#41
「20万ともなると、流石に壮観という言葉を通り越すな」
「そうだな」
いま、一刀と華雄は巨大な関の上に立っていた。見下ろした大地に広がるは董卓を討たんとする連合軍。中央に袁の牙門旗が翻り、一刀たちから見て右側に曹と馬の旗、左側に孫ともう一つの袁の旗。手前には公孫と劉の旗がはためいている。他にもちらほらといくつかの旗が見えた。袁紹の招集に馳せ参じた小勢力だろう。
「本陣が袁紹で右翼が袁術だろうな…孫策の旗もあるし。で、左翼が曹操に馬騰か?前曲が公孫賛、さらに最前線に……おそらく劉備だろうな」
「ふむ…勢力で見ても当然の配置だろうな。前曲のあの小勢は理解できないが………万にも満たないだろう。あれで前線を維持するつもりか?」
「どうだろうね。何かの作戦か、あるいは―――」
「ただの当て馬かとばっちりの可能性もありますねー」
口を挟んだのは1人の少女だった。相変わらずの眠たそうな眼で飴を咥えている。
「風か。兵の配置はもう終わったのか?」
「はいー。さすが華雄さんの隊ですねー。新参者の風の指示にもしっかりと動いてくださいましたー」
「当然だ。それで、そのとばっちりというのは?」
「この戦は、建前は皇帝を傀儡に洛陽を牛耳る董卓さんを討つという名目で集まってはいますが、どの諸侯も出来る限り損害を少なく、そのくせ多くを得ようと動くでしょう。本来ならあれだけの数でしたら輜重隊などを受け持つはずですが、あの位置にいるということは、大勢力の誰かの口添えで前線に配置されたんでしょうねー」
風の説明に、華雄はなるほどと頷く。その理由なら納得もいく。もしかしたら、小勢力ながらこれまで邁進を続けてきた調子者が、功を焦って自ら選んだ可能性も捨てきれないが、先の乱を生き抜いてきたのだ。それはないだろう。
そうこう話している間にも、遙か眼下に広がる軍勢は少しずつ前進し、関へと近づいてくる。
「さて、定石で行けば俺たちは籠城を選択すべきだが」
「向こうは大軍ですしねー。兵糧が尽きるまで待つのが普通です」
「だが、我々の目的は逃げ切ることではない」
「あぁ―――」
一刀が拳を差し出すと、華雄が力強く腕を伸ばし、風がその細い手を上げる。
「―――奴らに勝利し、正義を貫くことだ」
3人はその拳を打ち合わせた。
数刻前―――。
「すみませーん、遅れてしまいましたー」
そんな呑気な声と共に大天幕に入ってくる少女がいた。後ろにはさらに幼い少女が付き添っている。天幕の中には幾人もの侯が集まっており、軍議を開いている最中であった。その全員の視線が2人の闖入者に注がれる。一番奥に座っていた金髪の女性が、代表して声をかけた。
「貴女は?」
「はい、義勇軍の大将をしている劉備です!私達も連合に加えて頂きたく、参上しました!」
聞き覚えのない名前に、問いかけた女性―――袁紹は首を傾げる。諸侯の中には、義勇軍でありながら、いくつもの賊の群れを討ってきた勢力については知っていた為、興味の視線を向けた。と、その中で赤色の髪をした少女が割って入る。
「桃香じゃないか、お前も来たんだな」
「白蓮ちゃん!」
おそらくそれが彼女の真名なのだろう。劉備は旧知の顔を見つけたことに喜びの声をあげる。
「本初。彼女は劉備玄徳。以前私のところで客将もしていたが、なかなか有能な将が揃ってるぞ」
「あら、そうなのですか?………まぁ、いいでしょう。この袁本初が、劉備さんの軍の参加を認めますわ!おーっほっほっほっほ!」
袁紹の高笑いが天幕に響く。先からいた諸侯はまたかとうんざりとした顔を隠し、劉備は首を傾げるのだった。
袁紹の高笑いが収まると、軍議が再開された。………されたのだが。
