#25
彼女たちは今、平原を歩いている。このご時勢に女の二人旅、それも彼女たちのような見目麗しいと形容できる少女たちなら、その危険度は計り知れないが、しかし、それも仕方がない。馬を買おうにも、旅商人に同行しようにも、先立つものがないのである。つい先月までは、用心棒的な武人が共にいてくれたのだが、彼女も路銀稼ぎにと、とある城に食客として仕官してしまったのである。
「さて、次の街までそれほど距離がないとはいえ、何事もないといいのですが………」
「そですねー。昨日の街では、この辺で賊が出るという噂は聞かなかったので、たぶん大丈夫とは思いますけどねー」
眼鏡をかけた理知的な雰囲気の少女が、黒手袋を嵌めた手でその眼鏡を直しながら零す言葉に、飴を舐めながら、頭に人形を載せるというなんとも奇妙な風貌の少女が答える。
「お金がないなら、星ちゃんみたいに公孫賛さんのところで働けばよかったのに。稟ちゃんも強情ですねー」
「いえ、伯珪殿も一角の城主としてはそれなりに有能ですが、仕官しようとは思えませんでしたので。かく言う風こそ、何故仕官しなかったのですか?」
「そりゃ、稟ちゃんが心配だったからに決まってるじゃないですかー」
「はいはい、わかりましたから。………それで本音は?」
「………………………ぐぅ」
「寝るなっ」
「おぉっ!?」
風と呼ばれた少女―――程立は、それには答えずに眠りに落ちる。稟―――戯志才の対応を見るに、これもいつもの光景らしい。程立も戯志才のツッコミに特に何か言葉を返すこともなく、先ほどの質問への答えを述べた。
「いえいえー、公孫賛さんもそれなりにいい人なんですけどー、なんていうか………」
「なんていうか?」
「普通、すぎるんですよねー」
「………………………もういいです」
程立の答えに、はぐらかされたことを感じ取るや否や、戯志才も溜息を吐いて、再び進行方向に目を向ける。どうやらこれも、いつもの光景のようだ。
と、程立は、横を歩く少女の腕をちょいちょいと引く。それに答えるように相手も彼女の方を向くが、対する程立は、また別の方角を見つめていた。
「どうしました?」
「稟ちゃん、走る準備はできていますかー?」
『それ』に最初に気がついたのは、一刀でも恋でもなく、セキトだった。ゆったりと馬の背に乗って進むなか、背に時折零れてくる飼い主の食べこぼしを感じながら、そこに、別の何かを嗅ぎ取った。
セキトは鼻を上げて、二、三度ひくつかせると、後ろに座る主の一人を振り返る。
「………?」
「わふっ」
どこかの街に滞在している間は特に目立ったところもないこの犬は、旅路に戻ると、主たちの愛馬と共に、途端にその能力を発揮する。
「一刀………セキトが、賊だって」
「どっちだ?」
主たちや彼らを乗せる馬たちと共に幾多の戦場を駆け巡った彼の嗅覚は、他の犬に比べて、戦の匂いに、あるいは、人の汚れた欲の匂いに飛び抜けて敏感になっていた。それは、慣れもあるかも知れない。しかし、主たちの役に立ちたいという思いがその能力を開花させたことは、想像に難くないだろう。
一刀は恋の言葉を受けて、すぐに表情を変えた。慣れたいとは思わない。だが慣れてしまっている自分がいる。そのことに僅かに表情を苦いものに変えるものの、すぐに元に戻す。
「わんっ!」
恋が通訳するよりも早く、セキトの声を受けた赤兎馬と黒兎馬は馬首を右に向けて加速した。セキト同様、この馬たちも戦の空気に慣れ、そして、背に跨る主たちが何を望むかをとうの昔に理解しているのだ。
二頭の名馬は駆けていき、一刻もしないうちに、その先に砂塵が見えてくるのであった。
「はぁ、はぁ………風!もっと早くっ!」
「む…無理ですよー。風は稟ちゃんみたいに血が有り余っている体力莫迦とは違うんですからー」
「だ、誰が体力莫迦ですか!!………はぁ、それだけ言えるならまだ大丈夫そうですね」
「なんとかですけどねー」
走り続ける少女たちの後ろには、100人ほどの男たちが追ってきていた。皆が皆、腕や頭に黄色い布を巻きつけている。走りながらも後ろを振り返った稟は、その色合いに、軽い眩暈を覚える。しかし、脚を止めるわけにはいかない。一度追いつかれてしまえば、その先の未来が容易に想像できるからだ。
しかし、彼女たちは武人ではない。世間の主だった武将に女が多いことは事実だが、だからといって女が男よりも体力があることを意味するわけではない。突出しているのはごく一部であって、それ以外は、男の方が、よっぽど力が強いのである。そして、戯志才も程立も残念ながら大多数に属する部類であり、実際、二人と男たちの距離は少しずつ縮んでいるのであった。
