No.195891

虚界の叙事詩 Ep#.14「秘密」-2

巨大国家の陰謀を探る話から、世界的な脅威へ。このエピソードでは主人公達の秘密が明かされていきます。

2011-01-14 17:09:31 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:284   閲覧ユーザー数:247

 

 『SVO』の7人はドレイク大統領の遣いに連れられ、《クリフト島》内部の、地下シェルターへと

向かった。

 

 島の地下には大きなシェルターがあり、そこは核攻撃にも耐えられるように頑丈に作られて

いる。備蓄食糧も豊富にあり、収容人数も地上の非難施設と合わせて相当なものとなってい

た。

 

 

 

 

 

 

 

 原隆作はそのシェルター内の会議室で、『SVO』のメンバーを待っていた。

 

 彼は、久しぶりにスーツを着ることができていた。だが、高価なものではない。このシェルター

内部にあった、かなり昔のデザインのスーツだった。

 

 ここは、『NK』政府が有事の際に集い、対策本部となる場所だ。核シェルター内部にあるだ

けあって、窓はないし、コンクリートもむき出しなので、かなり殺風景な造りになっている。

 

 ここには、隆作しかいなかった。彼の罪は免責となり、『NK』政府へと戻る事ができていた

が、『NK』政府の要人ほとんどが、あの爆発に巻き込まれてしまったのだ。

 

 何しろ、爆発が起きたのは、『NK』の中でも、中心部だったのだから。中央省庁も数多く消失

してしまった。例え生き残っている者がいたとしても、連絡を取る事ができない。

 

 かろうじて、海外滞在中の外務大臣とは連絡が入っていて、彼は今この島に駆け付けようと

している。

 

 詳しいことは分かっていないが、『NK』へと高威力原子砲の照準が向けられてから、発射ま

でほんの3分しかなかったのだと『帝国』政府は説明している。『NK』への連絡こそ入れられた

が、避難をしているような時間もない。

 

 だが隆作は知っていた。この惨劇が、『ゼロ』によって引き起こされたものであるという事を。

 

 彼は『SVO』の者達のように、彼の気配を肌で感じるような事はできない。しかし、分かる。あ

れは『ゼロ』がした事なのだ。

 

 やはり、『SVO』には荷が重すぎたのだろうか。会議用の椅子に身を埋め、隆作は『SVO』の

到着を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、会議室の扉が開かれ、『SVO』の香奈を除いた7人が姿を現した。

 

「原長官。良くご無事で、何よりです」

 

 真っ先に部屋の中に入り、隆作に挨拶をしたのは、リーダーの隆文だった。彼の目には、防

衛庁の長官室にいた時と変わらない、あの原長官が映っていた。

 

「君達こそ無事で、何よりだよ」

 

 隆作は椅子から立ち上がり、心から7人に言っていた。

 

「理由があって、香奈はここには来ませんでした」

 

 絵倫が7人しかそこにいない理由を説明する。

 

「そうか、それは仕方ないな」

 

 隆作は、不思議とその事を理解しているかのようだった。

 

「香奈から、話を聞きました。あなたにどうしても聞きたい事があたし達にはあります」

 

 たまらず沙恵が、隆作へと駆け寄る。

 

「では、聞いたのだな?香奈から?」

 

 沙恵と目を合わせ、隆作は言った。彼はとりたてて驚くような様子も見せないし、落ち着いて

いた。

 

「どういう事です?」

 

 そう尋ねたのは一博だった。

 

「君達には全てを明かせない事もある。だが香奈の言っていた事は違う。いずれ時期を見て、

私は君達に話すつもりだったんだ」

 

 隆作は、メンバー達の顔を見回しながらそのように言った。

 

「どういう事です?」

 

 今度は絵倫が尋ねる。

 

「まあ、せっかく椅子もあるんだ。座りなさい。長い話になる」

 

 隆作は、皆を落ち着かせるようにそう言った。テーブルは円卓型になっていて、隆作の座って

いる場所を取り囲むように、『SVO』の7人は座った。本来ならば、政府要人、防衛庁高官など

が座る場所を、彼らが占める。

 

「長い話って?」

 

 沙恵が呟き、仲間達を見回した。

 

「聞きたいのだろう?君達は自分達の事について」

 

「それだけじゃあありません」

 

 絵倫は隆作に言う。

 

「そうです原長官。俺達は『ゼロ』の事についても知らなくてはならないんです。奴の正体をあな

たはご存知のはずだ。なのにそれを隠している」

 

 隆文が皆よりも前に出て隆作に歩み寄った。

 

「確かに隠している。そもそも、君達にあの存在を捕らえろと言ったのは」

 

「本当は、殺して欲しかったんですよね?」

 

 と、絵倫は誰よりも隆作に近付き、目線を合わせて言った。

 

「その通りだ」

 

「なぜですか?なぜ?」

 

「知っての通り、あの『ゼロ』という存在は、非常に危険な存在だ。我々人類が保有して来た、

どんな兵器よりも危険で、人類破滅の引き金にもなる。永久に管理できるようなものではない」

 

「しかし、『帝国』はあの存在を抑えていた」

 

 隆文が言う。

 

「そうかもしれないが、いつ暴走してもおかしくない状態にあったのも間違いない。『ゼロ』は、見

ての通りの脅威と危機を振り撒いている。正直、私もこれほどのものだとは思っていなかった。

まさに、人類の危機だ」

 

 『SVO』の7人は、隆作に直接言われて事の深刻さを改めて認識した。

 

「だから、君達にあの存在を破壊して欲しかった。正直、あれほどとは思っていなかった事を断

っておく。君達でも不可能なほどの力を持っているようだ」

 

「なぜ、わたし達なんです?」

 

 メンバーが誰も答えられない中、絵倫が隆作に尋ねる。

 

「それを、これから話したい」

 

 『SVO』の姿を見回し、隆作は言う。

 

「ええ、いいですよ。俺達も、あなたからその話を聞く為に来たんです」

 

 そのように答えたのは、隆文だった。

 

「そうか。じゃあ実は、これから話す事は、香奈には全て話してあるんだ。彼女にはすでに話し

た」

 

 隆作は、早速話を始めるのだった。お互いが無事を確認して、生き残った事を分かち合うよ

うな暇すらもない。

 

 それだけ、『SVO』にとっても、隆作にとっても、重要な問題だった。

 

「なぜ、香奈だけ話したんです?」

 

 隆文が、メンバーを代表して質問する。彼は、隆作のすぐ脇の席に座っていた。

 

「彼女が、『SVO』を辞めたいと言って来たからさ。辞表も受け取った。彼女が『SVO』を辞めて

しまうとなると、私と会う事も禁じられるようになる。私と『SVO』の過去の接点は無くさなければ

ならない。だからそうなるよりも前に、香奈にだけは話す事に決めたんだ」

 

「いつごろ、彼女にその事を話したんです?」

 

 絵倫が尋ねた。彼女は、隆作を中心として、隆文とは対称の位置、彼のすぐ脇に隆文と共に

いる。

 

「彼女が『帝国』から一時的に『NK』に帰還して来た時だ」

 

 それは、隆作自身も、『帝国軍』の『レッド部隊』とか言う連中に襲われたあの時の事だ。

 

「な、何にも知らなかったよ」

 

 沙恵が困惑したような声で言った。

 

「彼女には、この事は誰にも話さないように言った。だから香奈は、しっかりとその義務を果た

した」

 

