#38
陳留の城に戻った俺たちはそれぞれのやるべき事へと向かう。春蘭と季衣、三羽烏は軍の被害状況の把握と部隊の再編成に、曹操と秋蘭、軍師たちは留守中に溜まった政務と遠征で傷を負った者や戦死した者の家族への慰安と援助等の対応に。
俺と恋は、凪たちの代わりに臨時の警備隊長として、街の治安維持へと尽力していた。もっとも恋は屋台を見るたびに立ち止まったので、その都度宥めて我慢させることの方が大変ではあったが。
そして、ある日の夜、俺は風を部屋へと呼び出した。
「ついに…ついにこの時が来たのです。風は今喜びに打ち震え、そしていまだ知らぬおにーさんの身体と房中術への期待に胸を躍らせています」
「誰に言ってるんだ?」
「………風が壊れた?」
風の妄言を右から左へと聞き流す。さて………気配を探っても、この部屋の付近には間諜もいない。俺と恋、風は卓にそれぞれ座る。俺は2人にお茶を注ぎ、自分にも準備をして口を湿らせる。
「まさか恋ちゃんと風の初物を一度に奪おうとは思ってもみませんでしたが、これもおにーさんが風たちを自分の所有物とみなしていることの証ですかねー。いささか緊張しますし、恋ちゃんの身体には敵いませんが、おにーさんに幼女趣味がある可能性も―――」
「てゐっ!」
俺は妄想をやめない風の額を指で弾いた。
「………うぅ…痛いです、おにーさん」
「その妄想をやめないと、もっと強くするぞ?」
「わかったのです。風は虐められて悦ぶ変態さんではないので」
「よろしい。で、話なんだが………」
「そろそろこの街を出るのですね?」
「あぁ。その通りだ。………風も俺が『天の御遣い』であることを知っているな」
風は頷き、恋も否定しない。
「では、今後起こり得る流れを説明する。何故と問われても、知っているからとしか答えられないので、その質問はなしだ。………起こらないに越したことはないんだがな。
まず、俺と恋はここに来る前は雪蓮…孫策のところに、その前は董卓たちのところに客将として仕えていた。黒兎たちもそこで貰ったんだ。まぁ、このことは風も最初に会った時に看破していたな」
「そですねー。思えばあれば風の智謀でおにーさんをメロメロにした最初だったと思います」
「いや、なってないから。で、今後なんだが………遠くない未来、霊帝が崩御する」
「………流石にそれはいきなり過ぎませんか?」
「風でもそう言うんだな。帝だって人間だ。寿命であれ病気であれ、あるいは事故や殺人であれ、いつかは必ず死ぬ。それがもうすぐだと言っているだけだ」
「理屈はわかりますけどー」
「それでその後、まず起こり得ることはなんでしょう………はい、風君」
「はい、まずは朝廷での権力争いであると思います、先生」
「いい答えだ。宦官たちによる権力争い。不幸なことに、今の帝には子供が2人いる。………もしかして、どちらも女か?」
「………そですよー?漢王朝は代々女帝ですが、おにーさんは知らなかったんですか?」
「俺がこの国の人間でないことは知っているだろう?軍略や兵法は書物で読んだが、歴史書はあまり読んでいないからなぁ。それは置いておく。とにかく、次の帝になれる人物が、この時点で2人いることが原因で、風の言う通り権力争いが起こる。それに巻き込まれるのが………董卓だ」
「月……だいじょうぶ?」
「それを俺たちが助けるんだろう?」
「ん…」
