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真・恋姫無双 ~美麗縦横、新説演義~ 第三章 蒼天崩落   第十六話 そして少年は舞台へと駆け上がった

茶々さん

久々の更新です。

2011-02-24 23:14:16 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:1605   閲覧ユーザー数:1476

砦の急襲部隊に抜擢された馬謖は、初めての大任に大いに息巻いていた。

 

 

幼い頃より兄・馬良の背を見て育ち、兄が『白眉』の渾名と共に近隣にその才器を示すと、自分もまた巴蜀の一尾の力となるべく朝に夕に書を読み漁った。

同年代の少年少女には決して引けを取らぬと自他共に認める才女として出仕した矢先、突如として主・劉備が魏に、正確には魏に反旗を翻した司馬懿に攫われるという事態が発生。

 

更に突然の孫呉による侵略、そして司馬晋に対抗する為の各地での戦闘を経て、遂に連合軍は旧曹魏帝都・許昌へと攻めのぼった。

 

 

帝位すら簒奪した逆賊に対し、義憤に燃える馬謖はこの奇襲部隊の指揮を師でもある諸葛亮に直訴した。

巴蜀第一の忠臣たる関羽を狂気に狂わせ、主劉備を攫った卑劣漢に天誅を、と息巻く馬謖に一抹の不安を抱きながらも、その才を知る朱里はこの申し入れを承諾した。

 

 

最も、奇襲部隊は全部で三つありその内の一つを任せたにすぎないのだが……

 

 

 

 

 

(司馬懿仲達……お師匠様の同門と聞いたけど、この程度とはね)

 

 

茶色がかった髪を揺らしながら、馬謖はこの奇襲の成功と連合軍の勝利を確信していた。

 

奇襲部隊は他に超雲、馬超がそれぞれに率いており、正面は関羽や張飛を始めとした巴蜀きっての精鋭部隊。

例え十倍の兵力を以てしても討ち破るのは容易な事ではない。

 

 

そしてこの奇襲によって浮足立った敵は前後の狭撃によって壊滅。

 

 

(関羽様を狂わせ、劉備様を攫った罪。この馬謖が償わせてあげるわ!!)

 

 

その威勢は天をも衝かんばかりに鋭く、故に彼女は気づかなかった。

 

 

「全軍、掛かれぇ!!」

 

 

号令一下、馬謖率いる奇襲部隊が砦の門をこじ開け、突入した。

 

先陣を切り、馬謖が馬を駆っていの一番に突っ込むが、周囲の様子に違和感を覚えた。

 

 

―――まるで鍵がかかっていない事を知らせる様に門が僅かに開いていたのか、その理由に。

 

 

「――――――ようこそ」

 

 

突然、頭上から聞こえたその声音が馬謖の鼓膜を揺らした瞬間、

 

 

「獄界の入口へ」

 

 

視界が紅蓮の焔に包まれた。

 

            

 

「アァッ!!」

「……フンっ」

 

 

中央、大正門前は今世の地獄と化していた。

 

突然大正門が爆発したかと思えば、後方の正門もまた爆発し、深入りしていた魏軍が丸ごと炎の海の中に閉じ込められたのだ。

 

そして頭上から降り注ぐ晋軍の矢と鉛弾の雨を捌き、時にかわしながら、霞の飛龍偃月刀がうねりを上げた。

 

 

「鄧艾ィィ!!」

 

 

だが、眼前の少女―――青藍を穿つ事は叶わず、彼女の愛剣によっていなされてしまう。

そのままひょうと後ろに飛び退く彼女を見やり、霞はニヤリと笑んだ。

 

 

「ハッ……何や、アンタ、ちゃんと喋れる、んかい……」

「当たり前です。私を誰だと思っているんですか?脳筋女の分際でこの鄧士載を侮るなど失笑モノですよ」

「…………口、ろくにきかん方が、可愛げ、あったなぁ……!!」

 

 

苛立ったように叫ぶ霞を見て、青藍は凍てついた嘲笑を満面に湛えた。

 

 

