No.189080

思いの織物(後編)

小市民さん

上野公園にある奏楽堂で、衣音(いお)と環奈(かんな)はバッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲BWV1043」を見事に演奏し、大任を果たします。その帰り道、衣音が見たものは……
衣音に1つ年上のお姉さんがいる、という設定なっていますが、名前が出てきませんでした。お姉さんは愛生(あき)といいます。国際協力とヴァイオリン協奏曲をモチーフにした作品のクライマックスです!

2010-12-11 12:05:11 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:497   閲覧ユーザー数:481

 

 奏楽堂は、上野恩賜公園のすっかり落葉した十二月上旬の木立に中に、ひっそりと息づくようにあった。

 木造二階建、桟瓦葺で、中央家と翼家から構成される奏楽堂は、東京音楽学校と呼ばれた現在の東京芸術大学音楽部の講堂兼ホールとして、明治二十三年五月に建設された。

 創建以来、日本の音楽教育の中心的な役割を担ってきたが、機能面と老朽化から昭和五十六年に使用禁止となり、昭和五十八年に台東区が譲り受けた。

 その後、有志の活動により、昭和六十二年に現在地に移築、保存の後、一般公開され、国の重要文化財指定を受けている。

 こうした伝統ある建物の二階に設けられた日本最古の洋式音楽ホールでは、国際協力機構に参加したボランティアに引率されたタンザニアの子供達を主賓として、東京都でも屈指の私立学校に在籍する中高生によるミニコンサートが開催されていた。

 全くの有志によるにわか室内楽団もあれば、部活動として日頃の練習の成果を十分に発揮している学校もあった。

 プログラムも多彩で、無難にクラシックを選んだり、劇場公開用の完成度の高い日本のアニメ映画のテーマ曲を編曲していたり、と変化に富んでいる。

 発展途上国の子供達にこうした楽器演奏が受け入れられるのか、ボランティアの中で不安に思う声もあったが、正に音楽は国境を越えるの言葉通り、どの子も目を輝かせてステージを注視している。

 ミニコンサートは大成功であった。

 出場校六校の最後を飾る翔和女子学園からは、中等部二年生の鷲尾衣音と高等部三年生の馬場環奈がステージに立ち、バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲BWV1043」を奏で始めた。

 軽快な第一楽章が始まると、偶然に日曜日の午後に上野公園を通りかかり、ボランティア活動のためのミニコンサートに興味を引かれ、一般の聴衆としてホールに足を運び、三百三十八席全てを満席とした観光客までが、極めて高度な演奏技術をもったヴァイオリニストが、実は年端もいかない中高生であった事実に、愕然とした。

 環奈が第二ヴァイオリンで主題を奏で、衣音が第一ヴァイオリンとしてイ長調で応えていく。合奏部は全体的に補佐役に回るが、これは中等部の衣音が、高等部の環奈を立てたものであった。

 結果として「音の織物を編み上げる」構成であるバロックのヴァイオリン音楽の一大作品として評価も高く、短調作品で、バッハの厳格な形式を感じさせることから、演奏機会も多い名曲を、中高生が息もぴったりに演奏している姿は、誰の目にも光を帯びて見えた。

 第二楽章は、平行調のヘ長調で、緩やかな8分の12拍子となる。

 第一楽章と同様に、第二ヴァイオリンが第一ヴァイオリンに主題を重ねる。

 衣音は母の耳と口が、姉の目もないヴァイオリ演奏がこれほど楽しいものだったとは、夢にも思っていなかった。

 母は、音楽教室でも発表会の場でも、些細なミスを聞き逃さず、他人の面前で衣音を叱りつけた。

 母から叱られまいと、住まいがある高輪台の町公園で練習を重ねれば、必ず姉が遠目に見張り、近所に自慢したいからと衣音を曲解し、母に悪意たっぷりに告げ口されては、また母に叱られる。

 いつしか、一つ屋根の下でありながら、衣音は姉とは口も利かなくなり、音楽教室では当然であったが、 家庭でも母を『先生』とよそよそしく呼ぶことが生活習慣になっていた。

 しかし、今日に限っては、リハーサルでも本番でも、家族はいない。

 いるのは、輝くような瞳と笑顔を絶やさぬ異国の子供達と公正な上野の観光客だけだった。

 第三楽章は、4分の3拍子となり、第一楽章同様に明るく楽しい気分にさせる調べが続くが、ぴたりと演奏が終わる構成は潔さがある。

 衣音と環奈が大任を果たし終えると、上野の観光客とボランティアは拍手を惜しまなかったが、タンザニアの子供達は立ち上がり、拳を振り上げ、全身で喜びを表現している。

 衣音も環奈も瞳に涙をにじませ、聴衆に深く頭(こうべ)を垂れた。

 