不安げな眼でこちらを見る恋の頭を撫でてやると、風が頬を膨らませる。仕方ないと彼女の頭も撫でてやると、途端に目を瞑って気持ちよさそうな顔をする。
「おにーさんは恋ちゃんに甘々だから風はヤキモチを妬いてしまうのです」
「はいはい、これで我慢しろ」
「話を戻すぞ?大将軍である何進が董卓を招致、権力争いに利用する。俺の知っている歴史では、その後董卓が暴政を敷くんだが、先に言った通り、俺たちは彼女を知っている。そんなことをする娘ではないよ。ただ―――」
「ただ、諸侯はそうは思わない、ですね?他の皆さんは美味しいところを持って行かれたと憤るでしょうねー。………反董卓さんの世論ですか?」
「………流石だな」
話を戻すと途端に軍師の顔になった風が、俺の言いたいことを先読みする。俺は歴史の流を知っているがわかるが、彼女はそのような知識など持ち合わせてはいない。それなのに、その後の情勢をここまで読み取るとは、流石としかいいようがない。
詠や冥琳にも出来るかも知れないが、彼女たちは情勢に囚われる。しがらみのない風だからこそ此処まで可能なのだろう。
「風の言う通りに反董卓の流れが生まれ、それを利用しようと諸侯の誰かが連合を発足する。あるいは、十常侍かもな」
「十常侍は宦官で、大将軍の何進さんとは対立しそうですからねー。華琳様はそのような情勢に流されはしないでしょうが、華琳様ですしー。これを機に動きそうではありますね。発起人は………袁家のお二人のどちらかがなりそうな気もします」
「まぁ、きっかけが誰かなんて些細なことだ。とにかく、俺と恋は董卓を助ける為に、これから動く。流石に詳しい参加陣営や戦術まではわからないが、それを見極め、どう戦うかを決める為に、董卓と会う必要があるんだ」
「なるほど…それで、ここを出るというわけですねー」
「あぁ。そろそろ軍や内政の方も落ち着く頃だろうし、ひどい言い方をすれば、世話になった義理は果たした。目的も達成したしな。風は細かい調整や引継ぎもあるだろうから、出発は5日後とする」
「御意なのです」
「………ん」
俺は湯呑を空にし、解散を促した。
「―――で、なんで君たちは部屋に帰らないのかな?」
「ふふふ、決まっているのです。おにーさんを風の魅力で陥落させる為ですよー」
「………いっしょに寝る」
「………………………………」
俺は頭を抱える。しかし、風はともかく、恋は言う事を聞きそうにないしな。駄目だと言っても哀しそうな眼で見られれば、俺に断ることは出来ない。そうしたら風も張り合うだろうし………。
「………寝るだけだぞ?」
「はいー」
「………ん」
俺は諦めて灯りを落とす。恋はいつも通り俺の隣に。2人でも若干狭い感じがする寝台に3人は難しい。仕方なしに、俺は風の両脇に腕を差し込んで持ち上げると、俺の胸の上にうつ伏せに寝かせる。
「おぉっ!おにーさんが自分から風を誘うとは………風は泣きそうなのです」
「勝手に泣いてろ。おやすみ」
「………ん、おやすみ」
「………連れないです。でも、これくらいは貰いますよー?」
「え?」
風は悪戯っぽく呟くと、俺の唇に自分のそれを重ねた。
「ちゅー、なのです」
「………………………」
「それでは、おやすみなさいなのですよー」
「………………ま、いっか」
俺は恋と風の温もりを感じながら、意識を落としていった。
出立を翌日に控えた夜、俺たちは大広間に呼び出された。うん。こう何度もあると、俺にだって予想は出来る。恋と風を従えて広間の扉を開けると―――
