NK国
γ0057年11月28日
8:24 A.M.
それは、11.27の悲劇として後世に語り継がれていく出来事の、翌朝の出来事であった。
朝日が昇っていく。それによって照らし出された『NK』の光景は、前日の同じ時間の光景と
は、別世界となっていた。
今まで50年近く変わらぬ都市の姿であった『NK』の姿。それはたった1日で、悲劇的な姿へ
と変わっていた。
繁栄を極め、それだけではなく、国家と国民の安定、平和において、世界でも類を見ない水
準を保っていた『NK』という国家。それはその日から、事実上破滅への道を歩み出していた。
数万人が一瞬にしてこの世から消え去った。それも原子力のもたらす巨大な爆発で。
被害はそれだけではない。『NK』の中心部、人工島の中に大きく開けられたクレーターが、
その爆発の大きさを物語る。そして、爆心地から20キロ内にいた人々は、皆ほとんどが被爆
した。
放射線による被曝。致死量を浴びれば死は目に見え、そうでなくても重い後遺症を抱えて行
く事になる障害。
爆発の起きたその日、『NK』のみならず、世界中が混乱した。誰がこれを現実の事とすぐに
納得できただろうか。核が爆発したという事が、そして何より、『NK』の大都市の中心部でそれ
が起きたという事が、世界中の人々を混乱させ、更に恐怖させた。
翌日になって、早くも諸外国からの救助隊が到着、被爆した人々や、怪我をした人々をそこ
から避難させる活動が始まった。
今回の爆発は、57年前の世界大戦時に何度か起きた核攻撃の、数倍の威力があった。そ
の分、放射能による被害も広範囲に広がる事になった。
放射能汚染された物質やらが、死の灰となって被害を広げていく。『NK』は幾つかの大きな
人工島の上に作られた人工の島国だったから、人々は逃げ場を失っていた。何が起きたの
か。それすらも分からない。それは人々を混乱と恐怖に駆り立てていた。
そう、日が明けた今でも、現実を受け入れるという事が、皆できないでいた。爆発によって破
壊された瓦礫の下にいる人々もいる。地下が崩落し、地下鉄の中に取り残された人々、今にも
崩れそうなビルの上にいて、降りられないでいる人々。今も誰かが死に瀕し、多くの人が死ん
でいっている。
そして、放射能にやられ、苦しんでいる人々。致死量に値する放射線を浴び、生き残った
人々は、生き地獄を味わう事になっていた。
『NK』は狂気と混乱、その真っ只中にあった。
《モンテ港》へ逃れる事ができた人々は、言って見れば幸運な方に入るだろう。
爆発の被害を直接受けなかった人々もいたが、死の灰から逃げることができなかった人々も
大勢いた。救出の為に派遣された部隊はまず、『NK』本土から難民を救出し出すという事から
始めていた。
爆発から生き残った人々も大勢いる。その皆が、今すぐにでも救出される事を願い、港へと
押し寄せていた。
大部分の救出部隊は、死の灰が降って来ないほど離れた港へと派遣されていた。『タレス公
国』から派遣されていた、防護服に身を包んだ一部の部隊がようやく、ヘリによって放射能汚
染された場所へと向かっている所だ。
救出活動は迅速に行われていたが、『NK』政府は完全にその機能を停止していた。何しろ
爆発が起きたのは、『NK』の中心部。中央省庁や大企業が集中している場所だ。残ったの
は、直径5キロほどの人工島上に開いた爆心地、クレーターによって出来上がった湾だった。
《モンテ港》には多くの人々が詰め掛けていたが、国連保健衛生部隊の船は少なかった。十
分な数の船、更にはヘリコプターが派遣されて来るという予定だったが、『NK』の人々は気が
気ではない。たとえ死の灰がやって来ないほど遠くにいたとしても、平和に暮らしていた自分達
を突然襲った惨劇には、パニックでしかなかった。
何故このような事が起きたのかすら、人々は分かっていなかった。諸外国はすでに事の真相
を掴んでいたが、彼らにはそれを知る術は無い。彼らの情報源すら、爆発と共に消え去ってし
まった。
それ故、この事件に対する恐怖と怒りが行き場を失い、果てには某国による、『NK』を狙っ
たテロ攻撃だという噂がたつ。それによって無意味な虐殺行為も行われたりしていた。民族紛
争や人種差別など無視できるほど起きなかったこの国でだ。
この非常時にあっても、何とか混乱を収縮していかなければならない。そう思える人は少なか
った。だがそれでも、少なからず彼らはすでに行動していた。起きてしまった事に怒りを向けて
いるのではなく、これからどうしていくのかを考えようと。
非常用の回線を使って連絡を取り合い、救助部隊の来る《モンテ港》へと、彼らは集結し始め
ていた。
数百万人の人々が死に、一千万人が致死量の放射線を浴びた。だが、生き残る可能性の
ある人々も大勢いる。それを一人でも多く救い出すという信念の元、彼らは行動を開始してい