「敵を欺くにはまず味方から、と云うでしょう?……最も、私が味方するのは後にも先にも仲達様ただ御一人ですが」

「はっ……仲達ン前でも、そない、饒舌なんか、ィッ!?」

 

 

言った瞬間、青藍は一瞬で霞の懐に飛び込むとその腹を蹴り飛ばした。

堪らず霞が吹っ飛ぶ。

 

 

「口を慎みなさい下衆が。おこがましくも仲達様を呼び捨てにするなど、九族に至るまで死罪にしても飽き足らぬ蛮行」

「グッ……ッ!」

 

 

軋む様な音を立てた腹を擦りながら、霞は痛みに耐える様に下唇を強く噛んだ。

だが、決して倒れたままにはならない。

 

 

「しぶとい……」

 

 

再び立ち上がる霞を見て、苛立たしげに青藍が呟いた。

 

 

「さっさと死ねば苦しまずに済むものを……」

「ハッ!笑わすなや」

 

 

口元を伝う血を拭い、横に薙ぐ様に愛用の偃月刀を振った霞はニヤリと笑んだ。

 

 

「ウチは死なん。こないな所で……こんな、しょうもない所で死んだりはせぇへん!!」

「貴女の役目は終わったのですよ?このまま此処で曹魏の亡霊と共に朽ち果てなさい。それこそが救済、罪深き貴様らの唯一の贖罪なのです」

 

 

剣を構え、青藍は続けた。

 

 

「仲達様を苦しめ、傷つけ、そのくせ誰一人あの御方を認めようとしない。貴様らも、この世界も全部、全部壊れてしまえばいい。他には誰もいらない……仲達様が認め、仲達様が望む者たちだけが生き、それ以外の全てが朽ちた理想郷の礎となれる事を誇りに思いなさい」

「……ハッ、随分とみみっちぃ理想郷やな」

 

 

霞の呟きに、青藍の眉がつり上がった。

 

 

「…………今、何と言った?」

「何度でも言うたるわ。そないに下らん天下、こっちから願い下げや!!」

 

 

飛龍偃月刀を構え、霞の纏う空気が変化した。

先程までの疲労や動揺は消え失せ、ただ純然たる『殺気』のみが彼女を包む様にして渦を巻く。

 

 

傍らに立つ春蘭は、その背を見て思わず背筋が震えるのを感じた。

 

 

「霞……」

「……なぁ春蘭」

 

 

スッと、霞が半分だけ振り向いた。

 

          

 

 

「―――これ全部終わったら、ウチのとっておきの酒おごったるわ」

 

 

ニカッと人好きする、あの悪戯めいた笑みを浮かべそうのたまう霞に、数瞬置いて春蘭はコクンと頷いた。

 

そして次の瞬間には弾かれた矢の様に駆け出し、一瞬でその背は見えなくなった。

 

その行動の意味を計りかねていた青藍だったが―――咄嗟にその場を飛び退く。

 

 

「ッ!?」

 

 

僅かに彼女の感覚を揺らした『それ』から逃げる様に避け、そしてそれが正しかった事を知る。

 

 

「さぁて……おイタの過ぎたガキにゃ、きっついお仕置きが待っとるでぇ?」

 

 

纏う覇気は紛れもなく一流の武人たる証。

 

これまで手を抜いていた訳ではない。だが、明らかに質が違う。

 

 

そう―――見くびっていたのは自分。

 

青藍は精神を研ぎ澄ませる。

獣が牙を研ぐ様に、己の五感を張り詰めさせた。

 

 

目の前に立つ女傑―――死して尚その武名を轟かせる最強の武神・呂奉先の盟友にして、神速の名を冠す驍将。

 

 

「――――――張文遠、罷り通る!!!」

 

 

 

 

 

 

春蘭は戦場を駆けた。

見据える先は只一つ―――北郷一刀の場所。

 

 

この世で、天下で只一人、華琳様が真名を許した男。

そして――確信はなかったが――仲達を止められる、と思える男。

 

 