「もう過ぎた事なんかひっくり返したりするのは止めようぜ、沙恵。オレ達にはこれから知らなき

ゃならねえ事がある」

 

 と、浩。ようやく彼は落ち着いて来ているようだった。

 

「この事を話す為には、まず『ゼロ』の事について話さなければならない」

 

 隆作は重々しく話し始めた。

 

「そうだ。オレ達も、丁度『ゼロ』って奴の事について話を聞きたかったんですよ」

 

 と、浩。

 

「しかしなぜです?なぜ、『ゼロ』の事と、俺達の事が関係あるんです?」

 

 そう尋ねたのは隆文だった。

 

「まあ、話を聞いてくれ。そうすれば君達にもどういう事か理解できるだろう。これから話す事

は、防衛庁の中でも私と、ほんのごくわずかな者達しか知らない。『ゼロ』の事なら今ではほと

んど全世界が知ってしまっているが、彼と君達との関係に関しては、今となっては私ぐらいのも

のだ」

 

「とにかく、話を聞かせてもらいましょう。何でわたし達に隠していたかとかは、後で構いませ

ん」

 

 絵倫が言い、『SVO』7人の視線は、隆作の方へと向かった。

 

「では、始めよう。『ゼロ』については、何しろ長い話だ。大戦前にまで遡る事になる。今から約

60年前に全ては始まった」

 

「そんなに昔から?」

 

 と、沙恵。

 

「ああ、当時の防衛庁の記録はあまり残っていない。我々が推測して得た情報も含まれる。あ

の『ゼロ』は、大戦前に行われた、ある実験によって誕生した存在だ。もともとは人間だった。

 

 しかし、当時、まだ未知の存在だった人間の『能力』。それを過剰に引き出された彼は、戦時

中の混乱に紛れ、そのまま忘れられた存在となってしまった。

 

 『ゼロ』と呼ばれる存在になる男は、ある液体の入ったカプセルの中に入れられていた。

元々、研究が危険なものであった為、研究室は、地下シェルターの中にあった。『ゼロ』はカプ

セルの中に保存されたまま、16年前までそこにいた。

 

 だが、その16年前。『帝国』の調査部隊により、『ゼロ』は発見された。そして『帝国』へと持ち

帰る事になったのだ。彼はその時すでに、危険なまでの存在にと変貌していた為にな」

 

「詳しい話を、聞きたいわ」

 

 絵倫が原長官の方を向き、真剣な眼差しで彼に訴えた。他のメンバー達も同じような視線で

見つめた。

 

「ああ、分かっている」

 

 その視線の中、重々しい口調で原長官は答える。

 

「3次大戦の前から『ゼロ』ってのはこの世にいた。俺達の産まれるずっと前ってわけです

か?」

 

 そう聞いたのは隆文だった。彼はいつになく真剣な面持ちになっている。じっと原長官の顔を

側から見据えていた。

 

「いや、そうではない」

 

 だが、原長官はそれを否定していた。

 

「どういう事ですか?」

 

 今度は沙恵が尋ねた。

 

「まあ、まずは私に話をさせてくれ。私の話を聞けば、全てが見えてくるはずだ。『ゼロ』の事

も、何で君達が彼の存在を感じる事ができるのかという事も、これから、全てを話そう」

 

「オレ達が奴の存在を感じる?なんであんたがそれを?」

 

 浩は意外そうに言った。

 

「私は『ゼロ』について、君達よりも知っているのだ。もちろん、君達の『帝国』での潜入捜査の

報告で知った事も多いわけだが、とにかく話そう。私なりに全ての情報をまとめてあるつもり

だ」

 

 原長官はそこで言葉を切り、『SVO』の7人の視線が、一斉に彼の方に向く。

 

 彼は話を始めた。

 

 

「およそ60年前、つまり3次大戦よりも前に始まった実験が全てのきっかけだ。当時、『NK』と

いう国は無く、『紅来国』という名前だった。知っているだろう?『NK』というのは、New Kourai

(新しい紅来国)という意味だからな。

 

 『紅来国』のかつての土地は、3次大戦で壊滅状態になってしまった。

 

 さて『紅来国』の防衛庁、『NK』の防衛庁の前身となる組織と考えていいが、世界大戦の危

機が迫る中、新たな国防能力が必要と考えていた。もともと『紅来国』は経済こそ豊かだった

が、軍事的には弱かった。世界中を巻き込む大戦になる以上、それは致命的だったのだ。

 

 そこで防衛庁は、とある秘密組織を結成して、極秘の研究をさせたのだ。良く知っている通

り、我が国には軍はなく、いわゆる国防隊という自衛だけの軍隊はある。だから本来ならば戦

争に直接参加するようなつもりはなく、自衛兵器の開発だけで良かったのだ。それだけで良か

ったはずなのだ。

 

 しかし、当時の世界は非常に緊迫していた。『帝国』の独立、そして『ジュール帝国』の社会主

義の強化、第三諸国によるテロ行為の頻発などだ。全てが一食触発の状態にまで緊迫してい

た。『紅来国』は表向きこそ平和だったが、3次大戦が起こっても不思議ではない状態というの

は、気付いている者は気付いていたのだ。

 

 防衛庁の秘密プロジェクトは、非常に小規模な場所からスタートしていた。数名の人間が小さ

なオフィスで働くような、そんな組織だった。

 

 最初は核ミサイル撃墜などの、自分達の身を守る技術を主に開発していたのだ。国防は他

の国に依存している事が多かった我が国としては、非常に画期的だったかもしれん。そう、画

期的さ。当時の防衛庁も、このまま行けば、自分の国だけで国を守っていけるようになる、そう

確信し出していた。

 

 だがだんだんと、政府からも信用を得られるようになったその組織は、研究の規模を拡大さ

せていったのだ。

 

 彼らの研究は、極秘も極秘に行われていた。だから一体何をしていたのかさえ分からない。

過激な研究も行われていたと聞く。国防というよりもむしろ、攻撃の為の細菌ウイルスや、化学

兵器も開発されるようになったらしい。

 

 そしてある時、それも3次大戦の勃発する直前だったらしいが、ついに人体を使う実験を行う

という事に踏み切ったのだ」

 

「その事は政府もご存知で?」

 

 絵倫が話の切れ目に口を挟んだ。

 

「さっきも言った通り、詳しい事実は全て大戦中に紛失してしまっていて私にも分からない。だ

が、政府の容認があった事には違いないだろう。彼らの研究は最終的には大規模なものとな

っていたのだから、誰かに隠れて行えるような実験ではない。

 

 そして彼らは多くの人間を集めたのだ。そう、素質のある人物だよ」

 

「つまり、特殊な『力』の、ですね?」

 

 今度は隆文が口を挟んだ。

 

「そうだ。人間が持つ、その当時では完全に超人的な『力』の事だよ。その実験が行われるよう

になったのだ。

 

 超人的な力の存在については、相当な昔から噂されて来たが、当時はすでに、先進国の軍

隊では盛んに研究や実験がされていたらしい。ただ、今も同じように公にされる事はなかった

が。

 

 優秀な兵士、『力』を使う事のできる兵士を作るための実験だ。

 

 『紅来国』でも、その研究は行われていた。本格的な実験は、私が話しているプロジェクトチ

ームが始めてだったのだ。何しろ、人体が必要となる実験だ。しかも未知の部分も多く、危険

な実験になる。そのような実験は裏での研究になってしまうのだ。

 