た。
「安心して下さい!この場所まで離れていれば安全です!国連保健衛生部隊の応援が来るま
で、落ち着いてお待ち下さい!」
拡声器で人々に注意を呼びかける声。
その声の主は、島崎議員だった。彼は即席の土台の上に立ち、救助を求めてきた人々の誘
導を手伝っていた。
爆発から免れていた彼は、この非常時に自分から率先して、難民の救出活動へと当たって
いる。被爆した人を助けるような医療技術は無い。しかし、自分は政治家。リーダーシップを発
揮し、人々をまとめるという事ができるはずだった。
とにかくパニックや混乱が起きないようにと、彼は人々を落ち着けた。
彼の努力もあり、この《モンテ港》ではとりあえず人々は落ち着いていた。被爆し、今にも死に
そうな人、爆発時の衝撃波や熱波で怪我をした人々もいたが、それは救助隊の医療チーム
が、国連保健衛生局の船へと乗せた。
避難する人々の行き先、それは『NK』本土近郊にある《クリフト島》という場所だ。そこは『N
K』の領土であるのだが、人々が住んでいる場所ではない。船舶や、航空機などが有事の際の
避難所として使う、半径2キロほどの人工島だった。もちろん『NK』本土で今回のような出来事
が起きた時も避難場所として使用される。
生き残った人々はそこへと避難しようとしていた。死の灰は別の方向へと風で流されている
が、いつその向きが変わるか分からない。一刻も早く離れた場所へと避難する必要があった。
島崎は、遠くに見える、廃墟と化した高層ビルを見てため息をついた。一体、何が起こったと
いうのか。今だに何が何だか分からない。自分が暮らし、そして政治に参加していた『NK』が、
たった一日の内に瓦礫の山に変わってしまった。
原長官が逮捕された直後、全ては起こったのだ。光が全てを包み、次の瞬間には、衝撃波
が突風のように吹き荒れていた。
自分達は、あの瞬間、爆心地から遠く離れた地下にいたから何とか無事だった。更に、死の
灰も風向きで反対側へと運ばれていたから運が良かった。しかし、
原長官は、自分のした行いが、意味のある事だと言っていた。もしかしたら、この悲劇を防ぐ
ためだったのか?そして、自分が彼の逮捕に加担したが為に、事件は起きてしまったとでも言
うのだろうか?
自分を問い詰め、追い詰めれば追い詰めるほど、心が追い込まれていってしまう。一体、自
分がして来た事は何だったのかと疑ってしまう。
そう島崎が思っていた時であった。彼のすぐ側を、警官達に連れられた隆作が歩かされてい
く。
島崎はそれに気付いたが、隆作と目線を合わせるのが辛かった。
原隆作は、あの時に丁度逮捕された所で、更には爆心地から遠く離れていた事もあって、島
崎と同じように無事だった。『NK』の警察の指揮系統は混乱し、機能する事さえ危うくなってい
たが、警官隊達が隆作を逃がすはずがない。
彼も生き残った警官達に連れられながら、避難するのだ。それも他の人々とは違う、特別船
でだった。
タラップの上を歩き、隆作が特別船に乗ろうとしている。島崎は思わず彼の方へと走り出して
いた。
「原長官!待って下さい!」
島崎は去っていこうとする隆作に呼びかけたが、彼は一言答えるだけだった。
「こうなってしまったのは全て、全て私の責任だ…」
そして彼は、刑事達によって船へと乗せられていった。
港に残された島崎は、去っていくかつての上司の背中を見ながら、どう表現したら良いのか
分からない感情、葛藤に襲われていた。
クリフト島
10:22 A.M.
『NK』から続々とやって来る被災者達の姿を、遠くから望む場所。鉄骨だけで組み上げられ
た、十階建ての建物。食糧庫となっているその場所。
それは、《クリフト島》と呼ばれる、島全体が避難所となっている場所にある。『NK』本土から
150キロ離れ、『NK』の領海内にある、北部の大洋上に浮んでいる孤島のような島である。
島全てが人工の建造物。『NK』と同じだ。ただ、元々人が住んでいるわけではない。海洋警
備隊の巡視船が訪れたり、ここを維持している係員がいるだけの無機質な島である。
その為に、島の外観はかなり殺風景だ。ちょうど海上の石油採掘場を思わせるように、鉄骨
やコンクリートの素材がむき出しになっている。地面も、コンクリートが打ちっぱなし、建ってい
る建物も、まるで工場のよう。半径2キロほどの大きな円盤状の島なのだが、その全てが同じ
ような姿をしていた。
しかし、何万人もの人間を収容できる避難所がここにはある。そして、災害時の救護隊が、
怪我人の看護にあたる施設もあり、食糧庫には膨大な量の食糧が備えられている。災害時の
備えとしては万全だった。
たとえ今回のように、『NK』本土が核攻撃にあったとしても、『NK』政府が壊滅的な打撃を受
けたとしても、この避難所は機能する事ができる。