一刀なら―――彼なら、司馬懿すらその器に収め、そして華琳様の覇業を今一度蘇らせる事が出来るのではないか。

 

 

だからこそ駆け抜けた。

視界の端に映る倒れた味方も、襲い来る敵も、全てを振り払い、薙ぎ払って。

 

 

「――――――一刀!!」

 

 

だが春蘭が大天幕に駆け込んだ時―――そこに、求める男の姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

戦場で猛る関羽の姿を見て、司馬懿は驚嘆の吐息を洩らした。

 

 

―――あれが、華琳様が一国程に求めた万人に値する女傑か。

 

 

殺意も狂気も、全てを超越してただ一人の武人として戦場を駆けるその様は、敵ながら賞讃に価する。

 

 

――――――まぁ、だからこそ『あの男』をぶつけた訳だが。

 

 

司馬懿の指が踊る。

それに合わせる様にして、『それ』はおよそ人を超えた速度でその巨石の様な剛腕を女傑の得物に叩きつけた。

 

鋼鉄糸。

鉄すら凌駕する強度を誇る鋼鉄の糸は、考えればいくらでも遣い方はあった。

 

 

例えば、周囲の瓦礫を矢の様に飛ばしたり。

例えば、骸の各部位に繋げて人形の様に操ったり。

 

 

そう。

今目の前で繰り広げられている光景――蜀の猛将関羽と、呉の猛将太史慈の一騎打ち――は、司馬懿にしてみればある種の人形劇に見えなくもなかった。

 

              

 

 

「……仲達さん」

 

 

背の方から聞こえた声音の主を、司馬懿は振り向かずに断定した。

 

 

「風か」

「一刀さんが動きましたよ~」

 

 

その言葉に、司馬懿は口の端を釣り上げてニヤリと笑んだ。

 

 

「…………そう、か」

 

 

予測できた顛末。

予想できた結末。

 

一歩一歩近づく自らの終端に、しかし司馬懿はただ冷笑を湛えて静かに歩みを進めた。

と、その背に投げかける様に風が続ける。

 

 

「それと、もう一つ……」

「……何だ?」

「桂花ちゃんに連れられて、華琳様が脱出しました」

 

 

その言葉に、ほんの僅かであったが司馬懿の肩が揺れた。

 

だがそれも一瞬の事で、風が再び見やった時には既に司馬懿の背は何一つ語ろうとはしなかった。

 

 

代わりとばかりに司馬懿の口が開く。

 

 

「風、貴様は蜀軍を『足止め』しろ」

「……『足止め』で宜しいんですか?」

「ああ。最も―――」

 

 

そこで一旦区切る。

まるで、安全である筈の大天幕から剣戟が飛び交う戦場へ駆けてくる少女の存在を感じ取ったかの様にフッと笑みを浮かべ、

 

 

「―――潰せる程度に脆ければ、遠慮なく叩き潰せ」

 

 

冷淡な声音と共に、そう告げた。

 

 

 

 

 

 

「―――仲達くん!!」

 

 

どうして、自分は走っているのだろうか。

天幕に留まるべき己が、後方より采を振わねばならない己が、どうして。

 

 

――――――問うまでもなく、考えるまでもなく答えは彼女の中にあった。

 

 

彼に会う為。

会って、自分の想いをぶつける為。

 

あの夜伝えそびれた、そして届かなかった気持ちを、想いを、その全てを。

 

 

だから朱里は走った。

自分の細い足を精いっぱい励まして、叱りつけて走り抜けた。

 

 

周囲の怒号も、燃え盛る砦も目に入らない。

求める色を背負う彼以外の存在は全て、彼女の視界を遮る障害。

 

 

「仲達くん!!」

 

 

もう迷わない。

もう戸惑わない。

 

心を定め、駆けた先に―――そうして、朱里は見つけた。

 

 

「…………やはり、貴女ですか」

 

 

己と相反する、『月』の少女を。

 

              

 

少女―――風の後方で炎が踊り狂うのを朱里は見止めた。

だが、そこに意識を裂く程に風は朱里に余裕を与えてはくれなかった。

 

