいから。
誰にも泣いて欲しくないから。
平穏で、穏やかであって欲しいから。
そんな貴方の願いが、望みが、祈りが。
想いの全てが、この天下に広がっていますか?
仲達くん。
もう少しだけ、そっちで待っていて貰えませんか?
私にはまだ、やらなければならない事が沢山あります。そしてその先には、きっと貴方の望んだ未来がある筈なんです。
けれどそれは私の願った未来とは少しだけ違います。
貴方に触れられない平穏を、貴方に言葉を掛けられない安寧を、貴方の傍にいられない平和を、けれど私は守って行かなければいけないんです。
貴方が押しつけた事です。でも、引き受けてあげます。
だからもう少しだけ、待っていて下さい。
全部終わったら、きっとそっちに行きますから。
……嗚呼、それともう一つ。
貴方に伝えておきたい事があります。
きっと面と向かい合ったら何も言えなくなってしまうと思うので、今の内に貴方に告げておかなければならない事があります。
そしてこれが、私から貴方への、最初で、最後の我儘です。
―――もし世界が忘れても、私は覚えています。誰よりも優しくて、不器用で、寂しがりやだった、貴方の事を。
後記
本作『真・恋姫無双 ~美麗縦横、新説演義~』はこれにて終幕と相成りますが、皆様はお楽しみ頂けましたでしょうか?
開幕から一年と少々にて、本作は無事に完結を迎えられました。
私の処女作であり、初めての長編であった本作は、私にとって多くの事を学ばせる大変貴重な時間と、経験を与えてくれました。展開に行き詰ったり、自分の思い描いた通りにはいかなかったり、色々と大変でしたが、今では全てが大切な思い出の様に感じられます。
本作が完結するまでには、たくさんの方からの応援や叱咤激励があり、時には辛辣な御意見を以て的確な指摘を下さった方々には、本当に感謝の言葉もありません。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
皆様の貴重な御意見を無視したり採用しなかったり、迷走ばかりしてご迷惑ばかりお掛けした問題児でありましたが、それでも見放す事無く最後までお付き合い頂きました事、本当に感謝しております。
今後の展望等については未だ目途が立っておりませんが、また皆様の目に私の作品が触れる機会がありましたら、どうぞ生温かい目で見守って下さい。
長々と失礼致しました。
稚拙、愚劣極まりない私如きの駄作に長々とお付き合い頂き、本当に有難う御座いました。
それでは、またいつかお会いしましょう。
これにて失礼致します。
茶々
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本編、遂に完結です。