「お加減はどうですか?」
寝台の上で上半身を起こしている女性に、優しく声をかけるその人物。
「……はい。おかげさまで、体力もほとんど回復しました」
「それは良かった。しかし本当に驚きましたよ、あれだけの怪我をなさっていたのに、みるみるうちに回復なされていくのですから。医者も、到底信じられない、とぼやいていましたよ」
寝台の横にある卓に、水差しの乗った盆を乗せ、その女性に笑顔でそう語りかける。
「……生まれつきの、特異な体質でして。……首が胴から離れない限りは、大抵の傷は治ってしまうんです。昔はそれで、随分いじめられました。……化物って」
悲しげに、女性はそうつぶやく。
(……”あっちの姿”の時は、ご主人様たちにも、散々言われてたけど)
「……悲しいですね、人間というのは」
「まあ、それでも中には、こんな私を気味悪がることもなく、普通に接してくれる人もいますけど」
(……白ちゃん……無事よね?ご主人様のところに、生きて辿り着けたわよね?)
「さ、それじゃあ、薬を飲んだら、もう少し眠っていてください。万全を期さないと、何かのときに困りますからね、王淩さん」
「あ、はい。……ありがとうございます、龐徳どの」
その人物-龐徳・字を令明に頭を下げるその女性-王淩。
長安での一件の後、王淩は逃亡の果てに、涼州に辿り着いていた。全身傷だらけになり、息も絶え絶えで彷徨い、流石に体力も底を尽きて倒れこんだ彼女を、たまたま近くまで賊討伐に来ていた、涼州連合の長である馬家の長女馬超と、その従姉妹である馬岱が、彼女を運良く見つけたのである。
それから一月。
表面的な傷は、彼女のその特異体質-異常なまでの回復能力-によって、瞬く間に治ったものの、体力は流石にその範疇ではなく、ここ涼州にて、養生の日々を送っていた。
そんなある日。
「行くぜ、狼(ろう)兄ぃ!おりゃあー!!」
「甘い!」
馬超の繰り出す練武用の棒を事も無げにかわし、その足を自分の持っている棒でもってひっかける龐徳。
「おわっ!」
「まだまだ動きが大雑把過ぎるぞ、翠。次!蒲公英!」
「は、はい!」
二人の練武を見ていた、もう一人の栗色の短髪の少女-馬岱に、龐徳がかかって来いと促す。
「いっくよー!やーー!!」
「……なんだ、そのへっぴり腰は!もっと重心を落とせ!脇も甘すぎる!」
馬岱の悪いところを指摘しつつ、棒を叩き落し、足を引っ掛け転ばせる。
「はうっ!……狼兄ずるい!足使うの反則ー!」
「……あのな。戦場でそんなこと言えるのか、お前は。命のやり取りの場で、卑怯も何もないだろうが。……殺されたら文句も言えなくなるぞ?」
「う」
地面に座り込んだまま、文句を言う馬岱を龐徳がそう叱咤し、言われた当人は何も言い返せず、言葉に詰まる。
「……まあいい。今日はこれぐらいにしよう……ほら、いつまでもふてくされてない。可愛い顔が台無しだぞ?」
「べーっだ!狼兄に可愛いって言われても、嬉しくなんかないよーだ!」
「……あ、そう。……ん?翠、どうした?」
べーっと舌を出して言った馬岱の言葉に、少々落ち込みながらも、龐徳は、馬超が元気なさそうにしていることに気づいた。
「いや、大したことじゃあ無いんだけどさ。あの王淩っての、確か、前の皇帝陛下のお付の人だったって聞いたけど、ほんとなのか?狼兄」
「……そう聞いてるけどな。それに、あれの話が本当なら、前陛下も、どこかでご存命かも知れん。ただ、そんな噂を聞かないところ見ると、偽名を使って、その素性を隠しているのかもしれんが」
「で、おば様はなんて言ってるの?」
「……都に、攻め込むかもしれないそうだ」
『な?!』
馬岱の言うところのおばさまーつまり、馬超の母である馬騰は、漢朝への忠義心篤い人物である。だが、それはあくまで、皇帝に対して、という意味である。現状、朝廷を実質的に動かしているのは王允である。さらに、王淩の証言が正しければ、その裏にまだ別の黒幕がいるとのこと。
そんな状態の朝廷に従う気など、馬騰にはさらさらなかった。それどころか、都を急襲して王允らを駆逐し、現皇帝である劉協を奸臣どもから救出したいとすら、考えているくらいである。
「……実際には、まだ西涼の諸部族たちとの意見がまとまっていないので、すぐにどうこうと言う事は無いだろう。だが、それも時間の問題だと思う。早ければ、年内にも動くかも知れん」
『……』
また戦になる。
その可能性がだんだんと高まって来ている。それは何も、涼州だけではない。中原でも荊州でも河北でも。そして、大陸全土で、その機運が高まりつつある。