 だが、その研究は行われた。そして皮肉とも言えるが、我が国で初めて行われたその研究

が、最も成果を上げてしまったのだ。あまりに優秀な人材を集めすぎた、そして期待をかけ過

ぎた事がいけなかったかもしれないな」

 

 再び『SVO』のメンバー達は、真剣な眼差しで原長官の話を聞き始めた。

 

「その当時、『力』というものは、一体どのような潜在能力か、それすらも分かっていなかった事

を断っておく。せいぜい、念じれば物を破壊できるとか、見えないものが見えるとかな。トリック

まがいのものも多かったが。

 

 それが、人間の体から引き出せることができ、しかも任意にその『力』を使えるとなればそれ

は画期的だった。それまで、どの国でも成功例は無かったのだよ。たいがいが失敗してしま

い、被験者を死なせるか、悪い方向に使われてしまう。

 

 私も詳しい事は分からないのだが、人間の脳には誰しも未知の部分があり、そのほとんどが

使われていないのだという。それを電気的に刺激したり、薬品を投与したりして、過剰に引き出

すという実験だったのだ。

 

 さて、『紅来国』で行われた実験で集められた被験者は50人ほどにも及んだ。『ゼロ』もその

一人だったという。しかしその実験においても、ほとんどが失敗してしまったという」

 

「『ゼロ』だけが成功を?」

 

 隆文が尋ねた。

 

「いや、どこまでが成功なのかすらはっきりしていない。『ゼロ』が最も成功した、つまり最も

『力』を引き出されたと言えばそうなのだろう。しかし過激な実験だ。最終的にその実験で生き

残ったのはたった10人だったという話だ」

 

 そこで原長官は言葉を切り、自分を見つめている『SVO』のメンバー達を見回した。彼は深く

息をつく。

 

 そして意を決したように口を開いた。

 

「それが、君達だった」

 

 一瞬の間があった。

 

 一体原長官が何を言ったのか、その場にいた誰もがすぐには理解できなかった。

 

 誰もがどうしたら良いか迷い、困惑した顔を見せる。

 

 そんな中で、やがて絵倫は口を開いた。

 

「何て言いました?今、何て?」

 

 絵倫の声が震え、動揺している。普段、彼女にはそんな事はない。

 

「君達は、『ゼロ』と共に実験を受けた、被験者だった。そして、『ゼロ』と君達だけがその実験

で生き残り、地下研究室に保管されていたおかげで、3次大戦にも生き残った」

 

 『SVO』のメンバー達は、お互いがお互いの顔を見合わせた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。その実験だか何だかが行われたのは、3次大戦よりも前のは

ず、60年以上も前なのに?オレ達が爺さんだって言うんですか?」

 

 浩ですら慌てふためいている。

 

 原長官は冷静に答えた。

 

「そう、確かにそうとも言える。だが違うとも言える。なぜかはこれから話そう。

 

 君達と『ゼロ』は実験に生き残った。しかし、彼らはそれを一体どのように使ったら良いのか

分からなかった。

 

 そんな中、3次大戦が勃発したのだ。『紅来』にも着実に戦火は迫って来ていた。

 

 研究者達は、国中が壊滅するかもしれないという中で、自分達の成果を後世へと残すため

に、実験サンプルを半永久的に保存する事にした。

 

 『ゼロ』も、君達も、地下の研究施設で、長い眠りにつく事になったのだ。

 

 やがて、『紅来』の首都、『青戸市』は壊滅的な被害をこうむる事になる。研究データも、プロ

ジェクトの概要も、地上にあったものは全て消失してしまった。研究を行っていた者達も生き残

ったかどうかは分からないし、生き残っていたとしても、おそらく名乗り出たりはしないだろう」

 

「保存されていたって?」

 

 そう呟いたのは沙恵だった。

 

「ああ、保存と言っても、良く知られている冷凍保存のようなものとは違った。何やら液体という

か、ゼリー状のようなものに浸からされ、生命を維持させられていたらしい。それも、成長や老

化が全く止まった状態で保存する事ができたようだ。今になっても全く、どうしたらそんな事がで

きたのか、分からないそうだよ」

 

「それで、おれ達はどうなったんです?」

 

 にわかには信じられないという表情で、一博は原長官を見据えている。

 

「つい16年前の事だ。『帝国』の調査部隊が、『紅来』へと派遣された。何しろ未だに深刻な放

射能汚染地域だからな。誰も立ち入り事ができなかった場所に、彼らは向かったのだ。そし

て、『ゼロ』を発見した。

 

 しかし、任務には多大な犠牲を伴ったのだという。私は彼らが『ゼロ』を発見したという事実だ

けを知っていて、他の事は伏せられている。だから彼らがどのようなリスクを負って『ゼロ』を発

見し、回収できたのかは知りようも無い。

 

 『帝国軍』の調査部隊は、『ゼロ』を発見し、それを研究の為に『帝国』へと持ち帰ったのだ。

 

 その時、『帝国』側は、君達を発見できたかというと、発見できなかったのだ。君達は、更に奥

の施設で眠っていたのだし、その時の調査部隊では『ゼロ』を持ち帰る事だけで限界だった。

 

 そして、『帝国』に『ゼロ』という存在が渡った事を知った我々は、即座に、『NK』よりの特殊調

査部隊を送り、研究施設を調査させた。『帝国』にどのようなものが渡ったかを調査する為に

だ。

 

 『帝国』よりも入念な下準備と計画で、我々は、残ったままであった『ゼロ』の研究データを回

収。そして、更に奥に眠っていた、『ゼロ』が受けたのと同じ実験の被験者8名を回収した。

 

 それが、君達だ。

 

 君達のその常人離れした『力』は、『ゼロ』と同じ実験を受けて引き出されたものなのだよ。

 

 だからなのだろうか、私自身は『力』を持っていないから理解できる事ではないが、君達は

『ゼロ』の存在を感じる事ができるのだよ。

 

 それだけではない、『ゼロ』も、君達の『力』をいつも感じている。『ゼロ』も、君達の事を良く知

っているのだよ。最近、君達と『ゼロ』が出会ったよりもずっと前に、君達は彼に会っていたの

だ」

 

「『ゼロ』ってのは、オレ達と同じ実験を受けていた奴ってわけっすか。すぐには信じられないが

よ」

 

 浩は、本当に半ば信じられないという表情で言っていた。

 

「でも、そんな気がしないでも無かった。どこか、感じていた。あの存在と、あたし達が繋がって

いるという気がしていた」

 

 思い出したように沙恵は呟く。皆、彼女と同じような気分だっただろう。表情がそのように言っ

ていた。原長官はそれを読み取ったようだ。

 

「そうか。だったら信じられない事もないだろう」

 

「あいつと俺達は、同類か」

 

 と、隆文。

 

「『ゼロ』が俺達と同じ実験を受けていたのは、分かりました。でも、あいつだけ特別な『力』を持

ったのはなぜなのか、あいつはどれだけ危険なのかとか」

 

 隆文は、原長官を見据えたまま続けた。原長官は、『SVO』の8人の顔を見回したまま話を

続けた。

 

「あいつが、どれだけ危険か。私の協力者が言っていたが、あいつが会得した『能力』が問題

だったな。元々の潜在能力も相当のものだが、『ゼロ』が会得した『能力』は信じられないような

ものだった」

 

「『能力』?」

 

 と、絵倫が気付いたかのように言った。

 