「遅いぞ北郷ぉぉおおっ!」
「のわぁぁああああっ!!?」
―――春蘭が飛びついてきた。酒臭い。
「誰だ、春蘭に酒を飲ませたのは!!」
「私よ?」
「………何やってんだよ、曹操」
「面白そうだったからに決まってるじゃない」
「………勘弁してくれよ」
広間には陳留の重鎮たちが勢揃いし、いくつも据えられた卓には所狭しと大量の料理や酒が並べられていた。これも社交辞令と、俺は曹操に問いかける。
「で、これはなんだ?」
「決まっているでしょう?貴方達の送別の宴よ。私手ずから準備した料理もあるんだから、しっかり味わいなさい」
「そうか…楽しみにしてるよ。それより春蘭。抱き着いていたら始められないぞ」
「にゅ~、師匠がいなくなるのが寂しいのだ………」
「はぁはぁ………可愛いよ、姉者………………」
「………ったく」
俺は悶える秋蘭を無視し、春蘭を引きづりながら、卓へと近づく。それを確認した侍女たちがそれぞれの杯に酒を注いでいくのを見ながら、恋の涎を拭いてやる。もう少しだけ我慢しなさい。全員に酒が行き渡ったところで、曹操が口を開いた。
「さて、皆も承知の通り、北郷と恋、そして風は明日此処を発つわ。春蘭をはじめ、武官の中には彼や恋に師事した者も多いでしょう。文官にも風と政策を話し合った者もいるわ。そして、先日の黄巾の乱の際も、彼らがいたからこそ、我々は道を得た。彼らに心からの感謝を。
3人共、旅の無事を祈っているわ………と言っても、貴方達ならまったく問題ないとは思うけど。
それでは、友との別れを惜しんで、そしていつか再び邂逅せんことを祈って………乾杯!」
「「「「「乾杯!」」」」」 「………ぱい」
曹操の合図と同時に恋は杯を空にし、一番料理の山の高い卓へと着いた。季衣と一緒に大食い競争でも始めるみたいだ。風は稟と荀彧のもとへ向かう。俺は春蘭をいまだ悶え続ける妹に引き渡し、適当に空いている席を探した。
「よっ」
「師匠!こちらにお座りください!」
「おぉ、兄さん。最初はうちらと吞むんか?」
「一刀さん、一緒にお話しするのー」
俺はまず、4人掛けの卓に座っていた凪たちのもとを訪れた。真桜はかちゃかちゃと絡繰をいじりながら酒を飲み、沙和は点心をちまちまと食べている。凪は麻婆豆腐をレンゲですくって食べていた。
「師匠、本当に出ていってしまうのですか?」
「あぁ、ごめんな。もっと稽古をつけてあげたかったけど、俺にもやるべきことがあるんでね」
「そうですか………」
「やっぱ凪は兄さんの前やと従順になるんやな」
「そうなのー。今の凪ちゃん、女の子してるのー」
「ばっ、馬鹿なことを言うな!私はただ、その、これまで世話になった師匠への礼儀を払っているだけだ!」
「そんなこと言って、凪ちゃん顔が赤いのー」
「にひひ、せやな。せや、兄さん兄さん、その麻婆豆腐は凪が作ったんやで。良かったら食べてあげてぇな」
「お、そうなのか?だったらご相伴に預かろうかな」
凪の手料理か。凪が料理できるなんて知らなかったから、楽しみだ………。俺は小皿に麻婆豆腐をよそうと、レンゲで口へと運んだ。
「あ、師匠!」
「うわー、真桜ちゃんひどいのー」
「にっひっひ、最強の武の持ち主でも、この辛さには勝てないんちゃうかなー、思てな。どや、兄さん?凪は辛党やから、ごっつ効くやろー?」
「………………………………………………」
口の中が焼ける。体中の水分が汗となって噴き出しそうだ。………真桜め、俺を嵌めたな?