そんな、全てが人工の素材で作られた島に、『SVO』の4人、太一、香奈、登、沙恵の姿があ
った。
彼らが乗っていた『帝国軍』の戦艦、『リヴァイアサン』は、高威力原子砲の発射の直後、急
速に動力を失い、大洋の上へと非常着陸をした。彼らはいち早く救命艇へと乗り込み、『帝国
兵』達に発見されるよりも前に脱出していた。
そして、戻ってきたのは『NK』。しかし、自分達がかつて暮らしていた所へと戻る事はできな
い。もうしばらくもすれば、全土が死の灰に覆われてしまう。人が作り上げた島は、死の土地に
なってしまおうとしている。
あれだけ平和で、何事も起きてこなかった『NK』が、死の街となってしまう。彼ら4人は、『N
K』が消滅して行くのを直接は見なかった。救命艇に備え付けられていた無線機で、『帝国軍』
や、国連保健衛生局の会話を聞いて、それが本当に起きてしまったのだと知ったのだった。
だが、高威力原子砲が発射された時、その発射台の近くにいたのだ。だから、事件は身を持
って知っていた。
にわかには信じられない。死者推定数百万人。それもこれからも更に増え続けていき、最終
的な被害予測は2000万人以上だという。一週間もしない内に、死の灰は『NK』全土に広がり、
全てが核に覆われてしまう。しかも被害はそれだけではなく、海洋からの資源も、数世代に渡
って失う事になってしまっている。
その元凶となったのは、高威力原子砲だ。だが、『帝国』を恨む事はできない。何しろ、あの
原子砲は『ゼロ』によって強制的に発射され、そして、爆発を引き起こしたのも、『ゼロ』のエネ
ルギーと共に高まった原子力の力なのだから。
いち早くこの島へとやって来たのは、重度の被爆をした人々だった。太一達4人は沿岸には
おらず、すでに大分奥の建物にいた。そこには食糧庫や医療施設、避難施設などが並んでい
る。また、受け入れ体制の準備を始める保健衛生局の人間もいた。それは『NK』本土の者で
はなく、外国からの派遣部隊だ。
重度の被爆をした人々。おそらく助からない。X線の何万倍という照射量の放射線を浴びた
のだ。そのような者達で救出された者など、数えるほどしかいない。混乱の中、誰かに助けて
もらわねば、救助隊にすら出会う事もできない。
まだ、数百万人という人々が、『NK』の瓦礫の下に埋まっていたり、被爆に苦しんでいるとい
う。救出されているのは、『NK』中心部から遠く離れているところにいた人々だけだ。
自分達の地元の人々が、悲劇とも言えるような悲惨な状態でやって来ている。瀕死の状態、
今にも死にそうな状態。平和で争いとは無縁だった人々が、今にも死にそうな状態で救助隊に
連れられていた。
遠く、食糧庫の陰に隠れてその様子を見ていた『SVO』の4人。
香奈は思わず呟いていた。
「行こう!こんなの見ていられない!」
香奈は、その光景に心を痛めた。心を削られていくような気がしてならない。自分が被爆した
わけではないのに、肌の感覚が火傷をしたように感じられる。喪失感、無気力、悲しみ、思考
のマイナス面が、一度に感じられたかのような気がした。
彼女は必死に訴えていた。被爆して瀕死の人々がいる事を、とても信じられないでいたし、体
にやって来る感覚に耐えられなかった。
「そうだな、そうした方が良さそうだ。もうすぐ、もっと大勢の人達がここには来る。そうしたら仲
間達を探そう」
登はそう言って、食糧庫の陰に隠れながら移動を始めた。
「大丈夫?」
沙恵が、彼女の肩に手を置いて、心配そうな目で尋ねてくる。
「あんまり大丈夫じゃあないかも」
香奈は答えた。沙恵は、香奈がつい昨日、散弾を受けた事と、今の事態のショックが重なら
ないか心配しているようだった。
昨日受けた傷は、何とか塞がって来ていた。沙恵の治療と、香奈自身の持つ潜在能力の高
さで治せていた。跡こそくっきり残ってはいるのだが、痛みはほとんど無い。出血した分も取り
戻している。
だから香奈は、今の起きている事の方が、体の負担となっていた。傷跡なんか、時間が経て
ば消え去る。だが記憶は、生きている限りは残り続ける。
「早く行こう」
沙恵が言い、香奈に呼びかけた。
香奈は、軽い眩暈のようなものを感じ、その場でふらついた。
「まだ傷が治っていない?」
沙恵が、香奈を気遣った。しかしそうではない。
香奈は背後を振り返った。沙恵と共に、太一も心配そうな目で彼女を見つめていた。
「心配かけちゃってごめんね、色々」
そう彼女は小さく呟いて、ようやく体勢を戻した。泣き声になっているような気がしたが、仲間
達の表情からしてそうではないようだ。
登の後を追って3人は、食糧庫の建物群の中を更に奥へと歩いて行き出した。
「被災者は数千万人。救助された人々の何割かがこの島へとやって来る。多分、ここの収容人
数ぎりぎりくらいまでだろう」