「そう。これは、『帝国』サイドの協力者から聞いた話で、非常に断片的な情報だったが、大体

の事は分かっている。

 

 『ゼロ』が隔離され、厳重な警戒に置かれていたのは、その『能力』がある為にといっても過

言ではない」

 

「どんな『能力』なんです?」

 

 隆文が尋ねた。

 

「君達も気付いているかもしれんがな。

 

『ゼロ』の持つ『能力』というのは、それは、自然界にあるあらゆるエネルギーを、吸収し、自分

のエネルギーに変換する事ができる能力だ。

 

 君達に備わっている、特殊な『力』だけではない。生命エネルギー、運動エネルギーや熱エネ

ルギー、更には放射能などの核エネルギーまでも吸収する事ができる」

 

「それが、そんなに?」

 

 と、隆文。

 

「問題なのは、奴の『能力』の吸収量の限界が存在しない事だ。必ず限界というものはあるだ

ろう、君達だってそうだ。だが奴にはそれがない。それが『ゼロ』の才能だ。『ゼロ』はとにかく

『力』を吸収する。し続ける。

 

 野放しにしておくのが最も危険だ。ある金属を空気中に放っておくと、勝手に爆発的な反応を

してしまう。それと同じようなものだ」

 

「そして、それを自分でも制御する事ができない」

 

 絵倫が言った。

 

「ああそうだ。その通り。あいつの『能力』は強力過ぎて、自分自身でも抑える事ができない。そ

れなのに、許容量には限界が無い。

 

 つまり、あの『ゼロ』というものがこの世に存在する限り、ありとあらゆるエネルギーを吸収し

ていき、自分の『力』へと変換していってしまう。あいつが隔離施設の最深部に隔離されていた

訳が、これで分かっただろう?そうでもしなければ、あいつはとてつもない『力』を持った生命体

となってしまう。地上に出しておけば、そこら中のエネルギーを吸収し、それを破壊の『力』とし

て解放してしまうというわけさ」

 

「わたし達には、あいつが本能でそうしているように見えたわ。人間の姿をしてはいるけれど

も、行動も一定。まるで何かに欲を持っているように」

 

 冷静に絵倫は言う。

 

「言ったように、あいつはあらゆるエネルギーを吸収していく。そして本能があるというならば、

それはより大きなエネルギーに対しての欲求だ。彼の人の心がどうなってしまっているのか、

私には分からないが」

 

「つまりそれの欲求の対象は、俺達というわけか」

 

 原長官の言った事を理解し、隆文が言った。

 

「そうね。じゃあこうなるわ。わたし達が『ゼロ』を追っていたんじゃあなくて、むしろ、あいつがわ

たし達を追っていた、と」

 

 隆文に続けて絵倫が言った。

 

「本当かよ」

 

 浩は信じられないという表情のままだ。

 

「そんなところだろう」

 

「あたし達とあいつは、お互いに存在を感じあえる」

 

「だから、より大きなエネルギーを吸収する標的が、僕らになってもおかしくない。そうだな」

 

 沙恵と登が口々に自分の感じた事を口にするのだった。

 

「そして、君達は、あいつの『力』がどんどん大きくなって行く事には気付いていただろう?活動

さえ、莫大なエネルギーを消費するようだが、奴のエネルギー自体も凄まじい。そして吸収量も

ものすごい。更にはあらゆるタイプの『力』も使いこなせる」

 

「何でもアリって感じだぜ!」

 

 吐き捨てるかのように浩は言った。彼はずっといらいらしているかのようである。

 

「そうだ、何でもありさ。だから言ったろう?奴こそが実験の完全な成功例だ。なぜ奴が成功し

たかは知らないが、現に成功例となってしまっている。兵士としても、兵器としても優秀だ。た

だ、それは制御できているまでの話なのだがな」

 

「全くだわ。事実、あいつはわたし達の国を破壊してしまった」

 

 絵倫が言うと、全員が静まった。

 

「原長官の言う通り、あんなのが野放しになっていたら、人類は滅亡するんじゃあ、ないの

か?」

 

 怖いものを言うかのような一博。事実、彼は怖いものを言っていた。

 

「それだけじゃあない。奴は人類を滅亡させても、より強い『力』を求め続ける。そして、もはや

生命体ではなく、一種の存在になってしまうだろう。そして、彼は破壊以外にも、すでに影響を

及ぼしているはずだ」

 

「どういう事です?」

 

 尋ねたのは隆文だった。

 

「放射能汚染は、人体にも生物にも多大な影響を与える。だが『ゼロ』の放出しているエネルギ

ーは放射能とは違う。だから今のところ、奴の破壊行為以外での被害は出ていないはずだ。そ

う、破壊以外、のはな」

 

 思わせぶりに原長官は言葉を切った。

 

「何です?破壊以外?」

 

「『帝国』サイドの協力者は、話を聞いたと言っていた。奴の高濃度とも言える強烈なエネルギ

ー。それが、全く外部にも影響が無いとでも思っていたのかね?君達の持つ『力』は、かなりの

ものと言える。しかしそれも必要な時にほんの一瞬だけ発揮されるに過ぎない。

 

 しかし『ゼロ』は違う。奴は常に強力な『力』を発し続けている。しかも相当な『力』のパワー

だ。そう、放射能のようなエネルギーを放っている」

 

「しかし、オレ達には何も影響は無かったっすよ」

 

 浩が答えた。

 

「それは、まだ奴のエネルギーがそこまででは無かったからだろう…。しかし、影響はすでにあ

らゆる場所に現れているはずだ。そして、奴の持つ『力』は、言い換えれば生命のエネルギー

と言えるかもしれない。放射能は物質から放たれる。だが、奴の持つ『力』は生命体が発する

エネルギーだ。

 

 それだったら、影響は生き物へと現れていく」

 

「もしかして」

 

 思い出したように絵倫が呟いた。

 

「やはり、気付いていたかね?」

 

「何のことだかオレ達にはさっぱり!」

 

 原長官の言葉に、イラついたように浩は言ったが、

 

「幾度か、『ゼロ』に近付いた時、わたし達は、奇妙な生物に襲われました」

 

 それを遮るかのように絵倫が言い出した。

 

「確かに、俺達は『ゼロ』に辿り付くまでの間で奇妙な生き物に襲われた事がある。『ユディト』

の街で、青い姿をした猫や鳥の大群に襲われた。あの時は一体何でこんな生き物に襲われる

のか、さっぱり理解できなかったが」

 

 隆文は思い出しながら話していた。

 

「あの生き物達は、『ゼロ』の影響によって産まれた?」

 

 と、沙恵。

 

「突然変異だわ」

 

 絵倫も言い出す。隆文は続けた。

 

「放射能じゃああるまいし。だが、その生き物達のほとんどは、人間の理解を超えたような体を

していたりしていた。『ユディト』で襲ってきた猫達なんか、まるで影みたいに物体を透過してい

た」

 

「思っていたよりも、『ゼロ』の影響力は強いようだな…。まさか『力』を持った生物まで、突然変

異で誕生するとは」

 

 原長官は深刻な顔をして言った。

 

「あなたは、まだ『ゼロ』の影響は始まったばかり、そのような事を言いましたが?」

 

 絵倫がそんな顔をした原長官の方を見上げて尋ねる。

 

「そうだ。『ゼロ』の影響は生物に対しても現れてくるが、まだ、人間に対しては直接現れてきて

いないわけだ。『ゼロ』の持つ強大なエネルギーが人間に対して現れる時も、これからやって来

る」

 