「それで、どなたを総大将に据えるのですか?まぁ、私としては、どなたがやってもいいんですけど、総大将に相応しい方がどのような方かわからないので、なんとも申し上げることはできませんがね」
「………白蓮ちゃん、もしかして―――」
「あぁ、ずっとこんな調子だ。本初がやりたいのは見え見えなんだが、それを薦めると、どんな命令をされるか分からないから、誰も言いださないんだ」
そうなのだ。本人は気づかれていないと思い込んでいるが、皆が、袁紹が総大将をやりたがっていることを理解していた。ただそれを推挙すると、総大将に推薦したのだからと無茶な命令を下されることは目に見えている。その為、軍議は戦略や陣形の話し合いを行うずっと前の段階で平行線を辿っていた。
小声で公孫賛と劉備は言葉を交わす。前者はその状況が理解できているが、後者はそうではなかった。勢いよく手を上げると、後ろに侍る少女が止める間もなく劉備は袁紹に向かって声をかける。
「それでしたら、袁紹さんが総大将をすればいいと思います!」
「あら、劉備さん。私が総大将に相応しいと?」
「えぇと、はい、そう思います!名門袁家の方ですし、この中では一番大勢力ですから、袁紹さんがいいんじゃないでしょうか?」
「あらあら、これはこれは………他の皆さんはどう思いますの?」
ニヤニヤと笑みを隠しきれない袁紹に、呆れた声をかけたのは華琳だった。
「貴女でいいんじゃない?他にやりたい者もいなさそうだし」
「そうじゃな。麗羽姉様がやればいいと思うぞ?」
次いで声をかけるのは、袁紹同様に金髪を輝かせる少女だ。どことなく袁紹と似ている。おそらく彼女が袁術なのだろう。
2つの勢力の代表者の言葉に、他の諸侯も賛同の声を上げる。ようやく本腰を入れられそうだと、溜息を吐く者もいた。
「あら、皆さんもそう思われるのでしたら………わかりましたわ!この袁本初、謹んで総大将の役目を引き受けますわ!おーっほっほっほっほ!!」
この日何度目かになるかわからない袁紹の高笑いが、天幕に響く。
「それで、どのように汜水関を攻略していく気なの、麗羽?」
「そんなもの決まってますわ!」
華琳の質問に、袁紹はびしっと指をさして応える。
「雄々しく、勇ましく、そして華麗に前進ですわ!!」
次いで天幕に響くは沈黙の音。皆が眼をそらすか眉間を抑えるかしていた。華琳は頭痛を抑えながらもなんとか袁紹に向き直ると、再度問い直す。
「貴女が何も考えていないことはわかったわ。それで、布陣は?」
「そうですわねぇ………」
と、少し考え込む袁紹。前半の嫌味が聞こえていないのは、凄いという言葉以外に形容できるものがない。
「本陣は私の軍でいいとして、左翼に華琳さん、右翼に美羽さん。あとは適当についてくださいな」
「はぁ…貴女って人は………」
「そうですわ。劉備さんとか言いましたわね。貴女が前曲を務めなさい」
「え、私ですか!?」
突然矛先を向けられ、劉備は慌てる。助けを求めようにも、周囲は憐みの視線を向けるばかりだ。そんな彼女に、袁紹は胸を逸らし、高慢な態度で見下ろす。
「えぇ、そうですわよ?貴女がこの私を総大将に推薦したのでしょう?でしたら、その総大将の命令に背くのは如何なものかと思いますけど?」
その言葉に応えたのは劉備ではなく、彼女の後ろに立っていた少女だった。
「劉備軍の軍師をしております、諸葛孔明と申します。その命、謹んで拝領いたします。………ただ、我々の軍も2000と小勢なので、可能でしたらいくらか援助を願いたいのですが」
「援助、ですか?」
「はい、袁紹殿の軍から兵を1万ほど。それと我が軍に兵糧の補強をば」