等間隔に仕切られ、碁盤の目のように並んでいる食糧庫のコンテナの間を歩きながら登が
言った。
「数千万人なんて数の人達、想像できないよ」
登に対して呟いたのは香奈だった。
「『帝国』が、あんな戦艦を仕掛けて来なければ良かったんだよ!そうすれば、あいつに乗っ取
られる事も無かった!」
まるで訴えるかのような沙恵の声。
すると、彼女達2人の先を歩いていた、太一と香奈は振り返った。
「『帝国』を恨んでも始まらない。元々、誰に責任があるとか、そういう問題じゃあないんだ」
沙恵を落ち着かせるように登が言った。
「『ゼロ』はどうなの? あいつが全てやったんだよ!」
「それは、どうだろう?」
「はあ?」
「あいつは、意思を持って行動しているかのようにも見える。だが実際は、どうも本能的に行動
しているようだ」
沙恵は登に何も言い返さなかった。
「そして、実際出会ってみて分かったんだが」
「何が?」
「どことなく僕らは、あの『ゼロ』って存在と繋がっている。そんな気がしないでもないんだ」
そう登は仲間達に言うのだった。
4人は、お互いに顔を合わせる。
「皆、そう思っている?もしかして?」
沙恵が疑問と共に言った。
「だが、今回の事で分かった事がある。もっとも確実な事だ。あいつをこのまま野放しにしてお
いたら、人類の滅亡も考えられるって事だ。原長官が、俺達にあいつを捕らえさせようとしてい
るのも分かる気がする」
いつもながらの口調で言う太一。
「今でもあたしは、あいつの存在が消えてしまったとは感じられない。近くにはいないみたいだ
けれども、どこかにはいる。それは感じているよ」
香奈の言葉に、4人は頷き合うのだった。まるで、皆が彼女と同じ事を感じているかのよう
に。
やがて、多くの避難民を乗せた船が《クリフト島》へとやって来た。大型船も来航するようにな
り、2、3時間もしない内に、小さな人工の島は人で一杯になる。海上の静かな人工島が、人々
で覆われる。
ここは避難施設であって、人々がずっと暮らしていく為の施設ではない。言わば難民キャンプ
のようなもので、人口密度は非常に高くなっていくはずだ。怪我人も含めて、ほとんど押し込め
るようにしか人は入れられない。
国連保健衛生局の他にも、近隣諸国の災害対策部隊も姿を見せていた。彼らは軍服に身を
包み、軍艦で訪れ、さながら戦争でも始めるかのようないでたちだったが、そうではない。この
混乱に乗じて暴徒と化した難民が、暴動を起こさない為の予防措置でもあった。
この島にやって来るのは、『NK』の郊外部に住んでいた人々であって、直接の被害を受けて
いない人々がほとんど。しかしそれでも、自分達の都市で数百万人もの犠牲者が出ている事
には、皆ショックが隠しきれないでいた。
「食糧の配給は右の列へ!怪我をしている、もしくは体の変調を訴える方は左の列へお並び
下さい!」
救助船を続々と降りて来る人々へ、衛生局の担当者が拡声器で呼び掛ける。今の所、難民
達の間に大きな混乱は無く、皆が衛生局の人間の指示に従っていた。
「なあ、どっちに並べばいいと思う?」
船を降りていく人々の中に、『SVO』の隆文、絵倫、一博、浩の姿もあった。
彼ら四人は表情も少ないまま、『NK』の人々の間に紛れている。他の人々と同じ、いつになく
『SVO』は、『NK』の人々と同じような姿で見る事ができている。
「こんな厳戒体制の状態じゃあ、うかつに行動はできないわね」
そう答えたのは絵倫だった。
「とにかく太一達と合流したいぜ!そうしないとこれからどうしたら良いか決められねえ!」
浩が周囲を見回しながら言った。難民達に太一達が紛れていないかと捜す。
「でも、こんな状況じゃあ、これからどうしたらいいのか何て、分かったものじゃあない。任務ど
ころでもない」
元気の無い声で一博が呟く。
「ああ、やはり太一達は『ゼロ』を捕らえられなかった。多分、今俺達が全員がかりでも無理
だ。合流して作戦を練り直す必要がある」
だがそう言う隆文の声も、いつもより活気が無い。
ここにいる4人全員とも活力を失って、陰鬱な様子でいた。
彼らは、『ユディト』の《シャイターン》からここまで、何とか辿り着く事ができていたが、太一達
と同じように、この事態に胸を痛めずにはいられなかった。
自分達の地元が、防衛庁から、その国を守る為に遣わされていたのに。このような事態にな
ってしまった。
隆文が『帝国軍』や保健衛生局の無線を傍受した時、誰もがそのやり取りに耳を疑ってい
た。それが現実だと理解するまで、皆一時間以上もかかった事だろう。
混乱に紛れ、『NK』に戻って来る事はできたが、あのような事など、起こって欲しかったわけ
じゃあない。
これからどうしたら良いのか、具体的な答えも出せないまま、隆文達はこの島へと上陸してい
た。太一達とは、連絡を取り合っていたから、この島に彼らが上陸している事はすでに知って