 

「……貴女が、仲達さんと出会わなければ」

 

 

武芸に心得があるとは見受けられない。

だが、その言の葉はそれだけで一振りの刃となって構えられた。

 

 

「貴女が、仲達さんと親しくしなければ」

 

 

周囲の声も音も、全てが朱里には遠く感じられた。

ただただ、眼前の少女の動きの一つ一つに視神経が奪われ、感覚が根こそぎその意識を向けられる。

 

そして朱里の瞳は、風の口元を映した。

 

 

―――貴女が、いなければ

 

 

瞬間、風がそんな風に口を動かした様に朱里には見えた。

 

否、事実声に出さなかっただけで本心でそう吐露していたのだろう。

その射殺す様な視線から、棘の生えた様な口調から、朱里はそう察した。

 

 

「仲達さんは苦しむ事はなかった……仲達さんは、その喪失を悲しまずに済んだ……!!」

 

 

悔しさを噛み締める様な声音で風は呟く。

だが、朱里にはその心境を酌んでいるだけの時間はなかった。

 

 

「そこをどいて下さい」

 

 

朱里の言葉に、風の眼差しが一層鋭さを増した。

 

が、怯む事無く朱里は続けた。

 

 

「仲達くんがどんな苦しみを背負ってきたのか、どんな悲しみを味わってきたのか……そんな事、私には分かりません」

 

 

「けど」と朱里は繋ぎ、

 

 

「―――仲達くんが通したい『自分』が居る様に、私にも通したい『私』が居るんです。仲達くんの都合なんて、今更知った事ではありません」

「……どうして、分かろうとしないんですか」

 

 

風の呟きを遮り、朱里は再び口を開いた。

 

 

「もう一度云います。そこをどいて下さい。私は――――――私は、諸葛孔明として、朱里として!彼の友人として、彼を愛した一人の女性として!!彼を止めに行きます!!」

「―――いい加減にして下さい!!」

 

 

風が、吼えた。

 

 

「今更何なんですか?貴女はそうやって、また仲達さんを傷つけるんですか!?」

「な、何を……」

「どうして仲達さんがこんな馬鹿げた猿芝居を打ったと思っているんですか!?どうして態々貴女達に大義名分を与えたと思っているんですか!?そんな事一つ理解しようとせず、何も知らずに仲達さんを止める?―――もうそんな傲慢にはうんざりなのですよ」

 

 

こみ上げる怒りを隠そうともせず、風は今までにないくらいに声を張り上げた。

嘗ての同朋が聞けば、耳を疑うであろう程に彼女らしくない大声で、

 

 

「貴女の存在が、言葉が、理想が―――全てがあの人を突き動かし、苦しめているのだと……どうして、どうして分からないんですか!?」

 

 

大きく息を吸い込んで、持てる全ての感情を吐き出す様に叫んだ。

 

             

 

「―――貴女が知るずっと前から、仲達さんはずっと……ずっと貴女の理想が叶う事だけを想い続けていたんですよ!!!」

 

            

 

「貴女の夢物語な理想が叶う事を願い、その為に仲達さんは、仲達さんなりにそれを叶える為に奔走し続けていたのですよ。貴方の想像も出来ない様な憎悪やこの世の穢れを見続け、浴び続けても尚……全て、貴女だけの為に」

 

 

ギリッ、と何かを噛み締める音が朱里の鼓膜を揺らした。

 

 

「自分を侮蔑し、己の存在を誰よりも汚らわしく感じ、そんな自分だから貴女の傍にはいられない……いる資格はないのだと、仲達さんは言っていました」

 

 

「だが」と、風は射抜く様な眼光を朱里に向ける。

震える声音も肩も、全てを律して、溜め込み続けた憎悪をぶつける様に声を荒げた。

 

 

「―――貴女が中途半端な優しさを向ける度、あの人の心は抉られ、傷つけられる!生半可な期待を持たせて、貴女はあの人をひたすらに追い詰める!!」

 

 