「い、1万ですって!?さすがにそれは―――」
「なれば、その半分でも構いません。まさか名門袁家の袁紹殿がその程度の援助を惜しむとは思いませんが………?」
その言葉に、雪蓮の後ろに控えていた冥琳の眼が鋭く光る。援助出来るか出来ないかのギリギリを提示しておきながら、実際に欲する数を要求する。その数が多いことに変わりはないが、相対的にその躊躇いは激減する。また、兵の数に注意を向けさせることで、兵糧への関心を引き下げる。なかなかに巧妙だと、冥琳は内心賞賛の意を表す。
諸葛亮の鋭い言葉に、袁紹はたじろぎそうになるも、それを抑え込む。名門の出としての意地だろう。彼女は目の前の少女の鋭い視線に負けない程の視線を返すも、すぐに一つ息を吐き、返事を出した。
「よろしいでしょう。この袁本初の軍からの援助を許可しますわ。斗詩さん!後ほど劉備さんの軍へと兵をお渡しなさい」
斗詩と呼ばれた少女は、はいと短く返事をすると、その準備へと天幕を出て行く。袁紹も、1刻後に軍を関に向けて進めると全体へ通達すると、出口へと向かった。
それに合わせて他の諸侯が出て行くなか、劉備は後ろに立つ少女へと振り返り抱き着いた。
「朱里ちゃん、ありがとぅぅ」
「………あの状況では仕方がないですよ、桃香様。それより、兵の受け取りに行かないと」
「ごめんね、頼りない大将で」
「ふふ、桃香様はそのままでいいんですよ。それを補佐するのが私達の務めですから」
「………ありがと」
少女は涙目になって抱き着いてくる主の頭を優しく撫でるのであった。
孫策陣―――。
袁術軍が右翼につく為、必然的に孫策軍も右翼に配置されることはわかっている。ならば、どうやって袁術軍へ損害を与えるかだ。天幕の中で、冥琳は考える。おそらく、この戦は連合が勝利する。ならば、どうやってこの機を利用するかだ。様々な状況を想定し、敵のあるいは自軍の戦力を脳内で幾度も分析する。彼女が思考に耽っていると、肩を叩かれた。
「なんだ?………と、雪蓮か。どうしたのだ?」
「ねぇねぇ、冥琳。ちょっと遊びに行かない?」
「何を言っている。あと半刻もすれば進軍の時刻だぞ?そんな時に何を言って―――」
「でも、あの劉備って娘のところの軍師、気にならない?」
「それは………」
「でしょう?あたしも気になってるのよねー。劉備の方はまだまだ甘ちゃんだけど、それでも黄巾の乱を潜り抜けてきたのよ?それなりの何かを持ってると思うんだけど」
「………そうだな。だが、少しだけだぞ?」
「やった!冥琳ありがとー」
渋々ながらも誘いに乗る相棒に、雪蓮は抱き着く。こんなところはあの劉備と似ているな、と冥琳は内心苦笑するのだった。
劉備陣―――。
「さて、この辺りだと思うのだが………」
「その辺の兵士捕まえて聞けば?」
「貴女がそれをやると、絶対に騒ぎになるから却下だ」
「ぶー」
そんな風に雪蓮と冥琳が話しながら歩いていると、鋭い声がかかった。
「そこの者!ここは劉備様の陣だぞ!名を名乗れ!!」
「あら、あたし達のこと?」
見ると、偃月刀を携えた黒髪の少女が、鋭い目つきで2人を睨んでいた。何もせずとも騒ぎは起こるかもなと、冥琳は頭を抱えたくなるのを抑え(そして隣で殺気を微かに滲ませる主を手で抑えて)その問いに応える。
「なに、劉備に会いに来ただけだ。通してもらえるか」
「名を名乗らぬような者を我が主に合わせるわけにはいかぬ」
「あら、だったら先に聞いてきた貴女が名乗るのが礼儀じゃない?」
「なんだとっ!?」
雪蓮の応えに声を荒げる少女。瞬く間にその場は殺気に支配され、周囲の兵たちも何事かと身構える。雪蓮は殺気を放ちながらも、飄々とした様子でさらに続けた。