いる。無事だっただけでもとりあえずは安心だ。
しかし、無理だとは思っていたが、やはり『ゼロ』の捕獲は失敗したのだという。高威力原子
砲なるものは『ゼロ』の手によって発射されたとの話だったが、彼を止められなかった太一達を
責める事もできない。
おそらく、誰も止められなかったのだろうから。
難民達に紛れ、ようやく船のタラップから島に上陸した時だった。
「ワタナベ、タカフミさんですね?」
突然、自分の名前を呼ぶ声。隆文は驚いた。
同時に、『SVO』の4人は警戒を強めた。
隆文に呼びかけたのは、スーツを着た男だった。明らかに難民ではない。第一に、顔つきが
『NK』のものではなく、『帝国』の人間のようでもある。背が高く、髪は茶色だった。
「あんたは!」
警戒した声で、隆文は彼に言う。自分の顔と名前を知っている者だ。明らかに怪しい。警戒
するに値する。
「私は、『タレス公国』のドレイク大統領の遣いの者です」
その男は言った。『タレス公国』は、『帝国』が過去に分離独立する前の元の国。それ故に、
人種や言葉はほとんど同じだ。
男は、訛りのある『NK』の言葉で話してくる。だが、大分精錬された言葉ではある。おそらく、
外交官か何かか。
「わたし達に何の用か、聞かせてもらいたいわ」
絵倫が棘のある声で言った。彼女が強い警戒を示している証拠だ。男はそう名乗っているだ
けで、実際は違う可能性だって大いにある。
「『NK』国のハラ・リュウサク防衛庁長官が、あなた達に会いたいそうです」
大統領の遣いだという男はそう言った。
「何の事か良く分からねえな」
浩がきっぱりと答え返す。自分達は防衛庁とは、特に原長官とは何の繋がりも無い。そう振
舞うのが彼らの決まりだった。仲間達を除けば、誰に対してだってそうなのだ。
「いや、待て。あんた今、あの人の事を防衛庁長官って言ったな? あの人は、とっくに免職に
なり、指名手配中なんじゃあないのか?」
警戒心丸出しの仲間達を抑え、隆文が尋ねる。
「違います。我が『タレス公国』、及び、国連加盟国数国の容認を得て、ハラ長官、及びあなた
達の組織には恩赦が与えられる事になりました」
4人は顔を見合わせた。彼らにとっては予想外だ。
「恩赦って?」
と、一博。
「俺達の事を知っているのか?あんた」
隆文の問いかけに、男は頷いた。
「はい、知っております」
「おいおいおい、いきなり言われたって、信用できねえぜ。オレ達の事は誰から聞いたんだ?」
浩は大きな声で男に問いただす。
「ドレイク大統領からです。私が聞いている限りでは、我が国の大統領はハラ長官と共同で、
『帝国』の『ゼロ』という存在を追っていたそうです」
『SVO』にとっては、どう答えたら良いのか分からない事だった。自分達の存在を知っている
のは、原長官だけだと思っていたからだ。
「とにかく、原長官は無事なんだな?」
話を変え、隆文が切り出す。
「ええ、爆発が起きた時、長官は爆心地から遠く離れた所におられました。不幸中の幸いとは
この事ですね。その時、ちょうど彼は『NK』の警察に逮捕されていた所だったのですよ。長官
は長い逃走の後、捕らえられたわけです。しかし、その逃走により爆心地から離れる事ができ
たというわけなのです。彼はこの島まで警察に連れられて来ましたが、拘束を解かれました」
「もしかして、あなた外交官か何か?」
絵倫が尋ねた。この男は、『NK』の言葉、彼にとっては外国語であるはずなのに、難しい言
葉まで知り、しかも長々と切れ目なく話す事ができている。相当『NK』に通じている証拠だ。
「はい。『NK』の『タレス公国』総領事館に勤めている者です。運良く、昨日は本国に戻っており
ましたので、被害には遭いませんでしたが」
男はスーツの内ポケットから身分証を取り出した。それは間違いなく『タレス公国』の外交官
であるという事を示している。
「早く見せてくれれば、疑わなかった」
一博が言う。
「あなた達は身分証を見せたとしても、疑うでしょう?」
「今だって疑っているかもしれないぜ?」
と、浩。
するとその男は、少し苦笑したようだった。
「とにかく、ハラ長官にお会いになられませんか?お仲間も一緒ですよ。サトウ・タイチ様ご一
行はすでに到着しておられます」
「太一達が?」
隆文はそれにほっとした。彼らには昨日に慌しく別れて以来だったからだ。
「この場所にいても、手荷物検査であっさり捕まってしまいますよ」
そう言い、男は4人よりも先に行ってしまおうとする。確かに隆文達は、それぞれ自分の武器
を持ち歩いていた。凶器は暴動の引き金になる為、このままでは没収されるだろう。もとより
『NK』の法律では所持が厳禁な武器だ。
「先輩、行くのか?」
浩はまだ、大統領の遣いの男を疑っており、隆文と絵倫に囁きかけた。
「行ったほうがいいだろうよ。原長官が無事だって言うんならな。色々、聞かなきゃあならない