何時の間にか、二人の距離は半歩ほどに縮まっていた。

それに気づいた時、朱里の首に風の両手がスゥッと伸びていた。

 

 

「―――ッ!?」

 

 

力は欠片も込められていない。

振り払おうと思えばあっさり払えそうな程に弱弱しく、しかし確かにその手は朱里の首を掴んでいた。

 

 

「…………分かっていたのですよ」

 

 

朱里の視界には、風の頭頂に乗った奇妙な人形と、彼女のゆるやかな金糸の髪しか映らない。

だがそこより少し下に視線を向けると、風の顔のある辺りの地面に不可解な湿りがあるのが見て取れた。

 

 

「……それでも、仲達さんが貴女を選ぶ事は」

 

 

声は明らかに弱弱しく震えており、雫が垂れ落ちるのもハッキリと見えた。

だが、朱里は未だ首筋に添えられた手によって口を開く事は叶わなかった。

 

 

「馬鹿なのは、お互い様なのですよ」

 

 

ゆっくりと、風がその面を上げる。

 

その表情は朱里の予想した通り、今にも崩れ落ちてしまいそうな程に脆く儚く、しかし彼女の予想外な事にそれでも笑顔を浮かべていた。

 

 

「分かっていたのですよ、全部……」

 

 

筋書きを全て悟った様な、何処か達観した笑みを浮かべ、

 

 

「それでも、想わずにはいられませんでした。どうやら―――どうやら風は、この天下で一番不器用な人を好いてしまった、一番の馬鹿の様ですから」

 

 

朱里の首に添えられていた手が、力なく垂れる。

真正面から対峙して、そこには最早先程までの威圧感は欠片もなかった。

 

 

まるでずっと昔から知っている友人を見る様な優しい瞳を浮かべ、頬を伝う雫を気にした様子もなく、風の口調は何時の間にか淡々としたいつものものに戻っていた。

 

 

「…………早く行って下さい」

「え……っ?」

「全てが手遅れになる前に、さっさと私の目の前から消えて欲しいのですよ」

 

 

その言葉に朱里は何かを返す訳でもなく、風の横を過ぎ、その背を振り返る事もなく駆け抜けていった。

 

 

「………………さて、風もちゃっちゃと自分の仕事を終わらせるとしますよ~?」

 

 

その声音に、震えはなかった。

 

            

 

「―――チィッ!!」

 

 

盛大な舌打ちを鳴らしながら、青藍の体躯は大きく後ろへと飛び退いた。

だがその着地点を見越していたかの様に霞は迫り、次の瞬間には両者の得物が火花を散らしていた。

 

 

「ハッ!!随分と苦しそうやなぁ!?そろそろへばってきよったかぁ!?」

「フン!!そういう貴様こそ随分と顔が青いぞ?腹でも撃ち抜かれたのか?」

 

 

その言葉と同時に、青藍の足が霞の脇腹に抉る様に刺さる。

全身を襲った凄まじい激痛に霞は顔を一瞬顰めたが、直ぐにニヤリとあくどい笑みを満面に湛える。

 

 

「ハッ……この程度、大した傷やあらへん!!」

 

 

鍔迫り合いが、徐々に青藍を押し込む様に霞の足が一歩、二歩と前へ進む。

その気迫に押し負けない様にだろうか、青藍が声を張り上げた。

 

 

「最早遅い!!貴様らの何もかもが手遅れ、全ては仲達様の掌の上で踊る無様な駒でしかない!!」

 

 

その声と同時にだろうか、霞は自身の遥か後方――外の砦や大本営のある辺り――に鬨の声が上がるのを聞きとった。

 

 

「ハッ……この期に及んで伏兵かいな。随分と無粋やなぁ?」

「戦に粋も無粋も関係ない。強者こそが勝者であり、弱者は全てを奪われ、踏みにじられる!!」

 

 

ギリギリと、青藍の剣が霞の飛龍偃月刀を押し戻す。

 

 