「やっぱりいいわ。家臣がそんな感じだと、劉備の器もたかが知れてるわね。さよなら」
「き、貴様…主を侮辱する気か!!」
「何よ、先に無礼を働いたのはそっちじゃない」
立ち去ろうとする雪蓮に、なおも突っ掛かる。冥琳はどうしたものかと悩んでいると、この状況の最中、どこか緊張感の抜けた声が響いた。
「ちょっとちょっと、愛紗ちゃん!何やってるのー!?」
「と、桃香様!?」
登場したのは劉備。すぐ後ろにはちょこちょこと小走りで孔明が追いすがる。彼女は慌てた様子で愛紗と呼ばれた少女の前に立つと、すぐに頭を下げた。
「あの、孫策さん…ですよね。よくわからないけど、愛紗ちゃんが無礼を働いてしまったようで………ごめんなさいっ!」
「桃香様、このような輩に頭を下げる必要などありません!」
「あら、貴女は主の礼節を蔑ろにする気?」
「ぐっ……」
挑発に言葉を詰まらせる少女を、孔明がなんとか宥める。劉備は慌てながらも、孫策に話しかけた。
「ごめんなさい、孫策さん………」
「いいわよ。まだまだ青いけど、忠誠心だけはあるみたいだしね。そんなことより、ちょっとだけ話がしたいんだけど、いいかしら?」
「あ、はいっ!なんでしょう?」
劉備の謝罪に、ふっと殺気を和らげると、雪蓮は彼女をじっと見つめる。その視線に困ったような顔をする劉備。
「………質問だけど、貴女はなぜこの連合に参加したの?」
「えぇと、私は洛陽で困っている人たちがいる、って聞いて、その人たちを助けたくてこの連合に馳せ参じました」
「へぇ…それだけ?」
「それだけ、ですが………?」
「そ、わかったわ。ありがとう。話はこれだけよ」
「そうですか………」
短い問答に劉備は首を傾げるも、雪蓮は気にした様子もない。雪蓮もその無言の問いには答えず、いまだもう1人の女性を抑える孔明に声をかける。
「孔明ちゃん、ちょっと質問なんだけど」
「はわわ、わた、私ですかっ!?」
先の軍議とは違い、舌足らずなその口調に雪蓮は思わず噴出した。それを見てさらに慌てる少女に雪蓮は笑いながら、ごめんごめんと謝る。
「最近うちの城に仕官した娘に、諸葛謹ってのがいるんだけど、貴女の親類?」
「はわわっ!お姉ちゃんを知ってるんですか!?」
「あら、当たりのようね。いい土産話が出来たわね、冥琳?」
「そうだな。あいつもこんな所に妹がいると知ったら驚くだろうさ」
「そうね。孔明ちゃんみたいに『あぅあぅ…』って吃驚するでしょうね」
「その口癖…やっぱりお姉ちゃんですぅ………」
その言葉に、雪蓮は満足そうに頷くと、話はこれだけよと背を向ける。しかし数歩進んだところで、いまだ睨む少女を振り返った。
「そうそう、貴女」
「………関羽だ」
「関羽ね。忠誠も大事だけど、時と場合によっては主の威を失墜させることになるから気をつけなさい」
「う…わかった。忠告痛み入る………」
どうやら孔明にも同じことを言われたのだろう。素直に言葉を受け止め謝罪する関羽に、雪蓮の受けた印象は幾分か和らぐのだった。
「それで、どうだった、雪蓮?」
自軍の陣へと戻る道すがら、冥琳は隣の女性に語りかける。
「甘いの一言に尽きるわ。甘ったるすぎて反吐が出そうよ」
「その割には今日は大人しかったな」
「………あー、そうね。昔の私ならもっとキツイ言葉を投げつけたかもね」
「ま、成長したのだろうよ」
「………一刀を見てたせいよ。なんでも受け入れるあの器を見せつけられたら、どうしても自分を顧みちゃうわ」
「そうだな」
「できれば蓮華にも会わせてあげたかったんだけどね………」