「わたし達みたいに?」

 

「君達は、彼と同じ実験を受けたというだけで、お互いの存在を感じあえるというだけだ。しか

し、彼の『力』でまともに影響を受けた人間がどうなってしまうかは、私にも分からない。放射能

のように深刻な影響が出るかもしれない。いや、もっと深刻な影響が現れるのかもしれない」

 

「そ、そんなに危険な存在が、今、野放しに?」

 

 一博が恐怖したように言った。

 

「そうだ」

 

 だが原長官は、冷静に答える。

 

「ですが、『帝国』はそれを自分達の手に収めていた」

 

「ああだが、実際の所、『帝国』側も『ゼロ』の危険性に関しては十分に理解しているはずだ。だ

から最も安全な場所に保管していたわけだが」

 

「でも、あなたは彼を俺達に捜査させようとしたでしょう?」

 

 と、隆文が尋ねた。

 

「ああ、『帝国』のする事は、信用できなかった」

 

「あなたは、わたし達に『ゼロ』をこの世から消して欲しかったんですね?」

 

 と、絵倫。

 

「そうだ。君達ならばできると思った。『ゼロ』の『力』には及ばないとはいえ、8人いるし」

 

「でも、正直言って、わたし達にはとても無理な事だわ」

 

「私は、君達をいきなり『ゼロ』と戦わせるような事はしなかったはずだ。諜報活動を通じて、秘

密作戦の訓練をさせていったつもりだ。正直、君達の成長ぶりには驚かされたよ。信じられな

いくらいだ」

 

 

 原長官の方を8人はじっと見ていた。

 

「君達の戦闘能力が成熟して、このくらいならば良いだろうと私は思い、『ゼロ』の捜査をさせる

事にしたのだ。だが、時期が悪かったのかもしれん。もしくは間に合わなかったと言うべきなの

だろうか。『ゼロ』は私達の知らないところで、予想以上の『力』を持っていたのだ」

 

 そして原長官は、『SVO』のメンバー達の表情を伺いながら、

 

「君達に、私や、この国の真意を全て理解しろ、とは言わないさ」

 

 目を閉じ、呟くように言った。

 

「いえ、理解はしたわ」

 

 絵倫の、原長官に対しての口調は変わっていた。そう、いつもの形式的そうではあるが、しっ

かりとした敬語を使っていない。

 

 彼女は、誰かに敵対する時の、威圧的で冷たい視線を送っている。

 

「でも、正直言って、あなたには失望したわ」

 

 原長官は何も言わずに絵倫の方を振り向いた。

 

「そうか。そう思われても仕方ないな」

 

「あなたは『帝国』を信用できないと言ったけれども、今のわたし達にとっては、あなたや『NK』

政府だって信用できなくなったわよ」

 

 敵意を含んだ声で絵倫は原長官に言い放つ。

 

 他の『SVO』のメンバーは何も言わなかった。その代わり、原長官に対し、どうしたら良いの

かわからないような目を向けていた。

 

「最後になるが、君達に言っておかなければならない事がある」

 

 『SVO』のメンバー達は、じっと原長官の話に聞き入っていた。皆が、陰鬱な面持ちで、彼か

ら真実の話を集中し、時間の感覚を失うほどに、聞き入っていた。

 

「発見した君達に対しての蘇生実験を行ったプロジェクトの責任者、それは、近藤広政だった」

 

「何ですって?近藤広政?」

 

 その名前には隆文と絵倫はぴんときたようだった。驚いたように叫んだのは隆文の方だった

が。

 

「そうだよ、『帝国』で秘密裏に行われた、『ゼロ』のプロジェクトの責任者に、彼はなったばかり

だ。だが、『NK』で発見された君達に対しての実験、それを行ったのも彼だったのだ。

 

 近藤は、生理化学で多大な功績を残している。しかも人間の未知の部分についての研究が

主だ。だから、防衛庁からスカウトされ、君達のプロジェクトの責任者となったわけだが、君達

の保護観察が終わり、その後、今度は『帝国』側にスカウトされたようだ」

 

「じゃあ、オレ達の事も、『帝国』にバレていたって事じゃあないですかよ!」

 

 浩がわめき散らす。

 

「その点は、我々も心配した。しかし、近藤には君達が『SVO』という組織を結成したという事は

知らされていない。『NK』も『帝国』と同じように、戦前の実験の被験者を回収したという事しか

奴は知らない。事実、君達の正体は、私しか知らなかったわけだ。そして、近藤自身も、自分

が行ってきた実験の事は『帝国』には話さなかったようだ。

 

 色々と質問攻めにされるのが嫌だったのかもしれん。

 

 奴はただ純粋に、『ゼロ』という存在に興味を持ったようだ。君達のプロジェクトの時も、非常

に熱心に取り組んでいたようだよ。だが、道を誤ってしまったようだ」

 

 原長官の顔に影が入る。口調も変わった。

 

「どういう事です?」

 

 と、隆文。

 

「私は『ゼロ』が逃げた晩、彼を逃がしたのは、近藤だと思っている。あいつが、何らかのきっ

かけを『ゼロ』に与え、脱出させたんだ」

 

「でも、あいつは死んだんじゃあ。あの隔離施設で起こった事件で、生存者はいないって」

 

 そう言ったのは一博だ。

 

「だが、あくまで行方不明だ。近藤の死体も発見されていない。極秘に『帝国』が捜索を続けて

いるそうだ。奴なら何か知っている、とな」

 

「なんで、どうして?そんなに危険な存在だっていうのに、彼は奴を逃がしたりしたんですか?」

 

 一博は慌てたように言った。彼は『ゼロ』という存在に完全に浮き足立っている。

 

「私が察するに、好奇心と言ったところだろうか。最近の近藤は研究の事ばかりに没頭し、何

をするか分からん。しかも『ゼロ』や君達の『力』に関しては、それまでの研究を打ち切ってまで

のめり込んでいた。特別な思い入れがあったのかもしれん。マッドサイエンティストだという噂も

あったからな」

 

「じゃあ、奴は、今もこの状況をどこかで見ているって事ですか?」

 

 隆文が尋ねた。

 

「ああ、そうだろう。安全な場所でな。そして、世界が混乱していく様を、遠い所から見ているの

かもしれない」

 

 一旦、原長官はそこで言葉を切った。

 

「これで、君達に言わなければならない事は、全て言った。私の知っている事は、何から何まで

話したつもりだ、今回は隠し事を一切していない」

 

 原長官はそこで話を終えた。重い表情で彼は『SVO』のメンバー達を見回した。

 

 『SVO』の7人は、どう答えたら良いか分からないといった様子で、戸惑い、迷いの表情を見

せている。

 

 天井で唸っている空調装置の音だけが、長い時間響いていた。部屋は無音に包まれ、その

場にいた誰しもが、その重い空気に包まれる。それによって、一言でも発するのが抵抗ある空

気となっていた。

 

 だがやがて、絵倫が口を開いた。

 

「わたし達は、あなたや『NK』の政府に利用されていた」

 

 それは原長官に向けられた言葉だが、まるで彼女の独り言のような響きだった。

 

「その通りだ」

 

 原長官は、絵倫の方を見て答えた。

 

