No.203211

マンハッタンからアレキサンドリアへ

高宮さん

第4話です。マンハッタン初登場。昼下がりの一場面。

2011-02-23 00:06:14 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:306   閲覧ユーザー数:305

その日は曇天だった。灰色が薄くかかった白が空を覆い、冷たい空気をより一層漂わせているように思える。

一方それとは対照的に、ヒーターが稼動しているパブの中は暖かい。本来なら営業時間外なこの店であるが、この日は暖色電球が煌々と輝いていた。

店にいるのは3人。1人は店主。1人はバグダード。そして最後の1人は中年の男性だった。髪は丁寧に撫で付けられており、上質な灰色のスーツを着こなしている。その瞳には人を惹きつけるような光が宿されており、雰囲気は若々しい。

バグダードと彼はテーブル席に座っていた。テーブルにはバーボンのソーダ割りと、トマトサラダ、ナッツ類、空となった皿がいくつか、そして水煙草が置かれている。

いつもは死んだ魚のような目で寝転がっているバグダードだが、このときは目には光を宿し座っていた。どこか背筋を伸ばし、本来の彼らしくない、若干緊張味のある雰囲気すら漂わせていた。

一方、中年の男性の口元には、バグダードの所有物である水煙草のパイプがくわえられていた。

静かに息を吐き、水が音を立て、煙が口から吐き出される。

少し咳払いをして、静かに彼は微笑んだ。

「水煙草もいいものだな。」

「でしょー!!いけますよ、これね!!」

バグダードが喜面を露にしてそう話しかけた。男性は静かに微笑みそれに頷く。

「あぁ、悪くない。あ、アレキサンドリア、バーボンのソーダ割を。」

「かしこまりました。」

店主はかしこまった調子でそう言うと、手際よく準備を始めた。

バグダードは彼の注文を聞くと、右手を上げて

「あ、すいません。俺もそれください。」

と、同様にしれっと注文をした。

途端、店主の眉間に皺がよる。

「……バグダード、お前…。」

「い、いいじゃないですかマスター!」

どう考えても良くないだろと、店主は頭の中で呟いた。

心底あきれた調子で、その視線を中年の男性に移すと、彼もまた少し苦笑気味であった。

どうしたものか、と店主が考えあぐね、ため息をついた。彼は作ったばかりのソーダ割をソファ席に持っていくが、バグダードの視線がえさをねだる犬のようなものとなっていた。

さすがにお前に今出す酒はないから、そう店主が言おうとしたその時だった。

ドアが静かにしかし素早く開けられた。客の来訪を告げるベルが鳴る。

3人の男性がそちらを向くと、そこには150cm程度のスーツのボブカットの女性の姿があった。

店主は口元を吊り上げた。

中年の男性は少し目を見開いて、静かに微笑んだ。

「げ…。」

そしてバグダードの春のような喜びの顔は一転して冬のような凍てついたものに移り変わった。

「帰りますよ、バグダード。」

彼女、ブランデンブルクはテーブル席に早足で近づき、そう宣告を下したのだった。

しょぼくれた犬のような顔をしたバグダードは、どうしようもなく頷くしかなかった。

不意に彼女の視線が隣の男性を捕らえる。やぁ、といった感じに隣に座っていた中年の男性が手を振った。

彼の姿を目にしたブランデンブルクはすこし驚いた調子で眼を見開き、背筋を一段と正し、丁寧に頭を下げた。

「ご無沙汰しております、マンハッタン局長。」

「あぁ、ブランデンブルク17号。元気そうで何よりだ。」

中年の男性、マンハッタン8号はにこやかにそう返事をした。

店主が食べ終わったつまみの皿を片付け、シンクに運んでいった。

ブランデンブルクはマンハッタンに促され、ソファに座る。

「君も何か食べるかい?」

「いえ、お気になさらず。何時日本にいらしゃったのですか。」

「つい先ほどな。あぁ、聞いてると思うが、今回北米第2支部局長から日本支部局長に移動になった。今日は私は休みなんだが、明日にでもそちらに顔を出すよ。これからよろしく頼む。」