もはや、乱世の到来は避けられないところへ来ている、と。龐徳は二人の友にそう言って聞かせた。
そこに。
「狼どの、こちらでしたか」
「王淩どの。……どうかされましたか?」
王淩が三人の下に、その姿を現した。すでに体力は完全に回復しており、行動するのに何の支障もなくなった彼女は、現在馬家の食客となっていた。
「そんな、姓名でなどと他人行儀はおやめくださいな。せっかく真名を交し合ったのですから、どうかそちらで呼んでくださいな」
「ああ、いや。解ってはいるんだが、つい、な。……なんとなく、口がその名を呼ぶのを拒絶しているような気がするんだよ。あ、いや!もちろん、悪気があって言ってるんじゃないんだ。気を悪くしたならすまない。この通りだ、許してくれ……”貂蝉”」
王淩にたいし、その頭を深々と下げつつ、龐徳が彼女の真名を呼ぶ。
「いえいえ、私は特に気にしていませんから。頭を上げてくださいな」
(……記憶が封印されてても、その魂が拒否してんのね……。そんなに嫌なのかしら、あの姿)
「で、どうしたんだよ、王りょ…いや、貂蝉。なんかあったのか?」
「……お別れを、伝えにきましたの」
『……え?』
永らく行方不明となっていた友。その安否がようやく判明し、居所を掴む事が出来た。そのため、今日の昼には、この地を発つと。王淩は三人にそう語ったのである。
「皆さんには大変お世話になりましたのに、こちらの都合で出て行くのは心苦しいのですが、私は、あの子の傍にいなければいけないんです。あの子を守り、そして、見守ることが、私がこの世で為すべき事。どうか、身勝手を許してくださいまし」
深々と。
王淩は三人のその頭を下げる。
「……そっか。よっぽど、その人が大事なんだな。で?その人は今どこに?」
「……河北の、冀州です」
「河北の冀州?っていうと確か、北郷の……」
「ええ。今はご主人さ…あ、いえ、北郷様の下でお世話になっているそうです」
「翠。北郷って、例の……か?」
「ああ。……あの呂布と互角に戦う、めちゃくちゃ強い奴。そして……」
「そして?」
「……何でもねえよ」
途中でその言葉を区切り、ふいと、そっぽを向く馬超。その脳内に、あの時の、汜水関で見た一刀のその悲しげな瞳が蘇る。
「……あれー?お姉さま、顔赤いよ?……はっはーん。さては……」
「んあ?!な、何言ってんだ蒲公英!私は///」
「……めちゃくちゃ真っ赤だぞ、翠」
「狼兄まで~!!」
『あははははは』
そして、その日の午後。
「では、皆様。永らくお世話になりました。どうか、皆様もご自愛を」
街の正門にて、馬超、馬岱、そして龐徳の三人に、旅支度をした王淩が拱手をして、別れの挨拶をしていた。
「本当なら、母上も見送りに来たがっていたんだが、部族長たちとの会談が急に入っちゃってな。よろしく伝えてくれと、そう言っていたよ」
「そうですか。馬騰さまにも、是非によろしくお伝えくださいな。翠ちゃんも蒲公英ちゃんも元気でね」
「うん!貂蝉さんも!」
「それから……狼どの」
「ん?」
その妖艶さ漂う瞳を、貂蝉が龐徳へとむける。
「……いえ。ごめんなさい。なんでもないわ。……それじゃ」
「あ?ああ。……元気でな、貂蝉」
「ええ。そちらも」
言葉を途中で濁したまま、王淩は馬超らに背を向け、涼州を旅立った。
そして、少しした後、街を振り返ってつぶやいた。
「……まさか、貴方がここにいたとは思わなかったけど、これも世界の意思なのかしらね。その肉体は外史の人間のものとはいえ、その魂は、私と同じく”あちら”の者。それがどんな影響をこの外史に及ぼすことになるのやら。……ま、先のことはわからないし、今悩んでてもしょうがないか。さてっと!」
再び進行方向へと、その視線を転じる。
「白ちゃん、そして、ご主人様。あなた達の貂~蝉ちゃんが、今からいっくわよ~ん!だから、もうちょっとだけ、待っててね~!!……ぶるぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
一陣の土煙となり、それはもう、信じられないような速度で駆け出す王淩。その行く先は、冀州は鄴。
親愛なる友の下に。
そして、
愛しい男のその傍に。
乙女は風のように走るのであった。
~えんど~
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久方ぶりの北朝伝更新~。
といっても、幕間ですがね。
今回は、しばらく出番の無かった”あいつ”が登場。
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