戯志才は考える。この腐った世を正したい、その為にどこかの有力な主を得ようと旅をしてきた。こんなところで、賊どもの慰み者になるわけにはいかない。ましてや死ぬなんてこともまっぴら御免だ。後ろの男たちを壊滅する方法など、それこそ百通りでも二百通りでも考えられる。しかし、ここにはそれを実行できるだけの兵など、いるわけもない。
こんな時でさえ、机上の空論を思い浮かべてしまう自分の性格が厭になる。しかし、稟が今、この瞬間に求めているのはそんなことではないのだ。戯志才が求めているのは、もっと単純な答え。………………誰でもいい。助けて欲しい。
程立は考える。どうすればこの窮地を脱することが出来るかを。仮に捕まったとして、仮に戯志才を囮にしたとして、あの人数だ。すぐに自分も追いつかれる。それ以前に、隣で走っている親友を囮にするなんてことは、絶対にしたくはない。
こんな時ですら最善手を浮かべようとする自分が厭になる。そしてその選択肢の中に、友を裏切るような行為を挙げてしまう自分が。酸素不足でぼうっとする頭で考える。一番近い街に向かって走っていることは間違いない。しかし、その距離はあとどれくらいなのか。旅の商団でもやってこないだろうか。いや、もう太陽は空の天辺をわずかに通り越している。こんな時間に街から出てくる商団もいないだろう。あるいはかつての同行者のような武に長けた者が助けに来る可能性は?それこそもっと低い。この人数を相手に出来るような強者がいるのなら、とっくにどこかの城に仕官しているからだ。
………それでも、程立は願った。この窮地から自分たちを救い出してくれる誰かを。かつて本で読んだ英雄のような救世主を。
かくして、二人の願いは一つの叫びによって叶えられた。
「伏せろっ!」
砂塵の見える方角を、馬上からじぃっと見つめる。どんどん近づいている実感あるが、まだ遠いようだ。
「恋、見えるか?」
「………………賊は、多くない。でも………1人、うぅん、2人、追われている」
「わかった。恋、俺が正面から行く。後ろから回り込めるか?」
「………ん」
短い会話を終わらせると、一刀と恋は、脚にいっそう力を籠め、馬たちもそれに答えるように、速度をさらに上げる。黒兎馬はそのまま目標へ向かってまっすぐ進み、恋を乗せた赤兎馬は右に逸れた。仮に間に合わずに人質に捕られてしまった場合でも、2騎なら相手も警戒するだろうが、1騎なら油断するだろうという一刀の思惑からの指示だった。
賊の人数が目算できる位置に達したとき、一刀は、逃げている2人が少女であることに気が付いた。逃げている様からも、その雰囲気からも彼女たちが武人ではないことが窺える。よっぽど慌てているのだろう。黒兎が近づいているのにも気づかずに、後ろを何度も振り返りながら、一刀の視界を右から左へと走っている。
一刀は馬首をわずかに左に向けると、黒兎に何かを囁きかけ、そして、腰を浮かせた。
「伏せろっ!」
「「っ!」
一刀は黒兎に跨る姿勢から、その背へと足を乗せて膝を曲げて叫んだ。驚いたことに、その声に先に反応したのは賊ではなく、武の素養もなさそうな少女たちであった。二人は走る勢いもそのままに、転がるように見を屈める。その様子を視界の端に捉えると、一刀はそのまま黒兎の背を蹴り、賊の塊へと飛び込んだ。
「なんだテメェ――」
「こいつっ!?」
一刀は空中で野太刀を鞘から抜き放つと、着地と同時に賊たちを斬り伏せる。その剣速はどれほどのものなのだろう。その刀身は、幾人もの肉を斬り裂いているにも関わらず、血糊は一つもついていない。そして彼の愛馬は、少女たちを守るように、先頭にいた賊を蹴り飛ばし、蹂躙していた。
「おい!回り込んで、あの女どもを人質にしろっ!!」
群れの向こうから、そんな叫び声が聞こえた気がしたが、一刀はそれを無視した。人質に取られようと関係ない。そんな理由などではない。一刀にはわかっているのだ―――
「ぐあぁっ!!」
「か、頭っ!?」
「………お前たち、弱い」
―――彼らには、死地以外に逃げ場などないことを。
「………ふぅ、終わったか。恋!大丈夫か?」
「ん………問題ない」
刀を鞘に納めた一刀は、心配などしていないが、馬上の恋に声をかけた。恋も、その言葉の通りに傷一つ、返り血ひとつ浴びずに、赤兎に乗って一刀に近づいてくる。
そうして、恋が一刀のもとに辿り着いて下馬すると、二人はいまだ地面に座っている少女たちに声をかけた。
「君たち、大丈夫か?」
「「………………」」
しかし、一刀の問いかけに、少女たちは答えない。二人の武に圧倒されて、ただ言葉を失っていたのだ。
仕方がないかと、一刀は二人のうち眼鏡をかけている少女―――稟に近づいて彼女の前にしゃがむと、その顔を覗き込んだ。
「おーい、大丈夫か?」
