#20
「戻ったぞ!」
「……ただいま」
俺と祭さんが執務室の扉を開けると、出た時と同じように、雪蓮と周瑜が竹簡に取り組んでいた。ただ一つ違うのは、雪蓮の前に積まれた山は先ほどと比べて半分に減り、周瑜のそれはもうなくなる頃であったことだろう。
「………zzz」
「あれ?恋?」
「あぁ、おかえり、北郷。呂布がそのまま眠っていたからな。どうしたらよいのか分からなかったから、そのままにさせてもらったよ」
「それはかまわないけど………相変わらずよく寝るな」
「ほんとよねぇ。……それで、祭。どうだった?」
「ふむ。残念ながら引き分けじゃった」
「ほんと!?あの祭が引き分けるなんて………ね、冥琳?あたしの言った通り、一刀もやるでしょう?」
「そうだな。まさか祭殿と互角とは、恐れ入ったよ」
「まぁ、こいつも本気を出しておらんかったからの。仕合ではなく戦場だったらどうなったことやら………。まぁ楽しかったからどうでもいいんじゃがな」
豪快に笑う祭さん。やっぱり爺ちゃんと似たタイプだよな。と、そんな会話をしていると、恋が動き出した。
「………ん」
「あぁ、起きたか。おはよう、恋」
「おはよ…くぁ」
恋の小さな欠伸に、思わず頬が綻ぶ。恋は癒し系だよな。俺はそんな恋にひたすら和むのであった。
恋が目を覚ましたことを確認すると、祭さんが口を開いた。
「おっと、この嬢にはまだ自己紹介がまだじゃったの。呂布と言ったか?儂は黄蓋。真名は祭じゃ」
「貴女はまた―」
「ん………恋は恋」
「呂布もそんな―」
「ふむ、確かに恋は恋じゃな………どうした公謹。そんな難しい顔をして?」
「いえ、もうよいです。………北郷、呂布。私のことも真名の冥琳で呼んでくれ」
「あっらー冥琳?そんな簡単に真名を許してもいいのかしら?」
「うるさい。貴女たちを見ていると、勿体ぶるのも馬鹿馬鹿しくなったのでな。どうだ、北郷、呂布?」
「あぁ。預からせて貰うよ、冥琳」
「ん………(コク)」
「それでの、策殿。儂はこやつらを孫呉の将として迎えたいと思うのじゃが、どうじゃろうか?」
「あら、それいいわね。一刀と勝負することばっか考えてたから思いつきもしなかったけど、うちに居ればいつでも仕合ができるわね」
「ふむ…。雪蓮や祭殿が認めるのであればかなりの腕なのだろうな。だが、私としては、北郷は文官として仕えてもらいたいのだが」
「えー、一刀にそんなことできるの?」
「知識のほどは分からないが、話しぶりや、機微を読む様は、なかなかに頭の回転が速いと思えるのだが………」
「そうじゃのぅ。戦闘に関しては策殿とは違って、理で詰めていく性質のようじゃな」
あれ?なんか変な方向で話が進んでるぞ。
「ちょっと―――」
「ダメよ!一刀はあたしと一緒に前線に出てもらうんだから!」
「待って―――」
「それはずるいぞ、策殿。儂と共に戦場に出るのじゃ!」
「あの―――」
「いえ、まずは知識のほどを確かめさせてもらいたい。うちは兵も含めて実力者が多いが、軍師は私と穏くらいしかいないのだからな」
「いや―――」
「だから一刀は―――」
「何を言う―――」
「それより私としては―――」
あれだよね?そろそろ怒ってもいいよね?人の話を聞かないのは礼に失するよね?
そうやって三人が言い争いを始めて5分ほどが経ったろうか。その氣に気がついたのは、傍観者である恋とセキトのみであった。
恋はセキトを抱きかかえると、そっと部屋の隅へと移動した。
そしてとうとう―――
ズドンっ!