 

 奏楽堂の二階にあるホワイエと呼ばれる休憩スペースは、和やかな雰囲気に包まれていた。

 タンザニアから訪れた子供達が、ボランティアの通訳を介し、ミニコンサートの出場者となった中高生達に次々と質問を浴びせているのだった。

 学校の校訓や校風、授業の特色を尋ねるのではなく、水道の蛇口をひねれば、水が出るって本当? みんなどうやって学費を払っているの? という問いかけばかりだった。

 今回、招待されたのは、タンザニアでも特に貧しいモシ県、ムビンガ県の子供達が多く、超高層ビルが建ち並び、インフラが整った日本の首都圏は、正に夢の大地であった。

 こうした子供達の中でも、最年長と思われる十二、三歳の男の子が、美智子に連れられた衣音と環奈の姿を見かけると、

「ショーワ! ダダ! ダダ!」

 興奮して声をかけてきた。

 環奈と衣音が戸惑っていると、ボランティアの一人が、

「ダダというのは、スワヒリ語でお姉さん、という意味で、ショーワは翔和女子学院のことだと思います」

 苦笑して説明してくれたが、男の子はすっかり興奮し、通訳の言葉を遮り、

「素敵な演奏をありがとう、本当にありがとう、僕達、今日のことは絶対に忘れないよ!」

 たどたどしい日本語で感謝を述べた。衣音は、感謝しているのはむしろ自分の方で、どう伝えたらいいものか考えていると、美智子は通訳に、

「練習らしい練習も殆ど出来なかった生徒の演奏に、喜んでいただけて、私達の方こそ感謝に堪えません、と伝えて下さい」

 衣音と環奈の思いを代わって伝えた。ボランティアの通訳が、異国の子供達に美智子の言葉を伝えると、最も年少と思われる六、七歳の女の子が、衣音の腰に抱きついてきた。

 衣音は、その女の子に、まるで母の愛を無意識に追い求めている自分自身を見たような思いになった。そして、自らが最も望んでいるとおり、何度も何度も優しく頭をさすった。

 

 

 美智子は、愛用のヴァイオリンをソフトケースに収め、背負った衣音と環奈を連れ、JR上野駅から山手線に乗り、品川駅で下車すると、高輪口から陽が傾いてなお交通の激しい国道十五号線の歩道を、北品川へ向かって歩いた。

「今日は何だか不思議な一日でした。自分が国際協力が出来たなんて、夢みたい」

 環奈が嬉しそうに言うと、衣音はうなずき、

「本当に助けてもらったのは、わたしの方だと思っています。校長先生、わたしも何かしたいんです。でも、何から、どう始めていいのか解らない。どうしたらいいですか?」

 思いもかけず、貧困を極めながらも、瞳の美しい輝きを失わないタンザニアの子供達と触れ合う機会を与えてくれた美智子に、真摯に問いかけた。

 美智子は、思いが重なり合い、華麗な織物のようになった生徒達の心の成長に目を細めながら、

「そうね、鷲尾さんの場合は、まずご家族に元気に声をかけることから始めましょう。おはよう、とか、ありがとう、とか、おやすみなさい、などかしらね」

 にこりと笑って応えた。衣音は拍子抜けし、

「そ……そんなことでいいんですか?」

「あら、最初は照れくさくて、、なかなか出来ないものよ」

 美智子は衣音の家庭を見抜くように言った。姉とは、既に二年以上もろくに会話していなかったし、母には、音楽教室ばかりではなく、家庭でもよそよそしく『先生』と呼んでいた。

 しかし、先ほどのタンザニアの最年長の男の子が拙いながらも、日本語で懸命に伝えた感謝の言葉を思い返せば、たった挨拶一つが人の心を救う強大な力をもっていることが解る。

 衣音が美智子の言葉に思わず考え込んでしまうと、美智子は、

「人の心はね、

 いつでもどこでも自由に使える、

 無限大に使える、

 使えば使うほど質が向上していく、

 という特質があるの。一つ一つの小さなことから実行していけば、必ず大きな結果に繋がっていきますよ。がんばって!」

 ミニコンサートで目の当たりにした、ずば抜けて優れたヴァイオリンの演奏技術を早くから身につけた、衣音の無限に拡がっている未来に思いを馳せて言った。

「校長先生、今、何て言ったんですか? もう一度、教えて下さい!」

 思わず聞き返した衣音のまだ幼い顔を、対向車線を走ってきた行楽帰りの互いに笑い合う家族連れを乗せたワンボックスカーのヘッドライトが、祝福するかのように明るく照らし出した。(完)


 
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