―――一刀の様子がおかしい。
それに最初に気がついたのは、斗詩だった。はやり、ずっと一緒に居たからだろうか。
一刀の変った所、まず一つ、よく寝るようになった。
以前の村では、一刀は酒場の手伝いをしていたので、朝早く起きることは苦手ではない。なので、寝坊するなどあり得ないのだが、最近の一刀は猪々子よりも遅く起きることがしばしば。それぐらいなら、ただ疲れているのだろう、と斗詩は深く考えていなかった。
次に、ボーっとする時間が増えた。
一人で何をするわけでもなく、ただボーっと突っ立っていることが最近の一刀には多く見られた。たまに頭を押さえていたり、首を振ったりしているので、もしかしたら、貧血のような症状があったのかもしれない。
最初に気がついた斗詩は、初めはただ疲れているのだろう、と思い、大して気にしていなかったが、いつまでたっても治らず、そして七乃や猪々子も一刀の様子がおかしいことに気がつき始めた。
不安に思った3人は旅の途中の村に入り、そしてその村にちょうど居た大陸一の医者と名高い、華陀と言う男性に一刀のことを診察するようにお願いするのであった。
バタン、と宿の部屋の扉が閉まった。
部屋から出てきたのは華陀だ。表情は至って普通。取りあえず、その様子から深刻な病でなさそうであることに、取りあえず一安心。
「あの、一刀さんはどうでしたか?」
「あぁ。何処も異常はないよ。至って健康だ」
「そうですか・・・・でも、最近はよく立ちくらみをするらしくて、本人は大丈夫だって言っているんですが・・・」
「大丈夫さ。多分、旅人によくありがちな、偏った食生活とか、心労とかだと思うぞ。取りあえず、栄養剤を調合しておこう」
「ありがとうございます」
にっこり、と笑う華陀に、斗詩も笑みがこぼれる。
考えてみれば、一刀はずっと苦労してきていた。自分たちはいつも一刀に守られるばかりで、自分たちが重荷になってしまったのではないか、と心配する反面、これからはもっと自分がしっかりしないと、と斗詩は思った。
喜ぶ斗詩と猪々子。しかし、七乃一人だけは、表情が暗かった。
「あのー・・・・華陀さんは、何でも病気を治せるんですよね?」
「ん?まぁ、大概の病は退治出来るさ」
「なら、脳・・・・・つまり、記憶喪失も治せますか?」
びく、と斗詩の体が震えた。
「あぁ。頭に針を刺して、刺激を与えてやれば治るだろうな」
「な、なら一刀さんの記憶を取り戻せるんですか!?」
斗詩は華陀に聞いた。
記憶を取り戻せると言うならば、今の一刀の記憶を前の一刀の記憶に引き継げるのではないか、と考えたのだ。以前、今までのことを忘れてしまうことを恐れていた一刀の為にも、出来ることならば、記憶を取り戻してあげたい。
しかし、華陀は首をかしげて、何を言っているのか分からないような顔をした。
「ん?あの男は、健康だって言っただろ?記憶喪失なんかにはなっていないさ」
「はぁ!?そんなわけないですよ!」
「確かに、記憶喪失を見極めるのは難しいが、ざっと見た感じは何処も異常はなかったが?」
「そ、そんなはずはないんです!だって、頭を強くぶつけた時に、人が変ったようになってしまったんですよ!?それに、今までのことだって忘れてて・・・・だから・・・・」
「確かに、頭を強打したら、記憶喪失になる可能性はある。だがな、それはいつの話だ?2、3日。長くても1、2週間ならありえても、何カ月、何年なんてありえないぞ」
「!?」
「さっきも言った通り、脳に刺激を与えれば、記憶は思い出せるんだ。それは物理的でなくても、例えば思い出話や、何か思い入れのある物を見るだけでも、きっかけになるんだ。だから、そんな長い期間、記憶喪失になるなんて、まずあり得ない」
何を言っているのか、斗詩には理解できなかった。
一刀が記憶喪失でない?なら、今の一刀は?本当は記憶喪失にならなくて、前の一刀がただ演じていた?いいや、性格はともかく、あの殺気は演技で出せるものじゃない。
じゃあ、一体、今の一刀は何?