「「「………………………………………え?」」」
「御三方………人の意志を問わずに勝手に話を進めるのは如何なものかと思うが?」
―――一刀がキレた。
一刀の手には腰から抜かれた太刀。
三人の目の前には真っ二つに割られた雪蓮の執務机。
「俺は、一言も、呉に仕えるなんて、言ってないけど?」
三人に理解できるように言葉を切って話す一刀。逆にそれが恐ろしく感じられる。
「………返事は?」
「「「はい、言っておりません!」」」
「で………言うことは?」
「「「すみませんでしたっ!!」
「………………よろしい」
雪蓮、冥琳、祭がそれぞれ姿勢を正して頭を下げるその姿に納得したの、一刀はようやく野太刀を鞘に納めた。
「ふぅ…。俺と恋がいま旅をしているのは知っているだろ?まだどこかに身を置く気はないよ」
「そうなの?残念ね………」
「ただ……客将として働くことは吝かではない。どのくらい居られるかはわからないけど、それでもいいなら此処で働かせてもらうけど」
「それはまた願ってもないことだな。どうだ、雪蓮?私は一刀の提案を受け入れたいと思うのだが」
「そうじゃのう。ずっと居れんのは残念じゃが、一刀が居てくれればだいぶ助かるのは間違いないぞ?」
「そうね…よかったら、客将として仕えてくれない?もちろん恋も」
そう言って、手を差し出す雪蓮。一刀は一歩前に出ると、その手を取り、しっかりと握り返した。
「じゃぁ決まりね!一刀はこれから武官として働いてもらうから!」
「待て、雪蓮!文官が足りないと先ほども言っただろう。まずはそちらの実力を測ってからだ」
「なんじゃ、往生際が悪いのう。一刀は儂や策殿や儂に勝るとも劣らぬ実力者じゃ!それを武官として使わんとは、愚の骨頂じゃ!」
「軍師に向かって『愚の骨頂』とはよく言えますね。だいたい貴女はいつもいつも―――」
「なんじゃと!?それを言うなら公謹だって―――」
「そうよそうよ!冥琳はちょっと頭が固いのよ!それにこないだだって―――」
ズドンっ!!
今度は冥琳の机が断ち斬られた。
「い・い・か・げ・ん・に・し・ろ・よ?」
「「「ごめんなさい………」」」
こうして一刀たちは、雪蓮たちのところで働くこととなった。
拠点 雪蓮
その日、午前中に兵士の調練を終えた俺は、城の中庭へと来ていた。
うむ、いい天気だ。
こんな日は恋と昼寝をするに限るのだが、今日は、その恋はいない。これまで訪れた街とは違う味覚を楽しみに、彼女は街へと繰り出していた。
「さて、どうするかな………」
俺がそんな風に一人ごちると、どこからか声がかかった。
「おーい、一刀」
「ん?」
ふと、背後を振り返ってみても誰もいない。
「上よ、う・え」
「雪蓮か。…そんなところで何してるんだ?」
「ん?見てわからない?」
「まぁ、想像はつくけど………」
見上げると、近くの木の上に雪蓮がいた。その手には酒が入っているであろう大徳利が握られている。
「昼間っから飲むなよ。冥琳に怒られるぞ?」
「いいじゃない、休みの日くらい。そ・れ・よ・り」
「?」
「一刀も休みなの?」
「あぁ、兵の調練は午前中に終わらせたしね。これからどうしようかと考えていたところなんだ」
「あら、ちょうど良かった。上がってきなさいよ。一人で飲むのもいいけど、誰かがいる方が楽しいしね」
「酒は飲まないぞ?」
俺は雪蓮が座っている枝の隣に生えている太い枝に両手をかけると、懸垂の要領で身体を持ち上げ、身体を回転させてその枝に腰をおろした。
「あら、かっこいい」
「茶化すなよ。それで、俺はどうしたらいい?」
「何もしなくてもいいわよ。強いて言うなら、話し相手になってくれればいいだけ」
「それくらいならお安い御用だ」
こうして俺たちは、話に花を咲かせるのであった。
そうして雪蓮と話をしている最中、彼女の口から出てきた言葉に、俺は動揺した。
「それで、一刀の生まれた国ってどこにあるの?この大陸?」
「いや、違うよ。ここから東の海を渡ったところにある小さな島国さ」
「へぇ…どうして一刀はこの大陸に来たの?」
そういえば、考えてなかったな。詠に聞かれた時は、彼女も追及してこなかったから深くは考えてなかったけど、どうしようかな。
「あぁ、それなんだけど………………海に舟で出ていたら嵐に遭遇してね。それで、気がつけばこの大陸に流れ着いていたんだ」
「ふぅん?」
俺の言葉に雪蓮は眼を細めた。そして―――
「嘘ね」
―――いとも簡単に、俺の嘘を見抜いた。
「………どうして嘘だと?」
「勘よ」
「………へ?」
「勘よ。そんな気がしただけ。でもその反応を見るに、当たっているようね」
「………………………雪蓮には敵わないな」
「まぁ、一刀がどこから来たかなんて関係ないわ。貴方は私たちの大事な仲間。………例え客将であってもね」
「ほんと………雪蓮には敵わないよ」
俺が関心のような、諦めのような声を出すと、雪蓮は再び問いかける。
「ねぇ、一刀。自分の国に帰りたい?」
「………別にいい、って言ったら嘘になるけど、帰ろうとは思わないよ」
「それはどうして?」
「俺にはこの国でやることがあるんだ。だから帰る方法があっても、帰る気はない。それにある人と約束したんだ………恋を必ず守る、って」
「あんなに強いのに?」
「武力じゃないよ。その人は死ぬ間際に俺に言った。『この娘が純粋な心を失わないように』って。俺はその人の願いを叶えたいんだ。ただ、それだけだよ」
「そう………難しいわよ?こんな時代だし」
「わかってる。だけど、その人は俺の恩人だ。そして俺が未熟であるが故に彼女を殺した。これは罪滅ぼしでもあるし、恩返しでもあるんだよ。それに………………」
愛する女性の傍にいたいと思うのは当然のことだろう?