「貴様の様な戦屋が往来を堂々と歩く様な天下をあの方は認めない!!弱きを踏み躙り、戦火に己の満悦を味わう様な下衆が!仲達様の描く理想を邪魔するな!!」

「ほざきぃ!!その理想とかいう胸糞悪い自分勝手の為に、アイツがどんだけの民を虐げたか、お前はホンマに分かっとるんかぁっ!?」

「黙れ!!そもそも貴様らが歯向かいさえしなければ、天下はもっと早く仲達様の叡智によって治められていた!!あの御方の国づくりを邪魔するに飽き足らず、その理想を侮辱するなど……断じて、断じて許さん!!」

 

 

青藍の足が一歩、踏み込まれた。

 

 

「貴様らに分かるか!?生を―――存在を必要とされる喜びが!!生きている意味を与えられた喜びが!!」

「―――ッ!?」

「無慈悲に家族と呼ぶべき者達に捨てられ、畜生の如き辱めを受けたこの身を、この命を!!あの御方は拾ってくれた……あの地獄から、私を救ってくれた!!!」

 

 

更に一歩、青藍の足が踏みこまれる。

 

 

「貴様は言ったな!!仲達様の築く天下は下らないと!!」

「あぁ云うた……そないに白々しい天下、こっちから願い下げや!!」

「ならば死ね!!死んで、あの御方の理想の礎が一石となれる事を誇れ!!!」

「ハッ!!そっちも願い下げや!!あんな嘘吐き坊主にくれてやれる程、ウチの命は安かない!!」

 

 

霞が踏み止まった。

再び両者は鍔迫り合った。

 

 

「どうしたぁ!?さっきよか、随分と弱い踏み込みやのぉ!?」

「―――黙れ!黙れ!!黙れ!!!それ以上あの御方を侮辱するなら、今度こそ殺す!!!」

 

 

一瞬、青藍の力が弱まる。

咄嗟に反応出来ず僅かに崩れた霞の姿勢を青藍が見逃す訳もなく、即座に脇腹に剣を突き刺した。

 

 

「その温もりが偽りだろうが真だろうが、そんな事は関係ない!!私は、私はただあの方の為に、この命を捧げると誓ったのだ!!!」

 

 

今度こそ、血が堰を切った様に吹き出した。

 

               

 

「……ハァ、ハァ…………フフフ、クッハハハハ」

 

 

息を切らしながら、青藍は霞の姿に嘲笑を零す。

 

力なく崩れ落ち、片膝を付き、腹からは夥しい量の血水が吹き出す。

間違いなく致命傷。

 

 

―――勝った。勝ちました!!仲達様!!

 

 

青藍はいっそ歓喜に小躍りでもしそうな勢いで、天に仰向いた顔を喜色に染め上げて嘲笑った。

 

 

「アッハハハハハハハハハ!!アハハハハハ!!!」

 

 

戦場のど真ん中にありながら、周囲の惨状がまるで気にならない。

 

 

―――精々苦しんで死ねばいい。仲達様の理想を穢した罰だ!!

 

 

否、まだ生ぬるい。

その腸を裂き、目玉をくり抜いて耳を削ぎ、口に捥いだ手足を突っ込んでその得物に首を突き立てて飾ってやろう。

 

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 

青藍はその光景を幻視し、狂気に全身を打ち震わせた。

 

周囲の兵もそれに気づいたらしく、とりわけ曹魏の兵などは顔を青ざめさせている。

その様は正しく絶望、恐怖。

 

 

「フフフ…………さて、そろそろ終わらせましょう」

 

 

この女を八つ裂きにして、自分が誰よりも早く勝利の声を上げる。

そうすれば、誰よりも真っ先に自分が褒め讃えられる事だろう。

 

 

これ程の喜びがあるだろうか?

これ程の嬉さがあるだろうか?