「香奈が辞めると言っても、無理は無いような気がする。だって言われなきゃあ気付かなかった

もの。何で自分達がこんな仕事をしているのかなんて。それはそうよね?あなたが言ったよう

に、疑問を持つ事さえできなくされていたんだから。突然そんな事が明かされたなら、自分がな

んでこんな事をしているのか、戸惑ってしまうのは当然だわ」

 

「しかし、君達を使う事で、『ゼロ』を止める事ができたかもしれない。危機を回避できたかもし

れなかった」

 

「だけど、そんな事、無理だぜ!」

 

 浩がわめいた。

 

「わたし達に出せる答えは、一つしかないわ」

 

 遮るように発せられた言葉。その言葉に、皆が絵倫の方を注目する。

 

「それは、香奈と同じ選択をするって事よ」

 

 そう言いながら彼女は立ち上がり、椅子に座っている原長官よりも高い目線から見下ろして

言い放つ。彼女は鋭い視線で原長官を見つめた。

 

「君達が辞めたら、希望が失われる」

 

 だが原長官の方も、彼女の鋭い視線に負けてしまうのではなく、視線を合わせて静かに答え

た。

 

「希望?そういう風に言って、またわたし達を騙すの?」

 

「そんなつもりはないと言っても、信じてはくれないだろうな。だがこれだけは言っておこう。

 

 君達が、『ゼロ』の存在を感じる事ができるのならば、それは彼の居場所を突き止められると

いう事だ。彼を捜索する際、君達は常に『帝国』よりも先を行く事ができていた」

 

「それだけじゃあ具体的な解決策にはなりません」

 

 隆文が言う。

 

「『ゼロ』がどれだけ危険な存在かは、もはや承知の上だろう?君達が協力すれば、希望は必

ずある。だが君達が辞めるというのならば、世界は終わりだ。今のところどんな兵器も奴には

通用していない。世界最強の軍が挑んでこの通りだ」

 

 真剣に原長官は言った。

 

 それに対しては、誰も何も答えなかった。答えようが無い。

 

 しかしそんな中、隆文が原長官に尋ねようとする。

 

「香奈はどうなんです?なぜ彼女には辞めてもいいと言ったんです?」

 

 原長官は、一瞬答えにくい様子を見せた。だが彼は言葉を見つけたようで、少しの時間の後

に話し出した。

 

「彼女は、もはや戦える状態ではないからだ」

 

 ため息の後に彼はそう答えた。

 

「どういう事かしら?この任務中も、彼女は戦っていたわ。そう、前よりも凄いくらいに成長して

いたわよ」

 

「それは、これが最後の任務だと分かっていたからだろう。彼女は、その時の感情によって行

動も大きく変わるタイプだ…、特に戦いともなれば、人は非常に追い込まれた状況になる。スト

レスも大きい。香奈はもともとそういったものには向いていない性格なのだ。それが、少しずつ

記憶を取り戻した事で、より負担が大きくなったらしい」

 

 原長官は静かに言った。

 

「でも、わたし達もそうかもしれないわよ?もし、そうだと言ったらどうするの?」

 

 絵倫は原長官に対し、強気に出る。

 

「そうではないのだろう?」

 

「ええ、そうね。でも、わたし達はこれ以上、誰かに利用されたりするのは御免なの。もう、自分

の選択に従わせてもらうわ」

 

「確かに、絵倫の言う通りです。いくら俺達が協力しなければ、世界は崩壊してしまうとはいえ、

俺達があなたに利用されていた事には変わりは無い。時間が必要です。それも、とても長い時

間ではなく、俺達だけで話し合える時間だけで結構です」

 

 隆文は、あくまで原長官に対し、今までと同じ態度を示していた。絵倫とは対照的に。

 

 それは、急に彼に対しての態度を変える事ができないというわけではなく、今でもそうする意

味があるという感じだった。

 

 彼はまだ、原長官を敬っている。

 

「『ゼロ』をこの世から消すまで、私達に協力をしてくれる、というのでも駄目かね?」

 

「だから、あんなのを一体どうしろって!」

 

 浩は再びわめき立てる。彼は混乱と苛立ちが募っている様子だ。

 

「すでに気付いているだろうが、私は『タレス公国』の大統領とかなり通じている。知ってのとお

り『タレス公国』は国連の常任理事国だ。これだけの危機とあらば、国連軍が動き出すさ」

 

「『帝国軍』でさえ、どうしようもなかったんだぜ?それに、それじゃあオレ達がいなくったって、

いいんじゃあ、ないすか?」

 

 そのようにして喚き立てている浩を、隆文は抑えようとした。

 

「正直、俺達は長官の話を聞いて、混乱してしまっています。言った通り、俺達に考える時間を

下さい」

 

「そうか、じゃあ、私のいない所で、心置きなく話し合いたまえ。それぞれ、感じ方や、これから

どうしたいかなどの考えは違うはずだろう」

 

 原長官はそのように言い、深く椅子に身を埋めた。

 

 そして原長官がこれ以上、何も言葉を発しないのを見計らって、隆文は立ち上がった。そし

て、『SVO』のメンバーを見回して言った。

 

「じゃあ、俺達はこれで失礼します。誰もいないような所で、しばらく話して結論を出したいと思

いますので」

 

「原長官?でも、私の答えは決まっているわよ」

 

 絵倫が、隆文の言葉に反発するかのように言った。

 

「オレだってそうだぜ!」

 

 それに浩も同調するかのように声を上げる。

 

「まあまあ、それぐらいにしておけよ2人とも。これからゆっくり話し合おうってな」

 

 そんな2人をなだめる隆文。彼は一足先に、この隔離シェルターにある会議室から出て行こ

うとした。

 

 扉の前に立ち、彼はメンバーと原長官の顔を見回す。

 

「これからの事を決めるのは俺達自身だ。『SVO』を辞めようが辞めまいが、それは勝手でも

何でもない、それぞれの人生なんだからよ。お互いに恨みっこ無しでいこう」

 

 隆文がそう言うと、まず登が立ち上がって、会議室から出て行こうとする。それに沙恵が続い

た。

 

 やがて一博も立ち上がり、すでにその場に立っていた、絵倫と浩も会議室から外へと向かお

うとする。

 

 最後に太一が、席に座ったまま、じっと原長官と視線を合わせていた。

 

 彼は原長官とは対称の位置に座り、一言も発さずに、ただ原長官の話を聞いていた。

 

 眉毛一つ動かさないというような、いつもの冷静さを保ち、太一は、原長官の明かした秘密を

聞いていたのだ。

 

「太一、行こう」

 

 隆文がそう太一に呼びかけるが、彼は、原長官と視線を合わせている。それだけでまるで何

かの会話をしているかのようだった。

 

「ああ」

 

 やがて太一は静かに答え、立ち上がり、会議室の扉に向かってくる。それはいつもの表情だ

ったが、隆文は、何かの意味を感じていた。

 

「太一?」

 

 太一の顔を見て隆文は呟く。

 

「何でもない、気にするな」

 

 そう隆文に言ったのは、太一では無い、原長官だった。

 

 隆文は、会議室から出て行く太一の後姿を、少し疑問を持った目で見つめていた。

 

 彼と、原長官。今の一瞬の間は何だったのだろうか。そして、太一のあの表情。まるで動じて

いるような様子は無い。いくら普段、冷静でいられても、あんな秘密を明かされたのならば、彼

も少しは動じざるを得ないはずだ。

 

 もしかしたら、太一は、香奈と同じように、秘密を知っていたのではないか。隆文はそう思っ

た。

 

 隆文は太一に続き、一番最後に会議室を出た。

 

 原長官は、誰もいなくなろうとしている会議室で、ただ一人椅子に身を埋め、静かに眼を閉じ

ていた。

 

 

12:22 P.M.

