#37
「50はそのまま方形の陣です。残りの50はさらに半分に分かれて近くの賊の殲滅に向かってください。もうすぐおにーさんが戻る筈です。お願いしますよー」
「「「応っ!」」」
「にゅふふ、風の指揮は今日も冴え渡ってますねー」
「なかなか様になってるじゃないか」
「おぉっ?お帰りなさい、おにーさん、恋ちゃん」
「…ただいま」
「………そちらの方が、『お友達』ですか?」
「あぁ」
門前に戻ると、言葉の通り風が騎馬隊を指揮している。主な戦場より少し小高いそこからは戦況が俯瞰でき、それももうすぐ片が付きそうだといことがわかる。心配はしていなかったが、曹の牙門旗も夏候の旗も倒れることはなく、悠然とその存在をアピールしていたことに、軽く息を吐いた。
「さて、ここで終わるのを待つのもいいが、この様子なら戻っても大丈夫だろう。3人とも馬は乗れるか?」
「少しなら………」
俺の問いに、人和が代表して答える。それに頷き、俺と恋は、天和を風の後ろに、地和と人和を赤兎の背に乗せると、俺たちは丘を下っていった。
風が敷いた方形の中に黒兎と赤兎を歩かせ、残りの50はそのまま周囲を警戒し、他の将や兵が討ち漏らした敵を一人残らず殲滅していく。丘を下り、平原を進み、そして曹操の本陣が近づいたところで、馬が2騎こちらへ向かってきた。春蘭と凪だった。
「北郷、無事だったか!」
「師匠!お疲れ様です!!」
2人は馬を遅め、その背から降りて俺と恋に視線を合わせると、開口一番そんな言葉をかける。
「あぁ、問題ないよ。友達も助けることができた。………ありがとう、春蘭や凪たちのおかげだよ」
「ふぇっ!?え、あ、いや…まぁ、我が武を以ってすれば当然のことだがな!」
「いえ、あの……師匠の騎馬隊の指揮もすごかったです!流石でした!」
「あらあら、春蘭様も凪ちゃんもおにーさんに惚れ直してしまった様ですねー。これは第一夫人と第二夫人としての危機を感じませんか?」
「………一刀は、かっこいい」
風の戯れもなんのその。恋は戦の後でもいつも通りだった。
春蘭と凪も護衛に加え、本陣の中央へと向かう。途中、黄巾党の捕虜を見かけた。流石にいま天和たちの姿を見せるのは拙かろうと、その間は馬から降りてもらい、騎馬隊に隠して進んでいく。そして本陣の前に佇むのは―――
「お帰りなさい。首尾は………その様子だと、問題ないようね」
「あぁ、協力、感謝するよ」
「いいのよ。こちらにも利はあるしね」
―――秋蘭、季衣、そして荀彧と稟を侍らせた曹操が出迎えた。真桜と沙和の姿が見えないが、おそらく隊の調整や捕虜の対応などに奔走しているのだろう。
「さて、話は天幕で聞くわ。凪、季衣。周囲の警戒をお願い。誰も近づけないように」
「わかりましたー」
「御意」
曹操の言葉に凪と季衣が先行して天幕付近の兵や親衛隊に距離をとらせる。曹操の後ろについて、俺たちは歩いていった。その途上、人和がキョロキョロと周囲を不安げに見回していたので、俺は頭を撫でて微笑む。それを見た天和と地和が俺に抱き着いてきたが、何がしたかったのだろう。
「それで、貴女達がこの乱の首謀者でいいのね?」
「ちょっと!首謀者なんて言い方しないでよ。ちぃ達だって巻き込まれただけなんだから!」
「待って、ちぃ姉さん。いま、私たちは隠されているとはいえ曹操様の捕虜なのよ。………話は私が窺います」
「いい心掛けね」
曹操の言葉に地和が食ってかかるが、人和がそれを宥める。やはり、この3姉妹の頭脳は彼女だ。姉たちを守る為に、黄巾党の中央でも尽力していたのだろう。
「とはいえ、話は一刀から聞いて、大体のことは想像できているわ。………貴女達は歌の旅芸人であったこと。貴女たちの歌の信奉者の暴走がこの乱のきっかけ。この2つに異論はあるかしら?」
「いえ、仰る通りです。最初からついてきてくれた人たちは略奪行為なんて行わなかったけど、人数が増えるにつれて、他の賊が入り込んできたようです。それに影響された人も。私たちも歌でなんとかしようとはしてましたが、なにせあの数です。それも無理なことでした」