「それに?」
「いや、なんでもない」
こんな言葉は安易に使うものじゃない。ただ、恋に伝える為だけに使えればいいんだ。
それきり、俺たちは言葉を切った。
「俺からもいいかな?」
「なに?」
会話が途切れて数分が経ったろうか、俺は予ねてからの疑問を確かめる。
「孫堅さんの話が聞きたいな」
「母様の?」
「あぁ。江東の虎とまで言われた人だ。どんな傑物だったのか聞いてみたいんだ」
「そうねぇ………一言で言えば、凄い人だったわ。初めて戦に連れて行かれたのは、あたしがまだ十の時だったの。あたしは戦場の雰囲気に呑まれて、馬の上で震えているだけだった。母様や祭とよく鍛錬はしていたけど、それとはまったくの別物。何もできなかったわ」
「へぇ…雪蓮にもそんな時代があったんだね」
「なによ、人を化け物みたいに言ってくれちゃって。あたしだって昔は可愛かったのよ?いまもじゅうぶん可愛いけど」
そう茶化して酒を飲む雪蓮。こうやって陽なたでゆったり過ごす雪蓮は確かに可愛らしい。戦いの時のあの触れたら切れそうな美しさとは別の魅力がある。
俺は思ったままの感想を口にした。
「違いないな」
「へっ?」
「ん?雪蓮が可愛い、って話だよ」
「……………」
俺がそう言うと、雪蓮は口をパクパクと開いたり閉じたりして、顔を赤らめた。
会って間もないのに、流石に失礼だったかな。
「それで、その時の孫堅さんはどうだったの?」
「え?あ、あぁ、母様ね………。それはもう凄かったわ。まさに『一騎当千』って言葉がぴったりなくらいの武だった。………それから何度も何度も戦についていった。次第にあたしも戦場に慣れてきて、それなりの武勲を挙げられるようにはなったけど、それでも母様には敵わなかったわね。母様は孫呉の指針であり、あたしたちの目標だった」
「………だろうね」
「でも、一年前、戦で傷を負って、その傷が元で、ね………。で、今はこうして袁術の傘下に、不本意ながら入っているわけ」
「そっか……」
「今はこうして小さい領土で、蓮華やシャオ………あたしの妹たちね」
「あぁ、知ってる。孫権さんと孫尚香さんだろ?」
「あら、よく知ってるわね………まぁいいわ。そう、あの娘たちとも離れ離れにさせられてしまってはいるけど、あたしたちはずっとこのままでいるつもりはない。必ず、母様が作った孫呉を取り戻してみせる」
雪蓮はそういうと、遠い目をする。妹さん達のことを思っているのだろうか。この世界の袁術がどんな人間なのかはわからない。史実によると、なかなかの放蕩ぶりだったらしいが、雪蓮たちなら、必ず願いを達成できるだろう。
「………できるよ」
「え?」
「必ず…独立の時は来る。だから、今は耐えるんだ。………俺が言うのも無責任ではあるけどね」
「………ふふ、ありがと。その時は、一刀にも手伝ってもらおうかしら」
「その時に俺がいれば……な」
「………いつかここを出て行くのは構わないけど、いつかは帰ってこないとダメよ?」
「あはは、それは難しいな。………でも、俺たちがここを出ても、すぐに再会の時はやってくる」
「なにそれ?先のことをそんな簡単に言い切るなんて、ひょっとして一刀は算術でも得意なの?」
「いや、勘………かな?」
「勘ねぇ………」
雪蓮はニヤリと笑うと、それ以上は追求してこなかった。
あぁ………必ず、その時は来るよ。
俺は心の内で、そう呟いた。それがどちらの意味なのか、はたまた両方の意味なのか、俺にもわからなかった。
ただ、少しだけ………それが実現されないことを祈っている俺がいた。
拠点 冥琳
「さて、北郷。今日ここに呼び出したのは他でもない。以前にも話した、お前の文官としての力を見るためだ」
「はぁ……」
「む?あまり乗り気ではないようだが、そんなに嫌か?」
「いや、そういうわけじゃないけど………」
「なんだ?思うところがあるなら、遠慮なく言ってみろ」