 

 

 

 

 

 

 

「冗談じゃあないぜ!オレはもうこれ以上ついていけるもんか!」

 

 『SVO』メンバー達が7人。それ以外誰もいないプレハブ小屋の中に、浩の声が響く。彼はテ

ーブルを激しく叩いて、自分の意志を訴えた。

 

 彼らは、さっき『タレス公国』の大統領の遣いに案内された、あのプレハブ小屋へと戻ってい

た。ここで、好きなだけ時間を使い、それぞれが結論を出す。そのように7人は言われていた。

 

 だが、意見は早くも割れていた。

 

「だが、俺達が協力しなけりゃあ、『ゼロ』はあのまんまだぜ。誰も止められない」

 

 真っ先に意見が分かれたのが、隆文と浩だ。

 

「何で、オレ達ばっかりを期待するのか、オレには良く分からねえぜ!結局、オレ達には『ゼ

ロ』って奴はどうしようもねえじゃあねえか!?あんな奴、普通の人間じゃあ太刀打ちなんかで

きねえってよ!」

 

 浩のわめく声だけが、小屋の中に響いている。

 

「でも、あたし達ならば、『ゼロ』の存在を感じる事ができるって、あの人は言っていたよ」

 

 浩の声に気押しされたようになっていた沙恵が、小さな声で呟いた。

 

「だからって、どうなんだ?結局オレ達は、奴の実験の失敗作だったって事だろうがよ?失敗

作が、いくら集まったって、成功した奴には勝てないぜ!」

 

「もういい、止めておけ」

 

 感情ばかり高ぶっている浩を、隆文は制止した。

 

「俺達は原長官に利用されていた。それは事実なんだ。俺もそれはショックだったし、信頼して

いたはずの原長官に対して、どうしたらいいのか、正直迷っている。

 

 だが、この世界がたった今、危機に瀕しているって事も分かった。いや、原長官の話を聞か

ずとも、良く分かる事だ。まるで、終末説が現実になっていくかのような状態だぜ。

 

 だから、俺が協力する事で、この現実が変わっていくっていうのなら、俺は協力する」

 

「本気なの?隆文」

 

 絵倫は、隆文と目線を合わせて尋ねた。隆文の方は、少しは希望を取り戻したかのような表

情になっていた。

 

「ああだけど、『ゼロ』を倒したら、どうするかはその時決める。いや、その時はやっぱり、俺も

やめちまうかな?俺は、俺がこの世界を救う事ができるっていうんなら、協力する。俺達は嫌っ

てほど、『ゼロ』の力を思い知らされたわけだからな」

 

 メンバーを見回して隆文はそのように言った。

 

「おいおいおい、オレ達は、原長官に利用されていたんだぜ?それなのに、まだ利用され続け

るっていうのかよ、あんたは!」

 

 浩が大声を張り上げる。

 

「俺は利用なんかされるつもりはない。今まではそうだったかもしれないが、これからは違う。

俺が自分ではっきりと意志を持って決めるつもりだ。だから、俺が手伝うのは、『ゼロ』の奴の

件が解決する、までだ」

 

「冗談じゃないぜ。全くよ」

 

 そうリーダーに言い放ち、浩は、まるで諦めたかのようにどかっとその場の椅子に座り込ん

だ。

 

「それは、お前の意見だろう浩?お前がどう思ったとしても、俺は俺だ。だから自分の意見を言

わせてもらう。それを止めさせるような権利はお前には無いはずなんだ」

 

「珍しいわね」

 

 絵倫が、呟くように言った。

 

「何が、珍しいって?」

 

 彼女の方を向いて、隆文が尋ねた。

 

「あなたが、そんな風に、わたしを感動させるような事を言うなんてね」

 

 そう隆文に答える絵倫には、いつものように、彼に対して怒ったような目付きにはなっていな

い。どこか頼もしい者をみるかのような目付きになっている。微笑しているのも久しぶりだった

だろう。

 

「うん?俺、何かそんな事言ったか?」

 

 何の事なのか分からないと言った様子で、隆文は絵倫に問う。

 

 そんな彼に対して、絵倫は少し吹き出しながらもその場から立ち上がり、メンバーの前に立

つ。

 

「わたしも、隆文と一緒に行かせてもらうわ」

 

「本当かよ、絵倫までか?さっきはあんなに原長官に言っていたのによ」

 

 と、浩。だが、絵倫は彼に対抗するかのような態度を取り、

 

「あれはあれ。でも、これはわたしの意志。たとえ2人でもわたし達は行かせてもらうわ」

 

「絵倫、本当か」

 

 隆文と絵倫は見合う。

 

「こうなったのも、何か運命的なものだったのかもしれないわ。『ゼロ』と同じ実験を受けるよう

な事が無ければ、あなた達とも出会えなかった。それに、わたし達は今まで生きている事もな

かったと思う」

 

「何がどうあれ、俺はお前が来てくれるってだけでも嬉しい」

 

「おいおい、正気かよ」

 

 浩は呆れかえった様に言葉を漏らす。

 

「僕も、行こう」

 

 登が言った。

 

「何だって、登?!」

 

 再び浩は叫んだ。だがそれに動じるような様子もなく、登は、隆文達の方を見たまま椅子か

ら立ち上がった。

 

「『SVO』を抜けたところで、今の僕に何かをする事もない」

 

「本当に、いいんだな?」

 

 隆文は登に確認を取る。しかし、登はいつもの冷静さを保った表情をしていた。その表情こ

そ、彼の意思に揺らぎが無いという証拠。

 

「もちろん」

 

 自分の心境を登は言わないし、顔にも出さない。とはいえ、彼の表情は決意に満ちており、

何が起きてもそれは折れないだろう。

 

「俺と、絵倫、登。まだ来る人はいるか?」

 

 隆文はメンバーを見渡して尋ねる。

 

「言っただろう? オレは冗談じゃあねえ」

 

「おれも行くっていうつもりはないな、ちょっと」

 

 浩と一博が次々に言った。彼らは登とは相反する、陰鬱で自信の無い表情をしている。一博

などは特にだ。

 

「あたしは、あたしは」

 

 そんな中、沙恵は、どうしたら良いのか迷った表情をしているのだった。

 

「どうするんだ?沙恵?」

 

 隆文が、今度は沙恵だけに尋ねた。

 

「香奈は辞めてしまったし、あたしにも、これ以上、『SVO』を続けているっていう理由は無い

し、でも、でも、

 

 これ以上、この世界が混乱して行くのを黙って見ている事なんて、できない。香奈を見ていれ

ば分かるよ」

 

 仲間達に訴えかけるような沙恵の声。彼女の言葉を、仲間達は黙って聞き入っていた。

 

「だから、あたしは、まだ、辞めるっていうつもりはないし、もしあたし達の力で変えられるって言

うんなら、何かしたい」

 

 浩は彼女に対して何か言いたげだったが、結局彼は何も言わなかった。

 

「仲間が一人でも多くいるのならば、それはそれで、心強い。ありがとう、沙恵」

 

 隆文の感謝の言葉だったが、その言葉に、浩はとても居心地が悪そうだった。誰にも聞えな

いような声で舌打ちをし、視線を反らした。

 