「・・・・・作られた人格」
ぽつり、と七乃が呟いた。
「七乃さん!?何か知っているんですか!?」
七乃は唇をかみしめ、しぶしぶ頷いた。
そして七乃は、華琳と話した内容を斗詩たちに話始めた。
七乃の話を聞いて、反応は様々だった。
猪々子は七乃と同じようにやりきれないような、悔しそうな表情をしていた。しかし、斗詩はただ眼を閉じて、無表情だった。
そして斗詩は、眼を開き、華陀に向いた。
「華陀さん。これで分かりましたか?」
「あぁ・・・・・それなら、俺が治せないのも頷ける」
華陀は一人で頷いた。
「おそらく、本当に記憶喪失になっていたんだろう。だが、大陸平和を実現する途中で記憶が戻らないように、俺でも治せないようになっていた。神か何かは知らないが、彼は天の使いだからな。おそらく、そう言った神秘的な物がそうしたんだろう・・・・・しかし、それなら、今、彼の様子がおかしいのも説明出来る」
「と言うと?」
「つまり、戻ろうとしているんだ。記憶を失う前の彼に。現在の話を聞く限り、大陸の平和はほとんど完成しようとしている。つまりそれは、今の彼の目的が達成されたことだから、つまり役目を終えて消える・・・・と言ったところだろう。すまない、俺もこんなことは始めてだから、確かなことは言えない」
「しょうがないですよ。でも、どうして寝るのと立ちくらみが関係するんですか?」
「おそらく、彼は寝ることによって前の彼の記憶と肉体の差を縮めようとしているのだろ。約一年間、前の彼はずっと外の世界を知らないわけだから、肉体の成長に精神がついて行けてない。だから、寝ることで、少しずつ元に戻ろうとしている・・・・・立ちくらみは、その際に起きる、今の性格と前の性格の差が現れた物だろう」
「では、一刀さんは寝ることで元に戻るわけですから、このままでも平気ですね」
斗詩は華陀の言葉に安心したように微笑んだ。
その斗詩の微笑みを見た七乃は、思わず机を叩いた。
「どうして笑えるんですか!?」
「はい?」
「治るとか治らないとかじゃなくて、今の一刀さんについて何も思わないんですか!?」
思わず流れてくる涙を七乃は止めることが出来なかった。
もし斗詩が我慢していると言うなら、それはそれで怒りたかった。一刀のことが我慢出来るほどしか好きでいなかったということになるからだ。でも自分は違う。何日も何日も悩み、考え、そして泣いた。我慢しようとしても、抑えきれない感情で胸がいっぱいだった。
「私は嫌です!一刀さんの皮を被った他人を好きになれません!斗詩さんは違うんですか!?」
バンバン、と机を叩いた。
斗詩はしばらく七乃を見つめ、懐から手拭と取り出すと、七乃の涙を拭いてあげる。その斗詩の顔はとても穏やかだった。
「七乃さん。確かに、七乃さんの話通りに、もしかしたら、一刀さんは本当に一刀さんじゃなくて、作り物であるかもしれません。記憶喪失ではなく、他の誰かが作った人格かもしれません」
「だったらどうしてそんなにも・・・・!」
「でも、それを証明出来ます?」
「それは、実際に華陀さんも治せませんし、何より、連続して偶然なんて起きるはずがありません!」
「・・・・・だからそれが何になります?」
「えっ・・・」
「私は信じてます。村で助けてくれた時、呉で民たちと遊んだ時、蜀で一刀さんが怒った時・・・・・私は、その中に前の一刀さんを感じました。七乃さんだって気が付いているでしょ?前の一刀さんのように優しく、気遣いが出来て、そして一緒に居るととても穏やかな気持ちになることを」
「・・・・・・・」
「だから私は信じます。そして、私は思うんです。
何の理由もなく、何の根拠もなく、何の証拠もなく、
ただその人を無条件に信じることが出来る。
それが、恋だって。
だから私は信じます。キチンとした理由も証拠もないけど、私はただ一刀さんを信じます。自分は一刀さん本人に恋をしたのだと。そして、今の一刀さんも性格が違っていたとしても、前と同じ、偽りのない一刀さんであると信じます。」
そうだ、と七乃は思った。
作り物の性格かもしれないと聞いたせいで忘れていたが、今の一刀は、前の一刀と似ている点が多くある。確かに口が悪くなり、そして強気になったりもしたが、でも、肝心な所。優しくて、いつも傍に居てくれて、そして一緒に居てくれるだけで、胸がドキドキするところ。
そんなの、自分の確証とも言えないような、ただの感想だ。華琳のように、何か根拠があるわけでもない。
でも、斗詩はその不確かな自分の感じたことを信じた。
不安、悩み、そう言った物をすべて自分で抱えて、それでもなお、一刀を信じた。
今まで悩んでいた気持ちが、すぅっと消えてなくなる。どうして信じてあげられなかったのだろう。何よりも大事なことじゃないか。
「・・・斗詩ちゃんには負けました」
「ううん。七乃さんの気持ちも分かるよ。確かに、ちょっと偶然過ぎるものね。でも、私は一刀さんは一刀さんだと思いますよ。私たちの好きな一刀さんとは根本的なところは同じだと信じます」
「・・・・そうですねー」
七乃は斗詩の言葉に、ようやく笑みを返した。結局は自分が一刀を信用しきれていなかったせいだ。やはり、斗詩は凄い。と七乃は思った。
だが、その悩みが消えた瞬間に、七乃は違う悩みを抱えることになっていた。
今の一刀が、もうすぐ消えてしまうと言うことだ。大陸平和と言う、大業を成し終えたら、消えてしまう。
斗詩や猪々子は今でも昔でも、一刀に対して何かあるわけではないので、特に何もなかった。確かに多少は寂しい気持ちがあったが、元に戻るのが一番いいと分かっていたからだ。ならばせめて、元に戻るまでに、今の一刀と楽しい思い出を作りたい、そして一刀の記憶に残してあげたい、そう思っていた。
だが、七乃は違う。
ようやく素直になれた自分に応えてくれた一刀が消えてしまう。
自分を抱きしめてくれた一刀が消えてしまう。
例え、記憶喪失で性格が変っていたとしても、一刀が自分を愛してくれている事実には変わりはない。でも、記憶が戻り、前の一刀になれば、自分のことを変らず愛してくれるだろうか?
分からない。不安だ。怖い
「・・・・・・・」
―――大陸が平和にならなければ・・・・・・ずっと、戦乱が続いてくれれば、一刀さんはこのまま。このままずっと私を愛してくれる。
ぞく、と自分が考えたことに、七乃は震えた。
しかしその考えは、まるで麻薬のように自分の中で快楽を与えてくれる。
―――平和にならなければ・・・・・ずっとこのまま。
その時だった。
宿屋の扉が勢いよく開かれ、そして一人の村人が入り込んできた。
「華陀さん!大変だ!隣街に五瑚の奴らが襲撃したってよ!」
・・・・・・・あはっ。
七乃は一人で小さく笑った。
次回に続く
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12月ですねー。相変わらず、予定は何もない暇な大学生ですよ。僕はー
さて、今回は重要な分岐点になりますよー