語られる人物は雪蓮の妹、孫仲謀である。これまでは袁術の命により離れて暮らしていたが、ことこの遠征に限っては兵と共に招集され、孫策の陣に参加していた。一刀の姿に自分とは違った王の資質を見出していた雪蓮は、いずれ自分の後を継ぐ妹に、その姿を見せられなかったことを悔やむ。
「ま、どうせあたし達の所に引き入れる予定だから、いずれ会えるでしょうね」
「なんとも楽観的な発言だな、まったく」
苦笑する冥琳をからかう雪蓮の下に、1人の少女が現れた。雪蓮と同じく桃色の髪にコバルトブルーの瞳を持ち合わせた少女は、たった今話題に上がっていた彼女の妹・孫権だ。
「姉様、何処に行っておられたのですか!」
「あら、蓮華。ちょぉっと、劉備のところにね」
「もうすぐ進軍させる頃だというのに、そうやってふらふらと出歩かないでください!」
「相変わらず連華は堅いわねぇ。大丈夫よ、前曲に配置されたわけじゃないし」
「しかし………」
「蓮華様。何も雪蓮は遊んでいたわけではありません。今後の情勢に備えて一手打ったとお考えください」
「今後って………劉備というのはたかが義勇軍の将でしょう?」
「ま、それしか見えないなら、蓮華にはまだまだ王の座は譲れないわね」
からかう様な姉の言葉に、孫権は言葉を詰まらせる。姉の言う通り、姉やその軍師が見据える未来が自分には見えていない。それが悔しくもあり、彼女はもういいです、と切り上げて、陣地へと戻って行った。
「やっぱり会わせてあげたかったなぁ」
「仕方のないことだ。連華様とて、この遠征で少なからず成長してくれるさ」
「ま、今後に期待ね」
肩をいからせて歩く少女の後ろ姿に、今度は雪蓮も苦笑するのであった。
再び劉備陣、天幕―――。
その天幕の中には、3人の少女がいた。一人は劉備、そして彼女に向かい合うように、関羽と諸葛亮が立っている。
「駄目だよ、愛紗ちゃん。折角会いに来てくれたのに、あんなこと言っちゃ。今は味方なんだよ?」
「はい……申し訳ありません………」
「もうっ、そんな顔しないで。怒ってる訳じゃないんだから」
「もうよいではないですか、桃香様。最後には孫策さんの忠告もちゃんと受けてましたし」
「ん~、そうだよね。私は別に威厳とか気にしないけど―――」
「それではいけません!桃香様は我々の仕える主なのですから、相応の態度をとって貰わなければ!」
鋭い剣幕の関羽に、藪蛇だったかと劉備が背を丸める。と、天幕の入り口から声がかかった。入ってくるのは青い髪を携え、白い衣装に身を包んだ女性。その方には鋭い槍を担いでいる。
「よいではないか、愛紗よ。桃香様もいまだ成長の途中だ。これからゆっくりと学んで頂ければよいさ」
「星か。そうは言うが………」
「なに、少なくともこの状況ではそれを教える時間もなかろう。もうすぐ出陣の時間だぞ?」
「はわわっ、もうそんな時間なんですか!?」
「あぁ。雛里も『あわわ~』と泣きそうになりながら兵達に指示していたぞ」
「はわわ、ひ、雛里ちゃぁぁん!」
星と呼ばれた女性―――趙雲の言葉に、慌てて天幕を出て行く孔明。趙雲はくつくつと笑いながらそれを見送ると、主とその家臣に振り返った。
「さて、愛紗に桃香様。我らも準備をせねばならぬと思うが?」
「そうだな…桃香様!この続きはいずれ」
「そんなぁ……」
続いて関羽も天幕を出る。よよと泣き崩れる主を、趙雲は笑いながら見つめるのだった。
曹操陣営―――。
そろそろ時間かと華琳が天幕を出ると、ちょうど軍師である稟が中に入ろうとしているところだった。わざわざ呼びに来たのかしらと考えていると、彼女が口を開く。
「華琳様、放った斥候が戻って参りました。彼の情報によると、汜水関に籠る将は華雄のみとのことです」