「………はっ!?ぁ、ぇ……なんでこんな近くに………まさか、このまま私を攫って、『お前の命は俺が助けた。だからお前は俺の物だ』などと私を侍らせるのですね。そして、この人に仕えるうちにいつからか私も惹かれるようになり、そしてそして、彼は私の智だけではなく、私そのものを求めるようになり、そしてそしてそしてっ!――――――ぷっはぁぁぁぁっ!」
「どわぁあっ!?」
「………………おぉー」
少女が目の前の一刀に気づき、小声で何事かをぶつぶつと呟いていたかと思うと、いきなり鼻血を、文字通り噴出した。その血流はそのまま一刀の顔面へとぶつかり、彼を真っ赤に染め上げていく。流石の一刀も、この攻撃は予期していなかったようで、動けずにいた。
「………そしていつしか………天下を………………私と彼の理想郷………………………」
「はーい、稟ちゃん、とんとんしましょうねー」
恋が少女の鼻から描かれるアーチに感激し、一刀がその光景に茫然としていると、もう一人の頭に人形を乗せた少女―――程立が戯志才に話しかけ、その首筋を叩いている。その間も鼻血を流し続ける少女は何事かをぶつぶつと呟き、恍惚の表情を浮かべているのであった。
「えぇと、先ほどはお見苦しいところを………」
「ほんとですよ、稟ちゃん。命の恩人とはいえ、初対面の男の人に破瓜の血を捧げるなんて」
「は、破瓜ぁ!?わた、私の純潔を、ここここの殿方に―――」
「落ち着け」
彼女の言動に不穏な空気を感じ取った一刀は、失礼とは知りつつも彼女の鼻を親指と人差し指で抑えた。横で金髪の少女がおぉっ、と声を上げるのが耳に入る。
「ゆっくり、深呼吸を3回しろ。眼は閉じたままだ。吸って…吐いて………吸って………………」
「すぅぅ…はぁぁ………すぅぅ………」
「そうしたら、ゆっくりと目を開け。最初は周りの景色を見ろ。いいか?」
「はい……」
閉じた瞼の向こうの男の気配が消えると、少女は言われた通りに、ゆっくりと両の瞼を開いた。初めに景色を眺め、次いで友の顔を、そしてその横に立つ、自分たちを助けてくれた少女の顔を見た。
「落ち着いたか?」
「………はい。ありがとうございました」
「気にするな」
少女は、ゆっくりと振り向いて一刀の方を見ると、かすかに口元を緩めるのであった。
「それで、さっきの鼻血は奴らにやられたのとは関係がないんだな?」
「はい、貴方たちのお蔭で、なんとか無事に済みました」
「稟ちゃんの鼻血は、稟ちゃんの妄想癖の副作用みたいなものですので、お気になさらずにー」
「風っ!」
興奮して鼻血とか、漫画みたいだな。ふと一刀は思った。一刀と恋が見ている間も、ずっと二人で喧嘩―――といっても、戯志才が一方的に捲し立てているだけだが―――する様子を見て、なんとなく雪蓮と冥琳を思い出した。
「………雪蓮と、冥琳みたい」
「そうだな…」
どうやら恋も同じ人物を思い出していたようで、友の名を口にした。
数分後、ようやく落ち着いたのか、少女たちは一刀と恋に向き直る。
「度々すみません」
「ほんとですよー、稟ちゃんは―――」
「もうそのネタはいいですから!話が進まないでしょう」
「はいはいー」
「では、遅くなりましたが、助けていただきありがとうございました。先月までは腕に覚えのある者と旅をしていたのですが、いまは二人だけになってしまい―――」
「お金もないのに旅なんて続けようとしたから、こんなことになってしまったのですよー」
程立が相方の台詞を横から掻っ攫った。相方が何か抗議をしているが、彼女は目を閉じて聞き流している。
「改めまして、風の名は程立と言いますですよー。で、こちらが………」
「戯志才と申します」
「あぁ。俺は北郷一刀。で、こっちが…」
「恋は呂布。呂布奉先」
「とりあえず、近くの街へ行こうか。ここにいてもしょうがないし。…恋、戯志才さんを乗せてやってくれ。程立さんは俺の方でいいかな?」
「かまいませんよー。それにしても、おっきなお馬さんですねー」
「そうですね。相当の良馬と見受けられます」
「あはは、ありがと。程立さん、ちょっと失礼するよ?」
「おぉっ?」
一刀は程立の両脇に手を差し込むと、見た目の通り軽い彼女の身体を持ち上げて黒兎に乗せる。その隣では、恋がもう一人を抱えて飛び上がる。「きゃっ」と少女の小さな驚きの悲鳴が聞こえてきた。
「これはこれは………なかなか良い景色ですねー。風は大人になった気分ですよ」
「気に入ってくれてよかったよ。それじゃぁ………恋、行こうか」
「………ん」
一刀の合図と共に、2頭の馬は軽やかに走り出す。一刀も恋も、2人を前に乗せて初めて気がついたが、2人は今頃になって震えていた。一刀たちはそれを問うこともなく、ただ無言で走らせる。少女たちは、ようやく安心を手に入れたのだ。
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