Ⅱ 惑わされる者たち-4
「ひゃあ、綺麗だねぇ」
クリスナは繊細な天井や壁の装飾に思わず声を上げた。だが周囲から非難の目で見られ、無表情を作って黙ったまま歩く。
前を歩くティスとイリルは敵国と自国の分別も無く、両方から注目されていた。正確に言えば跡継ぎである王子、ティスだけだ。王では無く王子を寄越したことへの批判か、幼いながらも凛々しい表情で歩く王子への謙遜か、どちらか分からないが両方の意味を込めての視線なのだろう。
「……」
一方、シェウリに向けられる視線は無い。王子として認められない者は、赤の他人も同然の扱いであり、特別な扱いなどありもしない。そ知らぬふりをしていても微かに漂う哀愁のようなものが感じられて、その後ろを歩くクリスナは何処となく不安を感じた。
周囲から漏れた言葉が否応虚しく耳に入ってくる。幾つも、幾つもの言葉が。
「ティスウィンリーク殿下は噂どうりの方ね。王族としての気品が漂っているわ」
「国王を寄越さずによもや跡継ぎ共を寄越すとは……挑発のつもりか?」
「殿下の弟、シェウリディスだったか。王族でないものがこのように見世物にされる王族の兄をみて何を思っているのやら――」
「あら。護衛のお二人、結構かっこよくて可愛い。権力に物を言わせて、どちらでもいいから何とか婚約にまで行かせられないかしら……」
……最後に危険な言葉が聞こえた気がしたが、クリスナは無視することにした。退けたければ無理強いにでもできるからと。今大切なことは、視線の矛先でもある王子のことのみだ。
その小さな背中に何を背負って、何を想うのだろうと、他人事のように思えないクリスナはただ思う。
どう頑張ろうともその事実は変わらない、そう思いあう同志のような気もして、自分がどこまで愚かなのかを痛いくらい思い知らされていた。
裏切られるその痛みを、知っているはずなのに。
「イリル、シェウリとの距離が遠い。もう少し歩調を緩める」
やっと耳に届くか位の大きさので話しかけられ、イリルは小さく了解と答えた。本当に弟思いだな、とつくづく思ったが口に出す事はしないでおこうと結論付けた。余計な事を言うと後が怖い。
「にしても、殆ど……というよりも全員の視線釘付けしてるな。予想以上に大層なものだな、王族は」
「大半が王様を寄越さなかったことに対する批判の視線に思えるがな。視線が痛いんだ」
「……なんか、俺に対する視線もあるような気がするぞ。しかも怖い、いや、おぞましい?」
ひそひそと話を続ける二人、イリルの視線に対する予想は外れていなかった。全て熱愛に発展しそうなものばかりであったが。
イリルは目だけをゆっくり動かして周りをぐるりと見渡した後、眉を寄せてこっそりティスに話しかけた。
「結構な人数のスール貴族が集まってるな、あちらの国は盗賊団の行動範囲が広いうえに動きが活発だと聞いていたが……。盗賊への武力行使でもしたのか?」
その言葉にああ、とティスは小さく呟いて、返事を返した。
「前までは盗賊に襲われて大半が到着できなかったからな。だが最近は盗賊団の出没率が低くなっているらしい。何故かは知らないが、国が力を掛けた訳ではないようだ」
返答の中の疑問を不思議に思いながらもイリルはその場では黙っている事にした。後ろのシェウリ達を気にしながらしばらく歩く。
思考を正常に稼動させる前に入り口に到着したため、イリルは急いで思考能力を正した。心なしかティスの背中がイリルには凛々しく見える。
躊躇うことも無しに扉を開けたティスに続いて中に入り、元々指定されている席にティスは着席し、そしてイリルはそこから何メートルか離れた場所に待機する。シェウリの場合も同じく、クリスナが横に立った。
「いっつも思うんだけどぉ、こんなふうに護衛さん入れていいのかなぁ。会議の内容をどこかに密告するってかのーせいを考えてないのかなぁ」
「そんな命知らずの事が出来る人間自体、騎士になんかならないだろ。それに信用ある者を護衛に選んでいるんだろうし」
お偉い方に睨まれてその会話は直ぐに中断される。シェウリの後から入ってきた五十代前半の男が席に着いてから、すぐに会議は始まった。
「そういえば……。いっつも、って何だ――?」
その呟きは、他の声にかき消されて誰の耳にも届かない。
会議はこれでもかと言うほどに基本的にスムーズに流れて行った。イリルはあまり良くないことを承知でそれを聞き流すふりをしながら内容を簡潔にまとめていく。