「あら、1人なの?確か董卓のところには張遼という武将もいたと思ったのだけれど」
「はい、おります。ですが、どうやら汜水関に華雄、虎牢関に張遼が配置されているようですね。伏兵として動くかとも思いましたが、平原の両脇には崖がそびえております。それも無いでしょう」
「そう、ありがとう」
稟の報告を受け、華琳は考える。まさかたった1人の将でこの軍勢を抑えるつもりなのだろうか。いくら籠城戦とはいえ、時間稼ぎも難しいのではないか。しかし、稟も有能な軍師だ。彼女がそう判断したのならば、自分もそれを受け入れるしかない。今考えるべきはその理由ではなく、如何に功を得るかだ。
「稟、貴女は桂花と共に如何に汜水関を攻略するかを引き続き検討なさい。とはいえ、最初はどうせ膠着状態が続くでしょう。それほど焦る必要はないわ」
「御意」
短い一言と共に、稟は背を向け歩き出す。残された曹操は脚を止めたまま空を見上げた。彼女が見据えるはこの茶番のような戦ではない。彼女の眼は、その先に訪れるであろう乱世へと向けられていた。
時は戻り―――。
汜水関の門は堅く閉ざされ、門から300mほどだろうか、幾らか離れた位置に2人の少女は立っていた。1人は劉備軍の関羽、そして彼女の隣に立つは、同じく劉備軍の赤い髪の小柄な少女。なぜこのような子どもが最前線に、と思うが、彼女はその身の丈に合わない長柄の蛇矛を軽々と持っている。
「愛紗ぁ、敵が出てこないのだ」
「我慢しろ、鈴々…この戦力差だ。籠城を選ぶのも当然だろう………だが、このままではな」
関羽に宥められるも、退屈だと言わんばかりに頬を膨らませる鈴々と呼ばれた少女―――張飛は、挑発するかのように蛇矛をぶんぶんと振り回す。
「にゃー!出てくるのだー!!」
「あらあら、元気がいいお嬢ちゃんね」
背後からかかる声に振り返ると、そこに立っていたのは雪蓮であった。右翼に配置されているはずの彼女がなぜ、と関羽は目で問いかける。
「いやぁ、あたし達も暇しちゃってね。ちょっと手伝いに来たのよ」
「手伝いか。それはありがたいのだが、どうやら敵は籠城を決め込むつもりのようでな」
「そんなの見りゃわかるわよ。ただ、うちの斥候によると、汜水関を守っているのは華雄っていう武将なの。華雄はあたしの母親とも闘ったことがあってね。それで、その辺りを突けば挑発に乗って出てくるかもしれないわよ?」
雪蓮の言葉に、関羽は考え込む。確かに、この位置まで近づいてから既に1刻は過ぎようかという頃だ。何度か挑発を試みたが、それもまったく効果を見せていない。仕方がないかと、関羽は雪蓮に頷き、数歩下がって場を譲った。
「おにーさん、新しい人が出て来ましたよー?」
「ん?誰だろうな。そろそろ痺れを切らす頃かと思ってたが、またくだらない挑発でもする気かもな」
「そですねー。ただ、そろそろ華雄さんを縛る縄も千切れそうな雰囲気なので、出る準備はした方がいいかとも思いますがねー」
そう言って風は後ろを振り返り、一刀も合わせて風の背後に視線を向ける。
「―――っ!――――――っっ!!!」
そこには縄でぐるぐると縛られた上に、猿轡を噛まされた華雄が転がっていた。一刀と風は一度呆れの視線を送ると、再び向き直る。
「ま、ここらでひと当てするのも悪くないしな。作戦は夜にならないと始められないし」
「はいー。それではお兄さん、お任せしますよ。風は華雄さんの縄を解いておきますのでー」
そう言って口元の笑みを手で隠す風の眼は悪戯っぽい光が宿っている。やりすぎるなよと一刀は軽く釘をさすと、城壁の隙間から新しく出てきたという武将を見下ろす。