「師匠、大丈夫ですか!?」
「うわー、ぴくりとも動かないのー」
「さて、どんな反応を示すか楽しみやな」
「………………………………………………………………………………ちょっと失礼」
俺は気合で汗の噴出を抑えると、両脚に力をこめて3人の視界から消える。
「「「なっ!?」」」
「………捕まえた」
「ひぃっ!?」
俺の視界には3人の背中。俺の右手の先には真桜の後頭部。
「ちょ…兄さん、冗談が通じない性質やったんか………?」
「戦場でもない限り、人を騙すのはよくないぞ?」
俺は五指に力を込める。ギリギリと真桜の頭を締め上げると、真桜が悲鳴を上げた。
「いだっ!?いだだだだだ!!」
「凪、やれ」
「はい、師匠!」
俺は顎で凪の目の前の皿を示すと、彼女は俺の意図を明確に読み取る。流石、優秀だな。凪は皿ごと麻婆豆腐を持ち上げると、痛みで開かれた真桜の口に当てる。そして―――
「んぐっ!?………………~~~~~~~~~~~~~!!!」
「ま、真桜ちゃーん!」
―――皿を傾けて、その中身を真桜の口の中に流し込んだ。俺は口の中の痛みを堪えながら、真桜の声なき悲鳴を堪能した。
「おやおや、おにーさんではないですか。風が恋しくなったのですか?」
「一刀殿、どうぞ一席空いておりますよ」
「げっ!なんでこっち来るのよ。アンタは部屋の隅で壁に向かって話しかけながら、一人でちびちびやってればいいのよ!」
「相変わらず連れないなぁ、荀彧は。そして風、そういうことは言わない方が好ましいな」
「おにーさんこそ連れないのです」
次に俺がやって来たのは、軍師の卓だった。皆武人でもないし、食も細い方だ。卓の上にはあまり多くない量の料理が乗っており、3人はどちらかと言うと会話を楽しんでいるようであった。
「ちょうどよかったです。先ほどから尋ねているのに、風はこれから何処に行くのか教えてくれないのですよ」
「ふふふ、それは風とおにーさんの秘密ですのでー」
「あと恋もな」
「それで、実際のところ、どうなのですか?」
稟が質問の矛先を俺に向けると、荀彧も気になるのか、こちらをチラチラと見る。いや、盗み見れてないから。
「さて、何処でしょう」
「はぁ……貴方もですか。これまで共にあった仲間じゃないですか。心配くらいさせてくださいよ」
「いや、教えることは出来ないけど、すぐにわかるよ。俺が何処で何をするかはね。ただ…その時は俺たちは敵同士かも知れないけどな」
「おぉっ!おにーさん、稟ちゃんには甘いんですね。風には厳しいくせに」
「稟は風と違って俺をからかったりしないからな。俺は基本的には優しいんだよ」
「むー、おにーさんはひどいのです」
「はいはい」
「まぁ、貴方達がそう言うのであれば、そうなのでしょうね。それより、桂花殿が話があるみたいですよ?」
「おぉっ!ついに桂花ちゃんもおにーさんの魅力に陥落するのですか?」
「しないわよ!有り得ないわよ!死んでも御免よ!!………そんなことより、アンタ、今から私と勝負しなさい!」
「勝負?」
「そうよ!」
そう告げて荀彧が取り出したのは、将棋の盤と駒。………どこから出したのだろう。
「アンタに負けてから、ずっと練習してきたんだから!今度こそ汚名―――」
「挽回の機会ですねー」
「名誉返上かもしれませんがね」
「ちょっと、そこ!うるさい!!………で、どうするの?この勝負、受けるの?それとも尻尾巻いて逃げるの?」
「仕方がないなぁ………じゃぁ、一局だけな」
「ふんっ!一局で十分よ」
荀彧は鼻息も荒く、駒を並べ始める。将棋は最初の一度以来だが、駒の動きも覚えているし、問題ないだろう。俺は血気盛んにこちらを睨む荀彧に嘆息しながら駒を並べていった。
「序盤の動きが最後の最後まで浸透してますねー」
「えぇ。あの隙が罠とは思えませんよ」
「………………………………………」
風と稟は盤上を眺めながら、先の一戦を考察し合っている。
「やっぱり汚名挽回でしたねー」
「名誉返上とも言いますね」
「うわぁぁあああぁぁあん!!