「じゃぁ言わせてもらうけど―――
―――なんで、酒屋なの?」
そう、今日俺は、冥琳に呼び出されて街のとある酒屋に来ていた。初めて祭さんと出会った店とはまた別の店で、店内は小奇麗に掃除され、その雰囲気もどことなく高級な感じがする。
「なに、ここなら誰にも邪魔をされないと思ってな。雪蓮や祭殿は、質より量や雰囲気を重視するからな。こういった店には、こちらが誘わない限り来ないのだよ」
「そうなんだ」
俺が再び店内を見回しているうちに、冥琳は店員に酒と杯を二つ、そして数品の料理を注文した。この店の常連なのだろう。『いつもの酒』という言葉に店員はそのまま従っていた。
そして、店員が酒と料理の皿を持ってきて、俺たちは杯を軽くぶつけ合う。
「へぇ…なかなか美味いな」
「そうか?気に入ってもらえて何よりだ」
「それにしても意外だな。冥琳でも昼間から酒を飲むことがあるんだね」
「お前は私をどれだけ堅物だと思っているんだ。休みの日くらい、昼から酒を煽ってもよいだろう」
「そうだね。いつも雪蓮や祭さんの世話で大変だもんね」
「違いない」
そう言って、俺たちは笑い合う。雪蓮や祭さんとの騒がしい酒も好きだが、こういった落ち着いた雰囲気の中で飲む酒も悪くはない。
そうして、お互いが2杯ほど空けた頃だろうか。冥琳は本来の予定を思い出したように口を開いた。
「それで、お前はこれまでこの街を見てどう思った?」
「そうだね…街の雰囲気はいいし、子どもたちにも笑顔がある。いい街だと思うよ」
「そうか、ありがとう。………良い評価はそのまま有難く受け取るとして、どうだ?お前の目から見て、問題点や改善した方がいい点はあるか?」
「そうさなぁ………人の往来が多すぎるのが少し気になるかな。
初めて祭さんと会ったときは、酒屋の中で騒動があったんだけど――あぁ、祭さんと酔っ払いが軽い喧嘩をしていたんだけどね―――人が騒ぎを聞きつけて集まる割には、警備隊がなかなか来なかったんだ。
時たま、流れのゴロツキとかが問題を起こしたりするのも見かけてるんだけど、その時も、騒動が起きてから警備兵が来るまで、少し時間がかかりすぎる時があったんだ。もちろん迅速に対処する時もあったんだけどね。
で、思ったのが、人が多いせいで、警備兵が遅れる場合があるんじゃないか、って」
「ふむ……警邏の報告書を見る限りでは、事件の概要と鎮圧の結果しか書かれていないからな。そこまでは目が回らなかったよ」
そう言って、冥琳は杯を口に運ぶ。俺も言葉を一旦切り、酒で口を湿らせた。
「それで思ったんだけど、どうも、人の流れに対して道が狭いんじゃないか、って。まぁ、この点は区画整理で解消できるんだけど、時間がかかりすぎるね。長い目で計画を実行するしかないかな」
「そうか、ありがとう。やはり、私の目に狂いはなかったようだ。お前には文官としての才があるようだ」
「そうかなぁ。気づいた点を挙げただけだよ」
「ふ……謙遜するな。問題点だけじゃなくて、改善点も挙げたではないか。それだけで、他の者よりも一つ二つは先んじている証拠だ」
「まぁ、素直に受けておくよ。
あ、あと、これは俺が旅先で見た治安維持の方法なんだけどさ、警備隊の詰所を増やして、それぞれの隊が見回る区画を決める、っていう手もあるよ」
「ほう?それは興味深いな」
俺は涼州で自分が実践した計画を話すことに決めた。給料もしっかり貰っているんだ。これくらいの恩返しはいいだろう。
冥琳は俺に話の続きを視線で促す。俺ももう一口酒を口に含むと、話を続けた。
「あぁ。涼州のある街で行われていた方法なんだけどね」
「だが、詰所を増やしても人員がいなければどうにもなるまい。涼州はそれほど兵の数が充実していたのか?」