事もある」
「しかし、罠かもしれねえ」
男の背中を見ながら浩が言った。
「ちゃんと身分証を見せたわ」
「偽物かもしれねえ。オレ達ならそうする事も簡単だ」
「だけれども、こんな回りくどい真似なんかしないわ」
絵倫はきっぱり言うと、自分だけ先に男の方へとついていこうとした。
「疑いも臨機応変に、といった所だろう」
そう一博が付け加えるのだった。
「こちらでお待ち下さい。ハラ長官はもうすぐ来られます」
『タレス公国』のドレイク大統領の遣いは、隆文達四人を一つのプレハブ小屋へと案内した。
それは難民達の雑踏からは離れた場所に設置されている、特別な施設群のようだった。『N
K』においての中心人物が避難する際に使われるのだろう、特別な港の発着所の近くにある。
近くには、政府要人シェルターへの入り口もある。この一角は、一般難民は立ち入り禁止とな
る場所で、すでに、『タレス公国』の軍が警備に当たっている。
小屋の扉が開けられると、そこには太一達がすでにいた。
「皆、無事だったか」
そう言ったのは隆文だった。
しかし、全くの無事だというわけでもないようである、そこにいる4人とも、ぼろぼろな服を着て
いた。
小屋の中へと入っていく隆文。彼はほっとするように息をつく。そんな彼の脇をすり抜け、絵
倫は一人、沙恵が座っている場所へと駆け寄った。
「大丈夫だった?平気?」
彼女は沙恵を、とても心配そうな声で気遣った。まるで姉が妹を本気で心配するかのように。
「だ、大丈夫とは、言い難いよね」
沙恵は元気の無い声で呟いた。
「ええ、そうね。わたしも同じよ」
絵倫は心の底からそのように言っていた。このような状況になってしまい、まともな状態でい
られる方がおかしい。
絵倫達以外のメンバーだって同じ心境だ。明らかに皆、気持ちが沈んでいて、いつもより気
力が見られない。
「ところで、香奈は?」
絵倫がプレハブ小屋の中を見回しながら言った。そう、この場所に香奈の姿は見られなかっ
た。『SVO』のメンバーは全員揃っているという話だったが、ここには7人いしかいない。全部で
8人のメンバーがいるはずだ。
「どこ、どこよ?彼女は無事なんでしょ?」
沙恵の顔を覗きこみ、絵倫が尋ねる。
「そ、それが。何て言うのか、一人になりたいって」
彼女は答えにくい様子だった。絵倫は目線を合わせて必死に尋ねようとしているのに、彼女
は目線を外そうとする。
「何なの?何があったのよ。普通じゃあ無いわ!答えて!」
絵倫は必死に彼女に聞きただす。
「一体何なんだ?どうしたって言うんだよ。これから原長官と会おうって言うんだぜ。どこに行っ
ちまったんだ?」
浩も沙恵を問いただした。
「それが、香奈は」
「何なの。答えなさい」
皆が自分を見つめてきている。沙恵はとても答えにくかった。なぜ香奈はこの場にいないの
か、沙恵は知っている。
沙恵が困っているのを見て、登が代わりに答えようとした。だが、それよりも前に、沙恵は意
を決したように答えた。
「香奈は、この組織を辞めたの」
政府要人の為の区画、そして『NK』政府の重要人物が特別船に乗ってやって来る港。そこ
に、香奈は一人ぼっちでいた。
ぼうっと、港から遠くの光景を望んでいる。彼女が見ているのは『NK』のあるはずの方向。視
界には、大洋に浮ぶ都市は見えないが、彼女はその方向にある、混乱と死を感じていた。死
の灰が渦巻いている。それが感じられるような気がする。
それを考えただけでも涙が出てくる。100キロほど先では、今も、次々と人々が死んでいって
いるのだ。助けようと必死になっている人々、しかしその努力も全て叶わないままになってしま
っていく。
『ゼロ』を、自分達は止める事ができなかった。その為に、数万という人々が苦しみ、死んで
いく。
あたし達のせいではないと人は言うだろう。しかしそれでも、彼女は責任を感じずにはいられ
なかった。
自分で分かっているつもりでも、心が削られていくような感情を抱けずにいられなかった。
いや、責任を感じるだけではなく、それよりも前に彼女は、それから逃げ出したかった。こん
な、一つの大きな国、沢山の人々を守る為に己を犠牲にしてでも働く事など、香奈にはこれ以
上、耐えられなかった。
もともと無理だったのだ。あたしにはとてもできる事はできない。普通とは違う、いくら常人を
遥かに超えた『力』を使えるとはいえ、結局は、どうせただの一人の人間に過ぎないのだから。
そもそも、どうしてこんな事になってしまったのだろう。もう、何もかもが訳が分からない。
嗚咽に暮れるような事も、涙が止められないわけでもない。だが、香奈は空っぽになってしま
ったような心と共に、そこに立ち続けていた。それは泣くよりも悲しく、死ぬよりも空しかった。
人が自殺する時の気持ちって、もしかしたらこんななのかもしれないの?