「はい、存じております。至らないところ多々あるでしょうが、よろしくお願いいたします。」

「うん。」

深々と礼をするブランデンブルクに対し、マンハッタンは特に変わる調子もなく返事を返した。

そしてバグダードを見ると少し笑う。先ほどまで調子の良かったこの若者が、そんなに年の離れていないだろう女上司の前ではすっかり萎縮してしまっている。

「それじゃ、バグダード23号。副所長も来たんだ、君も仕事に戻りなさい。」

「すいません、私の教育が至らないばかりに局長にご迷惑を…。」

「いやいや。」

一言おいて、彼自身の持ち物であるパイプに火をつける。2・3回火をつけなおして、ようやく煙が立ち上った。

「現場のものと話すのも私の務めだ。それに私も昔は割と不真面目だったからな。気にすることじゃないよ。」

口からゆっくりと煙を吸い込み、パイプと口元から煙が立ち上る。

「ただまぁ、程々にな。」

笑顔でそうマンハッタンはそう話すが、ブランデンブルクの視線は冷たく、そしてバグダードの目の光は曇りきっている空のようだった。

「はい、バグダード23号にはこちらから言い聞かせておきますので。私のほうも一層の注意を致します。」

「うん。脱走が多いようなら、いっその事、発信機でも埋め込んだらどうかな?」

「名案です。西山所長に提案してみましょう。」

「え!ちょっとぉー!酷くないッスかそれぇー!!」

ブランデンブルクが真顔で言葉をを受け止め、バグダードが必死な顔でそう叫ぶ。冗談には思えねェ、とバグダードは思ったのだった。

その2人の様子を見て、マンハッタンは笑う。それは年齢不相応な、どこか子供っぽさが残るような笑い方だった。

「それでは、そろそろ業務に戻ります。後日またよろしくお願いします。マスター、申し訳ありませんが、後片付けをよろしくお願いします。」

ブランデンブルクがバグダードの腕をつかみ、マンハッタンと店主にそういうと、二人はそれぞれに言葉に応えた。

強制連行されていくバグダードの姿がドアの外に消え、ベルが鳴り響いた。

店の中が静かになった。火の消えてしまったパイプに再びマンハッタンは火をつけ香りを楽しむ。

「ドナドナみたいだな。」

ぽつりとマンハッタンがそう言った。

「えぇ、まったく。」

店主もいつものことだが、やはり少し笑いを漏らす。連れ去られたのは哀れな子牛ではなく常連サボり魔だから弁護の余地などない、いつもの光景。案外、飽きが来ないこれを見るために俺はあいつを出入り禁止にしてないのかもしれんな、と店主は思った。

「いい感じだな。」

突然、マンハッタンが店主に話しかけた。

「そうですか。」

店主はとりあえずそう返す。

マンハッタンはソーダ割を飲み干した。空になったグラスがテーブルに置かれ、彼は一息つく。

「いやブランデンブルク…、だいぶ良くなったよ。」

記憶を楽しむように、彼は言葉をつむいでいた。

「生真面目で質のいい仕事をし、なおかつバイタリティもあるのは昔からだが。いや、だいぶ柔らかくなった。

言葉をいったん区切り、マンハッタンは目を細めた。

「昔、研究所を出たばかりのときは、そのなんというか、空気が冷たかったんだよな。壁があるというか。それが今日あったら、角がだいぶ取れてきている。人を使えるようにもなってきているみたいだし、所長になる日もそう遠くないかもな。」

「なるほど。」

「…案外、バグダード23号のお陰かもしれん。」

「そうでしょうか。」

マンハッタンの興味と好奇心を含んだ視線が店主に向けられる。

「ん?アレキサンドリア、他に可能性でも思い浮かぶのかい?」

「いえ、特には。」

あっさりと店主はそうかわした。ただ、他に可能性を考えてないわけではなかった。

ブランデンブルクがやわらかくなった要因。それに値する可能性のある男に心当たりがないわけではなかった。

「あぁ、それはそうと、もう一杯いただけるかい?」

マンハッタンは空のグラスを振って、店主にそう注文を促した。

「マンハッタン局長、まだお昼ですしそろそろご自愛なさっては。」

店主は苦笑いをしてそう返す。

「ん?まだ私は酔っちゃいないよ。」

「そういう問題ではないのですが。」

ふむ、と漏らしたマンハッタンは、腕組みをして少し俯いた。

「…なぁ、アレキサンドリア。」

「はい。」

「あなた、俺のこと嫌いだろ。」

「いえ、そのようなことは。」

自嘲気味に笑う男と、どこかシニカルな笑いを浮かべた店主の言葉がそう交差した。

曇り気味の昼下がりの中、店の中はそれとは対照的にぼんやりと明るかった。


 
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