「いや、どうも街の人に警備兵のみを本職として働いてもらっていたみたいなんだ。戦や賊討伐に出る兵とは別にね。それで人員を確保して、警備に充てていたよ。住民の中で仕事がないものを集めて、警備兵に回したり、あるいは農地拡大に努めてもらう、ってこともしていたな」
「それで、その間の生活費は給金として我々が支払う、か」
「その通り。さすが冥琳だな。それで治安向上と備蓄増加が一挙に成功したってさ」
よくもここまで舌が回るものだと、自分でも感心する。まぁ、嘘は言っていないしな。
「ん……涼州?それはもしかして、天水か?」
「あぁ、そうだよ。あれ、知ってたの?」
「いや、旅の商人の噂を聞いてな……。『天の御遣い』が現れて…確か董卓だったか?董卓と協力してこれまでにない政策を実行し、治安維持や財力の増強に努めたとか………………一刀はその『天の御遣い』に会ったことはあるか?」
「…いや、俺は会ったことがないなぁ。『天の御遣い』の噂は俺も聞いたことがあるけどね」
大丈夫だ、顔には出ていない。嘘は言っていないしな。
雪蓮ならバレそうなものであるが、冥琳は生粋の軍師気質だ。より正確な情報を集め、そこから事実を推測するタイプの人間だ。勘などには頼らないだろう。
それにしても、噂とは凄いな。天水と長沙だと国の真反対じゃないか。もうここまで届いてるとは………。
「そうか。その御遣いはまだ天水にいるのだろうか。もし本当に天の国から来たのなら、我々の元に降り立ってくれてもよいものを……」
そう言って冥琳は溜息を吐く。孫呉独立の願いはそれだけ強いのだろう。『天の御遣い』なんて不確かなものに縋りたくなるくらいには。
俺はその姿を見て、少しだけ申し訳なく感じながらも、感情を表に出さなかった。
「まぁ、その『天の御遣い』には足りないかもしれないけど、この国にはなくて、俺の国にあった知識なら貸すからさ。………協力するよ」
「あぁ。そうしてくれると助かる。さて、そろそろ城に戻るか。私がいなければ、雪蓮と祭殿が暴走してしまうからな」
「ははは、冥琳にしか止められないもんね」
「一刀も協力してくれればいいものを……」
「そっち方面は期待しないでくれ」
「ふふ、期待はしないが、手伝って欲しいとは思っているぞ?」
店の外に出ると、既に陽が暮れかけていた。予想外に長い間話しこんでいたようだ。
若干火照る顔を夕方のひやりとした空気に曝しながら、俺と冥琳は城へと歩くのであった。
拠点 祭
「のぅ、恋!この通りじゃ!」
「………………」
「どうしてもダメか?儂の秘蔵の酒もやるから!頼む!!」
俺が中庭の渡り廊下を歩いていると、そんな声が聞こえてきた。
祭さんが恋に何かをお願いしているようだが、その詳細まではわからない。………まぁ、これだけ言い寄られると恋も大変だろう。
俺はとりあえず様子を窺おうと、声の聞こえる方へと歩き出した。
「恋よ!どうしてもダメか?」
「…ダメじゃない」
「ならば―――」
「でも眠たい………」
相変わらずの恋だな。俺はそこまで拝み倒している祭さんが少し可哀想に思え、声をかけた。
「どうしたの、祭さん?」
「おぉ、一刀か!お前からも言ってくれぃ!」
「何を?」
「恋の奴が儂との勝負を拒んでのぅ。これほどまでに頼んでおるというのに………」
「そうなの、恋?」
「拒んでは、いない。ただ………眠い」
「ならしょうがないなぁ」
恋のことだ。余程のことがない限り、勝負を受けはしないだろう。俺がそんな気の抜けた声を返すと、今度はこちらに祭さんが縋りついてきた。
「『しょうがないなぁ』ではないわ!目の前に強者がおるのじゃぞ!?それを前にして闘わんとは―――」
「はいはい、祭さん。恋にその手の話は通用しないから」
宥めようとする俺に、祭さんは『そんなぁ…』と年に似合わ……年相応の『可愛らしい』反応を示す。仕方がない………。
「祭さん、いい方法を教えようか」
「なんじゃ!?」