荀彧の叫びが広間に木霊した。
「よっ、楽しんでるか?」
「一刀だー」
「一刀!」
「………いらっしゃい、一刀さん」
荀彧をふるぼっこにした俺は、張三姉妹―――もとい、数え役満姉妹のもとを訪れた。天和は酒のせいでほろ酔いになり、頬を赤く染めてニコニコしている。地和は恋や季衣に勝るとも劣らない勢いで料理を口に運び、人和はちまちまと小動物の様に料理を口に運んでいた。
「どうだ、この街にはもう慣れたか?」
「うん、すごい楽しいよー。美味しいお店もいっぱいあるし、お洒落な服もいっぱいあるしー」
「それに歌もいっぱい歌えるしね」
「うん…全部、一刀さんのおかげです。ありがとうございました」
「いいさ。友達だろ?」
「………はい」
この街に来たばかりの人和は表情も硬かったが、この頃は、以前見せてくれたような笑顔を見せてくれる。大勢の男たちの中、天和たちみたいな少女がいたら………と厭な想像もしてはいたが、その辺りはどうやら無事だったらしい。彼女たちの話いわく、古参のファンが黄巾党内では結束していたらしく、歌う時以外は彼女たちを党員に会わせなかったとのことだ。そして、彼らもまた彼女たちの純粋な応援者で、下衆な行為に走らなかったというのは褒められたものである。
「それで、捕虜となった黄巾党の説得は上手くいってるのか?」
「はい、古参の人たちは比較的早く納得して、軍に参加すると表明してくれました」
「そうだよねー。あの人たちはずっと応援してくれてたもんねー」
「うんうん。ちぃ達の姿を見た途端に泣き出した時は吃驚したけど、やっぱりちぃ達も嬉しかったよね」
「そうか、よかったな」
「あと、その人たちが他の人たちも少しずつ説得してくれて―――」
「最後にちい達が『曹操様と一緒に戦ってくれる人ってかっこいいよねー』って言って歌ってあげたら、もうあとは簡単だったわね」
「………ちぃ姉さん、それ私の台詞」
「でも、やっぱり一番かっこいいのは一刀だよねー。お姉ちゃん、一刀の為ならいくらでも歌っちゃうよー?」
「ははは、それは楽しみだな」
「あー!姉さんだけに抜け駆けはさせないわよ!ちぃだって一刀の為にいっぱい歌うんだから!」
「………一刀さんのバカ」
この騒がしさは聞いていて心地いい。彼女たちを救うことができたんだと、俺は再度思い知った。………というか人和さん、脛を蹴らないでください。
もっと呑もうよという誘いを辞して、俺は次の席へと移った。そこでは春蘭が秋蘭に寄り掛かって、何やら喋っているようだ。
「それでにゃー、秋蘭。おししょー様はな?私が斬ったと思ってもそこにはいないんだぞー?それで気がついた時には剣を突き付けられて、『もう一度だ』って言うんだぞ?すごいだろー」
「あぁ、凄いな。でもその話は5回目だぞ、姉者」
「それでにゃ、私がおししょー様が消えた瞬間に、こう、ばばっ!と飛びのいて振り向いて剣を構えたら、『いまのは良かったぞ、春蘭』って頭をなでなでしてくれてにゃー?優しいだろー」
「あぁ、優しいな。でもその話は7回目だぞ、姉者」
宴が始まる前から呑まされていた春蘭はとっくに出来上がっているようで、宥める秋蘭も大変そう………ではないな。顔が緩みきっている。と、秋蘭が春蘭に耳打ちしたかと思うと、春蘭が振り向いた。
「おししょー様ぁ!やっと私のところに来てくれたんだにゃ!」
「『私達』だぞ、姉者」
「あぁ。…春蘭、呑み過ぎじゃないか?」
「そんにゃことないぞー!武人たるもの、いつでも戦えるようにしてるんらぞー!」
「はいはい」
「偉いか?私は偉いか、おししょー様?」
「あぁ、偉いぞ」
「………にゅー」