「俺と、絵倫と、登、それで、沙恵か。4人もいれば、やって行けるだろう。あとは」

 

 そう言って、隆文は、小屋の端でじっと座っている太一の方に目を向けた。

 

「太一は、どうするんだ?」

 

 太一は、そう尋ねられても、重い表情を向けているだけで、何も答えようとはしなかった。そ

れはその場に雰囲気で、何も答えられないというわけではなく、最初から何もかも決めていとい

う様子だった。

 

「今の俺からは、何も言えない」

 

 彼のその態度は、まるで『SVO』のメンバー達のやり取りを、別の所から見ているといった様

子だ。

 

 そんな太一の様子を見て取った隆文は、理解したかのように答えた。

 

「来ないんだな?そうか。正直、お前には来て欲しかった。お前がいると、本当に心強かったん

だ。

 

 でも、分かった、お前がそう言うのなら、仕方ない。仕方ないけれども、俺はお前の意志に任

せる」

 

「オレは、死んでもいかねえぜ」

 

 再び浩が言った。

 

「しつこいわね。隆文が言ったでしょう?誰がどんな選択をしても、恨みっこなしだって。わたし

もあなたが付いてこない事には何も言わないのよ」

 

 絵倫のその一言で、浩は黙った。

 

 しばらくの沈黙が続いた。

 

 そんな時、部屋の扉がノックされる音が響く。

 

「何だ?」

 

「失礼します。ハラ長官からの緊急の要件で参りました」

 

「入って説明してくれ」

 

 隆文がそう言うと、小屋の扉が開かれた。そこに現れたのは、あの『タレス公国』の遣いだっ

た。

 

「現在、この《クリフト島》に、『帝国軍』の空母が接近しているとの情報が入りました」

 

「何だって?」

 

 隆文は驚いた表情で言った。

 

「救援部隊なんじゃあねえのか?」

 

 そう言ったのは浩だった。

 

「そうかもしれないが」

 

 隆文はそう言うが、大統領の遣いは否定した。

 

「我々が入手した情報があります。空母の名前は、イオ号。そして乗り込んでいる『帝国軍』の

将軍は、マーキュリー・グリーン、《帝国首都》において、あなた方の捜索を担当していた将軍で

す」

 

「わたし達を捜しに来たと考えて、間違いないようね」

 

 絵倫が冷静なまま言った。

 

「ええ、ですから、私達は、あなた方をこの島から逃がすように頼まれたのです」

 

「じゃ、じゃあ、香奈も一緒に連れて行かないと」

 

「はい、その事でしたら、ご心配はなく。サイトウ・カナ様はすでに我々の船でお待ちしておりま

す」

 

「香奈」

 

 沙恵はそう誰にも聞えないかのような声で呟いていた。

 

「彼女に、香奈に会えますか?」

 

 彼女は、大統領の遣いに尋ねた。

 

「ええ、会えます。もう、船に向かっているはずですよ」

 

 

 『SVO』のメンバー達が、ようやくそれぞれの道を見出した時、香奈は一人《クリフト島》の外

れにある港にいた。

 

 『帝国軍』の空母が接近して来ているという情報が入ってから、彼女は『タレス公国』の人々に

保護され、秘密裏に本国へと避難させられる事になっていた。『帝国軍』は、必ずや『SVO』を

探し出し、その身柄を確保するのだという。

 

 正直、香奈はこれ以上『SVO』とも関わりたくなかったし、『帝国軍』とも何のかかわりもしたく

なかった。このまま難民達の中に紛れてしまいたいとも思った。

 

 しかし、『SVO』メンバー全員の顔、もちろん香奈の顔も『帝国軍』に知られてしまっている。

『帝国軍』がここにやって来るのならば、数百万人という難民の中からでも香奈を探し出そうと

するだろう。

 

 『タレス公国』で保護してくれると言うのならば、彼女はそれに付き従うしかなかった。例え再

び『SVO』のメンバーと顔を合わせる事になろうとも。

 

 確かにこれ以上、『NK』からの難民の人々の顔をも見たくは無い。絶望と不安と恐怖が入り

混じった、明日に希望の持てない難民の中に紛れる事は、香奈にとってはとても耐えられる事

ではない。

 

 それだったらいっその事、『タレス公国』で匿ってもらう方がましだった。そこで、新しい生活を

送りたい。

 

 香奈は、港に停泊している高速艇の前でその出航を待っていた。何かの荷物を持っている

わけではない。着の身着のまま、彼女はここから逃げ出そうとしているのだ。

 

 だが、彼女自身が受けた、絶望と不安と恐怖からは、決して解放されるような事はないだろ

う。

 

 一生拭っても拭いきれないような傷を、彼女は受けたのだ。

 

 香奈だけではない、『NK』の人々、この文明それ自体にも、巨大な傷跡が残ってしまった。

 

 乾ききった瞳からは、涙すらも流れない。

 

「香奈!」

 

 そう自分に呼びかける声も、彼女には届いていなかった。

 

「香奈!聞いているの?」

 

 後ろから肩を叩かれて、ようやく彼女は気が付いた。

 

 香奈の背後には、沙恵が立っていた。

 

「どうしたの?」

 

 香奈はそっけなくそのように答えてしまった。ほとんど何の感情も篭らないままに。言葉が、

言葉の意味を持っていない。

 

「どうしたのって。ここからすぐに逃げるんでしょ?だから来たの」

 

 沙恵は心配そうな目で自分を見て来ている。

 

「そう、だよ。皆、来るの?」

 

「もちろんじゃあない」

 

「そっか」

 

 香奈はそれだけ答えるだけで、後には何も言わなかった。やがて、そんな彼女を見かねたら

しい沙恵は、思い切って言うのだった。

 

「原長官から、全部聞いたよ」

 

「うん。そう」

 

 だが、香奈は軽く相槌を返すだけだった。

 

「なんで香奈が辞めると言ったのか、分かる気がする。正直、あたしもショックだったし、頭の中

が真っ白になって、未だに信じられない事ばっかりだった。今だって信じられないでいる」

 

 香奈は何も言わなかった。だが、沙恵は言葉を続ける。

 

「でも、あたしは辞めないよ」

 

「えっ?」

 

 沙恵のその言葉で、ようやく香奈の表情に変化が現れた。少し驚いた様子で、沙恵の目を覗

き込む。

 

「この国の人々みたいになってしまう人を、これ以上見ていたくはないんだ。あたしに何かがで

きるのならば、何かをしたい」

 

 彼女の言った言葉を、一つ一つ確かめるかのように心に刻んでいく香奈。

 

「そう、そうなの」

 

 どう答えたら良いかも分からず、香奈はそう答えていた。

 

「でも、香奈が辞めたいって言うんなら、それに対してあたしは何も言わない。今まで隠してい

た事に対しても、責める気なんかちっともない」

 

 沙恵の言葉が頭に響いて来る。

 

 だが、彼女にそのように言われると、香奈も少し自分の気持ちが軽くなったかのような気がし

た。

 

「じゃあ、あたしも、沙恵の選んだ道には何も言わないよ」

 

 香奈は沙恵と目線を合わせ、そのように呟いていた。

 

 お互いが、お互いの秘密を明かし、そして知り、更に、これから進む道を示した事で、彼女達

の心には、ほんの少しだけ晴れ間が差し込んで来ていた。

 

 ほんの、少しだけ。

 

 

Next Episode

―Ep#.15 『ブレイブ』―

 

 


 
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