 

 

そんな事を考えながら――― 一歩、踏み出した足に何かが奔った。

 

 

 

 

 

 

「…………ウチを相手に勝ちを名乗るには、まだちぃと早かったなぁ」

 

 

その閃光が、飛龍偃月刀であると気づくのに数瞬。

己の足から血飛沫が弾けるに、凡そ数秒。

 

その間に、霞は完全に体勢を立て直した。

 

 

「ッ……しぶとい!!」

「ハッ……やっぱ、アンタは口数少ない方がかわえぇよ」

 

 

腹に激痛を感じ、明らかに朦朧としているであろう霞に、しかし先程以上の殺気が立ち込めていた。

 

手負いの獣、その恐ろしさは窮地にこそ真価を発揮する。

 

青藍は眼前の獣にそんな感想を抱いた。

 

 

「その成りで、一体何が出来ると?」

「―――ハッ!!」

 

 

青藍の嘲笑を、霞は更に鼻で笑い返した。

 

 

「恋やかゆちん、それに詠に月に―――アイツらが受けた痛みに比べたら!!」

「―――ッ!?」

「腹の穴が一つ二つ、腕の一本や二本や三本!!!知ったこっちゃあらへんわっ!!!」

 

 

横薙ぎに払われた偃月刀に押し切られ、堪らず青藍の身体が吹っ飛ぶ。

そしてその隙を見逃す程、張文遠という武人は甘くはない。

 

 

「ウチを倒したいんやったら―――今の三倍は強ぅなってこいやッ!!」

 

               

 

一刀は、何かに導かれる様に戦場を歩んでいた。

不思議と彼の周りに敵は寄らず、また味方も気づかぬ内に、彼の足は一歩、また一歩と大宮殿に近づいていった。

 

一刀は考えていた。

 

 

『許昌で待っているよ?一刀』

 

 

あの日の仲達の言葉の、本当の意味を。

 

 

―――何故、二ヶ月も手を出さなかったのか?

―――何故、此方に大義名分を与える様な真似をしたのか?

 

 

仲達であれば――― 一刀の知る彼であれば、事前に全ての根回しを終え、一挙に全ての不穏分子を叩き潰すくらいの策は思いつきそうである。

それをしなかったのは、何故か。

 

 

――――――仲達は、何を待っている?

 

 

言葉の額面通り、自分を待っているのだろうか。

それとも、それ以外の『何か』を―――

 

 

 

 

 

 

『――――――こんな所にいたのか、一刀』

 

 

 

 

 

 

瞬間、一刀は強烈なデジャヴを覚えた。

脳裏に来ては去りゆく、写真の一枚一枚の様な断片的な映像がフィルムの様に彼の頭の中で映り往く。

 

 

幾つもの写真が見える。

 

 

彼と杯を交わす自分。

華琳と三人で盤上遊戯を囲む姿。

軍議の席での冷淡な表情。

 

 

どれも『この世界の』彼には見覚えのない光景だった。

 

だが一刀は、それを何処かで見た気がした。

 

 

『―――謝って済むか。皆にどう云えばいいと思っている』

 

 

酷く不機嫌そうな顔で自分を睨む仲達。

しかし、何処か泣きそうに見えるのは気のせいなのだろうか?

 

 

『―――別れは、言うな』

 

 

背を向けたその声音は酷く震えて、今にも壊れてしまいそうな程に脆く見えて。

 

 

『――――――馬鹿者、おぉ、バカ者がッ…………君を犠牲にした平穏に、君を失った天下に、僕は……っ!僕は誰の隣に立てばいいんだ…………っ!』

 

 

己の肩を抱くその姿は、まるで母を見失った童子の様に弱弱しく。

零れ落ちる幾つもの雫は、月明かりに寂しくも強い光を放っていた。

 

 

 

 

 

 

「仲達…………」

 

 

追い求め続けた背があった。

強く張られて、けれど本当はとても脆い。

 

 

「仲達……!」

 

 

誇り続けられる友がいた。

共に笑い、泣き、時にぶつかった最大の理解者。

 

 

「―――仲達!!」

 

 

叶えたい願いがあった。

ささやかな、本当に僅かな我儘。

 

 

『―――そういえば一刀、君の願いを聞いた事がなかったな』

 

 

「俺は―――!!」

 

          

 

―――お前に、幸せを知って欲しかったんだ!!!

 


 
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