酔っ払いの相手は大変だ。………秋蘭はそうでもないみたいだが。
「どうしたんだ?」
「………にゃんでもにゃい!」
何故かむくれる春蘭は、そのまま秋蘭の胸に顔を埋める。
「姉者はな、撫でて欲しいんだよ、北郷」
「そんにゃことにゃいっ!」
「そういうことか。春蘭、こっちおいで」
強がっている彼女だったが、俺が呼ぶと、おずおずとこっちに寄ってくる。俺は間合いに入った彼女を捕まえると、これでもかと頭を撫でてやった。
「にゅ~ふふふ。な、秋蘭?おししょー様は優しいだろー?」
「はぁ、はぁ…姉者、可愛いよ、姉者………」
恍惚とした表情を浮かべる秋蘭に呆れながら暫く春蘭の頭を撫でていると、ふと、腕の中で動きが止まる。見ると、春蘭は真っ赤な顔でにやけながら眠っていた。
「秋蘭、春蘭が寝ちゃったよ」
「はぁ、はぁ………え?あ、あぁ、よほど北郷が好きなのだろうな。こんな幸せそうな姉者も華琳様との閨の中以外では久しぶりに見るよ」
「なんだか甘えん坊の妹を持つ兄みたいだな」
「………ならば、私も北郷の妹になるのか?」
「そういうことになるな。なんだ、秋蘭も撫でて欲しいのか?」
俺が冗談でそう返すと、秋蘭は無言で立ち上がり、俺を挟んで春蘭の反対側に座った。
「えと、秋蘭…?」
「なんだ?もう一人の妹の頭は撫でられないのか?」
「………酔ってるな?」
「そんなことないぞ」
「酔っ払いはみんなそう言うんだよ。しょうがないな」
俺はしなだれかかる秋蘭の青い髪を指で梳いたり、頭を撫でてやる。秋蘭も気持ちよさそうな顔で瞼を下ろし、堪能してくれているようだ。俺は春蘭がずり落ちないように気をつけながら、しばらくの間そうしていた。
「ありがとう。なかなか気持ちよかったぞ」
「そう言って貰えて何よりだよ」
「さて…姉者を預かろう。北郷は………」
「………そうだな。ちょっと見てくるよ」
「すまないな。我々ではどうしても部下という立場になってしまう。………頼む」
「任せろ」
いまだスヤスヤと眠る春蘭を妹に預け、俺は席を立った。
城壁の上―――。
「………出て来なさい」
「バレたか」
「よく言うわ。気配をまるで隠そうともしていなかったじゃない」
俺は階段から姿を出すと、彼女―――曹操に歩み寄った。黒い空には満月が浮かび、その光で他の星々は姿を隠している。
「どうしたんだ、こんなところで?」
「私にだって、独りになりたい時もあるのよ」
「じゃぁ、俺はお邪魔だったかな」
「今さらね」
その言葉を否定と受け取り、俺は彼女の隣に立つ。見上げる空からは相変わらず蒼月が俺たちを見下ろす。しばしの沈黙の後、曹操が口を開いた。
「ずっと考えていたわ」
「………何をだ?」
「貴方と共に並び立つ方法よ」
「………………」
俺も彼女も、視線は空に留めたまま、言葉が紡がれる。
「貴方は私なんかより、遙か高みにいる。武も、智も、すべてを兼ね備えた貴方が本当に望むものは私には分からない。これから何をしようとし、何処に向かうのかも。そんな貴方と共にいる方法を………ずっと考えていたわ」
「………答えは見つかったか?」
「えぇ。…聞きたい?」
「聞かせてもらえるのなら」
「………私は私の道を行く。私は私の望むものをすべて手に入れる。力も、智も………この大陸も」
「………………………」
「そして貴方も」
「………言ってくれるな」
「王の孤独は同じ高みにる王者にしか理解し得ない。私の心の底の底まで理解できるのは、大陸でも貴方だけよ」
「春蘭や秋蘭が知ったら泣くぞ?」
「大丈夫よ。あの娘たちもそれは理解しているわ………口にしないだけでね」
確かにな。俺は口の中で呟いた。