俺はトコトコと、中庭の陽あたりの良い場所へと向かう恋の背を見ながら、祭さんに秘策を授けるのであった。
そして、ちょうど良い場所を見つけたのか、立ち止まった恋に、祭さんは声をかけた。
「恋よ!一つだけよいか!」
「………なに?」
返す恋は、すでに目が半分閉じている。そろそろ昼寝の時間だしな。
「お主が儂に勝ったら、今日の夕餉をご馳走しよう!」
「………っ」
と思ったが、祭さんの言葉を聞いた途端、恋は目を見開いてこちらを見る。
「あぁ、恋が勝ったら腹いっぱいになるまで食べていいってさ」
「………祭、やる」
俺が祭さんに授けた秘策とは、対呂布式仕合法だ。あれ、なんかこの言葉って存外格好良くない?………………………ないな。
恋は方天画戟を自然体に構えると、祭さんを目で急かす。対する祭さんも、念願が叶って嬉しいのか、嬉々として弓と矢をその手に構えるのであった。
「それでは一刀、合図を頼む」
「(コクコク)」
「わかったよ。それじゃ………はじめっ!」
ヒュッ………ガギィッ!………………………カランカラン………………………
「はい、恋の勝ちー」
「………勝った」
「………………………………へ?」
飛ばされた祭さんの弓が地面に転がる音が響く。
トテトテと俺の方に寄ってくる恋を、頭を撫でて迎えてやる。さすがは恋だな。何をするかわかっていたからこそ、俺の目にも追うことができた。しかし、楽しむために勝負を仕掛ける祭さんはまだ本気の構えじゃなかったし、何が起きたか分からなかったろうな。
俺が恋の頭を撫でていると、ようやく正気に戻ったのか、祭さんが声をかけてくる。
「さ、流石に今のはズルくないか!?」
「………ない」
「そうだよ。仕合が始まっているのに、気を抜いて様子見なんてしようとする祭さんが悪い」
「ぐっ……じゃが!」
「………勝ちは、勝ち」
「だってさ」
「くぅぅ………わかったわかった!今回は儂の負けじゃ!!それでは次、行くぞ!?」
心底悔しいんだろうな。
祭さんは本当に悔しそうな顔をしながら、第二試合を挑もうとする。しかし………
「どうする?」
「………………眠い」
「だってさ?」
「何ぃ!?では………明日の昼飯じゃ!!明日も腹いっぱい食わせてやるから、もう一度儂と仕合えぃ!!」
「………ラーメン」
「よかろう。明日はラーメンをたらふく食わせてやる!細切れ叉焼じゃろうが野菜泰山盛りじゃろうが、増し増しじゃろうが、好きなだけ食うがよい!」
「わかった………………一刀、審判」
「あいよ」
「くっくっく、先ほどは遅れをとったが、今度は負けんぞ?堅殿の代から孫家を支えてきた儂の武を見せてくれるわ!!」
それって負けフラグだよ、祭さん?
こうして、祭さんと恋の勝負は、むこう1週間の昼食と夕食を奢らせるほどまで、繰り返されるのであった。
その日の夜―――。
「のぅ、一刀………」
「なに?」
「儂は、挑んではならん相手に挑んでしまったようじゃ………」
「そだね」
ちなみに、これまで祭さんは恋の食事風景を見たことがない。昼は恋が屋台めぐりへと出かけ、夜は祭さんが飲み屋を渡り歩いていたからだ。………だからこそ秘策を教えたんだけどね。
「(パクパクモキュモキュムシャムシャ………)」
「はぁ、今週の給金が………これじゃ酒も買えんわい」
「これを機に酒断ちでもしたら?」
「せざるを得ん状況じゃな………はぁ」
溜息を吐く祭さん。満足げな恋。そして俺の財布もホクホクだ。しばらく給金を節約できるな。
夜の街。それは様々な欲望がひしめき合う混沌の空間。今宵の街は―――
「………おかわり」
「まだ食うんか!?」
「………………まだ半分」
「………………………………はぁ」
―――食への欲望が支配しているのだった。
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#20