理由は分からないが何か不祥事をこのシェスティ国がしでかして、それが凶悪極まりない事だからそれを返しても、謝罪すらもないという無礼はスール国に対する侮辱以外の何物でもない。故に戦争だ――らしい。
ある意味では分かりやすすぎる内容だと、彼は心の中で溜め息を吐いた。隣のクリスナもそれなりに考えているようで眉を寄せて、しばししてからこっそり溜め息を吐いている。その様子を見かねて、意見が気になって小さく声を掛けた。
「どうした、クリスナ。何か気になることでもあったか」
「うぅん、よく解んないだけだよ。なんでもないから……」
最後のくぐもった言い方が気になりつつもこれ以上問い詰めても責めるだけと思い、イリルは言い留まった。
「――あれ、フォルトパーソン公爵だね」
唐突に、前振りも無く呟いたクリスナの声に慌ててイリルは目だけでクリスナの言った人物の姿を探した。何人もの金髪の貴族が居たが、一際目立つその淡い金髪の為、直ぐに探していた人物は見つかった。
淡い金の髪を短く切りそろえた、深緑の目を持つ五十代半ばの男。フォルトパーソン家は、確か先々代の王の妹の嫁入り先だったはず。
「あ、あ。確かに居るな。だが、それがどうした?」
その言葉にクリスナは黙り込み、重々しく口を開く。
「ぼくは、あの人にご恩をお返ししなければいけない。そして、ぼくはあの人が何を求めているのかも知ってる。だけど、それを僕は躊躇っているの」
「……それで?」
「ぼくは、あの人にご恩をお返しするべきなのかな。それとも自分の我が儘を通す方がいいのかな。……ぼくがすべきなのは、どっちなのかな」
小声での会話だというのに、その問いが真摯に見えて、彼は返答に詰まった。何か無礼な事をしたのであればそれは謝罪をすべきであろう、だが彼が言っているのは〝ご恩〟であって、何かに対する謝罪ではない。この事も加わってしばらく悩んだ後、言っている本人にとっては、当たり障りの無い返答を返した。
「どれを選んだって、構わないんじゃないか?」
発せられた答えに、彼は動揺していた。
クリスナが酷く動揺したことに、クリスナ自身が一番驚いていた。
「――では、宣戦布告を取り下げる気は無いと言うのだな」
その場の雰囲気を、ティスの澄み切った声が切り刻んだ。思わず自身の視線と興味が彼の方向を向く。
「当たり前だ。でなければ最初から宣戦布告などするはずがないであろう」
肯定する返事を返したスール国の王は、もう話す事など無いというように席を立った。王の護衛の兵らしき四、五人がその後をついていく。これで終わりか、と思いイリルは足を動かそうとした。
視界の隅に、誰かが立ったところを捕らえた。
「お待ちしてもらえませんか。一つ、質問をさせていただきたいのです」
短く切られた淡い金髪、深淵へと誘うかのような深緑の目。
「何故……?」
誰かが呟いたが、それが誰なのかも分からないほどそのときの彼は驚愕していた。
早足に王に近づき、言葉を発する。
「本当に、宣戦布告を取り下げるお積もりは無いのですね」
「何度も言わせるな」
睨み合いが少しの間続いたが、王が痺れを切らしてその場を去る。フォルトパーソン公爵はそれを見届けた後、自身も場を去った。だがこの建物自体を去るつもりはまだ無いだろうから、誰も止める人は居ない。イリルこそ一瞬不思議と感じたが、この後の昼食会を兼ねた会議があることを思い出す。
大っぴらな会議は終止符を打ったと、イリルは動かしかけて止めた足をまた動かす。早々とティスの斜め後ろに立つと、耳打ちをする。
「そろそろ行くか。お偉いさんが場を去ったとなると、他だって動くだろうし」
「分かっている。……結局、何の進展も無く始まるな」
肘で軽く隣のシェウリを突くと、ティスは席を立った。早足で歩いていき、近くの執事が開けた扉をくぐっていく。イリルも同じく。
シェウリはそれを目で見届けた後、自身もゆっくり席を立つ。
「戦争、か」
意味もなくぼそりと呟いて、クリスナを従えて同じように去っていった。
「……はやく、決断しないとなぁ」
栗色の毛を揺らしながら、虚ろに彼は呟いた。
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騎士と王子、城に勤める者たちが織り成す、願いと思惑の物語。
第一章のⅡ-4です。