「私はこの大陸に覇を唱え、そして貴方を討ち倒す。貴方が我が覇道の最大の障壁にして、最後の敵となると、私は思っている………それがどのような形であれ。その先で、私は貴方を手に入れる」
「………その先に、俺と共にある道が在ると思うのか?」
「私はそう信じている。そして、その覇道を突き進んだ、貴方を手に入れることが出来たのならば―――」
彼女の口から零れるのは、少女の願い。覇王ではなく、1人の少女としての望み。俺はその言葉を胸に刻みつける。曹孟徳という1人の偉大なる覇王の名と共に。そして、華琳という1人のか弱い少女の名と共に。
「………と、覇王の仮面を被るのはここまでね」
「ん?」
「以前話したじゃない。貴方の前では仮面は不要だ、って。その手に持つのは何?空っぽなのかしら?」
「そう言えば、持ってきていたな」
俺は右手の徳利を掲げる。ちゃぷん、と酒が揺れる音が微かに聞こえた。懐から杯を2つ取り出すと、その1つを隣の少女に手渡す。
「ありがとう」
「料理は流石に持っては来れなかったけどな」
「いらないわよ。この月と、貴方との会話が一番の肴だわ」
「そんなに面白い話もできないぞ?」
「いいのよ、内容なんてどうでも。今は友と過ごす時間。友との会話ならそのすべてがどんな料理にも勝る」
「詩的だな」
「あら、私は詩も嗜むのよ、知らなかった?」
「いや…君の言う通りだ」
俺たちは城壁の上に腰を下ろす。途端に視界は遮られ、石畳と石壁と、そして空に茫漠と輝く月以外に、目に入るものはない。
「では…この月に乾杯」
「ふふ、貴方だって十分詩的じゃない。………乾杯」
友との会話が肴とは言われたが、俺も彼女も、口を開かない。ただ、時折思い出したように杯を口元に運ぶ。曹操は俺に寄り掛かり、じっと両手で持った杯の水面に映し出される月を見ていた。そうして数分。ふと、曹操が囁いた。
「………不思議よね」
「何がだ?」
「こうして手の中に月はあるのに………それを得ようと手を伸ばせば、途端に隠れてしまう。空の月に手を伸ばせど、届くはずもない。まるで貴方みたいよ」
「………」
「こうして隣にいて触れ合っているのに、明日には消えてしまう。この温もりも………私が寂しさを感じるなんてね」
「………」
「貴方の所為よ」
「………」
「貴方が私を変えた。貴方が私の仮面を剥ぎ取った。だから―――」
俺はその先を言わせなかった。いま隣に座るのは覇王ではなく、一人の少女。すごく小さくて、か弱い、守ってあげたくなるような、そんな女の子。俺は彼女の肩に手をかけると、その身体を抱き寄せた。
「…ったく、今日だけだからな」
「………」
「もっとこうしていたいなら、俺を手に入れて見せろ。そうしたら考えなくもない」
「………………卑怯だわ」
「あぁ、俺はこう見えてもずる賢い男なんでね。別に仮面を被っている訳じゃないが、これもまた、俺の一面だと思ってくれ」
「えぇ、そうさせてもらうわ………今夜だけは、恋にも風にもこの場所を譲らないから」
「………仕方がないな」
曹操はそう言い、身体の力を抜いて俺に体重をかける。その頬に流れる一筋の涙に、俺は気づかないふりをする。………それきり会話はなくなった。
翌朝―――。
瞼の裏に射す光で俺は目を覚ました。少し身体が痛い。どうやら俺は城壁の上で眠ってしまったようだ。左に感じる温もりは、曹操か。………と、俺はそれ以外にも身体にかかる負荷に気づく。隣の少女を起こさないように目を開くと―――
「………げ」
そこにはカオスが満ちていた。
石壁にもたれ掛って胡坐をかいた脚の間には風が座って俺によりかかり、右脚を枕にした恋がすやすやと眠っている。さらには恋の腹の上には季衣の頭が置かれ、その身体は大の字に寝転がっていた。