「………雪蓮か。こりゃ、流石に華雄を抑えられないな。丁度いいタイミングってことか」
旧知の友を見つけた一刀は、纏っていた黒い羽織を脱ぎ去ると、懐からある物を取り出した。
「我が名は孫策!華雄よ、まだそのような関に隠れているつもりか!石の壁に守られておらねば部下たちに威厳を保てないとは、貴様も小さい奴だな!それとも何か?我が母孫文台につけられた傷がまだ痛むのか?ならばそのまま籠っているがよい!我らは貴様の小さき器を世に知らしめるまでだ!!………まぁ、貴様が出てこようと、再び孫家に勝利をもたらしてくれることに変わりはないがな!」
城壁に向かって叫ぶ雪蓮の言葉が谷に響き渡る。その堂々とした、それでいて華雄を莫迦にしたような口上は、十分な効果を持っていたらしい。城壁の上では華雄が猿轡を噛み千切り、身体を縛る縄をぶちぶちと引き裂いていた。
「おにーさん、華雄さんが限界らしいですよー」
「そうか。風、ちょっと手を出してごらん。それで、両手のこの部分を抑えて………そうそう。で、あとはこっちに捻ると………」
「後生だ!離せ、一刀、程昱!」
「おぉっ、これはこれは………風の力でも華雄さんを抑えられるとは」
風の言葉の通り、風の手により華雄の腕は妙な向きに曲げられ、彼女は動けずにいる。華雄はそれでもなんとか抜け出そうともがくが、完全に極められている為、それ以上動くことが出来ない。
一刀はそんな華雄の頭を撫でると、その手に持つものを装着した。
「おにーさん、その仮面は?」
「なに、中には顔が割れている相手もいるからね。それに、見えない方が信憑性が高まるだろう?俺が合図したら華雄を放していいよ。………華雄。あと少しで出撃させてやるから、もう少しだけ我慢しな?」
「ぐ…わ、わかった………。だが、出来るだけ早く頼むぞ!」
「わかってるよ。………それじゃ、行ってくる」
「いってらっしゃいませー」
一刀に撫でられ少し落ち着いたのか、華雄はその動きを止める。そんな様子に苦笑しながら、一刀は顔の上半分を隠した白い仮面の位置を調整し、立ち上がった。
「………出て来ないわね」
「挑発が足りないか?」
「にゃにゃっ!?誰か出てきたのだ!!」
張飛の言葉に、雪蓮と関羽は同時に上を見上げる。そこには一人の男が立っていた。陽の光を反射する純白の服を身に纏い、その顔には同じく白い仮面をつけている。その異様な雰囲気に呑まれまいと、3人はそれぞれ武器を持つ手に力を込めた。数瞬の沈黙ののち、白い男は口を開く。
「聞け!董卓を討たんが為に集まった者どもよ!我は『天の御遣い』なり!世の下らぬ噂に流され、己が益の為だけに生贄を捧げようとするその心意気、感服する!」
『天の御遣い』という言葉に眼下の軍勢がどよめく。皆、董卓の下に『天の御遣い』が降り立ったという噂を知っていたからだ。その様子に満足げに頷くと、一刀は後ろ手で風に合図を送る。途端、華雄が起き上がり、階段も使わずに関の反対側に飛び降りた。彼はその気配だけで準備が整ったことを汲み取ると、さらに言葉を続ける。
「だが、我は貴様らのその下らぬ陰謀のすべてを許そう!なぜなら――――――」
汜水関の門が重そうな音を立てて開け放たれる。
「――――――貴様らの策など、この『天の御遣い』が叩き潰してくれるからだ!!」
「「「「「―――――――――――――――っ」」」」」
その言葉と同時に鬨の声が上がり、汜水関の巨大な門から董卓軍の兵士たちが走り出る。その先頭に立つは、猛将華雄。
いま、正義を貫く為の闘いが始まった。
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