「そうなの。ちぃちゃんの術でも、効果の範囲が決まってるらしくて―――」
「姉さん!」
「………術?」
天和の言葉に、天幕が静まりかえる。術………史実では張角が太平道として集団を起こしたが、それに関する書か?いや、妖術と言っているし………そういえば、及川が持っていた三国志のゲームでそんなものが出てきた気がする。
人和は隠していたことがバレたとひどく怯え、天和はよく分からないという顔をし、地和は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「説明なさい」
「いや、でも………」
「いいから説明しろと言っているの。貴女達に拒否権はないのよ?」
「………わかりました。黄巾党が大きくなる前、一人の追っかけの人が、くれたんです。その人は字が読めないからと、娯楽品のつもりでくれたのだとは思いますが………。ただ、その内容は恐ろしいものでした。様々な術の方法が記され、もちろんすぐにでも出来るようなものではありませんでした。私や天和姉さんも試しましたが、適性があったのがちぃ姉さんだけだったようで。その中から、歌に使えそうなものを選び、使用してきました。その効果で、多くの人が私達の歌を聞くことができ、ついてきてくれるようになったんです」
「具体的に使った術は?」
「………ええと、声を遠くまで届かせる術や、私達の姿を遠くの人にも映し出して見せる術などです。攻撃性のあるものや危険なものは使いませんでした」
「そう……それで、その書はいま何処にあるの?」
「今回の火計も突然のものでしたから、私たちは荷物も持たずに出てきました。ですので、今頃砦の中で………」
それは本当?曹操は目で俺に問う。確かに砦の中で3人を見つけた時は着の身着のままであった。俺はその問いに首肯でもって返した。
「ならばいいわ。これで誰の手にも渡ることはないようね」
曹操は、少し残念そうな表情を浮かべた。蒐集癖のある彼女だ。珍しいものならそれを欲するのも分かる。あるいは、もしかしたら何かの想い入れでもあったのかも知れない。俺には知る由もないことではあるが。
と、天和が困ったような笑みを浮かべながら、おずおずと手を挙げた。
「何かしら?」
「えぇと、その………お姉ちゃん、持ってきちゃってるんだけど………………」
「ちょっと、姉さん!何してるのよ!」
「だってだって、この本があったら、また歌を歌えると思ったのよー」
「はぁ………まぁいいわ。その本は渡しなさい。それが貴女達を匿う条件の一つよ」
「わかりました。姉さん?」
「はぁい…」
そうして天和が懐をまさぐって本を取り出し、曹操へと差し出す。と、2人の手が止まった。2人の間には1つの切っ先。天幕の中のすべての視線がその持ち主へと向かう。
「どういうつもりかしら?」
「………………………」
「答えなさい―――」
「答えなさい………一刀!」
刀を突き付けていたのは、俺だった。曹操と天和の手の間の刃を揺らすことなく、俺は答える。
「その本は………俺が預かる」
「何故?」
「その本は危険だ。誰の手にも渡すことはできない。いや、してはいけない」
「………否と言ったら?」
「その手首ごと切り落とす」
「っ!」
「動くな」
俺の言葉にいち早く反応したのは春蘭だった。その右手は背に担ぐ七星餓狼の柄に添えられ、今にも俺に向けて振り下ろそうという眼をしていた。
「秋蘭もだ」
「………………」
俺は視線は春蘭に向けたまま、秋蘭を牽制する。俺の死角に立ってはいるだろうが、その手は自身の得物に添えられているはずだ。
「………春蘭、秋蘭、落ち着きなさい。北郷が私を傷つけるはずがないのは、貴女達の方が知っているでしょう?それより、北郷。貴方はこの書を手に入れたらどうするつもり?」
「………誰の目にも触れないように、灰にする」
「貴方がその妖術を使わないという保証は?」
「ならば君がその眼で見届ければいい」
天幕の中に満たされる覇気と殺気。春蘭はいまだ大剣の柄から手を離さず、曹操の後ろに立つ稟と荀彧は固まっている。