さらに周囲を見渡すと、俺の右隣に稟がもたれかかっている。曹操の反対側には荀彧がよりかかり、その向こうに春蘭と秋蘭がお互いを支え合う様に座って眠っていた。通路の反対側には凪を中央に沙和と真桜がよりかかり、その隣で天和たちが同じ体勢を作っている。
そして、石畳の上には空になった料理の皿が積み上げられ、酒の徳利や杯が其処彼処に転がっているのであった。
「………ん」
隣の少女が微かに呻き声を上げ、もぞもぞと動く。そして、彼女の両眼が開かれる。
「何よ…これ?」
「さぁな」
「………起きてたの?」
「ついさっき。………みんな君が大好きなんだよ、きっと」
「………ふふ、偶にはこういうのもいいのかもね」
そう微笑む彼女は朝日に映え、これまでのどんな表情よりも優しく、そして魅力的に、俺の眼には映し出された。
あの後、眠りこける皆を起こし、それぞれの部屋に戻らせた。最後の微笑み以降、曹操は少女の顔に戻ることなく、王としての態度を見せていた。………彼女の顔が少し赤かったことに皆が気づいていたが、流してあげるあたり優しいのだと思う………たぶん。
俺と恋、風はそれぞれの荷物を纏め、厩へと向かう。黒兎と赤兎を厩から出し、城門へと引っ張る。門のところには昨日も顔を合わせた全員がいたが、皆口を開かずに、歩き出した。そして、街の巨大な門へと到着する。
「………世話になったな、曹操」
「えぇ。こちらこそ、貴方達には助けられたわ」
「いずれ再会するだろうが、身体には気をつけて」
「貴方達もね」
沈黙が場を支配する。誰も口を開かない。
「じゃぁ」
「えぇ」
俺は風を黒兎に乗せ、恋はセキトと共に愛馬の背に飛び乗る。俺も風の後ろに跨った。俺たちは馬首を翻し、歩き出そうとする。
「………一刀っ!」
「っ!」
俺を呼ぶ声がした。だが、俺は振り返らない。いや、振り返ってはいけない。そうしないと、彼女は覚悟を緩めてしまうだろうから。だから、俺は馬を止めるだけに留めた。そして―――。
「………………いってらっしゃい」
「あぁ、いってくるよ………………………華琳」
―――俺は右腕を水平に伸ばすと、握り拳を作り、親指を立てた。
「北郷!今度会った時は、私はもっと強くなってるからな!」
春蘭が力強く叫び―――
「気をつけて行って来い」
秋蘭は相変わらずクールに―――
「恋ちゃーん、また大食い競争しようねー!」
季衣はやっぱり無邪気で―――
「師匠!今までありがとうございました!」
凪はいつまで経っても礼儀正しいな―――
「今度会った時は、うちの絡繰で腰抜かさせてやるからなー」
お前の絡繰は失敗作が多いんだよ―――
「恋ちゃんも、次会ったら沙和にお洒落させて欲しいのー」
うん、たぶんそれは難しいと思う―――
「風、あまり一刀殿に迷惑をかけないように」
稟、君はいい娘だ―――
「今度こそ私が勝ってやるんだから、それまで腕を落とすんじゃないわよ。風もね!」
荀彧にしては珍しくまともなことを言い―――
「気をつけてね、かーずとっ」
天和はやっぱりのほほんとして―――
「今度は一刀だけに歌ってあげるから、楽しみにしてなさいよ!」
地和は自由だな―――
「一刀さん、いつか最善席に招待しますので………」
楽しみにしてるよ、人和―――。
俺は両脚に力をこめ、馬を走らせた。風を切る音に混じって、皆の声が聞こえる。別れは辛い。それはいつものことだ。それでも、声援に背中を押され、愛馬を加速させる。
さぁ、これからが本番だ―――。
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#38