香奈はそう自分に尋ねた。
そんな香奈の元に、やがて、彼女を呼ぶ声がやってくる。
「香奈!」
沙恵の声だった。いつもならほっと一安心する彼女の声も、今は、どこか気まずい雰囲気に
させられてしまう。
「沙恵」
香奈は、息を切らせ、疲れ切った表情で走ってくる彼女の方を向いた。そんなに急がなくても
良いのに、と香奈は思う。
「皆があなたの事、探しているよ」
沙恵は、とても心配そうな声で香奈を見てくる。心配してくれている、自分の事を思ってはくれ
ていても、今の香奈にとっては気まずい。
「いいよ、もう探さなくたって」
少しぶっきらぼうな声で香奈は答えてしまう。だが今は、彼女にはそのような言葉と声しか出
せなかった。
「『SVO』を辞めたから?だから皆はもう他人だって言うの?」
「うん」
香奈がそう言うと、沙恵はため息をついてしまった。
「いつから辞めようと思っていたの?」
別に怒るような事も、残念がる様子もなく、沙恵は香奈に尋ねてくる。友達としての、いつもの
尋ね方だった。
だから香奈は少し安心した。
「大分前。この任務に就く少し前に決めたの」
それには沙恵は少し驚いたらしい。色々な事があり過ぎて、遠い過去であるかのように思え
てしまう。
「そんなに前から?何で言ってくれなかったの?」
「あたし、この任務に就く前に、原長官に辞表を出したの。でも、あの人、この任務だけはどうし
ても必要だからあたしにいて欲しいって。それで、任務が終わったらあたしの思うようにしてい
いって。ちゃんと決まってから言った方がいいかなって思ってね。やっぱり言った方が良かった
よね?ごめん」
香奈が説明すると、沙恵も納得したらしい。
「そう。確かに、あたしにも相談して欲しかった」
「沙恵に、分かってもらえるかどうか、不安で。せっかく仲良くなれたのに、裏切る事になるかも
って」
香奈は、沙恵とは目線を外して言った。
「そ、そんな事はないって。いつだって相談に乗るよ!」
遠くの方から、また一つ、また一つと、救援部隊の船が、難民を連れてやって来る。上空で
は、大型ヘリコプターも使われ、難民の輸送と、救援物資が送られてきていた。
ヘリコプターの音が聞こえてくる。それが過ぎ去ってから、2人の話は再開された。
「でも、何で辞めるの?せっかく続けてきたのに?」
香奈は少し戸惑った。答えていいものかどうか分からない。理由はあったし、原長官にも話し
た。だが、沙恵に言ってどう答えが返ってくるかが怖い。
それは、香奈自身の問題だけではなかったからだ。
「あたし、5年よりも前の記憶が無いの」
「えっ?」
やはり沙恵は驚いたらしい。当然の反応だった。記憶が無い事は、初めて彼女に明かしたの
だ。
しかし、おそらく彼女の驚きは、それだけではないだろう。
「記憶が無くなる前にもう『SVO』に入っていたらしくて、何か、知らない間に危険な任務とかに
就いていたの。最初の頃は、自分がすべき事をしているという感じだったんだけれども、何か、
何であたしはこんな事をしているんだろう?何でこんな事ができるんだろう?って思うようになっ
て」
「ちょ、ちょっと待ってよ!本当に記憶が無いの?」
沙恵はうろたえている。
「あたし、親の顔も知らないの」
「え?え。ど、どうして、どうして、あなたも記憶が無いの?あなたも、なの?」
慌てふためいたように沙恵は言ってきた。反面、香奈は全てを知っているかのように落ち着
いていた。
「やっぱり?そうなんだ。沙恵も記憶が無いんだね?」
「ど、どういう事なの?何で2人とも5年より前の記憶が無いの?どうして?あなた、何か知って
いるって言うの!」
沙恵は香奈の体を掴み、必死に尋ねてくる。2人は目線を合わせていた。
「あたしの口からは説明できないの。原長官に聞いて。あの人なら全て知っているの」
「どうして原長官が、あたし達の記憶が無い事も知っているの?」
「聞いて。そうすれば分かるから」
沙恵は、香奈の体から手を離した。彼女の目は混乱している。訳が分からない。そんな表情
をしている。
しかし、少し待つと彼女も落ち着いた。
「分かった。これから原長官に皆と一緒に話を聞くから、そ、その時に聞いてみる。もうあたしも
誰にも隠さない」
自分を落ち着かせた沙恵はそのように言い、香奈の体から手を離した。彼女はじっと香奈の
目を見つめている。
だが、今の香奈の目からは、どんな意味でも読み取れた事だろう。彼女自身、色々な事で頭
が一杯だったからだ。
「香奈?どこにも行かないよね?あたし達。ずっと一緒だよね?」
「あたしはそうしたい。でも、これから聞く話によってはあなた次第になるかも」
静かに香奈はそう呟き、沙恵はとても不安になったようだ。
香奈の今の表情は、沙恵にとっては彼女の知らない顔だったからだ。
沙恵は、『SVO』の仲間達がいるプレハブ小屋へと戻ってきた。
彼女と香奈を除いた6人が、陰鬱な表情で帰ってきた沙恵を出迎えた。皆、これからどうした
ら良いのか、とても困惑したような表情をしていた。
「それで、何だって?」
真っ先に尋ねてきたのは絵倫だった。彼女は、いつもと変わらないように装っているが、結構
参ってしまっているらしい。疲労や、複雑な思いが表情には出てしまっていて、それが伝わって
くる。
「やっぱり、辞めるって」
「説得したのかよ?」
沙恵が答えると、間髪入れずに浩が尋ねて来た。彼の乱暴な口ぶりで沙恵は少しうろたえ
る。
「だって、彼女がもう決めちゃった事だし」
「いつも一緒だっていうくらいに仲の良いあなたが意外ね?そんなに簡単に彼女の言う事を受
け入れられるなんて」
絵倫が沙恵を疑ってくる。彼女は、沙恵が香奈からどんな事を言われたか、それを彼女が伏