「………わかったわ。では、この書は此度の功労者である貴方への褒賞とする。乱の首謀者を捕らえ、さらに軍強化のきっかけをつくった功労者としての、ね」
「拝領する」
どちらからともなく氣を緩め、この騒動は、ひとまずの終焉を見せた。
「他にも言いたいことはあったのだけど、全部北郷に持っていかれた感じね」
「睨むなよ」
俺が刀を鞘に納めると、曹操がこちらに愚痴を零す。分からなくもないが、こっちだって引けなかったんだよ。
「疲れたから、簡潔に話すわ。張角、張宝、張梁」
「はーい」 「はいっ!」 「はい…」
「貴女達を匿うための条件は3つ。1つ、太平要術の書を北郷に渡すこと。1つ、その名を捨て、今後は真名のみを名乗ること。1つ、我が軍の徴兵及び兵の慰安に協力すること。以上を了承するのならば、私の下で安全に過ごせることを約束するわ」
「でも…いいのですか?貴女達に危険はないのですか?」
「それなら大丈夫よ。このことを知っているのはここにいる私達のみ。………あぁ、孫策も知っている風だったけど、証拠はどこにもないわ。それに、貴女達、自分がどんな風に世間に捉えられているか知ってる?」
「………いえ」
「桂花、あの似顔絵を見せてあげなさい」
「はい」
曹操からの指示に、荀彧が懐から例の絵を取り出し、3人に向けて広げた。
「………………」
「………ぷっ」
「ちょっと!お姉ちゃん、こんなひどい顔してないもん!」
そこに描かれていたのは、天和とは似ても似つかない例の肖像画だった。角が生え、腕は6本。人和はあまりの杜撰さに絶句し、地和はお腹を抱えて笑っている。絵の張本人はぷんすかと頬を膨らませていた。
「と、その絵が示すように、誰も貴女達の顔を知らないのよ。ならば、先ほどの条件も納得いくでしょう?」
「はい……1つだけ聞かせてください。私たちの夢は大陸一の歌手になることです。………曹操様の下で働けば、その夢を叶えることができますか?」
「この国はもう限界が近づいている。この乱がそれを象徴しているわ。………私はいずれ大陸に覇を唱える。さすれば、貴女達の活動の場も広がり、大陸中で歌うことができるでしょう」
「………………後は私達の実力次第ということですね」
「その通りよ」
「………姉さん達、いい?」
「お姉ちゃんはそれでいいよ。また3人で歌えるんだよね」
「それ以外にちぃ達が助かる道はないんでしょ?だったら、やってやるわよ!兵が増えすぎて給料も払えないなんて状況になっても、知らないんだから!」
「ふふ、期待してるわ。ではこれより、貴女達3人を我が傘下に迎える。私の真名は華琳よ。これからはそう呼びなさい」
3人の元気のよい返事を聞きながら、俺は長い息を吐いた。ようやく、この旅も終わりを迎えられる。心のうちで呟きながら、俺は緊張が解けて座り込む3人を眺めるのだった。
「そう言えば、さっき俺が刀を抜いた時も2人は別に驚いてなかったな」
天幕を出た俺は、後ろについてくる恋と風に尋ねた。春蘭達が殺気を放っていても、恋はともかく、風も平然としていたからだ。
「ふふ、おにーさんが優しいことは、風もとっくに知っていますのでー」
「ん…一刀は、華琳を斬ったりしない」
「あれも、おにーさんが言う示威行動なのでしょうね………それより、その本は本当に燃やすのですか?」
「ん?風は反対か?」
「いえいえ、おにーさんがそうするべきと判断したのなら、そうした方がよいかとー。何せ、おにーさんは『天の御遣い』さんですからねー」
「こら、どこに耳があるかわからないぞ?」
「ふふふ、風にだって、この平野で声が届く範囲に人がいないことくらいはわかりますよ」
「………まぁ、風の言う通りだけどな」
俺は軽く返事をしながら、本をぱらぱらと捲った。そこに書かれていた内容は―――
「(やはり、正解だったか)………来い。この本を燃やしに行くぞ」
「御意、なのですよー」
「………ん」
―――誰の目にも触れさせてはいけない。
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