せている事を見抜いているかのようだった。
「香奈がいなきゃあ、色々困るからな」
リーダーとしてか、隆文が言った。
「香奈は、何て言っていたの?教えて。香奈があなたに、何か大事な事を言ったのなら、わたし
達だってそれを知らなきゃあいけないの。だって、仲間なのよ。伏せておきたい事なのは分か
るけど、大丈夫。わたし達は受け入れてあげられる」
沙恵の目を覗き込み、絵倫が言ってくる。彼女は真剣に、沙恵の瞳の中を覗き込み、全てを
見透かそうとしている。
その強い視線に、沙恵は耐えられなくなった。
「香奈、五年よりも前の記憶が無いんだって」
やっとの思いで、呟くように沙恵は言っていた。だが、言葉はそこにいた仲間達全員に届いて
いた。
「え?」
やはり絵倫は驚いたらしい。真剣だった彼女の表情が崩れる。
「だから、なんで自分がこの組織に入って、危険な任務なんかをしているのか、分からないんだ
って。前から思っていたけど、辞めるって決めたのは最近だそうだよ」
「本当?それは本当なの?」
「うん。本当。あたしだってそれを聞いた時は驚いたよ。だって、だって、あたしだって同じなん
だもん」
「おいおいおい。そりゃあ、どういう事なんだよ!一体よ!」
と、浩も驚いた様子を見せている。
「あたしも、香奈と同じで、5年よりも前の記憶が無いの」
言ってしまった。ずっと、誰にも黙っていたのに。
沙恵も、自分の記憶が無い事を、誰にも話して来なかった。それは自分の弱さを見せる事だ
と思っていたし、記憶が無い事で、悩みこそ常にあったが、周りに心配をかけたくはなかったか
らだ。
だから、香奈が自分と同じ悩みを抱えている事を知り、正直うろたえていた。
「記憶が無いって。本当なの?あなたも、香奈も?」
絵倫が心配そうに言ってくる。沙恵は彼女と目線を合わせる事ができなかった。
「うん、そう」
力無い声で沙恵は言った。
「わたしも、そうなの」
絵倫が言った。
「え?え?」
絵倫がはっきりと言った言葉。沙恵は激しくうろたえていた。聞き間違いではないのかとも疑
いたくなる。
「ほ、本当なのか?え、絵倫?」
隆文も沙恵と同じように慌てている。香奈、沙恵、絵倫の3人が、共通して5年よりも昔の記
憶が無いというのだ。しかも彼女達はそれを、たった今、初めて明かしていた。
「もう、隠していたってしょうがない。俺だってそうなんだぜ?」
「う、嘘でしょ!」
隆文の言った言葉に、沙恵は更にうろたえる。だが、彼らの驚きはまだ続いた。
「お、おいおい。オレだって」
「おれもだ」
浩、一博が立て続けにそれを明かすのだった。
「じゃ、じゃあよ」
「登君もそうなの?太一も…」
沙恵は尋ねた。
「そうだ。僕も5年以上前の記憶が無いんだ。今まで、皆には黙っていたけど」
「この調子じゃあ、太一もそうかよ」
そう浩に言われた太一は、じっと仲間達の方を見ていた。彼の真剣な表情からして、太一も
皆と同じなのだろう、沙恵は直感した。もう言われなくたってすぐに分かる。
「言わなくても、分かるだろう?そういう事だ」
太一は曖昧な返事を返したが、もう他のメンバーにも分かっていた事だ。
『SVO』8人、全員の記憶。皆共通して、5年以上前が存在していない。
一体、どういう事なのか。これが普通でない事なのは決まっている。皆、記憶が無い事には
何か理由があるはず。
「皆がこの事を隠していたとか、そんな事を非難し合うのは無しにしようぜ。俺だって絵倫に隠
してきたんだ」
「同感ね。何で皆記憶が無いのか、知る方が先だわ」
絵倫はいつもの冷静さを装っている。しかし声は震えていた。それだけ彼女にとっても、仲間
達にとっても、それは驚きの事だった。
「どういう事なの?皆、記憶が存在していなかったなんて」
沙恵は呟いていた。
「俺達だけじゃあ答えは出せないな」
自分を落ち着かせるような声で隆文。
「じゃあ、なぜ記憶が無いか、それを知っているとするならば」
「原長官しかいないわ。わたし達の事は知っているはずだし」
登と絵倫が続けて言う。
「ああ、だろうな。『SVO』の結成は、あの人が防衛庁の長官の役職に就いた5年前になる。ち
ょうど俺達の記憶が無い時点からだぜ」
と、隆文。
「『SVO』の結成と、記憶が無い事には関連があるって事か」
「おいおいおい、じゃあ何か?オレ達は、自分が何で『SVO』に就いたのか、その理由さえも知
らねえんだろ?」
浩が言った。
「意図的なものを感じるわね」
絵倫が彼に答える。
「どっちにしろ、原長官が全てを知っているってわけか。俺達の事も」
「そして、今回の任務の事に就いても、わたし達に明かしていない事があるわ」
隆文の言葉に、絵倫が付け加えた。
「ああそうだな。原長官は『ゼロ』の事について、もっと良く知っているはずだ。それなのに、彼
を捕まえれば分かるといい、全てを明かさなかった」
「あんなのを捕らえるなんてまず無理だってのによ!」
不満を口にする浩。
その時、彼の背後で小屋の扉が開き、そこにさっきの大統領の遣いが現れた。
「ハラ長官は、地下シェルターでお会いになられます。ご同行願えないでしょうか?」
「ああ、もちろんすぐに行く」
隆文が言った。
「あの人には、何から何までも喋ってもらわなければならないわね。せっかく再会できるってい
うんだから」
絵倫がそう言い、皆がうなずき、彼らは原長官に会いに行くべく、その場所を後にするのだっ
た。
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巨大国家の陰謀を探る話から、世界的な脅威へ。このエピソードでは主人公達の秘密が明かされていきます。